ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

弥勒菩薩

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

神の絵の作り方

健康は、昔から、あらゆる国の人々の関心事であるが、美容に興味を持つ人が多いのは、豊かな国である証拠である。
ビジネスの教訓を語る話に、誰も靴を履いていない民族を見て、「誰も靴を履いていないので、靴は売れない」と考えるか、「誰も靴を履いていない。膨大な市場だ」と見るかという話があるが、貧しい国に美容製品や美容サービスを売り込むのは難しいに違いない。

日本は非常に美容が盛んであり、若い人だけでなく、年配の女性、さらには、この分野では最後の市場とも思える年配の男性も顧客対象になるのだから、やはり日本は豊かである。
ただし、日本が豊かなのは、昭和の高度成長期に猛烈に働いた日本人の遺産のようなところがあり、今後はどうなるか分からないし、既に、貧困も多くなっている。
だが、まだ、豊かな人が多いのである。

若い女性の美容への関心は高く、最近は、美容法に関し、見る目も肥えてきている。
女性(に限らないが)の、一番の関心事は、小顔、顔の肌の張りとツヤと思う。
そして、そのことに関心の強い女性は、やはり、かなり美しいものである。
顔が小さく、美しくなるなら、ありとあらゆることをやる。
最近は、顔ヨガとか、美顔ローラー、特殊なクリームが人気があるようだが、「いや、表面をいじっても駄目で、骨が大事。そのためには身体全体から」と言う先生もいる。
それで、熱心な人は、片っ端からやるので、確かに効果は出ているのだが、どれが効いたか分からないのである。
その全ての総合効果とも考えられる。
しかし、一番の要因は、小顔になりたい、張りとツヤのある肌でいたいという強い願望である。
そして、美容のことであっても、強い、継続する願望というのは、あまり低俗な欲望からは起こらず、どこかに、高貴な心がある。
たとえば、至高者である神や、人間より上位の天使は、驚くほど美しく、おそらく、少女のような姿をしているだろうから、それに近付きたいと思う心である。

それなら、少し前にも書いたが、ジョージ・アダムスキーの著作にあったことが参考になると思う。
アダムスキーの宇宙人の話が事実かどうかは知らないが、たとえ空想としたところで、非常に高度で、だからこそ、彼が亡くなって半世紀以上経つのに、いまだ彼は世界的な有名人で、最近は、彼の思想が見直されつつあると聴く。
彼が接触した宇宙人は、地球の時間で言えば百歳をはるかに超えていても、男性なら30歳程度、女性なら二十歳前の若さで、しかも、非常に美しいそうだ。
数百年生きている宇宙人の中には、40代以上に見える者もいるらしいが、それでも、やはり、美しいという。
アダムスキーは、宇宙船の中で会った金星の女性があまりに美しいので言葉を失ったが、彼女が、自分達の若さの要因という「神の絵」を見た時には、魂まで奪われて恍惚となったと述べていた。
それは、宇宙人のあらゆる家庭にあるという絵だが、男性とも女性とも見える18歳位に見える人物のようだ。
アダムスキーは、金星の美人すら、その美しさを表現する言葉がないと言うが、神の姿となると、物理的に存在するものだとはいえ、別次元のものなのだろう。
それで、私も、そんな絵を見たいと思い、人類が創った芸術作品の中で最も美しいものは何かと調べてみた。
最終的な結論は、京都の広隆寺にある木作りの弥勒菩薩像である。
聖徳太子が所有していたとも言われる、高さ123.3センチメートルの、座った弥勒菩薩の全身像であり、その微笑んだ顔の表情は西洋では「アルカイク・スマイル」と言われる。
昭和26年に彫刻の国宝第1号に選ばれている。

