ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

少食

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

少食と真言

江戸時代の観相家(顔や身体の相で運命を鑑定する占術師)であった水野南北(1760~1834)は、子供の時から悪党で、18歳くらいで牢屋敷(今の刑務所)に入れられるほどであった。
ところが、牢屋敷から出た後、人相見に、「お前の寿命は後1年」と言われて後悔し、寺に出家を願い出たが、入門は叶わなかった。ただ、「1年間、大豆だけを食べれば入門を許す」と言われ、それに従った。
そして、大豆だけを食べる生活を1年続けた後、再び、前に観てもらった人相見に観てもらうと、
「お前は寺を建てるとか、人の命を救うとかいった大きな徳でも積んだのか?死相が消えている」
と言われ、大豆の食事のことを話すと、
「食の慎みに優る徳はない」
と言われた。
水野南北は、その後、大観相家になり、観相で人々を幸運に導いたが、少食・粗食こそ、最大の幸運の鍵であると説き続けた。

私は10年ほど前、この話を知り、当時、運が悪くなっていたこともあって(健康も損なわれていた)、極端な少食・粗食を行った。
それで、94kgあった体重が数ヵ月で72kgに、その後、60kgほどになり、現在もそのままである。
それで、健康になり、その他でも運が良くなった。
運を良くするためには、確かに、徳を積むしかない。
徳とは、世のため人のためになることを行うことで、小さなことでは、公園の掃除をしたり、人に親切にしたりで、大きなことでは、多額の寄付をしたり、人々を幸福にする事業を行うことなどがあるだろう。
しかし、いかなる善行よりも、少食・粗食の方が大きな徳なのであるらしい。
水野南北は、それについて、仙人から教えを受け、本にも書いている。

ただ、おそらくは、少食・粗食よりもはるかに大きな徳が、優れた真言を唱えることである。
親鸞は、「念仏に優る善はなく、念仏の力を妨げる悪もない」と言い、善いことをする必要はないし、悪いことをしても構わないと教えていたようである。
そして、私の経験や、様々な書物を調べれば、また、直観的に、それは正しいと思う。
少食・粗食の徳を否定するわけでは決してない。
だが、真言はそれに優る。
私も、10年程前、運勢が低下していたのは、飽食に耽っていたこともあるが、真言を唱えなくなっていたからだと思う(それまでは、それなりに唱えていた)。
真言密教の大僧正であった織田隆弘氏の本を読むと、「南無観世音菩薩」とか、観世音菩薩の真言である「オン、アロリキャ、ソワカ」を唱えると、難病が治ったり、事業の危機が救われる奇跡が数多く起こっていることが分かる。
ただ、宗教には泣き所があり、浄土宗や浄土真宗であれば、「南無阿弥陀仏を唱えよ」としか言わないし、真言宗であれば、「オン、アビラウンケン」などの大日如来真言を唱えよと言い、法華宗では「南無妙法蓮華経」である。
しかし、真言に優劣はなく、重要なのは唱える数だけである。
また、真言は、心の中で、丁寧に穏やかに唱えなければならない。
特に、自分がどの宗教や宗派を信仰しているというのでなければ、観世音菩薩の真言「南無観世音菩薩」や「オン、アロリキャ、ソワカ」を唱えることをお勧めする。それに、観世音菩薩であれば、およそ仏教の宗派であれば、どこでも敬われていると思う。
もちろん、神道の祝詞や祓詞や神呪も真言であり、好むなら、「アジマリカン」や「トホカミエミタメ」を唱えるのも当然良い。
ただ、「アジマリカンが最上」、「トホカミエミタメが一番」と主張するような者には気をつけ、あまり関わらないことをお勧めする。どの真言が一番などということはないのだ。

