ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

宮本武蔵

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

達人になる

私は達人というものが大好きだ。
どうすれば達人になれるか?
「一万時間の法則」により、1万時間をかければプロになれる。
達人はもっと上なので、10万時間くらいかければ良いのかもしれない。
10万時間かどうかはともかく、必要な時間をかければ良いのだという確信はある。
精神が大事という考え方もあろうが、科学的にも、時間とは精神的なものらしく、時間をかけることが精神を高めることなのであると思う。

一流のピアニストやヴァイオリニスト等になるには、1日5時間以上練習しなければならないとも聞くが、10時間以上の練習を長年続けた人もいるらしい。
ところが、楽器の練習のし過ぎで手を壊したという人も、少なからずいるようだ。
よくは分からないが、楽器に限らないが、執念めいた訓練は度を過ぎるといけないのではないかと思う。

ピアノやヴァイオリンは、ピラミッドの底辺が広い、つまり、演奏者の人口が多いので、頂点に近付くには、非常に沢山の人達より多く練習しなくてはならない。
それなら、(演奏人口の少ない)珍しい楽器の方が楽に頂点に行けそうだが、そういう訳でもないところがあるのだろうと思う。
中国のボーカロイド(中国ではヴァーチャルシンガーという言い方が普通のようだ)、洛天依(ルォ・テンイ)さんの動画を見ていたら、琵琶や京胡(ピンイン)といったアジア、中国の楽器の名演奏者が登場するが、その貫禄はただ者ではないと思う。
京胡と言えば、私は、中国の天才音楽家、呉汝俊(ウー・ルーチン)が名手だと記憶しているが 彼の若い時の凄い練習振りについて何かで読んだ覚えがある。
そのような達人になるのが、人間として理想であるように思うのである。

あくまで伝承であるが、柳生新陰流の創始者で達人の柳生宗矩(やぎゅうむねのり)が、子供の時の徳川家光に、1本の杭を木刀で毎日打ち続けることを指示したが、家光は気が乗らなかった。
そこで、宗矩は「常に同じところを叩くことはこの宗矩にも出来ません。しかし、それに近付けば鉄の兜も切れます」と言い、家光が「では、やって見せよ」と言うので、宗矩は実際に鉄の兜を切って見せ、家光は真面目にやるようになった。
本宮ひろ志さんの漫画『武蔵』では、修行時代の武蔵が、やはり、1本の杭を木刀で打つことを1年繰り返し、その後、敵と戦うと、敵の動きが見えるようになったという話があるが、創作だとはいえ、何やら核心を突く話と思う。
野球のバッターも、優れたバッターは誰よりも素振りをしたバッターだと思う。
我々も、自分が選んだことで、誰にも出来ない時間、回数の素振りをすれば素晴らしいことと思う。

般若心経を10万回唱えた人がただ者であるはずがないが、工学博士で発明家であった橋本健の著書に登場する、それをやった人は明らかに神通力(超能力)を得ていたようである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、『大祓祝詞』をやはり10万回以上は唱えたと思うが、彼が、イエス・キリストに匹敵するほどの奇跡を起こした話が多く伝わっている。
山蔭神道の当主だった山蔭基央は、「アジマリカン」の呪文の威力は 『大祓祝詞』以上と言い、やはり、10万回唱えれば、自ずと神通力を得るとされるということを著書に書かれている。
法然は、1日6万回、念仏を唱えることを長年続けることで、勢至菩薩そのものになっていたように思う(法然は勢至菩薩の生まれ変わりと言われていた)。

それらのような「達人」の姿に、ロマンというか、狂気にも似た感慨を、そぞろ身に染む気がする。
※そぞろ身にしむ・・・『ローレライ』の日本語の歌詞にある言葉。何ということもなく、痛切に感じるといった意味。