だが思うのだ。
アダムスキーが見た絵は、ただの絵ではなく、生きているともいう宇宙船の中にいたことで、また、宇宙人達と居たことで、精神が変容していたからこそ見えたのだと。
その絵は、ただのプリントではなく、生きた絵のようなものに違いない。
元々、芸術とは、創作者と、それを見る者とのコラボレーション(共同制作)なのである。
あるいは、絵画を見るというのは、鑑賞者がその絵画を描くということであり、音楽を聴くというのは、やはり、鑑賞者が、その音楽を作曲することなのである。
このあたりは、理屈では分かり難いかもしれないが、直感でピンとくるのではないかと思う。
つまり、我々の中に、神秘的な創造者がいて、外部の世界を瞬間に作り上げている。
何らかの条件の中で、内なる創造者が至高の技で作り上げるのが、真の芸術作品なのである。
内なる創造者に、宇宙人も地球人も違いはない。
宇宙人は、あの「神の絵」を毎日見ているから、若さと美を常に再生させているが、それは、あの絵に、それを引き起こす何かがあるのである。
ただ、それは、絵の一方的な作用ではなく、見る側の役割も重要なのだ。
そして、内なる創造者(それは至高者である神だと思う)が表われるのであれば、対象は何であるかは問わないと思う。
「モナリザ」が、「ただの太ったおばさん」に見える人もいれば、至高の美と感じる人もいるのである。
そして、「モナリザ」に限らないが、本当にそれが至高の美であると感じるなら、その人の内なる神が輝き、若さと美、そして、あらゆる神の性質を現すであろう。

何でも良いのである。
高価な原画でなくても、複製やポスターでも、あるいは、写真でも構わない。
それを至高の芸術品にするのは、見る者次第である。
スマートフォンやタブレットPCの画像でも良いのだと思うが、現在の液晶は、まだ問題があるかもしれない。
ただし、イタリアの超一流のファッション・デザイナーのリカルド・ティッシ(ジバンシィのトップデザイナーでもある)が、iPhoneの画面で初音ミクさんを見て心奪われ、ミクさんの服を熱心に作っているように、高度な感性を持つ人であれば、芸術を見るためのメディアは幅広くなると思う。
私は、壁に貼った、初音ミクさんのタペストリー(布製のポスター)が、私の魂の成長により、神の御姿になりつつある。
いつか、私の魂の目は、宇宙人達同様、神の姿を見るのである。









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そっと触れると願いは叶う

想像力のある願いというものは、どれほど馬鹿げたことでも叶うものだ。
私も、後で考えたら、全くクレージーな望みを現実化してしまったことがよくある。
だが、想像力のある願いとは、欲望が大きいことでも、念が強いことでもない。
結局、偉大な精神法則の指導者達も、それが分からなかったか、あるいは、直感的には分かっていても、うまく伝えられなかったのだと思う。

それは、握手に喩えられる。
力強く握手することが、男らしく、また、信頼出来る人間であることをアピールするかもしれないが、あまりに強い力で握ってはいけない。
まして、相手が女性や子供である場合には、十分な配慮が必要になる。
そして、実際の握手というのは、ほとんど力はいらないのだ。
大切なことは、相手を敬い、丁寧に握るということだ。
そうしたくない人とは、最初から握手をする必要はない。
政治家のように、誰かに見せるための握手も、出来ればしない方が良い。

いかに親密でも、男女で手をつないで歩くべきでない。
手をつないで歩く男女は、長続きしない。心は既に、あるいは、初めから離れているのだ。
それに、手をつなぐと、危ないし、周りの迷惑になる。
そもそも、不自由だ。
魂で結びあっているなら、そんなに身体でつながる必要はない。
だが、確かに、そこまで魂が溶け合っていないなら、指先でそっと触れると良い。
たちまち、魂の交流が始まるだろう。

握手では、手で触れあいながら、最少の力でそっと握れば良い。
恋人には、指先で、最少の力でそっと触れると良い。

人間は、想像力という神の力を持っている。
それは本来、無限の創造力を持つ。
想像とは、自分の魂が神の魂に触れることなのである。
本当に愛しい恋人に触れる時のように、最も優しい力で触れなければならない。
そうすると、神の魂が、あなたの魂の中に流れ込んでくる。
その時、あなたは神であると言える。
これが、真理であり、法則なのだ。

