ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

思考停止

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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最も励むべきこと

何かに励むと言う時は、良い行いや努力をすることだと思われることが多い。
勉強に励む、筋トレに励む、読書に励む、ボランティアに励む・・・等だろう。
泥棒に励むとか、犯罪に励むというのは、イメージは悪くても、言葉としては成立する。
なぜなら、犯罪にだって、「励む」の必要条件と思われる「意思」と「行動」があるからで、ある意味、「積極性」が見られるからだ。
しかし、飲酒に励むとか、(下らない)遊びに励むとは、普通、言わない。
これらには、行動は見られても、意思や積極性に欠けるからだ。
つまり、励むというのは、意思と積極性が必要なことだ。
まあ、積極的意思とか、単なる意思でも良いのだが、とりあえず、意思と積極性としておこう。
行動に関しては、必要ならついてくるもので、特に強調しなくて良いだろう。

では、人間の、最も良い励みとは何だろう?
それは、「思考停止に励む」ことだ。
だが、言うまでもなく、「思考停止」という言葉のイメージは悪い。
学校や社会では、「自分の頭で考えることが出来る」という人間が立派な人間だと「大誤解」している。
凡人は、「何も考えないやつが自分を駄目にし、周囲に迷惑をかける」と言う。
だが、それなら、どう見ても与太者(要はどうしようもなく駄目なやつ)である者に、「何も考えるな」と言って見ると良い。
すると、そいつが少しはマシなら、「そんなことは不可能だ」と言うだろう。
自分が考えているか、考えていないか分からないほど愚かな与太者の場合、脳波を測定すれば良い。
すると、「考えるな」と言われても、与太者の脳波は、思考状態のベータ派や、さらに思考活発なガンマ波に近いような脳波になっている。
一方、一般には、「物凄く考えている」と思われる、将棋の名人の対局中の脳波は、まさに、思考停止のアルファー波や、睡眠時のシータ波の状態である。

思考停止に近付くほど、良いアイディアが閃き、良いアルゴリズム(問題解決手順)が自動的に浮かんでくる。
そして、目覚めたまま、完全に思考停止したシータ波になれば、不可能はなくなる。
引き寄せが出来るのは、アルファー波からで、シータ波だと奇跡的な引き寄せが起こることもある。
逆に言えば、シータ波でなければ奇跡は起こせず、アルファー波でなければ引き寄せは出来ない。

普通は、なかなか自分の意思で思考停止出来ないので、アファーメーションやマントラを唱えたり、呼吸数を落としたり、何かに集中したりして、思考停止に近付く。
(あるいは、ヘミシンク効果を利用したり、 ソルフェジオ周波数の音楽を聴くという方法もある)
こういった、アファーメーションや呼吸制御等のメソッドは、あくまで、思考停止の手段である。
だから、自分に合ったものであれば、どれを選んでも同じである。
だが、本当は、自分の意思で思考停止出来るのが一番良い。
だから、『荘子』の中で、荘子は、孔子が弟子の顔回に「坐忘が出来るようになった」と言われた時、孔子は顔回を褒め、孔子は自分が顔回を見習うと言わせたのである。
坐忘とは、仏教用語になっていて「雑念を去り、我を忘れる」ことで、忘我とか没我ということだが、元々は、この『荘子』から出ている。
そして、坐忘とは、まさに、思考停止の状態だ。
坐忘の状態になれば、それは神人であり、宇宙と一体であり、神仙であり、万能である。








「思考停止」と「頭の無駄使いをしないこと」の違い

「思考停止」と言ったら、自分の頭で考えない愚か者の状態を指しているのだろう。
ところが、考えることをやめたら、真の知恵者であり、幸運に恵まれ、奇跡すら起こせる。
これは一体どういうことだろう。
いや、実に簡単なことだ。
単に、「人間が考えるべき簡単なことはちゃんと考え、難しいことは魂の叡智、あるいは、神に任せる」というだけのことである。
スーフィーの格言に、「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」というものがあるらしい。
「ラクダなんかつないでおかなくても逃げやしないさ」というのが「思考停止」なのである。
ラクダを、いつ、どこに、何で、どんなふうにつなぐかを考えて決めるには自分なのだ。
そんな簡単で、人間が分かることに神様が関わったりしない。
だが、そんな簡単なことをしっかりやり、後は何も考えなければ、人間の及ばぬ知恵と力で神様が面倒を見てくれる。

いかに部下を可愛がる力ある上司でも、部下が毎日遅刻をしてくるようでは救えない。
部下が、「深夜に面白いテレビ番組があって、どうしても朝起きられないのです」と言い訳しても、上司が一緒に考える必要はない。
それは、部下の問題であり、そんなことが解決出来ないようなら、彼は、その上司にも見捨てられる。
ところが、そんな阿呆な部下に限って、難しい問題のことで、経験も(大抵は知識も)ないくせに、上司に、「もっといい方法がありますよ」などと馬鹿を言うものなのだ。そんなことは優秀な上司にまかせれば良く、上司のやり方を見ているうちに、ようやく、自分にも出来るようになり、いずれ、上司を追い抜くことも可能になるのである。

ダイエットなんて簡単だ。
食べ過ぎないようにし、適度に運動すれば良いだけだ。
「だけど、それがなかなか出来ないのですよ」と言う者がいるが、そんな簡単なことが出来ないなら、何も出来ない。
ところが、そんな者に限って、会社の上司や幹部の批判を(陰で)し、自分の方がずっと賢いようなことを言うものだ。

ある優秀な人が、
「私は人生で何も大したことは出来なかったが、閻魔様の前に出たら、便所の下駄はきちんと揃えましたと言うつもりです」
と言っていた。
一時が万事で、便所の下駄(今どきは珍しいかもしれないが)をきちんと揃える人は、きちんとすべきことはきちんとしているだろう。
神仏は便所の下駄は揃えないが、彼を豊かにする、彼が思いもよらない出来事は起こすのである。

お歳暮の品を、相手のランクによって決めるという難しいことなど、しなくて良い。そんな頭の無駄使いをしなければならない会社なら、今の時代、すぐに潰れるだろう。そして、本当にきちんとすべきことをすれば、そんな難しいことをしなくて済むよう、神様が取り計らってくれるだろう。例えば、良い転職先が見つかるなどね。私は、お歳暮を贈ったことは一度もないが、それで困ったことも一度もない(お歳暮が必要な会社からさっさと転職し、転職後、その時代遅れの会社は潰れた)。
ただ、本当にそうしたい場合には、プレゼントもすれば、手土産も持っていくのであるが、それは楽しいことである。自分が楽しくないなら、相手にも迷惑だろうから、プレゼントもお土産も持って行ってはならない。







プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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