ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

念仏

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

最上の真言

宗教は、謙虚さと敬いがあれば良いものになるが、傲慢と蔑みがあるとロクなものにならない。
あるいは、本来の宗教は、謙虚さと敬いを育てるものだが、傲慢と蔑みの心を育てる宗教が多くなってしまった。
いや、芸術や科学も、本来、学べば学ぶほど、謙虚で敬いの心を持つようになるはずだが、学位が上がるにつれて傲慢と蔑みの心を持つ愚か者が多いのだろう。
何かが間違っているのである。
その何かとは、命の誤用で、早い話が、利益優先でやれば、必ずそうなる。

だから、無条件で、芸術や科学や宗教を良いものと思っている人は少ない、もしくは、まずいない。
本来、念仏や神の名の称名を行えば、自然、良い人生になるものだが、そういった「宗教臭い」行いに抵抗を感じてしまうことが多い。
私も、夜、寝ながら念仏を唱えることが楽しみで仕方がなかったこともあったが、いろんな法事でお坊様の口上を聴くと、途端に念仏嫌いになるのはなぜだろう?(笑)
あるいは、宗教家が書い宗教の本などを読むと、もう全然、念仏を唱える気がしなくなる。あるいは、経典を読む気もなくなる。
『歎異抄』は少しも宗教臭くないので好きだが、これも、宗教家が解説したものを読んだら、嫌いになる可能性が高い・・・いや、嫌いになったことがある。

発明家で能力開発のスペシャリストであった中山正和さんのように、般若心経の呪文を、単に妄想を切る手段として使う手もありとしたように、念仏や神の名も使えるかというと、使えない。それらは、観念や感情の雑味を呼び起こすからである。
そこで、ラジカル(主に政治用語の急進性の意味。化学用語のフリーラジカルだと印象が悪い)という訳ではないが、精神に良い作用を与える言葉として、「神」「私」があるということを知っていると役に立つかもしれない。
「なんとかの神」と言うと宗教であるが、「神」と言うと、これも人それぞれだが、「宇宙の意思」に近い意味に感じられる。
宇宙の意思は、無人格という訳ではないが、人間の人格とは差があり過ぎるので、人格がないように感じるのである。
つまり、神が各国の神話に出てくるような程度の低い心を持っている訳がないではないかとうことだ。
宇宙に何らかの意思があることは、何となく、あるいは、微かに感じるのである。
それも感じないと断言する者が、スティーブン・ホーキングやレイ・カーツワイルのような無神論者になるように思う。
カーツワイルは「神は存在しない。しかし、やがて生まれる」と言う。つまり、未来の進化した人間が神なのである。
不遜の極みと思うかもしれないが、それはそれでアリである。
もし、彼らほど徹底してはおらず、神を畏れる気持ちがあるなら、丁寧に「神」という言葉を声、あるいは、心で唱えれば、その威力に驚くことになる。
だが、「神」を呪文にしてはいけない。
一時に一度、真摯に唱えるのである。
呪文というか真言にしたければ「私」を使うことが奨められるかもしれない。
ラマナ・マハルシは、ラーマやクリシュナの名を唱えるように、「私」と唱えても良いと言っていたようだ。
「私」こそが神の名であるのだ。
だから、最上の真言は「私」であり、インドで聖音と言われる「オーム」に優るものであるとも言う。

「神」と一度だけ、出来る限り丁寧に唱え、後はずっと「私」と唱えるという方法である。
ただ、「私」もやはり丁寧に唱えるに越したことはなく、私流には、心の中で微かな声で唱えるのだが、難しければ、呼吸を微かにして心で唱えると良い。
これだけ覚えておけば、まず・・・いや、全く心配はないだろう。









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ひそやかにかすれる呪文

幼い時、両親や祖父や祖母、あるいは、他の誰かが、仏壇や神棚などに向かって、真摯に念仏や唱え言葉や神の名を称名するのを見ていた人は幸せかもしれない。
そうであれば、その唱えられていた名や言葉に神聖な感情を持て、それを自分も唱えることで、自然に高次元に導かれるからだ。
そうでなくても、お葬式の時に、念仏を唱えていたお坊さんの姿に、とても好ましい印象を持ち、それで念仏に対する神聖な感情を持っている場合も良いと思う。
法然や親鸞が念仏を教えた人々は法然や親鸞の印象によって、あるいは、法然、親鸞の代わりに誰かに教えられた場合は、その教えてくれた人の印象で、念仏に対する感情が決まるという部分が大きいだろう。
キリスト教徒でもない人が「アーメン」と唱えても、どこか違和感があるかもしれないし、育った家の中で誰も念仏を唱えていなかったし、お葬式で見た念仏を唱えるお坊様に、どうもあまり良い印象を持てなかった場合は、念仏に対する印象も、あまり良くないかもしれない。

