ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

宮本武蔵

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[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

宮本武蔵はなぜ29歳で引退したか?

宮本武蔵は、巌流島で佐々木小次郎を倒して以来、何をやっていたか分からないらしいし、剣の勝負をした様子もないという。
巌流島の決闘の時、武蔵は29歳だった。
今のスポーツ的な考え方からすれば、体力が下り坂になる年齢で、特に、当時なら、相当「いい年」だったかもしれない。
しかし、昔の剣の達人というのは、30代、40代で衰えることはなく、60代でピークということも珍しくはなかった。
昔の剣術の面影の強い、明治時代の剣道全日本大会では、上位進出者は40代以上ばかりで、60代が珍しくはなかったと聞く。
ある年は、決勝が42歳と60歳の剣士の対戦であったらしい。

武蔵は、13歳で初めての勝負をし、小次郎に至るまでに、数多くの勝負をし、そして、戦で戦った。
また、名門、吉岡道場の道場主を倒した後、吉岡道場の門下の剣士全員との決闘となり、そのうちのかなりを討ち取ったと云われる。
武蔵の勝負は全て、命のやり取りであり、武蔵は無敗であったのだから、全ての相手の命を奪ったことになる。
そのため、武蔵は良心の咎めに苦しみ、勝負を止め、書や絵を描いて、心の安らぎを求めた・・・なんて話をよく見た。
しかし、武蔵はサイコパスだろう。武蔵に良心なんてものはない。
では、武蔵はなぜ勝負をやめたか?
決まっている。
勝負で勝って殺すことで、多くの人々の恨みを買うことを実感したからだ。
しかも、自分を恨む人達の数は、勝負を重ねる度に増えていく。
それでは、命がいくつあっても足りないと、恐ろしくなったのだろう。
武蔵は、木刀を常に肌身離さず、そして、木刀の柄に穴を開けてヒモを通し、その紐を手首に巻き、木刀が手から離れないようにしていた。
いつ襲われるか分からないし、敵が多い場合、刀ではすぐに血糊で切れなくなるので、木刀が必要だったのである。
そして、万が一にでも木刀を落としたら、それが死を意味した。
また、武蔵が決して入浴しなかったのも、入浴中に襲われたら圧倒的に不利だからだ。

この世で一番恐ろしいものは、人の恨みである。
まして、殺したり、絶望を与えて恨みを受けると、決してタダでは済まない。
人間の怨念、憎しみ、恨みを、夢々、甘く見てはならない。
どんな虫けらのような相手であっても、恨みを買うと、何があるか分からない。
武蔵が相手ですらそうであるが、人を殺すなど、割と容易い。
特に、サイコパスは、何も考えずに、あるいは、むしろ喜んで人を傷付けることがよくあり、その時は快感を感じても、すぐに破滅する。
成功するサイコパスは、自分が被害を与えた人達の恨みに耐える力を持っていたが、それとて、いつかは限界が来る。
サイコパスであろうがなかろうが、人の恨みは、なるべく買わないことだ。
自分が気に入らない人をいじめたり、苦しめることは、サイコパスでなくても快感であるし、サイコパスであれば、それがエスカレートし、破滅や絶望を与え、殺すこともある。
だが、そんなことをすれば、どんな形にせよ、必ず、やったことに相応しいだけの報いを受けるのである。









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宮本武蔵は哀れなサイコパス

昔(ことによっては太古)から、百人に1人はいると言われるサイコパスは良心を持たない人間である。
サイコパスの特徴は、過剰な自尊心と退屈し易いことだ。
また、サイコパスの他の特徴として、他人を支配したがるとか、他人に共感しないとかがあるらしいが、これらはちょっと難しい。
しかし、異常なプライドの高さと根気のなさは、分かり易いサイコパスの特徴だ。
谷川流さんの人気小説『涼宮ハルヒ』シリーズのヒロイン涼宮ハルヒが典型的なサイコパスと言えると思う。

