ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

岡本太郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

1日144分の修行で超人になれる

全ての人間はろくでなしである。
ろくでなしとは、ろくでもないやつのことで、役に立たない者、無価値な者という意味だ。
「全ての人間がろくでなしとは言い過ぎだろう?ろくがある人間も少ないかもしれないがいるはずだ」
と言いたい者がいるかもしれない。
良い質問だ・・・なんて気取るなよと言いたい気持ちもあるが、本当に良い質問と言えるのである。

人間は9割まではろくでなしで良いが、1割のろくは持っていないといけない。
浮気性の亭主は多いが、奥さんや家庭を全く顧みない100%ろくでなしの亭主とは別れるしかないが、浮気はしても、やっぱり奥さんが一番大事だという1割のろくを持っている亭主なら、「ただのろくでなしの亭主」で済むのである。

人間は、なまけもので楽な方に行きたがる。
『ファウスト』で、神様が、「(人間は)少し間が好いと絶待的に休むのが好きだ(森鴎外訳)」と言った通りである。
だが、どこまでもなまけ、楽な方にしか行かない人間は失格なのであり、1割だけ、理想のために苦しい方に行ければ良いのである。
岡本太郎は、「私はいつも破滅の道を選んだ」と言うが、それも、せいぜい2割までの話で、太郎だって大概は安全な道を選んでいるはずなのだ。
しかし、破滅の道を1割選べば大したもので、太郎の場合は2割だったから、偉大な芸術家足りえたのである。

ロリコンの変態だって、1割の理性があれば無害な愛されるロリコンなのであるが、10割近いロリコンは災いなのである。
つまり、少しの理性もないロリコンがいるのである。
だが、政府は規制で10割クリーンな人間を求めてるが、これが建前主義の哀れな末路である。これにより、10割のロリコンが増えてしまうのである。
昔、アメリカで、禁酒法で10割クリーンな人間であることを求めたら、闇酒、闇バーが大繁盛したようにである。
だいたい、闇酒って美味いんだ!(笑)
それを考えれば、ロリコン禁止法(実際の名前は違うだろうが覚えていない)がいかに危険か解りそうなものだが・・・

9割いい加減でも、1割の生真面目さがあれば、世の中、やっていけるのである。
そして、2割なら勝てる。しかし、3割だと、強欲に染まっているだけであるから、危うい。
1割は楽だし、2割でも、そんなにシンドくない。

中村天風は、片時もたゆまず、肛門を引き締めよと言ったが、無茶言うなである。
法然も、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、すなわり、四六時中念仏を唱えよと言ったが、現実的でない。
しかし、1日は1440分で、その1割である144分、肛門を引き締めたり、念仏を唱えれば、それが、1日中やっているということで、それだけやれば超人である。
ヨガや念仏には、それだけの威力があるからである。

ところで、言いたくはないが「144分をどうやって計る」などと言う頭の固い馬鹿は勘弁して欲しい。
少しだが確固としてという意味で、実際の時間は問わないのである。









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醜い安定、美しい破滅

私が、毎日の食事が出てくるのが当たり前だと思っていた子供の時に読んだ漫画の中のセリフだが、
「人間は安定を求めた時に生きるのをやめるんですね」
という言葉がしっかり記憶に刻まれている。
その頃の私は、安定とか不安定を実感としては、おそらく全く解っていなかったはずなんだから、よほどの真理なのだろう。

昨日観たアニメ『キャシャーンSins』でも、壊れてもルナに癒して(つまり治して)もらえ、完全な安定を与えられたロボット達がすっかり自堕落になる様子を見たキャシャーンは、
「彼らは生きているだけだ(生きようとしていない)」
と言い、ルナに対して疑問を感じた。
キャシャーンを愛する女性型ロボットも、ブライキングボスも、身体の滅び(崩壊)が進んでいたにも関わらず、ルナの癒しをなぜか拒否した。

だが、日本では、普通の人間は、安定を求めなければ生きて行けない。
これが悩み所だ。
「好きなように生きろ」
「やりたいことをやれ」
と無責任に言う特別な人間はいるが、日本は、誰もがなるべく寿命を全う出来ることを目指して進んできた国なのだ。
生きようとする人間は排除される。特別な人間でない限りはね。
だが、おそらく、ほとんどの人間は平凡なのだ。それが現実だ。
「平凡は嫌だ」と言って、社会に反逆すると、間違いなく悲惨なこととなる。
『キャシャーンSins』に沢山出てきた、雑多な弱い平凡なロボット達だって安定を求めていたが、そうするしかないのである。

