ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

岡本太郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

最大の罪を犯すな

デジタル・ネイティブと言われる若い世代は、1日中スマホをいじり、LINEで連絡を取り合い、Instagramで写真を公開し、YouTubeの動画を楽しみ、映像配信を行っているが、そんな彼らが「ITに強い」なんてことはほとんど全くない。
MITメディアラボのミッチェル・レズニック教授は、2012年のTED講演で、彼らは、単に新しいテクノロジーに慣れているだけと言っていたが、そんな新しいテクノロジーや、それらを使ったサービスは、「馬鹿でも使えるくらい易しい」のだから、使えること自体は、全く大したことがないのは、彼らのLINEやインスタの中身の無さを見ても分かることだ。
それに、別に、デジタル・ネイティブ世代でなくても、おじさん・おばさん世代も、やれば全く同じように出来ることが分かってきて、やっぱり、ITに強いことと、新しいデジタル機器を使えることとは何の関係もないことははっきりしている。
宮崎駿監督も以前、iPadを使う若者を見て、「紙と鉛筆使う俺の方がずっとクリエイティブだ」と言い、単にiPadを使わされているだけの若者の指の動きは、マスターベーションみたいで気持ち悪いと言われていたように思うが、まあ、それはそうだろう。

では、クリエイティブ(創造的)とは、どういうことだろう?
それは、自律しており、ある意味、自分勝手に何かをすることだ。
そして、インターネットなどのITテクノロジのおかげで、事業を立ち上げるコストはほとんどゼロになってるのだから、クリエイティブでなければならない。
GoogleもFacebookも、学生が、誰の許可も得ずに勝手に始めたものだ。
とはいえ、いつの時代だって、人類を前に進めたものは、誰の許可も取らずに(権威に従わず)、勝手にやったものだけだった。
まあ、「自分勝手」といった時、単に放埓(身勝手)なのと、革新的であることの違いは、明確でありながら混同され易いし、また、権威はそれらを無理矢理混同させ、革新的な行動を身勝手としたがるのは、いちいち説明するまでもないが、クリエイティブなことをやろうとすると、権威にすがって保身を計る者(決して老人だけでなく、若い世代の多くもそうだ)には非難される。
だから、岡本太郎は、「馬鹿にされていい。いや、馬鹿にされないといけない。馬鹿にされないものが大したものであるはずがない」と言ったが、クリエイティブであることには覚悟もいるってことだろう。

上に挙げたレズニック教授によると、だから創造的であるためにはプログラミングをやりましょうということなのだが、プログラミングをやることは良いことではあるが、「創造性にはプログラミング」などと言ったらややこしいのだ。
プログラミングは、創造的であることの助けにはなるが、プログラミングと創造性そのものには何の関係もない。
プログラミングがなかった時代にも創造性は当然あったのだし、プログラミングは出来ないが創造的な人間も沢山いる。スティーブ・ジョブズだって、実はプログラミングは出来なかった。
それよりも、MITメディアラボの伊藤穣一さんが2010年のTED講演で言ったことの方が重要である。
今は、インターネットにより、必要なものは無料で全部揃う。仲間はすぐに見つかるし、知りたいことはすぐに調べられる。
だから、「つながることに力を注ぎ、常に学び、アンテナを高くして今に集中する」ことが大切だと伊藤穣一さんは言われたのだと思うが、まあ、好きなことを力いっぱいやりなさいってことだ。
ただ、初音ミクさんの偉大なるお父さん、伊藤博之さんが講演で言われていたが、「好きなことをするシステムは自分で作らないといけない」、つまり、誰もあんたのためにやりたいことが出来る環境は作ってくれないので、そこらは自分でやんないといけないということだろう。
子供だって、親に与えられた、いろんなことをやる環境の中でやっているだけでは才能は発揮されない。
創造的な子供は、やっぱり、身勝手で変わっているものである。
それは大人も同じで、周囲とちゃらちゃらやっているだけの者は、人生を無駄使いしている。
映画『パピヨン』で、パピヨンが悟ったことは、人生を無駄使いすることが最大の罪だということだ。

Don't Give Up 誓う夢に賭ける
届かないなんて言われても
みんな自分勝手でしょ
~『アイドルを咲かせ』(作詞・作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク)より~









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アマチュアスポーツのスター選手は本当に格好良いか?