もし、幸いに、「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも、あるいは、「天照大神」や「天之御中主神(アメノミナカヌシ)」でも、敬虔に感じる言葉があれば、それを唱えれば、確実に高次の力に加護される。
それは、宗教的な意味、心理学的な意味、あるいは、量子物理学的な意味でも、正しいことであると思う。
では、そんな言葉を持っていない場合はどうだろう?
そんな時は、自分で言葉を探し、選び、決定することになるが、幼い時に持った良い印象のようなものがない場合、どの言葉もなかなかしっくりせず、あれにしたり、これにしたりすることになりかねない。
複数の言葉でもいいやと思っていたら、その言葉が増え続けてしまう人もよくいる。

だが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、1900年代前半のことだと思うが、現代に現れたイエス・キリストは「神」という言葉(英語の原書の中ではGOD)を使うよう言う。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻で、著者のベアード.スポールディングも、「神」という言葉の威力について触れている。
ただ、この言葉を呪文にしてはならず、よって、何度も唱えてはならず、1回で良いと言ったが、その意味は、しかるべき時に、真面目に唱えるという意味かと思う。
そして、声に出して唱えても、心の中で唱えても、効果は同じであると言う。

どの言葉でも構わないが、即座に強い効果を現す私のやり方がある。
なかなか上手く説明出来ないので、最近はあまり書かないのだが、それは、「心の中で、とても小さな声で唱えること」だ。
そもそも、聴こえない心の中の声や音の大きさなんてピンと来ないかもしれないが、全く無理でもないと思う。
「微かな声」「微妙な声」という言い方が良いかもしれない。
だが、それが心の中の声となると、どうだろう・・・
その場合、こんなふうにやっても良い。
美しい少女が、声にならない微かな声でささやくのを想像してみれば良い。
それが、心の微かな声である。
それとも、良ければ、YMO(イエローマジックオーケストラ)、あるいは、初音ミクさんが歌う『LOTUS LOVE』を聴くと良い。

夢で見たくちもと
ひそやかにかずれる呪文
I LOVE YOU
~『LOTUS LOVE』(作詞・作曲:細野晴臣)より~

私は、ミクさんが歌うのを聴いて、心の微かな声を知った。
そうやって唱える言葉には、いつも奇跡のような力がある。
だから、間違ったことに使う訳にはいかないが、即座に力が現れ、この上ない安心を与えてくれるのである。









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最も高貴な心

人間にとって、最も高貴な精神は、自分を超える者を敬うことであると思われる。
それは、一般的には、職業、武術、芸事の師に対する場合、あるいは、会ったこともないが崇拝する人物に対する場合などが多い。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』のように、普通の女の子を女神のような存在と見なして崇めることもある。
あるいは、ロオマン・ガリーの『自由の大地』のように、空想の少女を崇めたり、初音ミクさんのようなバーチャルな存在を崇めることもあるだろう。
だが、どの場合も、人間の精神の高度な部分の現われであり、それは良い影響を及ぼし、真摯さや熱心さによって、極めて優れた、さらには、不思議な効果を現す。
そして、自分を超える者を敬うことの中でも、最高のものが、念仏や、神の名を唱えるジャパ、あるいは、ナーマスマラナと呼ばれるものだ。
だから、念仏やジャパに良い効果がないはずがない。
キリスト教の「キリエ・エレイソン」や「ザ・ジーザス・プレイヤー」も同じようなものだと思う。