私は、今も、普通の人に比べれば、少食・粗食だ。
昨夜の夕飯は、納豆、おにぎり2個、ホウレン草の炒め物であった。
だが、自分でも数年やったが、極端な少食・粗食は、あまりお勧めする気にならない。
私の場合だが、極端な少食・粗食は、独善的、あるいは、狭量になり、それに、人付き合いが出来なくなる。
私のポリシーとしては、エマニュエル・スウェーデンボルグが天使に言われたように、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」で十分と思う。
もっとも、親鸞に言わせれば、いかなる悪いことをしても、念仏を唱えれば問題がないので、大食・美食が悪かどうかは置いておくが、真言を唱えれば、別に構わないことになる。
ただし、美食・飽食に耽る者が、毎日、数多くの真言を唱えるとは思えないのも確かであるが。
逆に言えば、真言を唱えていれば、自ずと食事も適切になり、少なくとも、美食・飽食に耽ることはないと思う。
いずれにしろ、真言を唱えさえすれば、全ては良い方向に行くだろう。








幸運を呼ぶのは少食ではなく気分の良さ

江戸時代の観相家(顔や身体の形状で占う占術)、水野南北は、運命の法則について、こう断言している。
「食が少なければ幸運、食が多ければ衰運である。これに関し、万に1つの外れもない」
つまり、食べる量が少なければ少ないほど、あらゆる幸運が来るが、大食、美食であれば、あらゆる運に見放される。
水野南北は、若い時に、観相の達人の教えを受けると共に、あらゆる手段で実地研究を行い、かなりの精度で運勢の鑑定が出来るようになったが、どうしても外れる場合もあることを認め、悩んでいた。
しかし、ただ、食が多いか少ないかで鑑定すれば、決して外れることはなかった。

水野南北以外にも、時代を問わず、世界中に、少食こそ、健康や運勢を最も左右するものであると言う者はいる。
では、それが正しいのかというと、「たまたまそういう結果になる(食が少なければ幸運、多ければ不運)」というだけのことだ。
以下に述べる通り、理屈は簡単である。

食べるということは、睡眠には敵わないとしても、人間最大の欲望であると言える。
ナポレオン・ヒルは、「性欲が1番の欲望」、ディール・カーネギーは「自己重要感(自分は価値あると思うこと)こそが人間最大の欲望」と言ったが、それらがおかしいことは誰でも分かる。
空腹で苦しい時に、どれほどいい女がいたって、それほど興味はないし、同じく、空腹な人には、百個の勲章より一切れのパンが魅力的だ。
いかに、すらりと痩せてモテたいと言ったところで、限度を超えて食を拒否すると、幸運どころか、悪い状況になり、最悪の事態になってしまうことすらある。
そもそも、幸福な人の中にも大食の人はいくらでもいるし、食べなくてガリガリで不幸な人も数知れないのである。

つまり、少なくとも一般人にとっては、1番は睡眠、2番が食なのである。
だから、食を完全に断つことは、特殊な(大抵は不幸な)事情でもなければ不可能だ。
だが、ある程度の食の節制であれば、何か、楽しみとか、希望があれば可能である。
私も、ただ食べないことで、1年で30kg程度痩せたことがあるので、よく解る。

つまりは、食の慎みに耐えるには、それと同等の喜びが必要であり、そんな喜びは気分を良くしてくれる。
そして、いつも言う通り、この宇宙は、
「気分が良ければ良いことが、気分が悪ければ悪いことが起こる」
仕組みになっているのである。
つまり、真実は、水野南北が言うように、「運命は食が多いか少ないかで決まる」のではなく、「運命は気分が良いか悪いかで決まる」のである。
だから、食の慎みに耐えさせてくれるほどの、気分を良くしてくれる何かを見つけた人が、幸運を呼び、成功し、幸せになれるのである。

普段、よく笑い、ガッツポーズをすれば、異常な食欲に悩まされることはなく、腹八分目を守ることが出来る。
さらに、かなりの少食でも気にならないほど気分が良いなら、ほとんど魔法使いのようなことが出来るだろう。
とはいえ、『バガヴァッド・ギーター』にもあるように、食べ過ぎはいけないが、少食過ぎるのも良くないし、そもそもが、極端な食生活をする必要など全くないのである。
適度に美味しいものを適度に食べ、気分さえ良くしておけば、人生は、楽しいこと、面白いことだらけになる。
また、必ずしも菜食が良いのではなく、菜食でも気分が悪ければ悪いことが起き、肉食でも、気分が良ければ良いことが起こるのである。
このように、人間の運命は、全て気分にかかっている。
ただし、多少の少食・粗食なら楽に出来るだけの気分を良くするものを見つけるために、ある程度は食を慎み、すらりとした身体になりつつ、気分を良くするコツを掴み、幸運を引き寄せるのは良いことと思う。
まあ、笑顔とガッツポーズだけでも、かなり、その役に立つと思う。








