ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

微かな呼吸

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

仙人に成り急ぐと死ぬしかない

呼吸が微かになれば、あなたは勝利するし、願いを叶える。
まるで駄目男君(30代の人生の完全な落伍者。私の職場にいる派遣の雑用係)ですら、もし、呼吸を微かにすれば、人の上に立てるのである。

昔の優れた剣士同士の対決はこうだった。
2人が対峙すると、実力が劣る方の呼吸が荒くなる。
一方、強い方の呼吸は全く変わらないか、ますます静かになる。
よって、もはや剣を交わす必要はなく、無用な殺生をせぬまま2人とも立ち去った。
勝った方に驕りはなく、負けた方は相手を敬った。
だが、利益が絡むと、いかに達人とはいえ呼吸が乱れ、そして、切り合い、多少の実力差なら、時の運で勝負が決まった。

微かな呼吸を、呼吸法と思い違いする人が多い。
両者に何の関係もない。
微かな呼吸とは、単に、呼吸しないことに近いだけだ。
もし、願いが叶わないなら、さらに呼吸を微かにすれば叶う。
ただし、身の程を知らない望みであれば、それを叶えるに相応しいほどに呼吸を微かさにしていくと、身体が耐えられずに死んでしまう。
それでも、どうしても叶えたいのであれば、命を賭けてみるのも良いかもしれないが、そんなことは無い方が良いのである。
呼吸の微かさで全てが決まる。
脅威の力を持った仙人は、多くとも1時間に数回しか呼吸をしないが、並の人間がそんな真似をすれば、やはり死んでしまう。
徐々に呼吸を微かにしていくしかないのである。
そのためには、ある程度の食の節制や鍛錬も必要と思う。
腕振り運動は、そのためにも非常に良い秘法である。









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一本足打法と一指禅

王貞治さんという、日本のプロ野球でホームランを868本(一軍のレギュラーシーズン)打った人がいる。
彼は、「一本足打法」という、ピッチャーがボールを投げる時から左足一本で立つ(彼は左打者)という独特の打ち方を、デビュー4年目から引退するまで続けた。
ところで、もっと不思議に思われても良いようなものだが、それほど凄い打撃方法であるなら、もっと沢山の人が一本足打法をやっても良さそうなものだが、他に一本足打法で知られる選手は、ほぼ皆無であると思う。
これに関しては、まあ、「難しいから」というのが理由になっているのだと思うが、本当のところを言うと、この打撃方法には、打撃としての合理性がないからで、実際には確実に不利になる打撃方法と言って間違いないと思う。
野球、そして、バッティングが本当に分かっている人なら、一本足打法を選手に薦めたりは絶対にしないと思う。
王さんだって、別に、論理的に効率が良いから、この打撃を続けた訳ではないはずだ。
それでも、王さんんは、この打撃のおかげでホームランをあれだけ打てたことも確かである。

一本足打法の何が良いのかというと、一本足になることで、呼吸が自然に止まることだ。
息を止めるというのではなく、空気の出入りがなくなるのである。
例えば、普通でも、驚いた時や感動した時に息が止まるのと似ている。
正確には、一本足になっても、呼吸が完全に止まっているというより、呼吸が極めて微かになっているのだろう。
呼吸が消えれば、内部に宿る潜在能力が引き出されるのである。
きっと、王さんがスランプだった時というのは、一本足になりながらも、余計な呼吸をしていたのだろう。

禅の公案の話であるが、中国に倶胝(ぐてい)という和尚さん(お寺で一番格上の僧。住職)がいた。
倶胝は、いかなる相談の質問をされても、右手の人差し指を一本立てるだけであった。
倶胝は、この指を一本立てる「一指禅」を、彼の師匠の天竜から教わり、臨終の際には、
「天竜先生に教わった一指禅を一生かかっても使い切れなかった」
と言ったことになっているようだ。
ある時、倶胝の寺の小坊主が、倶胝の真似をして、右手の人差し指を立てたのだが、それを聞いた倶胝は、その小坊主を呼び出し、小坊主の右手の人差し指を切り落とした(あくまで架空の話だ)。
泣き叫んで出て行こうとする小坊主を呼び止めた倶胝は、右手の人差し指をすっと立てた。
その瞬間、小坊主は悟った。

この禅の公案(問題)は、「このお話の意味は?」である。
そして、昔から、偉い先生達が、いろいろな答を述べているが、全部不正解である。
答は、王貞治の一本足打法と同じで、指を一本立てることで、呼吸が消えるである。
小坊主は、倶胝が指を立てるのを見て、頭の中で自分の(既になくなった)指を立て、呼吸が消えたのである。
人の動作を頭の中で真似るのは、脳のミラーニューロンの働きである。
ミラーニューロンは特に手の動きを真似やすいという説もあり、実に科学的な公案である。

