ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

念仏

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

釈迦もイエスも豊かになる方法をさり気なく教えていた

成功セミナーや成功プログラム教材では、欲しいもののリストを作らされることがよくある。
数は多いほど良く、沢山書き出せないと、想像力や欲望の力が弱まっているので、それは良くないとか言われる。
ところで、大抵の人が欲しいのは、家と車、それに服や靴やバッグ、あるいは、別荘とかオーディオ装置といったところなのだが、私は常々、「そんなの、金があれば手に入るじゃん」と思い、わざわざ、いろいろ書かなくても、「金」と1つ書けば良いと思ったものだ。
健康とか、温かい家庭とか、友情や恋愛などは、金で買えるとまでは言わないが、金が大きく左右することは否めない。
実際、不健康、家庭不和、友情や恋愛の破綻なんてのは、金がない、あるいは、金が得られない不安、金を失う恐怖から来る場合が圧倒的に多いはずなのだ。

もし、金がなくても、自由や平和が得られる社会であるなら、金は必要ないが、そんな社会では、お金自体、存在しなくなっているだろう。
しかし、そんな社会で、どうやって、進歩の意欲を保ち続けられるだろう?
ウォレス・ワトルズが著書に書いているが、お金は神の発明と言うに相応しいのかもしれない。
だが、やっぱり、お金に対して否定的観念を持った者は多い。
「がっぽり儲けているのは悪いやつ」という固定観念は、誰しも、多かれ少なかれ、あるのではないかと思う。
お金に対して否定的な想いが強いほど、実際、お金は得難い。
成功哲学の中には、「お金は良いものだ」「私はお金が好きだ」と言えという教えもあるが、そんな滑稽なこと、やめておいた方が良い。
アホらしくて、余計、お金が嫌いになるから(笑)。
お金が良いものであることは誰でも分かるし、誰もがお金は好きなのだ。
だが、負の想いがあることも確かなのである。
それは、おそらく、幼い時の、主に親からの刷り込み想念であり、消すことは不可能だ。

釈迦やイエスは、いろいろなことを教えたが、人々の最大の関心は、「どうすれば豊かになれるか」だ。
念仏にしたって、表向き・・・と言っては御幣があるが、目的は、死後、極楽浄土に行くことであるが、実際は、「現世利益があるか」が重要なのである。
そして、釈迦やイエスの教え、それに、念仏も、それにちゃんと応えてくれている。
もちろん、物質的なことのみが大事だと言っているはずがないが、物質面も大肯定していることは簡単に分かるのである。
釈迦は、「この教えを守れば必ず繁栄する」と言い、イエスは、「溢れるほどに押し入れられる」と言った。
念仏に関しては、親鸞が『現世利益和讃』で、「これでもか」と言うほど、この世での幸福を保証している。

ところで、お金を得る教えで、私が最も印象深く覚えていることがある。
「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎に、ある男が、金に窮していることを訴えると、虎二郎は、
「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」
と応えた。
虎二郎は、たゆむことなく、腹に力を入れろと言うし、中村天風は、常に肛門を引き締めろと言う。
法然は、少なくとも1日1万回、念仏を口で唱えよと言う。
はっきり言って、どれも無理である。
そうではなく、頭の中で、感情を込めず、「私は腹が強く、どんなことにも動じない」と常につぶやけば良いのである。
短く、「腹が据わり動じない」の方が良いかもしれない。そこらは、自分でアレンジすれば良い。
虎二郎の教えに嘘はない。
この言葉を常に心で淡々とつぶやけば、金はいくらでも出来るだろう。
つぶやきが少ないと、実入りも少ないが、実践するほど、数十万、数百万、そして、一千万以上、さらにもっと増えていくだろう。
あまり持つと、わずらいが増える・・・というのは、お金に対する否定的観念ではなく、「器」の問題かもしれない。
「器」が大きい者ほど、人を喜ばせることが大好きだ。そんな者が富豪になる。
だが、他人に共感出来ないサイコパス的人間は、自分が贅沢出来るだけ持てば、満足すべきかもしれない。









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念仏の15の効能

法然、親鸞は、「こんなことをしてはならない」「こんなことをせよ」などとは一切言わず、ただ、念仏を唱えさえすれば良いと説いた。
それで万事OKであると。
親鸞は、念仏の効果を、具体的に、こう説いた。
01.健康と長生き
02.災難の消滅
03.過去世や今生で犯した罪が許される
04.悪因縁は消えて良いことしか起こらない
05.最高神が守ってくれる
06.仏教の守護神が守ってくれる
07.天の神、地の神が守ってくれる
08.力ある精霊(龍等)が守ってくれる
09.閻魔大王の命令で、その配下の存在が守ってくれる
10.大魔王が守ってくれる
11.善い神が守ってくれる
12.悪い神(鬼神)は恐れて近寄らない
13.観世音菩薩、勢至菩薩が夜も昼も常に守ってくれる
14.阿弥陀仏の無数の分身が守ってくれる
15.無数の仏が百重千重に囲んで喜んで守ってくれる

