平成大不況と言われた頃は、まだ、こんなことが言えたと思う。
「大不況というのはマスコミの扇動だ。多くの国では珍しくないが、道端に死体が転がっているのを見たことはなく、それどころか、穴の開いた靴を履いている人は一人もおらず、皆、ピカピカの靴を履いている。道路には新車だらけだ。日本は中国に多額の貸付を行っており、今、日本がお金を引き上げたら、中国は終わりだ」
あれから十数年以上が経ち、今はどうか?
中国は日本から借りた金を返したかどうかは知らないが、今の中国は、日本なんか全然恐くないようだ。
新車はそんなに多くなくなったし、モロに穴の開いた靴でなくても、かなり情けない靴を履いている者は珍しくない。
道にこそ死体は転がっていないが(あったら即刻片付けられる)、隠れた場所にはかなり転がっている。

30年以上前の、いわゆる、バブル経済の頃は、新車と言えば、新車発売の度に、大学の学生用駐車場に、それらの新車が沢山並んでいたという。
ただ、そんな経済全盛の頃には、核家族化(夫婦と子供だけの家族)、近所と深い交流をしないことが普通になっていたが、そのさらに数十年前は、たとえ、老後に一文無しになっても、子供や友人が支援してくれたし、近所の人が度々様子を見に来てくれるのが普通で、あまり心配はなかったという話もある。

つまり、日本はバブル経済の頃には既に不幸一直線に進んでいたと思われるのだ。

暗い話はそろそろ終わるが(笑)、後1つ。
まだ最近のことだが、70代のホームレスが癌になり、金もなければ健康保険もないので、医療にかかることが出来ないままだった。
ある立派な医者が、個人的に、そのホームレスの老人のために、途方もなく難しい国の医療支援の手続きを行い(こんな手続きを自分で出来る人なんているのか)、なんとか、入院と治療が出来るようにしてあげたばかりか、家族を探し出して連絡を取ってくれた。
仏様のような医者である。
そして、そのホームレスの老人の娘が来てくれた。
だが、その娘(40代と思われる)は、父親のパジャマを買って持って来たのだが、父親に、
「これっきりにして欲しい」
と言った。
つまり、アンタの面倒を見るなんて、とんでもなく、今後いっさい、関りにならないで欲しいという宣言だった。
自分の生活に余裕がないということかもしれないが、法的には多分、それで問題ないだろう。
父親であるホームレスの老人はうなだれてはいたが、納得している様子でもあった。というか、納得するしかない。
それに、おそらく、父親の方にも、面倒を見てもらえない理由もあったと思われるのだ。
やがて、この老人は亡くなったが、娘は遺体の引き取りは行わなかったようだ。

で、暗い話は終わるが(笑)、今も日本が不幸に向かっている原因は、経済の問題ではなく、心の問題である。
今はまだまだ、世界的視野で見れば、日本は、特上の幸せな国である。
学校にミサイルは落ちてこないし、道を歩いていて撃たれることは・・・まあ、滅多にない(笑)。
世界の半分以上の国では、家の中に銃を持った軍人の暴漢が強引に入り込み、金目のものを平然と取り上げ、若い娘(11や12歳でも)がいたら連れて行くが、親に抵抗は出来ない。
そこいらで、子供が銃を持った大人に追い回される。
そんな国の人達からすれば、日本は天国である。難民になってでも行きたいだろうが、日本は難民を受け入れない。

ツイッターやインスタグラム、あるいは、フェイスブックでも、豪華な夕食自慢、ペット自慢の写真や動画が溢れ、皆、クーラーの効いた部屋で過ごし、スーパーに行けば何でも潤沢にあるし、ほとんどの人が、まだまだ生活に余裕がある。
だが、今のままでは、それが終わる日が本当に来る。
日本は、半世紀近く前から、そんな滅亡に向かっていたのだと思う。
つまり、まだまだ恵みが沢山あるのに、不満を抱えていて、欲望ばかりを増長させることによってだ。
こう言えば、道徳や宗教のように思われるかもしれないが、実は、科学的とも言える現実論である。
今は斎藤一人さんは難しいことを仰られているようだが、以前は、このような恵まれている状況を認識し、「ツイてる」と口に出せば運が良くなると言われていたが、そんな殊勝な心がけは今の日本人にはない。
だが、その心がけを持たなかったから、日本は既にとんでもない国になっているし、遠くなく滅び、アメリカと中国のどちらの属国になるかが問題になるだけになる。
けれども、心がけを変えれば、何の問題もないだろう。