ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

引き寄せ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

世界を自由に出来る修行しよ

従来は、現象世界を心で直接制御する仕組みやノウハウは、宗教的、魔術的、あるいは、オカルト的でしかなかったが、現代では、科学的と言えるようになっている。
もちろん、伝統ある科学の中にだって、恣意的(主観的、自分勝手)な部分は少なくないように、心の科学と言われるものの中にも信用ならないものがある。
ただ、たとえ従来の科学でも、本当に純粋な部分は、人間にはほとんど何も解らないというのが事実なのであり、敬虔な姿勢を持って、生きるのに役立たせることを考えるしかないのである。
現象世界を動かせる心の状態を調整する作業を「修行」という言い方をしても、別に非科学的と言う訳ではない。
ただ、古い科学の癖がついた人には、やっぱり、それは科学ではないのだろうが、そんな者達を相手にする場合にまで、「科学」の名を持ち出す必要はないし、そもそも、偏見のある者は、出来るだけ相手にならないに限るのである。

さて、「修行」の目的は、つまるところが、自我の安定なのであるが、そもそもが、自我は安定しないものであるということは、フロイトにだって解っていた。
そこで、フロイトは、自我を騙すというアプローチを使ったが、その目的は人間の問題を消滅させるのではなく、単に低減することを目指したのだと思う。
だから、真面目なフロイトが、長時間、熱心な治療を行ったことに対し、「成果は全くなかった」と考えることが出来るし、実際、そう評される場合が多い。
しかし、フロイトは確かに、患者の問題を低減させたし、彼の研究を引き継いだ者も、そのような意味での成果を発展させたと言えるのである。

けれども、自我は安定させるものではなく、消滅させるのが正しいアプローチであることが解ってきた。
ところが、この方法の問題は、言うまでもないが、人間は自我なくして生きられないことである。
事実、宗教的には、自我を消滅させ、「解脱した」「悟りを開いた」と言われる聖者だって、生きている限りは、自我は存在することが分かっている。
そこで、理想的状態になるには、自我の完全消滅ではなく、自我の最低限必要な部分を残して消滅させれば良いと考えることが出来る。
しかし、そこで矛盾ある実例を見出してしまう。
つまり、解脱した聖者だって、普段の生活の中では、その心の状態は、必ずしも清浄なる高貴なものとは言い難い、あまりに俗っぽい場合も少なくない・・・ひょっとしたら、聖者とはいえ、実態はそのようなものではないかと思われるフシもあるということだ。
だが、こんなことを、いつまも考えていてもキリがないし、利益もない。
そこで、とりあえず、世界を支配出来る精神状態とは、自我の影響を受けない・・・喩えて言えば、自我は、高いところを吹く風か、蜃気楼のようなものと見なし、その程度の影響力しか持たないようにすれば良い。
それが出来れば、世界は思うままである。

では、自我の影響力を削ぐにはどうすれば良いかというと、自我を強めるものと反対のことをやれば良い・・・と実に簡単である。
しかも、危険なやり方を取らず、安全に行いたければ、自我の性質の中でも、「即物的」であることを利用すれば良い。
即ち、自我は欲求を即座に叶えようとする。
食欲を満たしたければ、目の前にあるものを食べようとするので、美味しいものを売る者は、それを即座に入手出来るよう工夫すればボロ儲けが出来る。
性欲に関しては、風俗店に行ったり、性的娯楽を愛好する者は、精神的レベルの低さ云々ではなく、世界を動かす力が極めて弱いことが欠点なのである。
そこで、自我が好むことと反対である、果て無き反復を行えば良い。
悟りを開いたセールスマンは、売上を上げることではなく、訪問することが目的になっている。
野球の超人バッターは、首位打者やホームラン王のタイトルを取ることではなく、バットを振ることが目的になっている。
そのようなことをすれば良い。
確かに、命と引き換えに一瞬で自我を蜃気楼にする方法もあるかもしれないが、それでは、かなりの割合で実際に死ぬ。
よって、果て無き反復を選ぶ方が良い。
例えば、本であれば、もう何でも良いので、無限に繰り返し読むことを決定するのである。
お経や祝詞であれば、やはり、無限に繰り返し唱えるのである。
よく、「般若心経を1万回唱えました」なんて人がいるが、そんなことを言っている時点で、数が全然足りないのである。
逆に言えば、そんな下らない成果(読んだ回数)に興味をなくせば、千回で悟りを開けるかもしれない。












