ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

引き寄せの法則

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

弱い心は状況を創り出せない

筋肉や頭脳は、鍛えなければ強くならないことは誰でも知っている。
しかし、心も鍛えないと強くならないことが分かっていない人が多い。

思うがままに富や恋や健康を得る引き寄せの法則を実践してうまくいかないのは、心が鍛えられていないからだ。
懸垂が1回も出来ないのは、筋肉が弱いからであり、やり方が悪いからとは言わないだろう?
同じく、望む状況を作り出すことが出来ないのは、やり方が悪いのではなく、心が弱いのだ。

心には世界を創造する力がある。
やり方は単純だ。
望みが叶った状況をイメージするだけだ。
だが、弱い心がイメージしたことは実現しない。
そして、心を鍛えなければ、悪霊のようなものに、どんどん悪い方に引っ張られ、どこまでも落ちて行く。

心を鍛えるとは、意思をコントロールすることである。
自分が決めた方向に、継続して意思を向けるのである。
自分の呼吸を意識することも、意思のコントロールだ。
呼吸から意識が逸れたら、また戻す。これを繰り返すことで心は鍛えられる。
だが、呼吸を意識することを教えても、わずか数分を数日やっただけで、「何もうまくいきません」、「辛い毎日です」などと言う者が多い。
それは、毎日数十秒走っただけで、マラソンの成績が良くならないと言っているのと同じだ。

筋肉や頭脳をいくら鍛えても、心を鍛えていなければ子供である。
古代ギリシャの詩人ユリアヌスは、身体ばかり立派なオリンピック選手を見て、
「我々は、健全な肉体に健全な精神が宿るよう祈るべきである」
と言って嘆いた。
ところが、なぜかこの言葉が、「健全な肉体に健全な精神が宿る」という、大間抜けな格言として覚えられてしまっているのだが・・・

念仏を称えるなら、起きている間中称えるつもりでやらないといけないし、肛門を引き締めるなら、やはり、1日中でなければならない。
それが無理でも、やはり、1日トータルで1時間はやらないといけない。
その他のことも同様である。
その中で、呼吸を意識することは、最も易しいと思う。
それでも、長くやればやるほど、心は強くなり、奇跡も起こせるだろう。









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「誰でも出来る」の嘘と本当

「コンピュータープログラミングは誰でも出来る」、「作曲は誰でも出来る」、「絵は誰でも描ける」・・・等といった、「○○は誰でも出来る」という言葉をよく見たり聞いたりすると思う。
そして、その言い方には、「今すぐ誰でも」とか、それに近いニュアンスで語られることも多いが、それははっきり、詐欺というものだろう。
実際、詐欺的セールスや、詭弁的な説得でよく使われる言い方である。

「誰でも出来る」は、多くの場合、間違いや嘘ではない。
ただし、ほとんどの場合、条件があり、それは、「熱心に長時間の努力を多年月続ければ」である。
そして、補足として、「そこそこのレベルなら」という但し書きも必要だろう。
誰もがプロになれる訳では決してない。

ところで、「プログラミングは現代人の必須のスキルだから、誰もが習得すべきだ」といったことが、物凄く偉い教育者にして博士で世界的有名大学の教授だという人や、アメリカのcode.orgというNPO団体に賛同する超有名人や、はては、アメリカ大統領も言ってるぞという話があるかと思うと、イギリスのある大学の教授と学生によって書かれた論文では、コンピューターサイエンスを専攻する優秀な大学生でも30%はプログラミングがマスター出来ないなんて話もある。
これも、別におかしな話ではない。
確かに、コンピュータープログラミングは誰でもできる。
ただし、どれだけのレベルで出来るかは、かけた時間と熱意による。
もちろん、個人差があるが、ほとんどの場合、ちょろっとやっただけなら、何の役にも立たないプログラミングをちょろっと出来るようになるだけで、しかも、学習を継続しなければ、すぐに忘れる。
まして、まともなプロになれる人は、ほんの一部だ(まともでない職業プログラマも多いのだ)。
上にも述べたように、コンピューターサイエンスを専攻した大学生の30%がプログラミングをマスター出来ないということについて言えば、別に、コンピューターサイエンスを専攻したからといって、全員がプログラミングに興味がある訳ではない。彼らがプログラミングを習得出来ないなら、やはり、熱心な長時間の努力をしなかったというだけのことだ。

