ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

大洋感情

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

微かな呼吸の驚くべき効果

今朝書いた「微かな呼吸」は、私が忘れてしまっていた秘法だ。
呼吸を微かにすれば、自ずと幸運な道に導かれ、人生は、冒険的ではあっても、不安のない楽しい旅になるだろう。
微かな呼吸に慣れた頃に、ESPカードで実験をしたところ、異常な的中率になって驚いたこともある。

微かな呼吸と共に、心で称える呪文の効果は最大になる。
そして、1人で部屋にいる時、最も微かな呼吸を続けると、異次元の世界に入り込むことも可能と思う。
それは、覚醒剤などにより、精神が歪んだ状態で変性意識状態になるのではないから、危険はないはずだ。

何度か書いたが、私は、夏の間、ずっと不運とトラブルに見舞われ、せっかくの初音ミクさんのライブ「マジカルミライ2017」は、もちろん楽しくはあったが、あまり覚えていないような状態だった。
それは、荒い、乱暴な、傲慢な呼吸になってしまっていたからだ。
やっと思い出して、呼吸を微かにするようにすれば、運命が回復してきた。
以前、1分間に4~5回しか呼吸しなかった期間は無敵だった。
しかし、それは容易く取り戻せるだろう。
昨夜、なるべく微かな呼吸で行った腕立て伏せやスクワットは、疲れが少なく、良い気持ちで鍛錬が出来た。

微かな呼吸になればなるほど、頭の中のおやべりは止むが、そうなれば、本を読んでも、驚異的に速く読めて、理解力も記憶力も高まる。
また、見慣れているものを見ても、それを美しいと感じ、時によっては、あまりの美しさに感動する。
私は、昨夜、初音ミクさんの2016年のライブ「マジカルミライ2016」を久々に通して観たのだが、見慣れていたはずの映像が初めて見るように新鮮に感じ、私はたちまち、至高体験とか大洋感情という精神状態に達してしまったのである。
常に呼吸が穏かな人間が駄目なはずがない。
逆に、いつも荒い呼吸をしている者が幸運であることは不可能である。









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幸運体質になる至高体験の起こし方

自分が幸運そのものになるために、いますぐ出来て、最も重要なことは、「幸運な体験」を思い出すことだ。
本を沢山出している幸運の伝道師達も、なぜかこの一番大切なことを書いていない。

人間にとって非常に重要な、「至高体験」のことを書く。
至高体験は、心理学者のアブラハム・マズローが研究していたもので、英語ではPeak Experienceであり、絶頂体験とも訳される。
至高体験(絶頂体験)とは、最高の幸福を感じ、恍惚とした状態で、宗教で言う「法悦」と同じと思って良いと思う。
法悦の状態を最も見事に描いたものは、ベルニーニの大理石彫刻『聖テレジアの法悦』と思う。
【Wikipedia】聖テレジアの法悦
このテレジアの表情を、ちょっと罪深くも感じるが、性的恍惚のように感じ、非常にセクシーだと言うのは芸術家にも多いと思う。
そして、マズローと交流があり、至高体験についてマズローの共同研究者だったとも言える英国の作家コリン・ウィルソンは、性的絶頂と至高体験は非常に近いものであると述べている。

人間にとって、至高体験ほど大切なものはないかもしれない。
フランスの作家ロマン・ロランが、芸術の目的と言う「大洋感情」と呼んだものも至高体験と同じと考えて良いと思う。
アイルランドの詩聖W.B.イェイツは、芸術の目的はエクスタシーだと言ったらしいが、エクスタシーとは、没我、忘我の状態のことで、それは、至高体験、大洋感情の時に起こることであるし、性的絶頂のことをエクスタシーと言うのは一般的であるので、やはり、至高体験と性的絶頂に近いものであると思う。
岡本太郎の「爆発」も、経験としては至高体験なのだと思う。

また、ドストエフスキー、エリオット、トルストイ、その他、およそ超一流の作家であれば、名称こそ至高体験とは言わないが、作品の中で、必ず、至高体験と同じものを取り上げている。
逆に言えば、超一流の作家かどうかを分けるのは、至高体験について書いているかいないかだ。
実際、マズローも、「偉大な人物と平凡な人物の違いは、至高体験があるかないかだけ」と述べていたことがある。
マズローは、至高体験は特殊なものと考えていて、それを得るのは、「非常に稀な幸運な偶然」に頼るしかないと考えていたらしい。
しかし、コリン・ウィルソンは、至高体験は、誰もが体験している、ごくありふれたことと言い、後にマズローもそれを認めている。

