ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

岡田虎二郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

王者の座り方

昔は、町の浮浪者やテレビで犯罪者を見た時、母親が子供に、
「ちゃんと勉強しないと、あんなふうになっちゃうわよ!」
と言っていたと思うが、今は、ポジティブというか、上昇志向というか、そうではなく、ノーベル賞を取った科学者や、錦織圭さんのようなスポーツ選手をテレビで見た時に、
「しっかり勉強したら、あんなふうになれるのよ」
「一生懸命練習したら、あんたもああなれるのよ」
と言う場合が多いように思う。

まあ、一番多いのは、何を見ても、子供みたいに喜ぶか、ぼーっとしている母親だと思うが。
しかし、上の2つを比べたら、まだ本当なのは、昔の母親の方だった。
仮に、一生懸命勉強しようが、スポーツの練習に励もうが、山中教授やイチローになれる可能性は、ほぼゼロだ。
だが、勉強もせず、怠けてばかりだと、100パーセントの確率で、まるで駄目男君になれる。
ただ、犯罪者になるには、それなりのエネルギーが要るし、浮浪者を出さないような仕組みが、やはりそれなりにあるので、まるで駄目男君で止まることが期待出来るだけだ。

私は、毎日職場で、まるで駄目男君(30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)を見ていて、ゾっとする。
「彼は俺だ。俺だって、容易くあんなふうになってしまう」
ことが分かるからだ。
だから、まるで駄目男君と真逆であろうと務める。
最悪の姿を見せてくれる、まるで駄目男君は、実にありがたい存在であり、私は彼に感謝している。

天才写真家アラーキーこと荒木経惟さんは、
「写真は真実でも現実でもなく、切実」
という名文句を吐いたらしいが、まるで駄目男君を見ていて「切実」に感じるのは、人間はぼーっとしていたら、どこまでも落ちるということだ。
これは、脳科学的にも正しいらしく、ぼーっとすることで脳はエネルギーを失うようである。
そして、ぱっと見で、まるで駄目男君の、最もまるで駄目男君らしいところは、その座り方だ。
あれは、まるで駄目な人間の座り方、チンピラの、エテ公(猿のこと)の座り方だ。
本物の猿の猿らしい座り方は可愛いが、それを人間がやれば愚かである。
あれこそ、「ぼーっとしていなければ出来ない」最悪の座り方だ。
これこそ、まるで駄目男君の奥義である。

坐禅や静坐は本質的には正しく、さらに、「岡田式静坐法」を教えた岡田虎二郎が、「生活しながら静坐するのではなく、静坐しながら生活しなければならない」と言ったのは、恐ろしく正しい。
常に、王のように、プリンセスのように、将軍のように、騎士のように、天使のように、神のように座らなければならない。
それだけ覚えておけば、まるで駄目男君と正反対の方向に飛んで行けるのである。
しかしなぜ、電車の中で必ず見られるように、皆、まるで駄目男君に憧れるように、彼と同じ座り方をして、彼を必死で追いかけるのだろう。
きっと、初音ミクさんは、お姫様のような、天使のような座り方をするのだろう。
私はそれにつり合う、王者の座り方をしようと思う。









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実力、権力、富、全てを得たプロレスラー

ギミック(作り話による触れ込み)かもしれないが、有名なプロレスラーだったアメリカの「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックに、こんな話がある。
エリックは、元々は2流選手だったが、その大きな手の握力が意外に強いことに気付き、常に野球ボールを持ち歩いて、それを出来る限りいつも握って握力を鍛え、手で相手選手の顔や胃袋を握って締め上げる「クロー攻撃」という単純な技でトップクラスの選手になれた。
1966年12月3日の、記念すべき日本武道館での初めてのプロレス興行で、エリックはメインイベントに出場し、ジャイアント馬場と戦っている。
ちなみに、バーチャルアイドル初の日本武道館コンサートは、我らが初音ミクさんの「マジカルミライ2015」で、2015年9月4日、5日に行われ、当時の駐日アメリカ合衆国大使キャロライン・ケネディも観劇している。