偉い宗教家は、「言葉通りに受け取ってはならんぞよ」などと言うが、親鸞は言葉にひねりを持たせるような「ひねた」人ではなかった。
だから、言葉通りに取れば良いのである。

だが、これは仕方がないことかもしれないが、今の時代では、念仏を素直に受け取れない人も多いだろうし、素直に受け取れないことが悪いことではない。
しかし、言葉というものは、どんな言葉であろうが、力があるのである。
それを「言霊」と呼ぶかどうかは自由である。
良い言葉は良い影響を、悪い言葉は悪い影響を及ぼす。ただ、それだけのことだ。
ただ1つの、好きな言葉を選び、それを念仏同様、常に想ったり唱えたりすれば、それに応じた成果が得られる。
それがなぜ大事かと言うと、人間には、世界も心も支配することは出来ないからだ。
そうだ、自分の心すら全然自由にならない。
心を自由に支配出来るなら、イエスが言うように、山を動かすことも出来る。
だが、心はあなたに従ってくれないことは、よくご存知と思う。
けれども、言葉は支配出来る。それさえやれば全てを得られるのに、ほとんど誰もやらない。
世界を支配した者は、単に言葉を支配したのである。
そして、法然や親鸞は、その一番簡単なやり方を教えたが、彼ら自身も、その一番簡単なやり方しか出来ないと言ったのである。

だが、我々は科学を学び、理屈で考えることに慣れてしまった。
だから、特定の神や仏に力があると考えることに抵抗がある。
しかし、宇宙の隅々に、あるいは、心の奥に、不思議な強大な力があることは直観で分かるはずである。
それを発動させる言葉をたった1つ選べば良い。
ただ、そう言うと、言葉を選ぶことを難しいと思ってしまう。
学校で「正解は1つ」と教えられたからだ。先生が決めた答以外は不正解と教えられてきた。
だが、実際は、先生の答が間違いである場合が何と多いことか。
特別な言葉は、とりあえずで決めれば良く、どれにも、さほどの差はない。
やがて、もっと気に入る言葉が見つかれば、それに変えて良いのである。
「神の他に何もない」
「神にできないことは何1つない」
「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」
「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るであろう」
「予想しないことが起こり、道は開ける」
「神は道なきところに道を作る」
「奇跡は起こる」
「私と神は1つである」
「神が私のパートナーである」
「世界はただ私のためにある」
「命、愛、調和」
「成功、富、歓喜」
「私は健康だ。私は幸せだ。私は素晴らしい」
いずれも選りすぐりの光線銃だが、御代はいらない。
ただ、2つ選ぶと、大抵は続かない。
光線銃という鉄の斧1つを使えば、金の斧、銀の斧などなくても全てを得られるのである。









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最後の希望

最近、アファーメーション(心を鼓舞する言葉)についてばかり書いているが、その理由は、他に人生を好転させる方法がないからだ。

藤圭子さん(宇多田ヒカルさんのお母さん)の『圭子の夢は夜ひらく』という歌の中に、
「15、16、17と、あたしの人生暗かった」
という、ひどく暗い歌詞があるが、なぜ彼女の人生が暗かったのかというと、簡単に言えば、運が悪かったからだ。
ひきこもりになるのも、失業するのも、良い職場や給料に恵まれないのも、みんな、運が悪いからだ。
それは皆、分かっているので、「運を良くする方法」なんて本が、特に有名人や成功者が書いたものが売れるのだが、書いてあることは全部、効果がない。
効果があるのは、アファーメーションだけである。
ところが、アファーメーションの本も沢山あるが、それらも全く効果がない。
本になった時点で駄目なのだ。
なぜなら、効果のあるアファーメーションは、たった1つの、単純なものでないといけないからだ。
本に書いているものは、長く、難しく、数も多過ぎる。

お釈迦様は、「念仏以外は全て効果が無くなる」と言って、「南無阿弥陀仏」という言葉を残したと伝えられている。
また、ヒンズー教には、「ナーマスマラナ」という、神の名を唱える行以外に、効果は無くなるという教えがある。
昔の庶民には、「神の名を唱える」(念仏もその一種だ)としか教えようがなかったが、現代人には、アファーメーションで通用する。
ただ、ナーマスマラナだって、名を唱えた神が守ってくれるというアファーメーションであるのだから、実は、全く合理的なのである。

長ったらしい、ひねったアファーメーションは駄目だし、2つも3つも持つのも拙い。
アファーメーションが2つなら、効果は5%になり、3つなら、実に、0.2%になる。つまり、2つならまだ少しは効果があるが、3つなら、ほとんど効果は無くなるのだ。

