ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

幸運

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

本当に面白いことをやる大切さ

人間には、「積み重ね」と「革新」の両方が必要だ。
例えば、40歳とか50歳で専門を変えようとしても、新しく取り組む分野では、同じくらいの年齢の人達は、その道で20年、30年とやっているのだから、自分が通用するはずがない。
だから、早く道を決め、それを粘り強く続けなければならない。
とはいえ、1つのことを、ずっと同じようにやっているだけでは駄目で、専門分野に関しても、新しいものを取り入れることはもちろん、大きくやり方を変える必要が出てくるのは当たり前である。
それを、従来のやり方に固執し、新しいものを拒否すれば、自分は不要な存在になる。
かといって、新しければ良いというのでもなく、古いやり方を守った方が良い場合もあるから難しい。

しかし、実際は難しくない。
やり方を変えるか、これまでのやり方でやるか?
新しいものを取り入れるべきか、止めるべきか?
その明確な判断基準を持っていれば良い。
そして、最も良い判断基準は、面白いかどうかである。
そう言うと、
「いやいや、多くの者が幸せになる方を取るべきだろう」
とか、
「今後の流れを予想してやらないといけないだろう」
などと言いたい者もいるだろう。
しかし、本当に面白い方をやれば、それらも解決する。
そもそも、どうすれば皆が幸せになれるかとか、未来がどうなるかなんて、人間の頭脳程度に分かるとは限らない(大抵は大きく外れる)。考えて判断するのは左脳で行うが、面白いというのは、右脳と左脳の総合判断だ。問題があるとすれば、本当に面白いという感覚が分からなくなっている者が多いことだ。
そりゃ、大人になるまでに、偽物の面白さばかり求めさせられてきたのだから当然だ。

本当に面白いことは、時間の圧縮として感じられる。
いわゆる、楽しい時間が過ぎるのは速いというものだ。
そして、本能に打ち勝つ。
寝食を忘れてとか、三度のメシより好きというやつだ。
可愛い女の子のことも忘れて打ち込んでしまうというものだ。

世界は、面白いことをやっていると幸運に恵まれるように出来ている。
感性を目覚めさせ、食事に呼ばれても帰らない子供のように面白いことをしなければならない。













当ブログオーナー、KayのAI書。
機械学習・ディープラーニング型のAIを作るのに、数学やプログラミングは必要ありません。もしそうでないなら、数学やプログラムングは長年の積み重ねが必要ですので(付け焼刃で出来るものではありません)、それをやれない人にはAIは作れないことになってしまいます。
しかし、昔、電気を使わない者が世の中から取り残されたように、これからはAIを使わない者は圧倒的に不利になります。
もう既にAIはありふれています。今や、誰でも作るべきものです。
この本では、日常語を使い、誰でも分かるテーマや、面白いテーマで、Excelが少し使えるスキルがあれば、誰でもAIを作れるようになることを意図して書きました。

簡単に運が良くなる方法

運が良くなりたければ、運をおすそ分けしてもらうのが一番簡単だ。
おすそ分けというのは、普通、余っているからするのだから、運をおすそ分けしてくれるのは、運を沢山持っている人である。
それなら、運の良い人のところに行けば良い。
そして、運の良い人に気に入られるのが一番だが、そうでなくても、よく観察して、真似れば良い。
敬意を持って、よく見ていれば、自然に似て来るものである。

これは実話だが、ある会社の営業部に、超優秀な営業部長がいて、魔法のように契約を取って来た。
営業部長は、努力もしたかもしれないが、とにかく運が良かった。
その営業部に入社した若いK君は、その営業部長を心から敬いつつ、よく観察していた。
ある時、滅多に来ることはないのだが、営業部にやってきた役員は、営業部長のことはよく知っていたが、K君は初めて見た。
K君は、ほんの少し、その役員と会話し、営業に出て行ったが、後で1人の女子社員がK君に、その役員が、K君のことを、営業部長そっくりだと言ったのだと教えてくれた。K君もやがて、運に恵まれるようになった。
営業部長が転勤すると、K君はさっさと辞めて、別の営業会社に入ったが、そこで、名だたる強豪セールスマンを打ち破り、いきなりセールスコンテストで優勝した。
ただ、それは実力では全くなく、凄い幸運に何度も恵まれて契約を取れたからだった。
まあ、このK君は、昔の私であるのだが(笑)。

成功者で、自分は運で成功したのだと認めている人の本を読むのも良いだろう。
と言うのは、そもそもが成功者は、単に運が良いから成功しただけなのに、いざ成功してしまうと、努力で成功したように言いたがるもので、そんな人が書いた本も、無益ではないが、誤った観念を持ってしまうことが多く、それで、何十年も損をしてしまいかねない。
だが、松下幸之助は、「運が良くないとあきません」と言っていたくらいだから、やはり、読むと良いだろう。

