ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

孔子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

心の科学はアリストテレス以前の物理学のレベル

正確なことは分からないのだが、我々の知識の中で最も妥当な言い方をするなら、この世界は、超高性能なコンピューターが時々刻々作り出している仮想世界だ。
そんな世界をシミュレーテッド・リアリティーと言う。
この仮想世界は、物理学の法則が支配するようプログラミングされているが、プログラミング次第では、どんな奇跡だって起こるはずである。
長い時間をかけ、人類は、物理的な法則は、かなり解明したが、人間の精神的機能、霊的機能に関しては、あまり手付かずなのだと思う。
願いを叶える法則も、ほんの少しは分かったのかもしれなが、全く未熟である。
沢山の、願いを叶える法則の本が出ているが、物理学で言うなら、まだ、アリストテレス以前の状況なのかもしれない。
いつか、精神科学のガリレイやニュートンが現れたら、心と世界の関係はもっと解明され、人間は力を増すのかもしれないが、まだまだである。
しかし、アリストテレスの考えを基に、物質世界で、ある程度はうまくやれた人もいたのだから、我々も、人類の中で最も賢い人の「心の科学」の教えに耳を傾けるべきかもしれないが、では、誰の考えに注目すれば良いのかと考えると、これがとても難しい。
だが、理性的な人々が、最も信頼したのは、おそらく、釈迦と孔子なのだと思う。
2人とも、まるで、この世界がシミュレーテッド・リアリティーだと知ってるようなことをかなり言っているのだが、確かに、ある程度は気付いていたのだろうと思う。
釈迦に関しては、仏教経典類は、ほとんど妄想で塗り固められているが、孔子の教えはかなり正確に『論語』に書かれているのだと思う。
だが、この世界がシミュレーテッド・リアリティーであることを前提にすれば、仏教経典もかなりよく分かると思う。
仏教経典に見られる、しつこい繰り返しにも意味はあるが、おそらく、本当の意味をかなり歪めたものなので、無視した方が良いのかもしれない。
『アラビアのロレンス』のモデルのトーマス・エドワード・ロレンスが書いた『知恵の七柱』は、この世界が仮想世界だと知って読めば実に良いことが書かれているが、とにかく、状況説明が込み入っていて読解に苦労する。とはいえ、やはり貴重な本だ。

この仮想世界のことが理解出来れば、何とも楽に生きられる。
理解出来れば出来るほど自由になるし、願いを叶えることも簡単になる。
だから、この世界の幻想に我々を縛りつけようとする、心の中の意図的なノイズ・・・頭の中の迷惑な独り言を封じるために、常に呪文を唱えると良い。
仮に呪文という言い方をしているが、まあ、雨の日の自動車のワイパーみたいなものである。
現代人に唱え易い言葉を万能呪文として提示したが、自分が続け易い言葉で良い。
とりあえず、万能呪文は、
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
である。
だが、「大丈夫」「なるようになる」「なんとかなるさ」「がんばってみるか」などの言葉が合う人も多いようである。









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8時間睡眠

本当に久し振りに8時間寝た。
まあ、単に寝過ごしただけなのだが。
「初音ミクシンフォニー」で、初音ミクさんが東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で歌った、Mitchie Mさんの作品『ビバハピ』の、「クタクタ 睡眠は8時間」を思い出す。
16歳のミクさんは、やはり8時間眠った方が良い。
そして、私も時には8時間睡眠は悪くない。気分がとても良い。
普段の私の睡眠時間は4時間半で、本来、これは1年365日、全く変わらない。
夢の中で、「○○と△△は違うのよ」と、何度も少女が言ったのだが、○○と△△を見事に忘れている。
果たして思い出せるだろうか?(多分、無理だ)。

身体は、甘やかしてはならないが、慈しまなければならない。
少なくとも、いじめ過ぎてはならない。
私は、一頃、超少食を実践していたが、それで良い面もあったが、結局、低体温になってしまった。
冬は寒いし、肌が乾燥し易くなった。
宮沢賢治は、元々、病弱であったが、37歳で病死したのは、やはり一頃、無理な食の節制をしたからではないかという説がある。
賢治は、後にはグルメ・・・というほどではないだろうが、ウナギを好んで食べていたというが、ほどほどであれば良いのだと思う。