DTM(デスクトップミュージック)という、パソコンで音楽ソフトを使った音楽制作が安価に出来るようになり、実際に、そのために音楽制作に取り組む人が増えたと思う。
さらには、初音ミクさんの登場で、自分が作った歌を、可愛い女の子が歌ってくれるようになって、音楽デモクラシーが起こり、確かに、音楽制作は、一部の特別に才能のある人や、恵まれた環境(親に楽器を買ってもらえ、音楽教室に通わされた等)にある人だけのものではなくなったかもしれない。
しかし、ちゃんとした曲を作れるようになるには、長い、そして、実際には苦しいことも多い、修行というべきものが必要である。修行という言い方が好きでなければ、「熱意ある取り組み」だの「やる気を伴った練習」だのと言っても良いが、所詮は、かなりの努力を要する。
アマチュアでありながら、初音ミクさんの素晴らしい曲を作る人がかなり出てきて、プロと遜色ないとか、あるいは、「プロには作れない」とすら思える作品も沢山あるが、これらの曲の制作者達は、やはり、子供の頃から楽器を習っていたり、学生の、それも、かなり早い時期からバンド活動をしていたりといった人達で、現役でライブ活動をしている人も少なくはない。
確かに、初音ミクさんに歌ってもらえることで才能を開花させた人もいると思うが、それはあくまで、長い下積みあってのことだ。

スマートフォンは誰でも使えると言うのでさえ、一定レベル以上のことをやるには努力が必要である。
一方、スマートフォンを全く使えないという人もいるのだろうが、それは単に、スマートフォンを使うことに時間をかけていないだけである。
パソコンは誰でも出来るが、会社等では、どうしても出来なければ仕事にならないという切羽詰った状況があるから誰でも出来るようになるのであり、パソコンを使う必要がない人がパソコンに興味も持てなければ使えるようにはならないだろう。
また、「パソコンが出来る」というのはピンきりであり、普通にいう「パソコンが出来る」は、パソコンの可能性から考えれば、極めて初歩的レベルである。
車の運転は、教習所に高い金を払うからこそ、かなりの短期間で習得出来るが、車の運転のような簡単なことですら、最初は誰でも、「俺、本当に運転なんて出来るようになるのだろか?」と思うほど難しいということを考えれば、音楽や絵やプログラミングといったものを出来るようになるとはどういうことか、いくらか想像出来ると思う。

願いを叶える潜在意識の法則や引き寄せの法則の活用、あるいは、斎藤一人さんや西田文郎さんらが教える「ツキの法則」の活用という、幸運に乗って儲かったりモテたりする技術の使い方が、どのくらいのレベルの難しさかは分からないが、少なくとも、車の運転とは比較にならない難しさと考えるべきだろう。
何と言っても、その恩恵、有難さたるや、車の運転、音楽、絵画、プログラミングの比ではないのだから。
それを、努力なし、苦しむことなしで得ようとするから、滑稽で間抜けなことになるのである。
まして、神のようになるには、ゲーテの『ファウスト』のファウストのように、長い年月、たゆまぬ努力を重ね、失望や落胆を味わっても道は遠い。
しかし、遠い道ほど価値があり、進歩する喜びも大きいのである。
引き寄せや、ツキの法則も、本当に使えるようにマスターするには努力が必要だから面白いと考えた方が良いと思う。









