ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

岸田秀

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

なぜそれに感情移入するかは自分でも分からない

事故や災害、あるいは、犯罪の被害者に対し、深い同情や哀悼、愛惜を本当に感じる人は多くはないだろう。
正直に言うなら、私もそうである。
東日本大震災に関しては、1995年の阪神淡路大震災で被災し、苦難を味わった人であれば、同情心が強い場合が多いかもしれないが、実際は、そういうこともほとんどないに違いない。
アンデルセンの『マッチ売りの少女』では、凍死した幼い少女を見た街の人々の反応には、やはり悲しみのようなものはあまり感じられないのである。ここらは、作者のアンデルセンが人間について達観していたのではないかと思う。

ところで、イギリスのウィーダの小説『フランダースの犬』は、お話の舞台となったベルギーではさしたる反響もなかったが、日本では多くの人が本当に悲哀を感じ、涙を流すことが非常に多い。
アメリカのSFテレビドラマ『Xファイル』で、論理的に考え過ぎるスカリー(医学博士)に対し、モルダーが「人間は複雑で神秘的だ」と激しくたしなめたことがあったが、確かに、人間の心を単純に考えてはいけないかもしれない。でないと、痛い目に遭うこともあるだろう。

精神分析学者の岸田秀さんは、第二次世界大戦で犠牲になった日本の若い兵士達の資料を見ると、異常なほど感情移入してしまうことが自分でも不思議だったようだ。
誰しも、そのようなものを見て、あまり良い気はしないだろうが、やはり、本気で同情したり哀悼を感じる人は、そうはいないはずである。そして、岸田さんは、特に感情的でないどころか、むしろ、醒めたタイプの人間と思う。
しかし、岸田さんは、戦争で犠牲になった若い兵隊達が、本来なら持てたはずの未来を無理矢理に奪われ、やりたいことも出来ずに死んでしまったことに、自分の境遇を重ねていたのだと気付いたらしい。
岸田さんの母親は、愛情深い母を演じてはいたが、実は、息子の自分を完全に支配し、自分はその束縛から逃れられない状態にさせられていたことを、岸田さんは、大学・大学院で研究していた心理学とは別に、独学していたフロイト精神分析学を自分に適用し深く洞察するうちに完全に気付いたのだという。
単にこう言うと、「岸田さんの思い過ごしじゃないのか?」という人もいるだろうが、岸田さんの本を何冊か熱心に読めば、それが事実であったことは分かるだろうし、岸田さんも言われる通り、母親とは、大方においてそのようなものであり、特に岸田さんの母親は、劇場の経営者で、男勝りの性質を持ち、彼女の夫である父親はほとんど彼女に逆らえなかったらしい。

我々も、事故や犯罪の被害者などにさして同情的でないのに、ある種の事柄に対しては、ひどく悲しくなったり、憂鬱になったりするということがある。
先ほど取り上げた、『フランダースの犬』に対する、多くの日本人の感情的な反応もそのようなものの1つだろう。
また、そのような民族的な精神性でなくても、他の人にはさほどでもないドラマや小説に異常に感情移入し、涙が止まらないという人もいるが、それは、その人の独特なバックグラウンド(育てられ方や過去の体験等)の影響があるのだろう。
私なども、特に感傷的なタイプではないが、初音ミクと巡音ルカのデュエット曲『ワールズエンド・ダンスホール』には泣けて仕方がないのである。そんな人が多いかどうかは知らないが。

自分が何に心を強く動かされるかには、解脱(魂が心身の束縛から解放されるようなこと)のヒントがあるものだ。
それは、悲しみの感情だけではなく、異常な愛着や嫌悪感ということもある。
ただ、そういった感情を消せば良いというのではない。おそらく、何かに反応して起こる感情というものは、実際には消えない場合が多いだろう。ただ、それに囚われることがなくなることが大切だ。それがまさに悟り(解脱)であり、その状態になって初めて、我々は幸福になるのである。富や名誉などいくら得ても、苦しみが増幅しこそすれ、魂が束縛から解放されることはない。

