ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

引き寄せ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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想いの量の問題

この世界の仕組みは、昔から言われるように「思考は現実化する」だ。
だから、「願いを叶えたければ、願いが叶った状態をイメージしろ」とよく言われるし、それで間違っていない。
例えば、1億円のことを考えると、直ちに、一億円を引き寄せる。
しかし、なぜ、ほとんどの人が願いが叶わないのかというと、想う量が足りないだけだ。
そりゃ、精神の優れた人なら、一度願い、忘れたら、引き寄せっぱなしの状態になる。
けれども、普通の人なら、願ったことを打ち消すことを考えるので、ずっと思っていないと引き寄せが続かない。
1日に2~3分を、数日イメージした程度では、頭の中に存在するマイナス思考が、願いが叶ったイメージを打ち消してしまい、引き寄せは起こらない。
だから、1憶円欲しいなら、ずーっと、1億円のことを考えていないといけないが、誰も、十分に考えないのだ。
そして、ずーっと考えることが出来ない願いは、その人に相応しくないのである。
1憶円必要な人間って、そんなにいないからね。

想いの量と願望実現について、私は、有名なプロレスラーだったジャイアント馬場さんが本に書かれていたことを、いつも思い出したいと思っている。
馬場さんの憧れの的だった、バディ・ロジャースというアメリカのプロレスラーがいた。
馬場さんが「最高のプロレスラー」と断言する、プロレスで最も成功したプロレスラーだ。
ロジャースは、全米中、どこで試合をしても、会場は超満員だったが、特にロジャースは、女性客の大量動員に成功した初のプロレスラーだったかもしれない。
全米中のプロモーター達が皆、競って、ロジャースの機嫌を取りつつ、高いギャラを提示して、自分のテリトリーに呼びたがる。
プロレスラーとして、これほど良いことはない。プロレスは、スポーツでも格闘技でもなく、ショーなのであるから、人気がなければお話にならない。
そして、アメリカで活躍していた馬場さんは、きっと、ロジャースに学ぶことで、大人気レスラーになり、ついには、世界チャンピオンのロジャースと挑戦者、馬場さんの対戦が、全米一のドル箱カードになり、馬場さんも儲けまくった。日本では伝説の人物である力道山も、馬場さんと比べれば実際は小物だった。
で、ロジャースはなぜ成功したかというと、馬場さんは、「彼はずっと考えていた」と言う。
プロレスラー達は、電車やバスで集団移動することが多い。
その中で、仲の良いレスラー同士、酒を飲んだり、雑談したり、ゲームをしたりして暇をつぶす。
しかし、ロジャースだけは、そんなものに参加せず、1人でずっとプロレスのことを考えていたのである。
馬場さんは、「ずっと考えている者とそうでない者では、そりゃ差がつく」と、当たり前のことを言うが、その当たり前を誰もやらない。
ところで、馬場さんは、自分が大スターになっても、控室では常に小さくなって、先輩レスラーを立てていたので、アメリカのレスラー達にも大変に好かれていたらしい。
もちろん、馬場さんがアメリカに来たばかりの、右も左も分からない時に、親身になって世話を焼いてくれたレスラーには恩義があるだろうが、そうでないレスラーもいたはずだ。
馬場さんが、大人しかったのは、案外、1人でじっと考えたかったからではないかと思う。

あなたも、欲しいものがあったら、なるべくずっと考えることだ。考える量が大きいほど早く叶う。
考え方なんて別にない。
1憶円欲しければ、心の中で、ずっと「1憶円」と言ってたって構わない。
画家になりたければ、「私は画家だ」と心の中で唱えると良い。
自分の好きなやり方でやれば良いと思う。
ジョセフ・マーフィーの『マーフィー 世界一かんたんな自己実現法』で、マーフィーは、講演で、
「『私は〇〇だ』と言えば、そうなる」
というシンプルな原理を示すと、ある男性が、「やってみよう」と思い、
「私は裕福だ。私は幸せだ。私は最高の気分だ」
と、いつでもどこでも、出来るだけ唱えるようになった。それで、人生を大きく変えたようだ。
想いの量が大切なのである。
ちなみに、ジャイアント馬場さんは敬虔なクリスチャンだったので、想いの力について、普通の日本人とは違う発想があったのかもしれないと思う。
それで、ロジャースの特異性に気付けたのだと私は思うのである。
尚、上記の馬場さんの話が、どの本に載っていたかは私は覚えていない。








