ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

岡本太郎

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

絶対に成功しない道を選ぶ

2300年程前に実在したと言われる中国の賢者で、老子と共に老荘と称され、道教の始祖と言われる荘子の教えは、一言で言えば、「なりゆきにまかせろ」となると思う。
なりゆきに任せるには、荘子は、作為をするな、無用であれ、思慮分別を捨てよ、判断をするな・・・と、およそ文明や進歩に逆らうようなことを重要なこととした。

1970年に大阪で開催された万国博覧会のテーマは「人類の進歩と調和」だったが、この国際博のシンボルである太陽の塔を制作した大芸術家、岡本太郎は、この塔は、進歩などというものに対して「No」と主張しているのだという。
荘子と通じるところがあるように思われる。

ところで、そんな荘子の教えは、割に受け入れようとする人が、昔からいた。
良寛さんだって、荘子により救われたのである。
ただ、ちょっと気になると言うか、おかしな受け入れ方をする者も多いのだ。
それは、「なりゆきにまかせれば、良くなるのですね」といったものだ。
「良くなる」とは、まあ、楽になる、愉快なことが起こる、運が良くなるといったことで、簡単に言えば、都合の良い状況になるという意味だろう。具体的には、金が儲かる、素敵な恋人や伴侶が出来る、地位が上がる等で人々に敬われるといったところだろうと思われる。
言っておくが、そんなことは決してない。
なりゆきに任せようが、任せまいが、結果は何も変わらない。
金に苦しむ運命にあれば、作為しようがすまいが、金がなくて困り続けるだろう。
恋人が出来ない運命であれば、積極的に女を追いかけようが、引きこもっていようが彼女は出来ない。
金持ちになるとしたら、なりゆきに任せようが、作為ばかりしようが、いずれにしろ金持ちになる運命だったというだけのことだ。
女など煩わしいと思い、なるべく女性と関わらないようにしているはずが、常に美女が寄ってきて困るという人が本当にいる。それも宿命だ。
ラマナ・マハルシは、「働く運命になければ、いくら探しても仕事は見つからないだろう。逆に、働かなければならない宿命であれば、仕事は避けられない」と言ったが、その通りである。

岡本太郎は、非常にエキセントリック(風変わり)なことを言った。
「私は、常に破滅する道を選んだ」
「嫌われたっていいじゃないか。いや、嫌われないといけない」
「誤解されたっていいじゃないか。いや、誤解されないといけない」
「売れなくていい。いや、売れてたまるかと思っていた」
「僕は、成功しないことを目指していた」
岡本太郎のこういった言い方は人気がある。
しかし、ここでも、表立ってか、心に秘めてかはともかく、
「なるほど、そう思っていたらかえってうまくいくのですね」
というとんでもないことを言い出す者が多いのだろうと思う。
誤解されないといけないと言っているのであるから、徹底的に誤解され、死ぬまで蔑み疎まれなければならないのだ。
成功しないことを目指しているのだから、成功しかかったりなどしたら、支援者を殴ってでも成功してはならない。いや、そもそも、成功するようなことに決して手は出さない。
岡本太郎はそう思っていたはずだ。

ダスキンの創業者、鈴木精一さんは、「自分に対しては損と得とあらば損の道をゆくこと」「他人に対しては喜びのタネまきをすること」などの人生観を経営指針として示したが、何かそれを成功の秘訣だと大誤解している人が多い。
損な道を取ったのだから、損すれば良いのである。
鈴木精一さんが大成功したのも、単に宿命である。

だが、荘子や、あるいは、岡本太郎、鈴木精一のような信念を本当に持っていたら、世俗的な成功をするかどうかは全く分からない(そもそも何の関係もない)が、そんなものよりはるかに良いものを得るのは間違いない。
エマーソンが、「内にあるものに比べれば、前と後ろにあるものなど、取るに足りない」と言ったようなものである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

夢は憶えていなかったり、奇怪な内容のものが多い訳

夢というものは、なぜか忘れてしまうことが多い。
ついさっき見た夢のはずが、「何の夢だったっけ?」と思った経験は誰しもあると思う。
昼間でも、椅子に座ったままうたた寝をしている間に夢を見ることがある。しかも、それが、半分、目覚めた状態のこともあるのだ。しかし、それでも、夢の内容を思い出せないことが多い。
この奇妙さは何なのだろう?

ところで、この忘れてしまった夢は、覚えていないにも関わらず、何か重要なものであったという不思議な確信があることが無いだろうか?