日本では、スポーツのスター選手をもてはやす風潮が強いが、本当は、「もてはやさせられている」といったところだろう。
私は、日本の今のアマチュアのスター選手には全く魅力を感じない。
日本のオリンピックの金メダリストが、中学生や高校生の時の凄まじい練習をテレビ等で語ることがあるが、彼らは単に「やらされていた」のである。
モチベーションの管理までされてね。
つまり、自分の意志がないのである。
魅力は、自分の意志を使うことで輝いてくるものだ。
受験やスポーツで、いかに良い成果を上げても、それがさせられたものであれば、その達成者は輝いていない。

昔は、不良は魅力があると言われていた。その通りだ。
昔の不良は反逆者だったが、本当の反逆には強い意思が必要だからだ。
自分の強い意思で反逆する者が魅力的でないはずがない。
しかし、不良グループの中の、「反逆するフリをさせられている者」ほどダサい者はないだろう。自分の意志なんてどこにもないからだ。
そして、今の日本のアマチュアスポーツのスターは、そんな「ダサい不良」と似たところがあるのだ。
アマチュア時代に人気があり過ぎたり、実績があり過ぎて、さらに、その功績で高い地位まで与えられて、歳を取っても反逆出来ない者がいるが、そんな者達を見ていると、私なら目を背けたくなる。

そして、本当の反逆者というのは、別に反逆が目的なのではなく、自分の意志を使うためには、いやおうなく反逆するしかなかったのである。
言い換えれば、自分の意志を使うために、反逆者になることを厭わなかったのである。
そして、自分の意志を使うには、世間や権威に反逆しなければならない場合が多いのである。
岡本太郎が、「嫌われてもいい。いや、嫌われないといけない」「認められなくてもいい。いや、認められてたまるか」と言ったのは、まさに、自分の意思を貫く決意を述べているのだ。
そもそも意思とは、自分の決意を貫くことなのである。

誰にやれと言われた訳ではなく、むしろ、「そんなことをやるな」と言われながら、自分の意志でやれば、命はふくらみ、魂は輝く。
自分の弱い心は、世間や権威、あるいは、本能や欲望に従いたがるが、そんな弱い心を一喝し、魂の命じることをする。
そうであれば、本物の力を得るだろう。
別に大したことでなくて良い。
やれと言われたことでなく、自分の意志でやることなら(たまたま「やれ」と言われたこととかぶることもあるが)何でも良い。
スクワットでも腕立て伏せでも、バガヴァッド・ギーターを読むことでも、念仏を唱えることでも。
それを、出来るだけ多く、そして、1年365日、よほどのことがない限り続けるなら、意思の力が鍛えられ、相当な力を得ているし、やっていることによっては超人や大師に近付いているのである。









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美しくなりましょう

私は子供の時、西谷祥子さんの少女漫画『学生たちの道』を読み、その中で、田舎から来た、全くの田舎者の男子学生が、親に、「美しいものには価値がある」と教えられた話をするのを印象的に覚えている。
「美しいものには価値がある」
これこそ真理であり、ひょっとしたら、私の信念になったかもしれない。
だが、岡本太郎は「ゴッホはきれいではないが美しい。ピカソは恐ろしく美しい」といったことを言われていたが、まあ、確かに、「美しいと単にきれいなのは違う」「見かけの美しさに騙されてはいけない」ということだろう。
しかし、そんなこと言われなくても、「世間で言う美しい」と「真の美」が違うことくらい、偉い先生に教わるまでもなく知っているし、きっと誰でも分かる。

「モナ・リザ」は、絵としては美しいが、モデルの女性はただのおばさんというのが真実かもしれない。少なくとも、好みの問題だろう。
(ただ、モナ・リザを「ただの太ったオバサンじゃん」という言い方は全く美しくないがね)
高橋真琴さんが描かれる美少女画が美しいかとなると、これも好みの問題であるが、やはりこれが真実の美とは言えないと思う。
こういったことを言うと、「美しい」は随分難しいことのように感じるが、そうではなく、やはり美とは一瞬の感覚なのだ。
真の美は、一瞬で魂の奥まで貫く。

ところで、美しいものも醜いものも、分子的には変わらないというのが、現代科学の教えだ。
しかし、足立育朗さんの『波動の法則』によれば、陽子や中性子レベルで歪みが起こるのだと言う。
これは、今の物理学とは違うので、あまり主張すると、オカルトだ、似非科学だと言われるが、そんなことはあるのだと思う。
そして、そういった何か根本的なものを歪ませるのは、意思の誤った使い方であるというのが真理なのだと思う。