ナンセンス感覚で成功する

「ナンセンス文学」というものがある。
「ナンセンス」とは、「意味がない」「ばかげている」といった意味なので、「ナンセンス文学」とは、意味のない、馬鹿げた文学だ。
童話は、グリムでもペローでも、根本的にはナンセンス文学なのだと思う。
「この童話には、こんな教訓がある」などというのは、あくまで、後の世の人の1つの解釈、あるいは、想像であり、実際は何の意味もないと思って読んでも、読み方が間違っているとは言えない。
逆に、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』シリーズは、ナンセンス文学の代表のように言われるが、それらの作品に、どんな深い解釈を付けたって別に構わない。

そして、この世界や人生そのものがナンセンス文学なのである。
人生には何の意味もないと思えばそうであるし、深い意味があると思えば、やはりそうなのである。どちらの態度が正しいのかは分からない。

『魔王城でおやすみ』という、これこそナンセンス文学と思われる漫画・アニメ作品がある。
人間のお姫様のスヤリス姫が、人質として、魔王の城に捕らえられ監禁されるが、害されることもなく、それなりの待遇を受けていた。
だが、スヤリス姫が「枕が固くて眠れない」と思っていたら、ふかふかの毛の動物(魔獣か妖精)が現れ、スヤリス姫は、その毛を使って、モフモフの枕を作る。また、シーツの触り心地が悪いと思ったら、スベスベの肌触りの布の魔物が現れ、スヤリス姫は。その魔物の身体をシーツにしてしまう。
望んだものが、すぐに都合よく現れるところは、童話の基本と思う。
例えば、白雪姫では、森の中に捨てられた白雪姫は、都合よく七人の小人の家を見つけるし、シンデレラでは、これもあまりに都合よく、魔法使いのお婆さんが現れる。
「やっぱり漫画」「やっぱり童話」と思うかもしれないが、我々の人生だって、絶対に同じなのだ。
私だって、「こんなものがあればいいな」とか「こんな人がいればいいな」と思うと、必ず、そんなものや人が出現する。
思い返してみると、それはもう確実なのである。
例えば、勤めていた会社が面白くなく、「別の会社に変わりたいなあ。しかし、就職活動は面倒だ」と思っていたら、ある日突然、別の部署の課長が「ちょっと休暇を取って付き合ってくれないか」と言い出すので、「ああ、いいですよ」と一緒に行ったのは、その課長の先輩が経営する会社で、本当は、課長がそこに入社したかったのだが、なりゆきで私が「ああ、入ってもいいですよ」といった感じで入社し、厚遇された。
「いや、俺はそんなにうまくいったことはないぞ」と言うなら、何か間違えているのである。
多分、何でも自分の小さな頭で考えてしまい、なりゆきにまかせようという心構えが足りないのだ。
なりゆきにまかせることの大切さは、『荘子』や『新約聖書』のイエスの言葉を読めば分かると思う。
スヤリス姫のように、何も考えないか、あるいは、気楽で良い気分でいれば、都合の良いことは必ず起こる。
まあ、確かに、歳を取るほど、そんなマインドでいるのが難しくなるが、出来ないわけではない。
「私は最高の気分だ」という言葉を、心の中で、静かにゆっくり(つまり丁寧に)繰り返すことだ。
「私は〇〇だ」と繰り返し唱えれば、そうなるように宇宙は出来ているのである。
そして、気分が良ければ、良いことが起こることもまた、宇宙の仕組みなのである。








本当の「良い気分」とは

ロンダ・バーンの『ザ・シークレット』は、世界で最もヒットした引き寄せ書だ。
だが実際は、内容は全く洗練されておらず、矛盾も多く、引き寄せマスターとして登場する人達の中には、好き勝手に、いい加減なことを言って読者を混乱させているにも関わらず、これほど成功した理由は、この書籍の内容に準じて作られたDVD『THE SECRET』(世界で800万枚以上売れたらしい)の一番最後を見れば分かるように思う。
ロンダ・バーンが、木の棒で砂浜の上に“FEEL GOOD”と書く場面だ。
引き寄せに必要なのは、「FEEL GOOD(いい気分)」であることだけであり、それをこれほど単純に見事に表現したものは他にないのだから、大成功したのである。