『葉隠』『五輪書』のすすめ

カースト制度というものを学校で習ったことがあるかもしれないが、現在のインドにもカースト制度はちゃんとある。
ただし、カーストを理由に差別してはならないという法律が1950年に出来たらしいが、そんな法律はおそらく有名無実だろう。
カースト制度のない日本にだって、職業差別はあるし、なくなる見込みもないのだから。

ところで、カースト制度で一番上が、バラモンだということをご存じかもしれない。
バラモンは、僧侶などの宗教的な職業・・・神職と言って良いかもしれないが、まあ、生産的な人間達ではないだろう。
2番はクシャトリアで、「王族」「戦士」であるらしいので、昔の日本の、貴族や武士を合わせたものだろう。
3番がヴァイシャで「市民」。商人が多く、製造業者も指す。
一番下がスードラ(シュードラ)で、かつては「奴隷」を意味したが、今は「大衆」「労働者」だ。
日本の士農工商では、商売人が一番下だが、カースト制度では、工(職人)が一番下だ。

インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』の主人公アルジュナの身分はクシャトリアで、アルジュナは王子であると同時に武士で、特に彼は素晴らしい戦士だった。
江戸時代の日本でも、大名ともなれば王族のようなものだと思う。
そして、クシャトリアも武士も、戦うのが仕事だ。
敵が攻めてきたら、戦って国を守るし、あるいは、他の国を侵略して国を広げ、国を豊かにするのだから、それ以外の仕事・・・つまり、「卑しい」庶民の仕事はしなくて良い訳だ。
だが、日本では、江戸時代に天下泰平(てんかたいへい)の世の中になり、戦争はなくなり、争いも多くなく、そんなに多くの武士は必要なかった。
ところが、武士は特権階級を維持し、労働をせずに、普通の庶民よりずっと多くの報酬を得ていた。
それはけしからん話で、戦争がなく、治安維持の人手も余っているのなら、武士だって労働すべきというか、大半の武士は、下の身分に下がるべきであろう。
しかし、そうはならなかった。
ところがである。
そうなると、日本の素晴らしい精神性のためか、働かずに食える武士の中には、後ろめたさを感じる者も少なくはなったのだ。
無論、そうではなく、のうのうとしたり、下の身分の者に対して威張り、いじめる者もいたはずだ。
だが、真面目で、働かずに生活が保障されることを後ろめたく感じていた武士が多かったのも事実らしい。
それなら、武士の身分を捨ててすっきりすれば良いのだし、実際にそうした者もいたかもしれないが、やはり人間は弱いものであり、「良い御身分」は捨てられない。
そこで、そんな武士達は、「せめて模範になれる立派な人間になろう」と決意したのだ。
実際のところ、「そんなことに逃げず、泥にまみれ、厳しい商売をしろ」と言いたいところだが、私だって、そんな身分なら、自主的に捨てるとは全く思えない(笑)。
そして、そんな武士の「せめてもの」務め(立派な人間になるための努力)が、意外に・・・と言ってよいかどうか分からないが、優れた精神文化になったのである。
その1つが、新渡戸稲造の『武士道』であろうが、「武士道」は、決して、その1つではなく、様々なのである。
例えば、『葉隠』なんて、実際は、新渡戸の『武士道』と全然違うし、また、宮本武蔵の『五輪書』もまた独特なものだ。
ところが、いずれにせよ、『葉隠』も『五輪書』も、そして多分、『武士道』も名著なのだ。

偏見かもしれないが、新渡戸の『武士道』は、元々、西洋人向けに英語で書いたものであり、脚色も強かったので、本当に武士が考えたことかどうかは疑問だ。そもそも、新渡戸に武士道を語る資格があるかどうかも分からない。
そして、言ってはなんだが、『葉隠』や『武士道』は、武士らしく戦いの道を説いたものなのだろうが、精神性の究極を解き明かしたものであり、実は、超実用的なのである。
その点、新渡戸の『武士道』は、精神論であり、実用的でない。
いや、『葉隠』も『五輪書』も、実用と思う人は少ないだろうが、これらこそ、誰の役にも立つ実用書で、言ってみれば、引き寄せの極意でもある。
実際、日本のみならず、世界の成功者の中には、これらの価値を見抜き、愛読する者も少なくない。
三島由紀夫の場合、『葉隠』から、無限の宇宙のエネルギーを得たのであり、あれはあれで実用的に使ったのだと思う。
そして、2つとも、丁寧に現代語訳したものは、案外に読み易い。
元々が、意外に思いやりのある著者達が、究極の真理をシンプルかつ親切に語ってくれているものだからだ。
読まないのは勿体ないと私は思う。








