今回は『老子』第58章である。
この章を一言で言えば「人間は大したことはない」だ。
とにかく、老子は、徹底的に人知(人間の知恵や知能)というものを否定している。
一方、世間では人知をやんやともてはやすのであるから、まさに、老子と世間は対極にある。
そして、そんな世間の人間は、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に支配され虫けらのようであり、老子が言う「道に従って」生きる者は、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の支配を脱して高く飛び、鷹のようである。
この「道に従って生きる」とは、「自然に生きること」であり、「自然に生きる」とは、「小知を捨てること」だ。
ところが、人間の知、つまり、人知は、全て小知・・・つまらない知なのだ。
だから、つまるところ、一切の知を捨てる・・・思考しないことで、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の支配から逃れることが出来る。
そうしない限り、人間は愚かであり、いくら考えようが、愚かなことしか出来ないのである。
老子は、ここまで徹底したことを、繰り返し繰り返し言っているのである。
AIアート5
「初音ミク」
Kay
老子は、「自分は頭が良い」とか「才覚がある」と己惚れて、余計なことを考え、それを実行することを、強く戒めている。
自分が賢いところを見せて優越感に浸ろうとする心が、あっけなく自分を滅ぼす。
しかし、人間は愚かであるから、その誘惑に勝てない。
どれほど意思が強くてもそうであるし、そもそも、それほど意思の強い人間は実際にはいない。
だから、承認欲求を満たしたいという欲望(これは極めて強い)を抑えるといった無理なことはせず、ただ、「私は誰か?」と自分に問えば良い。
そうすれば、思考は心の中に引き戻されて消え、これを続けると、やがて、心自体が消えていく。
そうなった時、真の自己・・・全知全能の無限の魂(=神)が現れるのである。
この章を一言で言えば「人間は大したことはない」だ。
とにかく、老子は、徹底的に人知(人間の知恵や知能)というものを否定している。
一方、世間では人知をやんやともてはやすのであるから、まさに、老子と世間は対極にある。
そして、そんな世間の人間は、悪の宇宙人のマインドコントロール装置に支配され虫けらのようであり、老子が言う「道に従って」生きる者は、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の支配を脱して高く飛び、鷹のようである。
この「道に従って生きる」とは、「自然に生きること」であり、「自然に生きる」とは、「小知を捨てること」だ。
ところが、人間の知、つまり、人知は、全て小知・・・つまらない知なのだ。
だから、つまるところ、一切の知を捨てる・・・思考しないことで、悪の宇宙人のマインドコントロール装置の支配から逃れることが出来る。
そうしない限り、人間は愚かであり、いくら考えようが、愚かなことしか出来ないのである。
老子は、ここまで徹底したことを、繰り返し繰り返し言っているのである。
AIアート5
「初音ミク」
Kay
老子は、「自分は頭が良い」とか「才覚がある」と己惚れて、余計なことを考え、それを実行することを、強く戒めている。
自分が賢いところを見せて優越感に浸ろうとする心が、あっけなく自分を滅ぼす。
しかし、人間は愚かであるから、その誘惑に勝てない。
どれほど意思が強くてもそうであるし、そもそも、それほど意思の強い人間は実際にはいない。
だから、承認欲求を満たしたいという欲望(これは極めて強い)を抑えるといった無理なことはせず、ただ、「私は誰か?」と自分に問えば良い。
そうすれば、思考は心の中に引き戻されて消え、これを続けると、やがて、心自体が消えていく。
そうなった時、真の自己・・・全知全能の無限の魂(=神)が現れるのである。