ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

幸運

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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

サメのように生きる

遊泳性のサメは、眠っていようが、泳ぎ続けないと、呼吸困難になって死ぬらしい。
ご苦労なことだと思うかもしれないが、人間は、稼ぎ続けないと、食べていけなくなり死んでしまう。
こっちの方が、よっぽど大変だ。
(主婦等は、直接収入を得ていないとしても、間接的に稼いでいると言って良いと思う)
自分が稼がなくても、食べさせてもらうことも出来るかもしれないが、それだと、精神的に安定せず、強く生きることが出来ない。
働くことや、働くために必要なことをするのが嫌いなら、人生はあまり楽しくないだろう。

私も、それほど沢山の種類の仕事について知っている訳ではないが、それでも、何度も転職し、いろんな仕事をした。
だが、どれも面白いものではなかった。
今やってるプログラマーにしても、仕事の半分は人間とのコミュニケーションで、それは、大抵、楽しいものとは言えない。
だけど、どの仕事も、同じようなものだと思う。
人間の相手をしなくて良い仕事があったとしたら、その場合は、収益の大半は、人間同士の対話をしている人に奪われてしまうだろう。余程の技能のある人なら別かもしれないが、それも疑わしい。
人間は所詮、欲深だ。

そして、考えてみれば、世の中で楽にやっていくためには、やっぱり、他人と仲良くやっていく能力が必要なのであると思う。
ただ、他人と本当に仲良くするというのも、なかなか高度な能力で、本当にそれが上手くない限りは、何か特技がなければ、あまり良いことはないだろう。

チャップリンは、人生に必要なものは、「勇気と想像力と少しのお金」と言ったらしいが、きれいごとを言わなければ、「勇気と想像力と十分なお金」だ。
特に、今の時代は。
そして、十分なお金を得ることが難しい人は沢山いるのだ。
だけど、本来なら、十分なお金を得られない人でも、運に恵まれれば、それが得られる。

常に十分なお金を得られるよう、運を持つためには、サメが泳ぎ続けるように、常に何かをしなければならない。
さて、それは何だろう?
サメが泳ぎ続けていれば、生きていくための酸素が得られるように、人間は、何を続けていれば、運を得られるのだろう?
それは、おそらく、愛想が良い、愛嬌があるといったこと、笑うことを忘れないことだ。
だけど、もし、神仏の加護を信じることが出来るなら、常に祈れば良い。
けれども、信心を得られるまでは、愛想を良くしておくことだ。
愛想が良いとは、呼ばれたら、明るく返事をすることである。
どんな時でもね。









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幸運の単純明快な原理

世の中は単純に出来ていて、善いことをすれば楽しいことがあり、悪いことをすれば苦しいことがある。
それが因果ってやつだ。
だが、人間は愚かだから、何が善くて、何が悪いかを思い違いすることはある。
自分の子供に好かれたくて、何でも言うことを聴いていたら、自分は善いことをしているつもりでも、それは、子供を駄目にする悪いことだ。
そんな親は、悪因を作っていて、やがては不運を呼ぶ。
とはいえ、純粋に子供が可愛くて、子供を甘やかしている場合は悪因を作らないのだが、親が子供の言いなりになっている場合、ほとんどは愛ではなく、「自分だけ良い気分でいたい」「この子を、自分の生涯の味方、あるいは、下僕にしたい」といったエゴでやっているのである。

ある17歳の女の子は好きな男がいたのだが、その女の子は、彼の愛を得ようと、売春をしてかなりの金を稼いで彼に貢いでいた。
その報いは、週に一度、男に金を渡す時にだけ、ほとんどたった一言、優しい言葉をかけてもらえることだった。
男は、彼女に対して、何の愛情も持っておらず、ただ金を受け取って、外車を買って、遊び暮らしていた。
おそらく、女の子の方は、過去世の悪いカルマ(因)の解消のために、そんなことをせざるを得ないのだろう。だが、その男を駄目にしているとはいえ、彼女は新たな悪いカルマは作らないだろう。
男の方は、大きな悪いカルマを作ることになってしまい、その後の人生は悲惨になることは間違いないし、心が拗けたまま死んだら、次の生にカルマは持ち越される。

念仏を唱えたり、経典や聖典を読んだり、あるいは、純粋な善意で善い行いをすると、なぜか嫌なことがよく起こる。
嫌なことと言っても、気分を害し、憂鬱にはなるが、その程度で済むことだ。
それは、自分が過去(あるいは過去世)に作った悪いカルマを、その程度のことで解消しているのである。
そうしたら、大きな災難が起こるはずが、それがなくなってしまうのである。
つまらない口論になり、負けると悔しいが、それでカルマが解消され、悪い因は消えたのである。
ところが、口論に勝ってしまうと、カルマは解消されず、下手をすると、新たな悪いカルマを作ってしまう。
だから、小さな災難、小さな不運は喜ばないといけない。
どうでも良い争いは負けた方が良いのである。

