ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

岡田虎二郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

成功法則の本を1冊と言われたら

成功法則の本を1冊と問われたら、私は、斎藤一人さんの一番最初の本である『変な人が書いた成功法則』と答えたい。
この本に書かれていることで覚えておくべきことは、たった1つ。
「困ったことなんか起こるはずがない」
である。
他に覚えておくべきことは何もないし、もし、困ったことが起きているなら、これを忘れているからだ。
本のタイトルは「変な人が・・・」であるが、少しも変な人ではなく、世間から見れば変な人という意味だ。
スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチの最後に「ハングリーであれ、愚かであれ」と言ったのも、ハングリーはそのままで良いが、「愚か」は、世間から見ての「愚か」であり、本当は少しも愚かなことではない。

例えば、斎藤さんは、中学生の時、教師に「英語の勉強をしておかないと、これからの世の中で困るぞ」と言われたが、英語の値打ちはともかくとして、困るはずなんかないと思ったのだろう。そして、実際、全く困らなかったらしい。
今でも、外資系企業のドワンゴを大きくした川上量生さんは「僕の立場で英語が出来ないなんて、ありえなかった」と言うが、実際は彼は英語はサッパリで、米国本社から義務付けられた報告も全くしなかったが、それで困ることはなかったようだ。
チームラボの猪子寿之社長も、世界中から依頼が殺到しながら、英語は超サッパリながら、超困っていないようだ(彼は日本語の方も崩壊しているらしい。それに、いまどき、やたら「超」を使う)。
今の世の中、「英語なんかいらん」と断言したら、変な人かもしれないが、実際は英語なんかいらんのである。
自分は仕方なく英語をやったという、マイクロソフト日本法人社長だった成毛眞さんは、ほとんどの日本人にとって英語の勉強は時間の無駄と言うし、英語、中国語、日本語を駆使して活動するソフトブレーン創業者の宋文州さんも、国際ビジネスと英語は無関係と言う。
つまり、本当は、英語が出来ないと困ると言う人の方が、変な人というより、怪しい人なのだ。まあ、大抵は英語教育ビジネス関係者なのだと思うが(笑)。
無論、英語を話す可愛い女の子も多い訳で、彼女達とお近付きになれるなら、張り切って英語を学ぼうという意欲も湧くが、現実は、英語が出来ても、そうなれる可能性は薄い。そうではなく、誰か有名な人も言っていたが、彼がそうであったように、アメリカの可愛い女の子とまず仲良くなって、彼女に英語を教われば良いのである。英会話学校で英語をマスター出来た人なんか見たことがないが、その方法なら、英語でもフランス語でもロシア語でも、あっという間に身につくだろう。

「困ったことなんか起こるはずがない」とは、天才バカボンのパパの「これでいいのだ」と同じであり、スティーブ・ジョブズの「愚かであれ」と同じである。
だが、「いや、俺は困っているぞ!」と言う人も多いのだろう。
私もそう思うことがあるが、「本当に困っているか?」と考えると、やっぱり困っていないのである。
ただ、最近、父親の虐待で亡くなった8歳の女の子がいたが、彼女は本当に困っていた。
なぜ、そんなことになったのかというと、彼女のその父親が、物凄く困っていたのだろうと思う。
だが、その父親だって、本当は困る必要なんかなかったのだ。
それが解っていれば、あの子のことも、ちゃんと可愛がれたのではないかと思うのだ。
私も、いろいろあったように思えて、実は、困ったことなど、一度もないのである。
昔、会社で、なぜか事務員の女性に嫌われて、事務手続きをしてもらえず、とても困っていたが、斎藤さんのその本のことを思い出し、「困ったことなんか起こるはずがない」と思うと、いったい、何がどうなったのか覚えていないが、困ったことにならなかった。誰か親切な人が代わりに手続きをしてくれて楽させてもらったような気もするし、なりゆきで手続き不要になったのかもしれない。
まあ、「神の御業は奇し(くすし。不思議だ、霊妙だ)」ということなのだろう。それでいいのである。
ん?金がなくて困っている?
困るはずがないじゃないか?困らなければ金はいくらでも出来るのだから。
岡田虎二郎が、金に窮しているという男に、「金?腹に力がつけば、金はくらでも出来ますよ」と言ったが、腹に力がつくとは、本当は、「困ったことなんか起こるはずがない」と解ることなのだろうと思う。