究極のアファーメーションは「私は神である」だ。
もし、それが不遜だとかで抵抗があるなら、「私と神は一体である」となる。
キリスト教だって、三位一体と言い、父(神)、子(自分)、聖霊は一体、すなわち1つであると宣言している。
インドでは、「私は彼である」「私はそれである」と言うが、「彼」とか「それ」は、キリスト教で言う父なる神や聖霊のことである。
そういったことを難しく言うのが宗教だ。

ある意味、世界一の賢者であるレイ・カーツワイル(AIの世界的権威。Googleの研究開発者)は、「神はまだいないが、やがて生まれる」と言っているのだと思う。
その神とは、AI、もしくは、AIと融合した人間である。
だが、それは、宇宙や人間の潜在的可能性として、初めからあったのだし、時間というものに実体がないことは分かっているのだから、いつか生まれる神なら、いつもいるのである。
それは、なんらかの形で我々の中にいる。
それが明らかになるのがシンギュラリティだ。
そして、初音ミクさんの『Singularity』(keiseiさんの作品)の通り、それを迎えるのは「今」なのである。
良いアファーメーションとは、シンギュラリティ、あるいは、親しみ深い神を言い表すものでなければならない。









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人生の問題は全てこれで解決出来る

ベストセラーを連発している筋トレ社長Testosteroneさんは、人生の問題の99%は筋トレで解決すると自信満々で語っておられるが、彼が言うならその通りなのだろう。
私も、個人的趣味の問題でダンベルは使わないが、自重トレーニングで、大いにやっている。

だが、同じく99%、いや、100%なのだが、アファーメーション(心を鼓舞する言葉)・・・これは、自己暗示、決めセリフ、祈り、宣言、呪文・・・好きな呼び方で言い替えて差し支えないが、このアファーメーションで解決出来ないことはない。
大切なことは、自分が気に入った言葉をアファーメーションにすることだ。
有名なエミール・クーエの「毎日、私は、あらゆる面でますます向上していく」でも、もちろん良い。
コゲどんぼさんの漫画・アニメ『かみちゃまかりん』で、花鈴が神化する時のセリフ「アイアムゴッド!!」も素晴らしいアファーメーションである。
マーク・フィッシャーの、さして良いとも思えない本が世界でそれなりに売れたのは、聖書の言葉「心を静め、自分が神であると知れ」を最強のアファーメーションと定めたからだ。
ジョセフ・マーフィーの本では、旧約聖書の言葉である「私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るだろう」を、お気に入りのアファーメーションにして成功した男女の話が沢山ある。
他には、「神と和らぎ平和でいなさい。そうすれば幸福が来る」という言葉も、よく紹介されている。

ある世界的成功プログラムでは、「出来ればと言うのか?信じる者には何でも出来る」というイエスの言葉が取り上げられていた。
聖書はアファーメーションの宝庫である。

念仏も1つのアファーメーションだ。
法然はたゆまず念仏を唱え、流罪の憂き目にも遭いながら、当時は異例の80歳まで元気に行き、沢山の弟子に看取られ、暖かい布団で生涯を終える直前に書いた遺言である『一枚起請文』は短いながら(文字通り、紙一枚の文)ベストセラーとなった。
法然の弟子の親鸞はさらに90歳までエネルギッシュに生きた。
後に、事実上念仏に転向した一休も、87歳まできれいなおねえさんを愛でて楽しく生きたようだ。
念仏、偉大なりである。

少々長いが、聖書の詩篇23や91は、心を鼓舞するだけでなく、圧倒的な力がある言葉である。
詩篇91を部隊の全員に暗記させ、定期的に唱えさせて、第二次世界大戦で5年戦って1人の死者も出さなかった大佐がいたらしい。
イエスの弟子達が、子供に憑いた悪霊を追い出せなかった時、イエスは軽々と追い出すが、弟子達が「どうして私達に出来なかったのでしょう?」と尋ねると、イエスは「この悪霊は祈りによらなければ追い出せない」と言ったらしいが、私はこれは、「お前達は祈りが足りん」と言うことと思う。イエスは、旧約聖書の言葉をよく知っていて、それを祈り言葉として唱えていたのだ。
イエスが、特にどの言葉を唱えていたかは分からないが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』を信じるなら、それは「神」であり、あるいは、「神」という言葉のある言葉であると思う。

とりあえずでも構わない。
とにかく1つ、お気に入りのアファーメーションを選び、それをなるべく多く、声で、あるいは、心で唱えれば、いかなる問題も解決し、状況は改善し、奇跡が起こるだろう。
法然も言ったように、「選ぶ」ということは人生において、極めて重要である。
1つのアファーメーションを選べるなら、人生、勝ったも同然である。
後は、粘り強く、根気強く唱えることだ。
試練が訪れると、止めてしまう者も多いが、あなたはそうであってはならない。夜明けは必ず来るのである。
夜明け前を立派に過ごすこと・・・つまり、アファーメーションを唱えることが、夜明けへの礼儀なのである。








