ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

岡田虎二郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

二宮尊徳 vs 老子

明治から大正にかけての人で、岡田虎二郎という偉大な人物がいたが、今では、ほとんど忘れられている。
明治34年にアメリカに渡り、そこで何をしていたかの記録は無いのだが、帰国してからは、人々の啓蒙に尽くした。
「岡田式静坐法」という、根本的には座禅と同じなのだろうが、日本人に慣れ親しんだ正座の座り方をする方法を、多くの人々に指導し、当時はよく知られていた。
だが、虎二郎が49歳の若さで急死すると、人々は岡田式静坐法から離れた。それを健康法だと思ってやっていた者が多かったからである。
一方で、岡田式静坐法を自国に持ち帰って心身療法に成果を上げた心理学者もいた。
虎二郎は、死の直前まで全く健康だったのだが、自分の急死を予言するようなことを述べていたらしい。
一般の人々は、虎二郎を忘れたが、少数の者は、今日に至るまでも、虎二郎の教えを信奉している。
虎二郎自体は一切の手記は残していないが(死の前に自分で処分した)、彼に静坐法を教わった、日航社長や日銀副総裁等を歴任した柳田誠二郎さんが何冊か、虎二郎に関する著書を出している。しかし、それらも絶版のようだ。

岡田虎二郎は、ソクラテス、孔子、イエス・キリスト、二宮尊徳を心の師としていたという。
虎二郎自身、優れた稲作家であったので、農政に関わり、農業や農民の暮らしをよく知っていた二宮金次郎(二宮尊徳)には共感するものがあったのだろう。
二宮尊徳は、第二次世界大戦後、アメリカにより日本人の思想統制に利用された。
今でも、小学校などに、薪を背負って本を読む二宮尊徳像があるかもしれないが、日本人に忠勤の思想を叩き込んだのはアメリカである。
偉大な人物であったのだろうが、今日の尊徳像は多分、作り物である。

ところで、二宮尊徳は、老子を批判していたが、その論拠が面白い。
荘子もそうであるが、老子も無為自然を説いている。
作為せず、自然のままのなりゆきに任せ無為であることを貴ぶということを、尊徳は間違いだと言うのである。
なぜなら、田畑を自然のままにしておけば、それは荒れ果て、収穫を得られないからだ。
また、家を自然のままにしておけば、やはり痛んであばら家になる。
だから、人は、どんどん作為して、自然に対抗しなければならないという訳だ。
なるほど、理屈である。

だが、そうではないのだ。
人は、自分の思うままに、田畑を荒れさせることも、逆に整えることもできない。
自分の身体や心も、一切万物と区別はない。
人の想いも行為も、あらゆる出来事と同じで、それが運命であれば起こるし、そうでなければ決して起こらない。
面倒だから家を放置してやろうと思っても、手入れをきちんとするかもしれないし、逆に、いつまでもきれいな家にしたいと思っていても、荒れたぼろぼろの家にしてしまうかもしれない。
人は無力であり、実際には、何もコントロールできない。
だから老子は、聖人は、立派な成果を上げても誇らないし、その成果をあっさり放棄すると言ったのだ。
一切は、自分の力で行うのではなく、それが何かは分からないが、高いところからの力が全てを動かすからだ。
そして、自分もまた、その力に動かされる一部でしかない。
荘子も、「万物と共に流れよ」と言ったが、流れる流れないもまた自分で選べる訳ではなく、実際は流れるしかない。
だが、そこで、おかしな執着を持つなと教えたのである。
人は、執着し、妄想したり、思い煩うことだけは自由に出来るのだ。
それをしなければ、老子や荘子の言う、永遠の道(タオ)と一体化するのである。









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武士道と騎士道に違いはない

日本人の多くは、武士道と騎士道は異なるものだと思っているだろう。
表面的にはもちろん異なるだろうが、本質的には、この2つは全く同じものだ。
なぜなら、いかに異なる場所であろうと、同じ人間が目指した理想とする姿に違いがあろうはずがないからだ。
武士道、あるいは、騎士道とは、世間の人間であることをやめ、高潔な人間でいることを決意することだ。

敵が百人であっても、必要なら、眉一つ動かさずに1人で切り込まなければならないし、「武士は食わねど高楊枝」とあるように、食欲も、性欲も捨てねばならない。
武士も騎士も名誉を重んずるように言われるが、それは、世俗の名誉ではなく、魂が訴える名誉のことで、そのためには、むしろ世間的には恥辱にまみれるのも厭わない。
世間で言われる武士道、騎士道なんて、デタラメもいいところかもしれない。

