ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

新世紀エヴァンゲリオン

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

最高の引き寄せは3つの言葉で言い表せる

何度かご紹介した、引き寄せの古典『イット・ワークス』の英語版の本(『It Works』)の表紙に書かれた言葉が、引き寄せに関し、最も重要なことを端的に述べている。
それは、

If you KNOW what you WANT, you can HAVE IT.
欲しいものが何かを知っていれば、それを得られる。

だ。
大文字で構成された3つの部分が、引き寄せの法則を3つの言葉で表している。
WANT・・・欲しいものを
KNOW・・・知っていれば
HAVE IT・・・それを得る
つまり、引き寄せが出来ない理由は「欲しいものを明確に知らない」ことだ。

「何が欲しい?」と聞かれても、ほとんどの人は(質問者に答えるかどうかは別にして)その答を持たない。
答を持っていると言っても、明確でない。
「お金が欲しい」と言っても、いくらのお金をいつまでにと明確に言えない。
「彼女が欲しい」と言っても、その彼女が何歳で容姿や性格がどうかすら言えない。
「小説家になりたい」と言っても、いつ、どんな内容の本をどんなサイズで出すのか言えない。

いつまでも続く『エヴァンゲリオン』というアニメがあるが、20年ほど前の最初のアニメがまさに、「シンジが欲しいものを明確にする」というだけのパーソナルな物語だった。
当時、『新世紀エヴァンゲリオン』を見たヨーロッパのプロデューサーが「少年の成長過程が素晴らしい」と言った。
主人公の14歳の少年シンジの頭の中で、ミサトやレイが繰り返し、「何を望むの?」「何を願うの?」と問う。
シンジは、みんなに好かれたいと願っていて、そのためには、自分に価値が必要だと思った。
あまりに曖昧な願いだ。
けれども、エヴァンゲリオンに乗って使徒をやっつけることが出来ることが大きな価値であると気付く。
それをすれば、皆から好かれそうである。
ところが、それをやっても、確かに好かれる場合もあるが、嫌われることもあることに気付くし、好かれると言っても、自分自身が好かれている訳ではないと思い始める。
それでまた、価値を失くし、シンジは悩む。
明確な目標がないままウジウジと悩む中で、シンジは沢山のパラレルワールド(並列宇宙)を生み出してしまい、それらのパラレルワールドがごっちゃになったまま、今も続いているという訳だ。
優柔不断なやつは迷惑だ(笑)。
結局のところ、問題は、シンジが明確な目標を持たないという、たったこれだけのことだ。
解決策は、どのパラレルワールドと親密になるか決めるということだ。
シンジは、レイかアスカか、他の誰かの1人を選び、将来の目標を決めれば良いだけなのだ。
「将来の目標」なんて言うと、社会に洗脳された者は、ショボい目標を思い浮かべてしまうが、アニメそこのけ(凌ぐほど立派)の目標でも良いのである。
例えば、こんな目標だ。
レイとアスカの両方と結婚し、トップのロボット工学研究者になって大成功し、富を得て人々に尊敬される。
それをそのまま達成するかもしれないし、途中で、「やっぱり彼女はアスカだけ」とし、研究者じゃなく、IT技術者から事業家に・・・と目標を変えるかもしれない。
しかし、最初の明確な目標がなければ、何も進まない。
あなたも、自分が欲しいものは何かをはっきりさせないと、いつまでも楽しい状況にはならない。








エヴァンゲリオンも引き寄せで解る(附エヴァを引き寄せる呪文)

『新世紀エヴァンゲリオン』という、1995年から始まっているアニメが、いまだ新作映画が作られるほど人気がある。
この作品もまた、「引き寄せの法則」で解釈しなければ、いったい何の話か分からない。
この作品は、かなり初期の頃から、この世界が作り物である・・・つまり、今流に言えば、『ソードアート・オンライン』のような仮想世界であることをほのめかしていたが、それも別に、引き寄せの法則に矛盾しない。
そもそも、引き寄せの法則は、仮想世界(コンピューターが作り出した世界。そこに精神を転送し、リアルな世界だと感じている)の法則であると言えるし、この「リアル世界」も、実際は仮想世界であると思う。

ところで、エヴァンゲリオン(以下「エヴァ」)のパイロット(搭乗者)である、碇シンジ、綾波レイ、アスカ・ラングレイの3人は、なぜ、エヴァのパイロットになるという状況を引き寄せたのだろう?
それは、彼らが、自分の価値が欲しいと強く願ったからだ。
3人共、「自分には価値がなく辛いので、確固たる価値が欲しい」と強く願ったから、エヴァのパイロットになるという状況を引き寄せたことが、完全に共通する。
エヴァに乗り活躍する限り、彼らは、自分が価値ある存在であると感じることが出来るのである。
ただ、綾波レイの場合、身体が沢山あるが、その分、個々の身体や心の存在価値よりも、「綾波レイ」という全体の存在の価値を求めていて、それが、彼女を強くも儚くも見せるのである(そこが良いのだろうが)。

