社会で成功し、お金持ちになるために、難しい秘訣などはない。
地位に相応しい能力を身に付け、効果的で積極的な行動をすれば良いのである。しかし、それを誰でも今すぐできる訳ではない。
訓練は必要である。しかし、そんな風には誰でもなれる。
方法は簡単に言い尽くせると思う。
日、週、月、年、そして、1年1年の未来の目標を立てることだ。
そして、それらの目標と共に、実際に自分が行った実績も記録し、その目標と成果の両方を、できるだけよく分かるように工夫して書き残すことだ。
昔の成功者達は、そのために、ノートを実にうまく工夫して書いたものだ。
今はパソコンがあり、便利なソフトも沢山あるので、その点は有利になったはずなのだが、昔の人達が書いたノートを見たら、本当にうまく書けていて感動するほどだ。
いずれにしろ、社会で成功するための方法は上記の通りだ。
この通りにやれば、別に神秘的なことも何もなく、ごく自然に成功する。
じゃあ、私はどうなのかというと、そんなことはやっていない。
成功なんてものをしたいのかどうか、自分でも分からないが、とにかく、そんな面倒なことはできないのだ。
だが、これをやらずに成功した人は、多分、いないと思う。
何の計画も立てず、長い時間の中で、自分が何をやったのかも正確に把握せず、ただがむしゃらにやって成功するということは、無いとは言わないが、恐ろしく特殊な例外であろう。
だから、成功したければ、敢えてほとんどうまくいかない方法はとらず、当たり前で確実なやり方を採用すれば良い。
しかし、いずれにしろ、私は成功とは縁がないし、今のところ、それを残念とも思わない。
きちんと予定を立てて、日々の行動をずっと小まめに記録するような面倒なことをするくらいなら、死んだ方がマシだ。
それは、私の食習慣を考えても分かるのだ。
本来であれば、私のように、朝、木の実とビスケットを少し食べ、夕食は、コンビニのおにぎりを1つ食べる以外は何も食べないといった食事は、すべきではないと思う。
しかし、私は適度に食べるということができない。そんな能力がない。
だから、食を慎むためには、死なない適度に食べずにいるという方法しかないようなのである。
『BLOOD-C』というアニメは、第1回目のスタート部分でいきなり、「人間の性質は、生まれだろうか?育ちだろうか?」という疑問が提出されるが、答えるなら、「育ちも含めて生まれ」だ。
つまり、どんな生まれ方をし、どんな育ち方をするかは、運命として決まってしまっている。
それは、どうしたって、絶対に変えることはできない。
成功して金持ちになる方法は分かりきっているのだが、それすら、誰にでも「実際に」やれるとは限らないし、できない者には、私のように決してできない。
目標や行動結果の記録ができない人間の性質とはどんなものか述べると、それは、時間の観念が弱いということだ。
理由は分からないが、時間の流れを現実的に感じることができない者がいる。
遠い過去も未来も、現在と同じように感じてしまうのだ。
そんな人が、昔のことや将来のことを考えた時、そこに自分は登場せず、色つきの光景を思い描く。
いつまでも精神が幼いし、逆に、自分が小さかった時のことを思い出しても、自分を幼いと思わない。
しかし、それも1つの才能なのだ。
だが、そんな人に残された道は、無になることだけ。この世から消えることだけ。言い換えれば、悟りを開くことだけだ。
自分が消える時、それは、世界が終る時ともいえるが、それが、その人の唯一の幸福なゴールである。
初音ミクと巡音ルカのデュエット曲『ワールズエンド・ダンスホール』を聴いて、胸がじいんとしたり、泣けてくるなら、おそらく、私のお仲間である。少しも名誉なことではないがね。
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地位に相応しい能力を身に付け、効果的で積極的な行動をすれば良いのである。しかし、それを誰でも今すぐできる訳ではない。
訓練は必要である。しかし、そんな風には誰でもなれる。
方法は簡単に言い尽くせると思う。
日、週、月、年、そして、1年1年の未来の目標を立てることだ。
そして、それらの目標と共に、実際に自分が行った実績も記録し、その目標と成果の両方を、できるだけよく分かるように工夫して書き残すことだ。
昔の成功者達は、そのために、ノートを実にうまく工夫して書いたものだ。
今はパソコンがあり、便利なソフトも沢山あるので、その点は有利になったはずなのだが、昔の人達が書いたノートを見たら、本当にうまく書けていて感動するほどだ。
いずれにしろ、社会で成功するための方法は上記の通りだ。
この通りにやれば、別に神秘的なことも何もなく、ごく自然に成功する。
じゃあ、私はどうなのかというと、そんなことはやっていない。
成功なんてものをしたいのかどうか、自分でも分からないが、とにかく、そんな面倒なことはできないのだ。
だが、これをやらずに成功した人は、多分、いないと思う。
何の計画も立てず、長い時間の中で、自分が何をやったのかも正確に把握せず、ただがむしゃらにやって成功するということは、無いとは言わないが、恐ろしく特殊な例外であろう。
だから、成功したければ、敢えてほとんどうまくいかない方法はとらず、当たり前で確実なやり方を採用すれば良い。
しかし、いずれにしろ、私は成功とは縁がないし、今のところ、それを残念とも思わない。
きちんと予定を立てて、日々の行動をずっと小まめに記録するような面倒なことをするくらいなら、死んだ方がマシだ。
それは、私の食習慣を考えても分かるのだ。
本来であれば、私のように、朝、木の実とビスケットを少し食べ、夕食は、コンビニのおにぎりを1つ食べる以外は何も食べないといった食事は、すべきではないと思う。
しかし、私は適度に食べるということができない。そんな能力がない。
だから、食を慎むためには、死なない適度に食べずにいるという方法しかないようなのである。
『BLOOD-C』というアニメは、第1回目のスタート部分でいきなり、「人間の性質は、生まれだろうか?育ちだろうか?」という疑問が提出されるが、答えるなら、「育ちも含めて生まれ」だ。
つまり、どんな生まれ方をし、どんな育ち方をするかは、運命として決まってしまっている。
それは、どうしたって、絶対に変えることはできない。
成功して金持ちになる方法は分かりきっているのだが、それすら、誰にでも「実際に」やれるとは限らないし、できない者には、私のように決してできない。
目標や行動結果の記録ができない人間の性質とはどんなものか述べると、それは、時間の観念が弱いということだ。
理由は分からないが、時間の流れを現実的に感じることができない者がいる。
遠い過去も未来も、現在と同じように感じてしまうのだ。
そんな人が、昔のことや将来のことを考えた時、そこに自分は登場せず、色つきの光景を思い描く。
いつまでも精神が幼いし、逆に、自分が小さかった時のことを思い出しても、自分を幼いと思わない。
しかし、それも1つの才能なのだ。
だが、そんな人に残された道は、無になることだけ。この世から消えることだけ。言い換えれば、悟りを開くことだけだ。
自分が消える時、それは、世界が終る時ともいえるが、それが、その人の唯一の幸福なゴールである。
初音ミクと巡音ルカのデュエット曲『ワールズエンド・ダンスホール』を聴いて、胸がじいんとしたり、泣けてくるなら、おそらく、私のお仲間である。少しも名誉なことではないがね。
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