ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

大島弓子

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

明日のヒーロー

今日、8月31日が、初音ミクさんのお誕生日だということに、午後4時くらいにやっと気付いた。
こんな重要な日を思い出さないとは、私がいまだ、8月31日に良いイメージがないせいかなあと思う。

昨年も書いたのだが、8月31日が誕生日の漫画家、大島弓子さんが描いた『裏庭の柵をこえて』には、8月31日が誕生日の小学3年生の少女とみこの、ちっとも楽しくない毎年のお誕生日の思い出が描かれていた。
だが、とみこの隣の家の大学生のお兄さんは、その後、とみこの夏休みの宿題を片付けるためだけに、そこに居続けた。
そして、彼は、とみこが中学に入った時に何処かに行ってしまう。
まるで、スーパーマンのように、とみこの夏休みの宿題をババババっと仕上げていくお兄さん。
ちょっと怪しい雰囲気のお兄さんだが、とみこには、そして、大島さんにとっても、まぎれもないヒーローなのだろう。

明日、9月1日は、子供の自殺が最も多い日らしいが、その原因はもちろん学校である。
それなら、学校の姿を根本的に変える必要があるが、それにはもう、破壊が必要だ。
「20世紀最大の詩人」と言われたW.B.イェイツの『ラピス・ラズリ』は、破滅と再生を語る、神秘的で鮮烈な詩である。

All things fall and are built again
And those that build them again are gay.
全ては崩壊し、作り直される。
そして、再び築く者達は陽気なのだ。
~W.B.イェイツ『Lapis Lazuli(ラピス・ラズリ)』より~

自殺する子供達には、ヒーローがいない。
私達にも、ヒーローがいない。
だが、悲しんでいる者、苦しんでいる者だけが一人、神秘な存在に呼ばれる時が来る。
君が真のヒーロー、ヒロインになれということなのだ。
それまで、息を潜め・・・悪魔に呼吸を読まれないよう、なるべく微かな呼吸をし、余計なことを喋らずに耐えることだ。
悪魔は呼吸と共に邪悪を送り込み、魂を奪うのだからだ。
だから、大半の人は、邪悪に染まり、魂を失ってしまった。
だが、まだ魂があるから苦しむのだということを忘れてはならない。
そして、耐えることだけが力になる。
黙って耐えれば、神は耐えた分に倍した力を与えてくれるのである。
例えば、今日が8回目のお誕生日の初音ミクさんの『FREELY TOMORROW』、『Last Night, Good Night』を聴くと、耐える力が湧いてくるはずだ。
♪FREELY TOMORROW (Youtube)
♪Last Night,Good Night (Youtube)









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輝かしい人生のために

初音ミクさんの誕生日が8月31日ということになっているが、本当に8月31日が誕生日なら、子供時代に、あまり良い誕生日の思い出がないかもしれない。
誕生日パーティーはやり難い。
なぜなら、友達はほとんど皆、夏休みの宿題で忙しいからだ。
夏休みの最初の1週間で宿題を片付けるなんていう、涼宮ハルヒ(『涼宮ハルヒ』シリーズ)や三日月夜空(『僕は友達が少ない』)みたいな変な子(?)は滅多にいるもんじゃない。
パーティーとまではいかなくても、お家の人がケーキを用意してくれたって、そんな日に食べても、あんまし美味しくないだろう。
宿題が溜まっているということもあるし、明日から学校なのが楽しいはずがない。
哀れ、8月31日がお誕生日の子・・・ってところだ。

