自己啓発全体ではなく、引き寄せに関して言うなら、最も商業的に成功したのは、ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』シリーズと思う。
メディアとしては書籍・電子書籍、DVD、そして、映画がある。
『ザ・シークレット』は、知識としては良いので(過去の賢者達の言葉をうまくまとめている)、勉強には良いが、実践としては難しいと思う。
「うまくいった」という人は、ごくわずかの、たまたまうまくいった人だというのは、おそらく間違ってはいまい。

たとえば、『ザ・シークレット』の中の「感謝法」は、他の引き寄せ法でもよく見られるが、非常に不自然で、逆効果ではないかと思うようになった。
しかし、これはもう宗教の教義のようになっているかもしれず、否定すると恐ろしい目に遭いそうだが(笑)、決して否定ではなく、「誤解し易い点」という程度の意味でお話する。

感謝に価値があることは疑いようがない。感謝は非常に貴いものであり、これを持つべきだし、持たないことは欠陥だと言えるかもしれない。
しかし、感謝はツールではないことははっきりさせたい。
『ザ・シークレット』の主張は、「今あるものに感謝すれば、もっと良いものを引き寄せる」である。
例えば、安物の古い服でも、着れる服があることに対し「ありがとう」と感謝する。すると、もっと素晴らしい高価な服が引き寄せられる。
ポンコツの車しかなくても、乗れる車があることに対し「あろがとう」と感謝する。すると、新車、高級車が引き寄せられる。
だいたい、こんな感じであると思う。
そうであれば良いなと私も思う・・・というか思った。
しかし、もっと良い服が欲しいからという理由で、古い服に対して「ありがとう」と言うのは、いかがなものか。
これは、本心で言えば、古い服を否定し、嫌悪していることではないか。
「ありがとう」という感謝を、新しい服を得るツール、あるいは、対価と考えているのではないか。
そして、この考え方を作っているのは欲望である。

確かに、本当に、今着ている服や、今乗っている車に感謝している人はいる。
しかし、そんな人が、より良い服や、より良い車を切望したりするだろうか?
そうではなく、その服や車を、これからも長く、大切に着、運転することに喜びを感じるはずなのである。
そして、今乗っている古い小さな車に「ありがとう」と言って、その車が新車のベンツやポルシェに替わった人は、ほぼゼロであることは間違いあるまい。

古い服や車に対し「もっと良い、新しいものが欲しいなあ」と素直に思っている時、誰かがただの親切で、好ましいと思う新しい服や車、あるいは、それらを買うお金をくれた時に、本当にありがたいと思い、「ありがとう」と言うのである。
あるいは、運が良かったり、周りの人が協力してくれて仕事が順調に進み、欲しかった服や車を買うお金を得られた時、ありがたいと思い、運や周囲の人達に「ありがとう」と感謝するのである。
感謝とは、そのようにしないと「気持ち悪い」のである。
確かに、生きているだけでありがたいと思うのは高貴なことであり、生きているだけのことに感謝することは美しく、その真似をすることも良いことだが、あくまで、何も求めずに「ありがたい」と言うべきだろう。

パラレルワールド(並列宇宙)というものは、おそらく、確実に存在するだろう。
そして、多くの科学者や賢者が言うように、パラレルワールドは無数にあり、いかなる世界も存在し、今この瞬間も、新しい世界が生まれる。
その中には、自分が、欲しい服や車を持っている世界も存在する。
その世界にフォーカスし、自分が既にその服や車を持っていると思った時に、「ありがたい」と感謝するのである。
そうすれば、その世界が自分の世界になる。
これが本当の引き寄せのやり方であると思う。