ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

宮本武蔵

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

宮本武蔵に負けない方法

いきなりであるが、挑発とは辞書によれば、「相手を刺激して、事件や欲情などを起こすようにしむけること」であるようだ。
嫌味を言うのは、挑発が目的の場合が多いと思う。
アニメなどで、割とセコいタイプの悪役が嫌味を言って挑発してきた時、正義の味方だが若くて未熟な主人公などが顔色を変え、隣にいる、少しは落ち着いた仲間が、
「挑発に乗るな」
つまり、「落ち着け」と諫める場面がよくあると思う。
いや、アニメでなくても。我々の日常ですら、職場や学校の中に、やたら、嫌味を言って来る者がいるかもしれない。
そして、必ずしも、「挑発に乗るな」と言ってくれる仲間はいない。

たとえ「挑発に乗るな」と助言してもらっても、「分かっている。だけど我慢出来ん!」とか、「あんなこと言われて黙っている訳にはいかない」と言ってしまう、あるいは、思ってしまうことが多いと思う。
そして、もしかしたら、不幸なことに、あなたの親が、あなたにずっと嫌味を言い続ける人かもしれない。

先に結論を言っておくと、挑発に乗ったら終わりである。
どう終わりかというと、大切な生命エネルギーを奪われる。生命エネルギーとは、願いを叶える宇宙エネルギーであるが、それと切り離されてしまうのだ。
そのことが本当に分かれば、決して挑発に乗らなくなる。
あまりに損害が大きいことが分かるからだ。
「挑発に乗ってムカついたら、脚が1本なくなる」というに等しいのである。
しかし、あなたもそうかもしれないが、多くの人は、その重要なことが分かっていないのだ。

宮本武蔵が本当に剣豪であったという証拠はないと言う。
剣士ですらなかったとも言われる。
一流の剣士と立ち会った記録もない。
しかし、勇名が轟いているのは確かで、喧嘩試合のような果し合いでは、かなり勝っていると思われる。
彼の勝利の秘訣は何か?
彼が死の直前に書いた『五輪書』に、「敵をムカつかせろ」といった意味のことが書かれてるのが答だ。
佐々木小次郎との試合の詳しいことは、実は、分かっていない。
しかし、あれこそ、武蔵の必勝モデルと思う。
試合時刻に、平気・・・というか意図的に大遅刻し、相手をムカつかせれば、もう勝ったも同然である。
そして、約束の時刻を大いに遅れてやって来た武蔵は、映画でよくあるように凛々しく現れたのではなく、陽気に鼻歌でも歌いながら現れ、さらに相手をムカつかせ(ついでに嫌味の1つでも言ったと思う)、そして、楽勝した。
武蔵が戦ったのは、そんな手に乗る未熟な相手ばかりであり、心理学者も同然であった武蔵は、そんなチョロい相手ばかり選んで戦ったから、『五輪書』にあるように、「一度も不覚を取らず」だった。
もし、佐々木小次郎が、武蔵の見立てと違い、心を乱さない者であれば、武蔵は戦う前に退散したはずなのだ。
逆に言えば、小次郎が心の扱いを心得、武蔵が現れるまで気分よく時間をつぶし、武蔵が現れたら、ムカついている振りでもしたら、腕で優るなら勝っていたのだった。

嫌味を言って来る相手は無視することだ。
相手が上司などで、それが難しい場合でも、なるべく平然とし、露骨に笑うのはまずくても、静かに微笑むか、無表情でいることだ。
それは、上司に負けないためでも、状況を悪くしないための配慮でもない。
あなたが、大切な宇宙エネルギーを奪われ、世界を支配する力を失わないためである。
多くの人(人類の大半かもしれない)が、そんなつまらないことで偉大な魔法の力を失っているのだ。
そのことが分かれば、全く修行しなくても、何の努力も、忍耐も必要なく、いつも気分よくいられるのである。
そうすれば、世界を手にしたも同然なのである。