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釈迦もイエスも豊かになる方法をさり気なく教えていた

成功セミナーや成功プログラム教材では、欲しいもののリストを作らされることがよくある。
数は多いほど良く、沢山書き出せないと、想像力や欲望の力が弱まっているので、それは良くないとか言われる。
ところで、大抵の人が欲しいのは、家と車、それに服や靴やバッグ、あるいは、別荘とかオーディオ装置といったところなのだが、私は常々、「そんなの、金があれば手に入るじゃん」と思い、わざわざ、いろいろ書かなくても、「金」と1つ書けば良いと思ったものだ。
健康とか、温かい家庭とか、友情や恋愛などは、金で買えるとまでは言わないが、金が大きく左右することは否めない。
実際、不健康、家庭不和、友情や恋愛の破綻なんてのは、金がない、あるいは、金が得られない不安、金を失う恐怖から来る場合が圧倒的に多いはずなのだ。

もし、金がなくても、自由や平和が得られる社会であるなら、金は必要ないが、そんな社会では、お金自体、存在しなくなっているだろう。
しかし、そんな社会で、どうやって、進歩の意欲を保ち続けられるだろう?
ウォレス・ワトルズが著書に書いているが、お金は神の発明と言うに相応しいのかもしれない。
だが、やっぱり、お金に対して否定的観念を持った者は多い。
「がっぽり儲けているのは悪いやつ」という固定観念は、誰しも、多かれ少なかれ、あるのではないかと思う。
お金に対して否定的な想いが強いほど、実際、お金は得難い。
成功哲学の中には、「お金は良いものだ」「私はお金が好きだ」と言えという教えもあるが、そんな滑稽なこと、やめておいた方が良い。
アホらしくて、余計、お金が嫌いになるから(笑)。
お金が良いものであることは誰でも分かるし、誰もがお金は好きなのだ。
だが、負の想いがあることも確かなのである。
それは、おそらく、幼い時の、主に親からの刷り込み想念であり、消すことは不可能だ。

釈迦やイエスは、いろいろなことを教えたが、人々の最大の関心は、「どうすれば豊かになれるか」だ。
念仏にしたって、表向き・・・と言っては御幣があるが、目的は、死後、極楽浄土に行くことであるが、実際は、「現世利益があるか」が重要なのである。
そして、釈迦やイエスの教え、それに、念仏も、それにちゃんと応えてくれている。
もちろん、物質的なことのみが大事だと言っているはずがないが、物質面も大肯定していることは簡単に分かるのである。
釈迦は、「この教えを守れば必ず繁栄する」と言い、イエスは、「溢れるほどに押し入れられる」と言った。
念仏に関しては、親鸞が『現世利益和讃』で、「これでもか」と言うほど、この世での幸福を保証している。

ところで、お金を得る教えで、私が最も印象深く覚えていることがある。
「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎に、ある男が、金に窮していることを訴えると、虎二郎は、
「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」
と応えた。
虎二郎は、たゆむことなく、腹に力を入れろと言うし、中村天風は、常に肛門を引き締めろと言う。
法然は、少なくとも1日1万回、念仏を口で唱えよと言う。
はっきり言って、どれも無理である。
そうではなく、頭の中で、感情を込めず、「私は腹が強く、どんなことにも動じない」と常につぶやけば良いのである。
短く、「腹が据わり動じない」の方が良いかもしれない。そこらは、自分でアレンジすれば良い。
虎二郎の教えに嘘はない。
この言葉を常に心で淡々とつぶやけば、金はいくらでも出来るだろう。
つぶやきが少ないと、実入りも少ないが、実践するほど、数十万、数百万、そして、一千万以上、さらにもっと増えていくだろう。
あまり持つと、わずらいが増える・・・というのは、お金に対する否定的観念ではなく、「器」の問題かもしれない。
「器」が大きい者ほど、人を喜ばせることが大好きだ。そんな者が富豪になる。
だが、他人に共感出来ないサイコパス的人間は、自分が贅沢出来るだけ持てば、満足すべきかもしれない。









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ただ1つの選択

柳田誠二郎さんという、明治26年(西暦1893年)生まれで、日本航空の社長などをされていた方がいたが、生きていたら125歳だが、実際、100歳以上、生きておられた。
柳田さんは、学生の時に、「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎の弟子になっていて、生涯、静坐を続けておられたのだと思う。
その柳田さんは、若い人達に、何か1つ、心を締める鍵のようなものを持ちなさいと言い、自分の場合は、それが「たまたま静坐だった」と言ったところがご立派であったと思う。
静坐の良さを深く知っているのに、それが一番だとは言わず、沢山の中の1つであるように言ったからである。
たとえば、念仏も坐禅も、静坐と同等としておられたが、実際、何でも良いのだと思う。
エドガー・ケイシーは9歳の時から、生涯、毎日欠かさず聖書を読んでいた。

