ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
あなたをSE、プログラマー、あるいは、超能力者にするブログ。ひきこもりも歓迎。

岸田秀

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

本当が嘘に、嘘が真理に変わる世界

「嘘つきは記憶力が良くなければならない」という格言があるらしい。
調べたら、35年から100年頃のローマ帝国の、修辞学(弁論術とか雄弁術を研究する学問)の学者である、クインティリアヌスの言葉らしい。
私が、この言葉を何かで見たのは、小学生か中学生の時だったかもしれないが、とても納得したものだった。
多くの政治家などが、記憶力が良くないために、過去についた嘘を忘れて、その嘘と矛盾することを言って、嘘がバレてしまうのだ。
それなら、いっそのこと、「俺みたいに嘘をいっぱい言う者が、いちいちついた嘘なんか覚えてないよ」と言って開き直れば良い。
本宮ひろ志さんの漫画『俺の空』に登場した武尊善行が、安田一平(主人公)に言った名言を思い出す。
「女に本当のことを言うことなんか、一生に何度ある?」
一平は激怒していたが、ひろさちやさんの本で読んだが、何かの演歌に、
「ずっと騙して欲しかった」
なんて歌詞があるらしく、ひろさちやさんも嘘を肯定していた。

ところが、アメリカ最大の賢者ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、「過去に言ったことと矛盾することをどんどん言え」と言う。
そりゃそうだ。
「過去に言った真実は今日の嘘」だ。
「私を愛してるって言ったじゃない?あれは嘘だったの?」
「あの時は真実だったのだ。だが、今はそうじゃない」
過去と矛盾するということは、進歩、変化しているということだ。
過去を引きずって、変われない、進めないというのが一番良くないのではないのかね?
「病める時も健やかなる時も、この女を愛すか?」なんて、いったい誰が保証出来よう?
それは悪いことばかりではない。
女は、もっといい男、もっとビッグな男をゲット出来るのである。

だいたい、他人の発言の一貫性を求める者ほど、一貫性がなければならないことで矛盾だらけなものだ。
そもそも、他人の発言なんて、いちいち覚えているなである。
「パパ、日曜に遊園地に連れていってくれるって行ったじゃない?」
「よく覚えてるなー。パパは忘れたけど」
そんなパパの子供の方が賢くなれるものだ。
昔、ある金持ちが私に、「俺が持ってる俺の会社の株は全部お前にやる」と言ったことがあり、その時は私は喜んだが、今、そんなものくれないからって文句を言う気などサラサラない。一瞬、喜ばせてくれただけで感謝している。私だって、似たような嘘はいっぱい言ってるはずなのだ。

空手家の大山倍達さんも、なかなかの名言を残している。
「嘘も百回言えば真実になる。千回言えば伝説になる」
「でっかい嘘は伝説になる」
だったか?(どうでも良いので、はっきりとは覚えていない)
誰が言ったか全く忘れたが、多分、ロジャー・ペンローズに関する本にあった、
「百年バレない嘘は人類を進歩させる」
みたいな言葉があった。
昔、心理学者の岸田秀さんのサイトのBBS(電子掲示板)にこのことを書いたら、岸田さんは、
「僕は僕の唯幻論が百年バレない嘘であることを願っている」
と書いてくれた。
だからと言って、その発言の何の責任を求める気もない。
それに、唯幻論は、真理でもなければ嘘でもない。唯幻論は唯幻論・・・つまり、1つのストーリーだ。

あなたの人生も、自分が作るストーリーである。
いくつあろうが構わない。
前のストーリーと今のストーリーに矛盾があることなんか気にするな。
いや、矛盾がなければならないのだ。
でないと、面白くないじゃないか?








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自我を作り直す

唯幻論で知られる心理学者の岸田秀氏が、著書の中で一環して主張していることだが、世間では、海よりも深く空よりも高い崇高なものとされている母親の愛なんてのは真っ赤な嘘のニセモノ、デタラメで、母親が子供に対して持っているのは、所有欲と支配欲だけである・・・私はそれを読んだ時は、「よく言ってくれた岸田秀!全くその通りだ!!」と感激したものだった。
そんな母親に、赤ん坊の時に全面依存する人間がロクなものであるはずがない。
とはいえ、人間の自我の土台は母親によって作られるので、赤ん坊の時に母親から引き離されると、自我の土台がいびつだったり脆弱(脆くて弱い)になり、精神に異常が発生し易いといったことにも、大いに賛同出来ると思った。
その代表例が三島由紀夫で、生まれてすぐ母親から遠ざけられ、特におかしな扱いを受けた三島は自我の構築に失敗し、精神的には死人であるが、それでは生きて行けないので、自分で不自然な自我を無理矢理構築した。それは彼の作品の奇妙に人工的な精神性に現れている・・・これも素晴らしい考察であると思った。