宮本武蔵に負けない方法

いきなりであるが、挑発とは辞書によれば、「相手を刺激して、事件や欲情などを起こすようにしむけること」であるようだ。
嫌味を言うのは、挑発が目的の場合が多いと思う。
アニメなどで、割とセコいタイプの悪役が嫌味を言って挑発してきた時、正義の味方だが若くて未熟な主人公などが顔色を変え、隣にいる、少しは落ち着いた仲間が、
「挑発に乗るな」
つまり、「落ち着け」と諫める場面がよくあると思う。
いや、アニメでなくても。我々の日常ですら、職場や学校の中に、やたら、嫌味を言って来る者がいるかもしれない。
そして、必ずしも、「挑発に乗るな」と言ってくれる仲間はいない。

たとえ「挑発に乗るな」と助言してもらっても、「分かっている。だけど我慢出来ん!」とか、「あんなこと言われて黙っている訳にはいかない」と言ってしまう、あるいは、思ってしまうことが多いと思う。
そして、もしかしたら、不幸なことに、あなたの親が、あなたにずっと嫌味を言い続ける人かもしれない。

先に結論を言っておくと、挑発に乗ったら終わりである。
どう終わりかというと、大切な生命エネルギーを奪われる。生命エネルギーとは、願いを叶える宇宙エネルギーであるが、それと切り離されてしまうのだ。
そのことが本当に分かれば、決して挑発に乗らなくなる。
あまりに損害が大きいことが分かるからだ。
「挑発に乗ってムカついたら、脚が1本なくなる」というに等しいのである。
しかし、あなたもそうかもしれないが、多くの人は、その重要なことが分かっていないのだ。

宮本武蔵が本当に剣豪であったという証拠はないと言う。
剣士ですらなかったとも言われる。
一流の剣士と立ち会った記録もない。
しかし、勇名が轟いているのは確かで、喧嘩試合のような果し合いでは、かなり勝っていると思われる。
彼の勝利の秘訣は何か?
彼が死の直前に書いた『五輪書』に、「敵をムカつかせろ」といった意味のことが書かれてるのが答だ。
佐々木小次郎との試合の詳しいことは、実は、分かっていない。
しかし、あれこそ、武蔵の必勝モデルと思う。
試合時刻に、平気・・・というか意図的に大遅刻し、相手をムカつかせれば、もう勝ったも同然である。
そして、約束の時刻を大いに遅れてやって来た武蔵は、映画でよくあるように凛々しく現れたのではなく、陽気に鼻歌でも歌いながら現れ、さらに相手をムカつかせ(ついでに嫌味の1つでも言ったと思う)、そして、楽勝した。
武蔵が戦ったのは、そんな手に乗る未熟な相手ばかりであり、心理学者も同然であった武蔵は、そんなチョロい相手ばかり選んで戦ったから、『五輪書』にあるように、「一度も不覚を取らず」だった。
もし、佐々木小次郎が、武蔵の見立てと違い、心を乱さない者であれば、武蔵は戦う前に退散したはずなのだ。
逆に言えば、小次郎が心の扱いを心得、武蔵が現れるまで気分よく時間をつぶし、武蔵が現れたら、ムカついている振りでもしたら、腕で優るなら勝っていたのだった。

