ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

引き寄せ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

お前のものは俺のもの

我々は、自分のサイズ感を間違っているのである。
つまり、人間としての身体を自分だと思っていることが間違っている。
そうではないということは、インドの聖者らが言ってるらしいが、インドの聖者の言葉の日本語の翻訳は、おそろしく抽象的で、古くなったトーストのように食えない。
おそらく、インドの聖者の言葉が、翻訳される際、英訳する人(大抵は最初に英訳される)も和訳する人も、聖者の言葉の意味が全く分からず、それでも無理に翻訳したので、とんでもなく変な訳になっただけだろう。
だが、きっと、インドの聖者は、ごく単純な意味のことを言ったのだ。

我々は、周囲の空気と切り離されたら生きていられないのに、皮膚の外のものは自分ではないと思っている。
我々は、自分は「産み落とされた」存在だと思い込んでおり、自分は、生まれた途端に世界から孤立し、それからもずっと孤立していると思っているのだ。
お金がないなんて言っているが、社長が沢山持っているし、イーロン・マスクはザクザク持っているし、銀行や財務省にもいっぱいある。だが、それらのお金は自分のものじゃないと思っている。
泥棒に盗まれるなんて言うが、泥棒の家やカバンや、さらに、泥棒も込みで自分のものなのだから、盗まれるはずがない。

インドの聖者、ラマナ・マハルシの元に長く居た人が、ある時、マハルシにこう言った。
「食事をしている時、食べ物と皿と自分の区別がつかなくなり、誰が食べていて、誰が食べられているのか分からなくなった」
それを聞いたマハルシは喜んだ。
その者が、食べ物も皿も、自分と異なるものではないことが分かってきたからだ。

「初音ミクは俺の嫁」と言うが、そう言う者は大抵、「初音ミクはお前の嫁」であることも認めている。
これは尊いことだ。
昔のアメリカ映画で、こんなものがあった。
ある少年は、ある少女が好きだったが、その少女は、どこかのオッサンに妊娠させられてしまう。
それでも、少年は少女と結婚する気があったが、少女のお腹は大きくなるし、少女も後ろめたさからか少年に冷たい。
そこで、少年は、映画の主人公であるヒーロー的男性に相談する。
すると、その男性は、「いい方法がある」と言う。
それは、「(子供も)込みでもらうんだ」で、それを聞き、少年は気が晴れた。
ちなみに、少女に手を出したオッサンは、崖で転落死する(笑)。
ところで、アメリカの1930年代の西部劇『ローン・レンジャー』で、ローン・レンジャーという仮面のレンジャー(警官などの意)は、敬愛する兄を殺した悪党が崖から転落して死んだ時、インディアンの青年トントが「こんなやつ、死んで当然だ」と言うのを聞くと、「死んで当然のやつなんかいない」とトントをいさめた。アメリカに魂があった時代であった。

世界が、自分と異なるものではないことが分かれば、必要なものは向こうからやってくるらしい。多分、本当だ。
吸える空気が無限にあるように、イーロン・マスクのお金程度はもちろん私のものである(笑)。
皮膚の内側の血が自分のものであるなら、誰の許可も必要なくいくらでも吸える空気も自分のものだ。
厳密に言えば、空気を受け入れているからいくらでも吸えるように、世界にあるお金を受け入れればいくらでも手に入る。
受け入れるためにはどうすれば良いか。
簡単である。受け入れを拒否している自我を消せば良い・・・厳密には、出来るだけ希薄にすると良い。
その方法はいくらでもあるのに、ほとんどの人は十分にやらないのである。








かけた時間だけの問題

プログラミングがマスター出来なかったという人がいるが、それは、プログラミングの訓練にかけた時間が足りなかっただけと思う。
TOEICで思うような成績が取れないのも同じと思う。
別に、訓練にかけた時間が足りないから、その人は根性がなくて駄目というのではなく、十分な時間、やる気にならないなら、向いていないのかもしれない。実際、私はTOEICをやる気はない。
ただ、時間をかけずに出来ると思っているなら、それは甘いと言うしかないと思う。

