ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

微かな呼吸

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

英雄になる方法

憧れている人物を真似れば、そのような人物に近付けるという話がある。
それは本当だが、多くの人は勘違いする。
まるで、物真似芸人のように、その人物の真似をしても、何にもならない。
それで本物になれるなら、一流の物真似芸人は、彼らが真似しているスポーツ選手や歌手のような大スポーツ選手、大歌手になるはずだが、そんなことはあり得ない。
普通の人なら、いくら大人物の真似が上手くなっても、せいぜいが、宴会やかくし芸大会の人気者になれれば合格だろう。

しかし、何か困難な問題にぶつかった時、「あの人ならどうするだろうか?」と考えることには意味があるかもしれない。
ただし、もちろん、そのためには、あの人(憧れる大人物)のことを、ある程度理解していることが必要だ。
しかし、別に、その大人物が書いた本を読んだり、鞄持ちをして四六時中接していなくても、人間の感覚というのは大したもので、澄んだ心で、その人物の雰囲気を感じていれば、かなり、その人物のことを、心の奥では理解出来るものなのである。
また、遠い過去の人で、映像すら見ることが出来ず、声の録音がない場合でも、その人が書いたものや、インタビュー記事があれば、直感的にその人のことが分かる。心静かに見ればね。
釈迦のことが知りたければ『スッタニパータ』を読めば、イエスのことが知りたければ『新約聖書』の福音書を読めば、彼らのことがかなり分かるだろう。
それらの書物は真実を伝えていないという話もあるが、そう思うのであれば、初めから、釈迦やイエスへの憧れは出てこないだろう。
そして、これらの書物は、完全ではないにしろ、十分に、釈迦やイエスの真実を伝えている。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、「英雄の話を読む時は、自分のことが書かれていると思え」と、目の醒めるような教えを残している。
『スッタニパータ』や『新約聖書・福音書』を読む時、それは、自分のことを書いていると認識しなければならない。
ただし、呼吸を微かにして読むなら。
呼吸が微かであれば、おかしな妄想を起こすことはない。
無論、他の大人物について書かれたものを読む時も同じである。









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苦しかった運動が楽になる呼吸法

私が、なるべく呼吸をしないことで得られる威力をあからさまに感じるのは、毎日の日課になってるヒンズースクワットだ。
ヒンズースクワットは、スクワットの一種で、自分の体重だけを負荷とするもので、私のやり方は次のリンク動画のものと同じである。
●三澤威の【プロレス式】脚編1ヒンズースクワット
ヒンズースクワットは、効果は高いが、欠点は、単調で辛く、長続きしないことだと思う。
そこで、無理せず、毎日、たとえ10回でもやれば、やらないのとは偉い違いになるし、30回なら効果を実感出来ると思う。
私も、少し前は、150回までなら継続は難しくなかったが、200回となると、毎日やるのが億劫で、一番重要と思う継続のために、ある時期までは100回、それ以降も150回までとしていた。
しかし、鼻で少しの呼吸をするよう心掛けてやると、300回でも楽にやれることが分かった。
口は堅く閉じて、口で決して呼吸せず、軽く浅く息を吸い、ややゆっくり息を吐く・・・これだけで、非常に楽で、身体を軽く感じるのである。
その科学的根拠は、呼吸を少なくすることで、血液中の赤血球(もっと正しくはその中のヘモグロビン)が持つ酸素が、身体の必要な箇所(脳、臓器、筋肉)に十分に送られるからである。
一方、口で呼吸して、結果的に大量の空気を吸うと、酸素が必要なところに十分に送られないのである。
また、口で呼吸すると、冷たく、汚れた空気を気管に入れてしまい、喉や気管を痛めてしまうと思う。
私は、平日は、毎晩ヒンズースクワットを200回、休日は300回を、よほどのことがない限り、1年365日、1日も欠かさず行っているが、特に、根気も克己心も必要としない。
やがて、平日300回、休日500回くらいにはなるかもしれない。

私は、他にも、腕振り運動(後ろに振る時に力を入れるやり方と、前に振る時に力を入れるやり方の2種類)、腕立て伏せ、ストレッチ、そして、武術のトレーニングを行っている。
私の武術は、素人がやっても威力がある、とことん合理的なもので、様々な武道や護身術を参考に作り上げたものだが、やばくてスパーリングなどは出来ないと思うし、格闘技の試合では、明確なルール違反、あるいは、暗黙にやってはならないことになっているもので、試合で使えば、たとえ反則負けにならなくても、試合をさせてもらえないという危険なものだ。
あくまで、いざという時のためのもので、一生使わずに済めば何よりというものである。
有名な空手家の大山倍達さんが、著書に「空手が地上最強であるのは、目潰しと金的攻撃があるから」と書かれていて、私は、その率直さ、正直さに感動し、大山さんは信頼出来る人だと思ったものである。
ただ、目潰しと言っても、人差し指と中指を立てて相手の目を突くなんて、当らないし、外れたらこっちが指を怪我する以前に、いかに緊急時でも、理性が残っている限り出来ないと思う。だから、全く違うやり方を考えた。
金的攻撃も、そうそうは当らないし、素人のキック自体、よほどうまくやらないと有効でない。私は、その「よほどうまく」キックする方法を考えたのである。
武術の訓練は、戦闘力を高めると共に、やはり、身体機能の向上や美容のために良いし、何より爽快なので、これも、毎日欠かさず行っている。
そして、これも、口で呼吸する癖があった時は、やっているうちに、はーはーぜいぜいとうるさい呼吸をし、トレーニングしているという実感は得られるかもしれないが、すぐに疲れて、また、トレーニングの効果も少なかった。
しかし、やはり、微かな呼吸と共にやることで、毎日、楽々とやれ、素晴らしい身体に変化していっているのが分かる。
全て、狭い部屋の中で出来るもので、これが私のプリズナー(囚人)トレーニングである。