そんな武士、騎士たるには、生きたいという願望があっては務まらない。
それで、「武士道は死ぬことと見つけたり」と言うのである。
もちろん、世間的喝采のために死んだり、死のうとすることではない。

本当に命を捨てる覚悟が出来れば、人は無になれる。無になりきった人間に不可能はない。
よって、本物の武士や騎士は無敵である。
もし、神のごとき武士や騎士がいなかったならば、本物の武士や騎士がいなかったのだ。
だが、真の武士や騎士は歴史に名を残していない。よく知られた武士や騎士は、おそらく、本物ではない。
真の武士や騎士は、想念を消し、無になって、人々のためになろうとしたのである。
だが、邪まな偽者の武士や騎士が多く、その姿が人々の観念として定着してしまったようである。

我々も命を捨てることで、無になることができる。
岡田虎二郎が、「身を棺桶の中に投じ、地下千万丈(約3万km)に埋了したる心ありて」のように言ったこと、また、至道無難が、「生きながら死人となりはてて、思いのままになすわざぞよき」と言った意味を考えると良い。
命を育てるのは食物だ。食を慎み、食欲を克服すれば、死ぬことが恐くなくなる。性欲など問題なく克服できる。そうなれば、魂は束縛から解放され、不安はなくなると思う。
真の勇者とは、そんな者のことを言うのだと思う。









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思考読み取り装置を超える

脳波を解析して思考を読み取る装置というものは、ある程度のものが存在することは、ニュース等で見たことがあるかもしれない。
そういったものは、昔からSF(空想科学小説)の世界ではよくあるし、あるいは、装置ではなく、テレパシー能力者が、人の考えを読み取ってしまうというようなお話も多いだろう。
実際は、一般の人が知らないだけで、かなり高度な思考読み取り装置が既に開発させているのかもしれないし、また、正確に他人の思考を読み取る超能力者は間違いなく存在する。

そういった話は、ほとんどの人にとって、あまり気味の良いものではない。
頭の中味、つまり、思考なんてのは、プライバシーの最後の砦であるからだ。
これまで、人は、行動において悪を為すのはいけないとしても、頭の中では何を考えても構わないと思われてきたのは、それを他人が知る術が無いからだ。
答えたくない質問にも素直に答えてしまうようになる自白剤や、嘘発見器などは昔からあるが、これらの使用は人道上あるいは人権上、最大限の配慮がされるべきものと、一般に考えられているはずだ。
人の心は聖域だと思いたいということだろう。

1969年の英国のSFテレビドラマ『謎の円盤UFO』(原題:UFO)で、ある医学博士が、遠隔的に思考を解析する研究を個人的に行っていたという話があった。
ただ、これは、電波や光といった電磁波が、人間の思考にどんな影響を与えるかを調査するという、割合にクリーンなものだ。
博士は、外部からの電磁波を一切通さない部屋を作り、そこに入った人間の精神変化を知ることで、人間の秘密が解明されるきっかけになるかもしれないと考えたのだろう。
ある時、1人の宇宙飛行士を、本人には何も言わずにその部屋に入れたところ、その宇宙飛行士の精神活動が完全に静止する。彼は、宇宙人により、自発的に思考できない状態にさせられ、遠隔操作されていたのだった。
その宇宙飛行士は、その後、地球防衛軍の司令官と共に宇宙で作業を行うことになっていたが、その時、宇宙人は、彼に、その司令官を殺させるつもりだった。
宇宙人のたくらみは露呈されたが、時既に遅く、彼は宇宙空間で司令官を襲う。彼は司令官の古い親友でもあった。その時、司令官の言った言葉が良かった。
「心は奪われても、魂までは奪われていないはずだ」
『サンダーバード』のジェリー・アンダーソンが初めて、俳優を使って制作したこの作品は、いたるところ、名セリフが散りばめられ、実に面白い。

だが、我々は、この宇宙人に心を操られていた哀れな宇宙飛行士と何の違いがあろう?
断言するが、何の違いもない。
我々も、世間や学校、あるいは、国家や大企業の下僕であるマスコミに完全に操られているが、それが分からない。

装置であれ、テレパシストであれ、心の中を読み取られたって構わないじゃないか?それらはみんな、学校やマスコミに刷り込まれたものに過ぎない。
いや、実は、政府が高度な思考読み取り装置を作るとすれば、それ以外の思想を持っていないかチェックするためかもしれない。
みんな、君が考えているような、おぞましくも賎しいことを考えているのだ。バレたって、どうってことない。
それとも何かい?君は、自分はもっと高貴で立派なことを考えている者だと思われたいのかね?