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神は賢いパートナーではあるが家来ではない

「隠された心」である潜在意識の力を使って成功する「引き寄せの法則(牽引の法則)」は確かなものである。
しかし、沢山の賢い人達が、それによる失敗を防ぐための、非常に簡明なアドバイスをしてくれているはずなのだが、なぜかそれがあまり注意されていない。
ざっと挙げると、

天は自らを助ける者を助ける
人事を尽くして天命を待て
幸運の女神に頼り過ぎるな
神を信用しろ。だが、駱駝はつないでおけ。

などで、他にもあると思う。
昨日も書いたが、幸運の女神は寄りかかると身をかわすのである。

イエスは、神様を天の父と呼び、金持ちの父親に喩えることがよくあった。
金持ちの父親が子供に甘いのは、ある程度は仕方がないし、また、それは良いことである。
そんな父親は、学校卒業の時にベンツを買ってくれるかもしれないが、分別のある立派な父親であれば、買ってくれるのは、あくまで、卒業できればの話である。
イエスは、天の父は必ず良いものを下さるのだから心配するなとは言ったが、だから怠慢になれとは言わなかったのだ。
イエスは、ある金持ちの放蕩息子の話をしたことがある。
その息子は、財産を分けてもらって家を出たが、放蕩を尽くして財産をなくし、食べるのにも困り、このままでは死ぬしかないというまでになって、父親のところに帰って来た。
その息子を父親は温かく迎えた。
ただし、その息子は、父親に、自分を息子ではなく、雇人の1人にしてもらおうと思っていたのである。
もし、息子が、「僕は父さんの息子だから大目に見て下さいよ」という態度であれば、父親は、見捨てないまでも、本当に使用人として扱ったことだろう。
『法華経』に、こういったことに関する適切な話がある。
大金持ちの父親が、50年の間、行方が知れなかった息子を見つけるが、息子はずっと貧乏生活をしていたせいで、心がすっかり卑しくなってしまっていた。
それで、父親は、自分が彼の父であると名乗らず、20年もかけて息子の心を立派なものにした後、初めて自分が父であったと明かし、財産を譲り渡したのである。

ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則や、引き寄せの法則でうまくいかない人達を見ると、「うまくいかなくて当たり前」という連中ばかりだ。
甘ったれていて、緊張感がなく、自己中心的で、欲張りで、横柄で、のほほんとして、まさに腐臭が漂ってくるようだ。

アメリカの作家マーク・ハーナッキーが素晴らしい成功法則の本を書き、ベストセラーになったが、読者から、「効果がない」という電話がよくあったそうだ。
ある読者は、お金がなくて生活に困っているが、あなたの本では状況は改善されなかったと言う。
しかし、話を聞くと、その読者は、必要な相手を探して電話1本かけるということもしなかったらしい。
これについてのハーナッキーの説明は覚えていないが、早い話が、「成功法則に頼り過ぎている」のである。
幸運の女神は、よりかかられると身をかわすのである。
駱駝の心配はしなくて良いが、つないでおかなかったら、駱駝がどこかに行ってしまっても文句は言えない。

我々は、神と共同作業をしているのである。
ウォレス・ワトルズは良い喩えでこれを説明していた。
神が助けてくれるといっても、楽器は自分で演奏しなければならないのだ。
神には演奏をしてくれる者が必要なのだ。

作家になることを、潜在意識の法則や引き寄せの法則で叶えようとするのは良いことである。
だが、吉本隆明氏は、誰でも物書きにはなれるが、そのためには、毎日必ず書かなければならないと述べておられた。
村上春樹氏は、作家になる前から、1日に原稿用紙10枚をノルマとして必ず書いていたらしい。
著述家の本田信一氏も、昔、独立して相談業を始めたが、全く客が来なくてやることがないので、1日に原稿用紙1枚をノルマに何か書いていたようだ。
この毎日は、文字通り毎日で、よほどのことがない限り、1年が365日であれば、その365日全て実行しなければならない。
自分に向いたことなら必ずできるはずである。