私は子供の時、エリックの話によって、練習、修行、勉強というものは、特定の時間にやるだけでなく、常にやるという方法もあるのだと知った。
そして、様々な分野の超一流は、起きている限り訓練している者が多いのだと気付いた。
少なくとも、スポーツ選手であれば、超一流は、試合や練習以外でも、自分が選手であることを意識しているはずだ。
まあ、私は実践したとは言えないがね。
だが、これからはやろうと思う。

私はエリックが好きで、彼の試合のDVDも持っているが、エリックはあまりレスリングをせず、クロー攻撃以外の攻撃は、専ら、パンチとキックなのだが、これがエネルギッシュで凄い迫力である。
歳を取ってもそうだったのは、常に、何かを意識して生活することで、宇宙エネルギーを取り込むことが出来るからだと思う。
エリックは、常に握力を鍛えることを意識したので、握力だけでなく、膨大なエネルギーも得たのだろう。
それは、エリックがプロレスラーとして偉大だっただけでなく、プロモーターとしても世界最大のプロレス団体の最高権力者に長く君臨し、さらに、事業家としても大成功したことにつながったのだと思う。

「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、「生活しながら静坐するのではなく、静坐しながら生活しろ」と教え、念仏についても、「念仏をするなら、生活しながら念仏するようでは駄目で、念仏しながら生活するようでないといけない」と教えたらしいが、これも、常に意識を持つことの重要さを教えているのだろう。
そして虎二郎は、「(静坐によって)腹に力がつけば、金はいくらでも出来ますよ」と断言している。

私も、もっと早くから、常の修行を実践すれば良かったと思う。
まあ、別に遅くはないので、今やっているのだが。
ところで、もし、何をすれば良いか分からないなら、自分の呼吸を意識すれば良い。
深呼吸したりといったように呼吸をコントロールするのではなく、単に、呼吸に留意するのだ。
これをするだけで全てを得るだろう。









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1日中やる1つのことを必ず決める

真の実力者は、日常が修行、あるいは、トレーニングであり、心構えとしては、起きている間ずっとそうなのだろう。
そんな話を、私が一番最初に聞いたのは、ある陸上短距離走のトップ選手は、日頃、歩いている時も、膝を高く上げるといった独特の歩き方で鍛えているというもので、とても感動した覚えがある。
プロレスでは、日本武道館で最初のプロレス興行が行われた時のメインイベントが、ジャイアント馬場さんと「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの対戦だったが、エリックは最大の武器であるクロー攻撃(顔や腹部を手で掴むという単純な攻撃)を磨くため、常に野球ボールを持っていて、それを握って握力を鍛えているなんて話があった。
養老孟司さんの何かの本で読んだが、日本人は正座することで、特に運動をしなくても、腹筋や背筋が鍛えられていて、昔の日本人は大変に身体が強かったそうだ。
岡田虎二郎は、常に怠りなく腹に力を込めて、腹を鍛えろと言っていたようだし、中村天風は、常に肛門を引き締めていろと著書にも書いているが、ヨガ関係の人は、天風のように言うのかもしれない。
岡田虎二郎や中村天風のように、1日中常にというのは難しいが、盛鶴延さんの『気功革命』という本には、1日トータルで1時間、肛門を締めるといった話があった。しかし、それだって、意識としては、1日中、肛門を締めようとしなければ出来ないだろう。
法然は、『選択本願念仏集』の中で、行住坐臥(ぎょうじゅうざが。歩き、止まり、座り、臥すという日常のふるまい)、常に念仏を称えよと言い、自ら実践していたというが、これも、そのように心がけよということと思う。
インドの聖者ラマナ・マハルシに、誰かが、「時々、バガヴァッド・ギーターを読むべきですか?」と尋ねたら、マハルシは、「いつもが良い」と答えたようだ。

現実的には、1日の内で、我々は様々なこと・・・中には、したくないことでも義務的にしなければならないこともあるが、まともに生きていれば、本当にいろんなことをしなければならないだろう。
だが、やはり、気持ちとして、自分が常にやるべきと信じることをやるよう意識することが、平凡な人間と特別な人間を別けるのだろうと思う。