普段から、できるだけ静かな呼吸をしたり、京都の広隆寺にある弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)のように、親指と薬指をそっと触れ合わせると良い。
その最少の力の感覚を掴むと、いかなる願いであろうと叶わない方が不思議なのである。









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辛い世の中で力を抜き悠々と生きる方法

ゴールデンウィーク明けで、今日から仕事や学校という人が多いと思う。
かと思えば、世間ではゴールデンウィークだが、その間ずっと働いていたという人も決して少なくはない。
私もかつて、ゴールデンウィーク中・・・というか、前の年の12月から、ゴールデンウィークを越え、5月末近くまで1日の休みもなく、朝7時半から夜12時過ぎまで働いたことがある。
ただし、会社自体は、世間並の休みがあり、単に私が勝手にそうしていたのである。
そして、私は、休日出勤や残業の手当を一切申請せず、実際、もらわなかった。
結局、過労と思うが、倒れたので、私の、そんな「狂気の時代」は終了した。
労働法的には違法であったが、私の仕事振りを知っていた善良な上司が、会社に私の昇格申請を行い、実際、収益も上がっていたが、学歴がなかったのと、会社が指定した通信講座を行っていなかったという理由で(労働法違反という理由もあったかもしれない)、申請は却下された。その2つ(学歴と通信講座受講)を満たしている者なら、成果がなくても私よりずっと早く昇格していた。
それについては私は当然と思っていたし、別に何とも思わなかった。伝統ある上場企業って、そんなものだろ。
それよりも、面白い経験をしたことで満足している。
ところで、世の中には、私のように好きで休まないのと違い、休めないという人は、特に昔はかなり多かったらしい。
嫌なのに、強制的に働かされるのは、心身にとって危険であり、実際、度が過ぎると過労死に至った例もある。
私だって、命令されて休まず働かされたら、もっと早く倒れるか病気になったに違いない。

昨日、珍しくテレビを見ていたら、帰省中の人達のインタビューの場面があったが、「十分休みましたので、明日からしっかり仕事したいと思います」といったことを言うところばかりを放送するのは、一種のステマ(ステルスマーケティング=宣伝と気付かせない宣伝)ではないかとも思う。
この場合、何の宣伝かというと、「労働」の宣伝だ。
労働は尊く、あらゆることに優先して熱意を注ぐべしという、国家による労働の宣伝だ。
かつては、戦争に一生懸命になるのが尊いというステマが国家によって実際に行われていたと言って間違ってはいないと思う。

インドの聖者ラマナ・マハルシ(マハリシともいう)は、「自分が仕事をしていると思ってはならない。たとえば、財務長官は責任を持って仕事をしているように見えるが、彼は何もしていない」と言った。
私が少し前に言った、夢遊病状態で仕事をしているようなものである。
誰かがマハルシに、「仕事に注意を払わずに、それをちゃんと遂行できるでしょうか?」と尋ねたが、マハルシは「自分が仕事をしているという自覚を持って仕事をしなければならないという法はない。仕事は自動的に進んでいくのだ」と答えている。
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギは、「深い意識である純粋意識に馴染んでいる人にとっては、海底に馴染んでいる者が水の表面での活動が易しいのと同様、日常の仕事は子供の遊びのようにあまりに簡単なので、自動的に進んでいくのだ」と言った。
人間は、眠りの状態では、深い意識の中にいる。
だから、夢遊病者が驚異的な能力を発揮するのであり、また、筋トレなどは一切しないが力を抜く方法を知っている武術家が超人的に強いのである。
眠っているふりをするだけでも効果的である。
そのためには、力が抜けていなければならない。
何よりも、肩から力を抜かなければならない。
そのためには、人差し指の力を抜けば良いのである。これは、武術の世界では知られていることである。
そして、人差し指から力を抜くには、京都府京都市太秦の広隆寺霊宝殿の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)のように、親指と薬指で輪を作り、人差し指を自然に伸ばすのが最良である。
★広隆寺霊宝殿 弥勒菩薩半跏思惟像(写真)
そして、史上最高の「アルカイク・スマイル」(至福の微笑み)と言われることもある、この弥勒菩薩のように微笑むのだ。
微笑めば、余計な力が抜け、魔法の力を発揮するのである。
辛い世の中かもしれないが、力を抜き、悠々と過ごしていただければと思う。
ところで、私は、山尾三省さんの『ラマナ・マハリシの教え』(めるくまーる)は、ボロボロの本を読んでいる(背から離れてしまったページも多い)。どれほど粗悪な本でも構わないので、入手して読んで欲しいと思っている。









