ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

念仏

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

実は偉大な念仏の真意

いかなる偉大な聖典であろうと、決定された運命というものを前提にしなければ、正しく理解することは全く不可能である。
逆に、全ては運命であることを受容すれば、初めてその英知に触れることが可能となるのである。
それは、聖典を基に正しい教えを説く聖者の教えも当然同じである。
今回は、浄土真宗の開祖、親鸞について見てみよう。

親鸞の師、法然は、ひたすら念仏を唱えることのみ教え、自分もまた、念仏以外は何もしなかったと明言した。彼の遺書と言える「一枚起請文」がまさに、「私には念仏以外何もない」と言うものなのである。念のために言うと、念仏とは、「南無阿弥陀仏」と唱えることであり、その意味は、「私は阿弥陀如来(阿弥陀仏)に帰依します(全てお任せします)」というものである。
法然は1日6万回も念仏を唱えたと言われ(晩年は7万回だったとも言われる)、対談中も、小さな声ではあったが、念仏を欠かさなかったという。
念仏を唱えることで、死後は極楽浄土(仏の国で、天国のようなもの)に行けるし、生きている間も、念仏を唱える者は仏に守られると教えた。

もちろん、法然の教えには、当時の無知な庶民に配慮したところがあるのだが、その実際の効果は言葉通りの意味をむしろ上回るのである。
尚、現代的に言うなら、阿弥陀如来というのは、もちろん、大仏のような姿をした形のある仏様ではなく、それは仮の姿であり、それは、阿弥陀如来の別名である無量寿光如来の名の通り、宇宙に偏在する光(英知)であり、根源的な宇宙エネルギーと言って良いだろう。
その仏に全て任せ、自我である私は全面降伏するというのが念仏であり、これは、黒住宗忠が、天照大神に全てお任せすると言うことや、クリシュナが「我のみ拝せよ」と言ったことと全く同じ意味である。イエスの場合は、「父なる神を愛せよ」であった。

ところが、法然の弟子である親鸞は、念仏を唱える貴さを教えはしたものの、もっと進んだことを言っているのである。
「念仏をしたら救われるのではない。念仏をした時は既に救われているのである」
つまり、念仏をすることが原因で、その結果が救われることであるという従来の公式が壊されているのである。
むしろ、救われることが原因で、念仏をするということが結果なのである。
少しも難しいことではない。
仮に仏と名付けた存在は、ある人の運命を救われる(幸福になる)運命と定めるとすれば、それと共に、念仏を唱えるという運命を授けるのである。
仏は、水が高いところから低いところへと流れるように、念仏を唱える者は救われると定めているのである。
だから、念仏を唱えたということは、救いは確定しているということなのだ。
そして、実際には念仏を唱える必要すらなく、念仏を唱えようと思うだけでも救われるようにされているのである。

もう少し現代的に言うなら、こういうことだ。
念仏とは、仏様に頼るという意志表示であることは誰にでも分かるはずだ。
自分の無力を受容し、より大きな力に任せるという態度が「南無阿弥陀仏」である。
自分にはものごとをコントロールする力があるという誤った認識を解くことが絶対的に必要なのだ。
そして、仮に阿弥陀如来という名と、ある特徴ある仏の姿に対してであっても、それに頼むことで自分の無力を少しでも認めることが、仏への道を歩み出したということなのである。

だが、法然の念仏も、つまるところは同じなのである。
どちらが優れているとも言えず、いずれの方式でいくかは、気質によるのではないかと思う。
ただ、2人とも、念仏の利益は、死後に極楽浄土へ行くことであると述べた。
少しは、現世利益も説いたが、あまり強調しなかった。それを説くと、人々に煩悩が起こり、それが妄想となるからである。
だから、現世利益を説く時も、財や病気の治癒といった具体的なことではなく、ただ、「仏様が守って下さる」と言ったのである。
それは決して方便というだけでなく、実に見事な教えなのであるが、長くなるので、このあたりにしておく。









