ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

引き寄せ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

引き寄せはテクニックでも何でもない

怪異譚(かいいたん)とは、怪異のお話という意味である。
そして、怪異とは、「異様なほど不思議な」という意味であるから、怪異譚とは、「異様なほど不思議なお話」という意味だ。
怪異譚には、幽霊や妖怪の話が多いと思う。
怪異譚は、どこの国にもあるし、面白いものが多いので、それを、仕事や趣味で熱心に収集している人もいる。
私が大好きなオカルト系ジャーナリストだった中岡俊哉氏は、若い時に、中国でたっぷり仕入れた怪異譚のおかげで、人気作家になり、一時は、テレビで見ない日はないと言われるほど人気者のオカルト研究家にもなった。

ところで、「悪霊」と言えば、だいたいが古くからある怪異譚がベースなので、迷信的である場合がほとんどで、論理派を標榜(ひょうぼう。主張すること)する者には、「悪霊」と聞いただけで馬鹿にする者も多い。
しかし、その気になれば、悪霊をそれなりに科学的、あるいは、技術的にすら説明出来る。
それをやる気はないが、要は、悪霊というものはあるのだと思った方が良い。
もちろん、怪異譚に登場するような悪霊は、それが真実の姿ではないだろうが、それは、神や仏だって同じことで、一応、怪異譚に出てくるようなものと思って問題ないと思う。
では、なぜ、悪霊が存在すると思わなければならないかというと、それが、我々の運命に大きく影響するからである。

早い話が、悪霊がつくと不幸になり、特に、強い悪霊、あるいは、沢山の悪霊がつくほど、不幸度は大きくなる。
新約聖書の福音書で、イエス・キリストは、心身に大きな異常をきたした者から、悪霊(悪魔)を追い出して正常に戻すが、特に悪霊を追い出すことで癒したと書かかれていない場合でも、イエスが病気を超能力で治したというのは、その力で悪霊を追い払った場合がほとんどと思われる。

普通の人でも、3つや4つ、あるいは、数十の悪霊がついているのではないかと思う。
そして、外国の場合は分からないが、日本では、沢山の悪霊がついた者が、どうしようもなく増えていると思うのである。
そのせいか、私も、大勢の人が集まる場所に行くだけで、心身の調子がおかしくなってしまうのである。
つまり、悪霊が一時的にしろ、私の方に乗り移ってくるか、関係性が出来てしまうのだと思う。
上記、伝統的な言い方なので、やはり、馬鹿らしいと思う人は多いだろうが、科学的な話かもしれないのである。
また、私は、一時(高校生の時だが)、悪霊に非常に苦しめられ、家庭内でも不幸なことが多く起こったが、神主さんにお祓いしてもらったら、それが止んだことがあった。

悪霊を追い払えば追い払うほど、心身の状態は良くなり、健康や精神状態、知性、それに、運勢も向上するのである。
そして、どうすればそれが出来るのかというと、宗教や、霊能者が助けになる場合はあるだろうが、根本的には自分次第である。
つまり、自分が悪霊に同調しない、高貴な心、前向きな心、強い心、不屈の心、思いやりある心、そして、何より、「敬虔な心」を持つことが必要であると思う。
「敬虔」とは「敬いつつしむ」ことである。
悪霊に憑りつかれた者の特徴は、他人をすぐに馬鹿にすることで、逆に言えば、他人を敬う気持ちがないことである。
ゲーテが、「最も重要なものは、敬う気持ちである」と述べたが、その、最も重要なものを持っていないのである。
どんな人間も尊重し、他人の美点を敬う気持ちのある者は、間違いなく、常に神の恵を受けるだろう。
とはいえ、表面上、他人をおだてたり、媚びへつらったりするようなことと、本当に敬虔であることとは何の関係もない。