「星を掴み取ろうとするのは危険だが、それをしないことはもっと危険だ」
という言葉がある。
その「もっと危険」の意味は、「もしかしたなれたかもしれない偉大な人間に成り損ねる危険」だ。
だが、ほとんどの人間は、ハナからそんなものになれやしない。

ああそうだ。
岡本太郎が言っていたなあ。
「私は常に破滅する道を選んだ」
と。
これこそが、凡人でない人間の生き方だ。
ある老人が死ぬ時に言った。
「俺のような寂しい生き方をするな」
と。
「寂しい生き方」に込められた、冒険をしなかった、破滅を徹底して避けた生き方は、死ぬ時に後悔するということだ。
そして、安全に生きると、皆、憂鬱になるのだから、やっぱり太郎が正しいのだ。
だが、命を燃やして充実して生きるか、悲惨なホームレスになるか?
それは、神のみぞ知る・・・だ。
それでも、安定を求める人間の仲間にはなりたくないのだ。
あなたもきっとそうなのだと思う。









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天才を育てるのに必要なものは教育ではなく暇

引き続き、「暇」は超大切な友であるという話を続ける。
日本最高の思想家の1人である吉本隆明さんは、『ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ』という、ひきこもり肯定の本を書いているが、ひきこもると暇なのであり、その暇な時間の重要性を訴えているようにも思えるのだ。
吉本さんは、自分の子供達がぼーっとしていたら、それは大切な暇な時間と認識し、この日本最高の思想家が自ら買い物カゴを持って買い物に行くことも厭わなかった。
吉本さん自身、ひきこもり気質であったというが、彼も、ひきこもっていたことがあったので、その時間の大切さを知っているのではないかと思う。
だから、彼は、ひきこもりを無理矢理社会に出すやり方には異を唱えている。
もちろん、ずっとひきこもりで良いと言っているのではなく、理に適ったやり方が必要だと言っているだけである。

私も、ある成功した経営者に強く言われたことがある。
「ぼーっとする時間も大切だ」
「いつもセカセカ仕事をしているようではいけない」
「何もせずにのんびり出来る度量がなければ成功しない」
しかし、ほとんどの人は、バタバタ走り回る姿を見せ、「俺は仕事してるアピール」をせずにいられないのであり、そんな者達には、暇を与えず仕事をさせれば良いのである。
才能ある子には、素晴らしい教育ではなく、暇を与えれば能力を伸ばすことだろう。
そりゃ、ニコラ・テスラのように、学生時代、1日12時間勉強した大天才もいる。
しかし、肝心なことは、テスラは勉強をやらされた訳ではなく、自主的に独学で勉強したのである。
よって、何の勉強をしたかは不明なのだ。
これって、つまり、究極の暇人ではないだろうかと思うのだ。

事業者や科学者として、超多忙という人は確かにいる。
しかし、そんな人達だって、子供時代は暇だったということが多いと思う。
また、若い時に、仕事で暇なポジションを与えられた場合が多いのだ。
アインシュタインも、大学を出ても科学関係の仕事を得られず、やむなく特許局の事務員になったが、見つからないよう、物理学の研究をし、その時にも、画期的な論文を書いている。これも、やっぱり仕事が暇だから出来たことのはずなのだ。
わが敬愛する超能力研究者の中岡俊哉さんは超多忙だった。生涯400冊の著書、テレビ番組の企画とテレビ出演、個人相談、国際学会の主催・・・寝る間もない忙しさだった。
しかし、子供の時は貧しいながらのびのびしていたようだし、中国に渡って就職した時、周りが過酷な重労働を強いられる中、楽な事務職に就いて、現地の人達と交友を深めることが出来た。
また、ニコラ・テスラ同様、全ては誰にも強要されず、好きでやっていたことなのだ。

