ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

念仏

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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

弱者のための最強の武器

強いヤツって、必ず、お決まりのパターン(型)を持っている。
ポリシー(方針)という言い方の方がピッタリする場合もあるが、同じことだ。
逆に言えば、パターン、ポリシーのない者は、非効率で弱い。

トヨタ自動車の車にも、単純な言葉で語ることが出来るパターンがある。
売れる音楽家の音楽、売れる小説家の小説にも、見え難い場合もあるが、やっぱり、パターンがあるものだ。

格闘技の名門グレイシー柔術も、多彩な攻撃があるようでいて、「グレイシーのパターン」というものがある。
もちろん、プロの格闘家なら、それがどんなものか知っているのだが、分かっていても負けてしまうのは、そのパターンが優れていて、しかも、磨き上げられているからだ。

私は、セールスマンとして社会人を始め、かなり熱心にやったが、超一流セールスマンの著書と、身近にいる強いセールスマンで必ず共通していたのは、彼等のセールストークがワンパターンだということだ。
売れないセールスマンのセールストークほど多彩なのである。
一流中の一流であった夏目志郎さんともなると、助手の女子大生が、「いつ同じことを言ってばかりの夏目さんが可哀想」と言って泣き出したほどだ。
夏目さんは、セールストークは同じものを繰り返し使うことで威力が増すのだと著書に書かれていたと思う。

ナンパだって、上手いヤツはワンパターンだが、下手なヤツはナンパする度にアピールの仕方が違い、口説きに力がないのである。
ナンパもセールストークも同じと言ったら、セールスマンの方々に怒られるかもしれないが、1つのパターンが力を発揮するところは共通している。

私のようなプログラマーというかシステムエンジニアだって、システム開発のパターンを持っている人は有能だ。
優秀なシステムエンジニアは、いくつかのパターンを使い分けているように見えるが、それでも、結局は1つのパターンが基になっているのである。
そんなパターンがなく、いろんなことをやりたがる者が作るシステムは、必ずトラブルを起こしたり、完成に時間がかかる、あるいは、完成すら出来ない。
私の実感としては、よほどの天才のことはいざ知らず、人間の能力は、1つのパターンを使いこなすのがせいぜいなのだ。

1つのパターンを選び、鍛え、繰り返し実践で磨けば無敵に近付く。
坐禅なら坐禅、念仏なら念仏と決め、それに徹すれば、必ず神仏の加護がある。不思議だが本当だ。
しかし、坐禅をやってみて、良いことがないので念仏に変え、それも駄目ならTM(超越瞑想)をやってみる・・・とフラフラしている者は、いつまで経っても、あまり良い思いをしていない。
成功法則も、ジョセフ・マーフィーと決めれば脇目もふらずにマーフィーの本を読み、しかも、同じ1冊を数百回も読む者は、必ず、驚くほどいつも好調だ。
中畑清さんなんて、巨人の4番を打っていた頃は、冗談でなく、いつも「絶好調」と言い続けていたのではないかと思う。彼がそうでないにしろ、普通の人なら、それで十分だ。
長州力さんは、リキラリアットとサソリ固めの流れのワンパターンなので、60歳をとおに過ぎても現役でやれるのだ。

法然の名著『選択本願念仏集』も、まさに、念仏というワンパターンを「選択」し、他は捨てろというものなのである。
宗教書としては、弟子の親鸞の『歎異抄』と並ぶ最高のものだが、『歎異抄』の主張も、極めてワンパターンである。

あなたも、1つのパターンを選び、それに専念し、後は捨てるのだ。
2つのパターンを選んでうまくいくには、宇宙人並の能力が必要だ。
だが、ワンパターンに徹すれば、宇宙人にだって勝てるさ。









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人間の値打ちは一目で分かる

人間の値打ちを表すのに、人格、品格、理性、道徳性、人間性等といったものがあるが、それは全て知性であるのだと思う。
知性は、試験の成績とも大いに関係するが、イコールでは全くない。
それよりも、人間の知性は、座り方に完全に現れると思わないだろうか?
私は、例外を見たことはないし、見ることが出来るとも思わない。
就職の面接などでは、誰だって背筋を伸ばしてしゃんと座るかもしれないが、所詮、知性の低い人間がそうしても、無理があって不自然なのである。
スティーヴン・ホーキングは、普通の意味ではきちんと座れないが、それでも、彼の座り方には知性が現れていると思う。
どんな座り方が知的であるかは、いちいち言うまでもないと思う。
見れば分かる。
もし、分からないとしたら、それこそ知性に問題がある。
もちろん、立っている姿にも知性は現れるが、座っている姿の方が、圧倒的に現れると思う。

逆に、意識的に知的に座れば、知的になるのだと思う。
だが、知性があまりに低いと、立派な座り方をしようと思わない。
そもそも、それほど知性が低いと、知的であることに価値があると思っていないだろう。
そして、かなり知性が低いと、知的な座り方を続けられない。
だが、意識の奥には、誰だって知的でありたいと願う意思があるのだと思う。
なんとかそれに従い、きちんと座れば、知性は向上するだろう。