この重要なことについては、コリン・ウィルソンが心理学的評論書『至高体験』の中で取り上げた、マクシム・ゴーリキーの「詩のように美しい作品」と言われる短編小説、『二十六人の男と一人の少女(女)』を読まれることをお薦めする。
26人の落ちぶれ果てた年配の男達・・・小説では書かれていないが、やはり、ある意味、悪霊に憑りつかれ、気品も知性も、そして、運もなくしてしまっていた哀れな男達がいた。
だが、彼らは、ほとんど奇跡と言って良いが、向上を始める。
ターニャという16歳の少女と会うようになってからだ。
ターニャ自身は、可愛いが、特に優れた少女ではなく、男達を「囚人さん」などと呼んで見下していた。
しかし、男達の方は、ターニャを天使のように崇めた。
決して、(全てではないかもしれないが)今の日本や韓国や中国のように、女性アイドルを性的魅力によってもてはやすのとは全く違う。
26人の男達は、本人がいない場所でも、決してターニャについて下品なことは誰も言わなかったし、少なくとも、思わないようにしようという自制心はあったと思う。彼女を崇めるゆえにだ。
だから、男達は賢くなり、人間性も向上していったのである。
尚、コリン・ウィルソンは、『至高体験』の中では、ロマン・ゲイリ(ロオマン・ガリ)の『天国の根っこ(自由の大地)』の方を引用し、『二十六人の男と一人の少女』は同種のものとだけ書いていたが、残念ながら、『天国の根っこ』は入手が難しく、また、翻訳者の文章が難しいかもしれない(私は読むのにやや苦労した)。
ただ、コリン・ウィルソンは『至高体験』の中で、『天国の根っこ』の必要な部分を引用している。

引き寄せはテクニックでも何でもない。
どれほど沢山の引き寄せの良書を読んだところで、心を高めなければ・・・特に、敬虔な心、敬う心を持たないなら、全く駄目であろう。








3つの奇跡話

引き寄せの法則は、この言葉が流行る前から、牽引(けんいん。引き寄せること)の法則とか親和の法則などと呼ばれ、また、引力や磁力に喩えられることもあった。
要は、思考が期待する現実を引き寄せるのである。
だが、引き寄せの本を読んでも、長過ぎて、ぼんやりとしたことしか分からないのではと思う。
そこで、うまくやるには、単純で解り易い1つか2つの事例を憶え、その成功例の通りのことを行えば良いのである。
それであれば、イメージが湧き易く、自信や勇気を持って出来るのである。
その成功事例も、引き寄せか単に本人の才能や努力の成果なのか分からないものではなく、明らかに引き寄せであるものが良いだろう。
つまり、明らかに本人の実力を超える成果を得たとか、それどころか、本人には手も足も出ないはずのことが上手くいった・・・早い話が、明白に奇跡であることである。
そこで、このブログでは何度も取り上げた3つの事例を、ポイントを上げながら改めて取り上げる。

1つは、皆大好きな、1憶円当てたホームレスさんの話である(まあ、私が好きなのだが)。
ホームレスと言うからには、人生の落伍者であり、これまで何をやってもうまくいかなかった人である。
ただ、この人は、神様は信じていたらしい。
それもあってか、あくせくせず、暇を持て余していたようだ。
それほど暇だったので、教育学者の七田眞氏の本を読んだのだと思う。
私も以前、段ボール箱の中で寝ているホームレスさんを見たことがあるが、ある男性ホームレスさんが、胸の上に文庫本を乗せて寝ていたのが印象的だった。
暇だから読書をするホームレスさんも多いのだと思う。本は、古書を買ったり、回し読みをするなどすれば、実に安い暇つぶしになるからね。
私にも、以前、ホームレスをやっていた知り合いがいて、聞いたことがあるが、ホームレス同士は仲が良い場合が多く、本の貸し借りはし易いのだと思う。
で、そのホームレスさんは、読んだ七田氏の本に「口癖が現実になる」と書いてあったことを憶えていた。
重要なポイントを押さえる、実に賢明なホームレスさんだ。
何より、それを信じる素直さがあった。
そして、最初に述べた通り、このホームレスさんは、神様を信じていた。
そこで、「神様の奇跡が起こる」という言葉を自然に作り、それをずっと唱えることに決めたのだが、とにかく、暇はたっぷりあったので、本当に1日中、唱えていた。
すると、1週間か2週間したら、頭の中に数字が浮かび、たまたまそこに宝くじの売り場があったので、その数字でロト6という宝くじを買ったら、1憶円が当たった。
ホームレスさんは、七田氏の会社に電話し、「こんな使い方をして良いのか?」と尋ねたら、全然良いと言われ、納得してさらに「神様の奇跡が起こる」と唱えることを続けたら、ローマ法王に会うことになってしまった。
そして、さらに続けたら・・・また1憶円当たった(笑)。
「神様の奇跡が起こる」の口癖、おそるべしである。
また、このブログのコメントでいただいたが、「奇跡は簡単に起こる」を口癖にしている社長さんもいるようだし、初音ミクさんの『Freely Tomorrow』の歌詞にある「奇跡は起きる」という言葉を口癖にしても良いと思う。「神様」という言葉に抵抗がある人には良いかもしれない。
※このホームレスさんの話は、七田眞著『奇跡の超「右脳」開運法』にある。
※七田氏は、口癖については、佐藤富雄氏の『運命は口ぐせで決まる』を紹介している。

