ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

引き寄せ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

引き寄せは超簡単である

引き寄せの法則に関し、
「あなたはなぜ引き寄せがうまくいかないのか」
「こうやれば引き寄せが出来るようになる(これを知らないから出来ない)」
といった調子の書籍が沢山出ている。

だが、引き寄せなんて、ちっとも難しいものではなく、子供でも出来るし、ある意味、動物や虫でも出来る。
一方で、ジョセフ・マーフィーの潜在意識の法則の本や『ザ・シークレット』に載っていたようにやったが、お金もスポーツカーも彼女(彼氏)も出来ないという人が多い。
なぜ、引き寄せがうまく出来ないのかというと、理由は1つで、「熱意が足りない」だけである。
この点は、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジも端的に指摘していたと思う。
スティーブ・ジョブズも、有名なスタンフォード大学の卒業式のスピーチで「ハングリーであれ」言ったことが、それを簡明に示している。
言うまでもなく、ハングリーであることが強い熱意を起こすからだ。
逆に、ハングリーでもないのに、何かを得られるはずがない。
アインシュタインも言ったものである。
「空腹でない猛獣に、鞭で無理矢理、餌を食べさせることは愚かだ」

引き寄せの本には、「目標は大きい方が良い」みたいなことが書かれていることが多い。
目標が大きければ熱意が湧くなら、それで良いが、大抵はそうはならない。
働いたこともないニートが、「目標年収5千万円」なんて言っても、そりゃ、そんなことが叶えば嬉しいなあとは思うかもしれないが、熱意なんて全く出ないに決まってる。
親がそこそこの収入があり、自分は家でゴロゴロしゲーム三昧でも美味しいものが食べられ、いい服も買ってもらえるのに、働いたり、お金を稼いだりする熱意は出ない。
ところが、そんなニートが40代、50代になり、親が死んで生活が出来なくなった時でも、残念なことに、自分で働こうとか、自分でお金を稼ごうなんて熱意は起こらないのである。
社会が、高齢のニートを受け入れるはずがないことくらいは解るので、不安が大きくて働こうなんて熱意が湧かないのだ。
つまるところ、ニートがなぜ悪いかと言うと、熱意を持てないので、引き寄せが出来ないことだ。

では、年収300万円の人は、年収500万円くらいに目標を設定すれば良いのかというと、それも、それで熱意が持てるかどうかの問題なのである。
「今は年収300万円だが、どうしても500万円にしたい」という熱意があれば簡単に叶うが、大抵は、年収300万円であることに不満を持ちつつも、多くは求めないものなのだ。
年収が高い人を見て、「自分も絶対こうなりたい」という熱意を持てれば幸いである。

では、こんなのはどうだろう。
若い男なら、「可愛い彼女が欲しい」という、かなり強い熱意を持っているはずだ。
だが、多くの場合叶わない。
これは現代の特徴だ。
本当は叶うはずのものだが、今の時代は叶わないことが多い。
理由は簡単だ。
それは、「彼女が欲しい」という熱意はありつつ、「俺に本物の女の子の相手なんて無理」などという、負の熱意があるから。
もっと簡単に言えば、熱意が歪んでいるからだ。
けれども、これを論じだすと、やっぱり、「なぜ引き寄せが出来ないのか」の不毛な話になってしまう。
だが、大丈夫だ。
解決策も簡単なのだ。
それは、「女のことなんか忘れてしまう」ことだ。
そうすれば、自然な熱意が湧いてきて、あっという間に、理想的な彼女が出来るのである。

私の知り合いの成功した経営者達の本棚を見る機会がよくあるが、皆、何らかの引き寄せの本を1冊は持っている。
逆に言えば、あるのは大抵1冊で、そのことが印象的だ。
どの引き寄せの本も同じなのである。
そして、本当は、読むまでもないのだ。
ただ、「願いは叶うものだ」ということを知っていれば、それで良い。
だが、そんなことを教えてくれる親や教師は滅多にいないので、1冊は読んでおくと良いだろう。








おとぎ話は引き寄せの教科書

どんな国、どんな民族も、おとぎ話や神話を持つ。
おとぎ話は、教訓を伝えるものであるとか、あるいは、もっと深い人間や世界の真理が隠されているものだとも言われる。
神話や伝説に関しては、神話が伝えられなくなったら、その国や民族は滅ぶと言う人もおり、その民族を護る重要な教えが神話の中に秘められているという主張もある。
※「おとぎ話」は「日本の童話」という意味だが、ここでは、両者を区別しない。

