成功するためには、良い習慣を持つことが大切なことは誰でも分かると思う。
それで、『7つの習慣』という世界的ベストセラーがあるが、7つは多過ぎるし、しかも、その1つ1つが、難しいというか面白くない。
世の中には、「30の習慣」だの「100の習慣」だのといったものがあるが、私には、その数だけで「正気か?」としか思えないし、見るまでもなく、徹底的に面白くない苦痛なことしか書いていないはずだ。
良い習慣を持ちたいなら、必ず考えないといけないことは、それが、
・自分にとって、一番楽なこと
だ。
「好きなこと」と言いたい人も多いだろうが、よく考えたら、好きなことは習慣にするどころか、むしろ、やめないといけないことの方が多い。
例えば、酒やお菓子やタバコやゲームやエロ本というふうに、好きなことは、習慣にするまでもなく、自主的にやってしまうが、制限しなければならない。
良いことであっても、楽でないと続かないし、続かないようなやりたくないことなら、やらない方が良い。
「鉄の意思で頑張る」って言ったところで、そんなやり方だと、多少長くやれても、1年も持たないだろうが(しかも無理をするので心が病む)、成功する習慣なんて、10年20年続けないと意味がない。
ただ、20年30年続くことなら、案外、最初の1ヵ月で何らかの成果が出ることが多い。
私は時々、腕振り運動を勧めるが、勧めた相手が、
「毎日50回やってます。今は100回は無理ですので」
といったことを言う人がいるが、100回も出来ないなら、やらない方が良い。
老人でもないのに、あんな楽な運動を100回出来ないなら、楽ではなく苦痛なのだろう。
ところで、楽かどうかは、考え方次第のところもある。
例えば、子供に、毎日ほうれん草を食べさせることは難しいが、ポパイが人気があった時のアメリカでは簡単だった。
ただし、必要以上に食べさせようとしたり、「ついでに」とピーマンやニンジンを食べさせようとして失敗する馬鹿な親も多かった。
ポパイがあったところで、楽に食べられるような工夫は必要だし、どうしてもほうれん草を楽に食べられないなら、食べなくて良い。
制限すべき、ケーキやアイスばっかり食べさせなければ、何を食べようが問題ない。
『ザ・シークレット』という引き寄せの本を読んでも成功する人が全くいないのは、あれに書かれたことをやるのは楽ではないからだ。
なぜ楽ではないかというと、不自然で無理があるからだ。
「住む家、着る服、見える目がある・・・など、何でもいいから感謝して下さい」
なんて書かれているが、そんな楽でないこと、続くはずがない。
「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えることは良いことであるが、やはり、楽でなく、気力が必要なら、やらない方が良い。
ただ、自分の業といったものを深く感じている人間にとっては、これでチャラになるなら楽なので続くのである。
私の叔父のお葬式で、お坊様が、自分に合わせて念仏を唱えるよう指示したが、延々と唱えさせられて、私はすっかり念仏が嫌いになった。楽でなく苦痛だったからだ。
そんなことをさせるお坊様は多いと思う。
ただし、楽な唱え方を見つければ、毎日唱えることが出来る。
念仏は、1回唱えて、それを心に保つなら、1回でも良い。
逆に、100回唱えて、「やっと終わった」と思うなら、やめた方が良い。
さて、成功法則とか、引き寄せであるが。これらの本に書いてあることは、世界的ベストセラーだろうが、一瞬、人気があるだけですぐに消えるものだろうが、どうせ、どれも続かない。
ところが、少し前からやたら売れている保江邦夫氏は著書に、せっかく「ぼーっとすれば良い」と楽で良いことを書いてくれていたのに、余計なことを沢山書くので、良いことが伝わっていないように思う。
足立幸子氏も、やっぱり、ぼーっとしたら思う通りになると言われていて(彼女の本は講演の書き起こし)、あまり余計なことは言っていないが、本1冊にすると、さすがに無駄な情報が満載だ。
参考程度に言えば、大野靖志氏の本で言えば、「とほかみえみため」と唱えるのは、普通の人にはあまり楽でないと思うが、彼の本についているCDを流すだけなら(スマホに入れて無音で流しても良いらしい)、楽なので、私でも出来た。尚、私の場合、安眠効果しか確認出来ないが、1か月以上、1日の例外もなく、安眠出来るのだから大したものだと思う。
ちなみに私は、普段は、耳鳴りを聴くことをやっている。それで自我が弱まるからだ。