少し手がかりを述べよう。
ある有名なセールスマンが、冷淡なことで有名な社長のところに売り込みに行った。
セールスマンは、得意の話術で心を通わせようとするが、その社長の噂以上の無感情振りに参ってしまう。
そこで、セールスマンは、「あなたのような人間味のない人は初めてだ」とはっきり言うと、社長はさっと表情を変え、商品を買い、セールスマンと親しくなった。
社長は、そんなことを言われたことがなかったのだろう。
天才的な精紳医であったミルトン・エリクソンは言っていたものだ。「予想できることを決してやってはならない」と。
あなたも、自分に対し、自分が予想できないことをしなければならない。

『バガヴァッド・ギーター』に示されていることだが、およそあらゆる聖者、賢者は、外側に向かっている注意を内側に向けることが解脱に必要なことであるという。
社会的、道徳的な意味ではなく、自己を冷静に観察することを、もっと我々は学ぶべきかもしれない。
アメリカの霊的思想家ヴァーノン・ハワードは、科学者のように冷徹に自分の心を観察すれば、ある驚くべきことが起こると度々著書で述べている。それが何かは、言葉で表現することはできないのだろう。ただ、体験するしかない。
そして、人間の究極の秘密は『エメラルド・タブレット』に書かれている。それは世間知にとっては神秘的過ぎるかもしれないが、自我が理解する必要はない。内側に作用させれば、響きあって奇跡が起こるのである。









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幼い時に植え付けられた偏見から魂を解き放つ

幼い時の、親からの扱われ方が、どんな人間になるかに決定的な影響を与えるというのは本当だろう。
そして、ほとんどの人が、親に悪意はないのかもしれないが、否定的な影響を大きく受けているものらしい。
「お前が大した者になれるはずがないじゃないか」
「お前は、本当に何をやっても駄目だなあ」
「ほら、やっぱり失敗した」
といった言葉を、親から日常的に言われ続けてきた者は非常に多いという調査報告もあるようだ。
アメリカの自己開発プログラムでは、このような、幼い頃の頭脳への刷り込みを克服することを目的にするものが多いようだ。
つまり、そのような否定的な言葉の反対である、「私は出来る」「私は偉大になりつつある」「私は素晴らしい」といった暗示を与え続けて、否定的な影響を消し去ろうというものだ。しかし、実際には、それは不可能というものだろう。
幼い時に頭脳に刻み込まれたことを原因とする思考傾向を取り除くことは出来ない。そして、人のものの考え方は、18歳くらいまでにほとんど決まってしまい、それを無理に変えようとしたら、極端な自信喪失や、下手をすれば精神障害を引き起こしかねない。
アインシュタインが、「常識とは、18歳までに身に付いた偏見のコレクションだ」と言ったらしいが、その彼が、量子力学の考え方をどうしても受け入れられなかったのは、彼の持っていた常識という偏見のせいだったということに、彼自身、気付いていたような節もある。
アインシュタインは、「神はサイコロを振らない」と言って、確定的な考え方が出来ない量子力学を拒否したが、それは、彼の家庭が、ユダヤ教の神の考え方を、そのように解釈していたせいかもしれない。私は、誰かが彼に、「神のサイコロには無限の目があるのだよ」と言ってやれば良かったかもしれないと思う。

映画監督の伊丹十三さんは、精神分析学者の岸田秀さんの「唯幻論」に傾倒し、これにより、幼い頃に頭にかぶせられた偏見という重い帽子を取り除けたと語っていた。
確かに私も、唯幻論を知ると、いかなる有名な自己啓発書も大嘘か、あまりにレベルの低い子供騙しだと思ったものだ。
別に唯幻論が良いというのではないが、私は百万円を超える自己啓発プログラムや自己開発訓練もいろいろやったが、それらは、唯幻論の本1冊に軽く負けていたと思う。
伊丹さんは恐ろしい勉強家だったが、伊丹さんもそう感じたのかもしれない。
伊丹さんが自殺した理由は岸田さんにも分からないらしいが、もちろん、岸田さんのせいではないだろう。伊丹さんは、実際は、幼い時や青年時代に溜め込まれた偏見を決して克服はしなかったはずだ。それは誰にもできないのだ。