私は、社会人になって初めてやった仕事がセールスマンで、2人の凄腕セールスマンであるセールスマネージャーが私の上司だった。彼らはマネージャーの仕事をしながら、時々、自らセールスしていた。
何度か書いたが、私は駆け出しの時に、いきなりセールスコンテストで優勝したことがあるが、それ以降は不振だった。
その時、その両方のセールスマネージャーに同じことを言われた。
「俺とお前の違いは、訪問件数だけだ」
どんな下手なセールスマンでも、訪問件数さえ稼げば売れるのである。
2人のうち1人のセールスマネージャーは天才型で、彼が1セールスマンだった時、やはり凄い売上げ成績を上げていたが、どうしても勝てないセールスマンがいたと言う。そのセールスマンというのが、とんでもなく下手なセールスマンであったらしい。しかし、そのセールスマンの訪問件数には、全く勝てなかったと言う。
セールスの仕事の成果も、かけた時間に比例するのである。
ただ、そのNo.1セールスマンは、客先訪問が苦にならないタイプだったのである。
客先訪問が苦手というなら、やはり、セールスマンには向いていない。
まあ、若いうちに、向いてない仕事をするのも良い経験であるが、やはり、自分の向き不向きは考えた方が良い。
しかし、たとえ向いていても、時間をかけずに成果を出そうという考えが甘いことだけは、ちゃんと理解しないといけない。

身体を鍛える運動では、重い負荷の筋トレを長時間やると、身体が壊れる。
自重のみ使う腕立て伏せでも、連続で100回、200回とやるのは苦しく、マゾでもない限り続かないし、それを毎日やれば、やはり、身体を壊す。
膝をついてやる腕立て伏せでも、やはり、回数が多いと苦しいものだ。
私は、一頃、腕立て伏せを毎日(連続で)200回以上やっていたが、辛くてやるのが嫌だったのに、根性でやっていた。それで、腕や肩が壊れたが、やめられるように壊れてくれたのかもしれないと思う。
別にスポーツ選手になるわけでもないなら、腕立て伏せは、例えば、椅子とか、机に手をついて、負荷を十分に弱くして、苦しくないようにやれば良い。
さらに、壁に手をついてやる(身体は壁から数十センチ離れる)形なら、非力な人でも出来ると思う。
ただし、負荷を軽くした分、回数は、数百回とか数千回行わないといけない。とはいえ、負荷が弱ければ簡単と思う。
私は、腕振り運動や佐川(佐川幸義)流四股をやっているが、これらは、1回1回は極めて楽だ。しかし、やはり、連続でなくて良いから、1日トータルで、少なくとも数百回、出来れば数千回やりたいものである。
佐川幸義は、毎日数千回、多い時で数万回やったという。
そして、十分な回数をやれば、誰でも驚くほどの成果が出る。
私は、腕振り運動は1日3~5千回、四股は2千~3千回行っており、もっとやりたいと思う。楽だし、面白いからね。
イチローだって、好んで行っていた超長時間のストレッチに関し、「毎日やりたいですね」と言っていたらしいが、気持ちがよく分るのである。

引き寄せも同じである。
引き寄せが出来ないと言う人は、単に、引き寄せのための時間が足りないだけだと思う。
方法は、よく知られているものなら何でも効果がある。後は時間だけだ。
時間もかけずに成果を出そうなんてのが甘いだけだと思う。
例えば「ありがとう」と唱えれば幸運が来るという話がある。
間違いなく本当と思う。
ただし、1回や2回、また、1日数十回唱えただけで「成果が出ない」と言うのがおかしいのである。
江戸末期の神道家、黒住宗忠は、らい病(ハンセン氏病)にかかった武士に、1日1万回「ありがたい」と言うよう指示し、その武士が真面目にそれをやったところ、1週間で完治した。
宗忠は、最初は口先だけでいいから「ありがたい」と唱えるよう、誰にも勧めたが、天の恵みがあるのは、数多く唱えた者だけである。
ただし、苦しみながら、頑張って唱えてはいけない。あくまで気楽に、努力なく、出来れば、楽しく唱えることである。
引き寄せに努力は不要とは、そういう意味である。