各自、工夫されると良いと思うが、楽なことをやることをお勧めする。
それで、『7つの習慣』という世界的ベストセラーがあるが、7つは多過ぎるし、しかも、その1つ1つが、難しいというか面白くない。
世の中には、「30の習慣」だの「100の習慣」だのといったものがあるが、私には、その数だけで「正気か?」としか思えないし、見るまでもなく、徹底的に面白くない苦痛なことしか書いていないはずだ。
良い習慣を持ちたいなら、必ず考えないといけないことは、それが、
・自分にとって、一番楽なこと
だ。
「好きなこと」と言いたい人も多いだろうが、よく考えたら、好きなことは習慣にするどころか、むしろ、やめないといけないことの方が多い。
例えば、酒やお菓子やタバコやゲームやエロ本というふうに、好きなことは、習慣にするまでもなく、自主的にやってしまうが、制限しなければならない。
良いことであっても、楽でないと続かないし、続かないようなやりたくないことなら、やらない方が良い。
「鉄の意思で頑張る」って言ったところで、そんなやり方だと、多少長くやれても、1年も持たないだろうが(しかも無理をするので心が病む)、成功する習慣なんて、10年20年続けないと意味がない。
ただ、20年30年続くことなら、案外、最初の1ヵ月で何らかの成果が出ることが多い。
私は時々、腕振り運動を勧めるが、勧めた相手が、
「毎日50回やってます。今は100回は無理ですので」
といったことを言う人がいるが、100回も出来ないなら、やらない方が良い。
老人でもないのに、あんな楽な運動を100回出来ないなら、楽ではなく苦痛なのだろう。
ところで、楽かどうかは、考え方次第のところもある。
例えば、子供に、毎日ほうれん草を食べさせることは難しいが、ポパイが人気があった時のアメリカでは簡単だった。
ただし、必要以上に食べさせようとしたり、「ついでに」とピーマンやニンジンを食べさせようとして失敗する馬鹿な親も多かった。
ポパイがあったところで、楽に食べられるような工夫は必要だし、どうしてもほうれん草を楽に食べられないなら、食べなくて良い。
制限すべき、ケーキやアイスばっかり食べさせなければ、何を食べようが問題ない。
『ザ・シークレット』という引き寄せの本を読んでも成功する人が全くいないのは、あれに書かれたことをやるのは楽ではないからだ。
なぜ楽ではないかというと、不自然で無理があるからだ。
「住む家、着る服、見える目がある・・・など、何でもいいから感謝して下さい」
なんて書かれているが、そんな楽でないこと、続くはずがない。
「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えることは良いことであるが、やはり、楽でなく、気力が必要なら、やらない方が良い。
ただ、自分の業といったものを深く感じている人間にとっては、これでチャラになるなら楽なので続くのである。
私の叔父のお葬式で、お坊様が、自分に合わせて念仏を唱えるよう指示したが、延々と唱えさせられて、私はすっかり念仏が嫌いになった。楽でなく苦痛だったからだ。
そんなことをさせるお坊様は多いと思う。
ただし、楽な唱え方を見つければ、毎日唱えることが出来る。
念仏は、1回唱えて、それを心に保つなら、1回でも良い。
逆に、100回唱えて、「やっと終わった」と思うなら、やめた方が良い。
さて、成功法則とか、引き寄せであるが。これらの本に書いてあることは、世界的ベストセラーだろうが、一瞬、人気があるだけですぐに消えるものだろうが、どうせ、どれも続かない。
ところが、少し前からやたら売れている保江邦夫氏は著書に、せっかく「ぼーっとすれば良い」と楽で良いことを書いてくれていたのに、余計なことを沢山書くので、良いことが伝わっていないように思う。
足立幸子氏も、やっぱり、ぼーっとしたら思う通りになると言われていて(彼女の本は講演の書き起こし)、あまり余計なことは言っていないが、本1冊にすると、さすがに無駄な情報が満載だ。
参考程度に言えば、大野靖志氏の本で言えば、「とほかみえみため」と唱えるのは、普通の人にはあまり楽でないと思うが、彼の本についているCDを流すだけなら(スマホに入れて無音で流しても良いらしい)、楽なので、私でも出来た。尚、私の場合、安眠効果しか確認出来ないが、1か月以上、1日の例外もなく、安眠出来るのだから大したものだと思う。
ちなみに私は、普段は、耳鳴りを聴くことをやっている。それで自我が弱まるからだ。
各自、工夫されると良いと思うが、楽なことをやることをお勧めする。