ところが、『THE SECRET』(DVD)の中で、名前も覚えていないが、一応は成功者ではあるのだろうが、チャラい男が、
「いい気分になればいいんですよ。こう、『ひゃっほー!!』って感じでね」
と言ったりするから、それだけで、少なくとも、半分の人は引き寄せから遠ざかったと思う。
テンションが高い状態、盛り上がっている状態が気分が良いことだと大誤解させる迷惑なものだった。
「テンションが高い」と言ったら、一般的に、感情が高ぶっている状態と理解され、「やる気がある」みたいな良い意味に捉えている人が多いが、「テンション」とは、「精神的な緊張や不安」のことであり、それが高まったら良いことなど何もない。
そして、感情が高まっている「ひゃっほー!!」の状態というのは、緊張や不安から必死で逃げようとしているだけなのだ。
「ひゃっほー!!」の状態でいれば、ますます、緊張や不安は高まる。

また、『THE SECRET』の中で、賢者ぶった男性の老人が、やはり気分を良くするためという意味だろうが、「美味しいものが食べたいなら食べて下さい」と言ったが、これも最悪なのだ。
必要以上に、美味しいものを食べる、アルコールを飲む、性的快楽に溺れるというのは、やはり、テンション(精神的緊張や不安)を隠す、あるいは、紛らわすもので、そんなことをやれば、ますます、悪い気分を抱え込むことになる。
だいたい、気分が良い時というのは、質素な食事で十分に満足するし、アルコールは不要、あるいは、僅かで良いし、性的刺激も、少なくとも、過度なものは不要で、むしろ、過度なものを嫌悪するのである。

「ひゃっほー!!」や馬鹿騒ぎは、引き寄せを止め、不幸に落ち込ませる原因でしかない。
ロックコンサートで、テンションが上がって、大いに盛り上がった後は惨めな気分だと思う。幸せが逃げたのだから。
良いロックは、荘厳ではあっても静かなものである。
坂本龍一さんが作曲した『BEHIND THE MASK』をアメリカの人達がロックと見なしていることを、坂本龍一さんが驚き、坂本龍一さん自身が、この曲がロックであることを理解するのに20年かかったという面白い話がある。作った本人が、ロックを作ったという意識がまるでなかったのだ。
だが、これはロックの超名曲で、エリック・クラプトンやマイケル・ジャクソンらもカバーしたが、彼らは、商業的成功のため、これを、テンションが上がる、俗っぽいロックにアレンジしてしまったように思う。
本来の『BEHIND THE MASK』は、荘厳で静かな曲なのだ。

人間は、まずは、生存が保証された時に、いい気分になる。
衣食が十分であるとか、しっかりとした住む家や仲の良い家族があるといった状態だ。
あるいは、就職出来たとか、出世したとか、幸せな結婚をした時に、生存が保証されたように感じ、気分が良くなる。
逆に、これらが得られないと、気分が悪くなる。生存が保証されず、不安定であるのだからだ。
いわゆる、「マズローの欲求の5段階」は、生存の確率が高まっていく過程に沿っている。
しかし、いかに、物質的な生存の可能性を高めても(お金や地位があっても)、究極的な満足を得られないばかりか、むしろ、それ(物質的成功)が過度に高まると気分が悪くなる。
それで、マズローは「自己実現」というわけの分からないことを言って誤魔化したが、それが誤魔化しであることは本人も分かっていたようで、死ぬまで「自己実現」について、いろいろ取り繕っていた。
人間は、いつか死ぬのだから、生存の保証など、あるはずがない。
しかし、自分が肉体ではないこと、実に、「存在(生存とほぼ同じ)」でしかないことが分かれば、生存の保証など全くの不要だ。
ただ、それを理屈で理解しようとしたら、やっぱり、迷ってしまい、気分は悪くなる。
人間の頭脳は、霊的なことを理解出来ないのだ。
霊的に理解するには、ただ、「私は在る」と、心の中で、穏やかに丁寧に唱えれば良いだけである。
人によっては、神の名を唱えたり、念仏を唱えることが向いている場合もある。
すると、真の自己であり、「在りて在るもの」である神(あるいは仏)の方から来てくれる。
いきなりこんな説明では分からないと言うなら、「私は気分が良い」と、静かに穏やかに心の中で唱えれば良い。「私は最高の気分だ」でも良い。
そうすれば、やはり、存在(神)がやって来るだろう。








