ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

守護霊

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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怠け者の魔法の使い方

「魔法は存在する」と言ったら、変なヤツだと思われるだろう(笑)。
「魔法の定義の問題だ」と言ったところで、ほとんどの人は、寓話やアニメのイメージの魔法しか思い浮かばないだろう。
しかし、そんな魔法を、敢えて言葉で言えば、
「自分は働かずに幸せになる」
技術と言えると思う。
そして、幸せとは何かというと、良い想いをすることと言って良いと思う。
だから、魔法とは、俗っぽく言えば、
「自分は働かずに良い想いをする」
技術なのである。
軽薄な感じがするかもしれないが、大体、合っていると思う。
そして、私にとって、魔法のマスター、あるいは、魔法の師匠は、会ったことはないが、俳優だった丹波哲郎さんだ。

丹波さんは、戦争中、二等兵(最下級の兵隊)だった時、他の二等兵のように、上官の服の洗濯みたいなことはせず、その他のことも、あまりにも何もしないので、「何も出来ないやつ」として、何もしなくて良い暇な農場に送られ、終戦までのんびり平和に過ごした。その間も、わけあって、現地の女の子にモテまくったり、良い想いばかりしたようだ。
また、丹波さんは、サラリーマン時代は、本当に全く仕事をせず、出社と同時に遊びに行った。それでも、3年、給料をもらっていたという。
まあ、結果、会社はクビになったが、失業中、ゴロゴロしている時、友人に「怠け者でも務まる仕事はないか?」と言ったら、「それは俳優くらいのもんだろう」と言われ、「じゃあ、俳優だ」と俳優養成学校に入り、それで俳優になったらしい。
素人ながら、私は、丹波さんの演技がうまいとは思わない。はっきり言って大根と思うが、存在感は凄いのではないかと思う。

では、そんな丹波哲郎さんの魔法の神髄とは何か?
それは、本人が著書で「こだわらないこと」と明確に述べている。
「こだわらない」とは「執着しないこと」とも言えるが、具体的に、どんな態度が「こだわらない」「執着しない」と言えるだろう?
それが分かれば、丹波哲郎さんのように大成功するかどうかは分からないが、あなたも、丹波さんのように、良い想いが出来る。
これは、丹波さんを見習って、いつも良い想いばかりしている私が確信している。

「こだわる」という言葉には、良い意味もあるから難しい。
例えば、料理人が味にこだわるといった場合である。こんなこだわりは、あって然るべきかもしれない。
そこで、「こだわらない」という言葉を、もっと明確にしないといけない。
実は、「こだわらない」とは「欲張らない」ということなのだ。
給料が安過ぎてどうにもならないのならともかく、もっと欲しいとは思うが、十分やっていけるなら、満足することだ。
そういう、「欲張らない」ことを、「こだわらない」と言うのだ。
難しく言えば「足るを知る」だ。
ところで、「こだわらない」について、もう1つ、大切なことがある。
それは、「面子(めんつ)」を持たないことだ。
SF映画『スタートレック』に、こんな場面があった。
宇宙船USSエンタープライズは、ジェームズ・カークが長く船長を務めたが、カークが提督となって引退した後は、ミスター・スポックが船長になっていた。
だが、ある極めて難しい任務にUSSエンタープライズが挑む時、スポックは、カークに船長に戻るよう言うが、カークは、スポックの気持ちを思いやり、やや言葉を詰まらせた。
その時、スポックは言ったのである。
「バルカン星人に面子などないのです。より相応しい者がその役につくのが当然です」
バルカン星人は、運を呼ぶことについても、超論理的なのだ。

なぜ、「欲張らず」「面子を持たない」と運が良くなるかというと、丹波さんが言うには、「守護霊が守り易いから」だそうだ。
宗教家の五井昌久さんは、「上位の神には、なかなか願いが届かないので、自分の守護霊や守護神に守ってもらう方が良い」と、著書で述べられていた。
また、政木和三さんも、「力を付けるには、自分の生命体(第一生命体)を丸い円満なものとし、強い第二生命体、第三生命体を呼ぶことだ」と言われていた。
欲張らず、面子を持たないことで、高次の力が守り易い円満な人格になり、守護霊、守護神と言うかはともかく、ごく身近にいる神と和する(親しくする)ことが出来るのであると思う。