神話となると、何か壮大なものが込められているのかもしれないが、多くの場合、おとぎ話は、引き寄せの方法を子供に教えるために作られたのである。
とはいえ、意図しておとぎ話の中に引き寄せの方法を入れたと言うよりは、自然にそうなったのであり、その分、押しつけがましさがなく、子供達は自然に引き寄せを覚えていたのである。
神話は壮大であると言ったが、むしろ、壮大な引き寄せの秘法であるかもしれない。その点、将来大物になる子供向けであるし、大人向けでもある。

幼い頃に、おとぎ話に親しんだ人は、自然に引き寄せのノウハウが身に付いており、一生、概ね安楽である。
神話に親しんだ子供は大物になる可能性が高い。
おとぎ話というのは、だいたいがハッピーエンドであるが、ハッピーエンドを導く要因がどれも美しく、その美しいものを身に付けてしまえば、人生勝ったも同然なのである。
例えば、グリムの『ヘンゼルとグレーテル』で、兄妹は、なぜ魔女に勝利出来たのだろう?
それは、妹のグレーテルが、魔女をかまどに押し込む勇気と行動によってである。
幼くて、兄を頼るだけで、自分では何も出来なかったグレーテルが、兄の助けを得られない状況で、行動を起こしたから勝利したのである。
まさに、「キャシャーンがやらねば誰がやる」である(「キャシャーン」知らない方、御免なさい)。

グリムの『星の銀貨』には、やや微妙さはあるが、別にこれを教訓として教えるのではなく、童話としてマインドを導くためのお話である。
優しい女の子が、持っているものを欲しがっている人に次々にあげ、最後には、着ている下着まであげてしまい、全てを失ったが、その時、神様が沢山の銀貨と、新しい上等の服をくれるのである。
これは、イエスの言う「与えるものは与えられる」を、自然に教えるお話である。

グリム版、ペロー版がある『シンデレラ(サンドリヨン、灰かぶり)』は、辛い状況が訪れても、耐えて真面目に務めた方が良いことを、まず教えている。
そうやって培う、忍耐、技術、要領(合理性)、礼儀などは一生の宝であり、シンデレラも、そういったものを身に付けたからこそ、美しさを引き立て、王子様の目にも留まったのである。
そして、12時までに帰らないといけないといったように、楽しむことにも制限があることを認識し、勝手きままさを抑えることが重要である。
シンデレラの足が、小さなガラスの靴に収まるほど小さいのは、足の大きさというのは、実は、放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)さが小さいことを示しているのである。
シンデレラの義姉達は、放埓に過ごした、つまり、足が大きいので、王子様に相応しくないのである。

伝説ではなく、アンデルセン童話のように、1人の作家が作ったものにだって価値がない訳ではない。
童話の形で語られる物語は、やはり、貴重な精神法則、つまり、引き寄せのテクニックなのである。
『マッチ売りの少女』のように、あきらかに大人を含む全ての人への教訓を込めたものもあるが、それにだって深い精神法則が込められている。
それは、心が持つ驚くべき力だ。普通の人は、それを見過ごし、ないがしろにしているが、この物語を子供の時に味わった人は、そうはならないのである。
『人魚姫』では、人魚姫は髪で身体を隠す慎み深さを持ち、声を出して自己主張をせず(声を失って、話すことが出来なかったのだが)、最後は、王子様を殺すよりは自分が犠牲になった。
海の泡となった人魚姫であるが、神様によって高次の存在にされ、そして、誰からも愛される永遠の乙女になったのであり、この物語を胸に秘めている者も、そうなるのである。








楽天主義

優れた経営者や団体のトップからは、概ね、こう聞いたように思う。
「最善を期待するが、最悪を想定している」
会社が、何か素晴らしい製品を開発し、いよいよ、それを市場に出す時、ヒットすれば良いと思いはするが、良い経営者は、全く売れないことを想定するものだ。
あるいは、新入社員を雇った時、やはり優秀な経営者は、それらの新入社員に対し、期待はするが、あてにはしないのである。
確かに、経営者に限らず、駄目なやつというのは、この反対をやっている。
つまり、駄目なやつは、最善を想定し、他人をあてにする。

