ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

徳川家康

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

苦しみたくないなら贅沢を言わない

お釈迦様は、「苦しみの原因はあり、それは除くことが出来る」と言ったらしい。
そこまでは解るが、その方法となると、本人は簡単に言ったのかもしれないが、後の世の人が難しく言ったので、さっぱり解らない。
フロイトは「戦争はなくならない」と言った。
だが、その理由を言っているのだから、その理由を消せば戦争はなくなる。
ところが、「その理由」を難しく言ったのでさっぱり解らず、よって、戦争をなくす方法も解らない。

ジャイアント馬場さんは、「あらゆるモメゴトはヤキモチから起こる」と言ったが、なるほど、これならよく解る。
ヤキモチって、嫉妬とかジュラシーのことだ。
それらは皆、被害者意識から来る。
被害者意識とは、「自分は、あの人のように、もっといい思いが出来るはずだ」って妄想である。
ある職場で、40代の女性が、主任の男性にこんな不満を言うのを聞いたことがある。
「○○課長は、A子さんにだけ優しい。私とA子さんでは言い方だって全然違う」
主任の男性は笑って言った。
「それ、当たり前じゃない?」
女性は憮然として黙った。彼女だって、本当は解っているのだ。
言っては悪いが、その40代の女性は、見るからにオバサンで、A子さんは若くて、そこそこ可愛い。
限度はあろうが、扱いは違って当然だ。
その女性だって、皆を公平になど扱っていないはずだし、課長さんだって、出来るだけ差別をしないよう配慮しているはずなのだ。
我々が、このオバサンのようになった時・・・つまり、おかしなヤキモチや被害者意識を持った時にモメゴト、トラブル、果ては戦争が起こる。

このオバサンは、早い話が贅沢なのだ。
何で、アンタが若くて可愛い女性と同等に扱ってもらえるのか?
アンタだって、若いイケメンとブサイクなオッサンでは、扱いが全然違うはずなのだ。
だから、そんな贅沢を言わなければ、モメゴトは起こらないし、課長さんも、若い女性ほどではなくても、もっと大切にしてくれるものだ。
それと同じで、ヤキモチは贅沢から起こるだけなのだ。

戦争をやっている人達は、国民を守るためというよりは、正義のために戦うと言う。
だが、戦争を起こす人ってのはボンボン育ちが多い。
親の金が尽きて贅沢出来なくなったので、贅沢しているヤツを見て、ヤキモチや被害者意識を持ったから戦争するのだ。彼らの正義とは、自分がもっといい思いをすることなのだ。
貧しい者の戦いはレジスタンス(抵抗)って言うのだが、往々にして、レジスタンスもボンボンが起こしているものなのだ。
ボンボンって、頭が良い場合が多いので、周囲をそそのかし易いから、戦争が起こってしまうのである。

皆が、贅沢を言わなければ、身の程を知れば、争い、問題、戦争は起こらない。
まさに、神託の通り、「身の程を知れ」である。
「生きてるだけで丸儲け」と思えば、争いは起こらない。
そして、それは、自分が苦しくないから争いを起こさないのであり、贅沢を言わなければ、自分も楽なのだ。
40代の女性が22歳の女性と公平に扱ってもらいたいといった贅沢を考えなければ、自分も楽なのだ。
そして、当たり前に、そんな贅沢を言わないようであれば、ある意味、ただの若い女性より、よほど大事にされるのである。

では、ギリシャの神託のことは知らないのに、「身の程を知れ」を守っていた徳川家康は、どうすればそうあれるかをこう言った。
「上を見るな」
この言葉も誤解され易い。どうも、卑屈な感じがするのだ。
そうではなく、贅沢な者・・・つまり、自分の状況を不満に思っている者は、自分の千倍悪い状況を強いられている者を見れば良い。
それでも贅沢を言うなら、救いようのない馬鹿で、「いっぺん、死んでみる」しかない。