宮本武蔵が強くなった特別な方法

私は中学3年生の時、吉行淳之介の『不作法のすすめ』を読み、その中に、「紳士というのは、思い出したら首がきゅっとすくむことがあるはずだ」といったことが書かれているのを見て、非常に共感したことを憶えている。
私は、「そうか、私は中学生にして紳士なのか」と大誤解をしたのだが(笑)、そもそも、思い出して首がきゅっとすくむことがない人間などいまい。

首がきゅっとすくむというのは、恥ずかしい失敗や後悔によってだと思う。
そして、恥ずかしい失敗や後悔のない人間などいない。
だが、首がきゅっとすくむ程度なら良いが、これが深刻な後悔・・・悔恨になると問題だ。
宮本武蔵は、「吾、ことにおいて後悔せず」と、「俺には後悔なんてない」みたいなことを言っているが、本当にそうなら大したものだ。
「いや、武蔵は単に超鈍感なんじゃないか?」と思うかもしれないが、きっと武蔵は、後悔自体は沢山あるが、それを克服したのだ。
そして、我々も、後悔を克服すれば、せき止められていたエネルギーが解放され、能力は打ち上げ花火のごとく向上する。
そうなれば、我々も宮本武蔵になれるのだ。

ところで、首がきゅっとすくむ程度の後悔も克服すれば、それなりのエネルギーが解放され、強くなる。
「いや、恥ずかしいと思って後悔し続けている方が可愛いんじゃないの?」
と思う人もいるかもしれないが、それは違う。
人間は進歩向上すれば、過去の失敗は悔やまないものである。
そして、後悔を解消すれば、本来の力を取り戻せるのである。

あなただって、「あのこと」を、もう後悔したくはあるまい。
そして、それは出来る。
宮本武蔵になりたまえ。
宮本武蔵は本物の剣士ではなかったという説もある。
それは本当かもしれないと思う。
しかし、だからこそ凄いのだ。
まともに剣の修行をした訳でもなく、我流であったにかかわらず、本格派の剣士と喧嘩して勝てたのは、やはり、心が強かったからだし、それは、後悔を解消してエネルギーを高めていたからだ。

やり方はこうだ。
武蔵は、実際は後悔はあったが、一切言い訳をせず、後悔に伴う苦痛の感情に耐え続けたのだ。
後悔だけでなく、怒り、恨み、屈辱などの負の感情は、胸の痛みとして現れる。
武蔵は、その胸の痛みに黙って耐えた。
この「黙って耐える」ことが肝心だ。
口だけでなく、心も沈黙して耐える・・・つまり、一切考えないのだ。
頭を一切働かせず・・・つまり、頭の中で一切のおしゃべりをせず、胸の痛みを痛むままにしておけば、それはやがて消える。
胸の痛みというものは、脳を経由してエネルギー補給しないと燃え尽きてしまうからだ。
痛みを大きくするエネルギーは、実は大きなもので、そのエネルギーをそんな無駄なことに使わず、自分のものにしなければならない。

後悔の思い出、屈辱の思い出、辛い思い出など、胸が痛む記憶1つ1つに対してそれ(黙って耐える)をやれば、エネルギーは自分のところに入り続け、無限に大きくなり、やがてあなたは無敵になる。
さらに超人に進歩したければ、辛い思い出だけでなく、快楽、歓喜、有頂天などの感情に対しても行うことだ。それらも、正体は後悔と変わらない。だが、それがなかなか分からない。だから超人は滅多にいない。
だが、人間としては、後悔を克服すれば合格なのである。













当ブログ著者、KayのAI書。
AIに関する誤解は目を覆うほどです。
専門家は難しいことを言い、それで大誤解したインフルエンサーが的外れなことを言い、人々のAIに関する認識はひどいものになっています。
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宮本武蔵は常に木刀に触れていた

育ちの良さを極端に表現する言葉に「箸より重いものを持たない」というものがある。
出典は歌舞伎らしく、なかなか由緒ある言葉のようだ。
もちろんこれは、普通の人がやらなければならない、煩わしいこと、しんどいこと、格好悪いことの多くをしなくて良い・・・お手伝いさんなどがやってくれるということだし、通学もお抱えの運転手が送ってくれるといった、庶民とは違った境遇を大袈裟に言ったものである。