尚、シンジのクラスメイトで軍事マニアの相田ケンスケは、エヴァに乗ることを熱望しながら、それが全く叶わず、時にシンジに嫉妬するが、なぜ、彼の強い願いは実現しないのだろう?
実のところ、彼の状態が、我々凡人の状態で、大望を抱いても、それが引き寄せられない。
なぜ願いを引き寄せないかというと簡単で、本気度の問題だ。
引き寄せ自体は、1ドルでも100万ドルでも、難しさに違いはない。
また、本気度というのは、誤解され易いが、「欲しいよお!」と絶叫しながら渇望するようなものではない。
ケンスケの欠陥は、エヴァに乗って喜び感謝する想いを持っていなかったことだ。
引き寄せの秘訣は、2000年も前にイエス・キリストが言った通り、「願いは叶ったものと思え」である。
そして、多分、イエスのその他の言葉は削除されたのだろうが、「願いが叶ったと思うこととは、願いが叶った時の気分を感じること」である。
それは、胸の奥が振動する(震える)感じなのである。
それは、興奮状態ではなく、むしろ、やすらぎ、穏やかさとして現れる。
そして、エヴァに乗っている時のシンジ、綾波レイ、アスカは、とても穏やかであることが分かる。
何より、エヴァを動かすためには、エヴァに乗った時に心が安定している・・・つまり、穏やかでなければならない。
むしろ、狂喜したような興奮状態ではいけない。だから、ケンスケは不適格である。
なるほど、『新世紀エヴァンゲリオン』は、やはり、引き寄せのお話である。

さて、では、エヴァに乗れるほどの願いを叶える魔法の呪文に進もう。
それは、ドイツのベルベル・モーアの引き寄せ書『その望みは宇宙がかなえてくれる』(手書きノートから始まって、世界で100万部売れた)にある。
「心おだやかに!」である。
アスカは、時々、エヴァとシンクロが出来ずに、エヴァを動かせない状態になるが、彼女は普段から、「心おだやかに!」と唱えるべきであったのだ。
そうすれば、自分の本当に欲しい価値を引き寄せ、幸せになれたのである。

ちなみに、『新世紀エヴァンゲリオン』は、ネタが多過ぎ(下手なものが多い)、私などは見ていて疲れてしまい、DVDを複数セット持っているが(高くついた)、あまり見ていない。








自己嫌悪の果て

昔、ロバート・シュラーの「セルフラブ」という本を、「買った」ことがある。
その本の表紙に書かれた、「自分を愛することが出来る人だけが成功する」という、絶望的な文に、悪い意味で関心を引かれて買ったのだと、はっきり覚えている。
セルフラブ・・・自己愛。これほど難しいものもないだろう。

ラマナ・マハルシは、「人は皆、自分が幸福であることを望み、悲惨であることを望まない。そこに自己への至上の愛が見られる」と言ったと本に書かれていたが、いや、それは、単に「痛いのは嫌」「楽したい」「自我を満足させたい」ってことで、「愛」なんてもんじゃないだろう。
まあ、本当にマハルシがそう言ったかどうかは分からないが、多分、日本語になるまでの過程で、齟齬が入りまくったのだろう。マハルシが使ったのはタミル語だったが、まず英語への訳の段階で、相当おかしくなる場合が多いだろうと思う。

『新世紀エヴァンゲリオン』では、自己嫌悪の碇シンジ君、自己否定の綾波レイ、そして、表向き自分大好き「偉大なり私」だが、本当はゴキブリより自分が嫌いな惣流アスカラングレー といいう3人を揃えていたのだから、面白いと同時に、見ていて(あるいは読んでいて)、どこか陰鬱になる作品に仕上がっていたと思う。
面白いことに、アスカのような、「自分大好き」「偉大なり私」って人間は、他人に一切共感しないサイコパスなのだ。あなたの周囲や、有名人にも、よくいると思う。
ただ、アスカの場合は、根深い「自己嫌悪」を覆い隠していただけの「擬似サイコパス」のような気もする。
要するに、「自分なんか死んでもいい」と思っている子供でないと、ヱヴァンゲリオンのパイロットにはなれないのだろう。

私は、「自分なんか死んでもいい」とは思ってはいないが、世界から自分がいなくなっても、別に問題ないと言うか、その方が良い世界になるとは確かに思っているから、なるほど、こう冷静に、客観的に考えると、私も自己嫌悪であって、自己愛とは程遠いのだろう。
自己嫌悪の極みと言える歌は、鏡音リンちゃんの『炉心融解』だろう。