限度はあるが、目標は曖昧に

成功法則や引き寄せの法則では、「目標を具体的に」というものが多い。
例えば、金持ちになりたいと思うだけでは駄目で、「期限」と「金額」を明確にしないといけないと言う。
家が欲しい場合には、場所や広さ、部屋数、間取り、庭や門の様子等を全て明確にし、そのために、理想とする家の写真や絵を飾ることが勧められる。
欲しい彼氏や彼女の外見や性格に関する詳しいことを決めておき、さらには、いつまでに欲しいのか決めろと言われたりする。
そして、そうやって願ったものと、ぴったり、あるいは、ほとんどぴったりのものを、設定した期限通りに得たという話がある。

だが、そういうふうにしたい人、あるいは、そいういうふうにする必要がある願望を除き、普通の人は、もっと適当にやった方が良いと思う。
例えば、20XX年YY月XX日までに一億円得る・・・なんて目標は、ガチガチの左脳思考で、自我的思考だ。
そんな目標を立てると、自我は肥大し、欲望が大きくなり、緊張し、疲れると思う。
まるで、何月何日のダービーで優勝しろと言われた馬や、優勝が義務とされているプロ野球の監督になるようなもので、やってる当人は、絶対に楽しくないし、少なくとも、普通の人にやれることではない。
せっかくの楽しいはずの目標が、具体的な目標を立てると、そんな野球の監督のように、「やらされている」感じになってしまうのだ。
実際、ガチガチの目標の世界に生きている人は、消耗し尽くし、いずれ病気になったり。性格が破綻することが多いのだと思う。そもそもが、大半は失敗するのだ(プロ野球の監督のほとんどは失敗する)。
プロ野球の監督を、一見うまくやっているような人は、超人的な根性があったり、執念めいた意地があったりする特別な人なのだが、そんな人達だって、本当は苦しいのである。お金や名誉のために、そんなことを続けていると、まあ、あまり良いことはないと思う。

そして、おかしいのが、具体的な目標を強調する指導者が、自己暗示や口ぐせの重要性を語る際、マイナスの自己暗示や口ぐせについて、こんなことを平気で言うことだ。
「子供の時、親に『お前は駄目な子だ』『お前は大したことは出来ない』『ほら、失敗するよ』と言われ続けた子は、そんな言葉が潜在意識に入ってしまい、実際に、駄目で、大したことが出来ない、失敗する人間になる」
「お前は駄目だ」「大したことは出来ない」「失敗する」なんて、超抽象的で、少しも具体的ではないじゃないか?
それでも実現すると言っているのである。
全く変な話だ。
良いことは具体的なことが、悪いことは曖昧なことが実現するなんて馬鹿な話は無い。
つまり、曖昧な悪い暗示が実現するなら、曖昧な良い暗示も実現するのだ。

そもそも、アメリカで最高のアファーメーションと言われているものの1つが、
「私は健康だ。私は豊かだ。私は素晴らしい」
という、実に曖昧で大らかなものなのだ。
これだと、健康に制限をかけず、どこまでも健康であっていいし、豊かさにも制限をかけず、いくら豊かであっても良い。
素晴らしいアファーメーションだ。

曖昧さの欠点があるとすれば、何も考えないこと・・・早い話が、曖昧な目標も立てなくなることであり、そんな人間がいることも確かだ。
「何か面白いことないかなあ」といつも言っているような人間だ。
自分は何をしたいのか、どこに行きたいのかといった目標は持たないといけない。
例えば、ミュージシャンになりたいとか、科学者になりたいとかだ。
しかし、ミュージシャンになりたいと言っても、単に、ギターを弾きながら雑音のような歌を歌っている者も、高校生や大学生などによくいるので、そんな連中を見ると、確かに「目標は具体的に」と言いたくなる気持ちも分かる。
だが、大切なのは、「適当に」「ほどほどに」である。
これに関しては、アインシュタインがうまいアドバイスをしてくれている。
「出来るだけ単純に。だが、限度を超えないように」