ただ、そんな時に注意しなければならないのは、普通の人がしなくてはならないことを免除される代わりに、普通の人がしない特別なことをするのが本当の貴人であるということだ。
お金持ちであっても、成り上がりの者というのは、そんなことが分からず、自分の子供に、他の子供がやっていることをやらせないのに、特別なこともやらせないのである。
結果、自分の子供は、どうしようもない駄目な人間になってしまう。

ところが、今の普通の人は、かつての王侯貴族より豊かなのである。
誰もがしなければならないことはわずかになり、それも短時間で終えることが出来る。
そして、誰もしない、自分だけがやることを自由に選べるが、その選択範囲は昔の大金持ちよりはるかに大きい。
それなのに、他の人達と同じことをするのは愚かである。
いまだ社会を支配するのは、平民が長時間かけて同じことをしていた時代の価値観であり、皆に同じことをさせようと強制する力があり、人々の方も、皆と同じことをしたがる。
新型コロナウイルスは、もう、群れて皆と同じことをするのを止め、引きこもっているように見えても、自分独自のことをやりなさいという天からのメッセージかもしれないし、そう受け取るべきだと思う。

しかし、多くの人は、自分独自のことをどうやるか分からない。昔のスポ根もののように、過激な鍛錬なんか3日と持たない。
ピアニストやヴァイオリニストになるには、誰よりも厳しい練習をしなければならないと思い、過剰な練習をした結果、手が駄目になってしまうということが本当にある。
1万時間の法則というものがあり、トップクラスになろうと思ったら、1万時間の訓練が必要であるが、それは、ずっと「ぜいぜいはあはあ」と悶え苦しむ1万時間ではない。
メジャーリーグの最後の4割打者テッド・ウィリアムズは少年時代から、起きている時間の全てでバッティングの練習をやりたがるほどだったが、ずっと全力でバットを振っていたのではない。時にはぼーっとバットを構えていたこともあったはずだ。
サッカー王国イタリアでは、サッカー選手志望の少年達に、常に難しい練習をしろと教えるのではなく、単に、常にボールに触れることを薦めるだけだ。
そして、大選手ほど、日常が練習になっているものである。

一流のガンマンは常に銃を手元に置き、一流の狩猟者は懐にいつもお気に入りのナイフを忍ばせていた。
護身の意味もあったが、宮本武蔵は1日24時間、木刀に触れていたという。
一流のプログラマーは常にノートパソコンを持ち歩くか、そうでなくても、いつでもアルゴリズムを書き込めるノートとペンを持っていたり、あるいは、頭の中でいつもプログラムのことを考えているのである。
仙人の口元はいつも呪文があり、法然は何をしていても念仏を唱えていた。
注意したいことは、宮本武蔵は、常に木刀を振り回していたのではなく、ただ、常に触れていたのである。
あなたも、あなただけがやる特別なことに、ただ触れる程度で良いが、常に触れていなければ大したものにはなれないのである。








遠山の目付

世間で言う「思考停止」とは、正しくは、「与えられた決まりきった思考パターンの上をぐるぐる回っている」という意味である。
「思考停止」と区別するために、「思考静止」と言うが、「思考静止」は、無限の英知との間の障壁を消し去った状態だ。

(一般の)「思考停止」では、頭の中のお喋りが盛んだが、「思考静止」状態では、頭の中のお喋りは消えている。
「思考停止」の状態では、目が据わっているが、「思考静止」の状態においては、視線が定まっておらず、周辺視野を見ていることが多い。この視野の問題が非常に重要な、今回のテーマだ。
宮本武蔵は、戦いの時、まっすぐ前を見ていなかったと言われるが、剣道にも「遠山の目付」と言って、遠くの山を見るようなぼんやりとした目付きが良いとされる。
実際、武蔵の『五輪書』にも、広い範囲を見ることが重要とあり、これは、大勢との戦いで必要であったと言うよりも、目で見て反応しているようでは、鋭さがないという意味だ。
科学的にも、人間の、視認してからの反応速度は速くないことが分かっていて、ボクシングにおいても、見てパンチを交わそうとしてはうまくいかず、勘で交わすのだそうだ。