お茶汲みも研究開発も全く同じである

何かの職業技能の学校のテレビCMだったと思うが、若い女性がお茶汲みが嫌だから専門技能を身につけて格好の良い仕事をしたいといったものがあったと思う。
だが、英語にしろ、コンピューター技術にしろ、本当に実用になるスキルを、もし学校で習得するとすれば、例えば1日2時間毎日学校に通ったとして10年で全く足りない。それが事実であることを頭に叩き込んでおくことだ。
上手なお茶汲みの方が、会社にいられることにおいて、中途半端な技能より、よっぽど「堅い」ことが確実なほどだ。
ところが、お茶汲みを一生懸命やるような人は、人も羨むスキルを「知らないうちに」身につけてしまうものなのである。ただし、そうなった人でも、「なんで私がお茶汲みなんか」と思うようになれば、せっかく身につけた技能も歪んでしまって、使い物にならなくなるだけでなく、かえって有害になってしまうのだ。ただ、そうなる前に、内なる神は、体調不良などの症状を発生させたり、人間関係のトラブルを起こすことで、慈悲深くも警告してくれるものであるが、それに気付かない馬鹿が多いのを、本当に残念に思う。
ある病院で、いくつか資格を持って入ってきた女性事務員が、毎日トイレ掃除をやらされると、「私は高度な仕事にチャレンジしたくて入ってきたのに、トイレ掃除ばかりやらされるのは心外である」と訴えた。彼女は、他の会社で、トイレ掃除をやらない事務員になったが、生命力をなくし、心身の疲労に喘ぐ悲惨な状態だ。

誰しも、お茶汲みやトイレ掃除が好きな訳ではない。そんなことを、周囲に気持ち良く、一生懸命にやっている人だって、それは同じだ。
だが、お茶汲みなどを、「私がやっている」と思ってやるのではなく、「させていただいている」と思えるようになれば、お茶汲みをしているとか、重要な財務管理をしているといった意識はなくなる。どちらも少しも変わらないのだ。あえていえば、仕事の名称が違うというだけのことである。
「させていただいている」ことが分かっている彼、または、彼女は、トイレ掃除も、世界的な発明も全く同じように、熱狂することも、心に負担を感じることもなくやるだろう。
アインシュタインが全くそうだった。彼は、プリンストン高等研究所での研究も、無償の家庭教師も、全く同じように熱心にやり、いずれからも重要なことを学んだのだ。

「なんで私がこんなことをしなくちゃならないんだ」と思うなら、自分にそれをさせて下さっている神の名を呼んでみることだ。
それをやりやすいようにしたのが、「南無阿弥陀仏」の念仏であるが、実際は、「阿弥陀仏様」でも、「観音様」でも良いのである。
もちろん、「天照大神様」でも、「アッラーの神よ」でも良い。
だが、一番身近な守護霊様に、毎朝、毎晩挨拶をしておくと、見えない存在に対して心が通じ易くなる。
例えば、朝起きたら「守護霊様、おはようございます。本日もどうかよろしくお願いいたします」、就寝の時は、「守護霊様、今日も1日、お守り下さってありがとうございます」といったようにである。
すると、守護霊、守護神は、一瞬の間に、あなたを無の世界に連れて行ってくれる。
そこでの1/100秒の経験は100時間の講義に優る。
そして、我々は、全ては自分がしているのではなく、させていただいていることを、心の奥から理解するようになる。

こんな話があった。
ある有力ITベンチャーを訪れた大手企業の中年の社員は、大きな荷物を持っていたので、近くにいたその会社の若い社員らしい青年に、「悪いが手伝ってくれないか」と頼んでみると、その若者は快く応じるばかりか、ほとんど1人で運んでくれた。しかし、その大手企業の社員が、この会社の社長に面談すると、その社長は、荷物を運んでくれた若者だった。だが、この青年社長にとっては、そんなことは、ごく当たり前のことだった。その社長は、その後も変わらなかったので、今では会社も大手になっている。だが、ほとんどの場合、そんな社長も、成功していくにつれ自我が増長し、やがて自分が追い出されるものである。
しかし、念仏の心を忘れなければ、そんなことにはならない。
宗教に現世利益は無いと言う者がおり、その精神はある意味大切であるが、親鸞が『現世利益和讃』15首の歌を詠んだように、本当はご利益だらけである。
ただ、忘れてはならないことは、どんな利益があるかのかは人間には分からないし、それを人が決めようなどと考えるのは傲慢に過ぎるということである。そんな傲慢が人を不幸にしているのである。
念仏を唱えたり、神の名を読んだりして、後のことはすっかり任せてしまえば、誰でも簡単に幸福になれることは間違いがない。