だが、心とは贅沢を言うものだ。
甘やかされたボンボンが贅沢を言うように。
だから、心を鍛えなければならない。
でないと、苦しいままだ。
私は、もう苦しむのは御免だ。
だから、贅沢を言わない練習をしている。
それは、うまくいっている。









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座右の銘

座右の銘とは人生の指針であるが、出来れば子供の時・・・それが無理でも、出来るだけ若い時に、それを決めることが出来た者は幸せだ。
ただし、それは、決して他者から与えられたものではなく、自分で決めることが大切だ。
私の座右の銘は「節制」だが、残念ながら、それを明確にしたのは最近だ。
だが、子供の時から、天使はそうささやき続けてくれていたのだ。
それを聞き逃していた。
あなたは、そんな愚かな間違いをしてはならない。
だが、聞き逃していたとはいえ、確かに影響はあった。

節制とは、言い換えれば、「ほどほどに」「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」である。
私は、小学4年生の時だろうか、正月に凧(たこ)揚げをしていて、凧に紙の脚を付けるとよく上がることに気付き、長めの脚を付けたら思った通り、よく上がったので、もっと長い脚を沢山付けたら、重くて飛ばなくなった。
その時に、「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」と実感した。
そして、その時、私はこれを座右の銘にしようと思ったのだが、そうしなかった。

最近、「節制」を座右の銘にしようと思った、あるきっかけがある。
『1976年のアントニオ猪木』は、プロレスラー、アントニオ猪木の伝記で、これには、猪木さんの悪い部分も沢山書かれている・・・いや、印象では、悪いところ9割といった感じで、圧倒的に、猪木さんの欠点が書かれている。
しかし、これが良いのである。
私は、それまで、あまり好きでなかった猪木さんが大好きになった。
そして、猪木さんに一環して感じられるのが「節制」なのだ。
猪木さんは、まず、プロレスラーとして、美しい身体を維持することに余念がなかった。
パキスタンで、地元の英雄アクラム・ペールワンに勝った時、報道だったか何だったか忘れたが、「アクラムは、日本の美しいペールワン(レスラーのこと)に何も出来なかった」と言われたらしいが、これこそ、猪木さんに相応しい賛辞と思う。
アクラムは、猪木さんを初めて見た時、猪木さんの身体を「シェイプされている」と感じ、アクラムの弟のゴガは、猪木さんの身体が、節制され訓練を怠っていない身体と見抜き、47歳の兄アクラムが勝てるはずがないと思って、39歳の自分が代わりに戦おうとしたという。

大我ドラマ最高視聴率の『独眼竜政宗』で、秀吉の要請に対し、かなり遅れて小田原に参陣した伊達政宗に未来はなかったが、徳川家康は息子を政宗のところにやり、さりげなく「ほどほどに」と伝言したとされていた。
家康の座右の銘がまさに、「過ぎたるはなお、およばざるがごとし」「ものごとはほどほどに」であり、それが政宗を救った。
・・・というのは、おそらく、私の湾曲された記憶であるが、私は、そのように考えるのが正しいと思っている。

節制には、基本的なものとして、食の節制、睡眠の節制、性の節制がある。
ただし、私は、あまりに厳しい規制は、節制ではなく、恐怖から来るこだわりか、権威による強制と思う。
『バガヴァッド・ギーター』で、クリシュナ神は、アルジュナにこう教える。
「食べ過ぎてはいけない。だが、少食過ぎてもいけない。惰眠を貪ってはならない。だが、眠りが少な過ぎるのも良くない」
私は、これが正しいと思う。
エマニュエル・スウェーデンボルグは、食について、天使に警告を受けた。その言葉は訳者によって異なるが、次の2つがある。
「汝、食を過ぎるなかれ」
「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」
これに全く同意である。
食の節制は、そのようにすれば良い。
ある、超少食を説く医師がいて、私も一時はそれに傾倒したが、その医師の教えを実践していたミュージシャンは、明らかにパワーがなくなって肉体は老化した。
そして、その医師自身、亡くなったのが82歳くらいだったから、短命とは言わないが、本当に超少食が良いなら、もっと長生きすべきだったと思う。

