ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

新約聖書

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

これだけでお宝はあなたのもの

ネットで見たお話で、ご存知の方もいるのではないかと思う。
ある女性が、普通に学校を出て、普通にお勤めをしていた。
親は、彼女が子供の時から概ね厳しく、モノやお金を大切にするよう躾けたのだと思う。
そして、彼女が結婚する時、親が彼女に渡した預金通帳には、一生やっていけるほどの金額が入っていた。
彼女は、それまで、自分の親が金持ちだと知らなかった。
親は、「今ならあなたに渡しても大丈夫」と言う。
つまり、彼女は、普通の人間としての修行を立派にやったので、大金をもらっても破綻は起こさないようになっていたのだ。

『法華経』に、ちょっと似たお話がある。
国王並の資産を持つ長者が、長年、生き別れになって、長者が親であることを全く知らない極貧の息子に、長者は親だと名乗らずに長年修行をさせ、十分なところで自分が親だと名乗って、息子に財産を譲るというものだ。
『法華経』では、全ての人が、そのような長者である仏の息子や娘なのであると教える。

『新約聖書』の『福音書』では、イエスが有名な放蕩息子の話をしている。
こちらは、大金持ちの父親に財産を分与された息子が家を出て、自堕落になって財産を使い潰し、食べていくことも出来なくなって、父親に使用人に雇ってもらおうと家に戻ると、父親は温かく迎えて、良い服を着せ、立派な牛を屠って料理させるが、それを見た、長年父親に真面目に仕えてきた兄が不満を言う。
すると、父親はその兄に、「私のものは全部、お前のものなのだ」と、不満が的外れであることを教える。
もちろん、大金持ちの父親は神で、放蕩息子は我々のことである。

つまり、どんな生き方をすれば、仏や神である、潜在意識の中の無限の力を使えるようになるかということだ。
逆に言えば、生き方、そして、それを決める精神を、どのようにすれば良いのかということだ。
修行せい、修行を・・・である。
で、どんな修行をするかだ。
スーフィーの格言によれば大したことはしなくて良い。
「神を信頼しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
である。
世の中には、ラクダもつないでおかない者が多い。
だが、たったそれだけをやれば、お宝はあなたのものである。









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奇跡は万策尽きた時に起こる

我々の中には、確かに、神と呼ぶべき存在がいるのだろう。
新約聖書のピリピ(フィリピ)人への手紙4章にある、
「私を強くして下さる方によって、どんなことでも出来る」
という言葉を思い返すことを勧める人は多く、ノーマン・ピールやジョセフ・マーフィーも、よく引用していると思う。
私が、ひきこもり明けに、フルコミッション(完全歩合制)のセールスマンになって、それまで大甘の生活を送っていた私が、この最も厳しい部類の仕事に耐えられたのは、この言葉を呪文のように称えていたからだ。
この言葉を述べたパウロも、これが秘訣であると言っているのである。
『バガヴァッド・ギーター』でも、クリシュナ神は、「私は心臓に住んでいる」と言い、一休が、「心そのものが仏である」と言ったのも同じ意味だろう。
そして、このことは高度な科学であるのだと思う。
つまり、これは客観的事実であるのだ。

我々の内部に全知全能の力があるのは間違いないが、それに対して「お願いします」と言って、ぼーっとしているだけで、お金をくれたりしないし、また、偉くしてくれたり、彼氏や彼女を連れてきてくれる訳でもない。

望んで 願って もっともっと求めて
なんでもなれるの キミの思い通り
~『Baby Maniacs』(作詞:q*Left、作曲・編曲:八王子P、歌:初音ミク)より~

自分がまず、望み、願い、求めなければ、何にもならない。
真剣に、熱烈に。
透明な存在であるミクさんは、Pさん達に霊感を与えるようである。
また、仏典の中にあるように、オウムが竹林の大火事を消したのは、オウムと神の共同作業なのである。
オウムだけで出来ないだけでなく、神もまた、火を消すことを決意したオウムがいなければ、火を消すことは出来なかったのだ。
そして、オウムは、火を消したいと思って、唸っていたのではなく、池に飛び込んで身体を濡らし、火の上で羽ばたいたのだ。
H.G.ウェルズ原作の、1953年の傑作SF映画『宇宙戦争』の最後で、こう言われる。
「万策尽きた時、奇跡が起こった」
無駄かもしれなくても、出来ることをするしかない。