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自分に最適な呪文の見つけ方

我々が幸福になれるかどうかは、呪文を称えるかどうかで決まると言ったら、おかなしな話と思うかもしれないが、どうもこの宇宙にはそんなルールがあるようで、以前も述べたが、まるで、呪文でゲームのHP(ヒットポイント=生命力)を上げるようなものだ。

だが、インドの聖者ラマナ・マハルシは、マントラ(呪文と同じと思って良いと思う)は師から伝授されるものと、一貫して主張していた。
これは、彼の心の師ナーマ・デーヴの教えでもある。
だが、崇敬の念をもって神の名を称えることは良いとした。
また、マハルシは、「私」という言葉が至高のマントラであるとも述べ、いつも称えることを薦めていたようでもある。
ここらは、日本語の本になるまでに、マハルシの言ったことがかなり歪んでしまった可能性もある。
そもそも、マハルシから直接聞いた人すら、全てを正しく理解した訳ではないのだがから、それを別の誰かが聞き、またそれを、本にするために通訳を介して聞き、そして出来た本をまた別の人が翻訳し・・・とする間に、伝言ゲームのことを考えれば、オリジナルとは全く違うものになっているとしても不思議はない。
つまりこうだ。
自分のための最高の呪文は自分で探さなければならない。

一般に知られる呪文は、乱暴な言い方をすれば、光線銃のようなものだ。
それを持っていれば確かに無敵だが、それだけで人生を豊かにし、幸福になることはできない。
アーサー王子だって、神剣エクスカリバーを手に入れた意義は大きいにしろ、それだけでは、ただの力自慢に過ぎず、やがてエクスカリバーにも見放されたことだろう。
アーサーは個人的ではない信念に一致する「何か」を見つける必要があった。
それを一般的に言えば、崇高な理念とか人生の目標とかになるのかもしれないが、それらもまた借り物なのだ。
なぜなら、形ある理念は、いかに崇高に感じようが、いつかは廃れる。
その理念に執着すれば悲惨な滅びを迎える。
大企業はもちろん、国ですらそうである。

真の呪文は神そのものだ。
だから、それは神や仏の名である可能性が高い。
だが、「南無阿弥陀仏」という念仏は、無論、悪いものではないが、長い間に世間の手垢がつき過ぎてしまった。
我々の潜在意識の中で、南無阿弥陀仏という言葉に、悪いものがまとわりついてでもいるようだ。
もちろん、仏の名は、空が、鳥や雲の影響を受けないように、人間が何をしても穢れることはないのだが、「南無阿弥陀仏」というのは宗教の言葉であり、いわば、真の空を描いた絵のようなものであるから、汚れることもある。
だが、阿弥陀仏の本当の名であるアミターバは穢れない。
私の考えでは、「南無阿弥陀仏」の「南無」は敬う心であり、へりくだった心で称えることが大切で、言葉としては付けなくて良い。
つまり、「阿弥陀仏」と言う方が良い。

一方、観自在菩薩という名は、玄奘三蔵が、この菩薩の元の名であるアヴァローキテーシュヴァラをあえて音写せず、その働き「遍く見る自在者」という働きを名にしたもので、良い言葉になっている。
尚、玄奘は、観世音菩薩という言い方は間違いだと述べたらしいが、別の学者の研究では、間違いとも言えないという。
ならば、本当の名を称えても良いが、私は、観自在菩薩で間違いないと思う。
また、弥勒菩薩の本当の名であるマイトレーヤは美しい名だと思う。
この言葉の響きが好きなら、迷わず称えれば良い。

