ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

新約聖書

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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2人の超駄目息子のお話

『新約聖書』の『福音書』と『法華経』に、少し似た、大金持ちの駄目息子の話があるが、私は、両方共大好きである。

『福音書』の方は、だいたい、こんな話だ。
途方もない大金持ちである大農園主の父親に2人の息子がいた。
そのうちの1人が、父親に、ここを出ていくと言い、財産分与を求めた。
父親は、求めのままに大金を渡し、その1人の息子は父親のところから去った。
ところが、出て行った息子は、やがて財産を使い潰し、食べることも出来なくなり、豚の餌を食べる有様だった。
そこで息子は、「お父さんの所に帰って、奴隷として雇ってもらおう」と思い、父親の農場に帰った。
すると、父親は大喜びし、その息子に良い服を着せ、大宴会を開いて歓迎した。

『法華経』の方の話はこうである。
途方もない大金持ちの父親に幼い息子がいたが、ある時、この息子が行方不明になり、父親は必死で探すが見つからない。
だが、父親は諦めず、ずっと探し続け、50年が経った時、ついに、父親は息子を見つけた。
しかし、息子は浮浪者で、すっかり貧乏根性が身に付いていて、今、父親が「私が父だ」と言っても、受け入れてくれそうになかった。
そこで、父親は息子を奴隷として雇い、父親も息子と一緒に奴隷として働きながら、息子を少しずつ導いていった。
20年かかったが、ついに息子の心構えが立派になり、自分は寿命が尽きようとしていたので、息子と親類縁者全員を集め、息子に自分が父だと明かすと共に、皆に、この息子が自分の後継者であると言い、膨大な財産を息子に譲って死んだ。

両方のお話共、息子の駄目さ加減が半端ない。
『福音書』の方の放蕩息子は、落ちぶれるにしろ、豚の餌を食べないといけないという生活力のなさには呆れる。妻子を養えないまでも、男が自分1人食べていくくらいのことは、いくら何でも出来そうなものである。
『法華経』の息子も、浮浪者にまでなるとは、飛び切りの駄目息子であり、しかも、大金持ちの父親が、いきなり「私が父だ」などと言ったら、逃げ出すに違いないと思われるほど心が貧しくなっていた。
両方の息子共、働くことすら一切出来ない愚か者で、ひょっとしたら私やあなたより酷いかもしれない(笑)。
しかし、両方の息子共、やるべきことは、父親のところに帰り、父親に甘えることだけだった。
ちなみに、『福音書』と『法華経』の、大富豪の父親とは、神様や仏様であり、無限の富と力を持っている。
そして、両方の駄目息子は、私やあなたなのである。
我々は、これらの息子達に比べれば、少しはマシに見えるかもしれないが、この世で辛い目に遭いながら生きていることは同じだ。
だが、そんなことをしていないで、神様仏様の力を頼れば良いのである。
ドナルド・トランプがこよなく尊敬するノーマン・ヴィンセント・ピールの世界的ロングセラー『積極的考え方の力』の最後を、ピールは、「なぜ神の力を求めないのか」と、結んでいる。
また、求め方も書いているが、読者に伝わっていないかもしれない。
簡単過ぎて伝わらないのだ。
我々は、学校やマスコミから、ひねくれて考えるよう洗脳されているからね(笑)。
学校やマスコミは、我々に奴隷根性を叩き込んでいるのである。
だから、我々は、自分が神様や仏様の息子や娘だという実感を取り戻さないといけない。
そのためには、神様仏様の実体を知る必要がある。
それが出来るよう、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが、懇切に教えていたのだが、彼らの本の難しいこと(笑)。
彼らの言葉を記録したり、翻訳した人が、教えをよく分っていないので、易しい言葉にすることが出来なかったのだと思う。
だが、ネヴィル・ゴダードが、『At Your Commnad(翻訳:新装版 世界はどうしたってあなたの意のまま)』で、同じことを、少しは分かり易く書いてくれている。








悪魔とどう戦うか

神というと、特に日本人は「宗教」と感じてしまうかもしれない。
だが、ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』だったと思うが、マーフィーは、
「人々の神に対する考え方が変わってきている。昔のような、天の上に住む、気難しい老人ではなく、年長の優れやパートナーと考える人が増えている」
といったことを書いていた。
マーフィーがこれを書いたのは、半世紀以上昔と思うが、その頃のアメリカは民主的で強力だったのだと思う。
今は、アメリカ人でも、そんな考え方を持っているかどうか疑問で、むしろ、神を信じない物質主義者が多くなったかもしれない。

ソクラテスは、「あらゆる優れたことは、人間がやっているのではない。神がやっている。私に何か優れたことがあるとしたら、やはりそうなのだ。私自身は何も出来ない。そのことを知っているという理由だけで、私は人間の中で一番知恵があるのだ」という意味のことを述べている。