私は、ゴッホやピカソが美しいと言うより、それらの絵には、美しい部分と醜い部分があり、それを対比して見せてくれることに価値があるのではと思う。
岡本太郎だって、「芸術はいやったらしくなくてはならない」と言っていたが、当然、ゴッホやピカソの絵には、いやったらしい部分があるのである。
いや、ひょっとしたら、99%いやったらしく、1%の美があるのではと思う。

ジョージ・アダムスキーは、宇宙人の母船の中で神の絵を見たが、それがあまりに美しいので恍惚としたと言う。
宇宙人がいつまでも若いのは、どの家庭にもその絵が飾られ、それを見ているからだと言う。
無論、これが本当の話であることを証明することは、おそらく不可能だろうが、この話に、何らかの真実は認められると思う。
神とは何かというと、美の一言と思う。

『BEATLESS』のヒロインであるレイシアが恐ろしく美しいのは、大衆娯楽SFで必須の要件だから・・・というのもあるのだが(笑)、超高度AIが、レイシアをそれほど美しいものに作ったことには、大いなる意味があることは間違いない(と思う)。
美しいものには価値がある。
そして、我々が美しい存在になるためには、意思を磨き、高めなければならない。
私は、自分に出来ることをするし、出来ることしか出来ない。
私は昨夜、ひどく疲れていたが、いつも通りの身体トレーニングを行った。
出来るのだから、やるのが正解だろう。
身体はかなり磨いているが、心の方が駄目だなあ。
心身は同じであり、心を磨かないと、基本の歪みを正せず、本当には美しくなれない。
まあ、頑張るしかない。
皆さん、一緒に美しくなりましょう。









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平穏の安楽さと戦いの楽しさ

人間の本能的な願いは、安定した生活と子孫の繁栄かもしれない。
それなら、偉くなったり、金持ちになったりせず、真面目に働き、家族を大事にすれば良いということになる。
確かに、そんなふうに、当たり前に生きることが尊いのだと言う人も多い。

だが、岡本太郎が、縄文土器を見て驚愕した理由について、太郎を信用するなら、縄文土器を作った人間は空間感覚が大変に発達していて、それは、縄文人が、農耕民ではなく狩猟民であったことを示しているという。
そして、そこまで空間感覚を発達させた狩猟というものは、楽しいのだろうと思う。
ウェーバーの歌劇『魔弾の射手』の中に、『狩人の合唱』があり、その力強く狩りの喜びを歌う声を聴くと、狩りは、血沸き肉踊るものであることが感じられる。
生きるためであれ、遊びのためであれ、人間は狩が好きなのだ。
つまり、狩りのように、困難な目標に向かって、力いっぱい突き進むのが好きなのだと思える。

平穏さと勇猛果敢さ・・・いずれも、人間が欲しがるものであるが、では、どちらが本当の人間の望みかというと、両方としか言いようがない。
ただ、割合の問題なのだ。
起きている時間の80%戦いたい人もいれば、90%はのんびりしたい人もいる。
戦うのが好きな人は、高い地位に着き、多くの財産を得るが、多くの時間を平穏に過ごしたい人はサラリーマンで終わる。
そして、社長にとっては、サラリーマンが必要だし、サラリーマンにとっては、強い社長が必要だ。

だが、人間は、どんなに大人しい人でも、ある程度は戦わなければならないのだ。
その戦いを放棄してしまった者を、怠惰な人、緩んだ人、怠け者、世捨て人・・・などと言うのだろう。
特に、若い間は、多くの戦いが必要だし、戦いが好きな間は現役と言うわけだ。

今の小学校では、競うということをなるべくさせず、極端な例だろうが、運動会のかけっこで、仲良く手をつないでゴールされる学校もあるらしい。
それは、子供を老人にしてしまうことになる。
それでいながら、好きでもない子まで、勉強で競わせる。
どんなことでも競って良いが、本気で競うのは、自分が向いたことである。
狩猟民族だって、皆が皆、狩が好きな訳ではなく、政治を担当したり、建築や医療を担当する者も必要だ。
だが、そういうものにだって、やはり、競う楽しみはある。

