昨夜、述べたが、1932年にベルギーのボーレングという村で、聖母マリアが数人の子供達の前に現れ、ただ、「よい子でいなさい」と言った。
きっと、それだけで、子供達は深い志を持つことが出来たはずだと。
貴い人のたった一言。
これに優る教えはない。
あるインドの聖者は、そんな一言は、火薬に点火する火花のようであると言う。
その火花で火薬は爆発し、穢れを払い、自我を透明にするのだろう。
2004年のNHKの大河ドラマ『新撰組!』を、私はよく見ていたが、その中で、近藤勇が、陸奥国(むつのくに)会津藩(あいずはん)の藩主で京都守護職の松平容保(まつだいらかたもり)に、多分、初めて謁見したのだったと思うが、松平容保は、近藤勇に、ただ一言、「励め」と言い、それを聴いて近藤は感極まった・・・という場面に、強い印象を持った。
「励め」
このたった一言が、近藤勇に新たな力強い志を持たせたのだと感じた。
もちろん、作り話であろうが、そんなことはどうでも良い。
大切なことは、自分がどう思うかだ。
東洋経済誌企画の対談の中で、今をときめくチームラボの猪子寿之氏が、初音ミクさんの『みんなみくみくにしてあげる』を聴き、出だしの、「科学の限界を超えて 私は来たんだよ」というところで泣いてしまったと言われていたが、これも、彼に志を与えたのかもしれない。
必殺の一言は、誰でも与えられたはずだが、きっと、ほとんどの人は、それを見逃すか、忘れてしまうのだろう。
ブルース・リーの『燃えよドラゴン』で、リーが言った、「考えるな!感じるんだ!」は、相当に沢山の人々が覚えていると思うが、それを志にまでするには、受け取る側の器量も必要なのだろう。
私は、猪子寿之氏へのインタビューを電子書籍にした『知の謎はインターネットで解き明かせるか』で、非言語的知性について猪子氏が語るのを見て、この「考えるな!感じるんだ!」の意味が少し分かった気がしたが、志にまではならなかった。
つまり、これ(非言語的知性)は、アップルのiPhoneのどこが良いのかというようなもので、理屈(言語的知性)の上では、iPhoneに特段に優れたところは無いのだが、言葉に出来ないところで、非常に優れているのだろう。
私にとっては、アップルのiPhoneやiPadは、不便極まりないだけで、決して使わないが、もし、使い込む機会でもあれば、私も、信者になるほど惚れ込む可能性は高い。
実際、iPhoneが良いと言う人に、「どこが良いのか?」と聴いても、まともな答は決して返ってこない。
それは、アップル製品全般について言える。
アップルのファンの答は、「とにかく良い」、「どこか良い」であり、せいぜいが、「効率が違う」であるが、「どんな効率?」と尋ねたら、「とにかく効率が高いのだ」としか答えてくれないだろう。
アップルの魅力は、非言語的なものだ。
つまり、「考えるな!感じるんだ!」なのである。
初音ミクさんのコンサート『ミクの日感謝祭』の、『StargazeR』という曲で、ミクさんは、何度か人差し指を立てて見せ、最後に、彼女のその貴い指を捧げるかのように、我々の前に差し出すのだが、それを観て、私は、言葉で言えない何かを悟ったのだった。
しかし、この歌が、私にとって、ゲーテの『ファウスト』の『天上の序曲』(高橋健二訳。森鴎外訳では『天上の序言』)をそっくり現していることを知るのに4年ほどかかってしまった。
それは、「神を目指して、片時もたゆむな」、一言で言えば、「ゆるむな」であった。
必殺の一言は、不意に一瞬に訪れるのであり、それを逃すと、次まで待たなければならない。
そして、おそらく、ほとんどの人は、一生、逃し続けるのだろう。
あなたは、いつ、それがやって来ても良いように、常に、目覚めていなければならない。
そして、一度それを得たとしても、ゆるまずにいれば、さらに新しい啓示が与えられ、より高いステージに進むことになるかもしれない。
いつまでも、今のところに留まっているとは限らない。
しかし、近藤勇は、次の必殺の一言を逃したのではあるまいかと思うのだ。
あなたは、そうであってはならない。