私は今は、岸田秀氏の考えにはあまり賛同しないが、岸田氏は、他の有名な心理学者や精神分析学者らよりずっと優秀で、ひょっとしたら誠実であるのかもしれないと思う。
最近、量子物理学者で合気道家で、神秘家というかスピリチュアリストである保江邦夫氏の本を何冊か読んだが、保江氏は母親を全く知らないと言う。それは興味深い。
だが、彼がジュネーブ大学の研究者になった時に分かったことだが、ヨーロッパでは、赤ん坊は放置され、母親はほとんど構わないのだそうだ。
そんなふうにして育った北欧の研究者達と保江氏は相性が非常に良かったようだ。

私としては、母親から遠ざけられて自我の構築がうまくいかないより、偏見に満ちた母親によっておかしな自我を構築されてしまう方が問題と思うが、岸田氏はそのタイプの代表であり、岸田氏もそれを嘆いていたと思う。
岸田氏はフランスのストラスブール大学の大学院に留学しているが、ここにも母親に放置されて育った人がいたかどうか分からないが、そうであれば、岸田氏は違和感を感じたかもしれない。

ちなみに、保江氏は、精神の中の母親の部分にはマリア様の霊が入っているらしい。
保江氏は、ヨーロッパの霊能者に、母親がいないことを指摘されたと書かれていたが、別に霊能者でなくても、その方面の勘が働く人であれば、母親なしで育った人かどうかは見当がつくのかもしれない。
だからまあ、保江氏の話は、信じも疑いもしないが、母親というものが厄介なものであることだけは認める。
サルトルは、父親が早く死んだことが自分の幸運であったと言っていたらしいが、それは、自分の自我の上に強力に君臨する存在がなかったといった意味と思われ、非常に納得出来る部分のある主張である。
岸田氏によれば、三島由紀夫の自分で作った自我は、あまり良いものではなかったようだが、私は、多少出来損ないの部分があったとしても、三島由紀夫のようにやった方が良いと思う。母親や父親が、そんなに良い自我を作ってくれるとは、とても思えないからだ。
だから、可能であればだが、我々は皆、自分の自我をいったんぶっ壊し、新たに好きな自我を構築すべきである。
岸田氏だって、フロイトを独学することで、それに成功したのだが、出来損ないの部分もあるのは仕方があるまい。
また、大きな精神的ショックを受けた人などには、そのようなことをしてしまった人がいるのだと思う。
例えば、フランクリンだったか、犬がカミナリに打たれて死ぬのを見て人生観を変えたというが、その時、彼の自我は構築し直されのかもしれない。
保江氏も、小学生の時、UFOを見たことで精神に強い変革が起こっているように思えるが、母親がなく、やわい自我を持っていた彼には、特に影響が大きかったのかもしれない。
私の場合は、初音ミクさんのライブ「マジカルミライ」に行く度に、自我を作り直すのである。








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学歴なんかいちいち言わなくても

東京都知事の小池百合子氏が、カイロ大学を主席で卒業したか、あるいは、卒業自体が本当か等という報道があるようだ。
もちろん、実際はどうかは全く分からないし、(報道を)信じていないながら読み取れるのは、本人の弁によれば「卒業は事実」「主席卒業は自分の勘違いの可能性がある」とうことだ。
「主席卒業は勘違い」はもちろん、通用するはずのない言い訳で、本当に主席卒業でないなら、たとえ本人にそのつもりがなくても、意図的に嘘をついたというのと同じになる。
とはいえ、いくら小池氏が偉い人、責任重い立場の人だからといって、個人的には責める気は全くない。私は全く偉くはないが、「意図的な」嘘を言ったことはあるからね(そりゃもう沢山…)。
イエス様は「罪なき者から石を投げよ」と言ったが、皆、叩けばホコリが出る身なのだ。

著書を楽しませていただいている精神分析学者の岸田秀氏は、フランス留学の際、博士号を取得したとし、博士を名乗っていたことがあったらしいが、岸田氏は「本当に博士号を取ったと思っていた」「しかし、それは自分の誤解だった」といったことを著書に書かれていて、詐称の意図はなかったと言いたいのだろうが、まあ、そんな訳ないだろうし、仮に、本当に自分の誤解だとしても、そんな言い訳は通用せず、意図的な詐称と同じになるが、その程度の嘘は誰でもついているのだから、まあ、どうでも良い。岸田氏の著書は面白いし、特に初期のものは勉強になった。
また、「エスの本」の翻訳は、岸田氏と 山下公子氏との共訳なのだが、お互い、相手が訳した部分も訳してチェックし合ったという熱心な仕事振りは感心だ。