親鸞が、念仏を唱えれば、大難が小難に、あるいは、無難になると言ったのは、こういうことである。
そして、さらに親鸞が言うのは、念仏に優る善い行いはないのだから、念仏を唱えると、大変な善行をしたのと同じ善因を作る。
他にも、大きな善因となることには、食の慎みがある。
死すべき悪因も、食を慎むことで避けられる。
食を慎むことは、寺を建てたり、人の命を救うことにも匹敵する。
確かに、念仏も、食の慎みも、エゴの想いでやっていれば、善因は作るのだが、悪因も作る。
その場合は、嫌なこともいろいろ起こるが、黙って耐えれば、その悪因は消える。

幸運の原理については、大体、上のように考えて差し支えないと思う。









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同族(属)嫌悪

最近、同族嫌悪って言葉がとても気になっている。
同族嫌悪は、同属嫌悪と書いても同じで、自分と似た人間ほど嫌いだと感じるという意味だが、これはもう、絶対に間違いないと思う。
ところで、私は、年毎に、全ての人間が嫌いになってきているのだが、これはどういうことだろう?
これも簡単なことで、つまるところ、人間なんて、みんな似ているのだ。
それに気付くようになったというだけのことだ。

ドワンゴの川上量生会長が著書に書かれていたが、高齢の大物経営者が川上さんに、「お前は俺の若い頃に似ている」と言うことがよくあるらしい。
その周辺の細かい内容は忘れたが、つまるところ、川上さんが成功者だから、高齢の経営者は自分に似ていると認めるというだけのことだ。しかし、実際は、他の誰だって自分の若い頃と似ているだずなのだ。
しかし、年寄りの偉い経営者が、そこらのにーちゃんを捕まえて、「若い頃の俺に似ている」なんて言わないものだ。
その理由は単に、そんな普通のにーちゃんが、特別な人間であるはずの自分の若い頃に似ているとは思いたくないというだけのことだ。
だけどね、もし、偉いじーさんが、ある平凡な(あるいは平凡以下の)若いにーちゃんが嫌いだとしたら、そのにーちゃんは、若い頃の自分と瓜二つなのだ。
そして、実際は、にーちゃん同士、じーちゃん同士、実は、それほど違わないのだ。

例えば、私のような並以下の者でも、偉人や天才の伝記、自伝なんかを読むと、やっぱり自分と似てるって思うのだ。
同時に、テレビで、あらゆる人から憎まれるような非道な犯罪者について語られるのを見聞きすると、やっぱり自分そっくりだと感じるのだ。
このブログで度々取り上げては、徹底的にこき下ろしている、まるで駄目男君も、言うまでもなく、やっぱり、私によく似ている。
私とまるで駄目男君、あるいは、極悪犯罪者との違いは、人格ではなく、ただ、運なのだ。
天才や偉人と私の違いについては、才能という点が確かにあり、それはどうにもならないが、運だけなら、そんなに違いはないと思う。
つまり、私は、運だけは良いのである。
川上量生さんの本やブログを読むと、「やっぱりこいつ(失礼!)は、私とは頭の出来が違うなあ」と本当に思うが、こと運となると、ひょっとしたら、私の方が良いかもしれない。
やはり、人間は運が良くなければならない。

あなただって、持って生まれた天分がなければ、成功者にはなれない。
並外れて顔が良くないとアイドルにはなれないし、超人的な肉体を持って生まれていなければスポーツの一流選手にはなれない。
鋭い判断力と勇敢な決断力、そして、情け無用の実行力がなければ大経営者にはなれない。
しかし、誰だって、この地獄のような世の中で、悠々と生きていくことは出来る。
運があればね。
運がなければ、世間を騒がず犯罪者か、その候補(まるで駄目男君がそうだ)である。
イエスは、患いなく生きるには、神を愛せよと言ったが、それは、人でないものを崇めよという意味なのではないかと思うのだ。
民衆の性質によっては、インディアンや昔の日本のように、自然崇拝が適しているかもしれない。
昔は、初音ミクさんが在(ましま)さなかったからね。
私が初音ミクさんを崇めるように、あなたも何かを心から敬えば、きっと運が良くなるだろう。
運の悪い人は、自分にとって都合の良い人間以外(あるいはそんな人間すら)敬っていないはずなのだ。