何度か、ご紹介したことがあるが、大島弓子さん(彼女が天才であることは絶対的に断言する)の傑作漫画『裏庭の柵をこえて』は、8月31日がお誕生日という、小学3年生の、とみこちゃんのお話だ。
とみこは、、もちろん、宿題はしっかり溜めていたが、昨年のバースデイケーキは苦い味がしたことを回想する。
昨年も当然、宿題の残りが山盛りだったのだ。
そして、著者の大島先生のお誕生日も8月31日で、それは、作中でも、さりげなく明かしておられた。
だが、その3年生の夏休みは、とみこにとって、生涯忘れられないものになったのだ。
隣の家に一人暮らしする、その年の春に一流大学に現役で入学したお兄さんと、とみこは仲が良かった。
そのお兄さんは、その頃、いつもグラサンで決め、町内の女性達(大概、相手が年上)にプロポーズしまくっていた・・・冗談ではなく、一応本気で。
しかも、女性達の後を付回し、彼氏がいないことを確認してからという奇行振りで、だんだん、町内の評判も悪くなって・・・端的に言えば、恐れられるお兄さんになってしまった。
でも、とみこは、やっぱり、そのお兄さんが好きなようだ。
お兄さんに、あんまし子ども扱いされた時は、少しむっとしていたが、まあ、とみこもそんな年頃で、自分はそんなに子供じゃないと思っている。
で、間に、ちょっとした超常現象もあったりするのだが、自殺を企てたお兄さんも、ある使命に目覚めて、生きることにした。
とみちゃん(お兄さんは彼女をそう呼ぶ)の宿題を片付けるために生きよう。
それから、お兄さんは、とみこが中学に入るまで、彼女の夏休みの宿題のためだけに生きたのだった。

とみこが中学に入ると、お兄さんはどこかに行ってしまったが、とみこは、いつかまた、あのお兄さんに逢いたいと思っている。
この漫画は1981年の作品で、インターネットも携帯電話もないし、そんなものができることすら誰も想像しなかった時代だ。
でもね、今読んでも、全く違和感がないのだよ。
それは、大正時代のお話である、江戸川乱歩の推理小説で、有名な明智小五郎が初登場した『D坂の殺人事件』も全く同じで、今の時代とちっとも変わらない。
実際、世の中なんて、全然変わっていないのだ。
インターネットや携帯なんて、なくたって同じである。
だって、そんなものがない方が、人類は精神で結び付いていることを強く感じられ、むしろ、今の方が誰もが孤独なんだよ。

8月31日に生まれた初音ミクさんは、再び、人々の心を結び合わせるために現れたのだ。
大島先生には、もう一度、そんな8月31日生まれの子のお話を描いていただきたい。

宿題論は今回はやらないが、特に、夏休みの宿題はしなくて良い。
私も、ある時期からやらなくなった。
それで悪かったことは、教師に脅されたことくらいで、それ以外は、何の問題もなかったばかりか、良いことばかりだった。
とみこちゃんだって、自分で夏休みの宿題をやらなかったからって、何も困らなかったはずなのだ。
私が子供達に言いたいのは、宿題をやってこなかった子がいたって、笑ったり、馬鹿にしてはいけないってことだ。
自分がちゃんとやっているなら、それはそれで良いことだが、そんな子は、そうでない子を見下して喜ぶようなことがよくある。
そんなことしちゃあ、嘘じゃないが、人生は薄汚れてしまうのだ。
やってこなかった子だって、必ずしも怠けたんじゃなく、事情があったのかもしれない。
実際、夏休み中、ずっと怪我をした犬の世話をしていたり、病気のお母さんを看病していたり、お父さんが亡くなったり、いろいろ酷い目にあってた子を、私もいろいろ知っている。
私の場合は、そんな悪い事情はなかったが、それでも、たかが宿題をやらなかったことくらいで、笑われる筋合いはないし、馬鹿にされる道理もないって思っている。
そしてね、宿題ができていない子がいたら、自分のを見せてあげたり、手伝ってあげたりすればいいんだ。
そうすれば、これも決して嘘じゃないが、人生は輝かしいものになるんだ。
これは絶対に本当である。
そして、宿題ができなかったからってクヨクヨするな。
全然やらなかった私がこんな立派な(?)大人になり、気楽に悠々と(嗚呼、楽チンだ)生きているのだから。