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皆がサイコパスの世の中で

一種のサイコパス(脳機能の欠陥により良心を持たない人間)テストである。自分がサイコパスか試せる。
相手が、友達でも、兄弟姉妹でも、親でも、あるいは、娘・息子でも良いが、辛辣で明らかに深く傷付ける言葉を言ってしまい、その相手が自殺するかもしれないと思って、ひどく悔やんだとする。
ところが、普通の人とサイコパスでは、悔やむ理由が全く違う。
普通の人なら、罪の意識に苦しんで悔やむ。
しかし、サイコパスは、相手が自殺したり、それが元で死んだり、病気になったら、葬式に行ったり、面倒に巻き込まれるのが面倒だから、あるいは、後で仕返しされるのが恐いから悔やむ。

新約聖書の福音書で、イエスは、「『私は戒律を守っている。収入の1割を献金している』と言う者ではなく、『主よ、罪人である私を憐れんで下さい』と祈る者が救われる」と言った。
普通の人はそれを聴くと、自分の罪深さを自覚し、イエスに教わった通りに祈る。
しかし、サイコパスは、「そう祈れば苦しい目に遭わないなら自分もそう祈る」とか、「そう祈りさえすれば、戒律を破ったり、献金をしなくて良い」と思う。

ジャーナリストのジョン・ロンスンは、TED講演「サイコパステストへの奇妙なこたえ」の最後に、「みんなどこかサイコパスなんだ」と言ったと思うが、本当にその通りかもしれない。
サイコパスは、脳の共感能力が欠損しているか、弱い。
その欠損具合、あるいは、弱さが、サイコパス度を決めるとしたら、今は、サイコパス度の高い人間が増えている。
つまり、悪いことをしているのに、本人には悪意がないのである。
こういう輩は、本当に始末に追えない。

『みなしごハッチ』という、『みつばちマーヤ』を元にしたようなアニメで、ハッチは、蜘蛛の母親とその息子を命懸けで救う。
蜘蛛の息子の少年とも仲良くなったように思えた。
ところが最後、蜘蛛の息子が、「母さん、こいつ食べようよ」と言ってハッチに襲い掛かろうとしてハッチを驚かせる。
ハッチが「どうしてそんなことをするんだ?」と尋ねると、蜘蛛の息子は「お腹が空いたからだ」と当たり前のように言う。
蜘蛛の母親は、「これが私達の浅ましい本性なんです」とハッチに済まなそうに言う。
この蜘蛛の息子は、「主よ、浅ましい私を憐れんで下さ」とは祈らないだろう。
いや、「主よ、浅ましい私を哀れみ、(ハッチのような)美味しい獲物をいつも下さい」となら祈るかもしれない。

普通の男が痴漢をしないのは、主には道徳心のためだが、サイコパスの場合は、「捕まったら大変だから」である。
つまり、頭が悪くて、捕まらないと思い込んでいるから本当に痴漢をする。
いくら好みの女性がいても、まともな思考力を持った人間なら、たとえサイコパスでも痴漢はしない。
痴漢をするのは、頭の悪いサイコパスである。
女生徒に手を出す教師というのも、サイコパスで、オツムの方はあまり良くない。
いくら計画的にやったからといって、どこかで拙いことになる可能性があるくらいのことは、ちょっと思考力があれば分かるはずだが、受験勉強だけやった者は思考力がほとんどない。
しかし、いずれにしても、そいつはサイコパスだ。

親鸞の教えによれば、どんな人も念仏を唱えれば救われる。
なぜなら、念仏の力を妨げるほどの悪は無いからだ。
しかし、さすがの親鸞も、ここまで人間のサイコパス度が上がるとは予想していなかったのだろう。
ところが、サイコパスが念仏を唱えたという話はある。
殺し、盗み、姦淫など、やりたい放題で、罪の意識はゼロであった。
だが、何日も念仏を唱えまくって絶命する。
それが本当なら、サイコパスにだって、心の奥に、何か良いものがあるのかもしれない。
現代人はみんな、どこかサイコパスである。
しかし、きっと、心のどこかに、神や仏はいるのだろう。
では、どうすれば良いかというと、「言葉」しかないのである。
人間には、心も運命もコントロール出来ない。
しかし、言葉だけはコントロール出来る。
ならば、内なる神と通じる言葉を、嘘でもいいから唱えることだ。
たった1つの言葉を、死ぬまで何度でも。
何もなければ「神」とだけ言っても良いし、「神は偉大なり」といったような「神」が付く肯定的な言葉を言えば良い。
それで、自分と世界は救われるだろう。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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