あらゆる成功の根底にあるもの

長年の研究&実践の結果から、引き寄せの神髄は「良い気分(GOOD FEELING)でいれば良いことが、悪い気分(BAD FEELING)でいれば悪いことが起こる」だけであることは確実と思う。
これだけで、いかなる成功法則、成功哲学にある事例も説明出来、例外はない。
昔から、大金持ちや大政治家が、時間があれば何時間でも、庭の池の高価な鯉を眺めているのは、それで気分が良いからで、それにより、幸運を引き寄せているのである。
ところが、瞬間的な成功者に時たま見られる例であるが、高級外車を数多く所有するのは、それが本当に楽しいのなら良いことだが、見栄でやっているなら、いずれ、それらの車が良い気分にさせてくれることはなくなり、むしろ、悪い気分をもたらす可能性があり、そうであれば、やがては必ず落ちぶれていくのである。

ところで、良い気分と言えば、「それなら俺は美味いものを食べている時が一番いい気分だ」「いい女を抱いている時が最高だ」と言う者も多いと思うが、これらには重大な欠陥がある。
それは、それらは、「いい気分が短い時間しか続かない」ということだ。
1日16時間起きているなら、その大半で良い気分でなければならない。
とはいえ、食や性の良い活用法もある。
水野南北は、「幸運、不運を決めるのは食が多いか少ないかだけ」と言い、少食・粗食を薦めた。
これは、結果的に正解である可能性が高い。
なぜなら、少食であれば、常に食欲があるので、食事の時に非常に良い気分になることはもちろん、食事が楽しみであることが良い気分をもたらす。丁度、「今晩はカレーだよ」と言われた子供が1日いい気分でいるようなものだ。
しかし、あまりに厳しい食の制限は、気分を悪くし、決して幸運や願いの成就を引き寄せない。それは、飢餓状態にある人達が不幸であるようなものである。
ただし、現代の日本人の感覚としては、多少は食を渇望すると感じる状態が、人間としてほ本来の正常な空腹状態であるかもしれない。
つまり、腹六分目に食べれば、自ずと強運になるのであるが、普通の人の場合は、腹八分目・・・つまり、満腹するまで食べて自分を甘やかさなければ十分である。あの偉大なエマニュエル・スウェーデンボルグもこの範囲で食を節していた。
性に関しては、中国の大物達はそろって「立ち続ける男が成功する」と言う。
つまり、精力が強いことは良いことであるが、美女と適度に接して良い気分でいるのが良く、それで満足出来るほど修行が出来た者だけが成功するのである。
ビートルズの『I FEEL FINE』だって、「彼女は僕をいい気分にしてくれる」と言うが、それは、「優しい」とか「言って欲しいことを言ってくれる」といったことだ。

そして、自分をいつもいい気分にするのは自分の責任なのである。
神様はどんな願いでも叶えてくれるが、気分までは良くしてくれないのである。
それだけは自分でしなければならない。
しかし、逆に言えば、それだけやれば良いのであり、とても楽なのである。













当ブログ著者、KayのAI書。
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食の慎みは運勢を向上させる

開運、幸運に関し、私が最も鮮烈に感じたのは、江戸時代の観相家(顔や身体の様相で占う占術家)であった水野南北だろう。
手元に水野南北の本が全くないのだが問題ない。
彼の教えは全くシンプルだからだ。
それは、
「幸運かそうでないかは、ただ、食が多いか少ないかだけで完全に決まる」
というものだ。
つまり、食べる量が少なければ幸運、多ければ、不運、衰運となるということである。
これに関し、水野南北は、「万に一つの外れもない」と断言し、不動の自信を示した。