僕のいない朝は
今よりずっと 素晴らしくて
全ての歯車が噛み合った
きっと そんな世界だ
~『炉心融解』(作詞:kuma、作・編曲:iroha、歌:鏡音リン)より~

いやあ、ここまで自分を嫌っちゃいけないが、分かる気がする・・・つまり、共感する。
ところで、今の中高生の多くは、自分にしか関心がないが、そんな大人も増えていて、世の中、相当気持ち悪くなっている。
そのような自分へのこだわりは、決して愛ではない。

そして、シンジもレイもアスカも、それに、自分にしか興味がない人達も、誰も信頼していない。
誰も信頼していないし、自分も信頼していない。
だから・・・
『BEATLESS』で、レイシアがアラトに、「あなたは私を信じますか」と言った時、私は光を感じたのだが、多分、多くの自己嫌悪の人達もそうだったのだ。
アラトは、疑いを持ちながらレイシアを信じた。
ただ、レイシアがきれいな女の子だという理由だけで。
ただし、「徹底的にきれいな女の子」だったからだ。
五感ってのは幻想で、欺くことはある。
私はよく覚えているが、小学5年生の、ある日ある時まで、大好きで可愛いと思っていた女の子が、瞬間、可愛いと思わなくなったことがある。
ああ、本当に感覚というのは嘘つきだと実感した。
だから、アラトと一体化し、レイシアを信じることで、信頼という、この世の宝を得ようと思うのだ。

いや、何でもいい。
何かを信じられたら、自分を信じられるだろう。
容易い道ではないが、なんとも価値ある道である。
アインシュタインは神を信頼していたが、「サイコロを振る神」を信頼出来なかった。
「神は老獪だが、悪意はない」
神の意図は人間には絶対に分からないので、サイコロを振るように見えることもある。
それは、神どころか、偉大なリーダーは皆そうである。
サイコロを振るように見えても、信頼出来る何かを見つけることだ。









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真の英雄の特徴

昔、ヴァーノン・ハワードのどれかの本の中に、
「あなたは何をしても良い。ただ、言い訳だけはゆるされない」
と書かれているのを見て、大変な感銘を受けた。
完全な真理だからに違いない。

小説『木枯し紋次郎』の中で、紋次郎が、幼い男の子を引っつかんで放り投げる場面がある。
その男の子は、力あるヤクザのボスの息子だったので、紋次郎はたちまち取り押さえられるが、紋次郎は抵抗しない。
そのボスは、目に入れても痛くない息子に暴力を振るった紋次郎を憎悪し、今にも手下に叩き切らせようとするが、紋次郎は沈黙している。
すると、死んだマムシを持った浪人が現れ、ヤクザのボスに、紋次郎は、マムシに噛まれそうになっていた、あんたの息子を救おうと、やむなく、あんなことをしたのだと伝えた。
一転、紋次郎は、最上級のもてなしを受けることになるが、紋次郎の態度は変わらない。
紋次郎が言い訳をすることは、水が低いところから高いところに流れることがないの同様、決して有り得ない。

また、昔のテレビドラマだが、妊娠した女子高生から、皆の前で、お腹の赤ちゃんの父親だと言われた男性教師は、一言も発せずに黙っていた。
事実ではないのだが、なぜ彼は否定しなかったのだろう?
あくまでドラマではあるのだが、もし、そう言われたら、「彼女がそう言うからには、それだけの理由がある」と直観するものだろう。
とにかく、私は、その教師を非常に格好良く感じた。
(まあ、実際にそんなことがあれば、どれほど出来た人でも、多少の弁明はするだろうが)

『新世紀エヴァンゲリオン』の中で、碇ゲンドウがゼーレの老人達に、
「なぜ、ロンギヌスの槍を使った?」
と詰問された時、碇が、
「やむを得ませんでした」と応えると、老人達は、
「言い訳にはもっと説得力を持たせるものだよ」
と言ったが、碇は何も言わない。
実際には、碇は言い訳など、一言も言っていないのだ。
ただ、「やむを得なかった」と、露骨に嘘をついたのだが、それが出来る力に、老人達も圧倒されてしまっていたのだ。
そうだ、嘘は構わないが、言い訳はゆるされない。

言い訳を止めれば、口数は極端に減り、無口な人間になる。
人間の言うことは、ほとんどが言い訳だ。
そして、心でも言い訳を言わなくなれば・・・つまり、自己弁護をしなくなれば、頭の中のお喋りは消え、心が静かになり、無になっていく。
そんな人間に敵し得る者など決していない。