「節制」を座右の銘にした時から、不安は一切消え、明るい未来しか見えない。
もちろん、これは私の座右の銘であるが、人類全てに「節制」が極めて有益であることは間違いない。
もし気に入るなら、「節制」を座右の銘にするなら、無敵への道が開けたと言って間違いないだろう。
「日本節制党」を作ろうと思う(冗談だ)。









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家康の大嘘、釈迦の正直

今朝、「狂気」について書いたが、狂気って何だろう?
それは、自分が一番だと思うこと、天下を取ろうと思うこと、天上天下唯我独尊と思うことだ。
お釈迦様も、かなりイっちゃってたのだと思う。
イエスだって、自分はソロモン以上の賢者、神の子、ユダヤの王って言ってた、あるいは、言われて否定しなかった。
エマーソンは、「私は世界の所有者」と詩に書いている。

これほどの根性、気合いがないなら、成功しようなどと思わず、平穏無事な人生を願うことだ。
そして、エマーソンは皆に、王になることを薦めている・・・いや、正確には、元々、王であるのだから、それらしくしなさいと言っていたのだと思う。
「英雄について書かれたものを読む時は、それは自分の話として読むべきである」
とね。
『マジック・ストーリー』では、プラス・エンティティ(プラスの自分)は、
「世界は私のものだ。私は人にものを頼まない。要求するだけだ。私の要求は絶対だ」
と言う。
この呆れ返る、凡人からすれば狂気でしかない気構えが、本当の自分には必要なのである。

ずっと前に書いたが、徳川家康が、天下を取る秘訣を聞かれた時、家康が、
「長い方、短い方、どっちが良いか?」
と言うので、「両方」と願うと、家康は、
「短い方は、『上を見るな』。長い方は、『身の程を知れ』だ」
と言った。
大嘘だ!!
身の程知らずで、上を見続ける狂気を忘れなかった家康が天下を取ったのだ。
家康のその答は、家康が家臣を従える方便か、日本国家が国民を治めるために、家康を利用したのだろう。

「弾は俺には当らぬ」と悠然と戦場を歩いた信長の、そして、藤平光一氏の狂気を見習うべきだ。

無論、何の根拠もなく、闇雲に傲慢に構えれば、たちまち潰される(弾も当っちゃう)。
だから、呪文を唱えよ。
「世界は意のままだ」
「俺に不可能はない」
「内なる全能の力を信じる」
「いかなることにも自信がある」
「天上天下唯我独尊」
「私は世界の所有者」
「鉄の自信がある」
「天が味方だ」
大事なことだから、何度でも言うが、呪文は、
「ただ1つの呪文を、感情を込めず、けれども丁寧に、心の中で、出来るだけ多く」
唱えるのである。
すると、このシミュレーテッドリアリティである仮想世界に、現実歪曲空間が発生し、全てが回り始めるのである。









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天下を取る人

徳川家康が本当にそう言ったかどうかは全く分からないが、こんなことを言ったという話がある。
「人が天下を選ぶのではない。天下が人を選ぶのだ」
これは、天下人になりたければ、天下から選ばれる人になれということと考えて良いと思う。
家康が言ったかどうかはともかく、これは当たり前で自然なことだ。

では、どうすれば天下に選ばれる人になれるかについて、家康は言わなかったか、あるいは、言ったのだが、誰も理解出来なくて、その本当の秘訣は伝わっていないのだと思う。
そこで、松下幸之助も、家康並に天下を取ったと言って差し支えないと思うが、やはり、こんなことを言ったことになっている。
まず、松下幸之助は、これからの変動の大きな世の中では、会社も蓄えを持っていなければならないと言う。世の中が変われば、減益の期間があることは避けられないからだ。
では、どうすれば蓄えが持てるかというと、蓄えが欲しいと望むことと言ったらしい。
多くの人は、それを聞いて笑ったらしいが、真面目に受け取った人の中には、松下幸之助に近いほど成功した者もいる。