ただ少食で粗食であれば良いのである。
他には、いかなることも必要はない。
例えば、ある男が水野南北に、「遊郭(公共の遊女屋)遊びが止められない。どうすれば良いか?」と相談に来た。
すると水野南北は「全く問題ない。必要なのは食が少ないことだけだ。食を大いに慎み、バンバン遊郭に行きなさい」と答えた。
水野南北自身、部類の女好きで妻は8人いた。ただし、長者である水野南北は、8人共正妻とし、生涯、面倒を見たという。

ただ、水野南北は、少食粗食を強く奨めはしたが、決して度は過ぎていなかったと思う。
世の中には、極端な少食、あるいは、全く食べない不食を実施していると公言する者もいくらかいるとは思うが、水野南北はその類ではないと思う。
彼は、食を楽しむことまで悪いとは言わず、自分に関しても、十分に食事や酒を楽しんでいると言っていたと思う。
確かに、水野南北の食事の量は普通の人から見れば少な過ぎ、また、米は一切食べず、麦飯を食べた。
とはいえ、美食は禁じながらも、特に肉食も禁止せず、1日1合とはいえ、大好きな酒も楽しんでいた。尚、徳川家康も、米は食べず麦を食べ、食の慎みは推奨していた。
水野南北の印象深い教えとしては、「3つ食べられるところなら2つ食べ、1つは神仏に捧げよ。別に仏壇、神棚に備えなくても、心で捧げれば良い」というものがある。
食べなかったものは捨てても良いとした。
そう言うと、「捨てるなど勿体ない。捨てるくらいなら、食べた方が神仏の意向に沿うのではないか?」と思う者が多いであろうが、水野南北は、「食べたら糞になるが、捨てたら土に帰る」と言って、それを否定した。
尚、捨てて土に帰るのは植物性のものであり、肉類は腐るから、草食の方が良いとはしたが、釈迦も肉食をしていたことを指摘し、特に、老人の場合は、消化の良い肉食を薦めることもあった。
そして、肉食のために、鳥類や魚類を殺生することに関しては、「それらの生き物は、元々、人間の食用であり、彼らも食べられて本望なのである」と言ったが、それは、水野南北の個人的見解ではなく、彼は、仙道に深く通じ、また、仏教、儒教も学んでいた。
ところが、水野南北は学がなく、文字を読めないので、口頭で教わるか、書物を他人に読んでもらっていた。

水野南北は、生まれつき衰運で、姿は非常に醜く、10歳で飲酒を始め、15歳で悪事を働いて牢屋敷に入れられたほどだった。17歳くらいの時には、高名な占い師に「1年以内に死ぬ」とまで言われた。しかし、少食粗食を始めてからは幸運となり、7つの蔵を持つ大長者として、当時としては異例の75歳の長寿を全うした。

少食粗食が健康に良いことは間違いない。
私も、10年ほど前、大変に身体が悪くなっていて、健康診断の度、「要診療」「警告」だらけだったのが、少食粗食を実施し半年で、健康診断はオールAの超健康体となった。
ただ、私も、極端な少食を薦める気はない。
私は、元々は、そういった極端な少食主義者に陥っていたが、それは間違いかもしれない。
『バガヴァッド・ギーター』で、神クリシュナは「食べ過ぎてはいけない。だが、少食過ぎてもいけない」と言っている。
また、エマーソンが「人類の5人」に挙げ、ヘレン・ケラーも心酔した、科学者・政治家・宗教家であったエマニュエル・スウェーデンボルグは、天使に、「満腹するまで食べて自分を甘やかすな」と警告されたが、その程度である。
私は、「決まった時間以外には食べず、食べる時は腹八分目を超えない」を守っている。
私は、16歳の時に、176cm、63kgであったが、今もぴったり同じである。
一番少ない時で59kgだったが、その頃は、かなり貧相に見えたようだ。
ただ、これは人それぞれで、BUMP OF CHICKENの藤原基央さんは176cmで55kgらしいが、やはりロッカーはがりがりに痩せているのが格好良いと思う。
サッカーの三浦知良さんは177cm、69kgで、筋肉質な彼は、これがまさに理想的な体形と思う。













