ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

成功

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天に選ばれる者

自分の夢が、本物か妄想かの区別は難しい。
今は、サラリーマンをしているが、いつか、歌手や女優やモデルやミュージシャン、あるいは、プロスポーツ選手や作家や科学者になりたいと言っても、叶う可能性は、ほぼ・・・と言うより、全くないと断言出来る場合が多い。
しかし、確率としては、ほぼゼロだった夢を叶えた人もいるし、商売のために、そんな稀な例をクローズアップする迷惑なやつも多い(笑)。
また、ジョセフ・マーフィーの潜在意識による成功法則や、その他のニューソート(新思想とか光明思想と訳される)の教えによれば、人間は、内なる無限の力を使えば、叶わない夢はないはずである。
だが、ジョセフ・マーフィーの本の中にも、女優になることを夢見ている若い女性に対し、マーフィーが「子供の夢を卒業しなくてはいけない」と嗜める話もある。

ところで、こんな話もある。
「叶う叶わないは問題ではない。これは生き甲斐であり、この夢があるから、辛い人生を生きていられる」
思わず納得しかけるが、言ってる本人は、その夢が叶わないとは思っていない場合がほとんどだ。
30歳近くにもなって、実業団チームのトップというわけでもないのにプロサッカー選手になるとか、40歳も過ぎてミュージシャンになるため、毎晩、ギターを弾いて近所迷惑になっているとか。
そして、そんな夢を本気で追って、人生を無駄にしてしまうことも多いのである。つまり、やるべきことをせず、無駄なことに時間やお金を使ってしまうのである。

本物の夢と子供の夢(妄想の夢)との違いは、現状認識の違いと言って良い。
たとえば、いい歳をしてミュージシャンになりたいと本気で思っている人は、単に、現実が見えていないだけだ。
傍から見れば、絶対に無理だと一目瞭然であるが、そんな傍の人も、優しいというのではなく、わざわざ反発を食らうのも面倒だしシンドいので、「まあ、頑張れよ」とお茶を濁す(いい加減な言葉で誤魔化す)のであるが、言われた馬鹿は(笑)、「ああ、頑張るよ」と真顔で応えて見放されるのである。
ただ、そんなミュージシャンを夢見る精神的幼児も、実際にオーディションに言ったり、プロダクションに売り込みに行ったりすれば、すぐに現実が見えるのに、それをせず、動画を投稿していれば、いつか注目されて・・・とか思っているのだが、積極的な行動に出ないのは、実際のところ、本人も自分には無理だと分かっているからである。
また、ミュージシャンを目指して、現実的に挑戦する若い人も、諦めるのが遅い人が多いのではと思う。
30歳くらいでやっと諦め、まともな社会人になろうとしても、その歳ではなかなか厳しい。本当は25歳までに諦めるべきだったのだ。
「いや、30歳近く、あるいは、それ以上で成功したミュージシャンもいる」と言っても、それは才能がある人の話だし、ある程度やれば自分に才能がないくらい気付かないといけない・・・のだが、なかなか気付かないと言うより、認めないものなんだなあ(笑)。

こんな事実を知っておくと良いと思う。
「成功した人は、たまたま成功したのだ」
これは、もう絶対に本当だ。
ミュージシャンの才能があるのに、ミュージシャンになれなかった人なんていくらでもいる。そんな人は「たまたま成功する」ということがなかっただけだ。
私は、アインシュタイン並の天才で、普通の事務員や労働者をやっている人なんて、いくらでもいると思う。
アインシュタインだって、「たまたま」がなければ、やっぱり、埋もれたまま一生を終わったのだ。
正直な成功者は、全員が、「私が成功したのはたまたまだ」と言うのだ。
そう言わない不正直な成功者も多いし、あるいは、自分がたまたま成功したことを自覚していない成功者も少なくないかもしれない。