暇な時間を得るには?
他人に媚びないことだ。
そのタイトルの本を読んだことはないが、嫌われる勇気を持つことだ。
岡本太郎も言っていたではないか?
「嫌われていい。いや、嫌われないといけない」
これだ!
だが、嫌われる覚悟が出来ている者は、ほぼ間違いなく好かれるというか、それを超えて、敬われる。
そして、出来れば、誰にも出来ないことを何か出来るようになっておくことだ。
別に大したことでなくていい。
ExcelでVBAプログラミングが出来るなんて超大したことだ。99%の人は出来ないのだから。
だから、そんな大したことでなくてもいいのだ。
大俳優の丹波哲郎さんは、サラリーマン時代、仕事は1秒もしなかったが、宴会の仕切りだけは誰にも負けなかったらしい。
ちなみに、特技を持てる方法はただ1つ。
時間を無限に費やすことだ。
丹波さんの宴会の段取りも、普段、仕事をせずに遊びまわる中で身につけたに違いないのだ。

参考になったと思う(なったと決め付けている 笑)。









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芸術は絶対に「儚い」

芸術的な絵と上手いだけの絵の違いは何か?
岡本太郎はいろいろ言ったが、あれじゃあ、ちっとも分からない。
ちなみに、岡本太郎は、芸術とは「上手いのは駄目」「きれいなのは駄目」「いやったらしくないと駄目」と言ったのだ。
まあ、彼には、芸術界への反発もあり、当時としては必要な主張だったかもしれない。
しかし、いつまでもそれじゃいけない。
芸術とは、心を消す方向に導くもので、上手いだけの絵とは、心を太らせるものだ。

芸術は、心を捕らえて離さず、心は他のことに興味を失くし、さ迷わなくなる。
そうなれば、後は、その絵なり彫刻なりの芸術作品を燃やせば、心も消えてしまうという訳だ。
ところが、芸術作品なんて、高いものはとんでもない値段なので、燃やす訳にはいかないらしい。
まあ、本当は、実際に燃やさなくても、無関心になれば良いのである。
ところが、凄い値段で買ってしまうと、一生大事にしたりして、芸術の本来の目的と真逆の使い方をするのだから人間は愚かだ。

昔の人にとっては、『モナリザ』や『ヴィーナスの誕生』なんてのは、心を惹き付けて離さないものだった。
しかし、今の人から見れば、『モナリザ』はただのおばさんだし、ボッティチェッリ始め、いろんな画家のヴィーナスの絵を見たら、思わず「ダイエットしろよ」と言いたくなるのも仕方がない。
昔の女性は、美味しいものをたっぷり食べるが動かないことで得た「豊かな肉体」が高貴な証で、人間は観念に弱いので、そんな女性を美しいと感じたのだ。
だから、昔の絵画に描かれた美少女でも、現代風にスリムな子はおらず、皆、まるまる太っている。
『フランダースの犬』のヒロインであるアロアも、「まるまる太っていて大変に可愛い」等と書かれているのである。
かといって、全員アイドル体重クリアの乃木坂46の売れに売れている写真集のようなものは、見た者の心が太って動き回る。
私は、きれいなアイドルの写真集みたいなものは、見ると疲れるのであるが、本当は皆そうで、そんなものを見て元気いっぱいになることは本当はないのだと思う。

初音ミクさんの、最初のパッケージに描かれたKEIさんの絵は、まさに芸術である。
それはおそらく、KEIさんは、無意識に「これは人ではなくモノ」として描いたから、芸術になってしまったのだ。
KEIさんは腕を上げ、人間臭く描くようになったので、後のはもう芸術ではないが、それでも、どこか芸術らしさは残っているように思う。
赤坂アカさんが描いたIAのいくつかの絵が、上手い絵ながら芸術的なのは、赤坂さんが無意識で描いたからで、「初音ミクに負けない人気者にしてやろう」なんて気持ちはなかったのではないかと思うのだ。
芸術って、そんなものなのである。
そうそう。水木しげるさんが60歳を超えてから描いた妖怪の絵は、全くの芸術である。
本人も、「無意識で描けるようになった」と言っておられた。

まとめて言うと、芸術ってのは、すごく「儚い」ものなのである。
そして、無意識で描けば、誰が描いても芸術になる。
岡本太郎も『今日の芸術』で、本当はそう言いたかったのではないかと思うのだ。
さて、私も無意識に生きることにしよう。