そして、微かな呼吸は、身体の運動だけでなく、あらゆることで万能の力を発揮するが、微かな呼吸を会得するには、運動でやるのが非常に簡単で効果的と思う。









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ゆっくり丁寧に

焦(あせ)るということには、何も良いところがない。
一方、落ち着けば、全てがうまくいく。

映画『怒りの荒野』の有名な「ガンマン十戒(ガンマン心得十ヶ条)」の6番は「危険な時ほどよく狙え」であるが、もちろん、危険でなくてもよく狙わなければならない。
平時によく狙わない者が、危険な時によく狙えるはずがない。
よって、いつでもよく狙わなくてはならない。
そして、よく狙うとは、やはり、落ち着いて狙うということだ。

焦り過ぎると大抵のことは失敗するという。
だが、本質的には、焦ると全て失敗する。
失敗したければ焦ると良い。
失敗したくなければ、焦ってはならない。

急がば回れと言う。
焦って回らずに行くと、落とし穴に落ちてしまう。
落ち着けば、回れば良いことが見えてくる。

落ち着くとは、丁寧にやるということで、丁寧にやるためには、ゆっくりやらないといけない。
「ゆっくりやっている暇はない。速くやれ」とよく言われてきたと思うが、落ち着いて丁寧にやった方が、結局は断然速いのである。

酒は百薬の長とか。
落ち着いて、丁寧に、ゆっくり飲む酒はそうである。
だが、焦って、せかせか飲む酒は毒でしかない。
タバコですら、丁寧にゆっくり吸えば身体に良いくらいだ。
ゆっくり丁寧にやる悪いことは、焦ってせかせかやる善行より優れているものである。

丁寧にやるとは、味わいながらやるということだ。
腕振り運動やスクワットも、1回1回、味わいながらゆっくりやれば、最大の効果が得られるが、あせってせかせかやると、効果がないばかりか、身体を痛めてしまう危険すらある。
プロスポーツ選手が練習中に身体を痛めるのだって、落ち着きがないからなのだ。

いかなる願いも、必要なことは全て自発的に行う決意を持てば叶う。
決意も、ゆっくり、丁寧に、味わうべきものだ。
決意ほど美味しいものはないのだから。
決意は、心で儀式を行うように、落ち着いて、深く、静かに、丁寧に、ゆっくりやらなければならない。
そもそも、儀式とは、決意を固めるために行うものなのだ。

そして、自分そのものが、落ち着き、丁寧で、繊細であるめたには、呼吸を丁寧にゆっくり行うことを、普段からやっておくだけで良い。
丁寧にゆっくり呼吸する者を、宇宙も丁重に扱ってくれることだろう。









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現実として人間には生まれつきの優劣がある

お釈迦様は『涅槃経』で、伝統を重んじることの重要性を説き、伝統を大切にする国は決して滅びないと言ったようだ。
だが、私は、ある良いことを覚えていた。
『魔法騎士レイアース』というアニメの番外編である、OAVアニメ『レイアース』で、地球を守護する3つの聖獣を纏(まと)った3人の少女の心が1つになった時、遂に、レイアースという最強の存在が現れる。
レイアース・・・ray(光線)+earth(大地・地球)・・・「輝く大地」何とも良い言葉だ。
そして、その時、少女の1人が呟く。
「伝説の力」

お釈迦様の言う通り、伝統には力がある。
ただし、それが伝説と言えるほど古い場合だけだ。
たかが数十年や、せいぜい3百年程度の、「我が社の伝統」「我が校の伝統」なんてものに何の力もないなかりか、害悪がある場合も多い。
ただ、その「我が校の伝統」が、何か別の、数千年の伝統に根ざしている場合は別だが、校長や社長が口を酸っぱくして唱える伝統なんて、大抵馬鹿げたものだ。
力ある伝統は、少なくとも、2千年の歴史がなくてはならない。

では、紀元前13世紀から存在すると言われる、インドのカースト制度はどうなのかというと、今知られているカースト制度は、政治的に利用されたもので、本来のカースト制度とは違う。
『バガヴァッド・ギーター』でも、神クリシュナはカーストを認めているが、人間には、確かに生まれによる差異はある。
だが、生き方によって、次の生でのカーストは異なってくる。
もしかしたら、よほどの場合には、生きているうちにカーストの変更もあるのかもしれないが、少なくとも、人間というのは、根本的な違いがあることは否定できない。