ところで、最も運が良い存在とは何かというと、神である。
1956年にアメリカ合衆国の公式モットーとなった“IN GOD WE TRUST”は、「我々は神を信じる」という意味で、実際のところ、それよりもはるか以前から事実上のアメリカのモットーだった。だから、アメリカは繁栄の一途をたどったが、ある時期から、多くのアメリカ国民がこの言葉を忘れ、やや衰退した。
日本も、生活の中に神道が潜んでいた時は、繁栄する国であった。
また、仏様も、超幸運な存在である。
そもそもが、仏というものは、元々が人間であったのが、稀に見るほどの幸運で、仏や仏の教えに出会ったから仏になれたのである。
仏典の中には、「得難い幸運」といった意味の言葉はよく見られ、ある意味、仏教は幸運の宗教ではないかと思うほどである。













当ブログオーナー、KayのAI書。近日(5月30日)発売。
この本の機械学習・ディープラーニングの実習は、小学校や中学校の理科の面白い実験に似た雰囲気があると思います。
ワクワクしながら実験すると、時に、あっと驚く結果が出ます。
実験がうまくいかない時は工夫します。そうやって、ものごとを確かめるセンスが身に付きます。
本書も同じです。AIの場合は、自分の問題を推測問題として捉え直すセンスが必要で、それが身に付きます。
はい、自分で楽しく実験出来ます。本書のほぼ全ての実験シミュレーションのための、Excelマクロ(VBAプログラム)を無償ダウンロード出来ます。
とってもお得な本だと思います(笑)。
中学、高校、大学の授業で採用いただければと思います。

1億円を2度当てた原理を解く

日本プロ野球史上、ただ1人、三冠王を3度達成した落合博満さんが、テレビで、「全打席ホームランを狙ってた」と言っていたところを見たことがある。
つまり、彼にとって、ホームランは幸運でも奇跡でもない。

そこで面白いことに気付く。
「幸運=奇跡」だということだ。
つまり、
「幸運だが奇跡ではなかった」
「奇跡だが幸運ではなかった」
などということはない。
そう言うと、
「いや、二択問題で、当てずっぽうで当たったのは、幸運ではあったが、奇跡というほどでもない」
と言う人がいるかもしれない。
だが、それもやっぱり奇跡なのだ。
例えば、動作中の時限爆弾があり、赤と青の電線のいずれかを切れば止まるが、そうでない方を切れば即座に爆発する・・・なんて映画や小説がよくあるような気がする。
その時限爆弾が爆発寸前で、正義の探偵やスパイが、それなりの予測が立ったか、あるいは、全くの当てずっぽうかの別はあるのだが、とにかく、運を天にまかせて片方を切ると爆発しなかった。
これも二択だが、奇跡と言うしかない。

小説・アニメの『灼眼のシャナ』で、超人的戦士になったシャナが最初に戦ったのが、とんでもない強敵である天目一個(てんもくいっこ)だった。
天目一個のあまりの強さに、実力差を思い知るシャナは、度を越した大胆な戦法に出て、天目一個に打ち勝つ。
シャナのペンダントに封じられた魔神アラストールが言う。
「無茶をするやつだ。得たばかりのフレイヘイズ(シャナのような戦士のこと)を失ったと思ったぞ」
すると、シャナが静かに返す。
「勝ったのはたまたまだって解っている。でも、そうするよりなかった」
これも、幸運であり、奇跡である。

幸運、あるいは、奇跡は、狙って起こせるものではない。
言い換えれば、幸運、奇跡は、「予測出来ないもの」なのである。
例えば、大儲けを狙って馬券を買って当たったとしても、それは本来、幸運でも奇跡でもない。
そして、狙って買った馬券は当たらない。
狙った場合は、確率の支配下に置かれるからだ。
だが、当てるつもりなど全くなく、気紛れで買った馬券は、不思議なことに確率の法則に縛られず、当たってしまうことがよくある。
あるいは、拾った馬券が大当たりすることもある。

ここでよく取り上げる、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けて、1億円を2度当てたホームレスは、完全に確率の法則から外れている。
ある日、たまたま頭に数字が浮かんだ時に、歩いていたら、たまたまロト6の売り場が目に入ったので、たまたま買っただけだ。
彼は、「神様の奇跡が起こる」と唱えたことで、「狙う」という意識が消えたのだ。
それで奇跡、つまり、幸運、つまり、自分の意志でなく、神の意思が実現したのだ。
イエスも言ったのである。
「私の想いではなく、あなた(神)の想いが実現しますように」

あなたの輝かしい勝利は、幸運であり奇跡である。
たまたま・・・と言っても良い。
だが、それは、勝利を狙わないから起こるのだ。
有名な『柔』という歌で、
「勝つと思うな 思えば負けよ」
という歌詞があるが、作詞した関沢新一氏は、実際、凄い人物であった。
彼は、この詩で、宇宙の法則、人生の真理を完璧に語ったのである。

幸運を狙わず、さりとて、投げやりにならず、自分に出来ることをする。
これが勝利の秘訣というか原理であり、世界的教育者、七田眞氏の本に書かれている、七田氏が絶対に事実と言う、上に挙げた1億円を2度当てたホームレスは正しいことをしたのである。