そして、コリン・ウィルソンは、至高体験とは、単に、「自分を幸運と思うこと」なのだと言う。
マズローは、このウィルソンの言葉に従ったためかどうかは分からないが、大学の自分の教室で、学生達に、自分の幸運の体験を話してもらったのだが、そうすると、そこにいた学生達が至高体験を起こすのを確認している。
コリン・ウィルソンは、ある、非常に幸福だと感じた体験(彼はそれを、この上ない幸運と思っている)を思い出すと、いつでも至高体験に至るという。
あなただって、自分が幸運だと感じたことが、思い出せるだけでも、いくつかあると思うし、その他にも、忘れているだけで、本当は誰でも非常に沢山あるはずなのだ。
ただ、理屈の上で、つまり、確率的に幸運というだけでなく、感情的に幸運だと感じることが重要だと思う。

至高体験を起こすほど幸運になる。
そのためには、自分が幸運であったと感じる経験を思い出せば良いだけである。
それは誰でも出来るが、もっとスムーズに、力強く至高体験を起こせる性質を持ちたければ、超一流の文学を読めば良いと思う。









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日本人にとって至高体験や大洋感情はありふれていた

最近の妖怪ウォッチや、LINEのスタンプを見て、つくづく日本人はキャラクター好きなのだと思う。
これは、日本の、多神教的なアニミズム(あらゆるものに神霊が宿ると考える)の文化のためなのだと思う。
欧米でもポケモンは人気があるが、日本人と欧米人では、ポケモンに対する考え方は全く異なる。
日本人の子供はポケモンに、人間に対するような深い愛情を感じているが、欧米の子供にとっては、あくまでポケモンはペットなのだと思う。
アメリカにだって、ミッキーマウスという代表的なキャラクターがあるが、ミッキーマウスというのは、あくまで人間もどきである。
二足歩行し、人間の笑顔を誇張させた顔をした、「決して裏切らない安心できる存在」として愛されているのだと思う。
欧米人が作るLINEのキャラクターは素朴で、日本ほどの多様性はないと言われるが、それは当然と思う。
日本人にとって、LINEのキャラクターは生きているのであるが、欧米人にとっては、ただの記号というのに近い。
日本人は、人形浄瑠璃で、人形に人間以上に感情移入できるのであるが、これも、日本人にとっては人間は「本当に」生きているからであり、欧米人には理解不能だ。
欧米人にとっての人形は、あくまで人間の代わりであり、造形的にも人間とそっくりで生々しい。
日本のコケシは、おそらく欧米人にとっては人形と感じないと思う。

全てに神霊が宿るという考え方から発達した感性により、日本人は、実在しないものを実在するものとして扱うことができる。
その代表例が妖怪だ。
日本人にとって、妖怪は実在も同然であり、恐れるだけでなく、愛好することもできる。
欧米にだってフェアリー(妖精)があるが、フェアリーには魂がないということは、はっきり認識されているのである。
フーケーの『ウンディーネ』や、それを元に書かれたジロドゥの『オンディーヌ』のヒロインである水の妖精は、それぞれ、18歳と15歳の金髪の絶世の美少女であるが、魂を持っていない。
それで、人間の騎士を純粋に愛するのだが、ひどく奇妙な愛し方をする。
純粋と述べたが、「あまりに純粋」なのである。
だから、オンディーヌに対し、人間の賢い王妃は、「ハンス(オンデーヌが愛する騎士)の元から離れるように。あなたの愛は純粋過ぎて、必ず悲劇を生む」と警告する。
欧米人は、妖精に対して恐ろしいものを感じていて、日本人が妖怪に対するように、いったん好きになれば徹底して愛するというようなことはない。

イソップの北風と太陽の話も、日本人と欧米人では、絶対に異なった捉え方をしているのである。
欧米人にとって、北風と太陽の擬人化は、あくまで、「もののたとえ」であり、話の内容も合理的に捉える。
だが、日本人は、北風と太陽を、魂を持った存在として扱い、彼らが「何を考えているのか」を深読みするので、多様な解釈をする。
このような日本的な考え方は、迷信にとらわれることもあるのだが、万物を自分と等しいものとして捉え、心を宇宙の果てにまで広げることができる可能性があるのである。