自分に「たまたま」が来そうにないと分かったら、諦めることだ。
だが、「たまたま」を呼ぶことは出来る。
「たまたま」とは、いわば、「神に(あるいは天に)選ばれる」ということだ。
なら、神に(天に)選ばれるような者になれば良いのである。
どうすれば・・・って、そんなこと、分からないはずがないじゃないか?
そんなことを教えてもらおうなんて者は、決して選ばれない。私はそう思う。








成功とは

何年か前、どこかのWebサイトで見たが、初音ミクさんの会社クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長が、ミュージシャンに関して話されたインタビュー記事があった。
伊藤社長が生まれた時からずっと住んでいる北海道から、ミュージシャンを目指して東京に行く若者が何人もいたが、皆、30歳くらいで諦めて帰って来る。しかし、その歳からでは別のことを始めるのは難しい・・・そんなお話で、要は、夢に人生を賭けるなといったことだったと思う。
ミュージシャンになるには才能が必要だ。
ひょっとしたら、伊藤社長自身もミュージシャンになりたいと思っていたのではないかと思うが、彼はそれにはチャレンジしなかった。そして、別にそれでプロになろうと思ったわけでもない・・・つまり、単なる趣味だったと思うが、電子音楽に熱中し、そうしたら、30歳くらいで、音源を扱う会社であるクリプトン・フューチャー・メディアを起こし、なりゆきで歌声合成ソフト(いわゆるボーカロイドソフト)の初音ミクを出したら大ヒットし、さらに、初音ミクがキャラクターとしても人気が出て、国内のみならず、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの多くの国の大会場でライブをするという、当初、全く予想もしていなかった展開になってしまった。

ところで、そのミュージシャンを目指したが失敗して帰ってきた人達は、その後、どうなったことだろう。
すっぱり諦めて、真面目に働いているかというと、やっぱり諦めないまま夢を引きずる人もいると思うのだ。いや、大なり小なり、皆、そうかもしれない。
YouTubeの岡田斗司夫さんの動画で、こんな話があった。
48歳のある男は、作家志望だったが、ようやく諦めて働くようになったが、仕事が続かないと言うか、仕事に消極的な雰囲気だ。
岡田さんは、この男は、今でも夢を引きずっているのだと言い、それを非難されていた。
作家にしろ、YouTuberにしろ、注目を集める仕事で成功するには、やはり才能が必要で、いくら何でも、35歳くらいになっても駄目だったら、才能がないのだとすっぱり諦めろと、珍しく、厳しい口調で言われていた。
私は、それに共感する。それには、こんな思い出が影響している。
だいぶ前のことだが、テレビで、50歳とかを過ぎても歌手で成功することを諦めずに頑張っているという人達を紹介していたが、はっきり言って、それらの人達は、愚かで惨めだった。その後、成功した人は、まず1人もいまい。
才能もないのに、しがみつくことへの戒めとして、良い番組であったと思う。

