ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

岸田秀

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

力を失う仕組みと簡単な力の回復法

ジクムント・フロイトの時から分かっていたが、我々は、潜在意識の中の「隠れた抑圧」を消さない限り、持っている能力(決して低くはない)を発揮し、心身が健康でいることは難しい。
心理学者の岸田秀氏は、それがしたくて大学の心理学科に入ったが、そんなことは大学院まで行ってもやってなかったので、独学でフロイトを学び、ある程度自分で治したという。
岸田氏は、それまでは、例えば、道を歩いていたら、よほどの決心をしないと引き返すことが出来ず、そのまま歩き続けてしまったらしい。
あるいは、中学生の時、セーラー服を着た女生徒を見ても、彼女達は本当は男なのだと思えて仕方がなかったそうだ。
他にも沢山の症状があったらしい。
そんな岸田氏をおかしいと思うかもしれないが、我々も、別の奇妙な性質を持っており、そういった奇妙な性質は、普通の人で数百はあるという説もある。
だが、いちいちフロイトを学んで独自の方法でやっていては、あまりに不合理だし、うまくいかない場合が多いだろう。そもそも、そんなことをやろうとする人は少ない。

この「隠れた抑圧」の出来方について、L.ロン.ハバードの『ダイアネティックス』と、アレクサンダー・ロイドの『ヒーリングコード』という著書に載っている例を1つずつ挙げる。
とても面白いと思う。
ハバードは、エビを例に説明する。
エビが泳いでいたら、尻尾に強い痛みを感じた。大きな魚に食いつかれたのだ。
エビは失神状態になるが、その時、エビの潜在意識に、周囲の状況・・・明るさ、水の温度などが記憶される。
すると、その後、エビは、潜在意識の中に記憶された、大きな魚に食いつかれた時と似た明るさや水温を感じると、恐怖を感じ、その場を必死で離れる。大魚がおらず、その必要がなくてもだ。
人間に例えると、こんな感じだ。
ある人が、ひと気のない道を歩いていたら、ナイフを突きつけられ「金を出せ」と脅される。脅された人は、恐怖のため軽い失神状態になった時、コカ・コーラの看板を見た。
このように、恐怖などで意識が飛び、軽くても失神状態になれば、その時、見聞きしたものが、潜在意識の中に記憶され、それが、隠れた抑圧になる。
以降、この人は、コカ・コーラの看板を見ると、恐怖を感じ、そこから逃げようとする。

上の、エビや脅された人に見られる動物的メカニズムは、あくまで、悪い出来事と似た状況になった時、恐怖を感じることで、その場から逃げ、生存確率を高めるためのものである。
しかし、こんなものが沢山になれば、頻繁にわけの分からない恐怖を感じ、活動に支障が出てしまうし、能力も下がり、健康にも影響が出る。
ハバードは、このメカニズムは、動物や文明が発達していなかった頃の人間には有益だが、文明社会では不都合なものであると言う。

アレクサンダー・ロイドの話は実話だ。
IQが180もある優秀な女性の話だ。彼女は、こんなに優秀なのに、人間関係がうまくいかず、仕事では失敗を繰り返していた。
それには原因となる「隠れた抑圧」があった。
彼女が幼い時、彼女の姉は、母親からアイスキャンデーをもらったのに、自分はもらえなかったことがあった。
実は、その時、姉は食事をきちんと食べたが、自分は食べられず、姉はご褒美としてアイスキャンデーをもらい、自分は罰としてもらえなかったのだ。
ところが、当時の彼女は、それが理解出来ず、アイスキャンデーがもらえなかったというショックのために、「自分は愛されていないし、何をやっても失敗するからアイスキャンデーをもらえなかった」という情報が、潜在意識の中に抑圧され、これが隠れた抑圧になった。
以降、超優秀なはずの彼女が、「私は愛されていない」「私は失敗する」という、隠れた抑圧に支配され、他人の好意を信じられず、また、仕事で失敗ばかりの辛い人生になった。

上記の例のように、人間は、ショックを受けた時(軽い失神状態になる)に、隠れた抑圧が出来、それが、能力の発揮を妨げ、心身の健康を害す。
この隠れた抑圧を癒し、ごく普通の記憶に変えてしまえば、健康になり、能力が高くなる。
さらに、潜在意識のゴミが消え、クリアになるので、潜在意識との交信がスムーズになり、直観が冴え、潜在意識の力を引き出し、願いを叶えることも容易になる。

