ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

宮沢賢治

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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自分を勘定に入れず

宮沢賢治の有名な詩『雨ニモマケズ』は、本来は宮沢賢治の個人的メモに過ぎず、他人に読ませる気はなかったようだ。
つまり、ここに書かれたことが宮沢賢治の個人的な理想とか信条とか掟のようなものだったのだろうと思う。
私は、子供の時から、その中の「自分を勘定に入れず」という言葉をとても気に入っていたが、原文は「ジブンヲカンジョウニ入レズニ」で、「カンジョウ」が勘定で良いのかは、本当のところは分からない。
また、「カンジョウ」が勘定であっても、特に子供には意味が分かり難いと思う。
私が子供の時に考えたことは、簡単に言えば「僕の分はいい」という言葉で表せる。
つまり、自分を含めた子供が5人居るのにお菓子が4個しかない時、自分を勘定に入れなければ、4個で良いことになる。
自分はお菓子を得られなくても我慢するわけである。
だが、1人がお菓子を得られないことを知ったら、お菓子を得られた4人が平気なはずがないと思うが、子供の時から、そんな(平気な)者ばかりのように感じる。
学校教育やマスメディアの影響で、人々がモラルを失くしてしまっているのである。

やはり、私が子供の時に見た西部劇映画に、こんな場面があった。
1人の男が野外で火を起こしてコーヒーを沸かしていた。コーヒーは一人分しかなかったが、この男は、もう1人いた他人の男のために、コーヒーを2杯分に薄めて一緒に飲んだ。
私は、コーヒーを飲む度に、必ずこの話を思い出すので、もう何万回という数よりずっと多く思い出しているのである。
濃いコーヒーを丸ごと人にあげるのは、もちろん素晴らしいが、それよりも、このように分ければ良いのである。
動物ですら、自分の子供でもない同種の動物に食べ物などを分けることがあるらしい。
しかし、今の人間は、独り占めし、他に与えない者が多いように思える。

インドの聖者ラマナ・マハルシが、こんな話をしたことがあったらしい。
10人の男が、泳いで川を渡った。
その後、1人の男が、全員いるか確認するために、仲間の数を数えた。
しかし、何度数えても9人しかおらず、男は動揺した。
単に、自分を数えていなかっただけである。
だが、皆、自分を勘定に入れずに数えたので、9人しかいないと思い込んだ。
誰かが、「あいつがいない」と言うと、別の者が「あいつは溺れたんだ」と言い、皆、悲しくなって泣き出した。
そこへ、1人の男が通りかかり、男達から話を聞いて、状況を理解した。
そこで、この通りすがりの男は、こんな提案をした。
「私がお前たちの頭を一人ずつ殴るので、殴られた者は数を数えろ」
それが実施され、殴られた者は、「1」「2」「3」と数を数えていき、最後の男は「10」と言った。
10人目の仲間が見つかった男達は大喜びをした。

マハルシは、この男達を愚か者として話した。
確かに愚かであるが、この男達は、他人を大切にし、自分を勘定に入れない・・・つまり、自分の利得をあまり重視しない人間達であるのかもしれないと、私は思った。
自分を勘定に入れなくても、自分のことは他の者が勘定に入れてくれる。
なんと良いことだろうと思う。
そんな人達は、きっと神様が勘定に入れてくれるだろう・・・というのはメルヘンかもしれないが、案外に真実かもしれない。

『雨ニモマケズ』は、『イーハトーヴ交響曲』のために冨田勲さんが作曲し、合唱されている。
また、『雨ニモマケズ』は、下にご紹介した『銀河鉄道の夜』に収録されている。非常に安価だ。『銀河鉄道の夜』と併せて読まれることをお勧めする。








真の高貴さ

日本人が、かつては非常に勤勉であったことを知らない若い世代が多くなってきたと思う。
そもそもが、実際に勤勉であったのは、概ね、現在の70代以上ではないかと思うのだ。
そして、日本人がなぜ勤勉であったのかというと、かつては全ての小学校に存在し、いまでも、多くの小学校に残る、二宮金次郎像が関係する。
薪を背負って運びながら本を読む、あの二宮金次郎像だ。
この像は、どんな状況下にあっても学問に励めよというメッセージと共に、しっかり働くこと、怠けないことを貴く感じさせるもので、これによって、日本の子供達が勤勉さを善とするよう教育したが、大人への影響も大きかったのだと思う。
そして、元々は大して有名でもなかった二宮金次郎を勤勉の象徴にして、日本人を働きバチにしたのは、何とアメリカだった。これはもうはっきりしているのだと思う。