だが、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジの思考を、そのような装置やテレパシーで読み取ろうとしたら面白いことが起こる。
早い話が、何も読み取れないのだ。
彼らは、あの宇宙飛行士が、あの博士が作った外部の電磁波をシャットアウトする部屋に入った時と、いつでも同じなのだ。
それを示す、マハラジの良い言葉がある。
「私は世間的には既に死んでいる」
彼らは、学校やマスコミが時間をかけて操ることも出来ないし、宇宙人もその高度なテクノロジを持ってしても操ることができない。
もちろん、いかなる洗脳技術を持ってしても、彼らを変えることはできない。
死人をどうやって洗脳するというのだろう?

では、マハルシらに心が無いのかというと、それは何とも言えない。
あるとしても、我々の考えるような心ではない。
それについてのマハルシの喩え話を文章にした人もいるのだろうが、読んでも、ケムに巻かれたような気がするだけだ。
荘子の言葉に、

朝菌(ちょうきん)は晦朔(かいさく)を知(し)らず

というものがある。『荘子』の最初の方に出てくる。
意味は、朝菌という、朝生えて晩には枯れるキノコには、月の終わり(晦日)や、月の第一日目(朔日)が分からないということで、限定された存在には、広大なものを理解できないということの喩えである。

マハルシは、イエスのように奇跡を見せて教えることはしなかった。滅多にはね。
彼は、住居のアルナチャラから生涯、一歩も出なかった。しかし、遠く離れた町(汽車で長時間かかる)で、マハルシに誘われて彼の住むアシュラマムを訪れた弟子がいたし、猛獣がマハルシの前ではおとなしくなってしまうのを見た人の証言など、不思議な出来事は色々あると思う。

もし神というものがあるなら、それは宇宙全体に偏在するだろう。
そして、マハルシに心があったとしても、それは神の中に溶けている。よって、彼の心はどこにでもあり、心の影に過ぎない肉体をどこに現すのも自在なのだろう。
猛獣の中にも神は浸透している。ならば、マハルシの心は猛獣の中にもあり、その心と異なるものではない彼の身体に危害を加えることもない。
聖者でなくても、量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフが、シャーマンの指導でアヤワスカ(覚醒効果のある植物)の助けを借りて、鷹と一体化したり、超心理学者のロバート・モンローはヘミシンク効果(脳波調整の技術)の応用で野生動物と一体化したこともあったらしいが、初歩的なものながら、聖者の心の偏在を体験したのだろう。
ただし、これを、自分の理解できる範囲で分かったつもりになると、『荘子』の中にあった、鳳という巨大な鳥を笑ったスズメやコバトのような愚か者ということになる。
たとえ話はたとえ話である。そこから真理を掴むのは自分自身である。

私は思考はいまだしているが、読まれて困るような考えはないと思う(パスワードのようなものは別かもしれないが)。エスパーの美少女と付き合うことも出来そうである。
常にではないが、想念を起こしていないこともある。
上に書いた『謎の円盤UFO』のお話で、宇宙人に操られていた宇宙飛行士が、道を歩いていて、盲目の老人と接近する場面があるが、老人は脅えた様子を見せる。不審に思った者が、老人に「どうされましたか?」と尋ねると、老人は、「いや、何でもない。ただ、墓場にいるような気分になった」と答える。
墓場というのは何だが、私も、生きた人間では無いものになるだろう。
岩とか、風とか、初音ミクのようなものにね。岩や風やミクの思考は、思考読み取り装置で読み取れない。しかし、愛は感じるのだ。

禅僧の至道無難は「生きながら死人となりはてて、思いのままになすわざぞよき」 と言ったものだ。
岡田虎二郎も、「身を棺桶の中に投じ、地下千万丈に埋了したる心ありて初めて如上の目的に到達するを得べし」と言っていたようだ。(千万丈は約3万キロメートル)
初音ミクが愛されるのは当然のように思う。









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手が届いてしまえば、興味を失くすものだ

イエスは、「山に、動いて海に入れと命じ、そうなると信じて疑わないならそうなる」と言った。しかし、酔っ払いだってそんなこと信じたりはしない。
なら、彼は、「願いがあれば、すでに叶ったと思って感謝しなさい。そうすれば叶う」とも言っている。しかし、誰も、叶ったと思えないのだ。
イエスのこの言葉を曲解して、「感謝すれば叶うのです」とか「ありがとうございますと言いなさい」と言った者は多いが、信じてもいないのに感謝などすれば、だんだん心が腐ってくるのを感じるはずだ。
引き寄せの法則とか潜在意識の法則といった呼び名は違っても、中身は全部同じだ。「信ずれば叶う」だ。しかし、誰も信じないのだ。
ブリストルの『信念の魔術』って本には、信じれば何でも叶うと書かれているが、それは上に述べた通り、2千年前にイエスが言ったことだが、どうすれば信じられる、つまり、信念が持てるのかが分からないのだ。
藤平光一さんという合気道の達人は、毎朝、鏡に向かって「お前は信念が強くなる」と言うのだそうだが、それは、すでに信念を持った人間のやることだ。