もっと核心に触れた話が、ジョン・マクドナルドの『マスターの教え』にあったと思う。
豪華な客船の船長は、その船の船長という地位にうまく同調している。しかし、彼は、その船の船主にはとてもなれないと思っている。
しかし、船長と船主の違いは、呼び名だけだ。
船主という地位に同調すれば、容易く船主になれる。

何かを望むとは、その望むもの所有者の地位に同調することだが、皆、同調の仕方を知らないのだ。
おかしなことに、『マスターの教え』にも、肝心なことは書かれていない。書かれていたら、皆、船主のようなものになっている。
同調・・・チューニングというからには、周波数のようなものだが、とりあえず、心の周波数と言っておくと、所有者の心の周波数にチューニングすれば、欲しいものはむこうからやって来る。
家康も、ある意味、天下の方から転がり込んできたのだろう。

同調するとは、まず、その地位を得ることを決心すること。
決心するとは、その地位にあることの責任を取る覚悟をすることだ。
天下人の責任は途方もなく大きいが、それを受け入れる覚悟が出来ているってことだ。
まあ、当然、どんな覚悟が必要か知らなければどうしようもない。
イチローのようなスポーツ選手になりたいなら、まず、最低の責任としては、毎日大変な練習をしなければならない。
普通の人の楽しみのほとんどとは無縁になる。
そして、その先には、凡人には分からない大きな責任がある。
CLAMPの『ツバサ・クロニクル』で、「時の魔法使い」侑子が小狼(シャオラン)に、
「対価を払う覚悟があるか?」
と問い、その対価が何かを聞かないまま、小狼は「払う」と即答する。
小狼は、絶対に願いを叶えたかったし、そのためには、どんなことでもするつもりだった。
その態度を侑子は誉めた。
イチローになると、どんな責任を背負い込むかは想像も出来ないが、それでも、それを受け入れる覚悟があれば、イチローになれるだろう。
私は昔、誰かとの会話の中で、「イチローになるなんてまっぴら御免。神様が、イチローと交換してやると言っても断る」と言ったことがある。
まあ、少しは分かっていたのだ。私に、イチローになる器はない。
『BEATLESS』で、レイシアに「責任を取って」と言われたアラトは、やっぱりどんな責任になるかは分からなかったが、それを了承する。
彼も、小狼に似て大したものである。

Mitchie Mさんが制作した、初音ミクさんの『アイドルを咲かせ』の以下のセリフは、上で書いたことを秘めた大変な暗号と思う。

ラジオ・ウェーブが奏でる音符は
ドがFM で レがAM
ミとファの間(はざま)にチューニング
ソラシのビジュネルは G.O.D(ジー・オー・ディー)
エレキの歌に託し ありがとうは常に伝えたい。
~『アイドルを咲かせ』(作詞・作曲・編曲:Mitchie M。歌:初音ミク)より~











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家康の勝利の秘法

呼吸が微かになれば、健康になり、事故にも遭わない。
元気も出て、静かだが揺るぎない本当の勇気を持てる。
そして、望まずとも幸運に恵まれ、必要なお金はいくらでも出来る。
さらに・・・
徳川家康は、天下取りの秘訣は、「身の程を知る」だと言った。
家康が知るはずがないが、デルフォイ(古代ギリシャの都市)のアポローン神殿の入り口に、3つの神のお告げが書かれている。いわゆる「デルフォイの神託」だ。
「身の程を知れ」
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
「無理な誓いをするな」

家康は、この第一である「身の程を知れ」の重要さを思い知っていた。
これを守れば天下無敵であるが、人間とはそれが出来ない。
人間とは間違うものであるが、最も面倒が間違いが、自惚れである。