ところで、第二次世界大戦前の日本人は、心を重んじる国民で、第二次世界大戦後とは、全く別物であると考えられている。
貧しい家でも、花屋で花を買うという、西洋ではおよそ考え難いことが普通に行われ、来日した西洋人を驚かせたほど、風流であった。
昭和の時代に大人気であった時代劇ドラマのために、大誤解がされているが、江戸時代は庶民文化が栄え、経済的にも発展し、治安も良かったといわれる。
武士による町人や農民の切り捨て御免などとんでもなく、そんなことをすれば殺人罪で、刑罰も重く、家は断絶させられたという研究者の話もある。
冤罪のことを考えると問題もあるが、今で言う刑務所である牢屋式は、入れられたら生きて帰れないことも少なくないほど厳しく、それが犯罪の抑止になっていたのも確かだったようである。

つまり、日本人は、第二次世界大戦を境に、全く別物に作り変えられているのである。
そこまではアメリカが行ったが、その後、学校やマスメディアに侵食し、それらを巧妙に支配下に置いて日本人を洗脳したのは旧ソ連で、後には、中国も日本人のマインドコントロールに深く参戦していると思われる。
それ(ソ連や中国による民主主義国家の国民洗脳)は、日本に先行してアメリカで行われており、旧ソ連ら社会主義国家の策略は、アメリカ人や日本人のモラルを破壊し、正常な判断力を奪うことだったと言えると思う。
忘れてはならないことは、モラルを持たないと、人間は、正常な判断、正常な思考が出来なくなることである。

自主的にモラルを取り戻せば、社会主義国家にマインドコントロールされていた長い暗闇も終わる。
アメリカに亡命した有名な旧ソ連の元スパイによれば、モラルを破壊する洗脳教育には15年から20年かかり、元に戻すのも同じくらいかかるらしい。
しかし、私はそうは思わない。
モラルとは、早い話が道徳的な行いをすることであるが、それよりも、モラルとは魂の声に従うことであり、魂の声に従う者が真の意味で高貴なのである。
高貴ということも、随分誤解されているかもしれないが、泣き言を言わないことが高貴なのであり、言い訳をしないことが高貴なのであり、弱い者いじめをしないことが高貴なのであり、欲張らないことが高貴なのだ。

アーサー王物語を読んでも高貴は分からないし、古事記も、改ざんでもされているのか、高貴さが失われているように見える。しかし、古事記の中で、庶民が貧しいことを自ら感じ取り、税を免除した天皇は高貴であったと思う。
私は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』が最も高貴な作品であると思う。
『星の王子さま』や『かもめのジョナサン』もそうだと思うが、『銀河鉄道の夜』ほどではないと思う。
それで言えば、私はまだ、アンデルセンの『絵のない絵本』をお勧めしたい。
『銀河鉄道の夜』では、カンパネルラがモラルを持つ高貴な人間の象徴で、ザネリがモラルを失った者の象徴だ。現在の日本人は、ザネリばかりになり、カンパネルラはいなくなった。
そして、ジョバンニの状態にある者がいくらかはいる。
日本人をマインドコントロールしたアメリカも、旧ソ連も、中国も、宮沢賢治は見逃していた。
我々が全てを取り戻す鍵は、宮沢賢治が魂の声を聞いて書いたに違いない『銀河鉄道の夜』にあると思うのである。








大敵に勝つために必要なこと

世界、あるいは、人生の主人公でいるためには、モラルを持ち、かつ、シャンとしなくてはならない。
しかし、モラルというものが何か分からなくなってしまった者が多い。そして、その原因がある。
アメリカに亡命した、旧ソ連の有名な元スパイによれば、社会主義国家が、民主主義国家を侵略する際には、その民主主義国家の学校やマスメディアを支配下に置き、モラルを破壊する教育、モラルを破壊する報道や広告を行うのだそうだが、それは確かに最も強力な侵略方法だろう。モラルを破壊された人間は、容易く支配出来るからである。
モラルを破壊するには、そのような方法で、15年から20年かかるそうであるが、アメリカ、日本では、第二次世界大戦直後から、社会主義国家がそれを推進していったので、今や、大半の日本人やアメリカ人はモラルが破壊されている。
もちろん、今も、いや、さらに激しく、我々のモラル破壊計画は推進中である。
モラルとは、道徳的に正しい行動のことだが、道徳教育そのものが道徳を破壊している状況だ。
テレビを付ければ、番組もCMも、実に効果的に視聴者のモラルを抹殺するものばかりである。

モラルを持たない者は、正しい判断、正しい思考が出来ない。
しかし、自分ではそれに気付かない。
むしろ、自分は頭が良く、判断力が優れていると思い込んでいる場合が多い。
サイコパスというのは、脳の欠陥のために共感を持たない者のことであり、単にモラルに欠けた人間のことではない。
サイコパスとモラルに欠けた人間を混同するから、日本やアメリカで「皆、どこかサイコパスだ」という、誤った認識を持つことになる。