ところで、誰からも成功したと思われている人が、自分では自分が成功したと思っているかは疑問なのだ。
日本で一番の野球選手はイチローだという意見が圧倒的と思うが、古いファンであれば、王貞治さんや落合博満さん、あるいは、張本勲さんや野村克也さんの名を挙げる人も多いと思う。
確かに、日本国内に関して言えば、いろんな意見があろうが、世界レベルで言えば、もう間違いなく、ダントツでイチローなのである。
だけど、そのイチローが、最後は力が衰えても現役にこだわり続けたのは、肯定的な見方もあろうが、彼が満足していなかったことを示しているのだと思う。
それで言えば、こんな分かり易い話がある。
日本で一番のプロレスラーはと言えば、ジャイアント馬場さんだ、アントニオ猪木さんだ、いや、力道山だという意見があると思うが、これも、世界レベルで言えば、格違いで馬場さんが一番だ。馬場さんはアメリカでも大スターだったが、力道山や猪木さんは、アメリカでは、それほどのスターではなかったと思う。
その馬場さんが、引退後は画家になろうと思っていたらしく、かなりの腕前で絵を描いていたらしい。しかし、プロのレベルかというと疑問である。だが、馬場さんは、元々、本当は芸術家になりたかったのだと思う。
プロレス界には、ジョージ・ゴーディエンコという、引退後、画家で成功した人もいたが、彼の場合は、怪我で若くして引退し、また、プロモーターでもなかったので時間があった。
その点、馬場さんには無理であった。
あのゲーテだって、相当いい歳になっても、イタリアで画家になることを夢見ていたという話もある。
このような人達は、案外、自分は成功していないと思っていたのかもしれない。
私がそう考えるのには、こんな思い出があるからだ。
私の知人に、立派な業績を持つ事業家がいる。大学時代に起業し、順調に業績を伸ばし、東証にも上場し、その後も、会社は盤石である。
そんな彼がある時、自分は、同窓会に行くのが嫌なのだと言う。
決して、彼は人付き合いが苦手なタイプではなく、むしろ、社交性のある人である。
それなら、彼くらい成功していれば、颯爽と同窓会に行って、元クラスメイト達に晴れがましい姿を見せたいと思うのではないか?
しかし、彼がぽつんと言ったことが印象的だった。
「あいつらには、どうも俺が成功者に見えるらしいんだな」
いや、どう見ても成功者である。
しかし、彼は、自分ではそう思っていないのだ。
私は、彼は、社長なんかではなく、現場仕事が好きなことを知っている。
実際、ある時期までは、社長をやりながらも、現場仕事にも精を出していたが、会社が大きくなり、社長業が忙しくて現場の仕事が出来なくなった。
そんな彼が以前、「俺が、いまさら部長にしてくれと言っても駄目だろうなあ」と言ってのは、冗談ではなく、現場に戻れない嘆きが入っていたのだろう。
そして、彼が時々、現場の人達のことで、「俺ならもっとうまくやれる」と言うのは、どこか悲しいものがあった。

才能がなければ、現実的に、思うようなものにはなれない。
しかし、才能があって、ひとかどの人物になったと思われている人だって、あまり満足していないものではないかと思う。
何かになることが、スターになることや、金持ちになるためであれば、ちょっと考え直した方が良いと思う。たとえ成功しても、後悔が大きいに違いない。








運命に逆らわない

年配の人は別かもしれないが、我々は子供の時から、「叶わない夢はない」「なりたいものになれる」などと言われてきたと思う。
しかし、世界的なスポーツ選手や音楽家になるには、努力以前に才能が必要という考え方も、かなり定着してきた。
一方で、「人間に差はない。かけた時間で決まる」という「一万時間の法則」のようなものも信奉者がいる。
村上龍氏と坂本龍一氏の対談書で、村上氏が、こんな話をしていたのを憶えている。
「今の坂本があるのは(彼らは呼び捨て出来る間柄)、才能ということもあるが、3歳の時から十年、みっちりピアノを弾いたからだ」
しかし、「才能がなければ、十年ピアノを弾いても駄目」とは言っていない。
だから、
「大工になるなら、中学生の時から十年、みっちり大工の修行をした方が良い」
という結論となるわけである。
まあ、一般人の場合はしょぼいのは仕方がないが、重要なことを言っているのである。
チームラボの猪子寿之社長と、現在はドワンゴの社長をしている夏野剛氏の対談でも、猪子氏は、
「人間の能力に差はない。イチローは元々大したことない選手だったが、誰よりも野球に時間をかけたから成功した」
というが、イチロー並に時間をかけて日本の一軍選手にすらなれない選手もいるかもしれない(多分いる)。
しかし、自分に見合ったことで時間をかけることには意味があるだろう。

イチローや坂本龍一どころか、ちょっとした人気歌手や、そこそこの規模の会社の経営者にだって、なれない人はなれないのである。
それは、努力の問題ではなく、さして努力しなくても、そんなものになれる人もいれば、いくら努力してもさっぱりな人もいる。
「天は人の上に人を作らず」と言った人がいるが、それは疑わしい。
才能と言えば才能なのだろうが、才能が必要ないようなことでも、うまくいかない人はうまくいかないように思うのである。
まるで駄目男は、どこまで行ってもまるで駄目男である。