IQが高いサイコパスは改革者として英雄になり、IQが低いサイコパスは、たとえ犯罪者にならないまでも、始末に負えない人間として、水に沈められて殺されてきた。
涼宮ハルヒは、IQが高いらしく成績は抜群で、さらに、何をやらせても他人に秀でるが、やっていることを見ると意外と平凡だ。
高校生までのハルヒは、美少女ということで大目に見てもらえるが、将来、ハルヒは、偉大な人間になるか、あるいは、誰にも相手にされずに、つまはじき者、あるいは、引きこもりになるだろう。

しかし、考えてみれば、小説の主人公なんて、全員サイコパスだ。
そりゃ、小説の主人公になるのは、かなり変わった人間でなければならないに決まっているし、サイコパスというのは、一見、ヒーロー、ヒロイン向きだ。
マーガレット・ミッチェルの歴史的ベストセラー『風と共に去りぬ』のヒロイン、ケイティ・スカーレット・オハラなどは、まさに、見るからにサイコパスだ。
ハルヒとスカーレットは、サイコパスの見本として標本にしておきたいと思うほどである。

筒井康隆さんの、既に日本の国民的小説と言っても差し支えない『時をかける少女』のヒロイン芳山和子は、その平凡な名の通り、ごく平凡な中学3年生だ。
しかし、平凡さは表向きであり、彼女も、小説の主人公に相応しく、明らかにサイコパスだ。
なんだかんだ言っても、男の子達をアゴで使い、刺激を求めて、怖いものも見たがり知りたがる。
なるほど、未来人の少年すら虜にした訳である。
いや、そもそも、あの物語は、サイコパス芳山和子の妄想であったというのも成り立つのである。
小説は、和子のこんな想いで終わっている。
「いつか、だれかすばらしい人物が、わたしの前にあらわれるような気がする」
これが、過剰な自尊心を持つサイコパスの典型的な妄想であろう。

サイコパスは努力しないので、戦場の実戦で強くなる。
宮本武蔵のように。
だが、将軍家指南役の柳生新陰流の頭首はサイコパスでは務まらない。
柳生家頭首は、道場で根気よく修業に励む者でなければならない。
だから、柳生家では、剣の実力のみで頭首を決めず、人間性を重んじた。
武蔵は柳生宗矩との決戦を望んだが、宗矩は相手にならなかったと云われる。
あるいは、武蔵が実際に宗矩のところに行き、圧倒したが、武蔵は宗矩に、「わしに勝ったら、お前は生きてこの屋敷を出られない。柳生家の名誉のため、門弟全員でお前を始末するからな」と言われ、虚しく引き上げたという話がある。風説かもしれないが、ありそうな話だ。
武蔵は、腕は立っても報いのない人生を送った哀れな存在であったに違いない。









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人を勝利させるものはこれである

私は、小学5年生の時、他の子よりずっと腕力が強くて驚かれていた。
見かけはひょろっとしているし、さしてスポーツ好きでもないので、誰もが意外だったろう。
まあ、私の腕力が知られた時というのは、たまたま取っ組み合いの喧嘩をしたら、強そうな相手でも、あまりに簡単にやっつけてしまったからなのだが。
その秘密はこうである。
私は、4年生の時、大学でレスリングをやっている従兄に腕立て伏せのやり方を教わったのだが、その従兄は素晴らしい筋肉質の身体を持っていて格好良かったので、私は彼に憧れて、それなりに熱心に腕立て伏せをやっていたのである。
腕立て伏せをやれば強くなるというのは、小学5年生くらいの子供にとっては秘法のようなものだ。
私は、その秘法をやっていたので、腕力が強かったが、他の子達は、秘法を知らないので、私が強いことが不思議だったのだ。