特に幼少時、そして青春時代の影響はこのように大きなものだが、生まれつきの性質については否定され勝ちだ。人間の性質の全ては環境や教育で決まるというのが「常識」のようだが、これもまた偏見である。高名な学者が、「赤ん坊を預けてくれたら、強盗にでも聖者にでもしてみせる」と言ったが、それはとんでもない無知である。同じように育てられたきょうだいでも、性質は全く異なることは少なくない。
しかし、それは置いておこう。
いずれにしても、人の一生を左右するような信念、信条、習慣、思想は青春時代までに決まってしまう。
「俺が駄目なのは親の教育が悪かったからだ」と言って親を告訴した人が本当にいたが、それなら、その親がさらにその親を告訴しなければならなくなるだろう。
我々も、「こんな親じゃなかったら、俺はもっと立派になっていたはずなのに」と思うこともあるだろう。そして、それは実際正しい。
だが、どんな性質を持って生まれ、どんな育ち方をするかは運命であり、それはどうあろうと、決して避けることの出来なかったことなのだ。
ならば、全てあるがままに受け入れるしかない。
そして、全て完全に受容したなら、性格や考え方自体は変わらないが、その束縛を断ち切ることは出来る。
私の好きな歌に、初音ミクの「1/6」というものがあるが(作詞作曲はぼーかりおどPさん)、これは、ミクが「君をいつか重力の外に連れ出して救ってあげたい」と歌うもので、この重力とは、人を縛る何か得体の知れないもののことであるらしい。
ミクは、重力の影響を断ち切る高いところに「君」を連れて行こうというのだが、その直観は素敵だ。
我々は、受容という翼を手に入れることで、高いところに上昇し、その得体の知れないものを断ち切ることが出来るのだ。
全ては運命であり、人の力で変えることは出来ない。我々には、世界や人生に対し、何のコントロールも出来ない。それは冷静に考えれば分かることだ。
しかし、それを認めることができれば、つまり受容すれば、いかなる重荷も悲痛も幻想になる。そうなれば、世界は幼稚園の学芸会かマジックショーのようなものだ。
ただ、受容できない者にとっては、全てはやはり現実なのだ。「権力も栄誉も富も幻想だ」などと軽々しく言ってはならない。凡人にとっては、それらは確固たる現実である。
しかし、イエスが言うように、この世に打ち勝てば、全ては取るに足らないものになる。
荘子が、全てをあるがままに認め、判断を捨て、一切をなりゆきに任せることができれば、万有の実相である永遠不変の道(タオ)と一体化すると言ったのは、そのような意味である。









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名優は役に入り込まないものだ

私はあまり読んだことがないのだが、美内すずえさんの漫画作品『ガラスの仮面』は、1975年に連載開始され、いまだ続いているらしい。
その、かなり初期の頃のお話で、主人公の北島マヤがまだ中学生頃の話と思うが、マヤが、逃げた小鳥を追う演技をしているうちに、本当はいないその小鳥が高いところに留まってしまったと言って、本気で困っていたというものがあったと思う。
演技と現実の区別が無くなってしまったマヤに対し、役者としての素質を評価されるような描かれ方をしていたと思う。

よく分からないが、私はマヤは、あまり良い役者ではないと思う。
演じられている架空の人物が困っていても、役者は困らないものだ。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、偉大な劇作家でもあったが、彼も『ラピス・ラズリ』という詩の中で、主役を自覚するほどの役者は、悲劇を演じていても、自分が泣いたりしないと述べている。
役者は、ハムレットもリヤ王も陽気だと知っているからだと言う。
ハムレットやリヤ王が陽気だというのが分かり難ければ、詩人の加島祥造さんが、この詩を意訳したように、作家であるシェイクスピアや役者が陽気なのだと思えばいい。

我々は、あの小鳥を追う演技をしたマヤと同じ状態なのである。
人生は、神がシナリオを完結させている舞台に過ぎないのに、演じられる人物と自分を同一視して、悲劇に浸っている。
イェイツは、「ほら、あそこにオフィーリアが、そっちにはリヤ王が・・・」と述べ、人々の悲劇のヒーロー、ヒロイン振りを笑う。
そうではないのだ。オフィーリアもジュリエットも皆、陽気なのだ。書いたシェイクスピアが陽気なのだから、役者は陽気に演じないといけないのだ。

『閑吟集』に、「何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」(何まじめくさってんだ。人生は夢だ、狂えばいいんだ)とあるが、まあ、夢の方が現実よりお芝居だと感じやすいと思う。そして、現実もまた夢だと言うのである。江戸川乱歩も、ラマナ・マハルシもそう言っていたのである。