肉体の鍛錬も、少年漫画のスポ根もののように無理をすれば、実際は身体を痛める。
大昔の『タイガーマスク』のアニメで、「虎の穴」と呼ばれる、プロレスラー養成の秘密組織ですら、タイガーマスクが卒業した数年後には、「しごきなど時代遅れ。今は科学的に訓練する時代である」などと言われていたことをご存知だろうか。
食に関しては、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」ことが大切だが、それ以上は必要ない。
まあ、食も仕事も鍛錬も、一度、極端を経験するのも良いところはあるが、取り返しのつかないことにもなりかねない。
徳川家康が言ったように「ほどほどに」が大切である。
孔子も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言ったらしいが、大切なことである。









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慎ましい欲望、微かな望み

衣食住が足りないことを、生活に不自由すると言う。
また、恋人がいないことを、やや下品かもしれないが、女(男)に不自由すると言う。
人間は、そんな不自由を解消して、欲しいものを得られるようがんばるものである。

ところが、異常に頑張り過ぎる人がいる。
例えば、子供の時に貧乏で辛い目に遭った者が、金に強い執着を持って、超人的な努力をする場合だ。
あるいは、容姿に恵まれず、さっぱりモテない青年が猛勉強して一流大学に入り、さらに頑張り続け、高い地位を目指すということもある。
いわゆる、劣等感をバネにするというものだ。

逆に、あまりにがんばりに欠ける者もいる。
親に甘やかされて、不自由を経験したことがなく、モノへの執着があまりにない、いわゆる「坊ちゃん」だ。
また、人間関係の煩わしさを背負うくらいなら、不自由でも良いと考え、あまり、あるいは、全くがんばらない人もいるだろう。ただ、この場合も、根本は甘やかされて育った場合が多いかもしれない。

考えてみれば、全てはバランスの問題だ。
つまり、そこそこがんばって、そこそこの自由を得て満足出来れば良いのである。
しかし、「そんなのは愚かな小市民的発想だ。俺は自分の能力を開発して豪華な人生を切り開く」と言う者もいる。このような者は、上に挙げたような、劣等感をバネにしている場合もあるが、別のことをモチベーションにしている人もいるだろう。
そして、どんな理由にしろ、高みを目指すことを是とする人は多く、自己啓発が産業になったりするのである。

だが、強い衝動に動かされて、結果、成功した人というのは、あまり幸福にはなれず、億万長者なのに家庭では平凡な人間よりずっと惨めな場合も少なくはない。
しかし、それは別段不思議なことではなく、当然の結末と思えるのである。
なぜなら、強い衝動は、しばしば、自然の美しい流れを壊してしまうものだからだ。
この世界には、そこここに美しい自然の流れがある。
最初は、それを微かに感じるのだが、それを大切にし、貴く感じると、その美しい流れは、宇宙全体から自分の中の隅々まで貫き、流れていることが分かってくる。
この美しい流れに逆らわず、決して手を触れず、流れるままにすることで、全ては最善になるのである。

とはいえ、人間に欲望が不要な訳ではないし、そもそも、欲望の無い人間はいない。
そこで、知恵が必要になるのである。
意外なことに、幸福な成功をする者とは、「金持ちになって豪華な生活を手に入れてやる」と思った者ではなく、「せめて煙草くらい自由に吸えるようになりたい」と思った者なのである。
こういった知恵を、徳川家康は、「身の程を知れ」と言い、孔子は、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と言ったのだ。
尚、家康は、孔子よりさらに発展した知恵のある言葉、「及ばざるは過ぎたるより勝れり」とも述べている。
ただし、「煙草くらい自由に吸えるようになりたい」というのは、慎ましい欲望といったような卑しいものではないのだ。
煙草を吸うことに執着していないし、煙草を吸えるようになっても、それを守ろうとは思わない。
そうではなく、上に述べた「世界の美しい流れ」を乱したくない気持ちが、たまたま、「煙草くらいは・・・」という、微かな望みになっただけなのだ。
そんなことが分かるようになって初めて、本物の成功者への道を進むのだと思う。