当ブログ著者、KayのAI書。
この本は、概念書や学術書ではなく、来るべきAI時代に対応出来るよう、自分で実用的なAIを作ることが出来るようになることを意図して書かれています。
そのために必要なことは、WindowsやExcelをそこそこに使えるスキル程度であり、数学、プログラミング、AI理論の知識を要求しません。
普通の言葉で書かれていて、普通の概念で理解出来、しかも、面白いテーマで楽しく学べるよう配慮しました。

必ず神から力を与えられる方法

人間が欲しいものには、愛、友情、安らぎ、お金など、いろいろなものがある。
だが、それらを得るのは、「力(パワー)」というべきものが必要だ。
それは、お金とか、地位とか、ましてや、学歴などといったものとは全く違う魂の力なのだが、それを得れば、お金でも地位でも思いのままで、学歴などは全く不要になる。
では、そんな本物の力、根本的で本質的な力、心の、そして、魂の力をどうやれば得られるか?
これは、やり方自体は簡単なのである。
単に、自分がやるかどうかだけだ。
そのやり方とは、一言で言えば、「自己制約」である。
つまり、自分に制約を課すのであるが、そのためのシンプルな方法が「自分に掟を課す」ことである。

強い力を持つ人間は例外なく、自分の掟を持っている。
例えば、自分の家にいてもスーツなど、しっかりした服装をするという場合もある。
他の人が、リラックスした・・・有体に言えばだらしない格好をし、「自宅なんだからいいじゃないか」と思っているのに、あえて自分に掟を課し、自宅ですら、自分の自由に制限を加えているのである。

戦国武将の上杉謙信は、戦(いくさ)において無敗であった。
彼は、いかなる大きな掟を課し、得られるはずの自由を自分で制限していたのだろう?
なんと彼は「女」を絶っていたのだ。もちろん、彼は人並・・・いや、あれほどエネルギッシュな男だ、超絶女好きであったと想像する。
そして、彼なら、どんな女でも思いのままであったはずだが、その羨ましい自由に自分で制限をかけたのだ。
もし、超大物になりたいなら、それほどの犠牲が必要であり、犠牲という対価を払うことなく大きな力は得られない。

神は、人間が自分に課した制約の倍の力を人間に与えるのである。
人間は皆、自分勝手に自由に生きたい・・・これを「放埓(ほうらつ。勝手きままなこと)に生きる欲望」」と言い、人間の持つ強い欲望だ。
美味しいものを好きなだけ食べたい。
好みの女(男)を無限に自由にしたい。
自分のわがままを押し通したい。
しかし、そればかりでは、神はその人間に力を与えない。

朝、7時まで寝ていたって生活に支障はないが、毎朝5時に起きるという掟を自分に課した者は、寝ていられるという自由に制限を加えた・・・つまり、制約を課したのである。
江戸時代の観想家(身体や顔の相で運命を鑑定する占術師)、水野南北は、「食の制限こそが人間に最大の力を与える」として、小食粗食を説いた。彼は、子供の時から飲酒し、姿醜く、性格は粗暴で、牢屋敷(今の刑務所)に入れられるような人間でありながら、厳しい食の慎みを実践することで、蔵を7つ持つ大長者になり、正妻は8人で、貴族にまで叙せられたという。また、当時としては異例の75歳まで生きた。

確かに、誰もが、水野南北のような厳しい食の制限を課すことは必要ではないかもしれない。
しかし、欲望のままに無制限に飲み食いする者は、その他のことで、よほどの厳しい掟を課し、それを絶対的に守らなければ大きな力は得られない。
普通は、食に関しては、エマニュエル・スウェーデンボルグのように、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」程度で十分であるが、その範囲では制限を課すべきと思う。
また、水野南北は、酒も大好きであったが、1日1合と制約を課していた。

私も、ささやかなことであるが、絶対的な掟で、自分に制約を課し、自分の自由に制限を加えている。
朝は、暮、正月関係なく、4時半に起床し、朝晩身体を鍛えているし、ちゃんとした食事は夜だけにし、満腹するまで食べることはない。
だが、全然足りないなあ(笑)。
これを機に考え直し、しっかりとした掟を持ち、大躍進を目指そう。よろしければ、皆様もご一緒に。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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