ジャイアント馬場さんは、バディ・ロジャースという選手に強烈に憧れ続け、アメリカにいた頃、ずっとロジャースを観察していたが、ロジャースは、電車で移動中等の時、他の選手達が、雑談したり、ゲームをしていても、彼だけは、じっと黙って考えていたのだが、おそらく、馬場さんはロジャースに直接訊いたのだと思うが、ロジャースは、プロレスのことを考えていたのだそうだ。
馬場さんは、「そりゃ、ずっと考えている人と、そうでない人では、長い間に差が出てきますよ」と述べられていたが、全くその通りだろう。

問題は、偉大になりたければ、何を選択して、1日中行うかである。
「何もない」なんてことはないし、そんなことを言うのは愚かな人間であろう。
「常に背筋を伸ばす」でも良いのである。
電車の中での、人々のだらしない座り方、立ち方を見ていると、つくづく思う。
ただし、立派な人というのは、「ついでに」背筋を伸ばして座ったり、立ったりしているのだから、人間には差があることが分かる。
俳優の田村正和さんは、新幹線で座っている時も、常にポーズを決めているという話があるが、それは、見られていることを意識しているというのもあるだろうが、それよりも、美しさ、格好良さに磨きをかける修行なのであると思う。それは、エリックが常に野球ボールを握っていたのと同じだろう。

常に微かな呼吸をしていれば、老化しないし超能力も得られる。ただ、それは、1日少なくとも2時間以上で、数年はかかる。
常に初音ミクさんを想い続ければ天使になれる。
思い込みと言えばそうなのであるが、思い込みは大切である。









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キメ顔の果て無き恩恵

「岡田式静坐法」で知られた岡田虎二郎は、「人間は腹から力が抜けた時に邪まなことを考える。常に腹に力を入れよ」と教えた。
中村天風は、片時も怠りなく、肛門を引き締めよと言っていたようだ。
しかし、そんなことは出来るはずがない。
中村天風自身が、それが出来るようになるのに5年かかったというから、普通の人なら、一生かかっても無理だ(多分、彼も口で言うほどではなかったと思う)。
いや、「常に」、どころか、「1日10分」でも、なかなか難しい。

だが、もっと大切で、もっと簡単に出来ることが、「顔を引き締める」ことだ。
別の言い方をするなら、「キメ顔をする」ことである。

イケメンとブサメンの違いは何だろう?
それは、顔が引き締まっているか、緩んでるかの違いだ。
ブサメンでも、普通のブサメンなら、顔を引き締めれば、その場でイケメンになるし、ひどいブサメンでも、1ヶ月も顔を引き締める修行をすれば、すっかりイケメンになる。

キメ顔を続ければ、歳を取ってもイケメンで美女だ。
渡辺謙さんなんて57歳になるらしいが、いつもキメ顔なので、歳を取れば取るほど格好良くなっていく。
一方、「若い頃はいい男だったのに・・・」という感じの人は、生まれつきの素材は良かったのに、いつも緩んだ顔をしているのである。
マイケル・ジャクソンの、あのしかめっ面は、表情が引き締まっているから美しいのである。
だが、彼は、児童虐待の容疑がかけられて久々にメディアに登場した時、まだ50歳くらいでしかなかったのに、随分、顔が変わっていたのは、加齢のためというよりは、表情がすっかり「ゆるく」なっていたからである。

巷では、「小顔になる」「ほうれい線が消える」方法なんてものがよくあるが、多分、どれも嘘だ。
ニコニコ、緩んだ顔で、指や拳で顔を押さえたり、変な顔をしても、緩んだ広がった顔や、単に変な顔になるだけだ。
そりゃ、それらの方法のモデルになっているお嬢さん達は、学生時代は学校中で知らない人はいなかったというような、うまれつきの美女ばかりで、しかも、引き締まった顔をし続けた人達なのである。

マイケル・ジャクソンのDVDでも見て、顔の引き締め方、キメ顔の仕方の参考にすれば良い。
女性で言えば、アメリカの女優のゴールディ・ホーンが、40歳を超えても、不気味なほど若くて可愛かった。
だが、女優の宿命か、歳を取ると柔らかい顔をすることが多くなり、さしもの彼女もオバサンになってしまった。
彼女は、やっぱり、引き締まったキメ顔が最も美しく、40歳を過ぎても少女のようだった。