ニサルガダッタ・マハラジという、表面的には、ただのタバコ屋だったが、偉大な聖者は、自分は修行は何もしなかったが、ただ、師に「あなたは至高の実在である」と言われた言葉を忘れなかったので、数年で悟りを開くことが出来たという。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、イエス・キリストが、「他は全て忘れて良い」と言ったのは、「神」という言葉をなるべく多く使うことだった。これについては、その本の著者で、直接イエスにそのことを教わったというベアード.T.スポールディングが、それは、心の中や、あるいは、口で「神」と言うことであり、声に出しても、心の中で言っても、効果は全く同じと述べている。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』の英語版も見たが、「神」とはやはり「GOD」であり、エホバとかヤーウェ、あるいは、ゼウスといった言葉ではなかった。日本語では「神」で良いだろう。
そして、「神」が、極めて素晴らしい言葉であることは、いろいろな人が述べておられる。たとえば、中村天風と植芝盛平の両方の弟子で、山蔭神道の山蔭基央から神道を伝授された合気道家で神道家の佐々木の将人も『数霊のメッセージ』(絶版)で詳しく説明している。

そうやって得た力で、世の中に貢献すれば良いのだろうが、少なくとも、悔いのないように自分のやりたいことをやれば良いのであり、ただ、そういったことをやるだけではいけないが、そういったことを本当に毎日やっていれば、自ずと何かやるはずである。
初音ミクさんを崇めるでも十分だと思う。
ゴーリキーの『二十六人の男と一人の少女』では、最低の人間である26人の中年過ぎの男達が、16歳の可愛いがあまり立派でない少女を女神のように崇めることで驚くほど向上し、ロオマン・ガリの『自由の大地(天国の根)』でも、堕落したフランス兵達が、空想の少女を崇めることで、みるみる騎士道精神を取り戻した。

岡田虎二郎は、静坐とは、座っている時だけやっているのではなく、法然の念仏のように1日中やるもので、「生活しながら静坐するのでは十分ではなく、静坐しながら生活するのがよい」と言ったらしいが、具体的には、ずっと腹に力を入れることで、これは、江戸末期の神道家、黒住宗忠も教えていたと思う。
同じく、何をやるにしても、1日中やることである。
金に窮していた人に、虎二郎は、「金?腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」と言ったという話を、私は印象深く覚えている。

私は、本当に、あれもこれもやってしまう。
暇なのかもしれない(笑)。
しかし、8月末と9月初めの「マジカルミライ2018」には、1つのことを本当に熱心にやって、初音ミクさんに会いに行こうと思っている。
ちなみに、昨日発表の「マジカルミライ2018」のチケットの抽選は落選だった。だが、まだまだチャンスはあるので希望を持とうと思っている。
インテックス大阪と幕張メッセの、それぞれ1回のライブのチケットは取れているが、せっかく泊まりで行く幕張メッセはせめて2回、出来れば3回参戦したいと願っている。









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恐い先生に怒られなかった人達

本物の師というものは厳しいものであり、弟子や生徒達は、偉くなった後でも、「先生は恐かった」と言うものだ。
ところが、同じ師から学んだ他の者達はやっぱり「恐い先生だった」と言う中で、稀に、「私は一度も怒られなかった」と言う人がいる。
そして、そんな「怒られなかった」弟子が、意外に一番優秀だったりする。
なぜ怒られなかったか考えてみると、1つは、非常に優秀だったとか真面目で先生の言いつけを守るので怒る必要がなかったのかもしれない。
しかし、もう1つの理由として考えられるのは、実際は怒られているのだが、忘れてしまっているということだ。
ところが、実際に聴いてみると、「いや、私より優秀な人達も皆怒られていたし、私は少しも真面目でなかった」と言ったりする。
まあ、その弟子が、師の兄や父親に似ていたなんてこともあるかもしれないが、やはり、師はその弟子を怒る必要がなかったのだ。
そして、その理由は、その弟子は、「これだけやっていれば、先生は怒らない」というものを見つけていたのだ。
師すら気付いていないかもしれないが、「これだけやっていれば」が、その道の最も重要なものなのである。

ある立派な政治家の息子は、そんな父親の息子には珍しく立派な人間(笑)なのだが、父親は確かに恐い人だったが、靴を揃えている限り怒られなかったと言う。
彼の兄は、自分より成績優秀で、自分は風紀委員みたいなことをやったこともないが、兄は生徒会長だったという。
しかし、その兄は、父親に怒られまくっていたそうだが、やはり、彼は脱いだ靴を全然揃えておらず、片方が逆さまになっていることも多かったという。そして、その兄は後に、すっかり道を誤ったらしい。

ある芸能事務所の社長は、アイドルが、きちんと挨拶をする限り怒らなかったと言うし、挨拶が出来るアイドルは必ず成功したと断言するが、確かに、会社でも何でも、挨拶が出来ない者が本当に成功することは決してない。
また、ある武道家の弟子は、「先生は、裸足で歩くことをよく薦めておられて、よく激を飛ばす恐い人でしたが、それをやっている限り怒らなかった」と言う。