長くなったので、2つ目は夕方の記事にする。








感謝感激雨あられの法則

引き寄せの法則や成功哲学の本には、「感謝すれば願いが叶う」「感謝の心がなければ引き寄せが起こらない」などと書かれていることが多いと思う。
それと同じような意味だと思うが、「ありがとうございます」という言葉を沢山唱えると奇跡が起こると書かれている本もよくあると思う。
ただ、あくまで、自分に関してであるが、願いを叶えて欲しいという下心で「ありがとうございます」と言葉だけで感謝するのは、なんというか、どこか白々しいのである。
中学生の時に読んだ、吉行淳之介の『不作法のすすめ』に、なんとも曖昧な記憶ではあるが、「何かを思い出して首がきゅっとすくむようでなければ紳士ではない」といったことが書かれていたのを憶えているが、私が紳士かどうかは分からないが、感謝というものは、純粋な感謝でなければ、私なら首がすくむのである。
他人を褒める時も、本来、そうでないといけないのだろう。
かなり前から「人は褒めて育てろ」なんてよく言われるが、人を褒める資格があるだけの者は、そう多くはなく、学校や会社でも、「こいつにだけは褒められたくない」と生徒や部下に思われている教師や上司だらけなのではないかと思う。
そんな教師や上司は、やはり、本心でなく、なんらかの下心で褒めるのだ。
ちなみに、私は決して人を褒めない。そんなことをしたら、首がすくむ(笑)。
つまり、感謝でも称賛でも、「下心でやってはいけない」ということであると思う。

とはいえ、感謝と引き寄せに密接な関係があるのは確かだ。
ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』の書籍やDVDは、非常に良いと思うのだが、何と言っても長過ぎる。
せっかく良いことを書いていても、その「良いこと」と矛盾することが書かれている場合もあった。
また、「こうすれば良い」と書かれていることに対し、「なるほど!」と思っても、「だが、こうもしなければならない」「ただし、これも忘れてはならない」「ついでに、これも憶えておけ」などと言われているうちに、結局、何をしたら良いのか分からなくなってしまうと思う。
私は、あの本やDVDの中の、「感謝」についてだけ、あそこまでしつこくなく、さらっと書いてくれれば、多くの人の役に立ったと思う。
それなら、『ザ・シークレット』は、数ページで、電子書籍なら200円以下に出来るのにと思うが、それでは大儲けが出来ない・・・と言うより、多少高くなくては有難味がなくて売れないということもあると思う。