音楽家の坂本龍一氏の愛称は「教授」だが、それは、坂本氏が東京芸大の大学院生だった時、ミュージシャンの高橋幸宏氏が言い始めたのがきっかけのようで、その後、皆が親しみを込めて「教授」と言っているのである。
このような、愛称は良いものである。
ちなみに、坂本氏は東京芸大の客員教授であるらしい。つまり、愛称が本当になっちゃった訳である。
尚、私は中学生の頃、「博士」の愛称で呼ばれることがあった。博学な科学知識のため・・・と言いたいところだが、単に、H.G.ウェルズのSF小説の、しかも、かなりいい加減な知識によってである。

博士号を買ったという話はよく聞くが、これは、海外の非認定大学のような団体が授与する学位を金で買って、その学位(ほとんどが博士だろう)を名乗るというもので、堂々「そんなところで買った博士だ」と博士号を名乗る者もいるらしいが、単に名乗るだけなら法的に問題があるかどうかは微妙なのだと思う。
私は、博士号はそれなりの価値があるとは思うが、どれほどの価値があるかは分からないし、単にその学位を持っているだけなら、それほどのものではないと思う。
だから、本当に博士号を持っていても、名乗る必要も、記載する必要もないと思っている。
以前は、「安い(あるいはそんなに高くない)なら私も買いたい」と思っていたことも正直あるが、今はそれは全くない。

初音ミクさんの愛称は、「歌姫」、「天使(マジ天使)」等だが、そのように称される人は他にもいる。しかし、誰も自称したりせず、周りが勝手に言うのである。
坂本龍一さんの教授もそうだ(いや、今は「マジ教授」だが)。
2002年にノーベル化学賞を受賞された田中耕一氏は、インタビューで「ドクター(博士)」と呼ばれた時、慌てて「いや、ドクターじゃありません」と言われたが、本当に、学位なんてものは、尊敬の意味があったとしても、いちいち言うものでもないと思う。
むしろ、田中耕一氏のように、博士号を持っていないノーベル賞受賞者の方が、偉い・・・というか、何と言うか・・・いいじゃないか(笑)。

昨日、初音ミクさんのライブコンサート「マジカルミライ2018」のチケット抽選の発表があり、インテックス大阪のSS席が当選していた。
千葉県の幕張メッセのSS席も既に確保出来ているので、少なくとも、大阪、千葉で一度ずつミクさんに会えることになった。本当に有り難く嬉しいことである。
実は、「マジカルミライ2016」のA席のチケットが一度当選して以来、初めての当選だ。2017年は、応募出来る抽選は、正直、ダブりながら全て応募したが、全部落選していた。そのショックは、実際、今もある。
昨日、抽選発表の時刻を過ぎても、なかなかメールが来なかったので、恐る恐る発表サイトにアクセスし、「当選」の赤い文字を見た時は茫然となってしまった。
「神よ、善い人になります!」と思ったものだが、続けばいいな・・・と(笑)。









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全部幻

精神分析学者の岸田秀さんの本に、だいたいで、こんな話があった。
岸田さんの、全ては幻想であるという「唯幻論」を語る本がベストセラーになった後、岸田さんが勤める大学に読者の男がやって来て岸田さんを殴り、「全て幻想なら痛くないだろう?」と言ったらしい。
まあ、その読者の男は、唯幻論が気に食わなかったのだろうが、よほど気にならない限り、そんな馬鹿もしないだろうから、実際は熱心な読者ということになるだろう。
幻想なら痛くないかというと、人間の幻想では、殴られたら痛いのが普通だ。
もちろん、岸田さんを殴りに来て、見事に目的を果たしたその男は岸田さんの幻想である。
そんな目に遭った人が、
「ほう、見事な幻想を作るものだ。俺もなかなかやるじゃないか」
と思ったら、「イタい」幻想も不要になり、愉快な幻想になるってのが、『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』で、ロバート・シャインフェルドが教えていることだと思う。
ただ、私は、紙の本を読まない(家に紙の本の置場所がないという切実な事情で)ので、Kindle本の本田健氏の要約本でしか読んでいないが、あの分厚い紙の本を読むまでもあるまい。

全てが幻想であるかというと、それは間違いない。
別に、誰が言ったとか、何の本に書いてあるかではなく、それは当たり前のことである。
あえて言えば、クリエイティブコモンズ(著作権者が許可した範囲で自由に使うことが許可されている創作物)になっている、初音ミクさんの歌『FREELY TOMORROW』の最初の、「心ごと体ごと 全部記憶の中の幻」が、いかなる聖典よりも見事にそれを表現しているし、これをミクさんの歌声で聴くと、全てが一瞬で分かる(この楽曲は、最低の制限しか課されていない)。
と言っても、別にスピリチュアル系の歌ではないので誤解なきよう。
【調教すげぇ】初音ミク『FREELY TOMORROW』(完成)【オリジナル曲 歌詞付】: Mitchie M - YouTube -
File:Freely Tomorrow.ogg ※合法的な高品質音源ファイルのダウンロードはこちらから