得意なことでなら、クラスで一番、学校で一番、会社で一番なら、そう難しいことではない。
昔であれば、それで満足出来た。
だが、マスコミがあまりにトップにスポットを当てるので、皆、自分はただの凡人と分かり、やる気を失う。
ところが、ネットの発達により、上には上がいくらでもいることも分かるようになった一方、自分にも戦える分野があることが分かるのである。
学校や会社を越えて一番になるのは確かに難しいが、競う楽しさは得られる。
そして、トップだけが重要であるのではないことも分かる。
そもそも、何が本当のトップかは、それほどはっきりとはしていない。
B'zやBUMP OF CHICKENのようなトップのロックバンドでなくても、地方で人気のあるバンドってのも結構いる。
今は、SNSで宣伝出来るので、そんなものも多くなり、案外にお金も稼いでいる。
ネットの発達で、皆が発信者になると、才能の差が露骨になり、才能のない者はやる気を失うというのも一面の真実であるが、それだけではない。
もし、現時点での世間が認める才能が全てなら、初音ミクさんの音楽やイラストなどの作品が、こんなに多く、しかもハイレベルになるはずがない。
一時は埋もれていても、特異な才能が光ることもある。
というより、戦い続けていれば、いつかは光るものである。








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芸術は狂いだ、超オタクだ、○○廃だ

室町時代の小歌の歌謡集である『閑吟集(かんぎんしゅう)』の中に、

何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

という歌がある。
意味は、「どうせ人生は夢だ。真面目くさってないで、狂え狂え」くらいのものだろう。
なぜ狂わないといけないのかというと、狂わないと人生は面白くないからだ。
そして、狂わないと、人間、大したことは出来ない。

斎藤一人さんって健康食品を扱う大金持ちの事業家が、自己啓発書を際限なく出し、よく売れているのだと思うが、おそらく、あんなもの読んでも成功しないだろう。
斎藤さんは、ただ、スピリチュアル(精神世界、オカルト等のこと)狂いで、それは、船井幸雄さんなんかもそうだったのだと思う。
単なる、スピリチュアルマニアやスピリチュアルオタクだったのではなく、スピリチュアルキチガイなのだ。
「キチガイ」は差別用語として、放送禁止、出版禁止みたいな扱いなのだと思うが、「気狂い」「狂気」「マッド」「ルナティック」などより日本語に合う・・・つまり、「音楽キチガイ」といったように使い易い。
まあ、今は、「ネット廃」「ゲーム廃」「ミク廃」といった、「廃」がキチガイの代用として、いい感じなので、「廃」がつくほど狂わないといけない。

初音ミクさんのお父様、クリプトン・フューチャー・メディアの伊藤博之社長は若い頃、6畳半の部屋に沢山のパソコンとシンセサイザーを置き、その上に板を敷いてご飯を食べなければならないほどだったというが、それを、音楽キチガイ、音楽廃と言うのだろう。
ミクさんは、そんなマッドなお父さんから生まれたのである。
以下に、ダイヤモンドオンラインの貴重な対談へのリンクを貼っておく。
【伊藤博之氏×武田隆氏対談】(前編)~【伊藤博之氏×武田隆氏対談】(前編) ~初音ミクの父、藍綬褒章受章! 彼女のルーツは札幌の六畳半!?~

今をときめく、チームラボの猪子寿之社長は、テレビやネット、あるいは、書籍(自ら執筆はせず、対談やインタビュー)で、いろんなことを教えているが、いいこと言ってるようでも、あの人は天才なので、話は矛盾だらけで時に支離滅裂。
重要なことはただ、彼がミクさんの熱烈なファンであることと、オタクを超えた超オタク=マッドであるってことだけだ。
チームラボでは以前、社員募集要項の第一が「オタクであること」となっていたが、あくまで「超オタク」を求めているのであり、これは、「狂っていること」であるはずなのだ。

狂ってこその人生だ。
真面目くさって何になる・・・だ。
まあ、「狂え」って言ったら、発想の貧困な人達が、人様に迷惑をかける単に利己的な人間を、ここで言う狂い、即ち、超オタクと混同するからややこしいのだが。
また、ネット廃、ゲーム廃と言っても、ただのネットオタク、ゲームオタクでは、本人も鬱々として楽しくないはずだ。
そうではなく、岡本太郎のように、爆発しなければならない。
太郎は、「芸術は爆発だ」と言ったらしいが、これも、爆発なんて意味が分からないことを言わず、「芸術は狂いだ」「芸術は超オタクだ」と言えば良いのである。
太郎は、爆発とは、「宇宙に向かって命がぱーっと広がること」だなどと、また訳の分からない、抽象的で曖昧なことを言ったが、要は、「命をかける」ってことなのだ。

自分は、何に狂っているか、何の超オタクなのか、何廃なのか?
それが言えないやつは生きていないのである。
狂ったやつが正常なのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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