これは、実はこういうことだ。
記憶というものは、心に蓄えられる。
だから、心の無い眠りの間のことは何も覚えていない。
しかし、心が消えても、より精妙な精神である霊が存在する。霊とは何かというと難しいのだが、心理学や精神分析学で言う個人的無意識や普遍的無意識よりずっと深いところにあるもので、宇宙の英知、ブラフマン、あるいは、神と呼ばれているものだとでも言っておく。
心は霊から生じる。
眠っている時、心は霊の中に溶けて消えているから記憶がないのだが、目覚める時に、心は再び集まってきて立ち現れ、霊と分離し、心としての活動を開始する。つまり、記憶や思考をするようになる。
ところで、目覚める時の、心が集まりかけた状態では、心はまだ、霊にいくらか溶けているので、霊の中の情報が少し残っていて、しかも、記憶も少し戻っている。情報も希薄なら記憶も希薄なので、極めて曖昧ながら、心は霊の情報を記憶しているのだ。
ただし、霊の情報とは、日常の世界にあるものとは全く違う。
そこで、心は、そんな霊の情報を、日常に存在するものとなるべく近い概念に結び付けるのだ。しかし、そんなものはほとんど無いので、その結びつけは、かなり歪んだものにならざるを得ない。あまり良い喩えとも思えないが、セミを見たことが無い者が始めてそれを見ると、ハエの大きなものだと思って恐怖するようなものだ。

これが、夢の記憶が希薄で、しかも、奇妙なものが多い理由である。
とはいえ、その希薄で変質された情報から、霊の元の情報を推測しようと試みた人が沢山いたのである。ただ、それをやった人達も、ここに述べたような理解をしていたという訳ではないと思う。

悟りを開いた人は、心が霊に溶け、なおかつ、意識が目覚めているので、霊(あるいは神)を感じることができる。しかし、それを表現することは出来ない。普通の人に話す時には、この世にあるものに喩えて話さないといけないのだが、それは非常に困難だ。先程も述べた通り、霊の中にあるものと、この世にあるものとは全く異なるからだ。
芸術家というのは、普通の人より、意識のある状態で心を拡大させる、つまり、心を霊の中に広げる能力のある者だが、やはり、心で感じたものが何であるのかは、はっきりとは分からない。それで、自分流に霊、即ち、神の世界を描くのである。

妖怪漫画家と言われる水木しげるさんが、妖怪を描く時は無意識だと言うのは、心が拡大して希薄になっている状態だろうし、岡本太郎さんにしろ、横尾忠則さんにしろ、考えながら描いている時より、自分でも何が出来るか分からない時に良い作品が出来るといった意味のことを言っておられるが、その訳が何となく分かると思う。

我々も、心を霊の中に溶け込ませることができれば、霊である神を神を感じることができる。
それには、心の特性である欲望を消すことだ。
そのための正しく安全な方法は1つしかない。
自分には、世界に対して何のコントロールも出来ないことを認め、世界をあるがままに受容することだ。
神は至福そのものであり、その中に溶けた者もまた至福となる。これが、古代の賢者達が言った、神と一体になること、道(タオ)と一体になることである。
芸術家の中には、刺激によって心を無理矢理に拡大させる方法を発見したような者もいる。例えば、覚せい剤や酒で、実際に、芸術家の中にはLSDのような覚せい剤愛好家や、飲酒癖のある人が多い。しかし、そういった手段で拡大した心は不純で歪んでおり、純粋な霊の世界とは程遠い。それが芸術家の個性になると言えばそうかもしれないが、芸術の本来の目的である、人々を神に近付けることは叶わないのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

「何でもいいです」と言うなら、死ぬ気で言え

インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジを落胆させていた駄目な弟子が、ある時、「誰がかまうもんか」と手紙に書いてきたのを、マハラジは大いに喜んだ。
本の序文のところに書かれてあったので、私は、その本を読まずに放り出した。
私も、それでOKだと思ったからだ。

これが、「誰がかまうもんか」でなく、「かまわなくていいじゃないか」だったら、駄目なのである。
丁度、岡本太郎が、「誤解されたっていいじゃないか」と言った後で、「いや、誤解されないといけない」と言ったから意味があるようなものだ。
彼は、「認められなくていい」と言っただけではなく、「認められてたまるか」と言ったのだ。