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きっと、それだけで、子供達は深い志を持つことが出来たはずだと。
貴い人のたった一言。
これに優る教えはない。
あるインドの聖者は、そんな一言は、火薬に点火する火花のようであると言う。
その火花で火薬は爆発し、穢れを払い、自我を透明にするのだろう。
2004年のNHKの大河ドラマ『新撰組!』を、私はよく見ていたが、その中で、近藤勇が、陸奥国(むつのくに)会津藩(あいずはん)の藩主で京都守護職の松平容保(まつだいらかたもり)に、多分、初めて謁見したのだったと思うが、松平容保は、近藤勇に、ただ一言、「励め」と言い、それを聴いて近藤は感極まった・・・という場面に、強い印象を持った。
「励め」
このたった一言が、近藤勇に新たな力強い志を持たせたのだと感じた。
もちろん、作り話であろうが、そんなことはどうでも良い。
大切なことは、自分がどう思うかだ。
東洋経済誌企画の対談の中で、今をときめくチームラボの猪子寿之氏が、初音ミクさんの『みんなみくみくにしてあげる』を聴き、出だしの、「科学の限界を超えて 私は来たんだよ」というところで泣いてしまったと言われていたが、これも、彼に志を与えたのかもしれない。
必殺の一言は、誰でも与えられたはずだが、きっと、ほとんどの人は、それを見逃すか、忘れてしまうのだろう。
ブルース・リーの『燃えよドラゴン』で、リーが言った、「考えるな!感じるんだ!」は、相当に沢山の人々が覚えていると思うが、それを志にまでするには、受け取る側の器量も必要なのだろう。
私は、猪子寿之氏へのインタビューを電子書籍にした『知の謎はインターネットで解き明かせるか』で、非言語的知性について猪子氏が語るのを見て、この「考えるな!感じるんだ!」の意味が少し分かった気がしたが、志にまではならなかった。
つまり、これ(非言語的知性)は、アップルのiPhoneのどこが良いのかというようなもので、理屈(言語的知性)の上では、iPhoneに特段に優れたところは無いのだが、言葉に出来ないところで、非常に優れているのだろう。
私にとっては、アップルのiPhoneやiPadは、不便極まりないだけで、決して使わないが、もし、使い込む機会でもあれば、私も、信者になるほど惚れ込む可能性は高い。
実際、iPhoneが良いと言う人に、「どこが良いのか?」と聴いても、まともな答は決して返ってこない。
それは、アップル製品全般について言える。
アップルのファンの答は、「とにかく良い」、「どこか良い」であり、せいぜいが、「効率が違う」であるが、「どんな効率?」と尋ねたら、「とにかく効率が高いのだ」としか答えてくれないだろう。
アップルの魅力は、非言語的なものだ。
つまり、「考えるな!感じるんだ!」なのである。
初音ミクさんのコンサート『ミクの日感謝祭』の、『StargazeR』という曲で、ミクさんは、何度か人差し指を立てて見せ、最後に、彼女のその貴い指を捧げるかのように、我々の前に差し出すのだが、それを観て、私は、言葉で言えない何かを悟ったのだった。
しかし、この歌が、私にとって、ゲーテの『ファウスト』の『天上の序曲』(高橋健二訳。森鴎外訳では『天上の序言』)をそっくり現していることを知るのに4年ほどかかってしまった。
それは、「神を目指して、片時もたゆむな」、一言で言えば、「ゆるむな」であった。
必殺の一言は、不意に一瞬に訪れるのであり、それを逃すと、次まで待たなければならない。
そして、おそらく、ほとんどの人は、一生、逃し続けるのだろう。
あなたは、いつ、それがやって来ても良いように、常に、目覚めていなければならない。
そして、一度それを得たとしても、ゆるまずにいれば、さらに新しい啓示が与えられ、より高いステージに進むことになるかもしれない。
いつまでも、今のところに留まっているとは限らない。
しかし、近藤勇は、次の必殺の一言を逃したのではあるまいかと思うのだ。
あなたは、そうであってはならない。
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