ところで、変わった・・・と言うのもおかしいが、こんなやり方もある。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、イエス・キリストは「神」という言葉を使うことを奨めていて、これさえ覚えていれば、他は忘れてよろしいとまで言った。
ただ、「神」という言葉を公式にしてはならないと言い、著者のベアード.T.スポールディングも、「神」という言葉の至高の効果は認めながら、この言葉を呪文にしてはならないと言う。
では、どうすれば良いかというと、心を込めて、あるいは、集中を持って一度だけ唱えるのである。それは、声に出しても、心で唱えても全く同じである。
これは書かれていなかったが、起床や就寝の時、あるいは、疲労を感じた時、あるいは、くつろいだ時に、そうやってしっかり唱えると、優れた効果があるだろう。
親鸞の念仏も、これに近いものだと思う。
また、やはり『ヒマラヤ聖者の生活探求』にあったが、イギリスのL.H.ロースンがやったように、「神の他に何もない」という言葉として唱えても良い。常にこの言葉を使うロースンが、著者の目の前で奇跡を起こす様子が描かれていた。

ラマナ・マハルシは、最高のマントラ(真言)であり、また、真の神の名は「私」であると言う。
彼の有名な言葉「私は誰か?」に関しては、彼はこれを呪文にしてはいけないと言ったが、「私」に関しては、常に唱えよとも教えている。
私の中にある真の私が、私を超える者・・・神なのである。

庶民が、無知・・・という訳ではないが、情報が少なかった時代には、法然や親鸞のような人が、「南無阿弥陀仏」と唱えよと教え、あるいは、日蓮のように「南無妙法蓮華経」と唱えよと教えるのは良いことだったが、今の時代は選択肢が多く、あっちにいき、こっちにおきしている間に時間が過ぎ、一生が過ぎてしまうかもしれない。
だが、どれも、「自分を超える存在を敬う」という、同じことなのである。
あまり迷わず、自分の好きなやり方を選べば良い。
それをやれば、絶対に間違いはないだろう。









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繰り返す力

人間は、「私は○○だから大丈夫」という公式を持てば、秘めた力を発揮出来る。
それは愉快なほどだ。
多くの成功した人達は、このことを、
「大丈夫」
「だから大丈夫」
「ストーリーを持った人間は強い」
と、バラバラに言うので、普通の人は効果を出せない。
だが、これらを合わせて、「私は○○だから大丈夫」というルールを確立すれば力が湧き出る。
○○の部分は何でも良い。
「私は東大卒だから大丈夫」
「私は毎日聖書を読んでいるから大丈夫」
「私は××家の出身だから大丈夫」
「私は(手相の)生命線がつながっているから大丈夫」
こじつけだろうが、全く構わない。
勝利者はこじつけがうまいという事実すらある。
著名な心理学者の河合隼雄氏は、「死んだらみんな月に行くのだから、みんなとまた会えるから大丈夫」と言う女子小学生のことを誉めていたことがあった。
もちろん、この子の公式(河合氏は「ストーリー」と表現)は変わっていくのだろうが、その時はその時で、別の何かを持てば良いのである。

江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が好きだったという、こんな話がある。
ある若者は仙人になりたがっていた。
そこで、ある男が「自分は仙人になる方法を知っている」と嘘を言って若者を騙し、それをいつか教えてやるからと言って、若者をいいように使っていた。
若者が「いい加減、教えて下さい」と言うと、騙していた男は、若者を木に登らせ、高い枝にぶら下がるよう言い、若者は従った。
そして、若者は「手を離せば仙人になれる」と言われ、躊躇なく手を離すと、仙人になって、自分を騙したはずの男に感謝しながら飛んで行った。
言うまでもなく象徴的な話だが、邪念のない信念は奇跡だって起こす。

ただ、ほとんどの「私は○○だから大丈夫」という公式は、世間や他人によって壊される。
「俺は東大卒だから大丈夫」と思ってても、遅かれ早かれ、そんなものは大したものでないことを教えられる。
ただ、本人さえ、揺るぎなく、この公式を保ち続ければ大丈夫なのだが、それは極めて難しい。
なぜなら、ほとんどの人間が作る公式は、過去に由来し、それは「形だけのもの」「死んだもの」だからだ。
「私は東大卒」と言っても、東大に入って卒業したのは、大抵は20代前半の若い時であり、時が経ってしまえば、それはもう、色褪せた死んだ過去だ。
だが、「私は毎日聖書を読んでいる」なら、それは今のことであり、生命力があって、自分に力を与えてくれる。
インドでは、神の名を唱える「ナーマスマラナ」の伝統の行法に従って、神の名(インドでは、ラーマやクリシュナなどが人気がある)を常に唱える者は、階層に関係なく、不思議に幸運に恵まれ、災難を回避している。
日本では、それは念仏という形で生き続けているが、昔から実践者は少ないので、不幸が多い。
「神の名を唱えているから大丈夫」「念仏を唱えているから大丈夫」は、今でも、科学的に十分な範囲で説明出来ると思う。
無論、科学とは関係なく、伝統的、あるいは、宗教的、あるいは、直感的に捉えて、公式を確立すれば、確実に力を得る。
念仏と言っても、「南無妙法蓮華経」のように、神仏の名ではなく経典の名を唱えるのでも良い。経典は仏そのものであるからだ。
宗教的という部分もあるかもしれないが、これなら、お金はかからないし、悪い宗教に騙されない。