分かりやすい話で説明しよう。
デートの時、遊びに行くところや、食事で食べるものについて、「何でもいいです」というのは、言われた方は非常に困るものだ。
「何でもいいです」と言いつつ、内心、要求は持っていて、それは表情や態度に表れてしまうので、相手に気を使わせてしまうのだ。
自分の娘とか、下心だけでデートするような男でなければ、付き合いきれないだろう。
土台、本当に、「何でもいい」と思っているような人は、デートをしようなどと思わないものだ。なぜなら、食べ物に本当にこだわらないのは、悟りを開いた人くらいで、そんな人はデートをしたり、遊びに行くことに興味があるはずがないからだ。

だが、「何でもいいです」で許される場合が1つある。別に、悟りを開いた聖者の場合ではなく、普通の人でもだ。
それは、たとえ、「本当に何でもいい」と思っていなくても、心の全エネルギーを使って、「本当に何でもいい」とする覚悟を決めている人だ。
女の子の場合、面白味のない子ということにはなるだろうが、男でも、女でものめり込んでしまうほど愛されることになる。しかも、下心だけの男は手も足も出ないのだ。
ただし、本当に何でもいいでなければならない。
食事が、たとえ小鳥の餌でも、本当に満足しなければならない。それには、心の全エネルギーを注ぎ込まなければ上手くいかず、そうでなければ、相手を騙すことになったり、自分の心も抑圧する。しかし、全力全開でそれをする場合は、相手は決して疑わず、自分も晴れやかなのだ。

『荘子』に、天下部類の醜男でありながら、女にも男にもモテまくる男の話がある。
何か特技がある訳でも、高い見識を持っている訳でもない。主張をすることもなく、野望がある訳でもない。
だが、若い娘は皆、妾でいいから側にいたいと言い、男はみんな義兄弟になりたがる。国王は、総理大臣の座を押し付けてしまう。
この話を読んで、妙な期待を持つ者が多いかもしれない。「それなら、俺でも出来る」と。
それは大誤解である。
この男は、怠惰であるのでも、無努力であるのでもない。
心の全エネルギーを使って無為に徹しているのだ。
無為とは、不断の活動であり、何より激しい活動なのだ。

ニサルガダッタ・マハラジの弟子が言った、「誰がかまうもんか」の意味が分かるだろうか?
彼は、自分に向かってそう言っているのだ。
「誰がかまうもんか!」と、心の全ての力を使って、無為であろうとしているのだ。やがて彼は、悟りに至るだろう。

悟りを開くには、何に対しても、「どうでもいいことだ」と思うことだ。
そう教える者は多いが、それは大誤解を与えるし、ほとんどの場合、言っている本人が誤解しているのだ。
本当に「どうでもいい」と言うのは、大変なことなのだ。
見知らぬ人にいきなり頭を殴られても「どうでもいい」でなければならないのだ。
お金を盗まれても、騙されても、裏切られても、「どうでもいい」と言えるだろうか?
そう言うためには、心の全てのエネルギーを注ぎ込まなければならないのだ。
そういった意味を含めた「どうでもいい」が、「誰がかまうもんか」である。

スコットランド出身の哲学者で神学者であるマード・マクドナルド・ベインがまだ若い頃、偉大な聖者に会って、思わず、自分がこれまで学んできたことを必死に話した。自分も、それなりの者であることを分かってもらいたかったのだろうし、実際、常人と比べれば驚くべき境地にあったはずだ。
聖者は、熱心にそれを聞いたが、最後に、「そんなことが本当かどうかは、大した問題じゃないのだよ」と言った。
それでベインは悟りを開いた。
だが、ベインは、心の全力で、師のその言葉を受け入れたのだ。それは、決して心地良いものであったはずがない。それどころか、溺れている時に、あえて顔を水の上に出すのを諦めるほどの苦しさであったはずだ。それが、心の全エネルギーを注ぐということである。
食の慎みも、性欲の制御も、楽にできるものではない。
しかし、心のエネルギーを全力全開で注ぎ込めば、必ず出来るのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

授業時間と教師の給料を半分にすれば日本の教育は良くなる

かなり多くの大学生が、基礎的な算数を理解していないとか、大人になっても基本的な日本語が使えないという深刻な事態であるらしい。
しかし、もっと深刻なことは、これを解消するために、授業時間を増やして学力向上を計るという、漫才のネタにするにも馬鹿過ぎることを本当にやる、国の教育屋の愚かさだ。
「二兎追う者は一兎も得ず」という言葉があるが、今の学校は「百兎追う者は一兎も得ず」の状態だということは言うまでも無い。
教師の雇用を守るために、狂気とも言える膨大なカリキュラムを子供に課し、生徒は何も身に付かないというのが真の問題だということは、当たり前過ぎて、いちいち言うほどのことでもない。
日本人の学力を向上させたければ、まず、授業時間は半分、教師の給料も半分にすることだ。これは冗談でも何でもない。単に自然的、合理的なことだ。
また、教師に免許などいらない。やりたい者にやらせればいい。勉強そのものは、上級生が下級生に教えればいい。それで、双方が本当の勉強が出来るだろう。

