ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

政木和三

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

覚醒

かなり以前の『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメで、主人公の14歳の少年シンジが乗るエヴァ(エヴァンゲリオン)初号機(巨大ロボット)が「覚醒」する話があった。
エヴァ初号機の肩の装甲版が砕け散った時、赤城博士(女性。30歳)が、
「あれは装甲版ではないの。エヴァ初号機本来の力を封じ込める拘束具なのよ」
と言う。
つまり、なぜか、エヴァ初号機には、その性能を抑える拘束具が付けられ、弱くされていたのである。
そして、その拘束着が砕け、本来の力を取り戻したエヴァ初号機は恐ろしく強かった。

我々も同じで、拘束具を付けられ、本来の力を封じ込められている。
だが、我々に付けられた拘束具は精神的なものだ。
ところで、誰とは言わないが、YouTubeなどで、自分はいかにも覚醒した人間のように、この世の闇の支配者などの、なかなか面白い話をしている者がいるが、そんな者は、ちょっと隠れたことを知っているだけなのだ。
そんな者の中には、元々は「向こう側」(か、その周辺組織)の人間だった者もいて、「向こう側」に居た時に知った、政府のちょっとした秘密を得意げに話すこともあるが、その者には力は全然ないし、大したことは知らないのである。
元「向こう側」(か、その周辺組織)に居たとしても、所詮、小物に過ぎず、だからこそ、「向こう側」の連中も、その者を放置しており、その者が言う程度のことは、バラされても何ともない。
また、やはりYouTubeなどで、宇宙人の関係者みたいな振りをして、「ライトワーカーの皆さん、時は来ました」なんて言ってる者も、元「向こう側」(か、その周辺組織)の下っ端だった程度の者が知っている情報に脚色した話をしているのである。
おそらく、その元「向こう側」(か、その周辺組織)の下っ端だった者から、間接的に聞いた話が元で、全くの嘘ではないかもしれないが、極めて曖昧で、何より、その話し手にも、情報元にも何の力もないし、大したことは知らず、知恵もないので、予測力はない。

2011年に84歳で亡くなったサイババという、奇跡を起こす聖者がいたが、彼が自然死だったかどうかは分からない。
ただ、生前から、彼はメディアからは詐欺師のような者だと宣伝され、特に亡くなってからは、世間的には、そんな評価が定着しているし、そもそも、一般的にはすっかり忘れられている。
彼が、どのレベルだったかは分からないが、「向こう側」の妨害を散々、跳ね除けていたのだから、ただ者ではなかったと思う。
政木和三さんはテレビで、サイババについて、「あのくらいのことは、本来、誰でも出来る」と言われたように、政木さんはもっと上位だったかもしれないが、その政木さんも、ある時から、かき消すようにいなくなり、そして、亡くなられた。

まあ、結局、一般の人々が覚醒することが大切なので、YouTubeでいろいろ言っているのも役に立たない訳ではないかもしれないが、あまりにパワー不足だし、知恵もない。
で、結局のところ、神仏の名を唱えることだ。
真言は、あなたを護り、幸運に導くかもしれないが、最後は、神仏の名に優るものはない。
それと、そのことをどうこうしようと思わなくて良いが、自分が精神的拘束具を付けられていることは自覚した方が良い。
神仏の名を唱えていれば、それを壊してもらえるかもしれない。








観音経の奇跡を起こす

『法華経』の25章である『観音経』を読むと、観世音菩薩の名を唱えると奇跡が起こるということが書かれている。
その奇跡が、あまりに荒唐無稽なので、信仰深い人でも、「あれは、あくまでたとえ話ですよ」と言ったり、私も大好きな漫画家の桑田二郎(桑田次郎)さんは神秘家であるはずが、「あれは霊界での話。現実にあんなことが起こるわけがない」と著書に書かれていた。
しかし、敢えて言えば、『観音経』に書かれている通りに受け取って良い。
例えば、『観音経』では、手かせ足かせをはめられ、刀で切りつけられようとも、観世音菩薩の名を唱えれば、手かせ足かせは壊れ、刀は折れて被害はないと書かれているが、そのようなことは、現実によく起こっている。
ジョセフ・マーフィーの本を見ても、ある刑事は、独特な祈りをすることで、至近距離で撃たれるなどのピンチを何度も無傷で切り抜けている話があるが、観世音菩薩を信仰する者にも、そのようなことは、やはりよく起こっているのである。
いろいろ理由があって、あまり一般的に知られていないが、『観音経』だけでなく、念仏の行者や、あるいは、密教の行者の中には、神通力とか法力とか呼ばれる、まあ、言ってみれば超能力なのだが、そんな力の持ち主は、かなりいたのである。
神通力の使い手として、特に有名で凄かったのが役小角(えんのおづぬ)という修験者であるが、かなりの神通力を使う修験者は他にもかなりいた。
役小角は、多くの真言を使っていたが、ほとんどの修験者が使う真言は、般若心経、あるいは、般若心経の呪文であった。