神(もしくは潜在意識)は、無分別なほど子煩悩な父親でもなければ、あなたの家来でもない。
途方もなく強力で賢く、あなたをこの上なく愛してくれてはいても、あくまでパートナーであることを、よくよく覚えておくことだ。









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叶う願いと叶わない願いの違い

もし、引き寄せの法則とか、潜在意識による成功法則がうまくいかないとしたら、その原因は間違いなく、情熱の不足である。
しかし、もっと本質的な問題は、目標設定の間違いだ。
引き寄せの法則や潜在意識の成功法則・・・この両者は同じものであるが、それは間違いなく確実なものである。
それは、星が運行する原理、月が地上に落っこちてこない原理と全く同じ、絶対的な法則だ。
それがうまくいかないのは、目標が間違っているので、情熱が弱い、あるいは、すぐに消えてしまうのだ。

引き寄せの法則で願いを叶えるには、潜在意識に願いを定着させなければならないが、そのためには繰り返しが必要である。
そして、繰り返しを行うために必要なエネルギーが情熱なのだ。
ところが、目標が正しいものでないと、このエネルギーが足りず、熱心に繰り返すことができないのだ。
逆に言えば、繰り返しができない願いというのは、情熱を持てない間違った願いだということだ。

引き寄せの法則を説く本には、「夢はでっかく」と書いているものが多いが、それがただの空想、つまり、妄想のようなものであるなら、全く情熱を持てないものだ。
例えば、働き始めて間がなく、まだ社会や仕事について十分に知らない若いOLやサラリーマンが、これらの成功本にあるように「年収5千万円」とか紙に書いたり、アファメーション(言葉で断言すること)をしても、全然情熱が起こらないので、すぐに飽きてしまうものだ。
まして、ほとんど働いた経験のない者が、大金だの高級外車だの願っても、本気になれるはずもない。
だが、欲望だけは、どんな人間にもあるので、そそのかされて悪いことをやってしまうことがあるのだ。

人間の潜在的な可能性は間違いなく、無限であるが、今現在の人間としての器というものは、現実として確実にある。
その器を大きくするために、「冒険しろ」とか「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と善意で言われ始めたのだと思うが、それが歪んで使われるようになったところは確かにある。
だが、やはり、本来の意味では正しいアドバイスである。

どんな望みも間違いではないが、情熱の持てないような願望が叶うはずがない。
だから、分相応ということはやはり必要になってくる。
ニートで働いたことがほとんどないなら、年収5千万などと馬鹿なことを考えず、まずは、楽しく働くことを目標にすべきだろう。
仕事は本来、楽しいものだ。
新入社員なら、自分が無知であることを自覚し、立派な社会人になることを目指すのが良いのだと思う。
社会や人間のことが分かってくると自信ができて、人生も楽しくなる。
人生は本来、面白いはずのものだ。
だが、そういった細々とした目標を考えることもまた、情熱を損なうことになり易いので、それを金額で言い表すのは良いことだ。
収入が少ないうちは(現在の日本で500万円未満)なら、倍の収入あたりが叶え易いだろう。
経験、実力がない、あるいは、不足で、収入ゼロなら、まずは、月収20万円くらいで、欲張っても、月収40万円までと思う(もちろん、経験と実力があるなら、それに見合った願望を持って良い)。
年収が500万円を超えたら、一応は無制限で良いが、目標が大きいほど、自分の器を壊す冒険を覚悟する必要がある。
情熱があれば、それは何でもないばかりか、むしろ、楽しいことであるが、自分の器を越え過ぎているなら、必要な冒険に全く歯が立たず、尻尾を巻いて逃げ出すことになるだろう。
そんなみっともないことになりたくないなら、目標の年収は、現在の2~4倍までにしておくことだ。

