アメリカのある高額な自己開発プログラムでは、「あなたの欲望は神が与えたのだ。それは叶えることが出来るから神から与えられたのであり、あなたはそれを達成せねばならない」とされていたが、これがアメリカ的発想と言うのかもしれないし、多くの成功哲学が根本的な思想としている。
喩えとして、こんなことを言う場合もある。
「子供に美味しそうなケーキを見せて、それを与えないなら残酷なことだ。神は、あなたに願望だけ与えて、それを達成する力を与えないはずがない」
そうではないのだ。
神は、その欲望を利用するために我々に与えるのだ。
そして、それは見事に使えるのだ。
ケーキやアイスクリームを欲しがる子供に、どんな条件だろうがそれをいちいち与えていたら、子供が肥満してしまうではないか?
欲望の見事な利用法を教える前に、1つのお話を引用する。
アメリカの長編テレビドラマ『燃えよ!カンフー』は、西洋人と中国人のハーフであるケインが、少林寺で修行した後、アメリカを放浪するお話だ。
ケインが修行していた少林寺に、盲目だが武術の達人で、ほぼ悟りの境地に達した、ホーという名の高僧がいた。
ケインがホーに「何か望みはないのですか?」と問うと、ホーは、ある寺の祭りに行くことだけが唯一の望みだという。
「願望と言うには、あまりにささやかです」
ケインが尊敬の念を込めて言うと、ホーは、
「いや、これも願望であることに違いはない」
と、自分の至らなさを認める。
時が流れ、ケインは少林寺での修行を終え、少林寺を出る。そして、しばらく経った時、ケインはホーが行きたいと言っていた祭りに行く。ケインにも期待があったのかもしれないが、そこに念願叶って訪れていたホーと感激の再開を果たした。
だが、そこでホーは、傲慢な皇帝の甥にピストルで撃たれ、怒りに目が眩んだケインは皇帝の甥を槍で殺してしまう。
「皇帝の甥を殺したのか?」
瀕死であったが、ホーはケインを案じる。
「申し訳ありません。でも、我慢が出来ませんでした」
ケインは自分の激情にかられた愚行を師に詫びるが、師は、
「私でもそうしただろう」
と弟子を赦し、そして死んだ。
なんとも素晴らしいお話だと思う。見事に宿命を描いている。
ホーはささやかとはいえ、欲望を持っていた。その欲望が起こした惨事であった。
いや、ケインとて、ホーに会えるかもしれないという期待を持たなければ避けられた出来事だった。
だが、ホーが悟っていたなら、それが定められた運命だと分かったことだろう。
欲望とは、叶えるためではなく、消すために神が我々に与えるのだ。
ただし、宗教で言うように、無理に欲望を抑えるためではない。
抑圧された願望は変質して噴出する。
子供の頃に、エロチックなものを過度に悪いものとして排除された者が性的変態になるようなものだ。
欲望は不自然に抑えるのではなく、自分には、それを叶える力は全くないことを知るために利用するのだ。
あの高額な成功プログラムの教えと全く逆なのである。
我々には、いかなる願いも叶える力は無いのだ。
願いが叶わないと言っているのではない。叶うかどうかは神の想い次第で、我々の想いなど、何の関係もないのだ。
そして、願いが叶うかどうかは、既に決まっている。しかし、我々には、どんな結果になるのかは分からない。ただ、なりゆきに任せるしかないのだ。
ある男の前に、彼が理想と思うような美しい少女が現れ、彼女を得たいとどんなに強く願っても、彼には状況をコントロールする力は全くない。彼女と結ばれるかもしれないし、そうではないかもしれない。だが、彼が何をやっても、結果は既に決まっていて変わらない。彼の想いなど、なりゆきには何の関係もないのだ。
彼は、自分の願望は認めつつ、自分にはどんな支配力もないことを受け入れるしかないのである。
これは難しいことだ。
しかし、それをやれて初めて、彼は魂を束縛から解放し、神と一体となれるのである。
初音ミクの『from Y to Y』という歌(作詞作曲編曲はジミーサムPさん)の中に、
「君と過ごせたら、と 願うことさえ許されない世界なのかな」
という歌詞がある。
願うのは自由だ。
しかし、叶うかどうかは、自分には分からない。そして、結果は既に決まっている。
自分は、その結果に対し、いかなるコントロールも出来ない。
それを受け入れることで、我々は神に帰るのである。
ホーは自分の願望は認めつつ、なりゆきに任せていたのだろう。
でなければ、むしろ彼は、祭りに行かなかったはずだ。
そして惨事は起こったが、それは神の決めた運命だった。
ケインが皇帝の甥を殺したのも、避けられぬ宿命であったのだ。
世界は全てそうである。
荘子は、こういったことを受け入れることが出来る者は極めて少ないと述べている。
だから、彼が言うところの道(タオ)と一体となれる者、別の言い方では、神と1つになれる者はほとんどいないのである。
だが、これだけでは面白くないだろうから、最後まで読んでくれた方に、魔法を得る秘法を1つ教える。
それは、叶うはずのない願いを持つことだ。全てを知っていた政木和三さんが、慈悲心から普通の人に教えたことでもある。
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喩えとして、こんなことを言う場合もある。
「子供に美味しそうなケーキを見せて、それを与えないなら残酷なことだ。神は、あなたに願望だけ与えて、それを達成する力を与えないはずがない」
そうではないのだ。
神は、その欲望を利用するために我々に与えるのだ。
そして、それは見事に使えるのだ。
ケーキやアイスクリームを欲しがる子供に、どんな条件だろうがそれをいちいち与えていたら、子供が肥満してしまうではないか?
