ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

才能

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

才能は作ることが出来る

陸上短距離の為末大さんが、「アスリートは才能が99%」と言い、作家の橘玲さんが、ベストセラー『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で、人間の能力は所詮、生まれつきのIQ等で決まると、エビデンス(証拠)を挙げて論じた。
また、イギリスのある大学の研究で、人間の60%はプログラミングをマスター出来ないという結果を得、Ruby言語の開発者で知られる、まつもとひろゆきさんも、成績が悪くない大学生にも、プログラミングの能力が低い人がいたり、子供達にプログラミングをやらせると、成績に極端な差があることから、プログラミングにも才能があるのではと述べておられたと思う。
西尾維新さんの物語シリーズのどれかにも、天才バスケット少女が、才能がない限り、優れたアスリートになれないことを、説得力を持って語る場面がある。

私も、これらのことを完全に信じていた。
これを洗脳と言うのかもしれない。
これらは、全て間違いかもしれない。

私は最近・・・と言ってもわずか2日のことだが、正月休みのおかげもあり、蹲踞(そんきょ)という、相撲や剣道で行われる座法を日常で度々行い、トレーニングの際にも、間々に何度も蹲踞するようになったら。動きが鋭くなり、武術の能力が上がったように思う。私にも武術の才能が出来てしまったように感じる。
それで思ったのだ。
陸上競技で、グラウンドで同じ練習をしながら、1人の選手は巣晴らしい能力を発揮するが、別の選手は、進歩が遅く、また、今後もそれほど伸びそうに思えない。
こんな場合、前者は才能があり、後者は才能がないと言うのかもしれない。
ところが、優れた方の選手は、子供の時から、砂浜で裸足で遊ぶことが多く、日常でも、ほとんど裸足で過ごし、また、靴よりも草履のような履物を好み、靴を履く時も、足の指が自由になる柔らかく、サイズに余裕があるものを選んでいる・・・などで、足の親指を鍛えられていて、それが大きな能力をもたらしているのかもしれない。
こういったことは、ほとんど考慮されない。

私も、蹲踞をすることで、足の親指が鍛えらるとまでは言わなくても(わずか2日しかやっていない)、足の親指を使う意識が出来たのだと思う。
調べてみると、古武道では、足の親指の力を非常に重視して蹲踞を生み、それが相撲や剣道に伝わったという話もあるらしい。

プログラミングにいたっては、たまたま持っている、ちょっとした考え方の違いで、学ぶモチベーションや情熱が全然違ってくる。
乱暴な言い方をすれば、ロマンさえ感じることが出来れば、プログラミングは誰でも出来るが、ロマンを感じないなら、頭が良い人でも本当に出来ない。
いや、頭の良さなんて、所詮、モチベーション、パッション(情熱)、エンスージアズム(霊感)によるもので、これらは全て、後天的経験や学びで決まるものだ。

スポーツにしろ、プログラミングにしろ、感情的なものの影響は非常に強いが、それと共に、現実的な考え方が重要だ。
実力のない人間というのは、どこかズレているのである。
それは、家庭での教育の影響が大きい。
通るはずのない理屈を主張する者や、良い意味での常識的な考え方が出来ない者でも出来ることはあるかもしれないが、少なくとも、スポーツやプログラミングでは、あるレベル以上にはなれない。
まともな思考を鍛えるには、例えば、イソップやマルクス・アウレリウス、あるいは、法句経や論語を読むと良いと思う。









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最大の才能とは

豊かな収入を得るためには、スキルが必要だ。
スキルとは、一番多くの時間をかけたことと一致する。
プログラミングを一週間とか一ヶ月でマスターしたとか言う者がいるかもしれない。
しかし、私は、3年で「少し」出来るようになり、10年でなんとか一人前に出来るようになったが、これは、他のどんなスキルでもだいたい同じと思う。
インターネット完結型高校であるN高等学校(学校法人角川ドワンゴ学園)では、PHH(プログラマーズ・ハイレベル・ハイスクール)に参加することが出来るが、月曜から金曜まで通学し、朝8時半から夕方5時過ぎまで、全てプログラミング関連の授業で、高校の勉強は、そこから夜の8時過ぎまででやるようになっているらしい。
しかも、そこでは、最高に合理的で効果的な学習を行うのだろうが、それなら、1年でかなりのレベルになれるかもしれない。
インターンシップは、ドワンゴ、チームラボ、LINEなどで持てるという、何とも羨ましいもので、これなら、165万円という学費に十分に見合う・・・というか安いと思う。