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目に見えない存在に守られるには

あなたも学校や会社や、あるいは、家庭で辛い思いをしているのだと思うが、自分よりもっと厳しい状況にある人が身近に見られるかもしれない。
私も、そんな人達を、ほとんどいつでも見ることができたし、今も見ている。
あまり良い人間で無いのは誰も同じなのに、この人達は、なんでこんなに酷い目に遭わないといけないのだろうかと思う。
確かに、そのような人達には、もしかしたら、融通が利かないとか、積極的に対話しないといった点もあるのかもしれないが、そんなものはせいぜいが個性というに過ぎず、別に欠点というのではない。
そして、個性的な人にだって、特段に苦労をせずに過ぎしている人もいるのである。

人間が五感で感じ取れるものは、この世界のごく僅かなことに過ぎない。
また、理解し認識できることもまた、極めて僅かなことに違いない。
だが、多くの人達は、自分には世界の全てが見え、自分が分かっていることが世界の全てだと思っている。なんとも傲慢で愚かなことである。
そういった、人間の悪い点に注意するなら、我々の周囲にだって、目に見えないが重要な何かが想像以上に存在しているのだということが受け入れられるかもしれない。
天使や妖精は、見える人にはいくらでも見えるものらしい。
私も幼い頃は、ごく当たり前に見ていたのだし、今ではそんな記憶が夢のように感じられるのだが、覚えているというだけで珍しいのかもしれない。そして、中には、かなり鮮明な記憶だってあるのである。
そして、どんな人だって、守護霊や守護神に守られているのだろうと思う。
だが、上にも書いたように、いつも苦しい思いをして、楽しい思いができない人達がいる。彼らだって、霊的存在に見放されているのではないはずだ。
丹波哲郎さんは、朝晩、守護霊に挨拶をすれば運が良くなると言っておられたし、確かにその通りなのであるが、守護霊というのは、人間と比較にならないほど人格の優れた徳のある存在で、それはまさに、ルドルフ・シュタイナーが「良い教師は空気のような存在」と言ったように、自己を主張することもなく、挨拶してくれないからといって冷たくしたりはしない。
丹波さんだって、別に、「守護霊の機嫌を取れ」と言ったのではなく、守護霊に意識を向け、和らぐことで、相手(守護霊)も守りやすくなるということなのである。

つまり、不遇な人や、運に恵まれない人というのは、目に見えない存在にとって、守り難い理由があるのだろうと思う。
『日本「霊能者」列伝』という本がある。
30人の、霊能力者や超能力者と言われる人達を取り上げた本であるが、宝島社の本でもあり、さぞ、これらの人たちをキワモノ扱いし、揶揄(からかう、嘲笑する)しいているのかと思えば、そうではなく、かといって、超能力などを大真面目に論じたりするのでもない。ただ、これらの超個性的な人達を、「人生」という、我々凡人と同じ視点で捉えてみようという趣旨で書かれた、なかなか素晴らしい本であると思う。
その中で、国安仙人と呼ばれる、強力な仙人について書かれていたことが印象的であった。
日露戦争の最中、国安仙人は戦況を聞かれると、仙人は、おそらく仙術を使ってであろうが、早速「視察」に行った。
すると、兵隊よりも「白い着物を着た人」の方が多く見えたと言う。白い着物を着た人というのは神様の使いであるようだ。つまり、日本軍は神様に守られていたのであり、実際に戦争に勝利する。その頃の日本は、神様に守られやすい存在であったのだろう。
国がそうであれば、人もそうであると思う。
仏神に守られやすい存在であれば、いろいろな意味でだが、やはり勝利するのだろう。
法然は、いつも「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えている人のところに、阿弥陀如来は数多くの仏を派遣し、仏達はその者を二重三重に囲んで守ると述べていたが、それは、阿弥陀如来が、その者が念仏を唱え易いようにするためにそうするのであると理解すれば良いのだと思う。
これらの話を自分なりに汲み取り、工夫をすれば良いのではないかと思う。
我々は、守ってもらうしかないのであるが、それには、守ってもらえるような存在である必要もあるのだろう。