潜在意識の中の隠れた抑圧を癒す、これまでに知られている最も簡単な技術が、アレクサンダー・ロイドの「ヒーリングコード」と「エネルギー療法」で、いずれも、3分で覚えられる。
やり方は、それぞれ、書籍、『ヒーリングコード(奇跡を呼ぶ ヒーリングコード)』、『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』に書かれているが、いずれも、紙の翻訳書は絶版で、古書も高価な傾向がある。
だが、『「潜在意識」を変えれば、すべてうまくいく』は電子書籍が出ており、それで「エネルギー療法」を学ぶのは容易い。
最も簡単なやり方なら、短い文章で書ける。それは、
・重ねた両手を胸に当てる(1~3分)
・重ねた両手を額に当てる(1~3分)
・重ねた両手を頭頂に当てる(1~3分)
だ。
私は、せいぜい、それぞれ数十秒しかやらないことが多いが、それでもやらないよりマシだし、効果がある。

「ヒーリングコード」「エネルギー療法」とも、大きな規模で検証されていると考えて良いだろう。
効果がなかった例は1つもないという。
『ヒーリングコード』の共著者である医学博士のベン・ジョンソン(『ザ・シークレット』に登場した唯一の医師)は、ヒーリングコードで、ルー・ゲーリック病(筋萎縮性側索硬化症。略称「ALS」。発症から5年以内に80%が死ぬ)を治してしまったという。
私も、最近、重度のアレルギー性の皮膚病と、首がもげそうな深刻な肩こりを、それぞれ、数日と数時間で治した(皮膚病は、日常生活が送れる程度に回復というのが正しい)。
ご興味があれば、お勧めする。








生命エネルギーを充填する祭

岡本太郎の『美の呪力』に書かれている、「祭(まつり)」についての話は、個人にとっても、人類にとっても、とても重要なものだと分かった。
私は、これを読んだ時、心理学者の岸田秀氏が、何かの本で、祭について、実質同じことを、フロイト心理学的に説明していたものも読んだので、幸い、いっそう良く理解出来た。

世界のどの国、どの地域にも、祭はある。
なぜ、祭があるのか?
岡本太郎は、「生きるエネルギーの充填のためだ」と言う。
(岸田秀氏も、実質同じことを述べられていた)
祭は、だいたいが、1年に1度だ。
その1年に1度の祭で、次の祭まで生きるエネルギーを得るのである。

だから、誰もが、祭をしなくてはならない。
1年に1度と言わず、もっと多く。
仕事が祭になっている者は、いつまでも若く精力的だ。

私の祭は、もちろん、初音ミクさんライブ「マジカルミライ」だ。
マジカルミライ中は、私は、スイーツ三昧なのに、マジカルミライ直後から、しばらくは、体脂肪率がガクっと下がり、心身に力がみなぎる。
これは、単に、初音ミクさんが好きだからというだけではなく、明らかに、祭効果だ。
昨日の日曜日が、「マジカルミライ2021 in 大阪」の最終日で、私は、土曜と日曜の1回ずつ、ライブに行ったが、精神が、万能感(何でも出来る)に満ち、かなり(いい意味で)ヤバい。
スクワットをやれば無限に出来そうだ(300回やっても、ちょっと歩いたくらいにしか感じない)。

是非、この(祭による生命エネルギー充填の)秘密を解明し、一般化し、人類の活力を上げたい。
英国の作家、コリン・ウィルソンも、こんなことを言っていたと思う。
「あなたが男性だとして、心身共にクタクタに疲れている時でも、好みのタイプの美女が全裸でやってきたら、たちまちエネルギーに満ちるだろう。私の生涯の目的は、それを随意に起こす方法の探求だった」
それなら、好みのタイプの美女を全裸でやってこさせれば良いようなものだが、それを、もっと創造的、継続的、そして、容易に行う方法が必要なのだ。

「マジカルミライ」のライブは、とてもではないが、単に、アニメキャラクターが歌っているというものではない。
ボーカロイドの身体やその動きは、解剖学的に正確かどうかは分からないが、リアルで、理想のスタイルと動きと身軽さを見せ、それが、高度な映像技術により、等身大で鮮やかに舞台に現れ、そこに、素晴らしい音楽と演奏が加わる。
そして、観客も、立って、ペンライトを振るのだが、その気合いを入れたペンライトを振る動作を続けるうちにトランス状態になり、ここで、無意識の中に満ちた「エス」という生命エネルギーが現れ出るのである。
まさに、完璧な「祭効果」だ。