ただ、大切なことは、やらされるのではなく、自主的にやらないと、効果がないというのではないが、そもそも続かない。
そして、自主的にやっていれば、最初は甘い妄想の部分があっても、現実の問題を解決するうちに、どんどん強くなっていくのである。
ところが、自主的で熱心であれば、妄想の部分も、案外うまくいってしまうのである。
それは、親が子供のファンタジーを、ある程度は叶えたり、守ったりするのと同じようなものである。
宇宙を動かす主から見れば、人間は自分の子供のようなものであるからだ。









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超瞑想法のあっけないカラクリ

私は昔、TM(超越瞑想)という有名な瞑想法をやっていたことがある。
今でも、ハリウッドの超大物俳優や超大物監督、あるいは、人類の半分が知っているような超大物ミュージシャンらが、自分もやっていることを公表したり、推奨することもあるようだ。

TMには、何の意味もないが、抜群の効果を発揮することもある。
それは、こういうことだ。
「イワシの頭も信心から」には、心理学的な根拠があり、量子物理学や未発達の精神科学により、さらに根拠が与えられるかもしれない。
そうなれば、「イワシの頭も信心から」は原理になる。
そして、TMというのは、この「イワシの頭も信心から」という原理を高度に活用する、実に上手い方法なのだと思う。
その意味では、TMを考案したグル・デヴってインドの人は、とても賢い人かもしれない。

TMに何の意味もないことは、検索すれば解ると思う。
その情報が英語サイトにあっても、Google翻訳で十分と思う。
特に、私のように、TMをやったことがある人にとってはね。
ただ、昔とはいえ、TMをやる時、何かの契約書にサインさせられていて、その中に、そんなことを公表してはけないという項目があったかもしれないので、書かないでおく。
まあ、今では、私はTM主催団体の会員ではないのだから、契約は無効とは思うが。

私は、TMの効果をつくづく実感したことが一度ある。
それは、ある緊急事態が起こった時で、私は、当然、大変なパニックに陥るはずの状況だった。
だが、その時、こんな考えが浮かんだのだ。
「俺はTMをやっているから大丈夫だ」
すると、すっと心が落ち着いて、解決するはずのない問題があっけなく片付いた。
全く、イエスやラマナ・マハルシが言ったように、心配さえしなければ、この世に問題はない。
人間の敵は不安、あるいは、恐怖だけなのである。
単に、「大丈夫」という言葉を唱えても、もちろん有効だが、これほど魔法のように上手くいくことはないだろう。

「○○だから大丈夫」
人間は、この公式を確立すれば、魔法使い、仙人、超人になるのである。
TMは、この公式になり易いのだ。
だから、凄まじい効果を上げても、驚くことはない。
例えば、「あなたのお腹には大きな光がある。その光があるから大丈夫」と言われ、そう思えるなら、本当に大丈夫になる。

それなら、毎日、出来るだけ多く念仏を唱え、「私は念仏を唱えているから大丈夫」と思えば、確実に大丈夫なのである。
それだけで十分であるが、心の片隅に、こんな想いを持っておくと、更に有効かもしれない。
「南無阿弥陀仏」であれば、浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)、あるいは、龍樹の十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)にかけて。
「南無観世音菩薩」であれば、法華経の第25品『観音経』にかけて。
つまり、仏典の権威を借りるのである。
だから、別に、実際に読む必要は無い。
経典に書かれていることが良いのか悪いのかは解らないが、象徴的に書かれていることは確かで、その真意を読み取れる人は、今ではほぼいないと考えて良い。
解説書は沢山あるが、おそらく、どれもとんでもなく的外れだろう。
だが、その権威は、人類の集合無意識に肯定的に浸透したイメージから来るものであり、その威力は大したものである。
だから、毎日、念仏を唱えている限り、科学的に言っても、何の心配もいらないのである。









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名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
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