尚、見栄や、単なる贅沢や、あるいは食欲、性欲を満たすような願望を目標にしてはならない。
人生の敗残者になりたくなければ、決してやらないことだ。
その本当の良さを知りもしないし、知る気もないのにポルシェが欲しいとか、イケメンで金持ちの彼氏が欲しいとか、可愛いあの子とエッチしたいとか、そんなものだ。
とはいえ、世間にある成功本を読んで起こす願望、あるいは、そんな安っぽい本で儲けたい者の狙いもそこにあるのだ。
あなたは、そんなつまらない者達に騙されるべきではない。

1年365日、決まった時間に、願い事を書いたものを落ち着いて読めるのでなければ、その願望はただの妄想である。
10日やって飽きてくるのを感じたら、すぐに目標を変えることである。
引き寄せの法則は確実なばかりでなく、本来は実に簡単なものである。









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腰が決まれば、世界は意のままだ

「引き寄せの法則」という言葉はあまり好きではないが、私は、人間の思考が世界を創ることを信じている。
なぜなら、それを実証する、疑いようもないほどの体験がいくらでもあるからだ。
それこそ、子供の時、道を歩いていてお腹が空いたら、すぐに誰かが、私の思い描いた通りのパンを持ってきて私に渡し、そのままどこかに行ってしまうのだった。
そんなことは、このブログにも何度も書いていると思う。

私は、一頃から小説を読むのが嫌いになった。
なぜなら、あまりにまどろっこしいのだ。
それはこういうことだ。
その小説の中のヒーローはなぜ、たかが、拳銃一丁、宇宙ロケット一基(一機)手に入れられないのだろうと、おかしく思えてしまうのだ。
そんなものは望めば簡単に手に入るはずなのだ。
宇宙一の美少女を救出に行くのに、その程度のものを手に入れるのに苦労する方がおかしいのである。

ところで、私の悩みの種は、他の人が私のようにやれないことだった。
そして、それにつられたのか、私まで上手くできなくなってしまった。
だが、最近、コツみたいなものが分かってきた。
そのきっかけは、やはり、初音ミクと木枯し紋次郎だ。
ミクと紋次郎の、明らかな共通点が分かるだろうか?
それは、二人とも、「腰が決まっている」ことだ。
ミクのどんな踊っている姿でも、腰がフラフラしているものは1つもなく、腰が決まっていることからくる軽やかさがある。
腰の動きも、もちろん、切れがあって美しい。
紋次郎も、腰が決まっているので、重い長脇差(ながドス)を腰に差して、風に乗るように歩き、1日60~70kmを行くのだ。

腰が決まるというのは、腹に力があるということだ。
そのためには、常に腹に力が込もっていないといけない。
そして、腹に力を込めるためには、足腰が鍛えられていないといけないのだ。
私は、小さい頃から、脇目も振らず、速足で歩くことが大好きだった。
学校まではかなり距離があり、学校そのものは嫌いだったが、一人で風に乗ったように歩いて通学することだけは、楽しいというか、愉快だった。
それ以来ずっと、誰よりも速く歩くようになったのだが、特に最近、『木枯し紋次郎』を熱心に読むようになってから、歩きに磨きがかかってきた。
また、朝晩、「腰の決まった」スクワットを欠かさない。
回数ではない。
腰の決まったスクワットであることが大切なのだ。

足腰がふらふら、ふにゃふにゃしている者が願いを叶えることはない。
立ってても、座ってても、だらしない姿勢をした、足腰がへなへなした者が、「引き寄せの法則」などと言ったら片腹痛い。
当然ながら、スマートフォンを見ながらノロノロ歩くような者に絶対に見込みはない。
また、車にばかり乗って歩かないなら、世界を自由に創造することなど、全く縁遠いことだ。
ミクの腰に憧れることだ。
紋次郎の「紋次郎歩き」をマスターすることだ。
そうすれば、世界はあなたの意のままである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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