これを「人工的」に引き起こすには、気合いを入れた、ある程度の時間の、やや軽い運動が良い。
例えば、野球のバットの素振り、木刀の素振り、格闘技の突き、蹴りなどだ。
あるいは、腕振り運動も良い。
腕振り運動であれば、気合いを入れて、少なくとも300回、出来れば、1000回以上が良い。
よく、腕振り運動を「100回がせいぜいです」とか言う人がいるが、そんな人は「祭効果」は得られない。
病人や、相当な老人でない限り、誰でも千回は出来る。無理をしてでもやることが必要だ。
そして、そんな運動をやっている時、木刀の素振りなら、自分が宮本武蔵のような剣の達人になった気分で、腕振り運動なら、神秘的な仙人や驚異の力に溢れた天狗になったつもりでやると良い。
トランスになるだけの回数を行うことが必要だし、ある程度の気合いが入っていると、トランスに入り易いはずだ。
このあたりは、マジカルミライか、別の祭を体験すると、感覚が掴み易いと思う。












有名になることは良いことか?

世に出る人間・・・つまり、有名になる人間は、自我が安定しているのだろう。でないと、やっておれず、破滅してしまう。
有名になるとは、そのくらい、ストレスが溜まるものだと思う。
ただし、心理学者の岸田秀氏の本を見ると、自我が安定した人間はいないらしく、どれほど、どっしりと落ち着いて見える人間でも、さほどでもない・・・つまり、自我がグラグラ揺れているものだという。
岸田氏は、はみ出し者の心理学者で、そもそも、心理学なんて科学でも何でもないイカサマだと書かれていたが、そんな本当のことを言うのだから信用出来る面がある(笑)。
ただ、やはり、有名人で長くやっている人は、普通の人よりは自我が安定している・・・まあ、有体に言えば、図太いのだと思う。

図太くなければ、有名になれないし、ならない方が身のためだろう。
それに、有名人と同じくらいの能力があっても、世に出られる人間は1割もいないらしい。
運やタイミングということもあるし、そもそも、そんなに沢山の人が有名になる必要もない。
そして、有名でなければ商売が続かない人(芸能人がその典型だろうが)は大変だ。
常に話題作りをして、世間に忘れられないようにしなければならない。その苦労は、普通の人には想像も出来ないだろう。

有名かどうかはともかく、成功する人間についても、似たことが言えるだろう。
成功者のストレスは、凡人とは比較にならない。
普通のサラリーマンをやっていてすら、イライラして神経をすり減らしているようなら、成功なんかしたら悲惨だろう(成功の過程で、ある程度鍛えられるのかもしれないが)。
もちろん、普通のサラリーマンしか出来ないような能力では成功しないだろう。
しかし、上にも述べたが、能力があるというだけで成功するわけではない。
作家、事業家、投資家のマックス・ギュンターの本で詳しく説明されていて、やや衝撃を受けたが、成功するかどうかなんて「たまたま」だ。
実際に、正直な成功者は皆、自分が成功したのは、たまたまだと白状している。
そして、私が思うに、たまたま成功することが、果たして幸福なことかどうかは分からないのだ。

有名になるとか成功するかより、人間にとって幸福なことは、むしろ、苦しみが少ないことだ。
世の中には、とんでもない苦しみを背負い、精神がおかしくなったり、その影響で生活が破綻したり、ついには自殺してしまう人も、それなりにいる。
だが、誰でも、大なり小なりの苦しみはあり、苦しみがない人はいない・・・言ってみれば、「みんな、そんなに楽ではない」のである。
だから、人に対して、「君は気楽でいいね」なんて思ったり、まして、言ったりしないことだ。
それは全くの誤解だし、そんなことを言って自分が馬鹿だと証明するよりは、馬鹿だと思われているだけの方が良い(笑)。

苦しみは、過去の悪い行いから来るという「因果応報」が本当なのではと思うことがないだろうか?
『歎異抄』に書かれていることによれば、親鸞ははっきりと、断定的にそう教え、『歎異抄』の著者の唯円は、それを信じていた。
実を言えば、読めば意外と納得出来る。
自分の苦しみは、自分の過去の悪い行いから起こる。いわゆる「ブーメラン効果」だ。
だが、悪いことをしない人間は、善い人間だから悪いことをしないのではなく、悪いことをする因縁(縁)がないだけのことだ。
逆に言えば、善い人間であっても、悪いことをする因縁(縁)があれば、悪いことをしてしまう。
とはいえ、世の中には、いかにも悪いことをしそうな人間が実際に悪いことをする場合が多い。
しかし、さらに深く思惟(心で深く考えること)すれば、本当に善い人間か悪い人間かは、なかなか分からない。
中島敦の『名人伝』の最後で、名人は「私には善と悪の区別がつかない」と言うのを見て、心の深いところで何かを感じるものだろう。