人間というのは、霊と肉の融合と言われることがある。
そして、少し言い方が違うだけで、賢人は皆、そう言っている。
プラスの生命体(霊、神)と、マイナスの生命体(自我、肉)といったように。

神でも仏でも良いが、我々は、自分より高い存在があることを知らなければならない。
そして、敵も、肉より高い力を持っているかもしれない。
つまりは、悪魔(サタン)だ。
自分が、肉と自我であると思っていると、容易く悪魔に負けてしまう。

トランプ大統領の弁護団に加わった名弁護士、リン・ウッドは、今日の1つのツイートの最後を、こう締めくくっている。
God wins.(神は勝利する)

ウッド弁護士の主な敵は、見かけ上は、腐敗した政治家(民主党が中心だが、トランプと同じ共和党員にもいる)、そして、主要メディアだ。
この世界を暗闇に閉ざさないためには、負ける訳にはいかないが、敵の正体は、あまりに強大な悪霊である。
ウッド弁護士は、ツイートで、新約聖書の「エペソ(エフェソ)人への手紙、第6章12節」を引用している。

For we wrestle not against flesh and blood, but against principalities, against powers, against the rulers of the darkness of this world, against spiritual wickedness in high places.
私達の戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。
※日本語訳は、新共同訳『新約聖書』より。

ウッド弁護士は、この言葉を心に戦っているのだという。
ところで、この言葉より前は、こうなっている。

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
~新共同訳『新約聖書』より~

悪魔は身近におり、油断すれば、容易く配下の奴隷にされてしまう。
これは、象徴的な意味としても良いが、直接的な意味と取った方が良いかもしれない。
そこで、マーフィーが言うように、神を、年長の超優秀な無敵のパートナーと考えないと、我々に勝ち目はない。
我々には、何の力もない。
確かに、自分で出来ることは自分でしないといけないが、肉である我々自身には、何も大したことは出来ないのだ。
トランプ大統領の愛読書、ノーマン・ヴィンセント・ピールの『積極的考え方の力』は、こう締めくくられている。

なぜ神の力を求めないのか!
~『積極的考え方の力』(ダイヤモンド社。相沢勉訳 1964)より~








無限に許すのが断然お得

あまりはっきりとは覚えていないが、新約聖書の福音書で、誰かがイエスに、
「悪いことをしてきた相手を何度許せば良いですか?7度ですか?」
と尋ねると、イエスは、
「その70倍許しなさい」
と答えた。
77回という解釈もあるが、まあ、無制限に許せという意味と思う。
いまどき、そんなことを言うと、
「そんなに許せるか!」
「しかし、あいつだけは許せん」
「一度でも許せない罪がある」
などという声が上がりそうだ。

だが、イエスが言う通りにすることは、別に高潔であるとか、偉いからというのではなく、断然お得なのである。
言い換えれば、人を許さないのは、恐ろしいほど損なのである。

まず、相手が自分に悪いことをしてきたのは、自分が引き寄せた・・・つまり、本当は、自分が相手にやらせたのである。
そうでなければ、そんなことは起こらない(相手が悪いことをしてこない)。
つまり、本当に罪があるのは自分だ・・・などと言ったら、怒られるくらいでは済まないかもしれないが、少なくとも私はそう思っている。
この部分から納得しない人が多いが、敢えて言えば、この通りなのである。
そして、悪いことをされたら、誰でも腹が立つ。つまり、不快な気分になる。
それは、凡人でも、聖者でも同じである。
だが、この宇宙の厳然たる仕組みというのが、
「良い気分でいれば良いことが起こり、悪い気分でいれば悪いことが起こる」
である。
これは、科学的(特に量子物理学的)、心理学的、宗教的、霊的・・・どれで言っても正しいと思う。
だから、本当に賢い人は、悪い気分になっても、すぐに気持ちを切り替えて良い気分になる。
少しくらい悪い気分になっても、すぐに悪いことは起こらないし、良い気分(の作用)の方が悪い気分(の作用)よりずっと大きな力があるので、良い気分になれば、悪い気分の影響を容易く消せる。
とはいえ、悪い気分を放置したり、それどころか、多くの人がそうするのだが、悪い気分にさせた悪いこと(相手がしてきた悪いこともそうだ)について集中して考え、さらに気分が悪くなる。
すると、次の、さらに悪いことが起こり、ますます、気分を悪くすることになってしまう。
この「悪いこと―悪い気分」ループが習慣になってしまっている人が多く、結果、お金はないし、好きな人には相手にしてもらえず、人が去っていくと・・・いうのが、当たり前になってしまっている。