嫌味を言って来る相手は無視することだ。
相手が上司などで、それが難しい場合でも、なるべく平然とし、露骨に笑うのはまずくても、静かに微笑むか、無表情でいることだ。
それは、上司に負けないためでも、状況を悪くしないための配慮でもない。
あなたが、大切な宇宙エネルギーを奪われ、世界を支配する力を失わないためである。
多くの人(人類の大半かもしれない)が、そんなつまらないことで偉大な魔法の力を失っているのだ。
そのことが分かれば、全く修行しなくても、何の努力も、忍耐も必要なく、いつも気分よくいられるのである。
そうすれば、世界を手にしたも同然なのである。








宮本武蔵が強くなった特別な方法

私は中学3年生の時、吉行淳之介の『不作法のすすめ』を読み、その中に、「紳士というのは、思い出したら首がきゅっとすくむことがあるはずだ」といったことが書かれているのを見て、非常に共感したことを憶えている。
私は、「そうか、私は中学生にして紳士なのか」と大誤解をしたのだが(笑)、そもそも、思い出して首がきゅっとすくむことがない人間などいまい。

首がきゅっとすくむというのは、恥ずかしい失敗や後悔によってだと思う。
そして、恥ずかしい失敗や後悔のない人間などいない。
だが、首がきゅっとすくむ程度なら良いが、これが深刻な後悔・・・悔恨になると問題だ。
宮本武蔵は、「吾、ことにおいて後悔せず」と、「俺には後悔なんてない」みたいなことを言っているが、本当にそうなら大したものだ。
「いや、武蔵は単に超鈍感なんじゃないか?」と思うかもしれないが、きっと武蔵は、後悔自体は沢山あるが、それを克服したのだ。
そして、我々も、後悔を克服すれば、せき止められていたエネルギーが解放され、能力は打ち上げ花火のごとく向上する。
そうなれば、我々も宮本武蔵になれるのだ。

ところで、首がきゅっとすくむ程度の後悔も克服すれば、それなりのエネルギーが解放され、強くなる。
「いや、恥ずかしいと思って後悔し続けている方が可愛いんじゃないの?」
と思う人もいるかもしれないが、それは違う。
人間は進歩向上すれば、過去の失敗は悔やまないものである。
そして、後悔を解消すれば、本来の力を取り戻せるのである。

あなただって、「あのこと」を、もう後悔したくはあるまい。
そして、それは出来る。
宮本武蔵になりたまえ。
宮本武蔵は本物の剣士ではなかったという説もある。
それは本当かもしれないと思う。
しかし、だからこそ凄いのだ。
まともに剣の修行をした訳でもなく、我流であったにかかわらず、本格派の剣士と喧嘩して勝てたのは、やはり、心が強かったからだし、それは、後悔を解消してエネルギーを高めていたからだ。

やり方はこうだ。
武蔵は、実際は後悔はあったが、一切言い訳をせず、後悔に伴う苦痛の感情に耐え続けたのだ。
後悔だけでなく、怒り、恨み、屈辱などの負の感情は、胸の痛みとして現れる。
武蔵は、その胸の痛みに黙って耐えた。
この「黙って耐える」ことが肝心だ。
口だけでなく、心も沈黙して耐える・・・つまり、一切考えないのだ。
頭を一切働かせず・・・つまり、頭の中で一切のおしゃべりをせず、胸の痛みを痛むままにしておけば、それはやがて消える。
胸の痛みというものは、脳を経由してエネルギー補給しないと燃え尽きてしまうからだ。
痛みを大きくするエネルギーは、実は大きなもので、そのエネルギーをそんな無駄なことに使わず、自分のものにしなければならない。

後悔の思い出、屈辱の思い出、辛い思い出など、胸が痛む記憶1つ1つに対してそれ(黙って耐える)をやれば、エネルギーは自分のところに入り続け、無限に大きくなり、やがてあなたは無敵になる。
さらに超人に進歩したければ、辛い思い出だけでなく、快楽、歓喜、有頂天などの感情に対しても行うことだ。それらも、正体は後悔と変わらない。だが、それがなかなか分からない。だから超人は滅多にいない。
だが、人間としては、後悔を克服すれば合格なのである。