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山を担ごうとする男

日本の民謡というものは、あまり繊細だったり、上品だったりということはないだろう。違うものもあるかもしれないが、声を張り上げて、明るく、力強く歌うものだ。
これは、農作業等の仕事を、歌で気分を高めて楽しくやろうというところから始まったからかもしれない。
西洋の農耕民族の民謡というのは、もっと厳かで、優雅に感じるものが多い気がする。彼らは、仕事中は黙って働き、仕事が終わった夕べに楽器を演奏したり、それに合わせて歌ったりするイメージがある。

これは、日本人にとっては、労働は善であり、喜びと思うべきという観念があるのだが、西洋人にとっては、労働はただの苦役なのだろう。何と言っても、人が働かなくてはならなくなったのは、アダムとイヴが、元々は働かなくても暮らせたのに、神様の命令を破って知恵の木の実を食べたから、それ以降、罰として、働いて日々の糧を得なければならなくなったとされているからだ。
日本人の信仰では、自然のあらゆるものの中に神様がいるのであり、神を敬うと同時に、神はご先祖様でもあるのだから、親しみもあるのだろう。
ギリシャ神話でも、自然現象は全て神の現われであるのだが、こちらでは、人間は神が土で創ったものだ。人に対しての神の立場は絶対的であり、人はいかなる場合でも神に逆らってはならず、不遜なことを言ってすらいけない。自分は、工芸の神でもあるアテーナー(本来は知恵の女神、戦いの女神)より織物が上手いと言ったために、罰せられて蜘蛛にされた女や、美の女神アプロディーテーより美しいと噂が立っただけで、苦難を与えられた美少女プシュケーの話がそれを表している。
男嫌いの女神アルテミスのヌードを偶然見ただけで鹿にされてしまった哀れな男もいたっけ。

富山県の有名な民謡『こきりこ節』は、まさに日本の民謡で、男が歌えばズーズー弁そのものだ。「7寸5分(しちすんごぶ)」と言うところが、「すつすんごぶ」となる(ズーズー弁では、「し」と「す」、「ち」と「つ」の区別が無い)。
女が歌っても、エレガントとはほど遠く、おばさんが歌うことが多いこともあるが、あまり歌い手を口説こうという気にはならない。
ところが、この『こきりこ節』を、涼やかで繊細な女性の声で歌ったのを聴いたことがあるが、あまりの雰囲気の違いに驚いた。こういうアレンジがあっても良いと思った。

民謡ではないが、仏教のお経では、我々には、お坊様が読む時の、やや一本調子の朗々とした、あるいは、口の中でもぞもぞ言ってるといった印象があると思う。
神道の祝詞である『大祓詞』も、ちょっとお経に近いだろうか?
あるいは、「南無阿弥陀仏」のお念仏も、単調に繰り返されるものというイメージと思う。

ところが、ある日の午後、私が椅子でうたた寝しいていると、半覚醒といった状態の中で、頭の中で、美しい念仏が聞こえてきた。若い女性の声で、少女の声と言って良かったが、何とも清らかで、涼やかな声で、私はすっかり聞き惚れていた。
そして、ふと目を開けると、西の窓の白いカーテンが夕陽に染まって神秘的な美しさを感じさせた。阿弥陀如来の浄土は、西方極楽浄土と言って、西にあると言われている。
「南無阿弥陀仏」とは、インドのサンスクリット語の「ナーマス、アミターバ」を書き写したものらしい。「ナーマス」は心から信じるという意味で、「アミターバ」が阿弥陀如来という仏様の名前だから、「阿弥陀如来様を心から信頼しています」という意味だ。
阿弥陀如来とは、無量寿光如来とも言い、無限の光で象徴される、宇宙の英知や力のことだろう。
そう考えると、念仏とは、人間の持つべき態度を短く言い表した、なんとも素晴らしいものであると思う。

ところで、『こきりこ節』の話に戻るが、何番の歌詞かは知らないが、「向かいのお山を担ごうとすれば、荷縄が切れて運ばれん」という、実に希有壮大なものがある。
大ぼら吹きも度を超えれば、ただ笑い話だ。