そして、若い欧米人が、こういった日本的な考え方、感じ方に憧れ、実際に日本人化し、日本のキャラクターを愛するようになってきているのである。
逆に、ものごとを物質的にしか考えることができない日本人が多いのである。そのような日本人は、アメリカがたどってきた苦難を繰り返すことになる。
これからの世界を平和にするのは、「共感」である。
そのためには、日本人的感覚が必要になる。
万物に魂が満ち、自分もその一部と考えるのは、健全であるだけでなく、真理なのである。
欧米にだって、至高体験とか大洋感情と呼ばれる、自分が万物と一体になる、忘我、没我の体験があることを認める人達がいる。
それは彼らの従来の価値観、考え方とは異なるが、優れた人達は、それを重要なものと感じているのである。
アブラハム・マズローやロマン・ロランらに、至高体験や大洋感情のようなことを教わらずとも、日本人にとっては、それらは当たり前のものであったはずなのだ。
英国の作家コリン・ウィルソンも、至高体験を、誰でも体験している自然なことと述べたが、彼は中学までしか学校教育を受けていないことが幸いして、欧米人としては物質主義に偏らない発想をする。だから世界的作家になれたのであるが、日本人にとっては、彼の論は目新しくはなく、むしろ、どこか欠けているのである。
これからの世界では、自然に日本人的な考え方が広がるが、そのためには、日本人が、万象一体の美しい感性を持っていなくてはならない。
そして、日本的発想は、自然に運を呼ぶのである。









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観察を続けて英知と一体化した男

イギリスの作家コリン・ウィルソンの30年程も昔の著作『右脳の冒険』は、実録を基に書いたものだが、ある1人の賢者と言うべき男が登場する。
特に際立ったところもない平凡な男なのであるが、あきらかに普通の人間とは違っており、悟りを開いているとか、解脱している、あるいは、真我を実現していると言って良いと思う。
確かに、彼も一夜でそうなった訳ではないが、最終的に彼に驚異の変革をもたらした出来事とは、次のようなものだ。
昔読んだ記憶で書いているので、正確ではないが、だいたいがこんなところだったと思う。
何か不幸な出来事のせいで、彼の妻は、ほとんど自意識を喪失した状態に陥っていた。
心優しい彼は、ベッドで心なく横たわる妻を、意識の回復を願って、片時も離れないほどに見続けた。
静かに、注意深く、妻を観察し続けたのだ。
彼がやったことは、それだけだった。

コリン・ウィルソンの主張は、至高体験(意識が拡大し、超意識に達するようなこと)を呼び起こすには、強い緊張の後の弛緩がポイントだということである。
だが、それは、似て非なりで、明らかに間違いだ。
アブラハム・マズローの言う、この至高体験は、ロマン・ロランが言った、「万物と一体化したような没我の状態」を示す「大洋感情」と同じものであると思うが、それに至るには緊張は不要で、むしろ、それは障害である。
大切なことは、徹底して静謐(静かで落ち着いていること)な精神が目覚めていることである。
それは、注意して気付いている時に現れる。
例えば、荘厳な風景を見た時、我々は歓喜を感じるが、その時、心は真っ白で何も考えていない。
その真っ白な心が、先程述べた「静謐な」心である。
だから、単に興奮したり、「しびれる」のではない、本物の感激をするのは良いことである。
その時に、普段は隠れている、神秘な心が現れるのだからだ。
だが、その心をしっかりと捕まえるためには、自分の心を観察し続けなければならないのだ。
そのためには、何かを注意深く観察し続けることが必要だ。真剣に何かを観察することは、自分の心を観察することだからだ。
その賢者になった男も、愛する妻を、ずっと注意深く観察し続けることで、自分の心を静かに観察していたのだ。
これが、本当の瞑想なのである。
世間の教祖達の言う瞑想は全て間違っており、何の価値もない。
そして、自己に対する瞑想が深く深くなった時、世界は消え、真の自己が輝き現れる。
その時、あなたは、自分が本当は何なのかをはっきり知る。
それが解脱であり、悟りである。

我々は、苦しい時や悲しい時、それをもたらした出来事を批判せず、ただ起こったことを静かに観察し、自分の心に気付いていることで、真の瞑想に導かれる。
だから、人間には、苦難や苦痛は必要なのである。
そんなことが何もなければ、我々の精神は弛緩してしまい、敏感さ、鋭さを失って、注意深く観察することはない。
だから、人生には、苦しみをもたらすような、予期せぬ出来事は絶対に必要なのである。
だが、人間は、未知を恐れ、全て予想できることしか起こらないような人生を歩みたがる。
しかし、あえて冒険に挑む時・・・予期せぬ出来事が起こることを許す時、我々の心は鋭敏になり、透き通った「気付きの状態」になる。
それを繰り返すことで、あなたは世界を征服し、世界を我が物とするのである。
あなたは、元々が王なのであり、世界の所有者であるということを知るのである。