私は、子供の時から、優れた人間と、そうでない人間との違いを強く意識していた。
それは、努力でどうなるというものではない。
とにかく、根本的に違うのだ。
私は、優れた人間を羨む者で、優れた人間のことを「優良星人」、自分のことを「不良星人」と呼んでいたが、正直言うと、私より劣る種も存在することは分かっていた。
だが、本来は、優良なグループの方が責任が重く、優良であることを、自分のためだけに使えば、次の生に行くまでもなく、その生で酷い惨めな状態になる。だが、それは罰というよりは、気付きを与えるための宇宙の愛のようなものである。
よく、成功法則の指導者が、自分の高い実績を示し、「私ができるのだから、君たちにもできる」などと言う者がいるが、それは優良星人のたわごとだ。
できない者には、逆立ちしたってできないのだ。
しかし、できることはできるのだし、自分にできることをすれば、幸せになれる。
『ウルトラマンティガ』でダイゴが、『美少女戦士セーラームーン』で地場衛が言ったように、「僕は人間だから、自分にできることをする」「俺たちはできることをしよう」というのが正しい態度である。できることをしない者に待っているのは地獄である。

だが、口で呼吸する優良星人を、鼻で呼吸する不良星人が超えてしまう。
呼吸がより微かな不良星人は優良星人に優る。
なぜなら、鼻で微かな呼吸をすれば、魂は心も身体も脱ぎ捨てる。
優良星人、不良星人といえども、魂に違いはないのである。

心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂
無くしてた熱情が 指先から流れ出した
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M、歌唱:初音ミク)より~









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やばい状況を悠然と乗り切るには

昔、ある超一流セールスマンの本で読んだ、こんな話をよく覚えている。
アメリカだったと思うが、そのセールスマン氏が滞在していた場所で、素晴らしいショーが行われることが分かり、セールスマン氏は、一緒にいた友人に、「出来れば見たいものだね」と言った。
そのショーは、テーブル席で見る高級なもので、誰でも予約出来る訳ではなく、それなりの地位の人物専用であるようだった。
しかし、友人は、「では行こう」と言う。
セールスマン氏は戸惑ったが、何かを感じて、友人に従うことにした。
高級クラブに到着すると、友人は守衛に愛想よく手を振って、門を入る。
セールスマン氏は友人に、
「ここは君の馴染みのクラブなんだね?」
と尋ねると、友人は、
「いや、初めて来た」
と言う。
高級なカーペットが敷かれた廊下を友人は颯爽と進み、地位の高い従業員らしい人物に出会うと、
「ショーの会場はどこだね?」
と堂々と尋ね、案内をさせる。
会場に着くと、客を迎えるマネージャーらしき者を見つけて悠然と近付き、
「マネージャー?」
「イエス」
「テーブルツー」
と命じる。
一瞬戸惑ったマネージャーだが、すぐさま部下を呼び寄せて、
「テーブルツー」
と命じ、命じられた部下は従業員に、
「テーブルツー」
と命じ、命じられた従業員は、すぐさま、2人がかりで、どこかからかテーブルを運んできて、テーブルクロスをひき、椅子をセットした。
そして、2人はブランデーを飲みながら、快適にショーを楽しんだのだった。

これに近い話は、ジョン・マクドナルドという人物が書いたとされる『マスターの教え』という本にもある。
マスターと呼ばれる人物が喫茶店に入ると、従業員は彼を非常に丁重に扱い、店を出る時、マスターは請求書にイニシャルだけをサインしたが、実は、マスターがその店に来たのは初めてだった。
マスターは、「正しい態度でいれば全て思い通りになるということを君に見せたかっただけだ」と言う。
あるいは、フレデリック・ヴァン・レンスラー・ダイの『マジックストーリー』(『人生を変える魔法の物語』と題された同じ本の電子図書もある)では、昨日までロクデナシだった男が、そんなことをやってみせる場面がある。

セールスマン氏の話を読んだ数年後に私は中国でこんな経験をした。
散策をしていたら、どこか知らないが、普通の処ではない、立派な作りの場所に入り込んだ。
歩いていると、なんと、銃を抱えた番人がいる。
どうも、入ってはいけない、拙い場所に来てしまったようだ。
そういえば、ここらは、そんな場所があるから気をつけるよう、商社の人に言われていたような気もする。
しかし、セールスマン氏の話を覚えていた私は、そのまま真っ直ぐ歩き、番人に悠然と近付くと、漫然とした笑顔で「ニイハオ」と言うと、番人は直立不動になって慇懃な笑顔で挨拶を返してきた。
私は、なんとか出口を見つけて出ていった(笑)。
後で商社の人にそう言ったら、「危ないことしますね」と呆れられた。
ちなみに私はその時、20代前半だった。

もちろん、未熟な人間が、狙ってそんなことをすべきではない。
だが、必要な時は、しかるべき態度が必要だ。
そして、しかるべき態度をする時は、ほぼ呼吸をしないことだ。
そのためには、普段から、微かな呼吸をするよう心掛けることである。







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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
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