欲望の見事な利用法を教える前に、1つのお話を引用する。
アメリカの長編テレビドラマ『燃えよ!カンフー』は、西洋人と中国人のハーフであるケインが、少林寺で修行した後、アメリカを放浪するお話だ。
ケインが修行していた少林寺に、盲目だが武術の達人で、ほぼ悟りの境地に達した、ホーという名の高僧がいた。
ケインがホーに「何か望みはないのですか?」と問うと、ホーは、ある寺の祭りに行くことだけが唯一の望みだという。
「願望と言うには、あまりにささやかです」
ケインが尊敬の念を込めて言うと、ホーは、
「いや、これも願望であることに違いはない」
と、自分の至らなさを認める。
時が流れ、ケインは少林寺での修行を終え、少林寺を出る。そして、しばらく経った時、ケインはホーが行きたいと言っていた祭りに行く。ケインにも期待があったのかもしれないが、そこに念願叶って訪れていたホーと感激の再開を果たした。
だが、そこでホーは、傲慢な皇帝の甥にピストルで撃たれ、怒りに目が眩んだケインは皇帝の甥を槍で殺してしまう。
「皇帝の甥を殺したのか?」
瀕死であったが、ホーはケインを案じる。
「申し訳ありません。でも、我慢が出来ませんでした」
ケインは自分の激情にかられた愚行を師に詫びるが、師は、
「私でもそうしただろう」
と弟子を赦し、そして死んだ。
なんとも素晴らしいお話だと思う。見事に宿命を描いている。
ホーはささやかとはいえ、欲望を持っていた。その欲望が起こした惨事であった。
いや、ケインとて、ホーに会えるかもしれないという期待を持たなければ避けられた出来事だった。
だが、ホーが悟っていたなら、それが定められた運命だと分かったことだろう。
欲望とは、叶えるためではなく、消すために神が我々に与えるのだ。
ただし、宗教で言うように、無理に欲望を抑えるためではない。
抑圧された願望は変質して噴出する。
子供の頃に、エロチックなものを過度に悪いものとして排除された者が性的変態になるようなものだ。
欲望は不自然に抑えるのではなく、自分には、それを叶える力は全くないことを知るために利用するのだ。
あの高額な成功プログラムの教えと全く逆なのである。
我々には、いかなる願いも叶える力は無いのだ。
願いが叶わないと言っているのではない。叶うかどうかは神の想い次第で、我々の想いなど、何の関係もないのだ。
そして、願いが叶うかどうかは、既に決まっている。しかし、我々には、どんな結果になるのかは分からない。ただ、なりゆきに任せるしかないのだ。
ある男の前に、彼が理想と思うような美しい少女が現れ、彼女を得たいとどんなに強く願っても、彼には状況をコントロールする力は全くない。彼女と結ばれるかもしれないし、そうではないかもしれない。だが、彼が何をやっても、結果は既に決まっていて変わらない。彼の想いなど、なりゆきには何の関係もないのだ。
彼は、自分の願望は認めつつ、自分にはどんな支配力もないことを受け入れるしかないのである。
これは難しいことだ。
しかし、それをやれて初めて、彼は魂を束縛から解放し、神と一体となれるのである。
初音ミクの『from Y to Y』という歌(作詞作曲編曲はジミーサムPさん)の中に、
「君と過ごせたら、と 願うことさえ許されない世界なのかな」
という歌詞がある。
願うのは自由だ。
しかし、叶うかどうかは、自分には分からない。そして、結果は既に決まっている。
自分は、その結果に対し、いかなるコントロールも出来ない。
それを受け入れることで、我々は神に帰るのである。
ホーは自分の願望は認めつつ、なりゆきに任せていたのだろう。
でなければ、むしろ彼は、祭りに行かなかったはずだ。
そして惨事は起こったが、それは神の決めた運命だった。
ケインが皇帝の甥を殺したのも、避けられぬ宿命であったのだ。
世界は全てそうである。
荘子は、こういったことを受け入れることが出来る者は極めて少ないと述べている。
だから、彼が言うところの道(タオ)と一体となれる者、別の言い方では、神と1つになれる者はほとんどいないのである。
だが、これだけでは面白くないだろうから、最後まで読んでくれた方に、魔法を得る秘法を1つ教える。
それは、叶うはずのない願いを持つことだ。全てを知っていた政木和三さんが、慈悲心から普通の人に教えたことでもある。
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