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至高者と1つになる方法

神、あるいは、万物と一体化した神秘体験は、様々な言い方がされてきた。
作家のロマン・ロランは「大洋感情」と言い、心理学者のマズローは「至高体験」と言う。
夏目漱石は「天賓」、岡本太郎は「爆発」だ。
エマーソンは、「自分の魂の中に、神の魂が流れ込んでくる瞬間」と哲学者で詩人らしい、素晴らしい表現をした。
ドストエフスキーは直接には表現せず、「その5分と引き換えに人生を差し出しても良い」とまで言う。
バーナード・ショー、エリオットらも、作品の中で美しく描いているようだ。

どれもきっと同じ体験であるが、シンプルだが、最も的確な表現をしたのは、アイルランドの詩聖W.B.イェイツではないかと思う。
それは、「エクスタシー」だ。エクスタシーとは、忘我という意味で、無我と同じだが、万物の中に自己が溶け込んで消滅した様子がよく分かる。イェイツは、芸術の目的はエクスタシだと言った。

さて、では、どうすれば、こんな神との一体化を体験できるのだろう?
だが、上にあげた天才達も、皆、分からないのだ。
マズローは、学者らしく、実験的にある程度の傾向は掴んだかもしれないし、彼と親交のあった英国の作家コリン・ウィルソンは、これがライフ・ワークなのだから、様々な方法を膨大な著書で述べている。しかし、IQ197の天才心理学者と、25歳で文壇の寵児になった世界的作家には悪いが、彼らもまた、よく分かっていないのだと思う。

イェイツもまた、分からないとしながらも、憎むのを止めた時に、それがよく起こると言った。
彼は、神との一体化を度々体験したと同時に、よく憎んだということだろう。こういった、決して聖人ではない、心に歪みや抑圧、あるいは、狂気を持つ芸術家の言うことは、案外に我々凡人にとって参考になる。
イェイツは言う。人は愛することは出来ない。なぜなら、愛とは神の領域だからだ。
その通りだ。我々が言う愛なんて、単なる、執着、欲望、エゴであろう。
だが、イェイツは、憎むことを止めることは出来るという。なぜなら、憎しみは人の領域だから、自分で支配できる可能性があるのだ。

萩尾望都さんが、わずか15ページの傑作漫画『半神』では、16歳の美しい少女が、妹をこの上なく愛すると同時に、この上なく憎んでいたことに気付いていた。
最大に憎んでいたからこそ、その憎しみが消えた時に、神のものであるはずの愛が現れたのかもしれない。

だが、人は、ただ1つ、愛することができるものがある。
イェイツにとっては、とんだパラドックスかもしれないが、人は、神を愛することだけは出来るのだ。
イェイツがなぜそれに気付かなかったかというと、おそらく、彼が、オスカー・ワイルドやニーチェの影響で、反キリスト思想を持っていたからだ。
イエスは、人にとって最も大切なことは神を愛することだと言ったのである。
ラーマクリシュナは、あらゆる宗教を学んだ末、全ての宗教は同じと悟った。そして、どんなやり方でもいいから、神を愛しさえすれば良いと言った。
ラーマクリシュナは、一切の聖典の類を重視しなかったというが、『バガヴァッド・ギーター』だけは神の本当の言葉だとして重んじたという。『バガヴァッド・ギーター』の中で、ラーマクリシュナがその名を借りたクリシュナの教えは、つまるところ、至高神である自分(クリシュナ)を愛せよということだ。
ラマナ・マハルシも、本で学ぶことには否定的なことを言うこともあったが、誰かが、「時々、バガヴァッド・ギーターを読むべきでしょうか?」と尋ねると、「いつもがよい」と答えている。
そして、浄土仏教の経典である『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』においては、釈迦は、最高の仏である阿弥陀如来を褒め称えよと説くが、これは即ち、至高者である阿弥陀如来を愛せよということに他ならない。
神と呼ぶか、仏と呼ぶか、あるいは、別の言い方をするかは自由であるが、至高者の存在を認識し、それを信頼し、自己を明け渡す時、即ち、真に愛する時、我々は、愛したそれと一体になる。それは、間違いのないことであると思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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