人生を変えてしまう秘法

人間は、誰しも、自分の願いを叶えたいと思っている。
それで、願いが叶うことを強く期待したり、願いを叶えるためにかなり奮闘する人もいる。
だが、なかなか願いは叶わないし、叶うきざしも見えないので憂うつな想いでいる人も多いと思う。
しかし、願いは常に100%叶っている。
目の前にあるのは、願った通りの世界だ。
もちろん、意識の大半(一説では9割以上)を占める無意識の願いが叶っているのであり、無意識の願いは、親や学校やテレビなどで誘導されて作られたものだ。
ただ、実は、意識と無意識は、それほど境界がはっきりしているわけではない。
コップの水の中に落とした一滴のインクが、コップの水全体に広がるように、意識を拡大していけば、無意識の願いが分かり、無意識の願いが気に入らなければ、それを変えることが出来る。
英国の作家コリン・ウィルソンが愛読していたH.G.ウェルズの自伝的小説『ポリー氏の人生』で、ポリー氏が言った、ウィルソンの座右の銘になった言葉「人生が気に入らないなら、変えてしまえばいい」を行う方法は、無意識を変えることである。
コリン・ウィルソンは、自殺の実行中にそれに気付いた。
青酸カリを口に含む瞬間に、意識が無意識の中に広がったのだ。まあ、これは、意識が消えたように感じるのだが。
そうなれば、願うまでもなく、幸運がやって来る。

で、意識を無意識の中に広げるには、いろんな方法があり、選り取り見取りであるが、まあ、ウィルソンのように自殺を試みることはやめた方が良い。成功率が低いからだ。
私が思うに、一番簡単なのは、力を向いて、淡々と腕振り運動か、四股踏み運動をすることで、実際、そんなことをしている人は引き寄せがうまい。
かなり腕振り運動や四股踏み運動をやりながら、引き寄せが出来ないのは、頑張ってやっているから・・・つまり、力が入り過ぎているからだ。
楽に、つまり、リラックスしてそれらをやるコツは「楽に3千回やろう」と思うことだ。実際、楽だし、楽に出来たら、別に3千回やらなくても良いと思う。
もう1つ、簡単な方法は、自分が「幸運だったなあ」と思う経験を思い出すことだ。
メカニズムは省くが、自分の幸運だった経験を思い出す度に、意識が無意識に広がっていくのである。そうなると、願うまでもなく、幸運がやって来る。

話をややこしくしないために、今回は、このくらいにしておくが、是非やってみて欲しい・・・というのではなく、私がやろうと思う。超利己主義である(笑)。








たまたまうまくいく方法

子供の想像力は良いものだが、それを現実問題に適用しようとしたら、途端にそれは妄想でしかなくなり、何の役にも立たない、単なる馬鹿な考えでしかなくなる。
一方、大人は、現実的に考えることが出来る人でも、世界を動かしたり、人類を前に進めるようなことを考えられる人は滅多にいない。普通の大人は、固定観念が強くなってしまっているからだ。
例えば、かなりの額の臨時収入を得ようとしたら、子供は、そのための面白いアイデアは沢山出せるかもしれないが、そのアイデアは面白いだけで現実的ではなく、目的を達することが出来ない。
大人の場合は、月々の給料を得ることは出来ても、それなりの臨時収入を得るアイデアを出そうとしたら、「うーん」と考え込むだけで、何も出て来ない。

ところが、大人はもちろん、子供でも、それなりどころか、大変な臨時収入、さらには、不意に、高額な連続収入を得始める人がいる。
そんな子供や大人の特徴は、理屈でものを考えなかったことだ。
子供の場合は、お金より他に面白いことがあるし、お金に対し、切羽詰まった必要性を感じないこともあり、突如、お金を稼ぎ出す者は少ないが、大人が、予想外の臨時収入を、十万円とか百万円といった単位でなら、不意に得てしまう人はたまにいるし、もっと大きな額をタナボタ式に得てしまう人も稀にいる。
そんな時の、その人達の本音は、「なぜか分からないが」「どういうわけか」「何か知らんけど」なのである。言い換えれば、予想外なのであり、偶然、たまたまなのだ。
人間、良いことは、偶然、たまたま起こるのである。
正直で冷静に考える知性を持った成功者は、自分が成功した原因は「たまたま」だと言うのである。

私は、時々、このブログに書くが、あり得ないことを何度も起こしたことがある。
例えば、子供の時、天体望遠鏡で土星を見ようとしたら、何も考えずに、夜空の星を1つ選べば、その星は必ず土星だった。
それも、たまたまなのである。
また、やはり子供の時、以前見た、テレビドラマのある回を録画したいと思ったら、ただ、テレビの録画装置のリモコンスイッチを持ってテレビをを見ていたら、それが放送された。
これも、たまたまなのである。
確率とすれば、限りなくゼロに近いが、それでも、完全にゼロではなく、百億人がトライすれば、何人かは成功するかもしれない。
そのたまたまをどうやって起こすのか?
多くの、引き寄せの指導者たちは、そんなたまたまが起こることを信じろと言う。
しかし、そんなことは、子供にだって難しいのだ。
では、どうすれば良いか。例えば、私はどうやったのか。
それは、強く願ったことも確かだが、それよりも、疑わなかったのである。
信じはしないが疑わなかった。