目標設定も、具体的にすべき部分も確かにある。
だが、お金が目的なら、「豊か」とか「富裕」としておけば、自分のイメージの範囲で、「豊か」「富裕」な金額が自動設定される。
丁度、子供の時に、親に「お前は駄目なやつだ」と言われた時の駄目が、どれほどの駄目さかは、その時々の自分がイメージ出来る範囲での駄目になるようにだ。

貧乏な人が、いくら「目標一億円」だの「目標年収3千万円」だのと言っても全くピンと来ない。
しかし、単に「私は豊かだ」とアファーメーションをすれば、「借金が返せるだけ」「今、欲しいと思うものが買えるだけ」のお金が入ることが自動的にイメージされ、その言葉を、心で丁寧に数多く繰り返せば、必ず実現する。

アインシュタイン的に言えば、
「目標は明確に。ただし、限度を超えないように」
で良いが、むしろ、
「目標は曖昧に。ただし、曖昧過ぎないように」
に近い。
人間には想像力がある。ある程度は曖昧な目標にし、後は、想像力で広げていくのが良い。
残念なことに、悪い目標の場合には、それをやっている人がすごく多いのである。
それを、良い目標でやれば良いのである。








一語の神

今は、「引き寄せ」という言い方をすることが多いが、本来の概念では「魔法」と言うべきものが、「引き寄せ」とか「潜在意識の法則」とか「超能力」とか「霊能力」として、その使い方が本に書かれている。中には、人気があって、かなり売れているものもある。
ただ、残念なことに、使い方の説明に1分以上かかるものは(つまり、一冊の本になった時点で)使えないのだ。
なぜなら、魔法は考えたら使えないからだ。
使うのに説明を必要とするということは、頭を使うということであるが、思考を通して行うことは魔法ではない。
魔法は、ただ一言で教えられる。
それは、「神の名を唱えよ」だ。

ところが、私は、神(あるいは仏)の名を1つも知らなかった。
二十歳過ぎた頃にも、「天照大神(あまてらすおほみかみ)」を読めなかったし、何となく、阿弥陀とか観音という言葉は知っていても、それらの仏の名前を正しくは知らなかった。
本来は、子供の時から知っている神仏の名を唱えるのが一番であるが、私には、そのようなものがなかったのである。
とはいえ、日本語というのは、一語一語が神なのであり、おそらく、太古の昔、日本人の祖先は、単純な言葉の1つ、あるいは、いくつかを組み合わせて(おそらくは心で)唱えるだけで、岩を浮かせるようなことを軽々と行ったのだと思う。
だから、子供でも、「えい」とか「やー」とか「たー」といった、お決まりの愛用の掛け声を使う子は、その言葉の神が手助けしてくれ、驚くようなことをしているのかもしれない。
実際、私も、ここでも何度も書いたが、子供の時から、およそあり得ない奇跡を何度も起こしてきたのは、いつも(掛け声などで)使う特定の言葉に宿った神の力によるのだと思う。
一語であっても、神であるからには、強い力を持ち、昨日も書いたが、「ア(アー)」だけでも、唱えれば、悩みが消えてしまう。
もちろん、それぞれの言葉の神には個性もあるだろうが、やり方が違うだけで、普通のことであれば、何でも出来るのだと思う。

その中で、調べていたら、「トホカミヱヒタメ」という、8つの言葉が表す8柱の神を唱えるのは良いことであると思った。
よく「トホカミエミタメ」と言われているが、正しくは、「トホカミヱヒタメ」である。
私のように、子供の時に馴染みの神の名を持たなかった者で、どうも親しみの湧く神や仏の名前がない場合、たった一語の神の名を、心で丁寧に唱えれば良いと思う。それだけで、必ず恵があるだろう。
あるいは、「トホカミヱヒタメ」の8柱の神の名を唱えると良いだろう。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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