だが、大真面目に山を担ぎ上げる練習をしている男がいた。
仙道研究家というより、仙人そのものと言った方が良い、高藤総一郎さんの本にある話だ。
中国で、ある女性が木に釘を打ち込もうとしていたところ、木があまりに堅くてさっぱり釘が入らず困っていた。そこに通りかかった僧が、「釘を木に入れれば良いのか?」と確認すると、指ですーっと押し込んでしまった。驚くべき怪力であるが、見たところ、全然、怪力男には見えない。
噂を聞いて、高藤さんの友人が調べたところ、こんな真相があったという。
その僧は、特に修行はしないのだという。ただ、瞑想だけはしており、その際に、裏庭にあった巨岩を持ち上げる想像をしていたらしい。すると、ある日、何だか本当に出来そうな気がして、やってみたら、本当に持ち上がった。次は、大木を引き抜くことを想像していたら、こちらもやがて出来た。
そして、今は、山を持ち上げる想像をしているのだそうである。
想像とはいえ、山を持ち上げようとする者にとって、釘を堅い木に押し込むなど、造作も無いことなのである。









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今年の健康診断も完璧な結果でした

今日は、先日受けた健康診断の結果をもらった。
全項目について問題なしという結果で、例年通り、完全に健康という診断である。
4年ほど前は、「異常」「要精密検査」だらけであったのが嘘のようだ。あの頃は、肉食中心の1日3食で、特に昼と夜は満腹するまで食べ、間食も多かった。
それが、4年前の7月の末頃に、不意に1日1食の菜食主義となり、一切の間食もやめた。
それでも、2年くらいは、魚や卵は食べていたし、野菜コロッケや天ぷらもよく食べていたが、今は、会食の時を除き、魚介類も卵も、揚げ物も食べないし、米も食べなくなった。
現在、毎日食べているのは、パン、野菜、根菜、果物、ナッツである。それで不満は一切なく、美味しく、楽しくいただいている。
そして、毎日、腕振り運動を2000回欠かさずやっているのだから、健康であるのは自然なことと思う。それでも、今年は、乾癬(難病の皮膚病)にかかったり、発熱とめまいで倒れたりしたが、それは、無理な仕事や寝不足などによる精神ストレスのためで、反省して身体をいたわると、以前以上の体調になり、乾癬も治った。乾癬というのは、自然に治ることはほぼ無く、何十年も苦しみ、それに耐えられずに自殺したという人すらいるという辛い皮膚病である。しかし、私は、『観無量寿経』を読んで、念仏することを覚え、少し多く寝るようにすることで、自然に治してしまった。

インドの至高の聖典、『バガヴァッド・ギーター』で、最高神クリシュナは言う。「食べ過ぎてはいけないが、少食過ぎてもいけない」と。全くその通りだ。食事は楽しむものだ。
私は、1日1食で、完全な菜食主義だが、そこまでやる必要はない。肉食はあまりお奨めしないが、魚は日本人に合っているはずだ。
出来れば、昼食は抜くか、ビスケット2枚程度にするのが良いと思う。慣れるまでは辛いが、慣れてしまえば快適になる。もちろん、自分に合ったようにやれば良い。
水野南北は、人の運命は食で全て決まると断言したが、食を慎めば、幸運の共時性が起こり、嬉しいことが起こるようになるはずである。

※腕振り運動については、当ブログ内の以下のリンクを参考にして欲しい。
腕振り運動で若返る原理
天使か妖精のように軽くなる方法
地球や天と共鳴する腕振り運動
腕振り運動の効果、最新レポート









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生きがいの見つけ方

生きがいを持つにはどうしたら良いかというコメントが多くあった。
世間では、むしろ、夢を持つにはどうしたら良いかという話が多いが、本当は、皆、生きがいが欲しいのである。
夢というのは、将来の希望のことであろうが、それは幻想に過ぎない。生きがいをもって生きていれば、未来なんかどうでも良いはずである。
Winkの『One Night In Heaven ~真夜中のエンジェル~』なんて歌にもあったが、「今一瞬が全て」である。

生きがいとは、快楽ではない。
美味しいものをいっぱい食べるとか、美女をはべらせるとか、イケメンにかしずかれるなんてのは、生きがいを奪いこそすれ、決して生きがいにはならない。