奇跡を起こすコツは、「信じないが疑いもしない」で、現実世界ではむしろ「疑わないが信じていもいない」とした方が良い。
例えば、女性に、男性が「君を愛している」と言ったら、女性は、その男性を、疑ってはいけないが、信じてもいけない。そうすれば、嘘は見破れる。
私は、新型コロナワクチンが良いものであることを疑ってはいないが、信じてもいない。だから、1回も打っていない。
宝くじが当たることを信じるやつは馬鹿に決まっている。しかし、疑わなければ当たる。
それには、普段から、「疑っちゃいません。けど、信じてもいません」という心構えを持つことだ。
ちなみに、このセリフは、笹沢佐保さんの時代劇『木枯らし紋次郎』のヒーロー、紋次郎がよく言ったものだ。
いつも紋次郎が、奇跡的勝利を得るのは、フィクションながら、とても自然なのである。








なぜ言葉の魔法が効かなくなったか

芸能人の自殺のニュースが続いているらしいが、元々、日本は異常なほどの自殺大国だ。
自殺の原因なんて、恨みとか絶望と思われるかもしれないが、結局のところは、無力感から来る不安だ。
本来、不安なんてものは、一休さんの遺言ではないが「心配するな、なんとかなる」と思ったり、「大丈夫」と口にすれば消えるものであるが、今の日本ではそうではない。
その理由は2つで、1つは、日本人の心が弱くなったこと、そして、もう1つは、日本人の判断力が狂っていることだ。
なぜそうなったかというと、学校やテレビによって、日本人がモラルを失ってしまったことに因る。
モラルがないと、誤った判断しか出来ず、心が弱くなるのである。
そもそも、モラルとは、「放埓(勝手気まま)に振る舞いたいと思う気持ちに制約を加えること」だ。
あくまで「制約を加える」ということで、全て抑えるわけではない。しかし、理性ある人間として必要な分は抑えなければならない。
そして、個人的欲望に制限をかけずに生きている者は、正しい判断が出来ず、しかも、心が弱いのである。

なら、心を強くする方法は簡単で、それは、モラルを持つことだ。
分かり易い言い方をすれば、「個人的欲望に加えた制約の倍の力を神はその者に与え、世界を闊歩させる」だと考えて良いと思う。

尚、断ち物(特定の欲望を完全に断つ)のような極端なやり方は勧めない。
断ち物で有名なのは、幼少だった徳川家光の重病からの回復を願い、春日局(かすがのつぼね)が、生涯、薬を飲まないと誓ったり、上杉謙信が、戦の勝利を願って、生涯、女を抱かないと誓ったりしたものである。
それで、家光は治り、謙信は戦で無敗だった。そして、彼らは誓いを実際に、生涯に渡って守った。
だが、願いが高貴でない場合は、必ず破滅が訪れる。
これも、分かり易い譬えで言えば、個人的欲望で断ち物をすれば、悪霊や動物霊の力を借りることになり、一時的にうまくいって喜ぶが、すぐに悲惨な目に遭うのである。
願いがまごうことなき高貴な場合は、やることを止めはしないが、もし、誓いを破ったら、どうなるか分からない。

モラルを高める・・・つまり、自己制約の力を高める楽な方法には、腕振り運動や四股(佐川式に準じる)を数多く行うことがある。
それにより、無意識のエネルギーを多量に味方に出来るからだ(気功や合気武術では、気を蓄えるといった言い方をする)。
そうなれば、自分の心を支配し易く、「大丈夫」と口にすれば、容易く大丈夫と思える。
そして、大丈夫と思えば大丈夫になるし、なんとかなると思えばなんとかなるのである。

「ありがとう」「ツイてる」などといった魔法の言葉と言われるものがあるが、モラルのない、心が弱い人間には、あまり効力はない。
ただ、心が弱い者でも、思い切り苦労したり、温かい人の情けに触れたりして、心が純粋になると、そんな言葉が有効になることはよくある。
だが、そうでないなら、モラル、すなわち、自己制約の力が必要であるのに、このことを言う者がほとんどいない。まあ、これを言うと、本が売れないのかもしれないが(笑)。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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