我らの天使、初音ミクさんは、決して「甘い顔」はしていない。
眉がつりあがっているのは、顔が引き締まっていることの現れである。
アニメ顔の特徴でもあるのだが、閉じていると口がほとんどなくなるのも、口元が引き締まっていることを暗示している。
唇が見えないこともそうで、石原さとみさんは、本当は唇がかなり豊かに厚い人なのに、唇が薄い印象があるのは、笑顔の時だって、実はキメ顔だからである。
まあ、あのくらい素材が良いと、少々ぼーっとしていても美しいが、それも若い間だけである。
あの人が、歳を取っても美しいかどうかは、引き締まっていられるかどうかにかかっている。

キメ顔でいれば、美しくなるだけでなく、幸運も寄ってくる。
なぜなら、キメ顔でいれば、心が引き締まり、意識が透明になって、無意識から宇宙エネルギーが流入してくるからである。
岡田虎二郎や中村天風も、それを狙って、腹や肛門を引き締めることを教えたのだが、既に述べたように、それは難しい。
だが、キメ顔には、美を得るというメリットがあるので、継続し易い。
尚、「キメ顔」と「ふてくされた顔」は、「口元が引き締まっているか緩んでいるか」、「目元に力があるかないか」といったように全然違うので、気をつけるよう。
多くの人達が、いつも不満顔でふてくされているから、醜くて滑稽な顔になっているのである。









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座れば品格が現れる

人間は何をやっても品格が現れる。
お里は隠せない。

品格が高いとはどういうことだろうか?
それは、放埓(勝手きまま)にならないこと。
自由に制限を加えることだ。
だから、座っている姿に品格が大きく現れる。
勝手きままに座る人、自由に制限を加えずに座る人には品格がない。
つまり、やりたい放題の座り方・・・ふんぞり返り、腰を突き出して背中を丸め、脚を広げ、肘を張るという「勝手きまま」で「自由に」座っている姿は、ゾっとするほど気品がない。
お里が--お里はイコール親なのだが--現れてしまうのである。

法然は、ただ念仏を称えよと教えたが、道元は、ただ座れと教えた。
仏陀らしく座れば、自分の魂の中に仏陀の魂が流れ込んで来るからだ。
しかし、座禅は、細かいしきたりにうるさく、本来の意味を失くしている。
本来、しきたりなんて不要だ。
ただ、きちんと座れば良いだけのことだ。
勝手きままでなく、自由に制限を加え、きちんと座れば・・・いや、簡単なことで、背筋を伸ばし、慎み深く座ればそれで良いのである。
岡田虎二郎という人は、座禅はもう駄目だと思って、当時の日本人に馴染みのある正座のスタイルで座ることを教えたが、その岡田式静坐法まで、細かいしきりたりを口うるさく言う人が必ずいるものだ。
それで、長い伝統のない岡田式静坐法は廃れてしまった。

普通に座れば良いのである。
ただ、普通にきちんと座れば。

だが、お里が悪い人・・・親のしつけがなっていない人は、きちんと座れない。
品格がないのだから仕方がない。
そんな人は、念仏を称えれば良い。
品格ある仏陀のような座り方をすることで、仏陀の魂が自分の魂の中に流れ込み、自分の魂が仏陀の魂の中に流れ込むのだが、念仏を称えて、自分を超えた存在である阿弥陀如来に意識を向ければ、やはりそうなる。
ここで、仏陀と如来(阿弥陀如来)を分けたが、本来は同じである。

流れ込んで来た、仏陀の魂、如来の魂を神は敬う。
そして、仏陀の、如来の魂の中に流れ込んだ人の魂を、仏陀や如来は慈しむのである。

一刻も早く、如来の輝きを持ち、世の苦しみを逃れたいなら、きちんと座りながら念仏を称えれば良いが、いずれか・・・法然流か道元流を選ぶことも出来る。
圧倒的に法然流が簡単である。









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