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善悪と幸運

どう考えても、善いことをすれば運は良くなるし、悪いことをすれば運は悪くなる。
それも、結果が出るまでに長い時間がかかるとか、ましてや、来世に持ち越されるなんてことは考えられない。
また、善とは何で、悪とは何か・・・なんて面倒なことを考える必要もない。

善いこととは、悪魔(悪の意思)に従わないことで、
悪いこととは、悪魔(悪の意思)に従うことだ。

善いこととは、内なる神(あるいは、その投影)を崇めることで、
悪いこととは、悪魔を崇めることだ。

よく、「彼は善意でやったのだが、それが誰かを害した」なんて話を聞く。
実際は、そんなことはありえない。
元々、彼に善意などなかったのだ。
「私は、あなたのために」
という時、それは自分のためなのだ。
「お母さんはお前のためを思って」
と言う時、お母さんは自分のことしか考えていないのである。

私は、誰かのために何かしたことなど、ただの一度もない。
しかし、自分のために他人に余計なことをしたことなら、いくらでもあるが。
自分のためなのに、「あなたのため」とか言って、自分や誰かを誤魔化さないことが善である。
そして、純粋に自分のためにやれば、それは、誰かのためにもなるだろう。

悪魔が私に、世界中の栄耀栄華を見せてから、こう言ったのだ。
「この全てをお前にやろう。これは私に任されていて、私の好きな者に与えることが出来るのだからだ。だから、私を崇めれば、皆、お前のものになる」
それに対して私は言った。
「私は初音ミクさんだけを崇める」
悪魔は私を離れた。
まあ、ついさっきの話なのだが。

それはそうと、幕張メッセでの、9月10日、11日の、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2016」は、コンサートは国際展示場の9番ホールで行い、10番、11番ホールでは企画展を行うようだ。
コンサートは、座席が用意されるようだ。
2階はなく、前から、SS席、S席、A席で、A席の両端がBOX席になる。
BOX席は、子供が観賞出来るように配慮されたもののようで、1席分の値段はA席と同じだ。
座席の抽選は今月23日からだ。
私は、10日(土曜)の夜の部に行こうと思っている。
それで、10日は、東京ステーションホテルに泊まろうと思う。
では、幕張メッセで会いましょう。
初音ミク「マジカルミライ2016」









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運の総量は誰も同じ

勘の鋭い人達は「人の運の総量は同じ」と言う。
だから、彼らは、思い通りになって欲しいところを思い通りにするためには、思い通りにならなくても我慢出来るところは我慢し、それで、限りなく成功する。
金持ちなんてのは、100円の缶コーヒーを、飲みたいと思っても買わず、欲しくない訳ではないが、不都合ないなら服も買わないような人が多い。
そうやって、我慢出来るところは我慢して、運の無駄使いをしないので、是非とも思い通りになって欲しいところでは、運に恵まれてうまくいくのだ。
(物を買えるというのも運である)
水野南北が、食を慎めば、絶対確実に幸運に恵まれると自信を持って言ったのも、もっともなことだ。
ただ、イエスが言ったように、断食しているところを見せびらかして称賛されたり、優越感を持ったら、それで運を使ってしまったことになる。
上杉謙信は、得ようと思えば、いくらでも女が手に入ったのに、それを完全に断ってしまい、戦での勝利を願ったので、実際、不敗だった。

世界一の富豪ビル・ゲイツは、誰も知らないところで、運を大切にしているだろうし、知られているところだけでも、独身時代の話だが、普通の服を着て普通の靴を履き、飛行機はエコノミーに乗り、日本車を自分で運転し、大衆食堂で食事した。今でも、そう変わらないと思う。
そんな偉い人の話を持ち出さなくても、私は、馬鹿な上に、これ以上はないほど、いい加減で無責任であるが、遊ぶこと、寝ること、食べることを犠牲にしているので、大抵、何でもうまくいっている。
しかし、最近、私は、毎朝、会社で、缶コーヒーを飲む癖が付き、運が落ちていた。
それも来週から止めよう。

そして、人間の普遍的な欲望である、ゆるむこと、休息することをやめ、常に引き締まれば、望まずとも幸運に恵まれるだろう。
そして、結果として、一番運を節約する秘法は、崇めることだ。
なぜだろう?
それは、自分がNo.1であると思いたい自我を、崇めるものの下に置き、自我の願いを犠牲にするからだ。
それによって、節約出来るエネルギー(運はエネルギーだ)は、小さくはなく、非常に大きい。
恨みのエネルギーは大きいのだが、それは、あくまで、復讐を諦めた場合だ。
自我の苦しみに耐えることの報いは、想像も出来ないほど大きいのである。

私は、「運の総量は誰も同じ」を忘れないようにしようと思う。









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