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若い子には負けるわという自覚

1983年のアメリカのSFテレビドラマ『V(ヴィー)』にこんな場面があったと思う(大昔に一度見ただけでうろ覚えだが)。
地球侵略軍(ビジター)のトップであるダイアナ(女性。妙齢の美女)は、若い男性の部下ブライアンに、地球人の少女ロビンの映像を見せて言う。
「魅力的な娘だな?」
すると、ブライアンは、
「あなたほどではありません」
と答える。
すると、ダイアナはブライアンを厳しい顔で見据えながら、
「どうやら、お前は出世のコツを知っているようだ」
と言う。

何だか、良いシーンだと思うのだ。
ダイアナはもちろん、ちょっと年増としても、容貌はなかなかのもので、「普通」の範囲に入るロビンなどには遥かに優り、自分でも自信はあるのだろう。
しかし、森高千里さんの歌のように、「若い子には負けるわ」ってことも分かっている。
一方、ブライアンの方も、自分の能力には自信を持ちながらも、お世辞も言わずに出世できるほどではないという自覚があるのだ。
悪者とはいえ、身の程をわきまえている、立派な者達である。

一方、こんな者達もいる。
新約聖書の福音書の最後の晩餐で、イエスが、「お前達の1人が私を裏切る」と言うと、弟子達は、「それは私ではない」と言う。
そして、イエスがペテロに、「お前は、鶏が鳴く前に、私を3度拒む」と言うと、ペテロは、「私はそんなことは絶対にしません」と言う。
しかし、イエスが捕らえられた後、ペテロは周囲の者達に、「お前もイエスの仲間じゃないのか?」「そうだ、私もこいつが、イエスと一緒にいるのを見た」などと言われる度に、「私はイエスなど知らない」と言う。そして、3度目にイエスとは無関係だと言った後で鶏が鳴き、ペテロは悔恨の情にかられ、激しく泣く。
ペテロら、イエスの弟子達は、以前から、「私たちは全てを捨てて、あなた(イエス)に従ってきました」と、自分が清いことを満足そうに言っていた。
つまり、ペテロ達は、身の程知らずなのだ。
ペテロは、イエスを知らないと3度言って泣いた時、
「ああ、俺は所詮、この程度なのだ。とてもじゃないが、立派な人間とは言えない。最低だ」
と自覚し、自分を見限っていれば、本物への道が開けたのだ。
しかし、そうではなかった。
最も良いのは、
「俺は、裏切り者のユダと全く同じ値打ちしかない。俺はユダだ」
と、腹の底から思うことだったのだ。
そして、親鸞は、それが出来た人間だったから偉大だったのだ。
親鸞は、
「俺は煩悩だらけの浅ましい凡夫。自分では自分を救いようがない。阿弥陀様に救ってもらうしか道はない」
と、本当に自覚していたのである。

『新世紀エヴァンゲリオン』の最後の方で、病室で、意識のないアスカの病衣が乱れているのを見たシンジは興奮し、襲いはしなかったがマスターベーションでも始めたのだろう。
そして、シンジは絶頂に達した後、
「最低だ!」
と吐き捨てる。
そうだ。お前も我々も最低なのだ。
シンジや我々がそう自覚した時に道は開けるのだ。
そして、さらに幻想的なシーン。
海辺で、片目だけ出して顔に包帯をしたアスカが横たわっている。
シンジがその首を絞めるが、途中でやめ、崩れてアスカの横に寝転ぶ。
それを横目で見たアスカは、「気持ちわる」と軽蔑を込めた声でつぶやく。
ここまでやれば十分だ。
シンジよ、お前は全く気持ち悪い(若者言葉の「キモい」が似合う)のだ。
それを、本当に自覚し、自分が救いようのない愚か者だと徹底して理解すれば、本当に「おめでとう」だ。
そして、それは、見ている我々も同じなのだ。
まあ、監督の庵野秀明さんは、作品の意味について何も語っていないので、各自、好きにとれば良いのだが、私の見方はこうである。

自惚れ屋で身の程を知らないペテロ。
自惚れることが出来るほどの自分の価値が欲しいが、それを持てないことに苦しむシンジ。
自惚れなど、あらゆる煩悩を持っていることを自覚し、自分を見限った親鸞。
人間は生きている限り、ペテロやシンジであることは止められない。
親鸞にまでは、なかなかなれない。
それで言うと、最初に挙げた、ダイアナやブライアンは、人間としては(彼らは宇宙人だが)、なかなかのものであると思う。
我々は、「若い子には負けるわ」と、なかなか認めることはできない。
森高さんが、あの歌を作ったのは23歳くらいだったと思うが、既に、もっと若い子には負けると自覚していたのかもしれない。
もし、いつまでも美しくある秘訣があるとしたら、その類稀(たぐいまれ)な認識であるかもしれない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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