人差し指をすっと立てながら、呼吸を荒くすることは、普通出来ない。
人差し指をすっと立てれば、呼吸は消える。
あなたも、知恵や能力が必要な時には、人差し指をすっと立てれば良い。
それが出来ない状況の場合は、頭の中で、人差し指をすっと立てる想像をすれば良い。
よほどの緊張状態にある場合を除き、呼吸は消え、それで万事うまくいく。
もし、強い緊張状態にあるなら、指に精神を集中すれば良い。ただし、集中するのは、あくまで意思であり、指やその他の筋肉に力を入れては、さらに緊張するだけである。王さんですら、それでスランプになったのだ。
まあ、王さんのように注目を集めたり、あれほどの期待や重責を背負う人は滅多にいないので、普段からやっておけば大丈夫だろう。
トランプ大統領の場合は、右手の親指と人差し指で輪を作って少し動かすが、あれも同じなのである。あれがやり易いと思えば真似すれば良いだろう。
私は、『ミクの日感謝祭』のライブ(3つある)で、『StargazeR』を歌う可憐な初音ミクさんが、最初のところと最後のところで、右手の人差し指をすっと立てるのを真似るつもりでやっている。









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誰もが救いようのない面を持っている

法然や親鸞は、
「どれほど悪い人間、腐った人間、穢れた人間、程度の低い人間でも、念仏さえ称えれば全然OK、幸せになれる」
と言ったのだ。
しかし、そんなことを言ったら、
「極悪非道な犯罪者でも、念仏さえ称えれば、それで良いのか?」
と口角泡(こうかくあわ)を飛ばす人が必ずいるだろう。
いや、浄土宗や浄土真宗の人達にだって、「それは法然(親鸞)の教えの間違った解釈だ」と言われるかもしれない。

だけどね、私は、どれほど凶悪な、残忍な、異常な犯罪者を見ても、そいつらが、私とそんなに違っているとは思えないのだ。
少なくとも、私の中にも、そいつらと同じ部分はあると確信する。
普段は親切な良い人が、戦争では、侵略した場所で物凄く残酷になったりするのも、誰しもがそうであることを示している。
(ただし、太平洋戦争中、日本軍は厳しく兵士を管理していたので、日本軍兵士が海外で残忍な行為をすることは、なかったとは言わないが、非常に稀だった)
ダークな面が表に出れば、人間、そんなに変わらない。
だから、『スター・ウォーズ』に登場する超人ジェダイの騎士も、彼らだって必ず持っているダークサイド(闇黒面)を制御する才能や訓練が重要視されているのだと思う。
『禁断の惑星』では、地球人類より数万年も進歩したようなアルテア第4惑星の人類が、精神を実体化する装置を作った時、やっぱり自分達の中にあった暗黒が具現化し、その星を滅ぼしたのである。

念仏は、そんな人間の中の闇黒面を昇華する、極めて優れた方法でもあるのだ。
しかし、現実的に言って、今の時代に、念仏が万能とは思えない。
よほど無垢な人や、子供の時から浄土宗や浄土真宗に良い形で馴染んでいる人ならともかく、西洋的な物質主義、合理主義、論理主義、経済主義、科学主義に染まった人が、念仏を受け入れるとは考え難い。
そんな人は、微かな呼吸をすれば良い。
どれほど愚かな人間であろうと、微かな呼吸を身につければ、外部からの仏の加護というのではなく、内なる無限の英知、無限の活力が目覚め、地上から解き放たれる。
呼吸をしていない天使の振りをすれば良いのである。
ややこしい教義は一切不要であるところは念仏と同じである。









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運命を変えるには

子供でも大人でも、人生に本当に絶望する時がある。
そんな時は、単に自分の現在の境遇に対する不満を感じているのではなく、「私の人生はいったん何だったのだろう?」と過去形で運命的に考えている。

イギリスの作家コリン・ウィルソンがそうなったのは19歳の時だった。
彼は、アインシュタインのようになりたかったのだが、労働者階級の家庭の子である彼は高校に進学出来ず、工場労働者になるしかなかった。
それは彼には耐え難いことだったが、なんとか高校の科学の授業だけは受けられることになった。
ところが、その科学の教師が物凄く嫌なやつだったので、それ(授業を受けること)を続けることが出来なくなった。
絶望したコリン・ウィルソンは、自殺を決意し、いまや青酸カリを口に入れようとした途端、「超意識」に達する。
彼が崇拝するSF作家H.G.ウェルズの『ポーリー氏の物語』(日本語未訳と思う)でポーリー氏が言った通り、「人生が気に入らなければ、変えてしまえば良い」と思い、この言葉が彼の人生のポリシーになる。

