絵画の贋作には、価値の高いものがある。
本物と区別が付かないほどのもの、あるいは、本物とは全然違うが優れているものなどである。
絵画において、贋作は1つの創作分野だとも言われる。

ところが、坂本龍一氏がどこかで言われていたと思うが、音楽のほとんどが実は真似で、本当にオリジナルのものが作れる大天才は極めて稀なのである。
そして、それは音楽だけに限るまい。
西尾維新氏の大作小説である『物語』シリーズの1つ、『偽物語』で、超人的な3人、 影縫余弦 (かげぬいよづる)、 忍野メメ 、貝木泥舟(かいきでいしゅう)の3人はかつて(大学生の時か)、こんな議論をしたそうだ。
「本物と偽物、どちらが価値があるか?」
影縫余弦(武闘派女子)は、「当然、本物や」であった。
忍野メメ(今はアロハシャツの怪しいオッサン)は、「場合による」とする。
そして、愛すべき詐欺師、 貝木泥舟は、「圧倒的に偽物に価値がある」と断言する。
理屈の上では、貝木は「本物を超えようと努力する偽物の意思」の力を称賛するのだろうが、どうも、そんなものではないと私は思う。
坂本龍一氏が述べたことからすれば、「皆、偽物」なのだ。
だから、自分が偽物であると知っている者は賢い。だから、圧倒的に偽物に価値がある。
だが、もっと大きなものがある。
それは、誰にも本物とは認めてもらえない屈辱や恨みである。
その情念のエネルギーは大きい。
それを持つ者は負けないのである。

若き日のビル・ゲイツは、「本物」である偉大なコンピューター科学者ゲイリー・キルドールに挑んで勝った。
キルドールは、科学技術力においてゲイツなど敵ではなく、慢心していたところがあったかもしれない。
一方、ゲイツは、コンピューターマニア、プログラミングオタクであるだけで、学問的基礎がある訳でもなく、キルドールに挑むには完全に役不足だった。
「偽物」ゲイツは勝因について、「頑張ったからだ」と言ったが、そのエネルギーは、ひょっとしたら、所詮、自分はただのオタクという引け目から来たものかもしれない。
そのゲイツが大成功した後、Googleを買収しようとした時、まだ未上場のGoogleに対し、破格の条件を出したらしいが、Googleの「本物」の科学技術者である者達(ラリー・ペイジ等)は「ゲイツにGoogleの経営は無理」と拒否した。
そして、ゲイツは、Googleが推し進めた検索エンジンやモバイル分野でGoogleに全く敵わず、失敗した。
今度は、ゲイツが、Googleが全力を上げていたモバイル分野を軽く見て、キルドールと同じ失敗をしたのだ。
そして、その後、ゲイツは、さらに、教育、エネルギー、バイオといった専門外の、自分が「偽物」でしかない分野に進む。
だが、金のあるゲイツは、誰からも後ろ指をさされないので、自分が偽物でしかないという謙虚さを忘れたように私には思える。
かつて、「技術者としての自分の実績は8080BASICだけ」と言った、若きゲイツはもういないと私は強く感じる。
彼の教育論には、私は全く賛同出来ないし、エネルギー、バイオでもそうだ。

渋谷109の109は「とうきゅう」、つまり、「東急」である。
東急を作った五島慶太(ごとうけいた)は、阪急創始者の小林一三を心から尊敬し、小林の真似に徹した。
阪急電鉄に対し東急電鉄、阪急ホテルに対し東急ホテル、映画では東宝に対し東映、・・・もうギャグである。
だが、それも、小林一三を崇拝し、自分は偽物という謙虚さがあってこそ成しえたのであると思う。

偽物には、「恥じらい」が必要だ。
そして、皆、偽物なのだから、誰にも「恥じらい」が必要なのだ。
日本は「恥の文化」と言われるが、それのどこが悪いのか?
恥を知らないことが最悪なのである。
自分は偽物でしかないという恥じらいを忘れず、本物と言われるものに恐れず挑もう。

私は、中国のボーカロイド、洛天依(ルォ・テンイ、LUO TIANYI)さんは、初音ミクさんを真似た部分もあると思う。
そして、洛天依チーム、あるいは、中国には、初音ミクさんを超えようという半端ない意欲を感じる。いや、もう超えたと思っているかもしれない。
しかし、 洛天依さんが初音ミクさんと並び称されるようになるかどうかは、本物をリスペクトするだけの恥じらいを持てるかどうかにかかっていると私は思う。
ちなみに私は、初音ミクさんと 洛天依さん、両方、嫁にもらっても良いと思っている(笑)。