何かに励むと言う時は、良い行いや努力をすることだと思われることが多い。
勉強に励む、筋トレに励む、読書に励む、ボランティアに励む・・・等だろう。
泥棒に励むとか、犯罪に励むというのは、イメージは悪くても、言葉としては成立する。
なぜなら、犯罪にだって、「励む」の必要条件と思われる「意思」と「行動」があるからで、ある意味、「積極性」が見られるからだ。
しかし、飲酒に励むとか、(下らない)遊びに励むとは、普通、言わない。
これらには、行動は見られても、意思や積極性に欠けるからだ。
つまり、励むというのは、意思と積極性が必要なことだ。
まあ、積極的意思とか、単なる意思でも良いのだが、とりあえず、意思と積極性としておこう。
行動に関しては、必要ならついてくるもので、特に強調しなくて良いだろう。
では、人間の、最も良い励みとは何だろう?
それは、「思考停止に励む」ことだ。
だが、言うまでもなく、「思考停止」という言葉のイメージは悪い。
学校や社会では、「自分の頭で考えることが出来る」という人間が立派な人間だと「大誤解」している。
凡人は、「何も考えないやつが自分を駄目にし、周囲に迷惑をかける」と言う。
だが、それなら、どう見ても与太者(要はどうしようもなく駄目なやつ)である者に、「何も考えるな」と言って見ると良い。
すると、そいつが少しはマシなら、「そんなことは不可能だ」と言うだろう。
自分が考えているか、考えていないか分からないほど愚かな与太者の場合、脳波を測定すれば良い。
すると、「考えるな」と言われても、与太者の脳波は、思考状態のベータ派や、さらに思考活発なガンマ波に近いような脳波になっている。
一方、一般には、「物凄く考えている」と思われる、将棋の名人の対局中の脳波は、まさに、思考停止のアルファー波や、睡眠時のシータ波の状態である。
思考停止に近付くほど、良いアイディアが閃き、良いアルゴリズム(問題解決手順)が自動的に浮かんでくる。
そして、目覚めたまま、完全に思考停止したシータ波になれば、不可能はなくなる。
引き寄せが出来るのは、アルファー波からで、シータ波だと奇跡的な引き寄せが起こることもある。
逆に言えば、シータ波でなければ奇跡は起こせず、アルファー波でなければ引き寄せは出来ない。
普通は、なかなか自分の意思で思考停止出来ないので、アファーメーションやマントラを唱えたり、呼吸数を落としたり、何かに集中したりして、思考停止に近付く。
(あるいは、ヘミシンク効果を利用したり、 ソルフェジオ周波数の音楽を聴くという方法もある)
こういった、アファーメーションや呼吸制御等のメソッドは、あくまで、思考停止の手段である。
だから、自分に合ったものであれば、どれを選んでも同じである。
だが、本当は、自分の意思で思考停止出来るのが一番良い。
だから、『荘子』の中で、荘子は、孔子が弟子の顔回に「坐忘が出来るようになった」と言われた時、孔子は顔回を褒め、孔子は自分が顔回を見習うと言わせたのである。
坐忘とは、仏教用語になっていて「雑念を去り、我を忘れる」ことで、忘我とか没我ということだが、元々は、この『荘子』から出ている。
そして、坐忘とは、まさに、思考停止の状態だ。
坐忘の状態になれば、それは神人であり、宇宙と一体であり、神仙であり、万能である。
勉強に励む、筋トレに励む、読書に励む、ボランティアに励む・・・等だろう。
泥棒に励むとか、犯罪に励むというのは、イメージは悪くても、言葉としては成立する。
なぜなら、犯罪にだって、「励む」の必要条件と思われる「意思」と「行動」があるからで、ある意味、「積極性」が見られるからだ。
しかし、飲酒に励むとか、(下らない)遊びに励むとは、普通、言わない。
これらには、行動は見られても、意思や積極性に欠けるからだ。
つまり、励むというのは、意思と積極性が必要なことだ。
まあ、積極的意思とか、単なる意思でも良いのだが、とりあえず、意思と積極性としておこう。
行動に関しては、必要ならついてくるもので、特に強調しなくて良いだろう。
では、人間の、最も良い励みとは何だろう?
それは、「思考停止に励む」ことだ。
だが、言うまでもなく、「思考停止」という言葉のイメージは悪い。
学校や社会では、「自分の頭で考えることが出来る」という人間が立派な人間だと「大誤解」している。
凡人は、「何も考えないやつが自分を駄目にし、周囲に迷惑をかける」と言う。
だが、それなら、どう見ても与太者(要はどうしようもなく駄目なやつ)である者に、「何も考えるな」と言って見ると良い。
すると、そいつが少しはマシなら、「そんなことは不可能だ」と言うだろう。
自分が考えているか、考えていないか分からないほど愚かな与太者の場合、脳波を測定すれば良い。
すると、「考えるな」と言われても、与太者の脳波は、思考状態のベータ派や、さらに思考活発なガンマ波に近いような脳波になっている。
一方、一般には、「物凄く考えている」と思われる、将棋の名人の対局中の脳波は、まさに、思考停止のアルファー波や、睡眠時のシータ波の状態である。
思考停止に近付くほど、良いアイディアが閃き、良いアルゴリズム(問題解決手順)が自動的に浮かんでくる。
そして、目覚めたまま、完全に思考停止したシータ波になれば、不可能はなくなる。
引き寄せが出来るのは、アルファー波からで、シータ波だと奇跡的な引き寄せが起こることもある。
逆に言えば、シータ波でなければ奇跡は起こせず、アルファー波でなければ引き寄せは出来ない。
普通は、なかなか自分の意思で思考停止出来ないので、アファーメーションやマントラを唱えたり、呼吸数を落としたり、何かに集中したりして、思考停止に近付く。
(あるいは、ヘミシンク効果を利用したり、 ソルフェジオ周波数の音楽を聴くという方法もある)
こういった、アファーメーションや呼吸制御等のメソッドは、あくまで、思考停止の手段である。
だから、自分に合ったものであれば、どれを選んでも同じである。
だが、本当は、自分の意思で思考停止出来るのが一番良い。
だから、『荘子』の中で、荘子は、孔子が弟子の顔回に「坐忘が出来るようになった」と言われた時、孔子は顔回を褒め、孔子は自分が顔回を見習うと言わせたのである。
坐忘とは、仏教用語になっていて「雑念を去り、我を忘れる」ことで、忘我とか没我ということだが、元々は、この『荘子』から出ている。
そして、坐忘とは、まさに、思考停止の状態だ。
坐忘の状態になれば、それは神人であり、宇宙と一体であり、神仙であり、万能である。