私の知り合いにも、神通力の使い手はいたし、地味なものであれば、私も子供の時から度々使っている。
突拍子もないような面白い奇跡話なら、私が大嫌いな保江邦夫氏の本でも読めば沢山出てくる。例えば、名刀で皇室の邪気払いをしていた剣の達人の神通力で、皇居を爆破に来たB29(第二次世界大戦の時のアメリカの戦闘機)を消し去ったとかである。アホらしいと思うかもしれないが、それをやった人のことを書いた本があるので、下に、一冊目に紹介しておく。

そこで、私は地味目な実例を挙げておくが、政木和三さんのものが良いかもしれない。
もちろん、私が直接見たものである。
私が、岡山の林原生物化学研究所にあった、政木さんの研究所に初めて行った時のことだ。
政木さんの研究所は、林原生物化学研究所の門の近くにあり、その門を出ると、近くにアークホテルがあって、政木さんと、そこに昼食に行った。
ホテル内のレストランに入り、席に着いたが、なぜか注文を取りに来ない。
そこで政木さんが説明する。
「私は初めから、注文をしたことは一度もありません。来たら、いつも良い席が空ていて、そこに座れば、お店の方で適当にみつくろって持って来てくれます」
実は、その時も、私を含め、来客は3人だったが、政木さんと4人、ゆったり出来る場所が空いていて、楽しく会話しながら食事をしたのだった。
政木さんに関わる奇跡話は他にも沢山あるが、何度か書いたと思うし、今回はこれだけにする。
とにかく、力が大きくなれば、ものごとは勝手にうまく回り、自分は何もしなくて良くなるのである。言い換えれば、やるべきこと、やりたいことだけをやれば良くなるのである。

江戸末期の神道家、黒住宗忠や、やはり江戸末期の浄土宗の僧、山崎弁栄、あるいは、明治・大正の啓蒙家、岡田虎二郎らは、特に強調されないが、キリスト級の奇跡は日常的に起こしていたらしい。さすがに、私は伝聞でしか知らないが、特に不思議とは思わない。
彼らの教えを簡単に言えば、黒住宗忠は、天照大神に全てまかせることで、山崎弁栄は、難しい話もしたらしいが、根本的には念仏の行者であり、法然の教えと基本的に同じで、一心に念仏を唱えることを勧めた。
岡田虎二郎は、岡田式静坐法を教えたが、静坐は1日中やるものであり、具体的には、常に腹に力を込めよと言った。
尚、岡田虎二郎は、何も静坐だけが方法とは言っておらず、念仏も良いと認めていたのである。

そして、観音経の教えは、ただ、観世音菩薩の名を唱えることであると言って良いと思う。
呼び方は、「南無観世音菩薩」「観世音菩薩」「観音様」「オン、アロリキャ、ソワカ」などが考えられるが、どれでも良いと思う。
これは、真言である。
この真言を、常に唱えるよう心がけることが大切である。
私は、真言は、心の中で丁寧に唱えれば良いと考えている。
観世音菩薩にしろ、阿弥陀如来や大日如来、普賢菩薩、勢至菩薩、不動明王等は、皆、大きな力があり、その名や、それらの仏の真言を唱えれば確実に恵が得られる(名自体が真言と言えると思う)。数多く唱えるほど良いのである。

真言を唱え続ければ、全ての問題が解決し、救われ、たゆまず続ければ、神通力のようなものも出てくるかもしれない。
また、望まずとも幸運に恵まれ、楽になっていくと思う。
そのようになれる方法は、真言以外にも沢山あるとは思うが、我々凡人に出来る・・・というか、続けられるのは、おそらく、真言だけであると思う。
この点は、釈迦も、念仏だけが残ると予言したという話があるが、その通りであると思う。








真言で願いが叶う愉快なカラクリ

例外はあるが、願った以上のものを得ることは、ほとんどない。
しかし、願えば、何かは得られるものである。人間の心の力を軽く見てはならない。
だが、願ったより少ししか得られないので、得た気にならないだけなのだ。