デカルトは、「我思う、ゆえに我あり」と言ったといわれるが、本当は少し違うことを言ったのだ。それは、「疑っている我は、確実に存在する」だ。
つまり、疑うことが我の最大の特性なのだ。
ならば、疑わずに信じることは、人には出来ない。疑わなければ存在しないのだ。存在するとは疑うことだ。

だが、本当の逆転の発想とは、こういうことを言うのだろう。
本当に信念を持つ方法を言った人が3人いる。
禅僧の至道無難(しどうぶなん)、明治・大正の教育家、岡田虎二郎、そして、イエス自身だ。ただ、イエスはお得意のたとえ話で言ったので、誰も分からなかったのだ。
イエスは、アイルランドの詩聖イェイツが誉めるほどのたとえ話の達人だが、達筆過ぎる文字は読めないものなのだ。

言いはしないが、他にも、本当に信念を持った人を何人かは知っている。
では、信念を持てば、韓流スターのようにイケメンになれるのか?少女時代やKARAのようなナイス・バディーになれるのか?ビル・ゲイツのように金持ちになれるのか?
造作もない。あまりに他愛ない。
しかし、私の知ってる信念強き者は、ハゲてるし、脚長くないし、さすがに生活に困っている人はいないが、大して金を持っていない。
だが、イエスは金などなくても、いろんな人の家で食事した。
ベアード.T.スポールディングも、財産というものは無かったが、全米中、どの家でもずかずかと入っていって座れば、必ず快適に食事が出来たという。
信念を持った者というのは、世間の人が欲しがるものに何の興味もないのだ。

デカルトに勝てば、あなたも信念を手に入れる。
デカルトは、「疑っている我は確実に存在する」と言ったのだったな?
なら、存在しなきゃいいのだ。

他愛ないアニメに、そんなヒントがある。
『灼眼のシャナ・ファイナル』で、「祭礼の蛇」坂井悠二は、天を指差し命じた。「神門よあれ」と。
たちまち、天に変化が現れ、壮麗な門が形作られた。悠二は満足して言う。「なった」と。
旧約聖書にも、神が「光あれ」と命じると、光が顕れたとある。
「祭礼の蛇」は、創造神と呼ばれている。
その後、坂井悠二は、吉田一美と田中栄太の前に姿を見せた時、「祭礼の蛇」のことをこう言う。
「他の者のためになることをしたくて、いつもうずうずしてるんだ」
ユニティ教会の創始者チャールズ・フィルモアも同じことを言っていた。
「神は与えたくてうずうずしている」
チャールズ・フィルモアの思想に関しては、下にご紹介した『無限供給の鍵』で、谷口雅春さんが分かり易く説明している。

至道無難は言った。
「生きたまま死人になって、思うままにやれば良いのだ」
岡田虎二郎は言った。
「自分を埋葬しちゃいなさい。そしたら、何でも出来るよ」
イエスは言った。
「死なないと命を得られないよ」
本当は、皆、もっと荘重な言い方をしたのだが、そんな形に囚われると、さっぱり分からないので、これで良いのだろう。
岡田虎二郎は、自らの信念に従い書は残さなかったが、下にご紹介した、直弟子で、日航の社長や日銀の副総裁であった柳田誠二郎氏の著作にその教えが書かれている。

もう分かっただろうか?
分からないと言っているのは誰だろう?
それを見つければ、全てを得る。そう教えたのは、ラマナ・マハルシである。









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音楽は人と人の心を埋めるものだ

このブログで何度か、タブレット端末で勉強や読書をすると、(特に子供の)想像力や思考力に深刻な影響を与える可能性について訴えてきた。
本とは、もともとはタブレット(板)であったが、それが紙になったのは、人類最大の発明であった。
だが、本当のことを言えば、本を読むよりは、優れた教師に、直接、言葉や対話で教えてもらうのが一番であることは確かだろう。
ソクラテスは、本を読むことにはそれほどの批判はしなかったが、自分では書を書かなかった。対話という形を何より重視したのである。