で、感謝について、これだけ憶えれば良いと思う。
自分にとって幸運であること、自分が恩恵を受けていること、自分の役に立っているものなど、何でもいいから感謝するのだ。
いくらでもあると思う。
『ザ・シークレット』のDVDでも言われていたが、「見るための目があること」「着る服があること」「住む家があること」でも良いから、感謝するのだ。
「もし、目が見えなかったら」「服がなかったら」「家がなくホームレスだったら」と思うと、本当の感謝の気持ちが起こると思う。
そんなものは、本当に無限にある。
ユダヤの格言に、「脚が1本折れたら2本でなくて良かったと感謝し、2本折れたら死なずに済んで良かったと感謝する」というものがある。
そして、小さなことで、それに見合った程度の小さな感謝であっても、嘘偽りのない感謝であれば、確実に良いものを引き寄せる。
私が載っている車は古いのだが、車があって良かったと本当に感謝しているので、新車と全く同じ快適さを保っている。
2018年のマジカルミライ大阪で32列目の席だったが、「SS席が当たって良かった」と本当に感謝したら、翌年は、13列目、そして、昨年は2列目だった。
万事、そんな感じである。
そして、私が敬愛する橋本健博士は、「針小棒大(しんしょうぼうだい)に喜べ」と本に書かれていた。
「針小棒大」とは、「針ほどの小さいことを棒ほどに大きく言うこと。物事をおおげさに言うこと。」という意味で、小さなことでも、そんな感じで大きく喜んで感謝するほど、引き寄せは大きくなると思う。
また、やはり私が敬愛するジャーナリストの中岡俊哉氏も、超能力開発のコツは「小さな成果であっても、『やった!』と大喜びすることが大切だ」と本に書かれていたが、本当の成果かどうか怪しい場合は、外部への発表は慎重にしなければならないが、個人的には大喜びすれば良いのではないかと思う。
超能力ではないが、好きな女の子がちょっとでも親切にしてくれたり、優しい言葉をかけてくれたら、「こいつ、俺に気があるのでは?」といった阿呆な誤解はしてはならないが(笑)、「やった!ありがたい!」と純粋に感謝すれば、彼女はやがてあなたのものになるだろう。
宇宙は、そのように出来ているのである。
つまり、純粋に感謝すれば、もっと感謝したくなることが引き寄せられる。
もし、その女の子が駄目だった場合は、もっと可愛い子が来るのであるから、感謝感激雨あられとなるだろう。








高貴な人物の魂の注入を受けパワーアップする

最近、著名な発明家の橋本健氏(理学博士)が、哲学者でヨガ指導者の本山博氏(文学博士)と共著で書いた『超能力入門』(1983)を読み、久々に感動した。
橋本博士は、超能力に関し、現代科学で解らない部分は解らないとしながらも、なるべく道理に適った仮説を立て、解り易く説明されている。
ただし、この本は、決して、超能力の理論的解明を目指したのではなく、あくまで、応用・・・超能力を人生の幸福や人類の進歩に役立てることを目指しており、その目的な十分に果たしたと思う。
私には、そう考える理由がある。
それは、こんなことだ。
これまで、引き寄せの法則や、潜在意識による成功法則について、このブログで書いたり、1対1、あるいは、セミナーで教えたこともあるが、どれほど簡単で誰でも出来る、そして、確実な方法を教えても、どうしても駄目な者が現実的にいる。
なぜ、この者達が駄目なのかは、なんとなくは分かるのだが、はっきりしないところもある。
そんな者を見る度に、不思議な感じがする。
「なぜ、この人は、そんな考え方をするのだろう」
「なぜ、この人は、こんな楽なことが出来ないのだろう」
「なぜ、この人は、こんなに心が歪んでいるのだろう」
ちょっと貶してしまったが、そんな人の中には、頭も良く、人間性も素晴らしい信頼出来る人だっていたのだが、なぜか、ツイてなく、良い思いが出来ず、苦労をしょい込み・・・早い話が損ばかりしている。
まあ、もちろん、それは、根本的には、学校やマスコミの洗脳のためである。
ほとんどの人が、ちゃんと学校を出ており、それなりにテレビを見ているので、その影響で、日本人のほぼ全てが、精神がすっかり駄目になっているのである。
それは分かっているのだが、特に、頭や身体が立派で、人間性も悪くない人が、そんなに駄目な様子を見ると、本当にがっかりするのである。

ところで、さきほど述べた『超能力入門』は、最後にこう書いてある。
「この本を読んだあなたは、既に超能力者だ」
その通りであるし、それくらい自信がなければ、こんな本を書くべきでない。
そして、実際、自信に満ち溢れた本である。
昨今の、「結果がどうなるかはあなた次第です」的な、逃げを打った安っぽい引き寄せ本とは格が違う。
そして、『超能力入門』自体が、超一流の引き寄せの本である。
とはいえ、私も、書いてあること全部に納得した訳ではないが、そんなことはどうでも良かった。
著者の魂が読者の中に入り込み、強い肯定的な作用を与えるのである。
そして、この本の2人の著者が崇高な魂の持ち主であることは間違いないと感じたので、きっと素晴らしい影響が得られるだろう。
確かに、橋本博士は、ある宗教のおかげで若い時に命拾いした経験から、その宗教のことや、その宗教の教祖が書いた書籍を取り上げているが、決して、入信を薦めている訳ではない。