「アジマリカン」という呪文は、アーサー王の神剣エクスカリバーのようなものと思う。
エクスカリバーは選ばれた者しか手にできないが、アジマリカンは誰でも使うことができる。
だが、本質は同じだ。
邪まなことに使えば、結局、身を滅ぼす。
だが、弱い人間が保護を求めることに使いながら、へりくだった心を持てば、内なる師によって究極のものに導かれる。
ラマナ・マハルシも、その意味で「私」という呪文を授けたのかもしれない。
彼は、「師は外側にあるものではなく、真の自己が師である。ただ、師は慈悲深くも、外に姿をまとって現れることもある」と述べている。
求めよ、そうすれば与えられる・・・である。
ある神仏の名を美しいと思って称えていると、最も正しいものに導かれることであろう。









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天才、仏、神になる秘訣

世界的版画家だった池田満寿夫さんの本で読んだが、池田さんがまだ若い頃だったと思うが、どこかの国で、極めて大物の画家が池田さんに、「お前は天才の顔をしている」と言ったというのが印象的だった。
池田さんは、顔の造り自体は平凡だったような気もするが、それでもやはり、彼が「天才の顔をしている」ことには同意したいのである。
そして、天才の顔をすれば天才になるのだと思う。
NLP(神経言語プログラミング)では、天才の行動パターンで行動すれば、やはり天才になるという考え方もあるらしいが、顔はもっと大事であると思う。
また、仏教の中の密教の教えでは、「身口意の三密」と言って、仏と同じ身体(行為)、口(言葉)、意(心)をすれば、仏になるのであるらしい。
仏教学者のひろさちやさんも、彼の古い名著『空海入門』で、ブッダ(仏陀)になるには、ブッダらしく話し、ブッダらしく歩き、ブッダらしくメシを食えば、即ちブッダだと書かれていたが、それもそうなのだが、ブッダらしい顔をすることが一番大事ではないだろうか?

聖書には、「心を静め、自分が神であると知りなさい」と書かれているが、静かな顔、つまり、静かな表情をすれば、心が静まり、即ち、神になるのである。
行動パターンだの、身口意だの、難しいことを言わなくて良いと思う。
京都広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)の弥勒菩薩の表情をよく見て、あの表情を真似るのだ。
あの表情で悪いことはできないし、心を乱すことはできない。
そして、あの表情で不幸でいることはできないのだ。
なぜなら、あの表情が、アルカイク(至福の表情)であることは、西洋人が見てすら分かるのであるからだ。

あなたも、なりたいものの表情を真似ると、そのものになるのである。
福音書を読めば、イエスの表情が浮かんでくるし、『バガヴァッド・ギーター』を読めば、クリシュナ神の表情がありありと浮かぶのである。
そして、あなたも、その表情をすれば、イエスやクリシュナになるのである。
憧れの大芸術家や武道家がいれば、やはり、その表情をしなければならない。すると、必ずや、中身までそうなるのである。

表情とは、そのくらい正直なものなのである。
ジョージ・アダムスキーは、宇宙人の大母船の中で、驚愕するほど美しい金星の女性に逢った。彼女は、地球でいうと、70歳とか80歳という年齢かもしれないが、二十歳前の少女にしか見えなかったという。
その金星の女性は、彼女達の若さの秘密を明かす。
それは、彼女の星(金星)では、どの家庭にも神の絵があり、それを毎日見ているのだからだという。
金星の人達は、神の表情を真似ているので、神の力が流れ入ってくるのであるに違いない。
あなたも、お気に入りの神の名画を毎日見て、その表情を学べ。
そうすると、老化することはなく、日毎に美しくなっていくのである。









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・サイコパス
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