あるイギリスの名優がロミオを演じた時、こんなインタビューをした者がいた。
「ロミオはジュリエットに手を出したと思いますか?」
名優はこう答えた。
「ロミオはともかく・・・私ならそうするね」
まあ、これはあくまでジョークなのだが、名優らしさが感じられる話である。

インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、世界は幼稚園の学芸会、あるいは、マジックショーのようなものだと言っていた。
また、映画『燃えよ!ドラゴン』で、ブルース・リー演じる武道家リーは、師に、「良い戦いは、少人数で真剣に演じる劇に似ています」と述べるセリフが非常に印象的だった。

ただ、人生が劇であることを知るには、どうしても受け入れる必要があることがある。
そのことを言わずに、「人生は劇だ」と言っても、それは的外れになる。
それは、人生という劇のシナリオは神が既に完結させてあり、それは決して変わらないということだ。
ましてや、役者たる我々に出来事をコントロールすることなど、絶対に不可能だ。
このように、運命は全て完全に決定されていること。我々は、いかなる支配力も持たないことを受け入れてこそ、人生が劇、あるいは、夢であることが本当に分かってくる。
ニサルガダッタ・マハラジが、「自分を地平線の彼方にいる誰かのように感じる」と言ったように、聖者は、身体や心を自分と同一視しない。
『燃えよ!ドラゴン』でも、リーは、「好機が来ても私は打たない。拳自らが打つ」と言ったのは、まことに正解で、全ての出来事はただ起こるのであり、自分は操り人形に過ぎないのである。
リーの師が、「敵にどう備える?」と問えば、リーは「敵はいない」と言う。師が「なぜだ?」と問えば、リーは、「私がいないから、敵もいない」と言う。
この映画は、娯楽映画ながら、本物の武道家であったブルース・リーの求道の精神が込められているのだろう。

ただし、演じている人物と自分を同一視している役者(北島マヤもそうだった)にとっては、敵は現実に存在しているのだ。
時々、本で読んだことを鵜呑みにしただけで、「時間も空間も存在しない。全ては幻想だ」と分かったようなことを言う者もいるが、そんな者は、その軟弱なボディーに強烈なパンチでも喰らってのた打ち回ってみれば、自分にとっては、全て現実であることが嫌というほど分かるだろう。
そうだ。普通の人にとっては、世界は夢でも舞台でも幻想でもなく、厳然たる現実である。
自分が世界を動かせると妄想している凡人にとっては、人生は辛い現実なのだ。
だが、自分には世界をコントロールする力は一切無いと本当に受容すれば、殴られても、痛みにのたうつ自分を他人のように感じるようになるのである。

精神分析学者の岸田秀さんが、全ては幻想であるという『唯幻論』で有名になった時、誰かが、岸田さんを殴り、「全て幻想なら痛くないだろう」と岸田さんに言ったという。
いや、そりゃ、痛いさ。しかし、岸田さんには、あまり現実感はなかったと思う。多分ね。

運命は全て決定済みであることを受容するようになると、いろいろ面白いこともある。
何か、非常に困ったことが起こるとする。
そして、動揺し、不安になり、場合によっては、恐怖すら感じる。
だが、次の瞬間、「あれ、私は何に困っていたのだろう?」と思う。
実際、何も思い当たらない。
単に、請求書が溜まり、払うアテがないというだけのことだ。私に何の関係があろう?
そして、次の瞬間には、「あれ、何かあったような気がするが…覚えていないし、まあ、いいか」となる。
ひょっとしたら、あなたも3分前には、別の会社に勤めていたのかもしれない。
バートラント・ラッセルという、数学と哲学の天才で、アリストテレス以来の大論理学者と言われる人がいた。数学者でありながら、ノーベル文学賞を受賞したという変わった人だった。その彼が、『世界5分前仮説』といって、世界は5分前に出来たものかもしれないという説を作ったが、これがどうにも否定できないのである。