簡単に言えば、例えば、3憶円願って、うまくいって8千万円得られる。
だが、たった8百万円ということもあり、それだと、何も得た気にならない。
しかし、3憶円願ったから8百万円が手に入ったのである。もっと少ししか願わなければ、あるいは、何も願っていなければ、8百万円失ったかもしれない。
なら、最初から百億円ほど願っておけば良かったのだ。
二十歳のお嫁さんを願ったが、なんとか30歳直前のギリギリ20代のお嫁さんがもらえた・・・そんなものである(笑)。
なら、15歳の天使のようなお嫁さんを願っていれば、結果、「二十歳か…ちょい歳だが、まあ、負けとこ」ということになる(笑)。
ところで、実際に、「愛があれば、彼氏の年収は一千万円程度でいいワ」と言う、慎み深い(笑)二十歳の女性がいたが、出来た彼氏は自分では「年収400万円」と言ったが、実は200万円位だった。まあ、それでも、働いている彼氏が出来たのだから、そう嫌でもなかったようだが。
ところが、「やっぱり年収1憶円くらいは…」とマジ顔で言う、やはり二十歳くらいの女性は、数年後、ベンツの新車を乗り回していた。年収1憶円とは言わないまでも、かなり高収入の旦那を得たようである。

だが、決して、欲張れと言うのではない。
この世界での成功の秘訣は、やっぱり「欲張らない」ことなのだ。
上の、金持ちの男と結婚した若い女性は、欲望をギラギラとさせ、血走った目で「1憶円よ!旦那は絶対年収1憶円の男!」と思っていたわけではない。
「あんまり欲張らず、年収は1憶円くらいで良いから、優しくて面白い人がいいの」と、本気で思っていたのであり、本人は本当に、自分は慎み深い方だと思っているのだ。

このようなことを、私は政木和三さんに教わった。
政木さんは、「私はお金なんてちっとも欲しくないんです。でも毎年1憶円入って来るものは仕方がない」と思っていて、あれほどの人だから、本当に1憶円入ってきたのだが、彼は、本当は、4千億円入るはずだったと思っているのである。
また、これは政木さんに小声で教わった(近くに奥さんがいた)のだが、「私に身をまかせる女が百人いると思っているから」女性に不自由はしていない様子で、こちらは、本当に百人とはいかないだろうし、政木さんも、もう80歳くらいだったから、5、6人かな・・・知らんけど(笑)。
このように、「大きな目標でも慎み深く」求めなければならない。

だが、重要なことが1つある。
それは、「1憶円でいいわ」なんて精神状態になれる人は、器が大きな人で、普通はなかなかそうはいかないということだ。
そんな器を持てる最上にして、ほぼ唯一の方法が真言なのである。
他の方法だってあるかもしれないが、まず続かない。
しかし、真言なら、短く、リズムがある、尊い言葉を唱えるだけであるから、唱える数が多い少ないの違いはあっても、ほんの少しの希望と根気があれば続けられるのである。
その希望を見い出すためには、親鸞の『三帖和讃』の中の『浄土和讃』の中の、『現世利益和讃』15首を読むと良いかもしれない。
ここでの真言は、「南無阿弥陀仏」の念仏であるが、他の優れた真言でも同じと考えて良いと思う。
特に、念仏や、阿弥陀如来真言を唱える人は、そのまま受け取ると良いだろう。
他にも、『法華経』の第25章『観音経』には、観世音菩薩の名を真言として唱えれば、大きな利益があると記されている。
観世音菩薩の名とは、文字通り、名(観世音菩薩、あるいは、アヴァローキテーシュヴァラー)でも、その真言、「南無観世音菩薩」「オン、アロリキャ、ソワカ」「オーン、アーロリク、スヴァーハー」の、どれでも良いのである。
また、他の真言を唱える人も、十分な数を唱えるなら、やはり、心の器が広がり、常識人には大き過ぎるものも、慎み深くさらっと求めるようになれる。
そうすれば、かなりの願いが叶うのである。








仏ほっとけ神構うな~保江邦夫氏を大いにディスる~

「仏ほっとけ神構うな(ほとけほっとけかみかまうな)」という言葉をご存じだろうか?