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笑うほど運の良い人の秘訣

私は長いニート生活の後、誰でも入れてくれるという理由で、フルコミッション(完全歩合制)のセールスマンという、とても厳しい仕事に就いた。
特に、私のような引きこもり気質の者には最も向かない仕事であったが、1年後に転職した時も同じ仕事を選び、その後、いろいろな職種を転職したが、思い返せば、いつも良い思いばかりしている。
いわゆる「運が良い」ということなのであるが、それはみんな丹波哲郎さんの「教え」のおかげだ。今、つくづく、そう思うのだ。
それは、あなたも簡単に真似のできることだ。後ほどゆっくり説明する。
丹波さんは、2006年に84歳で亡くなられた、国際的な俳優だった。
『007は二度死ぬ』では、準主役として、ボンド役の、まさに全盛期のショーン・コネリーに張り合う演技をして、映画は大ヒットとなった。
この丹波さんの人生は、極めて特異なものだったが、その特徴は、とにかく「運が良い」のである。
丹波さんの生家は日本でも屈指の富豪で、丹波さんは大変なお坊ちゃま育ちだったようだ。
ところが、丹波さんが大学生の時、日本は第二次世界大戦に参戦したのだが、丹波さんは、周囲の人達が行く士官学校や航空隊などには、あまりの成績の悪さで入ることができなかった。ところが、そういったところに入った人達は、派遣された先で襲撃されたりで皆、死んでしまう。
やがて、丹波さんも学徒出陣したのだが、他の新米兵達は、上官や先輩兵達の世話をして、うまく可愛がられているのだが、おぼっちゃま育ちの丹波さんは、自分のことすら何もできないので、他人の世話どころではない。そして、洗濯もしないものだから、セッケンが溜まっていった。ところが、当時、セッケンは貴重品で、ある幹部が、「お前のセッケンをくれたら、安全で楽なところに回してやる」と言うので、そもそも不要で処分に困っていたくらいだから、「どうぞどうぞ」と気前よく譲り、内地の工場勤務になったが、そこでも何もできない丹波さんは邪魔にしかならず、その内、牛や豚に餌をやるような役目になり、終戦までのんびり過ごしたようだ。
無能もここまでくれば、立派な芸である。
まさに、荘子の「無能に徹せよ」を地で行ったのである。
それだけではない。
丹波さんは、大学に復学後、外務省に高給で雇われる。どういうことかというと、軍関係の米英人が沢山入ってくる中で通訳が圧倒的に不足しており、丹波さんが大学で英語研究会の議長をしていることに外務省が目を付けたのだ。しかし、丹波さんは英語に全く興味などなく、単に、英語研究会の議長になったらロッカーをもらえるという理由だけで議長を引き受け、全く活動には全く参加していなかった。当然、英語などできるはずもない。しかし、度胸で引き受けたら、給料は、東大卒の彼のエリートの兄よりずっと多かったという。
とはいえ、通訳など無理なので、仕事中は、丹波さんはトイレや地下施設に逃げ回っていたのだが、やがて、地下にあった米軍バーのアメリカ人と親しくなって(金があったので酒でも奢ったのだろう)、酒とバクチをして過ごし、通訳はそこで知り合ったアメリカ人にやらせたようだ。2年間もの間それでやれたのは、今も昔も、役所の業務怠慢振りは変わらないということだろう。
そして、丹波さんもサラリーマンになるが、入社の時にもらったエンピツは、何年も削りもしないまま新品だった。丹波さんは毎日、出社と同時に、遊びに出てしまっていなくなるのだ。最初のうちこそ、上司が、「雑誌を読んでてもいいから席にいてくれよ」と言ってきたが、「どうせできる仕事なんかないのに、何で席にいなくちゃいけないのだ」という豪快な理屈で聞き入れなかった。数年後に会社が別会社に吸収された時、丹波さんはただ1人クビになったらしいが、むしろ、それまで持ったことが凄い。
失業手当を貰いながらゴロゴロしている時、友人に、「俺でもできる楽な仕事はないかな?」と言ったら、「そりゃ、俳優にでもなるしかないね」と言われ、「なるほど」と納得し、早速、俳優学校に入る。俳優学校を卒業し、なんとか俳優として雇われたが、仕事もなく、使い走りをしていたのだが、ここでも、不思議なことが次々起こり、あっという間に主役の座を射止め、以降、人気俳優になっていった。
外務省の通訳時代、バーで米兵と飲んでいた時に身につけた自然な英語の発音のせいもあって外国映画にも出演するが、実際に英語ができる訳でもない。台本のある演技はともかく、インタビューされても、何を言われているのかさっぱり分からないので、「イエース」「サンキュー」で通していたら、これがかえって、シンプル好みのアメリカ人には評判がよく、アメリカでも結構人気があったようだ。