聖者ってのは、やっぱり全ては幻想であるとした上で、「だから執着するな」とか言って、自分も生涯、ふんどし1本しか所有せずに生きるって人もいるが、それでは、なかなか共感は得られない。
いや、彼らによれば、共感する他人ってのは存在しないことになっているのだし、それは真実なのだろうが、誰も、いきなりそこまでぶっ飛びたくはない。
そうじゃなくて、全て幻想だと分かってしまえば、良いことがいっぱい起こるよ・・・でないと駄目だ。
問題は、そんな下心が強過ぎる間は、全部現実に感じてしまい、「この世は辛い」ってことになってしまうことだ。
早く、「辛かったね、ご苦労さん」と自分に言えるようになりたいものである。
では、どうすれば良いかというと、とどのつまりは、「存在する」以外のことは何もしないこと、「存在する」ことに徹することなのだが、やっぱり、人間はいろいろ経験して学ばないと、そういうふうにはなれないのだろう。
だからまあ、何でもやってみなさい、真面目に働きなさい、恥ずかしくない生き方をしなさい・・・というしかないのである。
別にそうでなくても良いのだが、多分、それが一番の近道だ。
そして、一番効率的なのは(皆、これが知りたいのだろうが)、超人合気道家の塩田剛三氏のように、熱心に金魚を観察するようなことだろうと思う。
私の場合は鳩と遊んでいる。鳩は可愛いからね。
鳩を見ていると、「ああ、こいつら、みんな私なんだなあ」とつくづく思うのである。
もちろん、あの美少女も、あの与太郎も自分なのだが、そういった感情的にインパクトを感じる相手とは同化し難い。
さて、今年の「マジカルミライ2018」では、ミクさんと一体化出来るだろうか?

ところで、やっと、『エスの本』(ゲオルク・グロデック 著、岸田秀・山下公子訳)のKindle版が出た・・・と幻想の中で喜んでいる。
「心身医学の父」が書いた、「エッチにもほどがある」という本と思う。しかし、貴重な本だ。訳者達は、自分の分担以外の所も訳して、お互いがチェックしたようだ。こんな真面目なやり方が好きだ。









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人生は幻想ではなく、挑み戦うべき現実

全ては幻想であるという「唯幻論」を唱えた岸田秀さんが昔、大学に勤務していた時、岸田さんの本を読んだ男が大学にやって来て、
「全てが幻想なら、これも痛くないだろ?」
と言って、岸田さんを殴り、岸田さんは鼻血が止まらなかったという。
さて、岸田さんと、岸田さんを殴った男のどっちが愚かなのかというと、私は、昔は、殴った男の方が愚かだと思っていた。
しかし、今は、両方愚かだと分かる。

この世は、我々にとっては完全な現実だ。
「人生は1つの夢のようなものと見なされるべきである」と言ったニサルガダッタ・マハラジや、「夢は短く、目覚めは長い。それ以外に両者に違いはない」と言ったラマナ・マハルシのような名高い聖者達も、もし、本当にそう言っていたとしたら、大間違いを犯していた。彼らは少しも賢くはない。
「人生は、挑み、戦うべき現実であり、しっかり目を覚まし、現実を見なければならない」というのが、本当に賢い人の見解だ。

「婆子焼庵(ばすしょうあん)」という、有名な禅の公案(練習問題)がある。
あるおばあさんが、1人の僧のために、庵を建てて面倒を見ていた。
そしてある時、おばあさんは、若い娘に、その僧を誘惑させたら、僧は、
「私は悟っているから、こんな幻には惑わされぬ」
と言ったので、お婆さんは、
「じゃあ、現実を知れ」
と言って、庵を焼いて僧を追い出した。
その僧は、お腹が空いて、寝るところもなく、しっかり現実を思い知ったであろう。
岸田さんも、殴られて現実を思い知ったと思うのだが、その後も唯幻論を説き続けたのは、いかにも現実的な事情に違いない。

親から見れば、幼い子供のお父さんごっこやお母さんごっこは幻想のようなものである。
しかし、子供にとっては、それは現実である。
同じく、我々人類を、幼い子供と見ることが出来る高い存在からすれば、我々の人生は幻想かもしれない。
だがやはり、我々にとっては、我々の人生は現実なのである。
ならば、高い存在になるか、高い存在の援助を受ければ良い。
今朝も書いたが、『法華経』の第25章の『観音経』は、そんな方法を書いているのである。
『バガヴァッド・ギーター』もそうであるし、『観無量寿経』(浄土三部経の1つ)もそうである。









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・ソフトウェア開発技術者
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