私は、上に述べたことを、出来る範囲でだが自分で実際にやった。
中学2年生で授業に参加することをやめた。聞いてもさっぱり分からないし、心の奥深くの感覚として、聞くべきでないと感じたのだ。
岡本太郎は、授業中、耳を堅く両手で塞ぎ、神聖な頭脳に教師の汚れた声が入ってくることを赦さなかったというが、気持ちが分かるのである。
とはいえ、勉強が不要とは思っていなかったので、学校のカリキュラムを一応は利用したが、勉強する科目は自分で選んだ。選択したのは、数学、理科、英語だった。全て、参考書で独学した。試験で点数を取ることは問題ではなく、基礎を本当に理解することを目指した。
勉強することにした科目は、そこそこの成績だったが、その他の科目は教科書も一切開かず、ノートの提出も、夏休みの宿題も一切やらなかった。すると、学校からの陰湿な嫌がらせから始まり、果ては、中学生の身には耐え難い恐ろしい目に遭わされたが耐えた。ただ、精神に破綻をきたす可能性があるので(私も実際は破綻したのだろう)、他の方にはお薦めしない。学校と言うのは、子供の心や頭脳を破壊することなど、何とも思っていない。
アインシュタインは、暗記科目が苦手だったので大学の入試に失敗したように言われるが、それは違う。彼の記憶力は悪くない。ただ、彼は、頭に詰め込むべきでないことを無理に憶えることを拒否しただけだ。彼もまた、学校には相当嫌な目に遭わされたらしく、自伝ノートに、学校は子供の知的好奇心を窒息させようとしていると書いている。

しかし、甲斐あって、私は、基礎的な学力は十分に得たと思う。
大した勉強はしなかったが、本当の基礎をマスターしたこと、そして、独学の習慣を得たことは最大の成果だった。
例えば、数学の能力が必要になれば、数学者の遠山啓さんが翻訳執筆した『科学を志す人のための基礎数学 』で少し勉強すれば、すぐに必要を満たせた。

現在は大女優になったジョディ・フォスターが13歳の時に主演した『白い家の少女』という映画がある。物語は、リンという少女の14歳に誕生日から始まる。私の誕生日と同じ、10月の31日だった。彼女は、学校に通ってなかった。自分の意志で学校を拒否したのだ。そのことで、大人達は彼女を責めたり不快な思いをさせるが、彼女には戦う覚悟があった。
その彼女に、マリオという16歳のボーイフレンドができる。マリオは、自分の母親とは比較にならないくらい料理が上手なリンに驚くが、リンは笑って言う。「私、文字が読めるのよ」。
リンには素晴らしい知性と教養があった。学ぶべきことは自分で選んで決め、熱心に勉強していた。著名な詩人であった父親は彼女にかつて言った。「大人は個性的なお前を認めないだろう。だが、言いなりになってはならない。戦うのだ」と。
私は、この『白い家の少女』の原作小説も読んだ。高校生の時だった。ところが、割と最近気付いたのだが、翻訳者は英文学者で詩人、そして、画家でもある加島祥造さんだ。そして、加島祥造さんはタオイスト(老荘思想家)で、老子や荘子の本も沢山書いている。私は、それが加島祥造さんだとは知らず、彼が書いた『白い家の少女』のあとがきが素晴らしかったことを覚えている。世間の教義や信念に屈せず、純粋な自己の内面を尊重する精神を持ったイギリスの15歳の普通の少女の詩を紹介していたように思う。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ

良いことなんかなくていい

多くの人が、「何もいいことなんてない」と思っている。
「いいこと」って何だろう?
これを、著名な心理学者アブラハム・マズローの「欲求の5段階説」に当てはめて考えると面白い。
別に難しいことではない。欲求の5段階とは、簡単に言えば、
(1)住むところがあって、食べていける。
(2)安全である。
(3)所属する家庭や職場がある。
(4)所属している場での立場がある。
(5)やりたいことをしている。
で、数字が小さいほど、基本的で低レベルな欲求で、数字が大きいほど高度な欲求だ。
特に、(5)は「自己実現欲求」と言われる、人間にとって、とても大事なものらしい。

「いいことがない」と言う者は、(1)から(5)の中のどこかの段階で欲求が満たされていないということなのだろう。
では、高いレベルの方から、それが満たされないことが本当に「いいことがない」ことなのか検証してみよう。