他に知性を表す重要なものに、表情がある。
これもまた、どんな表情が知的で、どんな表情が愚か者のそれかは、説明するまでもなく、見れば分かるはずだ。

我々は何も、知的でない人の座り方や表情を馬鹿にして喜ぼうと言うのではない。
面白いことに、鏡を見なくても、自分の座り方や表情は分かるものである。
しかし、無理に、自分より優れた人間の座り方や表情をするのは難しい。
だが、立派なことをしながらだと、それは容易い。
つまり、仕事を熱心にやったり、トレーニングをしたり、良い本を読みながらだと、良い座り方や表情を維持しやすい。
だが、一番優れた座り方や表情を出来る行いは、念仏を称えることだ。
念仏を理屈で言えば、自分より高い存在に意識を向けることである。
親鸞は念仏に優る善はないと言ったらしいが、間違いではないと思う。
初音ミクさんは、あまり座らないが、立っている姿勢や表情に知性が現れている。









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賢い人は悪口を言わない

アメリカ大統領選挙の、候補者同士の猛烈な中傷合戦には、アメリカ国民にも、うんざりしている人も多いようだ。
とはいえ、やっぱり、相手候補を言葉で貶めることは有効な戦法なのだろう。
他人を、特に敵を誹謗(そしること)しない者が優秀であることを理解出来る年齢はいくつなのだろう?
アメリカに限らず、日本の国会討論なんかを見ても、それは70歳でも難しいという感じだが、本来は、賢い人で10歳、遅くとも、20歳ではないかと思う。
ヒラリー・クリントンや、日本の野党第1党の党首の、口角泡を飛ばすして敵対候補や与党の誰かをこき下ろす時の顔の醜悪さを見れば、この者達は信用ならないと思わないだろうか?
ヒラリーや、野党のその人が悪口を言う時の顔を見て、
「嗚呼、下級悪魔って、こんな顔してるんだろうなあ」
と思うのである。

こんなことを言うと、「お前もヒラリーや蓮舫を中傷しているじゃないか」と言う暇な者もいるが、そりゃ、私は下級悪魔にも及ばないからねえ。
まあ、政治家なら、現状、やむをえないところもあるのかもしれないが(ないと思うが)、宗教家となると、これはもうお話にならないはずだ。
つまり、他の宗教、あるいは、同じ宗教の中の他宗派の教えを執拗に批判するような宗教者や教団は、相手にしない方が良い。
これは絶対に間違いない。
そんなこと(他の悪口を言うこと)をする宗教者は、人格がどうと言う以前に、やっぱり馬鹿なのである。
だって、こっちが争いをしかければ、自分も攻撃され、それを続ける限り、無限の争いになるという理(ことわり)は、よほどの馬鹿でない限り分かるはずだからである。
『歎異抄』でも、念仏の教えを攻撃されても、決してやり返してはならない、賢くかわしなさい・・・といったようなことが書かれている。しかも、こう言っている唯円は、自分は知恵のない愚か者だと言っている。つまり、馬鹿でも、このくらいは出来るはずなのだから、これすら出来ないのは、本当に救いようがない馬鹿で、そんな救いようがない馬鹿の宗教がロクなものであるはずがない・・・という訳である。

優秀でありたければ、忍耐を持って、他を批判することを止めることだ。
愚かな自分が批判しなくても、悪い者は必ず自滅するから放っておけば良いのである。
そもそも、馬鹿にかまうというのは暇なのである。
私も暇で、優秀じゃないが、念仏を称えているので、実入りは大きいのである。
つまり、馬鹿でも、暇でも、低級な何かでも構わないから、念仏を称えれば良い。
すると、暇ではないが、あまりに能力が高いので、余裕たっぷりの阿弥陀如来が、全て面倒見てくれる。

そう遠くなく、人間の脳の1兆の1兆倍の能力を持つコンピューターが角砂糖1個の大きさになるらしい。
その能力とは、100億人の人間が300万年かかって考えることを1秒で考えることが出来るというものだ。
しかし、そんな能力すら、阿弥陀如来(宇宙の叡智といった意味だが)から見れば、宙を舞う1つの埃のように他愛ないものに違いない。









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世界から逃げるには

世の中は、争ってはいけないが、戦わなくてはならない。
支配しつつ、なりゆきにまかせなくてはならない。
全てを放棄しなければならないが、願い、求めなくてはならない。
無為であって有為であれ。

もう、どないせいっちゅうんじゃ!
しかし、これが人間だ。
誰かが、わざと、我々の脳や世界に、混乱するプログラムを組み込んだとしか思えない。
我々は、キリキリ舞する、面白い見世物か何かとして存在させられているのだろう。
だが、「そんなの冗談じゃない!」と言って、バックれる(逃げる)・・・具体的には死ぬことが・・・出来ない、あるいは、とても難しい。