当ブログオーナー、KayのAI書。
Kindle版は発売中。紙の本は5月30日発売。
この本の一番最初の課題は、足し算をAIに教えることで、それは非常に簡単です。
しかし、この恐ろしく簡単なことの中にAIの本質があり、これだけでAIが解ってしまうかもしれません。
例えば、世界は、ある意味、中学校で勉強する一次方程式で出来ていると言えるようなものです。
AIに足し算を教えると、AIは足し算の答を推測しますが、教え方が上手いと、AIは正しい答を出します。
あなたの新しい問題についても、AIに同じように教えれば、AIはあなたのために答を推測してくれます。
こんなふうに、AIをあなたを拡張するためのパートナーにして下さい。

人身御供による引き寄せは正しいか?

人身御供(ひとみごくう)という風習は、多くの国や地域であったのだろう。
人身御供(ひとみごくう)とは、神に対して、天災(地震、台風、干ばつ、疫病等)を起こさないよう機嫌を取るような意味で、人間の生贄(いけにえ)を捧げるといった観念があるのではないかと思う。
人間の生贄ではなく、物や動物を奉納する場合も多いのだと思うし、これなら、今でも行われているが、天災による被害が長期に渡った時、「より高級な生贄を捧げないと神は機嫌を直さない」と思って、人間を生贄にしたんではないかと考えられる。

ところで、人身御供といえば、割と、こんなイメージがあるかもしれない。
下層の民の中で美しい少女を見つけ、その親にとってはそれなりの金や物を渡して、人身御供にしてしまうというものだ。
そうやって選ばれた少女は、儀式の日に定められた場所で、首を切られたり、あるいは、別の方法で殺害される。
だが、岡本太郎の『美の呪力』という本を見ると、ある民族では、男女の一組を人身御供に選ぶが、選ばれることは名誉なことであり、また、人身御供になるまでの1年ほどは王侯のような暮らしをさせる。しかし、儀式の日には、かなり残酷な殺され方をする。
現在、人身御供は、少なくとも、文明国や文明国と交流のある所では行われていないと思われるが、風習的には残っていることもある。
例えば、特に階級に関わらず、神に捧げるのに相応しい人間(私が知るものでは、やはり少女であるが)を選び、ただ儀式を執り行わせる。それを、一定の年齢になるまで行わせ、その後も一生、大切にされる。

人身御供に選ばれるのは、映画やアニメでよく見られるのでそう思うのかもしれないが、やはり、若い娘・・・というより、少女で、それが、人間から見ても最上の価値があると思われるのだと思う。
たとえば、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』では、死んだら、生きている間に行いが良かった男は、15歳の素晴らしい美少女が迎えに来てくれるらしいが、数千年前の15歳は肉体的には今より幼いかもしれないが、精神的にはかなり大人であったと考えて良いと思われ、やはり、最も好ましい存在であったと思う。
ソクラテスが、大ヒッピリアスという最上の賢者とされた人物に、「最も美しいものは何か?」と尋ねたら、大ヒッピリアスが「美しい少女だ」と即答したという話があり、やはり、人類の間で、美少女というのは貴いものと認識されているようだ(ただし、ソクラテスは、人間の中では最高の美少女でも、女神に比べればみすぼらしいと指摘した)。

ところで、人身御供については、こんなことを考えるのである。
神に対し、最高の供物を捧げるという意味で、最高の美少女を人身御供にするというのは、「頭が悪くないか」と思う。
というのは、殺される少女や、その家族にとっては、それは悲劇なのであり、至高の存在である神が、そんなことを望むはずがないことは明白である。
ましてや、アニメの『地獄少女』のように、下層の民の中の娘を選ぶのは上層の民のエゴイズムであることは、いくら何でも明らかで、神にそれが隠せるはずがない。
もし、天災や凶作が続くとしたら、むしろ、そんな悪しき風習を行っていることを神が怒っているからだというのが、子供でも分かる理屈である。
著名な精神科医・心理学者であったカール・グスタフ・ユングが好きだったという、こんな話がある。
ある長期の(数年と思われる)干ばつに苦しむ村は、有名な雨乞い師を招いた。
雨乞い師が、3日の間小屋にこもると、雨が降り出した。
村の者が、「何をしたのか?」と聞くと、雨乞い師は「何もしていない」と言う。
ただ、この村は、神の美しい流れから外れていたので、せめて自分が、神の美しい流れに身をまかせたのだと言う。
つまり、この村で人身御供を行った訳ではないだろうが、そのような愚かなことが、この村の中で多くなっていたのだろう。