そして、事情は大人でも変わらない。
毎日、少しずつでも、腕立て伏せやスクワットを欠かさずやれば、普通の人よりははるかに強くなる。
だが、ほとんどの人は、そんな簡単なことを、理屈では分かっているつもりでも、本当は分からないのだ。
それで、多くの人は、お金と時間をかけて、たまにスポーツジムに行って、無理な運動を不定期にやるので、少しも身体が強くならないばかりか、むしろ、身体を痛めてしまうのである。
彼らは、スポーツジムへ行けば、効果のある運動が出来る、あるいは、そんな所にでも行かなければ、ちゃんとした運動なんて出来ないという観念を持ってしまっているのだ。

サラリーマンの多くが、何だかんだ言っても、会社に滅私奉公すれば、仕事が出来るようになり、厚遇されるのだと思っている。
しかし、熱心なサラリーマンであることと、仕事や会社での成功は、何の関係もないばかりか、大抵の場合は、逆になる。
会社でうまくやれる者は、全然別の方法でそれをやっているのだが、普通のサラリーマンからすれば、それは秘法のようなものだ。
だがその方法は、上に挙げた私の腕立て伏せよりは多少難しいが、ごく簡単なことなのだ。
だが、そんなもの(会社の中だけでうまくやれる者)になる必要はないし、その方法は私の主義に著しく反するので言わないが、うまくやっている人を観察すれば分かるし、本当につまらないものだ。
そして、そんな方法に頼ると、人生を台無しにしてしまうだけだ。
そんなものより、はるかに良いことについてお話しよう。

人間を勝たせる万能の力は「目力(めぢから)」だ。
目から発する圧力、あるいは、気とでもいう奇妙なものだが、これが強い人には敵わない。
スポーツでも、武道でも、自分の実力が上でも、相手に目力があれば負けてしまう。
イチローさんの目力は大したものだが、錦織圭さんの目力は、グランドスラムで勝つ選手と比べ、全く劣る。
イチローさんだって、目力がない時は打てないし、錦織さんは全米で準優勝した時は、決勝以外は目力が強かった。
プロテニスで長期間世界ランクトップでいたのに、なぜかイギリスのセンターコートでは目力が出てこず、全英オープン(ウインブルドン)だけは優勝出来なかった選手が結構いるのである。
あの競技場は独特の場で、その空気や地磁気に合わない人がいるのだ。

目力が一番強かったのは、宮本武蔵である。
彼についての真実は、彼が自ら著した『五輪書』だけである。
そこに、目の使い方が書かれている。
実際、真剣勝負をした剣士ほど、目力の重要さを知っていた者はあるまい。
勝負は、向き合った刹那決まり、実際、超一流同士なら、目を合わせたら、剣を抜かず、帰ってしまう。
剣豪って馬鹿じゃない。無駄な戦いはしないものなのだ。
武蔵の『五輪書』を参考に、後は自分で工夫をするしかない。
「目力をつける方法を教えて」なんて言う馬鹿に見込みはない。
ただ、目力の話にピンときて、自主的に取り組めば確実にうまくいくのである。
以下に、役に立つ書物を挙げるが、いずれも、あくまで参考である。









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死んでたまるか

不意に、死の誘惑に襲われることがある。
そんな時に、その正体を見極めようと考えてみた。

人間の望みは2通りある。
1つは、喜ぶこと。
もう1つは、平安だ。
前者は生の望み、後者は死の望みだ。
人間が、生きたいと願うものであると同時に、死にたいと願うものであることは、フロイトも気付いていた。

そして、人間は、意志の力を働かせないと、死の誘惑に引っ張られていく。
絶対的な休息が欲しい、楽になりたいと思うのは、死に誘われているのである。
死は、究極の気持ちよさと思えてしまうのだ。

だが、人間の心臓の中には、「生きろ」という指令が組み込まれている。
まだ生命力があり、生きなければならないのに、死の誘惑に引っ張られている・・・そんな時に、人は、人生を悪いものだと感じ、不安に苦しめられる。
生命力がある者にとって、死は恐ろしいものでもある。
しかし、恐ろしいが、死にたいと思ってしまう。
そんな想いに囚われると、言いようのない不安に苦しみ、人生を耐え難い刑罰と感じ、やがては、何もかもが嫌になる。