「ほとけほっとけ」は、「ほとけ」が2回続いて語呂が良い。
しかし、「かみかまうな」は、合っているのは「か」だけだが、2文字目が「み」と「ま」のマ行の音なので、語呂が良いように感じるかもしれない。
意味は「信心も信仰も度が過ぎない方が良い」というものだ。

私は、この言葉を知らなかったが、物理学者で合気道家の保江邦夫(やすえくにお)氏のYouTube動画で知った。
【YouTube】保江邦夫 先生 2020年 第2回 お笑い真理塾 <#8>

ところで、最初に言っておくが、私は保江邦夫氏が、虫唾が走るほど大嫌いである(笑)。
ただ、それでも優れたところが沢山ある人である。
私は、そのような人が、もう一人思い浮かぶ。
船井幸雄氏である。
ところが、保江氏が、別の動画で、政木和三氏が発明した「神経波磁力線発生器」の複製製品を紹介されていたが、この政木氏は、船井氏が大いに称賛し、「非常に尊敬している」と言っていた人だった。
だが、一般には知られていないが、政木氏は船井氏が大嫌い・・・というのではないかもしれないが、良く思っていなかったことは確かだった。
私は政木氏に、「船井幸雄は立派な人ですか?」と尋ねたら、政木氏は「ちっとも立派じゃない!」と即答された。
政木氏は、「彼(船井氏)は欲の塊」とも言われた。
船井氏の本の中では、船井氏は自己の欠点を認めながらも、自分が偉大な人間であることを、かなり露骨に述べていたと思う。
保江氏も全く同じように感じる。
まあ、私が感じるだけであるから、実際はどうか知らないが、彼は自分を「我が消えた人間」のように著書の中で言うが、おそらく本当は、我の塊のような人で、彼の本を読んでも「偉大なり私」という雰囲気をプンプンと感じるのである。
ただ、政木氏も、自分が「かつては我の強い人間であった」ことは、はっきり認めておられた。
その「かつて」は、保江氏の年齢(現在69歳)も入るかもしれない。
私がお会いしたのは、政木氏が80歳くらいのことだった。
船井氏も、最後は、難病で苦しみながらも、人々のために貴重な情報発信をされ、我のない人間になられたと思うのである。
保江氏も、いろいろ苦しんでおられるのだと思う。
だが、あのガリガリに痩せてはいるが、グルメで腹の出た男を見ると私は虫唾が・・・いや、何でもない(笑)。

どうも嫌いな人のことで話が脱線した(笑)。
だが、その動画での、保江氏の「仏ほっとけ神構うな」の解説がなってない(笑)。
ただ、良いことも言われている。
保江氏は、神様、仏様に、うまく願い事をする良い方法として、この言葉を借りたのだった。
つまり、普通の人は、願い事がある時、神社やお寺に行って、賽銭を投げて「お願いします!」と必死に祈る。
これが悪いやり方だというのは、私も保江氏に賛成である。
「神社なんか行くな」というのも、保江氏の言う通りと思う。
保江氏は、これ(神仏に必死にすがること)がなぜ悪いかを、男女間の関係に喩えている。
男でも女でも、相手にあまり追いかけられると嫌になるが、神様仏様も同じだと、保江氏は言う。
だから、神様や仏様に対し、そっぽを向けと、保江氏は言っているのだと思う。
ちなみに、あるナンバーワン・ホステスは「仏ほっとけ神構うな」は真理であると言ったらしい。
つまり、客に過剰にサービスするホステスは駄目で、客を放っておいて構ってあげないホステスが人気が出て稼げるのだという。
まあ、確かにそんな面もあるだろうが、そのホステスが人気があって稼げるのは、おそらく美人だからだ。保江氏は、そこのところを隠したが、私は誤魔化せない(笑)。
つまり、これにおける保江理論が通用するのは、せいぜい、ホステス・・・それも、美人ホステスの場合だ。

とはいえ、必死に願い事をすれば叶わないというのも本当だ。
大作詞家であった阿久悠が、こんなことを言っている。
「息を吸って止め、自分の曲がヒットしている様子をイメージする。そして息を吐き、全て忘れる」
これで、曲がヒットするのである。
(このやり方は真似すると良い。ただし、願いを忘れるところまで忠実にやること)
こんなふうに、欲望をギラギラさせず、忘れることで願いが叶う。
ただ、神仏に対する敬意というものも大切なのだと思う。
ここら全部を、宮本武蔵が、うまくまとめてくれている。
「神仏は尊し、されど頼まず」
武蔵が神頼みをしたかどうかは知らないが、このような態度であれば願わずとも幸運は訪れる。
だが、武蔵は神仏を敬っていたのだ。