生きがいとは、リアルに生きることだ。生きていると実感できることだ。
サルトルは、戦火の街を歩き回った時、生きていることを強く実感し、精神が溌剌とするのを感じた。
ロシアン・ルーレットをご存知だろうか?回転式弾倉を持つ拳銃(リボルバーという)に弾を1発込め(2発以上のこともあるが)、弾倉をでたらめに回転させた後、銃口を自分のこめかみに向け、引き金を引くのである。「カチッ」という音がして、命拾いをした時、生きているという実感が、ふつふつと沸き起こる。無論、命が助かっても、精神を破壊してしまう危険はあるが、そうでなければ、これは病みつきになるという話もある。

もちろん、そういった過激なことをやるべきではない。
だが、ヘミングウェイやトルストイといった、生の喜びを鮮やかに表現した文豪達がギャンブル好きであったように、賭けというものは、リスクが大きいほど、妙に生きている実感を感じさせるのだ。
ギャンブルってのは、長くやっている人というのは、儲けることが目的ではない。スリルを感じることが目的なのだ。

人生の岐路に立った時、理屈や計算で道を選ぶと後悔するものだ。そんな時は、素直に好きな方を選ぶべきだ。得な方ではない。好きな方だ。
そして、どうしても分からないなら、駄目になりそうな方、損な方を選べば良い。
岡本太郎は、常に、破滅する方を選んだと言っていたが、彼は、さぞや生きがいに溢れていたことだろう。
それも恐ければ、せめてコインを投げることだ。

岡本太郎は、軍隊時代、30も過ぎて、18や19の兵隊達と一緒に最下級の2等兵として中国大陸に送られた。
旧日本軍とは愚かなものであったらしく、夜中にしごきと称した、上官のいじめがあった。上官は下級兵を部屋に呼び出し、殴って日頃の鬱憤を晴らすのである。
1人の上官が、次々に獲物を呼び出す中、岡本太郎は、いつも4番目に行った。殴る方は、4番目が一番調子が出るからである。

まあ、そこまで気合を入れることもないし、本当は、入れてはならない。
岡本太郎も、結局は病気で死んでしまった。やはり無理があったのだ。とはいえ、普通の人とは比較にならない生きがいある人生だったろう。しかし、我々は、彼を超えなければならない。

1つには、腹を鍛えなければならない。
その意味はというと、どうも現代人は、理屈というか、ちっぽけな知性や思考にとらわれて生きがいを失くしているからだ。
腹を鍛えるとは言っても、腹筋とか、インナーマッスルという意味ではない。腹にある、生命力の根源を活性化させるのだ。
腹を鍛えれば、頭の考えが慎んで引き下がり、腹の中から生命力が湧き上がることに、例えば、D.H.ロレンスのような作家はよく気付いていた。彼は、そのことについて本を書いたが、「これを読もうなんて自惚れるな」とまず釘を刺すのを忘れない。
複式呼吸のやり方をいろいろ工夫すると良いだろう。
だが、別にこだわる必要はない。複式呼吸など不要という人もいる。
分かりにくければ、下腹部に片手を当て、腹に常に力を入れると良い。黒住宗忠は、いつもそうしていた。宗忠は、元々は凡人だったが、後に、キリスト級の超人的な神人となった。

そして、後は、信頼する神なり仏に全てを任せ、何も心配せずに生きることだ。
だが、別にそれで、良いことがあるとか、願いが叶うということではない。そんなことも込みで、全て任せるのである。
何か思いが浮かぶごとに、「南無阿弥陀仏」と念仏でも唱えるのも1つの手であろう。
あるいは、腹に力を込めることでも意識すれば、思いは消えるだろう。腹の鍛え方の指導では、日本屈指であった、明治、大正の偉人、岡田虎二郎は、「腹から力が抜けた時に悪しき考えを起こすのである。腹から力を抜いてはいけない」と言ったという。
ラマナ・マハルシは、常に、「私は誰か?」と問えと言ったし、ニサルガダッタ・マハラジは、「存在する」という感覚に常にしがみつけといった。
気に入った1つをやれば良いと思う。