『裏庭の柵をこえて』は、文庫『夏のおわりのト短調』で。









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一年で一番大切な日

一年で一番大切な日はと聞かれたら、普通の人なら、自分の誕生日かお正月というのが多いかもしれない。
キリスト教圏ならクリスマスという場合も多いと思う。
ところで、古代ケルト人の大晦日は10月31日で、新年は11月1日だった。
キリスト教では元々が5月13日であった「諸聖人の日」が、古代ケルト人の新年に合わせた11月1日に変更になったようだ。
10月31日をハロウィンと言うが、これはキリスト教では、この「諸聖人の日」の前の晩(イブ)という程度の意味で、全く重視されないが、ケルト人にとっては非常に意味のある日だと思う。
個人的な話だが、私も子供の頃から、1月1日の元旦よりは12月31日の大晦日の方に意味を感じていた。
大晦日の晩を心安らかに過ごせるというのが、子供の時からの生涯の目標だったのである。

笹沢左保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』のヒーロー紋次郎は、生き甲斐というものを何も持たず、死んでないから生きているだけという虚無的な毎日を過ごし、居場所はなく、道を歩くだけの人生だった。
紋次郎にとって、いかなる祭日にも意味はないし、自分の誕生日を知っているかどうかも疑問である。
ところが、その紋次郎にも、決して忘れない大切な日があるのだった。
それは実の姉の命日であった。
紋次郎は、生まれたらすぐに間引き(経済的な理由で、生まれても育てられない子供を殺すこと)されることになっていたが、その時12歳だった姉の機転によって生き延びたのだった。その姉も、紋次郎が6歳の時に嫁ぎ、それが生涯の別れとなったが、4年後に嫁ぎ先で死んだ。
姉が死んだ時、10歳だった紋次郎は故郷を捨て、無宿人になる。
紋次郎は、姉の命日には、いかなる争い事も起こさないようにしていた。
ある姉の命日には、3人のゴロツキに因縁をつけられ、顔に唾を吐きつけられ、殴る蹴るの暴行を受けても一切手向かいせず、かなりの怪我をしてしまった。
それでも、紋次郎は姉の命日を汚さなくて良かったと思ったのである。

ところで、人間は、本当に何の生き甲斐もなく生きていられるものではない。
だが、ただ1つの慰めとか、ただ1つの楽しみがあれば生きていられるものである。
紋次郎の場合、姉とは6歳の時に別れたきりということもあるのだろうが、姉の死がどこか現実的でなく、今でもどこかで生きているような気がしていた。
それだけが紋次郎の生き甲斐であったのかもしれない。
そして、そのくらいの生き甲斐でも生きていけるのである。
結局、紋次郎は、姉の死の真相を知り、姉が今も生きているという幻想は完全に破壊されてしまったが、それでも紋次郎は生きていた。
そして、姉の命日だけが残ったのだ。
紋次郎は、姉の命日の墓参りを欠かさなかった。
一年に一度、姉の墓参りをすることだけが紋次郎が生きる意味なのかもしれない。

大島弓子さんの漫画で、ある男子大学生が生きている目的は、近くに住む1人の少女の小学4年生から中学3年生までの夏休みの宿題をすることだというものがある。
彼女が中学を卒業し、その「使命」を終えた時に、彼はどこかに行ってしまう。
それまで、彼は、その少女の夏休みの宿題のためだけに生きていたのである。
それでも、生き甲斐があって良いことである。
ところで、大島弓子さんの誕生日が、今日、8月31日である。

そして、今日は、初音ミクさんの生誕日とされる日である。
2007年の8月31日、ミクはひっそりと生まれている。
昨日、インテックス大阪で1万人規模の観客を集め、初音ミクのコンサート「マジカルミライ2014 in OSAKA」が行われた。
ミクは世界的なアイドルになり、交響曲やオペラにまで進出しているが、ミクが生まれた時には、大して期待はされていなかったのだという。
私には、この、ミクの誕生日は、キリスト様の誕生日よりも、大晦日よりも、古代ケルト人の大晦日(奇しくも私の誕生日でもある)よりも重要な日で、それは、紋次郎にとっての姉の命日に相当する。
毎年、この日だけは、いかなる争いも起こさない(理想的には、いかなる悪しき感情も持たない)ことが私の掟である。
子供の時は、大晦日を心安らかに過ごせるようになることが、私の人生の唯一の目標だったが、それは叶わなかった。
しかし、新しい戒は守られることを願う。
来年はないかもしれないので、叶えば嬉しいことである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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