『方丈記』の著者である鴨長明(かものちょうめい)は、法然上人と親鸞聖人の中間くらいの年齢だろう。長明が13歳の時、平清盛は太政大臣になっている。そんな時代だ。
長明は、神官の名家の出身で、文芸の才能に恵まれ、世間での誉れも高かったが、50歳を過ぎて、山の中に隠遁した。理由は、思うように出世できなかったことをきっかけに、世間が嫌になったのだろう。十分に偉くなっていたと思うが、それも自己評価と釣り合わなかったのだろう。
それで、聖者を目指し、自給自足で修行する清らかな生活を送った。学のある彼のこと。いろいろ、立派なことを考え、それを書いたりもした。
ところがある朝、気付いてしまう。
聖人ぶっていても、所詮、自分はただの俗物だと。
彼は、悟りでも開きたかったのだろう。しかし、そんなものと程遠い。せっかく俗世を離れ、がんばったのに・・・という思いでもあっただろう。彼は激しく落胆し、憂鬱に落ち込んだのかもしれない。
いったい、なぜ、こんなにうまくいかないのだろう?
彼が自分に尋ねた時、自然に、「南無阿弥陀仏」の念仏が出てきたのだ。
私の知る範囲でだが、これほど美しい文学のラストは無い。
これを、偉い学者先生たちは、えらく難しい解釈をする(それが学者の仕事なのだろうが)。
『方丈記』が書かれた年とされるのが、法然上人が亡くなった年というのも、偶然としては出来過ぎと思う。
ところが、あの聖人と誉れ高い法然も、自己評価としては、最初から、この時の鴨長明と変わらなかった、あるいは、もっと低かったかもしれない。さらに、有名なその弟子、親鸞となると、さらに低い。法然は、自分は念仏以外に何も出来ない俗物だ。だから、ひたすら念仏だけやった、それだけだと言ったのだ。
「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀如来に帰依します」、つまり、「阿弥陀如来様を心から信じ、全てお任せします」という意味で、自分の力を全く頼まない、絶対他力の意志だ。
長明は、自分の力で悟りを開こうとしたのだろう。そんなことが出来るとでも思ったのだろうか?
阿弥陀如来というのは、もちろん、本当に大仏のような姿の存在ではなく、宇宙の英知とでもいうべきものだろう。
人は聖人になることは出来ない。そんなことは諦めて、絶対的な存在に頼りきってしまうことだ。長明の深い心はそれを知っていたのだろう。だが、長明の愚かな表の心はそれが分からなかったのだ。一度、栄誉を得た人間はそんなものなのだろうか?
法然は、自分の愚かさを嫌というほど思い知っていたのだろう。そのあたりが、法然と長明の違いかもしれない。
釈迦が念仏の教えを説いたと言われる、『観無量寿経』は、釈迦がインドの王妃に説いたものだが、ある人の解釈では、その王妃が、自分の愚かさを思い知った時、釈迦は、彼女がそれを悟ったことを喜んで、この教えを説いたものとしている。
仏教でも、キリスト教でも、道教でも同じで、自分の愚かさを本当に知った時が救いなのだと思う。
アダムスキーは、自分はキリスト教徒ではないが、イエスは崇拝すると言っていた。彼は、個人の自我が、宇宙の英知に従うことを決意し、それをすれば、自我と宇宙の英知が融合して1つになると言った。そのためには、自我は、自分の愚かさを認めるしかないだろう。
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長明は、神官の名家の出身で、文芸の才能に恵まれ、世間での誉れも高かったが、50歳を過ぎて、山の中に隠遁した。理由は、思うように出世できなかったことをきっかけに、世間が嫌になったのだろう。十分に偉くなっていたと思うが、それも自己評価と釣り合わなかったのだろう。
それで、聖者を目指し、自給自足で修行する清らかな生活を送った。学のある彼のこと。いろいろ、立派なことを考え、それを書いたりもした。
ところがある朝、気付いてしまう。
聖人ぶっていても、所詮、自分はただの俗物だと。
彼は、悟りでも開きたかったのだろう。しかし、そんなものと程遠い。せっかく俗世を離れ、がんばったのに・・・という思いでもあっただろう。彼は激しく落胆し、憂鬱に落ち込んだのかもしれない。
いったい、なぜ、こんなにうまくいかないのだろう?
彼が自分に尋ねた時、自然に、「南無阿弥陀仏」の念仏が出てきたのだ。
私の知る範囲でだが、これほど美しい文学のラストは無い。
これを、偉い学者先生たちは、えらく難しい解釈をする(それが学者の仕事なのだろうが)。
『方丈記』が書かれた年とされるのが、法然上人が亡くなった年というのも、偶然としては出来過ぎと思う。
ところが、あの聖人と誉れ高い法然も、自己評価としては、最初から、この時の鴨長明と変わらなかった、あるいは、もっと低かったかもしれない。さらに、有名なその弟子、親鸞となると、さらに低い。法然は、自分は念仏以外に何も出来ない俗物だ。だから、ひたすら念仏だけやった、それだけだと言ったのだ。
「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀如来に帰依します」、つまり、「阿弥陀如来様を心から信じ、全てお任せします」という意味で、自分の力を全く頼まない、絶対他力の意志だ。
長明は、自分の力で悟りを開こうとしたのだろう。そんなことが出来るとでも思ったのだろうか?
阿弥陀如来というのは、もちろん、本当に大仏のような姿の存在ではなく、宇宙の英知とでもいうべきものだろう。
人は聖人になることは出来ない。そんなことは諦めて、絶対的な存在に頼りきってしまうことだ。長明の深い心はそれを知っていたのだろう。だが、長明の愚かな表の心はそれが分からなかったのだ。一度、栄誉を得た人間はそんなものなのだろうか?
法然は、自分の愚かさを嫌というほど思い知っていたのだろう。そのあたりが、法然と長明の違いかもしれない。
釈迦が念仏の教えを説いたと言われる、『観無量寿経』は、釈迦がインドの王妃に説いたものだが、ある人の解釈では、その王妃が、自分の愚かさを思い知った時、釈迦は、彼女がそれを悟ったことを喜んで、この教えを説いたものとしている。
仏教でも、キリスト教でも、道教でも同じで、自分の愚かさを本当に知った時が救いなのだと思う。
アダムスキーは、自分はキリスト教徒ではないが、イエスは崇拝すると言っていた。彼は、個人の自我が、宇宙の英知に従うことを決意し、それをすれば、自我と宇宙の英知が融合して1つになると言った。そのためには、自我は、自分の愚かさを認めるしかないだろう。
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