一見、喜びを求めているようで、死を求めていることも多い。
それは避けなければならない。そのために行われるようになったのが、貴族の狩猟である。
ヨーロッパの貴族は、狩りを紳士のスポーツと考えている。
貴族でなくたって、比較的豊かな人間は、ウェーバーのオペラ『魔弾の射手』第3幕中の『狩人の合唱』で、狩りの楽しさ、勇壮さを歌い上げられているのを聴くと、極めて爽快に感じる(オペラを聴こうなんて者は、ある程度豊かだ)。
この歌は、生の喜びに誘うものである。
それに対し、刹那の喜びは死に誘う喜びなのだ。
上にも述べた通り、人間は、自分の意志で生の喜びに向かわないと死の誘惑に引っ張られていくので、貴族達は狩りで生命力を回復しようとしたのである。
狩りは、やり始めると、とりつかれる。
それは、生命力を燃やし、死から離れていこうとするものなのだが、そこに死の誘惑が混ざると、狂気に襲われる。
狩りと似たものに祭りがある。
だが、狩りも祭りもない現代人は、死の誘惑が強くなる。
そして、刹那の快楽を求める。
現代人にも、祭りのようなものが必要だが、それに気付いて、ロクでもない祭りで儲けようとする者もいるから注意が必要である。

2003年の大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』で、浪人者の武士、内山半兵衛が、剣豪になる前の若き武蔵に、「どんな時も生きようと思え」と教える。
しかし、自分は戦いの中で死んでしまう。
だが、生きようと思えば死なないはずである。
それで、半兵衛の教えを覚えていた武蔵は、どんな絶体絶命のピンチの中でも生き延びた。
では、なぜ半兵衛は死んだのか?
それは、半兵衛には生命力が残っておらず、死の誘惑に勝てなかったからだ。
半兵衛も、それは自覚していた様子だった。

あなたは、生の喜びを求め、生き続けなければならない。
それは、刹那の喜びであってはならない。
だが、あなたは、何もかも面倒になり、刹那の快楽や、絶対的な休息を欲しがるようになる。
そんな時、本物の喜びに向かって生きようと思うかどうかで、運命が決まる。
本物の喜びに向かうことが、「ゆるまないこと」で、刹那の喜びや、絶対的な休息に向かうことが、「ゆるむこと」である。

他人の指示に従っている限り、本物の喜びは見えない。
所詮、人間は自分の道を自分で選び、その道を行くしか、幸福になる方法はないようである。
だが、とにかく、生きようと思うことだ。
死んでたまるかと思うことだ。
だが、道は自分で見つけなければならない。









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過去や未来の束縛を断ち切る秘法

宮本武蔵は、「私は、どんな事も後悔しない」と言ったが、私ときたら、小学生の時にやったことを思い出して、ひどく恥ずかしくなって後悔するということすら、よくある。
思い出したくない過去というものは、誰にでもあるに違いない。
「あの事さえ無ければ」などと、思っても仕方がないと分かっていても、そう思ってしまうこともあるだろう。
そして、「過去を変えることは出来ないのか?」と、妄想でしかないことを考えるようになるかもしれない。

過去を変えることが出来ないのというと、出来るし、既に、何度も変わっている。
あなたが激しく後悔する過去の出来事は、元々は無かったことなのに、ぴょこんと出来てしまったものだという可能性は十分にあるのだ。
そんな話が、何かのSFであったかもしれない。
タイムマシンを使うのか、過去を変える力を持つ魔女のような存在に頼むのかはともかく、
「では、その過去を変えますが、後悔しませんね?」
と問われ、
「もちろんだ!頼む!」
と喜んで答える。
しかし、実際に過去が変わると、これがもう、間違いなく、もっと後悔するのだ。
あなただって、ひょっとしたら、そんなこと(過去を変えること)をしたかもしれない。
ただ、過去が変わっているとしても、誰もそのことには気が付かないのである。