人を許さないと、こんなに損なのである。
別に、悪いことをしてきた相手を好きになれとか、仲良くしろというのではない。
その相手のことや、その相手がした悪いことに意識を向けるのをやめて、楽しいこと、建設的な興味を持っていること、面白いこと、愛すべきことに意識を向ければ良いのである。
それで気分が良くなれば、その者がした悪いことの影響もなくなるし、忘れてしまう。
また、悪い問題に蓋をしろというのではない。
負債があるなら返さないといけない。
しかし、負債に対し、ネガティブな感情を起こすのではなく、楽々と返すことが出来るはずだと考えることだ。
そう考えて気分が良くなれば、実際にそうなるだろう。








キリストの秘法を親切に解説してみた

イエス・キリストは、自分が万能であると堂々宣言し、実際にその力を見せたが、そんなことが出来るのは自分だけではなく、「信じる者には何でも出来る」と言い、誰でも自分と同じことが出来ることを示唆した。
それなら、どんな願いも叶うはずだが、イエスは、願いの叶え方を特別に教えている。
彼が教えたシンプルな方法こそが究極であることを、チャールズ・ハアネルは成功講座である『ザ・マスター・キー』で述べていえる。この本は、若き日のビル・ゲイツも学んだと言われている。
そのイエスの願望達成法について、少し述べる。

イエスの方法は実に簡単で、「願いは既に叶ったものと思う」だけである。
貧しくて豊かになりたいなら、既に豊かであると思い、病気で苦しんでいるなら、既に健康になったと思えば良い。
ただ、貧乏な者が、自分は豊かであると、「本当に」思うことは難しい。
なぜなら、自分は貧乏だと思っているから貧乏という状態を引き寄せたのであるからだ。
その者の「私は貧乏だ」という思いは信念であると言えるが、人の信念を変えることは難しい。
そして、その信念を変える方法こそが、世の中に無数に現れ続ける成功法則、成功講座、成功プログラムで、上に挙げたハアネルの『ザ・マスター・キー』も、その1つということになる。

思い通りの信念を持つことが出来れば、人生は自由自在であり、だから、クラウド・ブリステルは『信念の魔術』を唱え、「魔法使い」ダイアン・フォーチュンは、魔法とは「心に自在に変革を起こす技術」であると定義した。
だが、誰の方法もうまくはいかない。
心の傾向性とは、幼い時の、親や周囲の大人や教師から刷り込まれた、いびつで哀れっぽく、チンケな(程度が低い)教育から出来ていて、それを消去し、優れたものに変えることは容易なことではない。
何百万円もかかる変革法もあるが、それでも上手くはいかなかったのである。

けれども、その方法が単純で簡単であることが分かって来た。
簡単過ぎて見逃していたのである。
例えば、こんなものだ。
私は子供の時、SF映画『火星人地球大襲撃』を見たが、最後に、地球人より、科学力、精神力ではるかに優れた火星人を1人の人間が倒す。
なぜ、そんなことが出来たかというと、その方法が簡単過ぎて、火星人が気付かなかったからだというのが、非常に印象に残っている。
イエスの秘法をうまく使うやり方も同じだ。

願いが叶ったら・・・豊かになったら、健康になったら、素敵な彼氏や彼女が出来たら、希望する学位が取れたら、どうなるだろう?
間違いなく、「良い気分(フィール・ファイン)」になるはずだ。
願いが叶った時の「良い気分」を感じるくらいの想像力は誰にでもある。
それを呼び起こせば良いだけである。
「あの子が僕の彼女」と思ったら、胸の奥が震えるような感動みたいなものがあるだろう。それが良い気分だ。
その良い気分を歌にしたのが、ビートルズの『アイ・フィール・ファイン』で、あのリズムと演奏と歌声の中に、彼らの天才的な感性で表現した『良い気分』がある。
病気が治って健康になった時のように、願いが叶った時の気持ちと、晴れ渡った青空を見た気持ちが似ていることが分かると思う。それを「良い気分」と言うのだ。
また、人によって、良い気分を感じるものが、いろいろあるだろう。
夕焼けの平和な街、猫が平和そうに寝ている姿、一面の花畑、ライブで初音ミクさんが見せる一瞬のポーズ・・・そんなものを見た時の感動、安らかな気持ち、幸福感・・・そんなものに「良い気分」を感じるかもしれない。
それを見た時に感じる感覚を、願いが叶った時のイメージや、「病気が治った」という言葉と合わせれば良いだけである。
断言するが、気分が全てである。
宇宙を運営するプログラムは、あなたの気分に同調するように作られているのである。








我々は法華経や新約聖書に登場する転落した息子である

新約聖書の福音書と、仏教の最も有名な経典である法華経に似たお話があって面白い。
イエスと釈迦が語ったことになっている。
いずれも、金持ちの息子の転落と復活のお話だ。
「俺、金持ちの家の出じゃなから関係ない」なんて思わないで欲しい。釈迦もイエスも、「これはあなたのお話」と言っているのである。