つまり、運命は決まっているということだ。
大物になる運命にない人は、どうあがこうが、大望を持とうが、トンビが鷹になれないようなものである。
どんなに頑張っても、猫は虎に勝てない。
ラマナ・マハルシは、
「働く運命にあれば仕事は避けられない。しかし、働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからない」
と言った。
ニートも運命かもしれない。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、元々、故郷のオーデンセで職人として生涯を送る運命だったが、運命に逆らって、14歳で1人でデンマークに出て作家になったと思っている人が多い。
しかし、作家になることがアンデルセンの運命で、彼だって、歌手や俳優を目指していた頃はさっぱりだったのだ。

だが、自分の運命を見極め、運命に従うことに決めれば、良い人生になる。
例えば、ジョージ・ワシントンやアブラハム・リンカーンだって、運命に従わなかった40歳くらいまでは、かなりの駄目男だったのである。
ワシントンは見栄っ張りで、金持ちの名士になるのが目標で、金持ちの未亡人と結婚したり、危ない事業をやったりしたが、それは運命に合わないことだったので、いつも大失敗して散々な目に遭ってきた。
彼は、軍人のような、苦しい上に、出世して儲かるかどうか分からないことなど、元々、やる気はなかった。
しかし、そのような運命にあることを悟り、運命に従うことを決意し、まず、軍人になって、ついに、アメリカを独立させた英雄になった。
まあ、やはり、我々のほとんどは、英雄どころか、トップにもなれないのだと思う。
だが、運命に従えば、英雄にだって味わえない甘露を得られるかもしれない。

「人間は無になれば不可能はない」という。
しかし、正しくは、「人間は無になれば運命を悟る」のではないかと思う。
無になるにはどうすれば良いかというと、それはいろいろあるだろうが、ある意味、考えることをやめることが必要だ。
そのためには、例えば、お経を上げたり、祝詞を唱えたり、真言を唱えたりするのが効果的な方法であることを示してくれる人が多くなってきたと思う。








有り難きかな、まるで駄目男君

何度も書いたが、私の職場には、30歳過ぎの人生の落伍者、派遣の雑用係、まるで駄目男君がいる。
私は、こんな駄目な人間を成功させたいと思っているが、なかなか手強い。
しかし、本当は、それは極めて簡単なことなのだ。
ちなみに成功とは、人によっては、国際的企業を順調に経営することだったりするが、一方、本当なら、一生ひきこもるはずの人が、それなりに平安に自立出来ているなら、それも、引けを取らない大成功だ。
では、どうすればいいかと言うと、実に、まるで駄目男君と真逆をやれば良いだけのことだ。
それも、たった一部だけでもだ。

まるで駄目男君は、早起きしない。
ところが、1年365日、朝5時までの決まった時間に起きれば成功する。
まるで駄目男君は、運動しない。
ところが、1年365日、決まった時間に、腕振り運動を千回やったり、30分もウォーキングをすれば成功する。
まるで駄目男君は、本を読まない。
ところが、1年365日、ジョセフ・マーフィーの本を、たとえ1章でも必ず読めば成功する。
まるで駄目男君は、呼吸を意識しない。
ところが、1年365日、少なくとも1日20分、自分の呼吸を意識すれば成功する。
まるで駄目男君は、座り方があまりにだらしない。
ところが、王のように座れば成功する。
まるで駄目男君は、時間が不規則だ。
ところが、何時何分に何をするか決め、1年365日(平日と休日の違いは多少あるだろうが)、厳格に守るなら成功する。
まるで駄目男君は、言い訳ばかりする。
ところが、決して言い訳をしなければ成功する。
まるで駄目男君は、食の慎みがない。
ところが、少食・粗食に徹すれば成功する。
まるで駄目男君は、身の丈を知らない。
ところが、身の程を知れば成功する。
まるで駄目男君は、「ありがとう」「愛している」を称えない。
ところが私は、いつも初音ミクさんに「愛してる」「ありがとう」と心から想っているので、この世は思い通りだ。