速読においても、1字1字を見ていては速く読めず、ページ全体を一目で見るようでなくてはならない。
そして、速読の能力は、科学的には不明なところも多いのだ。

以上で根拠は十分であると思うが、視野を広くして見る大切さは、決して忘れてはならないことである。
本当に頭が良いことや、心が雄大であることを「視野が広い」と言うのは、本当の視野とも大いに関係しているのである。

一点を見つめず、広い範囲を見ていると、ぼーっとしているように見える。
そして、これこそ、正しく「ぼーっとすること」なのである。
広い範囲を見れば、思考は静止する。
すると、意識は無限の英知とつながり、必要な知恵が来るだけでなく、その状態では、全宇宙の量子と情報交換し、好ましい出来事も起こりやすい・・・つまり、運が良くなるし、必要なら奇跡も起こることだろう。








ぼーっとしなさい

どんな目付きの人が好きか?
あるいは、どんな目付きの人が「出来る」だろうか?
それは、「ぼーっとした」あるいは「ぼんやりとした」あるいは「魂の抜けたような」目線ではあるまいか?
それは、学校で先生に一番嫌われる目線だ。
しかし、そんな目線が最強で、無敵で、運が良いのである。

『荘子』に、「視線を自然に保つ」という教えがあるが、「直視する」「見つめる」視線というのは実は不自然で、ぼーっとした・・・少なくとも、静かで柔らかい視線が自然であると思う。
『バガヴァッド・ギーター』では、「五感を内に向けよ」「額に意識を集めよ」「鼻先を見よ」などという記述があるが、いずれも、外物を直視することを避けている。
宮本武蔵が、戦いにおいて、敵を直視せず、どこを見ているか分からない視線をしていたことは、よく知られていると思う。彼の有名な肖像画からも見て取れる。
物理学者で武術家の保江邦夫さんが著書に書かれているが、道場破りに来たフルコンタクト空手(本当に殴る蹴るで敵を倒す空手)家と決闘した時、右目と左目をそれぞれ違う方を見るという、ふざけた目付きで相対したら楽々相手を投げ飛ばしたが、その後、ちゃんと見て戦ったらボコボコにされたらしい。
その保江さん、小学生の時から教室では、どこにも焦点の合わない「魚が死んだような」目をしていて、先生に度々怒られていたと言う。しかし、指名されたら、必ず正解を答えた。とはいえ、勉強していた訳でもないようだ。
速読なんてのも、出来る人は、文字をしっかり見ず、ぼーっとした目でページを見るのだ。
コンピュータープログラムだって、プログラムをぼーっと見ていたら、おかしいところが分かってしまう。
良い先生は、子供達の顔をぼーっと見たら、「あ、この子、何かおかしい」と、話なんかしなくてもすぐに分かるのである。

コツはこうだ。
「宇宙全体を見る」目をするのだ。長門有希のようにね。
あるいは、『どろろ』に登場する、目が見えない百鬼丸や琵琶法師のように、心の目で見るのである。
『まちカドまぞく』という、最近よくある「女の子しか出ない」漫画・アニメがあるが、あれに登場する、主人公、しゃみ子こと吉田優子の敵の魔法少女、千代田桃の、普段ぼーっとした視線に憧れる。なるほど、彼女は非常に強い。

本格的なぼーっとした目つきについては、上にも上げた保江邦夫さんの著書『神と人をつなぐ宇宙の大法則』に、しっかりと書かれている。
保江さんは、子供の時から、おそろしく運が良く、勉強しないのに一流の学校に次々合格し、博士号まで取ってしまった。ジュネーブ大学で働くのに博士号が必要だったので、指導教官がちゃちゃっと取らせてくれたとか・・・。
日本に帰ってきて職がなかった時も、とんでもない成り行きで女子大の教授になったが、偉人であるその女子大の学長が「アンタ何者?」と言うほどだったという。
その保江さんが、ぼーっとした(目をした)ら運が良くなると請け負ってくれている。









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