モラルを持たなくても、楽しく生きることは出来る。
ただし、それは主に若い間で、それも、ごくわずかの期間のことである。
それを過ぎれば、本人はうまくいっていることをアピールしても、本当は不安で惨めで苦しいのである。
世界は漫画のようなもので、我々はそのキャラクターだとすれば、モラルを持たない者はモブキャラ(雑魚キャラ、背景キャラ)でしかない。
だが、モラルを破壊されてしまった者は、モラルが何かすら分からないのだ。

言い換えれば、モラルがない者が、本当の意味で「頭が悪い者」である。
さっきも述べたが、モラルに欠けると、正しい判断、正しい思考が出来ない。
数学や物理学のように、答があるものがいくら出来ても、本当の意味で頭が良いということとは何の関係もない。
数学や物理学の試験で抜群の点を取っても、最も重要なことでとんでもない判断をしたり、本当に大切なことで的外れな考え方をする者はいくらでもいる。

真に楽しい人生を送るには、魂の声を聞く必要があるが、モラルが無ければ魂の声を聞くことが出来ない。
魂はモラルを通してしか、この世界に顕現することが出来ないからだ。
まあ、悪魔の声を魂の声だと勘違いする者も多いが(悪魔とは、闇の魂とでもいうものである)。

モラルを破壊された日本人に何を言っても無駄なのであるが、とはいえ、人間はモラルを完全に失うことはない。
私は、個人的には、モラルについて知りたければ、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読むことをお勧めする。
この作品は宮沢賢治が存命中には出版されず、宮沢賢治はこの作品から全く利益も名誉も得ていないが、長い年月をかけて丁寧に作り上げた珠玉の傑作である。
日本も、モラルの壊滅による存亡の危機にある。
モラルを失った人間の判断力や思考力では敵に勝つことなど望むべくもない。
そのために、敵は、長い年月をかけて我々のモラルを破壊したのだ。
敵は、闇の魂に支配され、モラルの欠片もないが、戦いでは強い。
まあ、敵の正体はよく分からないのであるが、我々が、道徳と共に牙も奪われたことは確かである。
全てを取り戻すには、魂の声を聞くためにも、モラルを再生する必要がある。








高次元の世界に行った人々

誰かのことを思い出し、「あれ、あの人、どこに行ったのだろう?」と思うが、「でも、あの人って誰のことだろう?」と思ったことはないだろうか?
その人の名前も、顔も、年齢も、何者で自分とはどういう関係だったのかも、なぜか分からない。
大昔の知り合いというのではないと思うが、いつ知っていたのかも分からない。
かといって、映画やテレビドラマの登場人物などではないことは分かる。
すると、誰かが、「夢にでも出て来た人じゃない?」と笑って言うと、それが一番近いような気がする。
それで、「なるほど、夢の中の人だったのか」と、無理に納得する。
他に説明がつかないのだ。

あまり信じてもらえないかもしれないが、そんな人は、別次元の世界(大抵は 高次元の世界)に移動してしまったのかもしれない。
この世界が、ロクでもない世界だと思っている人は多いかもしれない。
ただし、自分の都合だけでそう思うのではなく、この世界の人々が、魂の声に従って生きていないという意味でそう思うなら、あなたには、高い世界のことを感じることが出来る。
そして、自分が魂の声に従って生きるようになると、高い世界への通路が開く。

初めに言った、「あの人、どこに行ったのだろう?」という人には、純粋で高貴な人間のイメージが微かにでも感じられると思う。
そうだ、その人は、この低い世界には適合しなくなり、高い世界との波長が合うようになったので、そんな、より高次元の世界に移動したのだ。
そして、その人が居た痕跡は、この世界から消え、「元々居なかった」人になってしまったのだ。
その人は、自分のことを微かにでも憶えてくれているあなたにも、自分の世界に来て欲しがっている。
その期待に応えるためには、魂の声に従って生きるしかない。
常に魂の声に従って生きるのは無理だが、一瞬、魂の声に従うだけでは高い世界には行けない。