ところで、引き寄せの法則のスタンダードでは、最善を想定するものではなかったのかと思うかもしれない。
まあ、最終的にはそうかもしれないが、何が起こるかは分からないし、人間には、どうしようもないことがあるのも確かなのだ。
ここらへんの理解が鈍い者が、うまく引き寄せが出来ないのだと思う。
つまり、目先のことに一喜一憂するようではいけないのである。
これに関し、有名な評論家だった竹村健一さんが、著書にこんなことを書いておられたのをよく覚えている。
女性に振られた時の心構えだ。
「おお!神様は私に、新しい女性と愛し合う機会を与えられた。今度の彼女は前よりもっと美人に違いない」
こういうのを、プラス思考、積極思考、楽天思考と言うのである。
ユダヤの教えにも、こんなものがある。
脚を1本折った時には、「2本でなくて良かった」。
脚を2本折った時には、「死ななくて良かった」。
こういったことは、理屈で習得しようとすると難しいので、上の、竹村健一さんのか、ユダヤ式かを覚えておくか、もっと良いものがあれば、それを覚えておくと良いと思う。
もし、彼女が全く出来ないなら、
「神様は私に、一体どれだけ素晴らしい女性を与えようとしておられるのだろうと考えると恐ろしいほどだ。おお!それはきっと、初音ミクさんのような人だ。何とも畏れ多いが、それが神様の思し召しだ。では、有り難くいただこう!」
とでも思うと良いだろう。

大体、願いが、何の支障もなくスンナリ叶ってしまったら、本当の楽しさは味わえない。
ゲームを考えてみればよく解ると思う。
この世界で一番楽しいことは、「予期せぬことが起こること」なのだ。
起こるままにまかせ、自由自在に対応していけば、面白いことだらけになる。
荘子も、黒住宗忠も、ヘレン・ケラーも、それは保証していると思う。








「うまくいって当たり前」思考

目標を設定し、その実現に向かって奮闘する姿は素晴らしいかもしれないが、そうでないこともある。
つまり、目標にこだわって視野が狭くなったり、目標が餌のようなもので、その餌を必死に求める姿が浅ましかったり、あくせくし過ぎのように見えることが、世の中で非常に多いのである。
「それでも、目標がなく、何もしないよりマシではないのか?」
と言う人もいるだろうが、そんな「マシ」より、もちっとマシな「マシ」を取れば良いじゃないか?
人間なのだから。

鼻先にぶら下げられたニンジンを求めて突進する馬のようにならないための良い話がある。
受験、就職、結婚、出世・・・どれも心の持ち方次第では良い目標なのだが、これらが鼻先にぶら下げられたニンジンのようにしか見えない者が多過ぎる・・・いや、ほとんどがそうかもしれない。
だから、どれにも、あまり良いイメージがない。

ひろさちや氏の古い本『空海入門』にこんな話がある。
ちなみに、私は、ひろさんの数百冊の著書の中で、私が知る範囲でベストは、この本と思っている。
空海は803年、遣唐使の一員として中国に渡った。
中国に渡った・・・なんて簡単に言うが、当時の船で中国に行くのは、無事到着する方が珍しいという危険なことだったらしい。
実際、この時の遣唐使の数隻の船も、全部が無事中国に行けた訳ではなかったし、空海が乗った船も危うく海の藻屑となりかけ、目的地とはかなりズレての命からがらの到着だった。
そうなることは分かっているので、日本を出発した時、遣唐使達は不安や、さらに、恐怖を感じていたかもしれない。
しかし、ひろさちや氏は、空海は超然としていたと書いていた。
もちろん、本当のことが分かるはずがないが、そうでないといけないのだ。
船上の空海は、こう考えていた(とひろさんは思っていた)。
「次はインドにでも行こうか」
空海は、自分をブッダと見なしていた。
ブッダは人々を救うものだ。
そんな自分が中国に着くのは当たり前である。
「無事に着けるか?」などという馬鹿げた発想など全くない。あるはずがない。
これこそが、引き寄せの極意である。
空海には、引き寄せは出来て当たり前である。自分はブッダなのだから。