私が見た、残念な人達も、魂の注入により変わるだろうかと思う。
まあ、セミナーなどで見られる「カリスマ支配」という、偉大な人物に接したら、数日ほど、熱狂して自分が偉くなったように感じる妄想現象があるが、私もそんな状態なのかもしれないので(笑)、もう数日、様子を見ようと思う。
ただ、橋本博士は、驚くほど謙虚な人で、私は、付き合いはメールのやり取りだけだったが、それでも十分にお人柄が伝わって来た。
今は知らない人が多いだろうが、少し前に、テレビや書籍等で、超能力などの超常現象を徹底否定していた、大槻義彦氏(理学博士。84歳)という、素晴らしい実績のある立派な物理学者がいて、私も結構ファンだった(笑)。
橋本博士は、当時、早稲田大学の教授だった大槻博士と一緒にテレビ出演もされたそうだが、橋本博士は、「僕は議論は苦手で、大槻先生にはずっと批判されっぱなしでした」と言っておられた。
大槻教授の超能力批判は、教育的信念に基づいたものであり、非常に称賛すべきものである。
しかし、まだ未知の部分に、強引な論理を持ち込もうとすると、いろいろ無理も出る。
だから、稲森和夫氏のように、あるいは、『ラーマーヤナ』のラーヴァナの教えのように、「私心なきか」を問い、もし、そうであれば、自分の直観に従うことも必要である。
私心なき直観こそが、真の意味で人類を進歩させてきたのである。

尚、橋本博士の本は沢山あるが、超能力などへのアプローチの方法を変えてあるだけで、中身としては、どれもほとんど同じなのではないかと思う。
少なくとも、本当に重要なことは、どの本にも漏れなく書いておられ、とりあえず、どれか1冊読むことは良いことと思う。
古書によっては高価であるが、橋本博士の本はベストセラーが多く、比較的安価な古書も少なくない。








バカの1つ覚えの威力

いざという時の護身用に格闘技を習っても、よほど鍛えない限り、実戦で役に立たないし、実際は、かなりの上級者になったところで、それで喧嘩に勝てるかどうかは全く分からない。
多少、格闘技をやっている程度では、本当に実戦になったら、頭に血が上って思考力がなくなるので、練習中に「こんな攻撃をしよう」と思った攻撃は全く出てこない。
いざとなったら、とにかく、武器になるものを探して狂ったように振り回すか、物を投げるか、脚に自信があれば走って逃げることだ。
そもそも、格闘をしなければならないような場所に行かず、格闘になる流れにしないことが当然の心がけだろう。いかなる武道の達人だって、喧嘩の実戦になれば、必ず勝てる保証なんて絶対にないのだから。
もし、どうしても素手で戦わざるを得ない状況に備えるなら(本当は備えなくていいが)、とにかく、攻撃1つだけ考えておくことだ。
そして、それは、現実的には、相手の脚をひたすら蹴ることになると思う。
ところで、私は昔、野犬に襲われたことがあるが、考えたのか無意識にやったのか憶えていないが、皮ベルトを外して半分の長さに折って振り回すと、野犬が近付いてこれなかったことがある。
つまり、敵も、これは有効な戦い方と認めたのだろう。
相手が人間でも、ベルトの金具の部分を先にして振り回してこられたら、男同士なら、そうそうは近寄れない。
子供で、噛みつき専門で喧嘩に強いという者がいたような気がするが、この場合、とにかく、容赦なく嚙む気力がないといけない。

何の話かというと、武器は1つにし、それを磨き込んでおくのが良いということだ。
喧嘩でなくても、何事においても。
西洋に、「大きな銃を持った大人より、いつもナイフを磨いている少年の方が恐ろしい」という諺があるそうだ。
大きな銃を持っているだけの大人は、いざという時、その銃を使えないが、いつでも、それだけを使う気満々の少年のナイフは手ごわいといった意味と思う。

