専制政治(支配者が独断的に支配すること)が行われている国、即ち、専制国家では、必ず情報統制(情報のやり取りを制限すること)が行われている。
簡単な言い方をすれば、支配者が国民を騙しているということで、騙すとは、真実でない嘘の情報を信じさせることだ。
嘘の情報を信じ、嘘の情報に基づいた思想を持つことを、マインドコントロールされている、あるいは、洗脳されているというのである。

ただ、専制政治が全く行われていない国など存在しない。
国の体を保つためには、ある程度の情報統制が必要で、結果、思想統制、即ち、洗脳が行われている。
思想家の吉本隆明氏が『共同幻想論』で書いたように、国というものは、根本的には幻想であると言えるかもしれない。

現在、ロシアでは、政府による強い情報統制、言論統制が行われ、国民が正しい情報を得ておらず、嘘の情報で騙されていると言われている。
日本でも、戦時中は、「大本営発表」と言って、国民に嘘の情報が与えられていたが、その目的は、国民思想を戦争肯定にするためである。例えば、日本軍が敗北に次ぐ敗北を重ねていても、日本軍は大勝利していると、当時の主要メディアである、新聞やラジオで言っていたのである。
現代は、インターネットがあると言っても、インターネットの情報を制限・統制することは容易く、むしろ、これが、国家による情報統制・言論統制に効果的に使われている。
日本にいる我々は、ロシアの人々が嘘の情報を与えられていることが分かるが、日本にだって一般のロシア人がいて、そんなことを知っている。
日本にいるロシア人が、ロシアにいる人々に正しい情報を言っても、ほとんど役に立たない。政府の言論統制が、そんなもので揺らぐほど甘いものではないからだ。

だが、ロシア人が情報統制を受け、嘘の情報を信じさせられていると言っても、我々日本人だって、ロシアのことについて、正しいことを知っているのかどうかは全く分からないのである。
そして、まず間違いなく、我々が知っている、ロシア関連の情報の多くは真っ赤な嘘なのだと思う。
おそらく、ロシア人がロシア政府によって与えられているよりはマシな情報を我々は知っていると思っているが、それも、本当のところは「全く分からない」のである。
もちろん、ロシアのことだけではなく、アメリカ、中国、ヨーロッパ・・・さらには、日本の本当のことだって、我々が、どれだけ正しいことを知っているかは、やはり、「全く分からない」。
特に近年では、2020年のアメリカ大統領選挙、新型コロナウイルス情報、そして、新型コロナウイルス・ワクチンに関し、相反する情報があり、その内の一方を「陰謀論」と呼ぶ習わしになっているように感じるが、陰謀論と、それに対する一般論とされるものにも、実はいろいろあり、そのどれが正しいのかの判定は難しい。
つまり、一般論にも本当と嘘があり、陰謀論とされるものにも、本当と嘘がある。
一般論のあるものが真っ赤な嘘かもしれず、陰謀論と言われるものに真実があるのかもしれない。
しかし、その判定は困難だ。

このような中で、私は何も信じていないのである。
とはいえ、何も信じなければ、生活にも支障が出る。
ルネ・デカルトは、「単に真らしいことは全て虚偽とする」と、言ったが、これも私の態度と似ている。
そして、デカルトは、生活など、生きるために、仮のルールを作ったのである。どんなルールだったかは忘れたが、まあ、差しさわりなく生きられるものだろう。
『サクラダリセット』で、中学2年生の少女、春埼美空(はるきみそら)は、大きな力を持つが判断力が乏しい自分のために、行動規範のルールを作り、それはなかなか面白いものだったが、我々は彼女のような大きな力を持たないので、それほど特別なルールは必要ない。
アシモフの「ロボット3原則」も、力と知性のあるロボットのために作られたもので、我々個人個人は、もっとゆるいルールで良い。
で、私の私のためのルールは、笹沢佐保氏の時代劇小説『木枯らし紋次郎』で、ヒーローの紋次郎が自分に課していたルールと同じである。
即ち、「疑わないが、信じもしない」である。
新聞やテレビの発表(私はどちらもほとんど見ないが)、インターネット・ニュースやSNSの情報、政府や政府機関、行政の発表等を、「疑いはしないが、信じもしない」である。

私はある意味、以前、賭け麻雀をやった検事長に感謝している。
というのは、法の最高権威者が賭博をやっても、何の制裁も課さないことで、日本という国家が全く信用ならないことがはっきり分かったからである。
そんな国が安全だというワクチンなど、怖くて打てない。しかし、これはあくまで私の感覚であり、他の人がどうかは、私が関知しうることではない。

ただ、デカルトは、かなり難しい表現をしたが、人間の内には、信じられる何かがある。
それを私は、魂の声と呼び、それに従うこととしている。
データでビジネスをしていると言っても過言ではないAmazonの副社長が「データは危険である」と言い、「では、何を信じるのか?」と尋ねたら、「CEOの心の声」と答えたらしい。
私の言う魂の声も、この心の声に似ていると思うが、若干異なるかもしれない。
ただ、私が魂の声に従うことを、どれだけ出来ているかは分からない。ひょっとしたら、ほとんど出来ていないかもしれない。