私は、『スターウォーズ』を面白いと思ったことは一度もない。
一応、1970~1980年代の旧三部作と、2000年代前半の頃の新三部作は、テレビ放送で見ていると思う。
エピソード7『フォースの覚醒』(2015)以降は、見てないし、見ようという気にはならない。
もちろん、昔から、スターウォーズの特撮が素晴らしいことは理解しているつもりだ。

なぜ、私が『スターウォーズ』が好きでないかを考えたが、昔、多くの人が指摘していたのは、旧三部作のヒロイン、レイア姫が、あまり日本人の男性好みでなく、私も、その点も残念には思っていた。しかし、近年、日本の萌えキャラの影響か、欧米の男性の好みと日本人男性の好みが近くなる傾向があり、新三部作のパドメなにがしというヒロインは、私も美しいと思った。

私は、『スターウォーズ』を見ると、とても疲れる。
同じ人もいると思う。
何に疲れるのかというと、ある意味における不自然さだ。
『スターウォーズ』シリーズには、あまりに巨大で力のある悪が登場する。
だけどね、悪がそこまで途方もないものになるはずがないのだ。
ここで言う「悪」の定義とは、他者の心を踏みにじる度合が、限度を超えていることを言う。
そんな「悪」は、一定レベルに達すると、必ず自滅する。決して、例外はない。
ナチスがその典型であり、昔から言うように、「悪が栄えた試しはない」のである。
一方、マフィアなど、悪の組織と呼ばれるものの中は、結構長続きするものがある。
そういった組織の中には、『スターウォーズ』の悪の軍団に見られるような軍的な規律だけというのではない、ある秩序が存在している。
その秩序を成り立たせているのは、恐怖による支配ではなく、人間的で、受け入れが困難ではない掟なのである。
もちろん、その掟は完璧ではなく、欠点もあるかもしれないが、普通の大企業や官公庁などに比べ、もしかしたら、はるかに民主的なのである。

つまり、『スターウォーズ』に登場するような、ただ利己的で、そのために残酷さを貫くような悪は、それほど長く存在出来ず、従って、規模も大きくならないということが、分からないはずがないのに、いかに架空の話とはいえ、『スターウォーズ』では、それが成り立っている。
そんなものを見るのは、あまりに嘘くさく、醜悪過ぎて、耐えられないのだ。まあ、これが主観であると言うなら、別に反論しないが。

昔、スリを業務とする会社が本当にあったらしいが、そこは普通の会社以上に、規律が守られ、社員が大切にされていた。
もちろん、人様のものを盗って迷惑をかけるのだから、そう長くは続かなかったはずだが、肯定的な秩序がある分、いくらかは存続出来たのである。
一方、世の中には、悪徳な企業が沢山あるが、そんな企業が、長く繁栄したり、幹部達が幸福であることは決してない。

これは、集団においても、個人においても同じなのだ。
調和ある秩序があるところには必ず繁栄があるが、そうでなければ、そう遠くなく滅ぶ。
調和ある秩序とは何で、どうやれば得られるかは、いちいち説明する必要はないと思う。