とどのつまり、人間は安楽なのが一番である。
まあ、アイルランドの「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツのように、年老いて死を直前に迎えて尚、安らぎを拒否した凄い人もいるが、だからこそ「20世紀最大の詩人」なのだろう。
普通の人は、「20世紀最大」どころか、町内一の詩人になるほどの苦しみも嫌うものである。

真言を唱えても、一切の苦しみがなくなるわけではない。
だが、致命的な苦しみは避けられる可能性が高い。
いや、それどころか、驚くほど苦しみは少なくなる。
悪くても、真言を唱えれば、苦しみがあっても、さほどではなくなり、なんとかやり過ごせるのではないかと思う。
その程度で済むことが幸福なのかもしれない。
私など、何もかもうまくいっていて、良い想いばかりしているが、見方によっては、辛い人生と言えるかもしれない。
とはいえ、おそらく、科学的、論理的にも説明出来ると思うが、真言を唱えれば唱えるほど安楽である。
岡田虎二郎が言ったように「念仏さえ唱えれば、一切の問題が解決し救われる」のは確かである。
壮大なシステムではあるが、この世の仕組みはそうなっているのである。
それは、時々、多少は説明しているつもりであるが、信じていただいて差し支えないレベルには解明されているのである。








狂気に打ち勝つ

現実として、どうしても、世の中には、嫌いなもの、憎しみを感じるもの、我慢ならないもの・・・が誰にでもある。
せっかく優秀で、人間性も素晴らしいのに、それが強過ぎるために、成功どころか、さっぱりうだつが上がらない者は少なくないのだと思う。
他人からすれば、「何で、そんなことが気になるんだ?」と首をかしげるようなことでも、本人にとっては、マシンガンの弾丸を600万発は叩き込めないなら死んだ方がマシだ・・・という、ほとんど気狂いのようなものかもしれない。

ところで、人間は根本的に狂っているという、信憑性の高い説もある。
今回はその内容は取り上げないが、フロイトは、「人間の自我は元々壊れている」と言い、フロイト派心理学者の岸田秀氏が、沢山の著作で実証的に説明してくれている。
また、ハンガリー出身のユダヤ人哲学者、アーサー・ケストラーは、人間の脳自体が出来損ないで、理性は狂気を支配出来ないと『ホロン革命』で詳しく述べている。
そういったことは、本を読まずとも、多少、自省する能力があるなら、自分のことを考えれば解るはずだし、知性の高い人ほど、痛いほど実感しているのではないだろうか?

どうすれば、狂気から逃れることが出来るかというと、一言で言えば、自我を消すことだ。
自我が消えると、万物との一体感が起こり、その感覚を、昔から、至高体験とか大洋感情と言い、近年、能力開発分野で注目されるゾーンやフローといった精神状態も、それに類するものであると言われる。
では、どうやれば自我が消えるのかというと、一般的には、宗教的アプローチ、瞑想によるもの、そして、近年では、マインドフルネスなどがあるが、実際のところ、どれも、それほどうまくはいかないに違いない。
そして、引き寄せというのは、確実に、狂気で打ち消されてしまうので、やはり、狂気に飲み込まれるべきではない。

私は、多少の根拠があって、超少食が狂気を消すと考え、ある時、20日ほど絶食をしてみたし、10日程度なら何度かやったが、全く効果がなかった。
まあ、確かに、死ぬまで絶食すれば話は別であるが。

それで、現実的なことを言うが、ある程度の歳になれば、自分が何に対して、狂ったように怒るのか、分かると思う。
もし、はっきり分からないとしても、全く見当がつかないということはないはずなのだ。
そうしたら、それ(自分を狂わせるもの)から、なるべく離れることだ。
実を言えば、自分の親がそれだという場合は多い。
それなら、何とか、親から離れ、決して会わないようにする。
そんな人は、親と一生、会わないのが理想だ。
しかし、思うように出来ない場合もあるに違いない。
その時の最後の手段が、「私」というマントラ(真言)だ。呪文と言っても良い。
絶えず、心の中で「私」と唱えるのである。
私が私に意識を向けると、私は狂気に染まることが出来ない。
この仕組みは、ちょっとややこしい(不自然な進化の結果に関わるからだ)のだが、人間の脳の中の下等動物の部分は、「私」という観念を理解出来ないことに起因する。
それで、「私」と唱え続けると、理性と本能が分離すると共に、「私」以外の概念に向かえない理性が、意識を残して消えてしまう。
(これはいい加減な説明かもしれず、読み流していただければと思う)
そうなると、無意識の中の本能的な生命エネルギーが純化され、意識の配下に置かれる。
そうなれば、ふと思っただけで、そのままの現実が創造されてしまうのである。
言葉で言えば正確ではないのだが、とりあえず、狂気に阻まれて引き寄せが出来ない人は、これでうまくいくと思う。