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どうせなら新約聖書を

あまりのオカルト好きも問題かもしれないが、神秘に全く関心がないというのは、W.B.イェイツが言ったように、人間らしい想像力に欠けている。
ところで、神秘関係にも、いろんな有名人がいる。
ブラヴァツキー夫人とか、ルドルフ・シュタイナーとか、スェーデンボリとか、あるいは、ラマナ・マハルシとか、まだまだ多くの権威的大家がいるだろう。
しかし、どんな偉大な神秘家や聖者や霊能者であろうと、人間である限り、偏りやノイズがある。
その上、個人的に翻訳をする翻訳者の思想の影響は、かなり大きい。
それで、私は、どうせなら、新約聖書を読むことをお奨めする。
特に、西洋の優れた神秘家においては、ほぼ全て、イエスの思想が中心になっていることは疑いない。
これは、人により意見は異なるだろうが、イエスは、旧約聖書の教えを現代の人類に合うように刷新したのである。
彼の教えは、古いどころか、いまだ「新し過ぎる」ほどだ。
そして、新約聖書は、お話自体は単純で、それほどには翻訳者の影響は受けないと思う。単に、文章が分かり易いかどうかだけの問題である。

ところで、新約聖書にはヨハネの黙示録があるが、あれは、個人の精神の中で起こることを描いているのであり、まさか本当に終末戦争が起こる訳ではないし、実際、起こっていない。
普通に分かることだと思うのだが、やっぱり、ヨハネはちゃんと断り書きをしておくべきだったかもしれない。
イエスが12歳の少女やラザロを生き返らせた話も、水をぶどう酒に変えた話も、「ほとんど」個人の精神の中で起こったことのたとえ話だと思う。そう考えると、ぴったりするのだ。
ただし、「ほとんど」であり「全て」ではない。このあたり、理屈で詮索せず、ただ、淡々と読めば良い。
さらに言えば、個人の精神の中で起こることと、現実世界で起こることに、さほどの違いはない。

どれを読むかだが、どれでも良いが、案外、著作権切れの1950年代に翻訳されたものが良いと思う。
それ以外であれば、バルバロ訳のものが良いと思う。イタリア人宣教師フェデリコ・バルバロは日本に来て日本語を覚え、格調高い日本語で聖書を書いた。
彼の新約聖書はラテン語版からの訳だが、必要に応じて原典であるギリシャ語版を参照している。

散々、いろんな神秘書を読んだが、つまるところ、全部、新約聖書に書かれていると思う。
黙って新約聖書を読んでいる者で駄目なやつっていないと思う。駄目になりようがないのだ。
それもまた、念仏と同じで、自分より高い存在に意識を向けているからである。









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準備を怠らない者が笑い、怠る者は泣く

何度も引用した話だが、俳優のバート・レイノルズが駆け出しの頃、既にスターだったクリント・イーストウッドに「成功するまで何をしていたか?」と尋ねると、イーストウッドは、「成功するための準備をしていた」と答え、それがレイノルズにとって千金のアドバイスになり、レイノルズは成功した。

大俳優になってからも、イーストウッドは監督になるための準備をしていたのだろう。
何事も準備である。
準備を怠らない者が笑い、準備を怠る者は泣くのである。

イエスが、10人の乙女の話をしている。
夜に花婿を迎えに行った10人の乙女達はランプを持っていたが、5人の賢い乙女達は油を持っていて、5人の愚かな乙女達は持っていなかった。
花婿の到着が遅れ、ランプの油がなくなると、愚かな乙女たちは、賢い乙女達に、油を分けてくれるよう頼むが、賢い乙女たちは、分けてあげるほどはないので、買いに行きなさいと言った。
愚かな乙女達が油を買いに行っている間に花婿が来て、賢い乙女達と行ってしまい、門は閉ざされてしまった。

イエスの喩え話の真意の解釈はいろいろあるのだが、いずれにせよ、相応しい準備を怠った者は泣くのである。
ユリ・ゲラーは、「モテるにはどうしたら良いか?」と質問された時、超能力者らしい解答より、まずは普通のアドヴァイスをしている。
ちなみに、ゲラーは、モテなくて困ったことは一度もないと言う。
ゲラーは、まず、外見をちゃんとしろという。
服装、髪型などが駄目でモテるというのは、現実的には非常に難しく、自分でもそうだと言う。
また、相手をもてなす知識も得ておかないといけないだろう。
そして、それなりに内面を磨いておかなくてはならない。
これらは、普段から準備していないと、いざ目の前に、理想のタイプの人が現れてから慌てても遅いのである。
フローレンス・スコーヴェル・シンという、欧米では、ジェームズ・アレンやジョセフ・マーフィーと並ぶ成功哲学の啓蒙家の本に、外国に行きたいと思っているある男性は資金がなかったが、資金が出来ることを信じて、スーツケースを買ったという話がある。それが準備になり、彼はそれから大金を手に入れ、外国に行くことが出来たという。