スキルの中には、なかなかお金にならないものもある。
例えば、楽器をかなりの腕前で演奏して作曲も出来たり、普通の人が見たらビックリするほど上手い絵が描けても、それがお金に結び付くことは「まれ」と言って良いと思う。
野球やサッカーだって、学校などでは「天才」と言われているような選手も、プロになれることは、やはり「まれ」だ。
地元では「可愛い」とちやほやされた女の子だって、芸能界にでも入ったら、せいぜい「普通」だ。
しかし、それでも、1日中、長年、諦めずにやっていれば、モノになるものかもしれない。
以前、テレビで、いまだスターになることを諦めていない40代~60代の歌手というのを取り上げていたことがあったが、顔つきを見ていたら、1日中やっている人間の顔ではなかったように思う。
つまり、やっぱり緩んでいるのだ。
もちろん、1日中歌っていなければならない訳ではないが、やっていることの全てが歌のためであれば、成功しないはずがない。
成功には才能が必要だが、1日やれる、1日そのことを考え続けることが出来る以上の才能はない。

ブッシュ大統領の下で国務長官を務めた政治学者コンドリーザ・ライスは、大学生の頃、ピアニストを目指していたらしい。実際、かなりのピアニストになれたのだが、彼女が目指したのは、あくまで世界一だった。
彼女がそれを諦めたのは、自分が1年かかることを1時間でやってしまえる11歳の天才少年を見たためのようだ。
SF作家の平井和正さんも、元々漫画家を目指していたが、石森章太郎(石ノ森章太郎)さんに出会い、「こんな天才にかなうはずがない」と思って、漫画家を諦め、作家になったという話がある。
だが、天才だって、沢山の時間をかけなければ才能は輝かないし、もし、ライスや平井和正さんが、それら天才以上の時間をかけていれば、いつか追い抜けていたかもしれない。
思想家で著述家の吉本隆明さんは、モノ書きになりたければ10年、1日も欠かさず書き続ければ必ずモノになると著書に書いておられた。

まあ、何事も、「1日中」、「1年中」を長年やり続けて、ついに駄目だったとしても、それで笑って死ねるし、思いもしなかったことで上手くいくかもしれない。

そんな 才能じゃダメだねと(Wow Wo Wow Wo)
冷たい言葉にも背を向け
どんなノイズだらけでも(Wow Wo Wow Wo)
彼女のソウルは汚せはしない
~『アイドルを咲かせ』(作詞・作曲・編曲:Mitchie M、歌唱:初音ミク)より~









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「一生中2病」の凡人はどうすれば良いか

才能がなければ成功出来ない。
スポーツ選手やミュージシャン、作家、画家等といったものは、才能がなければ、プロにすらなれない。
成功した経営者の中には、「私は凡人だ」なんて言う人がいるが、彼は、経営に関しては絶対に天才だ。
優秀な経営者の息子は(娘もだが)、多くの場合、経営の才能を多少なりとも親から譲り受けているので、会社をうまく引き継げる。しかし、息子に経営の才能がないと判断したら、会社を譲るのは諦めた方が良い。会社が駄目になるだけでなく、向かない社長になった息子も楽しくないし、その息子は人間的に駄目になったり、悪い方向に行ってしまうことになるだろう。

「才能がなければ駄目」と露骨に言うのは、世間ではタブーである。
それに触れてしまったから、陸上選手だった為末大さんは非難された。
あるアメリカの教育心理学者は、「黒人は遺伝的に白人よりIQが低い」ことを統計調査で確認したが、それを論文で書いてしまったから、非難どころか、生命の危機に晒されたらしい。
アメリカには、そんな過激な平等思想、反差別主義がある。
日本では、為末さんは、生命の危険にまでは遭わなかったと思う。
トランプ大統領の発言が差別的として、ハリウッドスターや大物歌手達が激しいバッシングをする様子は、日本人には異様に見えたと思う。
物凄いセレブ生活をし、訪問先のホテルの部屋の調度品からシーツ、カーテンに至るまで細かい要求を出すような大物スター達の方がよほど差別的と思うのだが。だって、彼らは自分を庶民よりはるかに高い位置に平然と置いているのだから。
だが、今はそれも非難されるようになり、最近は大物スター達も慎み深さをアピールするようになった。

しかし、有名な評論家の宇野常寛氏が対談書で、「(インターネットの発達により)個人での発信が平易になると、個人間の才能の開きが露骨に見えるようになった」と述べられていた通りである。
まあ、宇野氏は、才能がない者でも、作品を発表して楽しくやっている人達がいるといったことも言われていたと思うが、才能がない人の作品は、見てもらえるのは、ほとんど仲間内だけだろう。
最近は、動画配信が簡単になったせいと思うが、路上ライブをやる人が少なくなったが、路上ライブも、大半の才能がない人達のものは、言っては悪いが騒音でしかない。