職場でも、何でもソツなくこなせる者というのは、都合よくあごで使われるだけで、良い思いが出来ないだけでなく、最後まで、強い武器を得られない。
しかし、「俺はExcelマクロ(VBAプログラミング)しか出来ない」と言い、ただし、それだけは一級に磨き込んでいれば、上司がうやうやしく、「これをやっていただけないだろうか?」と仕事を「お願い」してくるものだ。
そうでないなら、まだ腕前が足りないのだ。
上のナイフを磨く少年もそうだが、本当に日々、武器を磨いていれば、不思議な雰囲気も出て来て、自然に重く扱われるようになるのである。

落合博満さんという、日本の野球の歴史でもトップ5に入ると思われるバッターは、素質も努力も凄かったのだろうが、それでも、あそこまでになれたのは、彼のニックネームでもあった「俺流」に徹したからだと思うのだ。
彼は引退した後「全打席でホームランを狙った」とカミングアウトしたが、もし、現役時代に監督にでも聞かれたら大問題だったろうし、それは彼も分かっていたはずだ。
しかし、彼は、「俺流」を優先し、ホームランだけを狙い、ホームラン用のバッティングに徹したから、誰も及ばないホームラン専用のバッティング力を身に付け、打ち損ないがヒットになる確率も上がったのだろう。
対してイチローさんは、とにかく塁に出るバッティングを優先し、長打を打てる能力を封印したので、フライでアウトになる可能性を最小にし、たまに絶好球が来たら狙ってホームランを打ったのだと思われるのだ。
落合さんやイチローさんが、もっと適応力の広さを心掛けていたら、あれほどのバッターにはならなかったかもしれない。
まあ、監督としては、適用力の広さを求めただろうが、そこは自分のために、可能な限り無視した方が良い。何事も。
尚、落合さんは、自分がそうだったから、監督になった時には、選手にわがままを認めず、指示通りにやることを徹底的に強制したことが、監督としての好成績にも結び付いたのだろう。選手には幸せな話ではないが。

私が大好きな言葉に、プロレス史上最高のレスラーだったルー・テーズが言った、
「技を1つと言われればダブルリストロック」
がある。
こんな解答が即答で帰ってくるプロレスラーが弱いはずがない。
彼は、この技を徹底的に磨き込み、いつでも、この技で相手の腕を折ることが出来た。
ただし、実際に折ったことは一度もなかったが、その寸前まで締め上げれば、相手も下手なこと(事前に打ち合わせた試合内容から外れたこと)などやってこない。

プログラミング言語も、JavaやC++、あるいは、意外にJavaScriptなどは、上には上がいる。
PythonやPHPなどのスクリプト言語は、誰がやっても、そんなに変わらないことが多い。
ところが、言っては何だが、VBAは使用者のレベルが低い場合が多く、磨けばすぐに上位に行ける。
そして、VBAの達人というのは、案外に凄いことが出来る。なぜなら、ExcelやAccessの凄い機能をVBAで使えるのだからだ。
JavaやC++などでも、凄い機能のオブジェクトライブラリを使えるが、詳しくは言わないが、それはいろいろと面倒な部分があり、やはり、よほどの者でないと達人になれない。
よって、Excelマクロを磨き込めば、早くからいい思いが出来る。そして、AccessはExcelより数段高度なことが出来るので、Accessマクロを磨けば、いい思いも大きなものになる。

最後に、引き寄せについても、やっぱり、1つを磨く者が、容易く引き寄せを行えるようになる。
対して、いろんな方法を、あっちに行き、こっちに行きしている人は(実際は、そんな人が多いが)、引き寄せがうまくいかない場合が多い。
また、2つの方法を持っているのは別に悪くはないが、実際は、どっちつかずになる場合が多い。
それで、もし、迷っているなら、効果は実証されているので、他のものは諦めて、「神様の奇跡が起こる」あるいは「奇跡が起こる」を唱えることに徹した方が良いと思う。
あるいは、「富」などの言葉を唱える単語法に徹するかだ。
1つに決めれば、心も落ち着き、さらに良い成果が出ると思う。
もちろん、自分に合った方法を自分で選び、それを存分にやれば、満足度も高いと思う。
だが、平和な人生を求めるなら、上に挙げた方法をご検討いただければと思う。
尚、企業や学校、そして、闇の権力者達は、あなたに、猿芸の多芸・・・つまり、何でもそこそこ出来る人であることを求めているので、ついつい、そんな道に行くことになるが、それは奴隷でしかないのだと私は思う。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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