当ブログ著者、KayのAI書。
AIに関する誤解は目を覆うほどです。
専門家は難しいことを言い、それで大誤解したインフルエンサーが的外れなことを言い、人々のAIに関する認識はひどいものになっています。
AIを知るには、自分でAIを作るしかありません。
そして、AIは、Excelが使える程度のスキルがあれば、数学もプログラミングもAI理論もなしに作れます。
その方法を、普通の概念と楽しいテーマで実践出来るように書きました。
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宮本武蔵は常に木刀に触れていた

育ちの良さを極端に表現する言葉に「箸より重いものを持たない」というものがある。
出典は歌舞伎らしく、なかなか由緒ある言葉のようだ。
もちろんこれは、普通の人がやらなければならない、煩わしいこと、しんどいこと、格好悪いことの多くをしなくて良い・・・お手伝いさんなどがやってくれるということだし、通学もお抱えの運転手が送ってくれるといった、庶民とは違った境遇を大袈裟に言ったものである。

ただ、そんな時に注意しなければならないのは、普通の人がしなくてはならないことを免除される代わりに、普通の人がしない特別なことをするのが本当の貴人であるということだ。
お金持ちであっても、成り上がりの者というのは、そんなことが分からず、自分の子供に、他の子供がやっていることをやらせないのに、特別なこともやらせないのである。
結果、自分の子供は、どうしようもない駄目な人間になってしまう。

ところが、今の普通の人は、かつての王侯貴族より豊かなのである。
誰もがしなければならないことはわずかになり、それも短時間で終えることが出来る。
そして、誰もしない、自分だけがやることを自由に選べるが、その選択範囲は昔の大金持ちよりはるかに大きい。
それなのに、他の人達と同じことをするのは愚かである。
いまだ社会を支配するのは、平民が長時間かけて同じことをしていた時代の価値観であり、皆に同じことをさせようと強制する力があり、人々の方も、皆と同じことをしたがる。
新型コロナウイルスは、もう、群れて皆と同じことをするのを止め、引きこもっているように見えても、自分独自のことをやりなさいという天からのメッセージかもしれないし、そう受け取るべきだと思う。

しかし、多くの人は、自分独自のことをどうやるか分からない。昔のスポ根もののように、過激な鍛錬なんか3日と持たない。
ピアニストやヴァイオリニストになるには、誰よりも厳しい練習をしなければならないと思い、過剰な練習をした結果、手が駄目になってしまうということが本当にある。
1万時間の法則というものがあり、トップクラスになろうと思ったら、1万時間の訓練が必要であるが、それは、ずっと「ぜいぜいはあはあ」と悶え苦しむ1万時間ではない。
メジャーリーグの最後の4割打者テッド・ウィリアムズは少年時代から、起きている時間の全てでバッティングの練習をやりたがるほどだったが、ずっと全力でバットを振っていたのではない。時にはぼーっとバットを構えていたこともあったはずだ。
サッカー王国イタリアでは、サッカー選手志望の少年達に、常に難しい練習をしろと教えるのではなく、単に、常にボールに触れることを薦めるだけだ。
そして、大選手ほど、日常が練習になっているものである。

一流のガンマンは常に銃を手元に置き、一流の狩猟者は懐にいつもお気に入りのナイフを忍ばせていた。
護身の意味もあったが、宮本武蔵は1日24時間、木刀に触れていたという。
一流のプログラマーは常にノートパソコンを持ち歩くか、そうでなくても、いつでもアルゴリズムを書き込めるノートとペンを持っていたり、あるいは、頭の中でいつもプログラムのことを考えているのである。
仙人の口元はいつも呪文があり、法然は何をしていても念仏を唱えていた。
注意したいことは、宮本武蔵は、常に木刀を振り回していたのではなく、ただ、常に触れていたのである。
あなたも、あなただけがやる特別なことに、ただ触れる程度で良いが、常に触れていなければ大したものにはなれないのである。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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