ほとんどの人間には、大した才能はないのだ。
インターネットの発達は、それを冷酷に突きつけてくる。
だが、才能がないと幸福になれない訳ではない。
そりゃ、才能がなければ、金持ちや有名人にはなれないが、それは人生の満足に必ずしも関係しない。
とはいえ、天才でなければ、妄想でないヒーロー、ヒロインの気分には浸れないのだ。
そして、それがどうしても嫌だという人もいる。
生まれつきの才能には恵まれていないのに、凡人の群れに居るのは嫌だという困った人である。
いわゆる「一生中2病」というやつだ。
天才の「一生中2病」は素敵だが、凡人の「一生中2病」は滑稽で哀れである。

ラ・マルセイエーズを作ったのは、素人音楽家で、天才ではないと言われている。
しかし、そうではない。
この名曲を作った職業軍人は天才なのだが、普段は、その才能を発揮出来なかっただけである。

では、「一生中2病」の凡人はどうすれば良いか?
出来れば、中2病をやめることだ。実際は、それしか、まともな道はない。
それが駄目なら、いつも念仏を称えるか、聖書や仏典、あるいは、バガヴァッド・ギーターをいつも読むことだ(どれか1つで良い)。
それで自分が消えれば、望む形でないにしろ、不思議な才能が現れるかもしれない。









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全てを諦める

自己開発や成功のためのセミナーや教材、あるいは、書籍では、受講者等に、まず、目標を持たせようとする。
それも、大きな目標をね。
それで、受講者や読者達は、自分の目標を考える。
しかし、目標を考えなければならない時点で、もう完全にアウトなのだ。

少し言い方が悪かったかもしれないが、自己開発や成功にお金と時間を投資しようという人に対しては、やっぱり正しいことなのである。
つまり、目標を考えなければならないなら、特別な才能を持っていないということなのだ。
突出した人物の中に、「じっくり考えて、この道を選びました」なんて人がいるはずがない。
特別な成功者は、考えるまでもなく、それをしようという衝動があったか、あるいは、自然ななりゆきでそれを始めたのである。
例外はゼロだ。

特別な才能に恵まれない者が大きな目標を考えると、とっても残念な「痛い」目標を立ててしまう。
女優になるとか、プロの芸術家になるとかね。
そんな「目標」を聴いて、セミナー講師も、心では笑いながら、営業用の真剣な顔で、「必ず達成出来ます」とか言うのかもしれない。

もし、三度のメシやエッチなことよりずっと好きな目標がないなら、自分は凡人で、天才ではなく、大きな才能はないと認識しなければならない。
まあ、99.9%はそうなのだから、がっかりすることはない。
1つの学校で有名人になれるのは、その学校に数万人の卒業生がいても、多くてせいぜい数十人なのだ。

凡人なら、現実的な目標ならすぐ分かるはずである。もし、それが分からないなら、かなり問題だ。
ニートなら、目標は働くことであって、聖者になることではない。
もし、聖者になれる才能があれば、今、そんなところにいるはずがない。
サラリーマンなら、Excelをマスターするとか(Excelの資格を取ることではない)、営業成績を上げるとか、業務改善をするとか、いくらでもあるはずだ。もし、それがないなら、会社にとって不要な人間である。

だけどね、どうしても、常識的な、「普通」の目標が持てない、困った人もいる。
人並のことも出来ないのに、物凄く高度な目標を持ちたがる哀れな者だ。
例えば、まるで駄目男君(私の職場にいる30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)のように、何も出来ないのに、「将来、やりたい仕事は?」と聞けば、「高尚な仕事がいいですねえ」と答える、どうしようもなく痛いヤツがそうだ。
それは目標でも何でもない、幼児の夢だ。
そして、それは、決して具体的でなく、まるで駄目男君が言うように「高尚な仕事」といった感じだ。
ところで、これは内緒だが(笑)、どれほど妄想的でも、もし、具体性があれば、それに賭けるという手もある。
もちろん、99.99999%、その目標は叶わないだろう。
それどころか、恥辱にまみれた、あらゆる意味で最悪の未来が待っているだろう。
それを、本当に受け入れ、揺るぎの無い覚悟が出来れば・・・何が起こるか分からない。
そんな奇跡を決して願わなければね。
五島勉氏の『ノストラダムスの超法則死活の書』に、ヒントになることが載っている。
天才には決して敵わない。だが、願った通りの結末にはならないかもしれないが、凡人の逆転の魔法が確かにあると思う。









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才能がない哀れな人達は

10年以上前だと思うが、テレビで、とてもわびしいものを見た記憶がある。
売れない芸人を集めたものだった。
全く芽が出ないまま、50代とか60代になり、いまだ、明日のスターを夢見ている。
誰が、それを称賛するだろう?
惨めで愚かな、人生の落伍者とか言えない。
さっき、「売れない芸人」と書いたが、芸が収入になっていないのだから、芸人ですらない。
ごく一時期は、多少稼げたのかもしれないが・・・
食べるために他の仕事を細々としていたり、奥さんに食べさせてもらいながら、がんばっている・・・いや、がんばっているつもりかもしれないが、もはや、その「がんばり」には何の意味もない。
あれから、成功した者は、おそらく一人もいまい。