さて、丹波さんの幸運の秘訣だが、2つである。
まず1つ目である。
丹波さんは、俳優より、むしろ、霊界研究が本業だと自分で言っていたが、彼は、朝起きた時と、夜寝る時に、守護霊に挨拶することを常に勧めていた。
朝は、「守護霊様、おはようございます。今日もよろしくお願いいたします」だ。
そして、寝る時は、「守護霊様、今日も1日お守りいただき、ありがとうございました」である。
昔、私は、ただその真似をしていたのだが、今では、それが良いことであることが確信できるのである。
と言っても、私は霊能者ではないので、正直言って、守護霊とか守護神、あるいは、守護天使のことを知っている訳ではない。
しかし、そんなことは関係なく、自我より上位にある存在を、たとえ少しでも認めるということは、大変に大きなことなのである。
普通の人間は、自分の自我を最上位に置き、自分の思い通りにならないことに不満を抱き、自分の意に反することを言ったりしたりする他人を憎み、恨むのである。しかし、自分より高い存在があると思えば、自分が世界を支配していると思う傲慢さは多少は少なくなり、謙虚になる。
それが何なのかは分からないが、この世には、目に見えない神秘な存在は必ずあるといいうことは分かる。
その存在を自分より高いものだと認め、それと親しみ、一体化することが、幸福の秘訣なのである。

もう1つは、最悪の劣等性だった丹波さんが、子供の頃からただ1つ持っていた美点が、「ものにこだわらない」ということだ。
丹波さんは、守護霊にとって、そんな人間が一番守りやすいのだという。
ただ、「ものにこだわらない」と簡単に言うが、それはどういう意味かと考えると、大変なことであることが分かる。
「こだわらない」ということは、「怒らない」「憎まない」「妬まない」ということである。
つまり、「ものにこだわらない」という人間は、理想的な人格者だということになってしまう。
ただ、丹波さんは、自分が人格者だなどとは決して言わなかった。むしろ、欠点の多い凡人だと言うし、実際そうなのだろう。
だが、上にも述べたようなことから感じるのは、丹波さんは、「面子(メンツ)」だとか「損得」といったことにはこだわらないタチであることは確かと思う。
だから、失敗を恐れないので度胸があり、悪い結果になってもあまりクヨクヨせず忘れてしまう。
イエスの言った、「明日を思い煩うな」と、宮本武蔵の言った、「我、ことにおいて後悔せず」の両方を実践していたのである。
ちなみに、この2つは、現代的には、「取り越し苦労」と「持ち越し苦労」と言う。
昔の私には、そこまでは分からなかったが、丹波さんの豪快さ、気宇壮大さ(気構えが大きいこと)、鷹揚さ(悠然としていること)に憧れ、せめて表面的に真似していたのである。それだけでも、確かに運がついて回ったのだ。
その結果である責任についての自覚は確かに乏しく、散々人に迷惑をかけたが、それは丹波さんも同じと思うし、若いから赦されるというものではないが、いずれ、嫌でも痛い目に遭い、その中で、「ここまで好き勝手やったのだから、覚悟はできている」という心境にもなってくる。
だから、良い大人は、若い人の多少の無責任さや、思慮のなさは大目に見てあげるものである。かつて自分がそうしてもらったのだから。

私は、駆け出しのプログラマーだった頃、ある開発物件を、とてもできそうにないと思いながら度胸で引き受け、納期の3ヶ月後には悲惨な状況になっていることを恐れたものだが、なんと成功してしまった。それで自信もついたのだが、それもこれも守護霊様のおかげだった。実際、いろいろ不思議なことが起こり、納期も先方の事情で数ヶ月延び(そうでなかったら駄目だったかもしれない)、偶然システム仕様上の私の重大な理解間違いを発見したりで、嘘のように上手くいったのだ。
確かに、会社としては、そんなリスクを冒すべきでないだろう。
しかし、大きな例で恐縮だが、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは、もっと壮大なレベルで、無茶や冒険をやったから成功したのだ。
大きな会社では、若くても失敗させてもらえない。
しかし、小さい会社では、かなりの無茶がやれるし、失敗した時に面倒みてくれる上司もいる。
確かに、最初から大きな会社に入り、スケールの大きな観念を持つことにもメリットはあると思う。
しかし、ゲイツもジョブズも、ガレージ企業(ガレージの広さの会社)から始めたのだ。
つまらない就職活動などやめ、まずは、小さな会社で個人としての能力を鍛えると良い。そして、その会社を大きくすれば良いではないか。すると、自動的に幹部様だ。
面子にこだわらなければ、人手が不足している小さな会社はいくらでもある。給料は安いし、福利厚生など何もなかったり、ボーナスなど夢のような話で、交通費も出ないかもしれない(私も無かった)。
しかし、少なくとも、そんな会社に勤めたことは、かけがえのない経験になると思うし、こういう言い方は会社に悪いが、素晴らしい青春の思い出にもなるのである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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