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ビートルスの『Let it be』と、アナと雪の女王の『Let it go』

太田裕美さんの楽曲『しあわせ未満』(1977年)の中の、
「ついている奴いない奴 男はいつも2通り」
「陽のあたる人 かげる人 人間なんて2通り」
という歌詞で虚しくなる人がいるはずだ。
つまり、「本当にそうだ」と実感している者だ。

何をやってもすいすいとうまくいく者がいれば、いくら努力しても、辛い結果にしかならない者は実際にいる。
こげどんぼさんの漫画『ぴたテン』で、紫亜という少女の、
「がんばってうまくいかなくても、それは無駄なことではなく、この雪のようにちゃんと積もっていますよ」
という言葉に救われた気になるのは、せめてそう思わないかぎり、やっていられないからというのが本当のことだろう。

人間に、星の巡りあわせ・・・つまり、生まれつきの運はないというのが希望的な信念かもしれないが、それは甚だ疑わしい。
抱朴子によれば、あの孔子すら、自分の生まれた星は哀しいものだと悟っていたらしい。
孔子は、老子のような聖人になりたかったが、実際に老子に会い、生まれつきの器の差を思い知ったという。
この話は伝説である可能性が高いが、孔子の実体をよく表しているように思える。
しかし、だから、『論語』は、凡人の哲学として有益であるとは言えるのだ。
『老子』は君子のためのもので、『論語』は凡人のためのものと言われることは、実際に多いが、『老子』の方は、実際はそうではない。
ただ、『老子』は、人間が本質的に君子であると気付いた者のための書であるとは言えるだろう。
いずれにしても、『論語』が無難で、『老子』は危険とは言えるかもしれない。
(ちなみに、抱朴子は本当に残念なやつだったと思う)

私は昔から、星の巡りあわせの良い、選ばれし者達(エリート)を「優良星人」、私のような劣る人種を「不良星人」と呼んでいるが、優良星人と不良星人の差は、「ハンデ」などという生易しいものではない。
ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズと実際に交流があった人は皆、「いくら努力したって、ああなれるものではない。彼らはつまり・・・全然違うのだ」
と口を揃えて言う。
ビル・ゲイツどころか、私など、たかがクラスの優等生にすら手も足も出なかった。

・・・と、随分否定的なことを書いたし、妙な「うまいこと」を言ってあなたを慰める気もない。
だが、実際の話として、上記に述べたことは、あくまで世間の範囲でのことなのだ。
話を簡単にするために比喩的に言うが、世間というものは、ある種の悪魔に支配されている。
その中では、どうしても「しあわせ未満」のような悲哀に満ちているのだ。
悪魔達に悪意はないが、ただ、私のような、生まれつきの「優良星人手形」を持っていない者は、悪魔の束縛を逃れることができない。
だが、無になった者は、不良星人でも、(これも比喩だが)神的な力が出てきて、悪魔の力を圧倒する。
よって、心を完全に静め、想念を起こさず、思考が現れない状態になれば、人間を超えた超人、神人になる。
ただ、難を言えば、それはとても難しいということだ。
そして、これが分からない者が多いのだが、想念はなくても、眠っていてはならない。
つまり、意識が冴えていなければならない。
イエスが、祈るために山に入る前に、弟子達に「眠るな」と言ったのに、帰ってきたら、弟子達は眠っていて、イエスが落胆したというのは、そのことを比喩的に言っているのである。
道元が、釈迦の教えを一言で「仏道とは自己を忘れることなり」と言ったが、自己を忘れても、眠っちゃいけないのだ。

ビートルスの『Let it be』も、アナと雪の女王の『Let it go』も、本質では同じ意味なのだが、多少、『Let it go』の方が、「自由にやれ」という動きを感じるかもしれない。
しかし、同じだ。
あるがままで「いろ」か、内なる声のままに「やれ」だが、いずれにしても、うまくいくためには、自我が消えていないと・・・つまり、無でなければならない。
自我は無いが、意識は冴えている状態・・・それが無だ。
私は、アナと雪の女王は一度も見ていない。
こんなものを映画で本当に描けるとは、とても思えず、誤解して不幸への道を進むだけだろう。
つまり、この映画は、少なくとも数百万人を不幸にする・・・ことはないと願っている。