48歳で突然成功したスーザン・ボイルがいるが、あれは、ほとんど人類で一人という、あまりに稀なケースであり、そもそも、彼女には実力があった。
彼女は、オーディション番組でその実力を披露出来たが、今は、インターネット、そして、動画投稿サイトがあり、誰でも、能力とか作品を発表出来ると言われている。
高い能力や、優れた作品であれば、SNSでバイラルに(ウイルス感染が広まるように)知られるというが、それは、よほどの能力や作品である場合だけだ。
そして、誰でも作品や能力を発表出来、良いものであるなら知られるというなら、逆に言えば、それは、才能がないことも、冷徹に知らされるということだ。
ところで、そのスーザン・ボイルすら、その後、順調ということはないに違いない。

インターネットがなかった時代の話だが、元プロレスラーの前田日明さんの本で読んだ、こんな話がある。
前田さんが若手時代、所属していた新日本プロレスでは、素人の道場破りがよく来て、プロレスラー達が相手になっていたらしい。
柔道などで、それなりの成績を残していて、実際に強そうな者が来た時は、プロレスラー達は相手になりたがらない。
それは、プロレスラー達に自信がないというのではなく、間違って負けてしまったら、即、クビになるからだ。
それで、引退した山本小鉄さんが相手になるのだが、素人が勝てるはずもなく、山本さんに腕を決められても、意地を張って「ギブアップ」をしなかったら、山本さんも「仕方ないな・・・」と、本当に腕を折ったりしたこともあるらしい。まあ、今の時代では、そんなことは出来ないような気がするし、それは、あくまで、どうしようもない時で、本来は、出来るだけ、「素人さん」に怪我をさせないよう気を使っていたのだろう。だが、その手加減に乗じて、素人がまぐれで勝つ可能性があるということだろう。
いずれにしても、明日のスター格闘家を夢見て来た者達は、現実を思い知るのである。

10代で、アイドルで人気が出る人は、やはり何か、人と違うところがある。
一応、アイドルになっても(事務所に所属しても)、全く鳴かず飛ばずで終わってしまう子も多いだろうが、そんな子達でも、普通の人の中では、飛び抜けて可愛かったりしたはずなのだ。
まして、普通の女の子達の中ですら圧倒的でない子がアイドル・・・それも、人気アイドルになれるはずもないが、そんな妄想を持つ子は多く、それがあるからこそ、アイドル産業も成り立つ。
全く、世の中は、平等ではあっても、公平ではない。
猪子寿之さんだったと思うが、彼は子供の時、学校で、可愛い子は得だという、当たり前の現実を、はっきり教えないのはおかしいと思ったと言っていたが、実際、そんな不都合な真実を、早目に教えてあげたら、妄想で一生を棒に振る者が減るかもしれない・・・と、言ってみたが、実際は、そう変わらないような気もする。
つまり、人間は妄想するものなのだ。

引き寄せの法則や、潜在意識を活用する成功の法則とかいったところで、所詮は、才能なのである。
生まれつき美人か、知能指数が高いか、芸術的才能があるか、異常に高い運動能力があるか・・・才能の形は様々だが、それを与えられる者は僅かだ。
「才能はあると思う人にある」と言った人もいるが、その言葉に責任を取ってはくれまい。
ほとんどの凡人は、なんとか、衣食住をまかなえるようになり、その状態を維持し、後は、何か小さな慰めや楽しみで満足するしかない。

だが、こんな話もある。
今生では、何の才能もなく、天才達を尻目に、哀れで惨めな一生を送らねばならないかもしれないが、それでも、死ぬまで努力を続ければ、来世で才能を持って生まれてくる。
エドガー・ケイシーか、彼を研究したジナ・サーミナラかが、そんなことを著書に書いていたと思う。
それも、本当かどうかは、当然分からない。
宗教的な素質については、『バガヴァッド・ギーター』にも同様のことが説かれている。
夢を見ることは、確かに、才能であると言えるかもしれない。
しかし、その夢が、今生で実現するかどうかは分からず、ほとんどの場合は実現しない。
だが、来世では、可能性があるのかもしれない。
そして、ひょっとしたら、今生の中でも、見かけは1つの生涯が続いているようでも、死んで、生まれ変わることもあるかもしれない。
聖書や、バガヴァッド・ギーター、法華経、無量寿経、その他の聖典、経典を熱心に読み続けた者には、1つの生を続けているように見えて、生まれ変わっている者がいる。
それも、かなり年を取ってからでも。
それに望みを託し、報われないまま生涯を終えても、案外に後悔はしないものである。









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