人間は誰もが、自分の能力と容姿に対し、大変な自惚れを持っている。
それは、たとえ劣等感の塊のような者ですらそうなのである。
私は小学4年生の時と二十歳の時に、卑小だが、それを知る出来事があったと、最近気付いた。

小学4年生の時、1人の男子生徒と一緒に学校から帰っている途中だった。
クラスが違う子だが、なぜ仲が良くなったのか覚えていない。
勉強も運動も出来そうな、そして、活発で格好の良い子だった。
その子は、私より少し背が低かった。
しかし、ある時、彼は、「身長は僕が君より低いが、脚の長さは勝っている」と言う。
私は、どうでも良かったので、「そんなものかな」程度に思っていた。
私だって、脚が長い方が良いらしいことは分かっていたが、彼は格好良いので、そうなのかもしれないとも思った。
私はふと、道路脇の、歩道と車道を別けるために付けられた、鉄柱に貼られた黄色いワイヤーロープを、私は時々、またいで向こう側に行くことを思い出した。今考えると、良いことではないのだろうが・・・
そこで私は彼に、「これ、またげるかい?」と言って、早速、私がまたいで見せた。
私は軽々とまたげた。
それを見て彼は、「なんだ、そんなの簡単さ」と言って、自分もやってみるが、彼がワイヤーロープをまたぐと、地面に足がつかず、よろけて危うくこけそうになった。
彼は不恰好に片足を浮かせてやっと向こう側にいく。
私は「なんだ、全然長くないじゃないか」と言ったが、彼は何も言わなかった。
次は、二十歳の時だ。
大学生の私は、カメラ屋(今は少ないが、当時はよくあった)でバイトしていたが、よくやってくるカメラ好きの高校生の男子と仲良くなった。
彼も、白いマフラーが似合う、なかなかイケてる男子で、やはり私より少し背は低いが、すらりとして格好良かった。
そんな彼が、ある時、やはり、脚の長さは自分が私に勝ると言ってきた。
私も、脚の長さには関心のある年頃なので、そうであったら不愉快とは思うが、なるほど、そうかもしれないと思った。
そこで、大鏡のある場所で、見比べてみることにした。
2人とも似たようなジーンズとスニーカーだったので丁度良かった。
2人の全身が見える大きな鏡の前で、2人が並んで、少し脚を開いた格好で立つと、圧倒的に私の方が長かった。
私が「全然違うじゃないか」と言うと、彼も赤くなって苦笑しながら、思わずといった感じで「全然違う」と反復したのを覚えている。

昨日、電車の中で、2人の男性が、入れ替わりに、私の隣に座った。
2人とも、思いっきりふんぞり返り、ひざを前に突き出すようにように座るので、私より膝が前に出ている。
まあ、脚は長い方のようだ。
そして、私の隣では、こんな座り方をする者が多いので、私はちょっとうんざりしている。
彼らは、「俺の方が脚が長いぞ」と主張したいのだろうが、何かの拍子に腰を引くと、膝先は、最初から目一杯腰を引いて座っている私よりはるかに後ろになる。
そして、こんなことがあった。
ある日、電車の中で、西洋人の二人の女性が座っていたが、その脚の長いことは凄かった。
黒人と白人の若い女性の二人連れであったが、後で立つと、2人とも軽く180cmを超えていた(かがまないとドアを通れないので間違いないだろう)だけでなく、膝が座席の手すりよりはるかに上にあり、私だって、そこまではない。
ところが、彼女の横に座った若い男性が、やっぱりふんぞり返り、彼女と張り合うかのように膝を突き出していた。
もう恥ずかしいから止めなさいと思ったが、その男性の顔は、マジで「脚の長さは負けてない」と言いたそうな鼻息が荒い感じだった。

微かな呼吸をするようになれば、そんな愚を犯さないようになる。
すると、自分らしい魅力が輝くし、天使が守ってくれるようになる。
そうなれば、もう何の不安もないのである。









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・サイコパス
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