幸運の女神に目を止めてもらうには

投資家・事業家のマックス・ギュンターの『運とつきあう』には、成功者が成功した理由を正しく指摘している。
それは「たまたま」だ。
そして、ギュンターは、そのたまたまを増やすために、多くの人と交流することを薦めている。
また、優秀な科学者であるながら経営者でもある田坂広志氏も、著書『運気を磨く』で、「ある研究者」が、多くの成功者の自叙伝などを調べると、「たまたま」」「幸い」「偶然に」という言葉が多く使われていることを指摘したことを取り上げておられた。

NHK大河ドラマ『毛利元就』で、知将、尼子経久が、元就に「策、多ければ勝ち、少なければ負ける」と教える場面が印象的だったが、これも、
「うまい策をこらしたところで、うまくいくのはたまたまなのだから、そのたまたまを多く得るには、所詮、沢山の策を実行しなければならない」
という確率論を言っただけと思う。
私の知り合いの、教育会社の経営者も、
「受験で合格するのは、頭の良さではなく、解き方を知っている問題が出るか出ないかの確率に過ぎないのだから、出る可能性のある問題を黙って覚えれば良い」と言い、「事業の成功もたまたまなのだから、打てる手は全部打たねばならない」
と言っておられた。

塾の事業で成功した栗山天心氏は、このようなことを、
「棚がなければボタモチ落ちず」
と絶妙な表現をされておられた。
つまり、成功は「棚からボタモチ」というべき、「たまたま」であるが、その「たまたま」のボタモチも、棚があってこそ落ちてくるのだから、棚は作れということで、尼子経久の「策、多ければ勝ち、少なければ負ける」と全く同じである。

それなら、どうすれば良いかというと、頭の良い人には、いろいろ難しい方法もあるだろうが、私のような(阿呆な)者には、昨日も取り上げた、七田真氏の『奇跡の超「右脳」開運法』の中のホームレスの男のように、1日中「神様の奇跡が起こる」と唱えるのが良いだろう。
これならば誰でも出来るが、これだって、実は科学的なのだと思う。
「たまたま」成功した人も、よく調べると、実は「たまたま」うまくいく要因があるのだと思うが、それは、マックス・ギュンターが言う「多くの人に会った」という要因以上のことだ。
その要因とは、意外にも、ギュンターの本にも書かれているが「欲張りでなく」、どこか謙虚で控えめで、結果、なりゆきにまかせる一面もあるということだ。それでいて、根気強い。それは、傍目には、「馬鹿」に見えることが多い。良い言い方をするなら「愚直」である。
そんな性質や態度の中に、「たまたま」の偶然を引き寄せる力があるように思う。
それについて科学的な説明も可能と思われ、興味があればその方面の本を見ていただければ良いが、それよりも、幸運の女神は「愚直な者」が好きなのかもしれないのだと思う。
つまり、「神様の奇跡が起こる」というつぶやきを、1日中、何週間も繰り返すのは、「馬鹿」であるが、それは、幸運の女神に目を止めてもらうことが出来る「愛すべき馬鹿」なのだと思う。








死んだ者と生き残った者の違い

アンネ・フランクは、ナチス強制収容所で若くして死んだのだと思われる。
それは、運が悪かったとも言える。
また、ヴィクトール・フランクルは、強制収容所から奇跡の帰還を果したが、強制収容所では筆舌に尽くしがたい 苦しみを味わった。
死なずに済んだとはいえ、やはり、ツイてなかった。
運はただの偶然かもしれないが、そうでないとしたら、彼らに何の落ち度があったのだろう?
私は、フランクルの『夜と霧』は熱心に読んだが、『アンネの日記』は最初の方を少ししか読んでいない。
アンネ・フランクは、概ね、世界中で愛されているのだと思うが、私は、あまり好きだと思わなかった。
自慢癖があるし、駄目な男の子には優しくない。
もちろん、それが普通であるが、そんなことは、あまり知りたくない。

こんな話がある。
数十年くらい前のことと思うが、やや政情不穏な国で電車に乗っていた男性が、トイレに行ったら使用中だったので、別の車両のトイレに行った。
すると、彼が元居た車両が爆撃され、もし、トイレが空いていたら、彼は死んでいた。
その時、彼は、世の中の全ては偶然の連続であると悟ったらしい。
運も不運も、ただの偶然であるということだ。

一方、妖怪人間ベムは、正しいことをしていれば、いつか必ず人間になれると信じていた。
根拠は全くなかっただろうが。
しかし、見ている者は、それを好ましいと思うだけでなく、やはり、そうであるという、確証はないが確信は感じるのである。
その通りだ。
善いことをすれば良いことがある。
悪いことをすれば悪いことが返ってくる。
ヴィクトール・フランクルは、強制収容所の中で、自分が生きることに精一杯の時でも、理性や善意を失わなかった。
だから生き延びることが出来たのだと思う。
こう言ったら、「では死んだ人達には善意はなかったのか?」という極端なことを言う者がいるかもしれないが、無論、そんなはずはない。
意思の強さの問題があるし、ものごとの原因は複雑だ。
だが、守護天使に恥じない行いをしている限り、そして、何か1つでも、自分を磨くことを欠かさずやっている限り、自ずとうまくいくだろう。










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