ところで、人間の運命は決まっているのだろうか?
インドの聖者ラメッシ・バルセカールによれば、それは、「何を思うか」を含め、全て完全に決まっている。
分かり易く言えば、「何年何月何日の何時何分何秒に何が起こり、何を考え、何をするか」が、人生が始まる前に全て完全に確定している。
ここまででなくても、やはり、人生のストーリーは最初から決まっていて変えられないと言う人は、優れた人間に多い。
船井幸雄氏は、本山博氏にそう言われ、「それは面白くないと思った」と著書に書かれていたが、そりゃ、誰でも面白くない。
では、本当はどうなのか?
答は、「人間である限りはその通り」である。
だが、人間を超えれば、自分の運命なんてものを超えてあらゆるものの創造者になる。
人間を超えるとは、簡単に言えば、自分の本体である神になる・・・あるいは、近付くということだ。
コリン・ウィルソンは、青酸カリを飲む刹那、それが分かって、ちょっぴり運命を変えたのだろう。

では、どうすれば神になれるかというと、宗教や哲学や神秘学では、恐ろしく難しいことを言うのだが、神と人間の唯一の違いは、息をしているかしていないかだ。
一切は神なのだが、息をしている人間だけが神ではない。
神と仏が同じだと言ったら、宗教の指導者や信者に怒られるが、一応そう(神も仏も同じ)だとすれば、「仏」の左の「イ」は人間で、右の「ム」はあらずで、仏とは人間にあらずという意味で、人間以外は全て仏なのである。
息をやめてしまって、自我が神を年長のパートナーと認めて頭を垂れれば、運命は自由に変えられる。
生きている限り、息を完全にやめるのは無理なので、呼吸をなるべく微かにすれば、それに応じて運命は変えられる。
コリン・ウィルソンも、超意識に達した時、呼吸は消えていたはずだ。
だが、彼はその後、俗人に戻ったので、運命は変わったが、苦労も多かった。
我々は、そうはならないでおこう。
呼吸の荒い人間は、運命にがっちり捉えられている。
しかし、天使のように微かな呼吸をする者は、重力の鎖を解き放ち、軽やかに空を飛ぶ。

いつか重力のクサリを
断ち切り君を連れてサテライト
~『1/6』(作詞・作曲・編曲:ぼーかりおどP、歌唱:初音ミク)より~









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超人青年との対話

最近、ご紹介したことがある、ヨガ研究家の藤本憲幸氏が27歳の時に書いた『秘法ヨガ入門』は、3人のゲストと藤本氏との対話が非常に面白い。
まず、ごく普通の主婦だが、勉強したこともないのに、18ヶ国語だけでなく宇宙語まで自由に操る内藤弓恵氏。
次に、宇宙人と交信し、空飛ぶ円盤を製作する清家新一氏。
この2人は、特に清家氏は当時はよく名が知られていて、超常現象否定で有名な大槻義彦教授には、かなり叩かれ続けていたと思う。
この2人に対しては、それぞれの捉え方、考え方もあるだろうが、お話は面白いし、役に立ちそうなところがあれば取り入れれば良いのだと思う。

そして、一番面白く感じたのが、最後に登場する、全く無名の二十歳の青年だ。
半年前は、消極的でモジモジし、ロクに話も出来なかったという青年が、目を見張る変貌を見せ、威風堂々と藤本氏と対話する。
彼は、自分はシャカ、キリスト以上で、全知全能であり、空を飛び、食べずに生きることも出来、永遠に若く、老化などは全くしないのだと言う。
藤本氏は、この青年の言い分を否定せず、前向きな好奇心を持つところがさすがと思う。
そして、藤本氏と、この青年の対話を記載してくれているが、その内容が掛け値なしに面白い。
私も、藤本氏同様、この青年が地上最大の超人であることを信じる訳ではないが、おそらく、藤本氏もそうであったように疑いもしない。
これもまた、藤本氏と同じなのだが、私も、この青年は確かに、何かをつかんでいるのだと思う。
そして、この青年が、「僕は“静か”をつかんだ」と述べていることに、大いに注目した。
そうだ、人間は、「静か」をつかんだら無敵なのだ。

「静か」をつかむことを抽象的に理解、実践することは非常に難しい。
それには、1つの宗教や哲学、あるいは、高次元科学を究めることが必要になってくる。
だが、「静か」を得るには、「静かな呼吸」、すなわち、「微かな呼吸」を極めれば良いのである。
呼吸が微かになっていくたび、我々は、「静か」に近付く・・・いや、帰っていくのである。









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