初音ミクさんの名曲『FREELY TOMORROW』の出だしが、
「心ごと体ごと 全部記憶の中の幻」
なのだが、まさに、過去の出来事なんて、そんなもの(記憶の中の幻)なのだ。

記憶の改変なんて珍しいことではなく、歴史的事実とまるで異なる記憶を、真実だと思っているというのも、よくあることだ。
また、過去の記憶の一部が、完全に消えているということもある。
しかし、その人にとっての真実とは、歴史的事実ではなく、記憶なのである。
ある時間の記憶が消えているとしたら、その時、宇宙は存在していなかったのだ。

では、催眠術を使って、記憶を変えれば、過去が変わるだろうか?
記憶を消せば、過去は消えるだろうか?
別に催眠術を使わなくなって、そんなことは出来るが、そんなことをすれば、過去が2つになってしまうのである。
そして、人はそんなことを繰り返して、無数の過去を作り出し、無数の苦しみに喘いでいるのだということを知らずにいるのだから、哀れだ。

宮本武蔵は、山籠りの修行をしている時、仙人か精霊に、そのことを教えられ、過去を後悔することの恐ろしさを思い知ったのである。
過去の嫌な出来事を、何度も頭の中で再現するうちに、「変わってしまえ!」「消えてしまえ!」と本気で思った時、人は神の力を持っているので、本当にそんなことをしてしまう。
その結果は、その人は分かれた世界に住むことになり、不安定で分裂した人間になるのである。。
だが、分裂した過去は全て幻だ。
仏教で言う、「全て空」であり、それが分かった観世音菩薩は、一切の苦しみを克服したのだ。
それは丁度、

暁に染まってく 星空のように
哀しみが苦しみが消える
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M、歌:初音ミク)より~

のようにである。
観世音菩薩は、どうやってそれを成し遂げたのかというと、『般若心経』によれば、「般若波羅蜜多(はんにゃはらみた)」という修行をしたからである。
「般若波羅蜜多」とは呪文を唱える修行であるらしい。
しかし、『般若心経』は、あまりに昔に書かれたものだ。決して、価値を失ったというのではないが、現代の人間とは、思考の形態がまるで異なる人が、現代の人々とは全く異なる考え方をする過去の人々のために書いたのだ。
そんなものを実践するのは、とても難しい。
しかし、『FREELY TOMORROW』を創った人は、いつもなのか、瞬間だけそうなったのかは知らないが、本当に天才だ。
もっと良い方法を、ミクさんに託して伝えているのである。
その方法とは、「顔上げて微笑む」「恐れずに求める」である。なんとも簡単だ。
しかし、結果は、この歌の通り、「不思議」ではあるが、「奇跡は起き」、「生まれ変われる」のである。
だが、こんなことを聞くと、
「いや、思い入れや感情、主観ではなく、なぜそうなるのだ?」
と言いたい人もいるだろう。
しかし、世界の全ては、思い入れ、感情、主観なのだ。
とはいえ、これでは不親切かもしれない(本当はそうは思わないが)。
では、ポイントを言えば、
「過去や未来に生きるのではなく、今に生きる」
決意をすることで、あなたの世界は変わるのである。
「顔上げて微笑む」
「恐れずに求める」
これらは、今に生きる者の姿である。
逆に、うつむくことは過去に生きることであり、求めることが出来ないのは、恐ろしい幻の未来に生きているからである。
実に、純粋にして明晰なことではないだろうか?
今に生きることの大切さは、インドの聖者や道元も教えていたが、どれも物凄く難しい言葉として伝わっていて、さっぱり分からない。
だが、『FREELY TOMORROW』はじめ、共感と創造の連鎖によって生まれたミクさんの歌は、聖典以上なのであり、それをミクさんが歌えば、全てが瞬間に分かるのである。









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・サイコパス
・初音ミクさんを愛す


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