無になるには、至高者の姿を正しく感じることができる感性を磨かなくてはならない。
これは、いつも書いていることだ。
例えば、星を見るとか、星に匹敵する何かを見るとかである。
そして、自分自身が至高者であることを覚えていることだ。
これらは同時にやるべきものだ。
両方、まとめてやれる方法としては、心身も時空も超えた存在として振舞う・・・有体に言えば、真似をすることである。
ただ、これらは、あくまで一例である。
自分の気質に合うものがあるはずだし、それを見つけるのは難しいことではない。
どれでも大抵合うのだからだ。
だから、大抵の場合、最初に巡りあったものをやれば良い。
ただ、粘り強くやるかやらないかだけである。









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「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」は真理の半分でしかない

以前も、このブログで書いたが、私は昨年(2013年)の11月の間に、以前の記憶が全部消えてしまい、それまで持っていた一切の信念も無くした。
以前持っていた記憶は、他人のことのようには思い出せるのだが、とにかくそれは、全部、嘘、偽りの知識である。
誤りが消えたからといって、この世の真理が分かったなどというつもりはないが、世間の教義や信念は例外なく真理と反対であり、狂気であり、逸脱であり、迷妄だということは分かるのである。

それで分かったことで、皆さんのお役に立ちそうなことを述べてみたいと思う。
孔子だったか徳川家康だったか忘れたが、「過ぎたるはなお、及ばざるがごとし」と言ったらしい。
多分、こっちは孔子で、家康は、「及ばざるは過ぎたるに勝れり」と言ったのかもしれない。
まあ、同じことだが、いずれにしても、これは真理の半分なのだ。
1つのものごとについて、「過ぎているか」「及ばないか」と言っても、本当は意味はないのだ。
これは、2つのことについて考えなければ、威力を発揮しない。
孔子や家康ごときの言葉を有り難がっているようでは駄目なのだ。

例えば、「男は優しくないといけない」と言うのは正しいかもしれない。
しかし、孔子や家康に倣えば、「優し過ぎるより、ややクールな方が良い」となる。
では、「男はクールなくらいで丁度良い」として、「よし、俺は、ちょっとクールでいくぞ」と思う。
その結果、何も良いことはない。
そうではなく、こう考えないといけない。
「優しさ2に対し、クール1」で良いのだ。
あるいは、「優しさ1で、クール2」でも良いのである。
つまり、2つのものの関係でバランスが取れていれば良いのである。
もし、「優しさゼロでいく」なら、それで良い。その場合は、無限のクールさを発揮しなければならない。
逆に、「一切の冷淡を捨てる」なら、無限に優しくないといけない。
だが、その時、現状を考えなければならない。
例えば、もし、自分が優し過ぎて、厳しさも必要だと思っても、決して、厳しさを持とうなどと思ってはならないのだ。
既に持っているものに注意し、それをしっかり認識すれば良いのだ。
すなわち、優しすぎて厳しさがない場合には、「私は優し過ぎる」ということに注意を向け、それをはっきり認識するのだ。
そうしたら、厳しくしようなどと思わなくとも、自然に厳しさを持てるのである。
人間は、自分の思うように、優しくなったり厳しくなったりなどできない。
しかし、現在の自分をはっきり認識すれば、変容が起こるのである。

では、ニートで働けないという場合はどうすれば良いのだろう。
決して、「働かなければならない」とか、「無理してでも働くぞ」などと思ってはならない。
そうではなく、今述べたように、現状を認識するのだ。
自分がいい年をして働いていないこと。
親やきょうだいに食べさせてもらっていること。
誰かに迷惑をかけていること。
・・・・そんなことを、決して、罪悪感などといった、否定的な想いを持たず、ただ、注意深く自分を観察して、しっかり認識せよ。
すると、変容は即時に起こる。
不思議なほど、楽に働けるようになるのだ。









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