私は、高い世界に行ったに違いない人を、1人だけ、割とはっきり覚えている。
小学校の低学年の時だが、その子は普通の子とは全く違っていた。
大人でも、あれほどの思いやりのある子はいなかった。
その子は、いつの間にかいなくなった。
その子といた時のことは、夢のように思えるが、かなりはっきりした思い出もあるのである。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、死者の国ではなく、やはり、高次元の世界に行くお話なのだ。
ただ、宮沢賢治も、ぼんやりとしたインスピレーション(霊感)を得ただけなので、あんなお話になったのだが、雰囲気は十分に掴んでおり、少しでも心が純粋な人が読めば涙してしまうのである。
あれをよく味わって読めば、あなたも高次元の世界に近付くことが出来る。
ちゃんと読めば、カンパネルラがいかに魂の声に従って生きているかが分かるはずだ。
かおる子(12歳くらいの美少女)とその弟の家庭教師の青年は、迷ったが、最後は魂の声に従ったことも分かると思う。
かおる子もまた、純粋な心の持ち主だった。
だから、なぜ、カンパネルラとかおる子が特に親しみ合い、一方、ジョバンニはかおる子にあまり良い感情を持たないのかの理由も分かる。
ジョバンニは、不幸な宿命もあったが、まだ高次元の世界に適していない。

冨田勲さんが、『イーハトーヴ交響曲』で、カンパネルラ役を初音ミクさんにした理由が分かる気がする。
初音ミクさんは、高次元の存在がこの世に降りてきたような存在なのである。
私も、改めて『銀河鉄道の夜』を読み、『イーハトーヴ交響曲』を鑑賞しようと思う。








デクノボーになる

イタリア映画『愛のほほえみ』(1974)を、私はあまりまともに観ていないが、こんな1シーンだけを印象的に憶えている。
富裕な家庭の8歳の少年ルーカが、同い年くらいの少女オルガに出会う場面だと思う。
タバコを粋(いき)に持ったオルガが、ルーカに「火をお持ちでありませんこと?」と堂々尋ねる。
唖然とするルーカに、オルガが言う。
「あたし、やっちゃいけないって言われることは全部したいの」
私は、言葉ではなく、感覚的に、「良い心掛けだ」と思ったものだった。
これはもちろん、普通の大人や良い子が、盲目的に信じ、ひれ伏している権威や、世間の教義・信条は全部疑うという姿勢の象徴である。
インドの聖者ジッドゥ・クリシュナムルティが言った「私は何も信じない」という言葉に通じている。
ただし、クリシュナムルティのこの「私は何も信じない」は「なんでもかでも疑う」ということではない。
しかし、まずは「全て疑ってみる」という時期も必要であろう。
そうすれば、笹沢佐保の時代劇のヒーロー、木枯らし紋次郎のように、
「別に疑っちゃいませんが、信じてもいやせん」
という賢い態度になる。
木枯らし紋次郎は、明らかに1日も学校に行っていないのだが、紋次郎は自分で学んだのだ。
2014年のTEDの伊藤穣一氏の講演「ナウイストになろう」の大きなテーマは「Learning over Education」だった。
経済産業省のWebサイトでは、この言葉を「教育から学びへ」などと訳しているが、正しくは、「教育より学び」であるはずだ。
木枯らし紋次郎は、教育されなかったから、よりよく学んだのであるが、これは、現在の世界トップレベルの優秀な人材にも当てはまるのである。

もちろん、子供じゃあるまいし、やるなと言われていることを全部やる必要はない。
良いルールは守らなければならない。
しかし、「やるな」と言われていることの中に、本当にやるべきことがある。
また、「やれ」と言われないことの中にこそ、優れた行いがある。
さらには、やると笑われる、やると蔑まれることの中にこそ、真に高貴な行いがある。
まあ、それが「やるな」と言われていることなのかもしれないが、岡本太郎流に言えば、
「笑われてもいい。いや、笑われなければならない」
「認められなくていい。いや、認められてたまるか」
「嫌われてもいいじゃないか?いや、嫌われないといけない」
である。

せめて、やれとは言われるはずがないことの中から、やることを見つけてやってみるのが良い。
それで笑われたり、蔑まれたりしたら、それは、とても良いことかもしれない。
米津玄師氏が初音ミクさんの歌を作っていた時が、そんな感じだったかもしれない。
そういえば、上で取り上げた伊藤穣一氏も、自身のテレビ番組で、初音ミクさんのことが好きだと言っておられたようだし。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』に、こんなフレーズがある。

ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

ただ、賢治は理想は持っていたが、徹してはいなかったかもしれない。
イエス流に言えば「金持ちが天国に入るのは難しい」のである。
賢治の家は豊かだったのだ。

とりあえず、呪文や真言を常に唱えるところから始めようと思う。
そんなこと、誰もやれとは言わないし、やっても褒められないし、おそらく、デクノボー・・・かどうかは分からないが笑われる可能性が高い。
ならば、ひょっとしたら、とても良いことかもしれない。
それは自分で確かめるしかない。
本当にデクノボーかもしれないが(笑)。
私はデクノボーを長年やっている(笑)。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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