イエスの方のお話はこうだ。
金持ちの地主に、2人の息子がいた。
うち1人の息子が父に、家を出るから財産を分けてくれと願い、父はその通りにしてやった。
だが、出て行った息子は遊び暮らして財産を失くし、貧乏のどん底に陥る。
そこで、父に下僕として雇ってもらおうと思って家に戻ると、父は大歓迎し、盛大なお帰りなさいパーティーまで開いてくれた。
面白くないのは、長年、真面目に働いてきたもう1人の息子だが、父は、その息子の機嫌も取る。

釈迦の方の話はこうだ。
途方もない金持ちがいたが、その息子が幼い時に行方不明になってしまう。
金持ちは必死に探すが見つからなかった。しかし、50年後、遂に息子を見つける。
しかし、貧しい息子は、すっかり貧乏根性が身に付き、父親が近付くとビビってしまい、話が出来そうにない。
そこで、父親は、自分が父であるとは言わず、息子を下僕に雇い、自分も下僕のふりをして一緒に働きながら息子を導く。
20年かかったが、なんとか息子は立派になり、死が迫った父は、有力者達と共に息子を呼び、「お前は私の息子で、私の全財産の相続者である」と皆の前で宣言し、息子もそれを受け入れる。

イエスの話の金持ちの地主は神であり、一度出て行った息子は、我々のことだ。
そして、釈迦の話の大金持ちは仏であり、貧しくなった息子は、我々のことだ。

つまり、人間というのは、宇宙最大の富と権力のある親がいて、その親と一緒に居れば良いのに、(精神的に)離れてしまうことで不幸になるということを言っている。
だが、親の元に戻りさえすれば、欠けているものは何もないのである。
ここまでは、それぞれの宗教の信者は分かっていることであるが、どうすれば親の元に戻れるか、はっきり教えていない。
いや、妙好人(在家の優れた念仏信者)として知られる因幡の源左という教育のない明治時代の農民や、江戸末期の神道家、黒住宗忠らが、苦労の末、それは、神や仏にまかせきることであると教えていて、その通りなのであるが、肝心のところが隠されたままだ。
その最も肝心なことは「気分を良くする」こである。
イエスの話の息子は、家の仕事が嫌で気分が悪かったから、大金を持っても、心の隙間を埋めるために遊び狂って全財産を潰し、気分が悪いので何をやってもうまくいかなかった。
しかし、どん底の中で、わが身を振り返り、少し気分が良くなったので、父の元に帰るというアイデアが浮かび、自分は愚か者だから下僕で良いと覚悟したので、気分爽やか・・・つまり、気分は良かった。
そして、家に帰ると、神である父は「私のものは全部お前のもの」と言ったのである。
けれども、家に残って真面目に働いていた息子が「なんであんなアホが僕と平等以上の扱いを受けるのですか」と文句を言うが、父は、「そんなこと考えちゃいけないよ。私のものは全部、お前のものじゃないか」と言うが、おそらく、その後、「だから気分良くいなさい」と言ったことは削られているのだ。
父が両方の息子に「私のものは全部お前のもの」と言ったことに引っかかる必要はない。神の財産は無限なのだからだ。
釈迦の話の息子は、長い貧乏生活の中で、すっかり、気分を悪くする習慣が身についていたので、どんどん駄目になっていた。
息子は、気分さえ良ければ、父は「私はお前の息子。私のものは全部、お前のもの」と言って、息子もそれを簡単に受け入れ、すぐに幸せになれたのに、父があの手この手で、息子に、気分が良くなることを教えるまで、それが出来なかった。

我々は、気分を良くしさえすれば、すぐに神や仏の財産を与えられる。
宇宙は、人間の気分に同調し、気分が良い者には、さらに気分が良くなる出来事を、気分が悪い者には、さらに気分が悪くなる出来事を起こすのである。
ある意味、我々は、笑顔やガッツポーズで、気分を良くする訓練をすると良いと思う。
訓練とは楽しいものであり、イチローのように、多くやればやるほど上手くなる。
イチローも、トレーニングが楽しいので、毎日長時間やりたいと言っていたはずだ。
仏典も聖書も、「気分を良くすればOK」という最も肝心なことは隠されてしまった。
今、こう言われても「そんな馬鹿な話は信じません」と言う人が多いのである。
ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』の本やDVDを見ると、『ザ・シークレット』が出る前から金持ちで、バーンの手下でも何でもない成功者達が、気分の秘法をあっけらかんと明かしているので、一度見てみると良いと思う。
だが、この本も、こう言ってやらないと解らない人は多いと思うのだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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