これは、村とか民族とか国家の場合だけではない。
我々、一人一人も、神の美しい流れから外れると、悪いことが起こる。
対して、その流れに乗れば願いは叶うが、それは少しも難しいことではない。神の美しい流れに身をまかせる・・・心を静かにして思慮分別をせず、なりゆきにまかせれば良いのである。













当ブログオーナーKayのAI書。5月30日発売。
現在のAIは、新型コロナウイルス感染の収束を予測することも可能で、それを行っているデータサイエンス企業、AI開発会社などもあると思います。
なぜ、そんなことが出来るのか?どうすれば、そんなことが出来るのか?
この本により、それが分かり、データを集めることが出来れば(概要データであれば公開されている)、あなたにもそれが出来ます。
そのようなセンスを得られることを目指して書いたつもりです。

ほとばしる情熱がなくても願いは叶う

この世の、およそいかなることであろうと、名人になるコツは同じである。
それは、時間を注ぐことだ。
私が分かるのは、プログラミンとセールスと引き寄せのスキルである。
プログラミングで食べていけるようになるには、プログラミングでプロのスキルを持つために必要な時間をかければ良いだけである。
一番良いのは、プログラムを作ることだが、プログラムを書き写しても(いわゆる「写経」)、本を広げて眺めるだけでも良い。
時間さえかければ、ちゃんと上手くなる。

問題は、時間をかけることが苦痛になって、十分な時間、やれないことだ。
飽きるということも多いし、勉強するにしても、勉強が面白くなければ続かない。
学校で、あれほどの時間、授業をしているのに、さっぱり何も身に付かないのは、授業が面白くないので、多くの生徒が根本的に勉強していない・・・つまり、勉強時間ゼロなのだからである。
これは、教師の責任もあるが、能力や趣味が違う生徒に同じことをやらせるというのが、そもそも、あまりに非論理的なのである。

引き寄せも同じで、イメージ法でやるなら、願いが達成した状況をイメージする時間が少なければ、願いは叶わない。
逆に、十分な時間、イメージすれば叶う。
だから、問題は、長時間イメージを続けるほど、熱意のある夢でないことが問題なだけだ。
しかし、実は、それほど熱意を持てる願いというのは、そうそうあるものではない。
普通の人は、健康と、平和と、十分なお金があれば、それ以上は望まないものだ。
ところが、それらに不足してる人が多いのである。

そこで、今回の秘法は、それほどの熱意がないことでも、継続出来、それで、嬉しい状況になる方法だ。
テーマは、いつものアレ(笑)を使おう。
世界的教育学者、七田眞氏が、事実であることを保証するあの話である。
あるホームレスの男性が、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けたら、宝くじで1億円当たった。
その後で、またやったら、また1億円当たった。
そして、この話のポイントもまた、この男は無職で暇だったので、「神様の奇跡が起こる」と唱えることに、時間を存分に・・・湯水のごとく注ぎ込んだことだ。
同じようにやって、何も良いことがないって人は、ロクな時間をかけなかったはずなのだ。
この男ほどでなくても、それなりに時間をかければ、何か良いことが起こるはずである。
そして、「神様の奇跡が起こる」という呪文を長く続けるコツは、「丁寧に唱える」ことだ。
人間は、楽なことを丁寧にやると、なぜか、飽きず、しかも、気持ちが良く、エネルギーが溢れてくるのだ。
長続きしない人は、がさつ、乱暴、いい加減にやっているはずだ。それはまるで下手なナンパで、うまくいかなくて当たり前だ。ナンパだって、丁寧にやる者は上手くいくのである。
イチローやテッド・ウィリアムズ(メジャー最後の4割バッター)は、誰よりも長時間素振りをしたが、1回1回を丁寧にやったから出来たのである。
まさに、これが達人の極意である。