対策は考えようがない。
なぜなら、全てが矛盾だらけだからだ。
可愛い猫を殺したり、愛しい少女に苦痛を与えたがるのは、「そんなことが出来ることを確かめたい」からだ。
だが、そんなことをする者というのは、逸脱、あるいは、狂気が始まっているのであり、そのエラーはどんどん拡大して、最も苦痛に満ちた見世物としての存在になる。
それは、EMG(エマージェンシー=緊急事態)なのか、それとも、やはり元々仕組まれたプログラムなのか、それは分からない。
だが、人間が考えるEMGなんて、やっぱり「普通のこと」なんだろう。

人間は役割を演じるしかない。
「俺は映画スターになりたい」と言っても、駅の便所掃除が役割なら、便所掃除をすれば良いのである。
どちらも全然、違いはない。
むしろ、「俺は便所掃除よりランクが上だ」と思う映画スターの方に、ちょっとキツい展開が用意されている。
嫌々サラリーマンをやるのもまた役割だ。
そこから抜け出そうと、大きな努力をしても、報われるかもしれないし、完全に失意に終わるかもしれない。
「こんなにがんばったのに・・・」と絶望する姿の方が面白いしね。

もし、逆転の秘法があったとしても、それも、ゲーム制作者が用意しただけの話だ。
いつ、秘法の仕様が変わるかもしれないし、無効になったり、逆効果になったりしかねない。
ルールを外れたような魔法使いがいたとしても、それもまたルールの範囲内だ。

「あの・・・そろそろ自分の役割に飽きたんですけどお」
「そうか、では死ね」
「ひえぇ!もうちょっとがんばりますう」
「よしやれ」
我々は、その程度の存在だ。
その自覚を持てば幸せになれる。

だが、おそらく、ゲーム制作者にも、その上位のゲーム制作者がいるのだ。
まあ、ゲーム制作者というのは、あくまで喩えではあるが。
念仏ってのは、その上位のゲーム制作者との同調である。









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中高年の方が仕事が出来る

「仕事は出来ないが給料が高い40代、50代社員がいる」なんて話がよくある。
中には、本当にそんなこともあるかもしれないが、大抵の場合、それは、若い人の勘違いだし、そんな勘違いをしている「本当に仕事が出来ない若い人」ほど、そんなことを言うのだと思う。
20年、30年、「普通に仕事をしていれば」、知恵があるので、若い者など太刀打ち出来ない。
しかし、若い時に、「部長課長らは、仕事をしていないのに高い給料を取っている上、俺達若い者に対し傲慢だ」と言う者ほど、「本当に仕事をしない中高年」になる。
なぜかというと、簡単なことで、知恵っていうのは、それなりに知恵がないと、見ても分からない。
まず、自分以外の人間の知恵を見ようとするのが知恵なのであり、それは謙虚でないと出来ないことだ。
それなのに、「課長より俺の方が仕事が出来る」なんて傲慢かつ思い違いをしているような者に知恵は得られない。
そんな者が歳を取っても知恵がついておらず、「本当に仕事が出来ない中高年」になる。

ドワンゴ会長の川上量生氏の本で読んだが、川上氏が若くてサラリーマンをしていた時、仕事が出来ない課長がいたらしい。
川上氏は、「あんな課長クビだ」と、堂々と声を上げていたが、そうしたら、社長に呼び出され、尋常ならざるほど怒られたらしい。
川上氏は、怒られた理由が分からず、社長に対し、反論すらしたらしいが、社長は、「あいつにだって生活がある」みたいなことを言ったという。
それだけ見れば、温情ある社長という感じだが、私は、川上氏が「仕事が出来ない」という課長は、いなくてはならない人だったのだと思うのだ。
でないと、単なる社長の温情で、そこに居続けることなんか出来ない。
川上氏も社長に怒られて何かを得たのだろうし、社長だって、才能を感じる川上氏だから怒ったのであり、別の「単なる若いもん」なら本気では怒らなかったに違いない。
ただね、川上氏がいくら優秀でも、若い川上氏に、そこまで言われるということは、その課長には、貫禄というか存在感がなかったのも確かだ。
そんな人は、是非、エイミー・カディの本を読み、パワーポーズを実践することをお奨めする。

どうすれば仕事が出来るようになるかというと、「自分が仕事をしている」という感覚を失くすことだ。
インドの聖者ラマナ・マハルシがこんなことを言っていたのが参考になる。
責任感を持って、注意深く仕事をしている財務長官。
大きな目標を達成しつつある事業家。
こういった、有能で、熱心に働いている者達は、自分が仕事をしているとは感じていない。
仕事が勝手に進んでいくのであり、自分は何もしていない。
ある意味、彼らは夢遊病患者のようなものだ。

だが、そうなるためには、精神が進化していなければならない。
しかし、それは難しいことではない。
自分より高い存在に意識を向け、自我が退けば良いのである。
ただ、マハルシだって、「簡単だ」と言いながら、極めて難しいことを教えた。
道元は、それを易しく出来るよう、座禅を教えたが、やっぱり難しかった。
それで、法然は念仏を教えたが、これは簡単過ぎたので、ちょっと豊かな人はやりたがらない。
『歎異抄』を読んで、ただ念仏を称えれば、意識は高い存在に向き、自然に自我は退くだろう。









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