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最大の罪を犯すな

デジタル・ネイティブと言われる若い世代は、1日中スマホをいじり、LINEで連絡を取り合い、Instagramで写真を公開し、YouTubeの動画を楽しみ、映像配信を行っているが、そんな彼らが「ITに強い」なんてことはほとんど全くない。
MITメディアラボのミッチェル・レズニック教授は、2012年のTED講演で、彼らは、単に新しいテクノロジーに慣れているだけと言っていたが、そんな新しいテクノロジーや、それらを使ったサービスは、「馬鹿でも使えるくらい易しい」のだから、使えること自体は、全く大したことがないのは、彼らのLINEやインスタの中身の無さを見ても分かることだ。
それに、別に、デジタル・ネイティブ世代でなくても、おじさん・おばさん世代も、やれば全く同じように出来ることが分かってきて、やっぱり、ITに強いことと、新しいデジタル機器を使えることとは何の関係もないことははっきりしている。
宮崎駿監督も以前、iPadを使う若者を見て、「紙と鉛筆使う俺の方がずっとクリエイティブだ」と言い、単にiPadを使わされているだけの若者の指の動きは、マスターベーションみたいで気持ち悪いと言われていたように思うが、まあ、それはそうだろう。

では、クリエイティブ(創造的)とは、どういうことだろう?
それは、自律しており、ある意味、自分勝手に何かをすることだ。
そして、インターネットなどのITテクノロジのおかげで、事業を立ち上げるコストはほとんどゼロになってるのだから、クリエイティブでなければならない。
GoogleもFacebookも、学生が、誰の許可も得ずに勝手に始めたものだ。
とはいえ、いつの時代だって、人類を前に進めたものは、誰の許可も取らずに(権威に従わず)、勝手にやったものだけだった。
まあ、「自分勝手」といった時、単に放埓(身勝手)なのと、革新的であることの違いは、明確でありながら混同され易いし、また、権威はそれらを無理矢理混同させ、革新的な行動を身勝手としたがるのは、いちいち説明するまでもないが、クリエイティブなことをやろうとすると、権威にすがって保身を計る者(決して老人だけでなく、若い世代の多くもそうだ)には非難される。
だから、岡本太郎は、「馬鹿にされていい。いや、馬鹿にされないといけない。馬鹿にされないものが大したものであるはずがない」と言ったが、クリエイティブであることには覚悟もいるってことだろう。

上に挙げたレズニック教授によると、だから創造的であるためにはプログラミングをやりましょうということなのだが、プログラミングをやることは良いことではあるが、「創造性にはプログラミング」などと言ったらややこしいのだ。
プログラミングは、創造的であることの助けにはなるが、プログラミングと創造性そのものには何の関係もない。
プログラミングがなかった時代にも創造性は当然あったのだし、プログラミングは出来ないが創造的な人間も沢山いる。スティーブ・ジョブズだって、実はプログラミングは出来なかった。
それよりも、MITメディアラボの伊藤穣一さんが2010年のTED講演で言ったことの方が重要である。
今は、インターネットにより、必要なものは無料で全部揃う。仲間はすぐに見つかるし、知りたいことはすぐに調べられる。
だから、「つながることに力を注ぎ、常に学び、アンテナを高くして今に集中する」ことが大切だと伊藤穣一さんは言われたのだと思うが、まあ、好きなことを力いっぱいやりなさいってことだ。
ただ、初音ミクさんの偉大なるお父さん、伊藤博之さんが講演で言われていたが、「好きなことをするシステムは自分で作らないといけない」、つまり、誰もあんたのためにやりたいことが出来る環境は作ってくれないので、そこらは自分でやんないといけないということだろう。
子供だって、親に与えられた、いろんなことをやる環境の中でやっているだけでは才能は発揮されない。
創造的な子供は、やっぱり、身勝手で変わっているものである。
それは大人も同じで、周囲とちゃらちゃらやっているだけの者は、人生を無駄使いしている。
映画『パピヨン』で、パピヨンが悟ったことは、人生を無駄使いすることが最大の罪だということだ。

Don't Give Up 誓う夢に賭ける
届かないなんて言われても
みんな自分勝手でしょ
~『アイドルを咲かせ』(作詞・作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク)より~









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