●第5段階での不満(したいことが出来ない)
したいことを出来ないのは、それをすることで、嫌われたり、誤解されたりし、結果、何かを失うことを恐れているのだろう。
いいじゃないか、別に。
「嫌われたっていいじゃないか?いや、嫌われないといけない」
「誤解されたっていいいじゃないか?いや、誤解されないといけない」
(岡本太郎)
したいことをするとは、世間から嫌われ、誤解されることなのだ。

●第4段階での不満(家庭、学校、職場での立場、居場所がない)
いいじゃないか、別に。
凡人ってのは、本当の人の価値を認めないものなのだよ。
「認められなくていい。いや、認められてたまるか」
(岡本太郎)
学校や職場はもちろんだが、家族だって、必ずしもあなたのことを本当に気遣っているとは限らない。母の愛は海より深いなんてのも幻想かもしれないのだ。
でも、それでもいいじゃないか。
あなたは本物を目指すのだ。

●第3段階での不満(仕事がない。家庭がない)
いいじゃないか、別に。
宇宙が私の家庭で、生きることが私の仕事なのだ。
これ以上の家庭や仕事なんてあるものか。
現実の仕事や家庭、交友関係は、宿命に任せることだ。

●第2段階での不満(安全でない)
いいじゃないか、別に。
サルトルは、ゲリラが多数潜伏するパリの街をうろついていた時、一番、生きていることを実感したらしい。
藤平光一さんは、砲弾飛び交う戦場を悠々と歩き、部下全員を生還させたのだ。
いい機会だから、ちょっとコツを掴んでおくことだ。

●第1段階での不満(住居がない。食べられない)
一休禅師は弟子に遺言を託し、本当に困った時に見ろと言って死んだ。
それで、弟子達が本当の窮地に陥った時にそれを見たら、
「心配するな、何とかなる」
と書かれていた。

世間でいう「いいこと」なんか全く必要がない。
「いいことなんかなくていい。いや、あってたまるか」
(岡本太郎・・・は別に言ってない)

一休さんの遺言に従うことだ。
尚、法然の遺言は、「私は念仏すること以外、何もしなかった」だ。
まとめて言えば、神様、仏様に任せてしまい、安心しろということだ。
イエスも、「思い煩うな。天の父は、あなたの必要なものが何かくらい、とっくにご存知だ。それを下さらぬはずがない」と言ったではないか?
ちょっとまずい状況になったからといって、青くなったり、あたふたするのは、車に乗ってまで、荷物を頭の上に乗せて苦労しているようなものだ。荷物を降ろして安心すれば良い。











↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
最新トラックバック
明日のことを語る (哲学はなぜ間違うのか?)
手塚治虫へのアンサー
みっともないジェラシーを表現できるということ (ゴルフィーライフV3 〜 Face the Strength(自分のなかの強さに向き合おう))
非難することは本当に恐ろしいことだ
コンサイス英和辞典 (昭和を思い出すレトロなデザインが好き)
世間での狂い方をマスターする
持久走だ、たくましくいこう (ゴルフィーライフ? 〜 自分のなかの強さに向き合おう!)
ある神秘体験
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ
萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
人気ブログランキングへ
↑↑これと
↓↓下の3つのいずれかをクリックして応援をお願いします!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ
お気に入りブログ
◆開き直りのススメ
彫刻家、石彫人さんが語る、マケドニアでの体験で培った開き直りの精神が心の壁を取り払ってくれます。
◆インフォニティ@情報ソムリエ
リア友、4大陸制覇は目の前、ロックな20代のブログ。見ろ!
◆書之時 華文字
インザちゃんのブログ、もとい!オランダ在住の書家、華文字さんのブログ。
◆風阿弥・記
不思議なドローイングアートを制作されているイラストレーター、風阿弥さんのシュールな作品展ブログ。
◆ガマ仙人の徒然草
街の中で無為自然に生きるガマ仙人さんのブログ。IT、柔術も一級品という変わったお方でもあります。
◆昭和を思い出すレトロなデザインが好き
日本人が希望と温かい心を持っていた時代を鮮やかに甦らせる、dandanさんの昭和レトロなブログです。
◆若く長生き! 幸福生活養生法
東洋医学の知恵で、健康と長寿の至福をもたらす養生先生の叡智に溢れるブログです。
現在の人気ランキング
QRコード
QRコード
初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
livedoor プロフィール

  
   このエントリーをはてなブックマークに追加
  

タグクラウド
  • ライブドアブログ