我々もそうだ。
なるほど、受験は1つの目標かもしれない。
しかし、それが最終目標になってしまっているから、愚かで格好悪くて惨めで浅はかで馬鹿なのである(ひどい言い方だなあw)。
まあ、私も大手予備校に仕事で関わったことがあり、内情をたっぷり見たのでリアルにそう思うのである。
大学など、入りたければ入って当たり前。入ってから何をするか考えれば、大学の方で「入ってくれ」と懇願してくる。
金持ちになりたいなんて下種な考えで、金持ちになったら、その財力で何をしたいのか?
それがさっぱり分からない者ばかりなので、金を欲しがる者達は餓鬼ばかりなのである。
ドナルド・トランプは、大統領に再選されるかどうかなど、全く心配していない。
邪な国に侵されたアメリカの闇を一掃し、アメリカを再び偉大な国にして地球に民主主義を確立させる英雄なのだから、再選されるのは当たり前過ぎて、目標でも何でもないのである。
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願いを叶える心の状態「良い気分」になる方法

良い気分でいれば、願いが叶う。
しかし、良い気分にもいろいろある。
美味しいものを食べている時の気分の良さ。
好みのタイプの男性や女性と接している時の気分の良さ。
良くはないとしても、弱い者をいじめると、とても気分が良いものだ。
長い努力が実った時の気分の良さは忘れられない。
最高の気分の良さとは、復讐を果たした時であるという話もある。
さて、どんな気分の良さが、内なる全能の力を解放し、願いを叶えるのだろうか?

答を言ってしまうと、自分が幸運だなあと思う気分の良さだ。
テスト勉強を一生懸命やって良い成績を取った時より、ヤマが当たって思わぬ良い点を取った時の方が、気分が良いものだ。
「そんな馬鹿な」と思うかもしれないが、そもそも、結果が分かっていることで努力しても、あまり心の波動は上がらない。
だから、決められた道ではなく、未知の冒険に挑んで思わぬ良いことがあった時に、願いを叶える力がある晴れ渡った良い気分になるのである。
今でも有名な、ナディア・コマネチという、ルーマニアの体操選手は、1976年、14歳でモントリオール・オリンピックで3つの金メダルを取ったが、その時、インタビューで「嬉しいか?」と聞かれたら、「優秀するのは当然だから、別に嬉しくない」と答えた。
それだけの練習をしたのだから、金メダルは当然であり、幸運でも何でもないので、本当の良い気分を感じられなかったのだ。

では、偶然に幸運が訪れてくれなくては、本当に良い気分になれず、願いは叶わないのかというと、それも変な話だ。
現実など、どうでも良いのである。
必要なことは、自分が幸運だなあと思うことだけだ。
ある金持ちの経営者が言っていたものだ。
「いくら不況と言っても、道で死体を見ることはないし、穴の空いた靴を履いているやつすら見ない。日本に生まれたことは幸運だ」
世界の半分以上の場所が戦争状態で、子供が銃を持った大人に追い回されている場所はいくらでもある。
人口数万人で医者が1人しかいない場所、慈善団体が学校で出す給食を子供が持って帰らないと家族が飢え死にする場所も多い。
それに比べたら、日本に生まれたことだけでも奇跡的な幸運だ。
明石家さんまさんの有名な座右の銘「生きているだけで丸儲け」と思えるなら、あなたも願いを叶えることが出来るはずだ。

やや趣が異なる、良い気分になった人の話がある。
イギリスの作家コリン・ウィルソンは、家族で車の旅行をした時、立ち寄ったドラッグストアで、小さな娘がいなくなり、必死になって探したが、娘は見つからず、絶望的な気分になったらしい。
ところが、その娘が、全く安全な状態で見つかった時、ウィルソンは痺れるほどの幸福感を感じ、その後、時が経っても、その時のことを思い出すだけで、幸福感に浸ることが出来るという。そんな気分の時というのは、どんな願いも叶うものである。
私でいえば、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ」でチケットの抽選に応募し、見事当選した時に、なんて自分は幸運なんだと感じ、最高の気分になる。
さらに、昨年は、いよいよチケットを発券したら、前から2列目の席だった時には、思わず「神よ!」とひざまずきたいほどの素晴らしい気分になった。そんな時は、望めば世界だって征服出来る。
誰だって、1つや2つ、何か良い思い出があるはずだ。
それを大切にすることだ。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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