しかし、いずれにしても、世界を創造するのは神であって、我々ではない。
我々はただ、役を演じる役者なのである。









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子供を失いたくないなら、親は趣味を引っ込めろ

テレビで一度は見たことがあると思うが、例えば、父親が阪神タイガースの熱狂的ファンで、自分の小さい子供にもそういった格好をさせ、応援グッズを持たせ、自分はビールでもひっかけて、一緒に声援を送ることを楽しんでいる。
これを見て、微笑ましいと思うだろうか?
私は、心底ゾっとする。
これは、よほど幼い時は別かもしれないが、やがて子供は恐ろしく苦しくなるのだ。
「いや、子供も楽しんでいる」
と主張する父親もいるだろうし、実際そうである場合もあるかもしれない(私はあり得ないと思うが)。
しかし、子供は、自分さえ我慢して合わせてやれば、普段恐いお父さんが愛想良くなるので、その方が楽だと思っているだけだ。
父親、あるいは、母親の趣味に同調している子供なんて、みんなそうなのである。
それは、子供の心に歪みを生じさせる。
大人になって、変質者や倒錯者、他人の痛みにひどく鈍感な者というのは、幼い時に、親の趣味に同調することを強要された哀れな子供だったのだ。

友達がいないとか、モテないというのは、男女に限らず、自分の趣味を最優先する者なのだ。
そんな人というのはやはり、子供の頃に親に趣味を押し付けられてきたのだが、そんな親の悪い面はしっかり真似しているのだ。
ただ、ごく一般的な趣味を持つ者同士なら、うまくやっていける場合が多いが、その場合も、大抵は誰でも持っている、特殊な方の趣味は抑えるだけの知恵があることが必要だ。
まして、特殊な趣味しか無い者は、まあ、生涯孤独であることは覚悟した方が良い。

職業に貴賎は無いというが、趣味も同様だ。
むしろ、親が、自分の趣味を高貴だと思っている場合は始末が悪い。
クラシック音楽、武道、芸術、哲学、宗教、学問といったことへの強いこだわりは、「これは趣味じゃない。高尚なものだ」と言いたいだろうが、やはり個人的な趣味でしかない。
父親が特別な道の名人みたいなものである場合も、父親に知恵がないと、大抵、子供は問題を起こしているものなのである。そんな父親は、子供に自分の趣味を押し付けることを我慢できないばかりか、それを何か素晴らしいことであると大誤解しているのだ。

ある父親は、少なくとも3つの趣味があったが、それらに物凄いこだわりをもっていた。
それらについて語り始めると、目が座り、とうとうと語って止まらず、酒でも入っていると恐いほどで、逆らう者は決して赦さないという雰囲気だった。対等に話せる私でさえそうなのだから、子供は決して口を挟めない。
結局、子供は自殺した。私は、子供の方の趣味も知っていたが、父親のと全く違う上、父親は、子供の趣味に関して、ほとんど知らず、知ってもすぐに馬鹿にした。自殺されて当然である。
自分の趣味を押し付ける父親は、大なり小なり、その危険を子供に与えているということは自覚したがいい。

現在、芸能界のドル箱の一人と言われる歌手は、幼い頃から、演歌ファンの父親に猛特訓され、現在は、分野は異なるが人気歌手になっている。
彼女は、既に亡くなっている父親が好きだったことと、いつか演歌をやりたいと発言することもある。だが、私は疑っている。
彼女のそんなことを知っている程だから、私は彼女のファンなのであるが、彼女には、どこか人工的な雰囲気を感じるのだ。悪い言い方をあえてするなら、「わざとらし過ぎる」のである。
それは、精神分析学者の岸田秀さんが、三島由紀夫や芥川龍之介に感じるものに似ていると思う。自然な自我の構築が出来なかったので、自分の命を守るため、不自然な自我を急ごしらえで構築したのだ。
彼女は、あるアニメのヒロインの一人の声優をやったことでブレイクしたのだが、その役柄というのが象徴的だ。
その少女は、母親に虐待まがいの扱いをされるが、母親は自分を愛していると信じているし、自分も母親を慕っている。自分が幼い頃の優しかった母親をよく知っている。
母は、不器用なだけだと思い込み、何をされても母のために尽くす。
彼女は思う。「母親のおかげで、特別な訓練を受け、強くなった。母は偉大であり、きっと母は、いたらぬ私のためを思ってきつく当たっているのだ。私には分かる。親子なのだから。」
しかし、優しかった母の記憶は、母に植え付けられた偽りの記憶だった。そして、最後に母に言われる。
「お前は私の娘じゃない。お前のことはずっと大嫌いだった」
だが、何を言われても、彼女の母を慕う気持ちは変わらない。
まさに、彼女が演じるに相応しい少女だった。
彼女は幸運なところがあったのだろう。特別な才能があったし、父親にも、きっと普通の人とは異なる素晴らしいところがあったのだ。
しかし、普通は、あってはならないことなのだろう。ただ、全ては運命でもある。
そう、そのヒロインの少女の名は、運命を意味するフェイトだった。
アニメ放送から6年以上経ち、この夏、このアニメの2作目の映画が公開される。主題歌も彼女である。彼女は、6月にも別の主演アニメが公開だったと思う。
大変な売れっ子である。