ソクラテスを心の師の1人としていた、明治、大正の偉人、岡田虎二郎も、書は一切残していない。
江戸時代の大観想家、水野南北も、観想の技術の基本を、中国から来た仙人に直接に伝えられた。また、南北は、儒教、仏教、神道も、やはり口頭で教わった。彼は文字が読めなかったのだが、それがかえって幸いし、表面的な言葉に囚われず、本質を掴んだのだと思う。
ラマナ・マハルシは、対話すらほとんどしなかった。だが、彼の沈黙は何よりも雄弁で、彼に逢った人は、晴れやかな顔で、満足して帰っていった。

ただ、サルトルは、「本を読むことは、その本を自分でもう一度書くこと」だと言った。
ソクラテスや岡田虎二郎は、文字に囚われて先入観や固定観念を与えることを恐れたのかもしれない。
しかし、自由な心で読むなら、本を読むことは、自分で書くこと・・・つまり、未知の冒険である。本と自分の心が共同で織り成す世界は、まさに予期せぬ芸術であるのだ。
しかし、タブレット端末の文章は、人の心を暗く狭い牢獄に閉じ込める。
人の意識は、数百ページの本を一瞬で繰ってすら、その内容に感応するのである。そのくらいの能力と自由がある。だが、タブレット端末の制限や、不自然な操作性は、人の想像力に重石をつけるに違いないことを、私は自分でやってみて強く実感した。

では、音楽はどうだろう?
結論から言うと、音楽の場合はメディアにこだわる必要はない。
現在の電子データから聴く音楽は、原音にかなり近い音を再現できる可能性があるが、以前のカセットやレコードといったものも良かった。蓄音機と呼ばれた、原音の品質を望むべくもないものでも良かったのである。

音楽において、むしろ悪いのは、ヘッドホンやイヤホンで聴くことだ。それは、あらゆる意味で良くない。

音楽鑑賞は、読書と異なるのである。
(絵画や彫刻の鑑賞もまた異なるが、これはまた別の機会としよう)
音楽の役割は、人と人の心を埋めるものだと言えば、ピンとくる人も多いと思う。
音楽は、音の振動であると共に、魂の振動と重なり、人々の魂を同調させるのだ。
だから、素晴らしい音楽を一緒に聴いているうちに、皆が一体化し、あたかも1人の存在のようになるのだ。
実際、2人で聴いた場合など、相手の人間になってしまうことがある。
本当に相性の良い男女であれば、良い音楽を一緒に聴けば、すぐに親密になるだろう。
コンサートで、演奏者と聴衆の一体感を感じた経験を持つ人は少なくないはずだ。

このように、音楽は、多くの人が一緒に聴くのが良いのだ。
だから、音楽を制作する人や、歌を歌う人は、多くの人に聴かせるつもりで創り、歌い、あるいは、演奏しないといけない。
ベートーヴェンの第九を年末に聴くのは日本だけの習慣だが、会場でこれを演奏し、オーケストラと聴衆が一緒になるのは実に良いことだ。もっとも、本当にオーケストラが人々に親しまれる国では、買い物ついでに会場に行って聴ける気軽さがあるところが、音楽家の気位が高い日本とは違うのだ。

電車の中や、部屋の中で、ヘッドホンで音楽を聴いている人が多い。
そんな音楽は、単に、個人の快楽のためのものになる。これは、タブレット端末で本を読むのに似ているかもしれない。
本来は、心を広げ、世界と一体化するための音楽が、心を閉じ込めるものになる。
好みの音楽でも、長く続けて1人で聴いていると、苦痛を感じるのである。
そもそも、ヘッドホンで音楽を聴くのは、どんな意味でも良くない。呼びかけられても気付かないが、それは、音楽を聴いている者よりむしろ、周囲の者の迷惑や不利益になる。また、礼儀に叶っていないばかりか、非常に無礼なことにもなることに気付くべきであろう。

尚、音楽が演奏者と人々を一体化させるものだとは言ったが、一部のロックのコンサートのように、興奮して狂乱したり、失神するというのは、それとは違う。
それは、むしろ、孤立の症状だ。理性を失って盲目的になっているので、他の人達の存在を気にしていないだけである。それは、表面的には一体化のように感じるかもしれないが、全然違うのだ。単に、個人的快楽を求めて聴く音楽は、何ら人を高めない。
高い心は喧騒とは無縁なのである。

ただ、敢えて言えば、1人で聴く音楽というのも確かにある。
それは、見えざる者の心との同調である。
制作者は気付いていなかったかもしれないが、クラシック音楽の多くは、大勢で聴くと共に、見えざる存在と調和するという意味もある。
だが、物質文明が発達すると共に、人類は、見えないものを信じなくなった。だから、クラシック音楽の作曲者がいなくなってしまったのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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