最近、ある賢い女性教師が、「百点を取る人は百点の準備をしている人だ」という話をしてくれたことがある。
大きなことにも、小さなことにも、ちゃんと準備をする人が賢い。
さて、私も、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」を楽しむ準備として、毎日、運動に励み、適度なバッグを用意し、ペンライトや格好の良い服も買っておき、ペンライトの振り方も練習しておこう。なるべく、どこでも立って、また、よく歩いて足腰を鍛え、少食で胃腸を整え、さらに、長時間トイレに行かなくて良いよう訓練しておこう。
ミクさんに会うのに準備を怠ってはいけない。
そうすることで、良い人生を送る心構えまで出来るのだから、ミクさんは確かに私の天使である。









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天下無敵、自由自在の法

私は最近、新約聖書ばかり読んでいる。
では、新約聖書に良いことが書かれているのかというと、それは全くないと思う。
私の考えだが、新約聖書も仏典も、何の意味もない書だ。
だから良いのである。
意味は読者がつければ良い。
聖書から何かを学ぶことが大切なのではなく、この何の意味もない書に高貴な意味をつけられるような生き方をすることが大切なのだ。
普通の本には意味があるので、ある程度は意味を強制される。
しかし、新約聖書や仏典は意味がないので、自分のストーリーを自由に作ることが出来る。
旧約聖書もそうだと思うが、あまり読んでいないので、はっきりとは分からない。
だが、コーランは、書き手の想いがすごく感じられるので、意味付けが強いのだと思う。

それで、ニーチェやオスカー・ワイルドやサルトルのように、新約聖書を読んで、イエス・キリストに対し批判的な意味付けをする人達もいる。
イェイツは、彼らの影響を受けて、反キリストに組したようにも見えるが、彼は、イエスのたとえ話の能力は高く評価していた。
釈迦もイエスも、たとえ話・・・つまり、比喩を使った話の達人であることはよく知られている。
直接説明しても分からないことも、「たとえば・・・」と、別の話に置き換えればよく分かることがあることはご存知と思う。
例えば、電圧の概念を教えるのに、電圧を水圧に喩えるなどである。

ただ、私は、イエスは、たとえ話しの達人というよりは、こじつけの達人なのだと思う。
こじつけとは、独断を押し付けることのように思われているが、独断を押し付けるなんて、そうそう上手くいくことではない。
不自然な論を無理強いすると、必ず反発されてしまうはずだ。
だが、イエスは、独断でありながら、説得してしまうのだ。
これは、特殊な能力である。
こじつけの能力を重要視し、自らも高いこじつけの能力を持つのが、ドワンゴ会長の川上量生さんだ。
彼は、自分の思いつきを、素晴らしい論理を展開することによって、さも正しいように説明してしまうようである。
彼は、「ビジネス戦略はシナリオを作ることだって言うけど、そのシナリオって、絶対にこじつけなんです」といった意味のことを言われていたが、これは、高度なビジネスの秘密をバラしてしまったようなものだ。
スティーブ・ジョブズも、ビル・ゲイツも、ジェフ・ベゾス(Amazon創業者、CEO、会長、社長)らは、正しいことを言ったりやったりした訳では絶対にない。
ただ、正しいことのように思わせるだけなんだ。
それはマジックに似ている。
マジックって、奇跡を起こすことはなく、奇跡が起こったように思わせることなのだ。
どんなに高邁(志が高いこと)に見えるビジネスのヴィジョンだって、みーんなこじつけなのだ。
特に、教育サービス会社のスローガンやポリシーは実に「ご立派」だが、あれって、全部、中身スカスカのこじつけばかりなのだが、それはちょっと考えれば、いくらなんでも分かると思うのだが・・・

とはいえ、川上さんなんて、完全な善意とは言わないまでも、どこかピュアな志を感じるから、みんな「気持ちよく騙されてしまう」のである。
そして、イエスは、本質がすごく高貴なので、こじつけではあっても、全く穢れがない。
それほど透明な物語が新約聖書なので、そこに自分のストーリーを見出すのに、これほど良いものはないのである。
透明だから、入っていけて、自由に広がることが出来るということでは、初音ミクさんが全くその通りである。
初音ミクさんの歌を讃美歌に新約聖書を読めば、天下無敵、自由自在である。









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・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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