当ブログオーナーKayのAI書。いよいよ5月30日発売。
ここまで易しく書いた、本当にAIを作れる実践書はないのではと思います。
拍子抜けするほど易しい問題、易しいけどユニークで面白い問題、そして、モンティ・ホール問題などの高度な問題を、数学、プログラミングなしで易しく自分で解きます。
取り上げたほとんどの問題をシミュレーションするExcelマクロも無料でお付けします。これで、実習用のデータが作れます。
もう、いたれりつくせりです(笑)。

この世界の凄い楽しみ方

不安のない人間はいないだろう。
だが、人間は基本的に怠け者なのだから、不安がないと、無制限に怠けてしまう・・・つまり、何もしなくなるが、食欲と性欲はなかなか消えないので、不安がないとどこまでも堕落する。
時々、軽い躁病(そうびょう。気分が常に高揚する病気)なのかもしれないが、休みでも、片時もじっとせずに何かしている人がいて、そんな人は不安がなくても良いのだと思うが、前にも書いたが、リーダーは、鷹揚さ、超然さを感じさせる怠け者でなければ務まらない。

不安はあっても良いが、それが、働くことや勉強することの動機になるレベルでなければならず、不安で何も出来なくなるのは非常に拙い。
だけど、この世には、引き寄せの法則とか、潜在意識による成功法則があるのだから、それほど不安に思う必要は全くない。
一方、成功法則があるのだから不安が全くないというのも馬鹿なのである。
つまり、潜在意識による成功法則みたいなものは、どこか、疑わしいと考えることも必要なのである。
かといって、「俺は絶対信じない」というのでは苦労が多いのだから、ややこしく感じるかもしれない。
まあ、人間の態度としては、神仏をそれなりに信じる程度に、引き寄せの法則や潜在式による成功法則を信じるのが良い。

潜在意識による成功法則は、それを使おうという意思がなければ働かない。
つまり、リーダーはあくまで意思(制御された自我)なのだ。
昔は、潜在意識による成功法則を引き起こすのは、もっぱら、お祈りだった。
だから、人間の生活にお祈りは欠かせなかった。
けれども今は、お祈りをする習慣は少なく、暇な時間はずっとスマホをいじっている人は、潜在意識の無限の力が眠ったままになる場合が多い。
だから、スマホは、ほどほどにして、自己暗示や自己宣言を行った方が良い。
「初めに言葉ありき」である。
神が「光あれ」と言ったら光が出来、「海よあれ」と言ったら海が出来たように、人間は神と同じ力を持つので(少々弱いかもしれないが)、「プログラミングの能力よあれ」と言えば、プログラミングが出来るようになるし、「可愛い彼女よあれ」と言えば、素敵なガールフレンドが出来る。
それはね、もう絶対間違いない。
ただ、やっぱり、神様のように、言葉一発ではなかなかうまくいかない。
けれども、数を発すれば、同じようになるのである。
「親切な人ばかりの職場あれ」と、十分な回数言えばそうなる。私は、初就職の時、そう言った。そしたら、ブラック企業だったのに、皆、親切だった。
周りの人が親切なら、どんな職場でもやっていけるものである。
でも、ブラックが嫌なら、「待遇もいい職場」と言えば良い。
まあ、実際には、「楽しい職場に入る」など、常識的なもの言いをすれば良い。いずれにしろ、言葉で言えば、ちゃんとそうなる。
神は、決して、あせって、「光よあれ!光よ!光よ!早く出ろ!」とは言わない。「犬が西向きゃ尾は東」くらい、当然のように淡々と言うのである。あなたも同じようにしなければならない。
ある優良企業の社長は、口癖のように、「うちは金があるからな」と言っていたが、最初、それを聞く度に、「この人、何言ってんの?」と思ったが、そう言うからこそ、その会社はお金がいっぱいあるのだ。
なくてもいいから、「うちは金があるからな」と、十分な数言えば、必ずそうなるのである。
また、彼は私に言ってくれたものだ。
「俺が言ったことを、初めは誰も信じないが、いつも言った通りになるので、皆、俺についてくるんだ」

人間は、多少のスリルを味わうために、この世にいるのだから、そう完全に潜在意識による成功法則を信じ切ることは出来ないが、だからこそ楽しいのだし、数言えば、必ず言った通りになるのも面白いのである。