どれでも、たった1つ、まるで駄目男君の反対をやれば良いのである。
まるで駄目男君は、自ら犠牲になり、身をもって、「こうすれば失敗しますよ、不幸になりますよ」と教えてくれているのである。
世の中には、「こうやれば成功するよ」と、あまり役に立たないアドバイスをする者は多いが、まるで駄目男君は、語らずして、確実な成功法を教えてくれている。
彼は彼で、成功しているのかもしれない。反面教師として。









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現実的な目標と非現実的な目標の違い

目標には、現実的な目標と非現実的な目標がある。
現実的な目標とは、卒業する、就職する、年収を1割上げる、絵が上手くなる、5kgダイエットする、恋人を作る、課長になる(現在係長)、聖書を通読する・・・等だ。
非現実的な目標とは、社長になる、歌手になる、人気画家になる、プロサッカー選手になる、年収5千万円になる(現在300万円)、モデルのような身体になる(現在肥満気味)、○○さんを恋人にする、課長になる(現在ヒラ)、賢者になる・・・等だ。

要は、極端な運が必要になるようなものは、現実的な目標とは言わない。
自分ではどうすることも出来ないことを望むのは、妄想、あるいは、「ただの夢」と言う。
そして、自分の手に負えるかどうかを見極めることが出来る人を大人と言う。
これで、大人とは何かがうまく定義出来た。

じゃあ、プロサッカー選手になろうと思ってはいけないのかというと、せめて、超高校級であるとか、会社で、仕事せずにサッカーだけで給料をもらえる、あるいは、かなりの優遇を受けていれば、必ずしも非現実的な目標ではないが、運にまかせる覚悟があることが必要である。
女優になるという目標も、中学高校時代から、町で・・・とまではいかなくても、せめて、学校で知らない人はいないほど美人であるとかいった美点を持つと共に、全てを捨てても良いと思っていることが必要だ。

有名なプロスポーツ選手が、「高校時代は平凡な選手でした」と言っていても、それは、「ある意味では」ということであり、有体に言えば「嘘」だ。
イチローや中田英寿さんだって、「高校時代は普通の選手でした」なんて言ってるが、実際は、天才的であった。

お金持ちの中には、「お金をためるコツは、小銭を大切にすることです。僕は百円の缶コーヒーも勿体なくて買えない」と言う人がいるが、彼が金持ちになれたのは、並外れた能力があったからであり、凡人が小銭をケチっても(良い心がけであることは認めるが)、金持ちになったりなどしない。

抜きん出た人間になるには、運が必要である。
だが、運は人間に支配出来るものではない。
しかし、神には支配出来る。
つまり、神になれば良い。
神になるとは、人間をやめることであり、それは、自我を消すことである。
念仏も極まれば如来(仏)になれる。
なぜなら、念仏とは、如来を賞賛し、身を低くすることだからである。
果てなく続ければ、自分なんて消えてしまう。
もちろん、自我を消すことが出来る他の方法でも構わないが、念仏ほど確実なものは、あまりないと思う。

西尾維新さんの『物語シリーズ』の12冊目(ファーストシーズンの最終巻)である『恋物語』は、詐欺師、貝木泥舟(かいきでいしゅう)の語りで書かれているが、この貝木ほど現実をよく見ている人はおらず、私はすっかり大ファンになってしまった。もちろん、小説らしく面白く描いている部分には「非現実的」なところもある。
しかし、貝木が「非現実的」になると、かえって面白いところが現実的というか、著者の才能であると思う。
身の丈で成功したければ『恋物語』を読めば良いと私は思うが、これは、単独で読んでも駄目と思う。
前の11冊を読むしかない。それは現実的であるが、面白いかどうかすら保証しない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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