そうやっていても、困難は起こるだろう。
だが、それが良いのである。困難がなければ、腹に力を込めることも、念仏も長続きはしない。苦難を歓迎するまでになれば、そろそろ生きがいも掴めるであろう。
くれぐれも、得をしようなどという、浅ましいことを考えず、人に親切にすることだ。そうすれば、きっと生きがいは見つかるだろう。









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AとMに秘められた力

自分を愛することが出来ない者は成功できないという話を聞いたことがある。
しかし、私は、自分が好きだという者はあまり信用しない。
自分を本当に愛しているなら、きっと自分を憎んでいるのだ。
私も、以前は自分が好きだった。だが、今は、自分の息の根を止めてやりたいと思うことの方が多い。

自分を憎みつつ、自分を愛するようになるだろう。
他人に関してだってそうだよ。
本当に誰かを愛しているなら、むしろ、その相手を憎んでいるのだ。

愛よりも もっと深く愛していたよ おまえを
憎しみもかなわぬほどに 憎んでいたよ おまえを
~萩尾望都『半神』より~

自分を憎むからこそ、自分を愛するようになるのだ。
浅ましく愚かな自分を哀れむようになる。
だが、自分で自分を救えない。
その苦しみの中で、いたるところに、慈悲に満ちた大きな存在がいることを信じるようになる。
そんな至高の存在を、人類は昔から、神とか仏と呼んできた。
確かに存在するが、目に見えず、耳に聴こえず、触っても指に感じない。
だから、それを、ただ、「在るもの」と言ったのだ。
エゴーエイミ、エゴ・スム、アハン、I AMなどが、全て「我あり」という意味で、神を意味する。
オーム、道(タウ)、アーメン、阿吽(あうん)なんてのも、多分、同じようなところから来ているのだ。
これらの言葉全てが、よく似ているのは偶然ではない。
日本の天(あめ)というのも同じで、天照大神(アマテラスオオミカミ)の名はとても尊いものになっている。
阿弥陀仏(原語はアミターバ)もそうで、やはり、AとMの音から成っている。

至高の存在を愛するようになれば、自分がそれと溶け合い、1つになる。それが秘教の究極だ。
ただ、人は、形の無いものに心を向け難いので、昔から、神や仏を考えたのであるが、それには、AとMの音を持たせ、決して、ただの仮想のものではないものにした。
古代インドでは、宇宙に響く究極の音はAUM(オーム)だと言ったが、現代とは比較にならない直観を持つ聖者にはそれが分かるのだ。
キリスト教徒は「アーメン」と言って神やその代理人イエスを崇めた。「アーメン」とは、「あなた(神)の意志の通りに」という意味だ。
我が国、特に、江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、天照大神を崇める上に崇めた。
道綽(どうしゃく)、善導、法然、親鸞は、阿弥陀如来を心から信じ、その名を呼ぶだけで良いと言い、そのための行いが「南無阿弥陀仏」(我、心より阿弥陀如来を信じ、全て委ねる)という念仏である。
全て、AとMの音からなる聖なるマントラである。
自己への憎しみを、これらの言葉の中に投げ込むのだ。
すると、心の中のアルケミストが、心を黄金色に変換し、神の心と解け合わせる。これが、本当の錬金術(アルケミー)であり、中国でいう煉丹術である。
AとMの神を愛すれば、それと1つのものである自己を本当に愛するだろう。その時、すでにあなたは人ではない。いうならば、ヒトなのだ。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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明日のことを語る (哲学はなぜ間違うのか?)
手塚治虫へのアンサー
みっともないジェラシーを表現できるということ (ゴルフィーライフV3 〜 Face the Strength(自分のなかの強さに向き合おう))
非難することは本当に恐ろしいことだ
コンサイス英和辞典 (昭和を思い出すレトロなデザインが好き)
世間での狂い方をマスターする
持久走だ、たくましくいこう (ゴルフィーライフ? 〜 自分のなかの強さに向き合おう!)
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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