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2万年数千年前に人類が急に賢くなったは、何者かの働きかけによる

人類は20万年ほど前から、脳の容量自体に違いはなく、むしろ、古代人類の方が大きかったとも言われる。
ところが、2~3万年ほど前から急に知性が発達し、現代の人類のような文化を有するようになる。
なぜそんなことになったのかは分からないようだ。

2~3万年以上前の人類は猿とさほど変わらなかったのだ。
本能のみで生き、それで不都合はなかった。そのまま、「ゴリラのような力はないが、ちょっと利口な猿の一種」だったかもしれない。
ところが、これは化石を調べて分かることではないが、2~3万年ほど前に自我を持つようになったのだ。
なぜ自我を持つようになったかは分からない。だが、何かあったのだろう。
フロイト博士の考えでは、人類は本能が壊れたらしい。それで、本能を補完するために自我を作り出したという。しかし、自我は自然に立脚したものではなく、幻想のようなものだという。
「唯幻論」で知られる精神分析学者の岸田秀さんは、このフロイトの論を全面的に支持している。

実際は、物質的な形のない高度な生命体が、人類に自我を与えたのである。その高度な生命体は、宇宙人と考えても良いが、とりあえず神としたい。いずれにせよ、我々に分かることではない。
自我を得た人類は、知性を発達させ、物質文明を作るようになる。
というより、神が人類に物質文明を作らせるために自我を与えたのだ。
だが、自我そのものに、さほどの知性があるのではない。それは、現代においてもそうなのである。
自我というのは、宇宙の英知の通用門のようなものだ。そこを通して、神の情報が流入するのだ。
イエスが、「私は門だ」と言ったのはそれを指し、また、「人の子の上に天使が出入りする」と言ったのも同じ意味だ。
だが、自我に宇宙の英知が流入するには条件がある。
それは、自我が透明であることだ。欲望によって自我は曇り、本当の意味での知性は消え、ただの猿知恵が残るだけだ。
だから、欲望のための行い・・・例えば、受験合格とか、兵器開発とか、自分だけ儲かれば良い式のビジネスは全て猿知恵であり、すぐに破綻するのである。
欲望を消し、自我が無になれば、人は本物の知性を発揮するのである。
言い換えれば、イエスに近付くほどに、人間は真の知性を持つのである。

神がなぜ人類に知性を与え、物質文明を築かせたのかは分からない。色々想像する者はいるが、あくまで想像でしかない。
人と神との差は圧倒的であり、たとえ天才と言われる者であっても、神の意図など決して分からない。あなたが犬に餌を与えたところ、腐っているものが混じっているように思ったので、それを犬から取り上げようとしたら、その意図の分からない犬はあなたに向かってうなり、吼え、攻撃的になるだろう。犬には、あなたの意図が分からないからだが、神から見た人なんて、人から見たそんな犬のようなものなのだ。

普通に言う知性というのは自我に含まれるものであり、全く大したものではない。
人の知性というのは、神の知性に従って作業をするためにある。その程度なのだ。
ところが、人の知性を過大評価して何かをすれば、問題が起こり、悲惨な結果になるのである。
古代ギリシャのデルフォイの信託に、「身の程を知れ」という、人間に対する警句があるのはそのためである。

グラハム・ハンコックとエハン・デラヴィが、独自の視点から、人類の不思議な進化の謎について述べている。あまり賛成は出来ないながら、面白いのでご紹介しておく。
尚、『エメラルド・タブレット』が書かれたのが2万年前。『バガヴァッド・ギーター』は1万年前と言われることもある。
私が最も推薦するバガヴァッド・ギーターである、三浦関造氏の翻訳『至高者の歌』がようやくAmazonに在庫が入ったので、お奨めする。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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