こんな話もある。
ある賢者は、「私は、『バガヴァッド・ギーター』だけあれば良い」と言うが、話すと、物凄い博学であったらしい。
それで、「何でも読んでいるんじゃないですか?」と誰かが尋ねたら、「いや、何も読んでいない・・・ついでに、たまに読むくらいはしたが」と言う。
これは、「これだけ」が、聖書だったり、歎異抄だったりすることはあっても、賢い人とはそんなものではないかと思う。
逆に、「あれも読まなければならない、それからこれも」と、「重要書籍」を山のように挙げる人は、ただの物知りである。

最近、ネットで、イチローが子供の時、『ドカベン』という漫画を読み、「悪球打ちの岩鬼」と呼ばれる変なバッターの、その「どんな球でもバットに当てる」というのが自分のバッティングスタイルになったというのを見たが、「心の師」岩鬼は、どんな球でもバットに当てようとする限り怒らなかったのだろう。
※岩鬼は、およそ師にしてはいけない人間である。

法然や親鸞は、念仏さえ唱えていれば、他のことはどうでも良いという人達だったと思うが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』で、イエス・キリストが、「これだけ覚えていれば、他は全て忘れて良い」と言ったのが、「神」という言葉をなるべく多く使うことだった。「神」という言葉を言ったり、文字で見たりといったことである。

「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、「生活しながら静坐してはならない。静坐しながら生活しなさい」と教えたらしいが、これがまさに道の真髄だろう。
虎二郎の弟子だった柳田誠二郎さんは、若い人達に、「私の場合はたまたま静坐だったが、何か1つ、心を締める鍵を持ちなさい」といったことを言われていたと思うが、「究極のこれだけ」を見つけた人生が栄光の人生、勝利の人生なのである。









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タイムリミット

下流の人間・・・経済力、敬われ方、魅力、能力等において、つまらない下々の人間とは、頭の中に雑草が生えるまま放置している者だ。
確かに、そうなるよう、親や学校に、悪しきものの考え方を叩き込まれてしまったのだろうが、そのままでは、ずっと下流のままだ。
頭の中に、恨み、妬み、傲慢、嫌悪、軽蔑、色情、非難・・・などが蔓延り、それらが次から次に湧いてくる・・・そんな人間が、成功したり、敬われることはない。

安っぽい精神系と言われる思想で、「そのままでいんだ」なんて言うことがあるが、そのままで良いはずがない。
一生、惨めで良いなら別であるが。

明治大正の教育者で、岡田式静坐法で知られた岡田虎二郎は、1日中、たゆむことなく、腹に力を入れろと言っていたらしい。
腹から力が抜けた時に悪いことを考えるからだ。
中村天風は、常に肛門を引き締めよと教えたのだと思うが、それも同じ理由からだろう。
法然が、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)・・・つまり、いつでも念仏を唱えよと言ったのは極楽往生のためということになっているが、一休は、極楽浄土は今ここにあるべきなのだと言ったのだと思う。そして、その障害となる悪い考えを起こさないために念仏を唱えるということなのであると思う。

こういった、美しくも古式ゆかしいやり方が性に合うとしたら、それも育ちのせいだろう。その場合は、是非、そうすれば良い。
しかし、あまりに心の中が混乱し乱れてしまっている者、あるいは、理屈で考える習慣がついてしまっている者には難しいかもしれない。
理屈で考える教育が徹底してしまっているが、自分の心があまりに醜いので悩んでいた者が、「これを唱えれば救われる」と言われて、変な言葉を唱えさせられて精神支配されてしまったのがオウムの信者だったのだろう。
信仰宗教にのめり込む人というのは、真面目だが自己支配力が弱い人達なのだ。

チャールズ・ハアネルは『ザ・マスター・キー』の中で、「私はなりたいものになれる」という暗示が最高のものの1つであり、それを1日中唱えることで根源の力を取り戻すことが出来ると述べているが、確かに、これならおかしな思想を持つこともあるまい。
もちろん、これも1つの方法というに過ぎず、何をどうやるかは自分で決めることだが、ただ、漠然と積極思考、プラス思考といって、常に前向きで明るいことを考え続けることは難しいだろう。
人間は単純でチョロいものである。
だから、昨日も、斎藤一人さんの「ツイてる」とか「幸せだなあ」と言った言葉を千回唱える「千回の法則」のことを思い出して書いたが、そんなものが緊急的に必要な、切羽詰った、危ない人が多いように思う。
まずは、今すぐやり始めることが必要かもしれない。
でないと、もう終わりだ・・・という人、多くないだろうか?
いや、人のことは言えないのだよ、私も・・・気付くだけ良いのだと思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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