保江氏が言われた、「神仏にそっぽを向く」のは、全然良くない。
もちろん、下心いっぱいで表向き称賛するのが良いはずはないが、親しみを示すのは悪くないのである。
このあたりは、法然も『選択本願念仏集』で、「我々が阿弥陀如来を思えば、阿弥陀如来も我々のことを思ってくれる」と書いているが、法然の言葉はひとつひとつ深く(保江氏とエラい違いだw)、全く同意である。
だから、いつも、無心で「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えていれば、自然に良くなるのである。
あるいは、私のように、阿弥陀如来真言を唱えていれば、やはり、良いことばかりなのである。
私は、社会人になってからずっと、「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」という、阿弥陀如来真言を唱え、良い想いばかりしているのである。
「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」は「オン、アミリタ、テイゼイ、カラウン」と「テイゼイ」が濁る唱え方もあるが、どちらでも良いのである。
私はごく最近、阿弥陀如来真言を「オーン、アムリタ、テージェー、ハラ、フーン」というサンスクリット語で唱えるようになった。
「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」は、サンスクリット語を中国の人が音写(音を真似た)もので、若干、元のサンスクリット語のものと違うが、効果は別に変らない。
単に、私は、「アムリタ」(サンスクリット語で「甘露」、もしくは、「不死不滅」の意味)という言葉が好きになったので、「アミリタ」と言う中国語版から変えたが、別に、「アミリタ」が嫌いとか悪いということではない。
皆さんも、これ(阿弥陀如来真言。上に挙げたどれでも良い)を常時唱えたら、きっと良いことがあるのでお勧めする。
もちろん、「南無阿弥陀仏」でも良いのである。
これらの真言を、ただ数多く丁寧に唱えることが、敬いつつ、良い意味で阿弥陀如来を「ほっとく」ことになる。
保江氏の解説は全くなっていない・・・と思う(笑)。








ソフトタッチこそが極意

人間、力むとロクなことがない。
潜在意識による成功法則の世界的権威であるジョセフ・マーフィーは、代表的な著書『眠りながら成功する』で、願いがいかに強く熱意があっても、その願い方はどこかソフトタッチでなければならないと書いていたが、これは本当に重要なことと思う。
力むとは、自我(顕在意識と言って良いと思う)が優勢になっている状態であり、それだと、願いが万能の潜在意識に届かない。

スポーツでも、ダンスでも、講演でも、武道でも、力んで緊張していると実力が発揮出来ない。
本当に優れた者は、力が抜け、リラックスしているものである。

発明家の政木和三博士は、50歳を過ぎてから始めたゴルフも達人で、関西シニア選手権で優勝し、ゴルファーの夢であるエージシュート(年齢以下のスコアを出す)を2度達成している。
政木博士が言うゴルフの極意とは、インパクトの瞬間、力を抜くことであった。
最小の力でボールを叩くのである。
私はゴルフは全然知らないので表現が適切でないかもしれないが、政木博士はドライバーで370ヤードを飛ばしたことがあり(男子プロでも難しい)、300ヤードはいつでも飛ばせたと言う。

合気道の達人、塩田剛三が、こんな興味深いことを言っていたらしい。
「合気道では打撃の練習はしないが、打撃でも、ボクシングや空手より強い」
これは、ビックリ仰天発言だろう。
だが、塩田剛三の師である植芝盛平は、「拳聖」と言われた名ボクサー、ピストン堀口とスパーリングした際、堀口のパンチを掴み取ることが出来たそうだ。
塩田剛三も、ボクシング経験のある米兵とストリートファイト(早い話が喧嘩)し、楽勝したと言う。
塩田剛三が言う打撃のコツは、
「手は軽く握る。力を入れず、ぽんぽんと当てるように打つ」
だったと思う。
ここでもやはり、ソフトタッチが一番強いことをうかがわせる。

私が最近注目している言霊研究家、大野靖志氏の著書で、穢れを祓えば自分で決めたことが叶うが、その時も、軽く決めよと書かれていた。
やはり、「絶対叶えてやる」と力むと叶い難いのだと思う。
大野氏が製作した特殊なお祓いのCDや、それから作った音源をオーディオ機器やパソコンやスマホで流しながら、願いを「〇〇になった」と過去完了形で口で言うか心で思う、あるいは、紙に書いてそのパソコンの上にでも乗せておけば良いが、やはり、力まずに言ったり思ったりすることが大切で、紙に書いても、保存しておく必要はないと言う。

ソフトタッチ(あるいはフェザータッチ)こそ、究極の極意であることを、よくよく忘れてはならないと思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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