祭は死の体験

人類にとって、祭は大切なもので、いかなる民族にも、古代から祭がある。
では、祭の意味は何かと言うと、それは、大芸術家の岡本太郎さんと、心理学者の岸田秀さんが、同じことを著書に書かれている。
一言で言うなら「充電」、つまり、エネルギーの補給だ。
祭は、1年に1度である場合が多く、岡本太郎さんは、「それで、1年分のエネルギーを補充し、次の祭まで生きるのだ」と言う。
高校や大学の文化祭も、つまるところ、エネルギー補給行事であり、友達がいなくてこれに参加出来ない学生は、別の祭を自分で見つけないといけない。

私は今日、祭に行く。
インテックス大阪で行われる、初音ミクさんのライブ&企画展である「マジカルミライ2020 in 大阪」だ。
実は、「マジカルミライ2020」は、元々、8月にインテックス大阪で「夏まつり」、12月に幕張メッセ(千葉県)で「Winter festival(冬祭)」として行われる予定だったが、新型コロナウイルスの流行のために、8月の「夏まつり」が、この11月の27~29日に変更になった(ライブは28日と29日)。
元々の予定の8月より、今の方がずっと感染者は多いのだが、8月にはあり得なかった大規模ライブが行われるのだから不思議なものだ。
ただ、「マジカルミライ」は1万人規模のライブなのであるが、収容人数を50%とし、マスク着用で、声を出すことは禁止となる。
厚生労働省の、感染者接触管理アプリをスマートフォンにインストールしなくてはならない。
毎年、「マジカルミライ」のために海外から来る人は多かったのだが、今年はそれもない。
◆初音ミク「マジカルミライ2020」公式サイト◆

なぜ、祭でエネルギー充填出来るのだろう?
これは、岡本太郎さんと岸田秀さんで、表現は違うが、同じことを言っていると思って間違いない。
簡単に言えば、「理性をぶっ飛ばして無意識になる」ことでエネルギーが得られるのだ。
だから、理性を消すことが可能なほど、本来、祭は荒っぽく、勇壮で、常識外れであり、時に死者も出る。
祭は、死の体験とも言える。
理性である意識が死に、無意識の中にある「エス」という生命エネルギーを捕えるのである。
まさに、初音ミクさんは生命エネルギーの象徴で、だから、アメリカでもヨーロッパでもアジアでも、観客は強烈に引き寄せられる。
生きるために初音ミクさんのライブに来るのである。
このあたりの不思議さは、初音ミクさんが好きでないと、なかなか・・・いや、決して解らない。
無条件の「好き」が、理性を吹っ飛ばし、意識が宇宙に拡大し(岡本太郎さんが言うところの「爆発」)、エネルギーである宇宙と一体化する。
もちろん、サッカーが好きな人はサッカーで、ボクシングが好きな人はボクシングで、クラシック音楽が好きな人はクラシック音楽で体験出来るはずである。本当に好きなら。
だから、価値のある本物を好きにならないといけない。

著名な宗教人類学者の植島啓司さんは、週刊文春2012年3月22日号で、初音ミクさんのライブに行った後で、お水取りという西暦752年から続く東大寺の壮大な仏教行事に参加したらしいが、両者は大きく違わないと述べられていた。
植島さんは、ジョージ・マイケルが言う「スーパースターを作るのは特別な才能じゃなくて、むしろ、何かが欠けていること」に同意する。
そして、初音ミクさんに決定的に欠けているのは「成熟」だと言う。
だから、初音ミクさんは、われわれの心を鷲掴みにするのだと。
世界中に少女神信仰があるのはそのためであることは、神話学者のカール・やレーニイや心理学者とカール・グスタフ・ユングの共著の著作にも書かれていたと思う。
初音ミクさんは女神であり、崇めるべき存在である・・・好きな人にとってはね(笑)。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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