小学4年生の完璧な引き寄せ

男の子なら(女の子でも)、一度は天体望遠鏡が欲しいと思うのではないだろうか?
今は、天体望遠鏡も、手ごろな価格のものが多く、Amazonが配達してくれるので、簡単に手に入る。しかし、安価なものであっても、使ったことがあるのとないのとでは、大きな違いが出てくるのではと思う。世界的音楽家だった冨田勲さんも、子供の時(中学生くらいではないかと思う)、天体望遠鏡が欲しいと思ったらしい。
しかし、彼の父親は医者で金持ちだったとはいえ、当時は戦争中で、どこにも天体望遠鏡は売っていなかった。
それで、冨田さんは、父が持っていた科学雑誌に天体望遠鏡の原理が載っていたのを頼りに、竹と厚紙と老眼鏡と虫眼鏡を組み合わせて、かなり実用的な天体望遠鏡を作ってしまう。
冨田さんは、宇宙に強い興味を持ち、音楽家になってからも、ホルストの『惑星』をシンセサイザー音楽にして、世界で、クラシック音楽では異例の250万枚を売り上げた。
私は、むしろ、冨田さんの宇宙を題材にしたアルバムでは、『ドーン・コーラス』が好きで、2016年5月に冨田さんが亡くなられた年の11月に、東京渋谷のBUNKAMURAオーチャードホールで、冨田さんの最後の作品になる『ドクター・コッペリウス』を観劇に行ったが、その時に、『ドーン・コーラス』の中の『パルサーからの呼びかけ』だっと思うが、それが演奏された時には、良い曲でもあり、非常に感動したものだった。
『ドクター・コッペリウス』の主演は初音ミクさんで、ミクさんが白のチュチュで華麗なバレエダンスを披露したが、映像がいまひとつで、ストーリーも「ちょっと・・・」だった。だが、音楽はやはり素晴らしかった。

今でも、天体望遠鏡の懸賞というのがあるらしい。
天体望遠鏡を買ってもらえない少年達は、願いを込めて応募するかもしれないが、なかなか当たるものではないだろう。
私も、小学4年生の時、そんな懸賞に応募したことがある。
はっきり覚えているが、特賞が反射式天体望遠鏡で、その次が、プリズム式(屈折式)天体望遠鏡だった。その後は、地上望遠鏡や双眼鏡で、私は、せめて地上望遠鏡でもいいから当たればと思ったが、当時は、天体望遠鏡は今より貴重で高価だったと思う。つまり、懸賞の競争倍率が高くなったはずで、私は何も当たらなかった。
だが、当時の私は、「引き寄せ盛り」で、願ったことは現実に出来ることを知っていた。
それで、遠くに住む10歳違いの従兄が、自分が持っている天体望遠鏡をなぜか私に譲ってくれたのだ。
あの懸賞のものとよく似た、かなり本格的な反射式天体望遠鏡だった。
しかし、今考えると、なぜ従兄が私にそれをくれたのかは謎である。彼は、もちろん、天体望遠鏡は一台しか持っていなかった。
ここで、どうやれば欲しいものを引き寄せられるかを一言で言えば、「思い続ける」だけである。
別に「必ず手に入る」なんて力む必要はないし、力んではいけないのだろう。
ただ、ぼーっと考えれば良い。
そして、天体望遠鏡を手に入れてからも、私の宇宙に関する引き寄せは続いた・・・いや、強化された。
月を散々観測した後、星も見たが、星のほとんどは恒星(太陽)であり、天体望遠鏡で見たって、瞬かないだけで(瞬くのは目の中の筋肉が振動しているから)、ただの光の点であることに変わりはない。
そこで、当然かもしれないが、土星を見たいと思った。
しかし、小学4年生の私は、天文に関する知識は一切持っておらず、土星がどこにあるか全く分からなかった。
土星は明るい星で、比較的見つけ易いと言われるが、「あ、あれだ」と分かるほど明るい訳ではなく、実際、他の星との区別は全くつかなかったと思う。
しかし、最初に望遠鏡で狙った星がまさに土星で、やや小さい映像ながら、リングもはっきり見えた。その後も、私は土星を、いつでも簡単に特定することが出来た。
土星を引き寄せる方法も同じで、「見たいなあ」と、ぼーっと思い続けることだ。
全く人のいない道で、好きな女の子のことを思い「来い」と思うと、やはり彼女が現れたものだった。
もはや言うまでもなく、そのコツは、「会いたいなあ」と、ぼーっと思うだけである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
[AI&教育blog] メディアの風


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