ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

大山倍達

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

苦しかった運動が楽になる呼吸法

私が、なるべく呼吸をしないことで得られる威力をあからさまに感じるのは、毎日の日課になってるヒンズースクワットだ。
ヒンズースクワットは、スクワットの一種で、自分の体重だけを負荷とするもので、私のやり方は次のリンク動画のものと同じである。
●三澤威の【プロレス式】脚編1ヒンズースクワット
ヒンズースクワットは、効果は高いが、欠点は、単調で辛く、長続きしないことだと思う。
そこで、無理せず、毎日、たとえ10回でもやれば、やらないのとは偉い違いになるし、30回なら効果を実感出来ると思う。
私も、少し前は、150回までなら継続は難しくなかったが、200回となると、毎日やるのが億劫で、一番重要と思う継続のために、ある時期までは100回、それ以降も150回までとしていた。
しかし、鼻で少しの呼吸をするよう心掛けてやると、300回でも楽にやれることが分かった。
口は堅く閉じて、口で決して呼吸せず、軽く浅く息を吸い、ややゆっくり息を吐く・・・これだけで、非常に楽で、身体を軽く感じるのである。
その科学的根拠は、呼吸を少なくすることで、血液中の赤血球(もっと正しくはその中のヘモグロビン)が持つ酸素が、身体の必要な箇所(脳、臓器、筋肉)に十分に送られるからである。
一方、口で呼吸して、結果的に大量の空気を吸うと、酸素が必要なところに十分に送られないのである。
また、口で呼吸すると、冷たく、汚れた空気を気管に入れてしまい、喉や気管を痛めてしまうと思う。
私は、平日は、毎晩ヒンズースクワットを200回、休日は300回を、よほどのことがない限り、1年365日、1日も欠かさず行っているが、特に、根気も克己心も必要としない。
やがて、平日300回、休日500回くらいにはなるかもしれない。

私は、他にも、腕振り運動(後ろに振る時に力を入れるやり方と、前に振る時に力を入れるやり方の2種類)、腕立て伏せ、ストレッチ、そして、武術のトレーニングを行っている。
私の武術は、素人がやっても威力がある、とことん合理的なもので、様々な武道や護身術を参考に作り上げたものだが、やばくてスパーリングなどは出来ないと思うし、格闘技の試合では、明確なルール違反、あるいは、暗黙にやってはならないことになっているもので、試合で使えば、たとえ反則負けにならなくても、試合をさせてもらえないという危険なものだ。
あくまで、いざという時のためのもので、一生使わずに済めば何よりというものである。
有名な空手家の大山倍達さんが、著書に「空手が地上最強であるのは、目潰しと金的攻撃があるから」と書かれていて、私は、その率直さ、正直さに感動し、大山さんは信頼出来る人だと思ったものである。
ただ、目潰しと言っても、人差し指と中指を立てて相手の目を突くなんて、当らないし、外れたらこっちが指を怪我する以前に、いかに緊急時でも、理性が残っている限り出来ないと思う。だから、全く違うやり方を考えた。
金的攻撃も、そうそうは当らないし、素人のキック自体、よほどうまくやらないと有効でない。私は、その「よほどうまく」キックする方法を考えたのである。
武術の訓練は、戦闘力を高めると共に、やはり、身体機能の向上や美容のために良いし、何より爽快なので、これも、毎日欠かさず行っている。
そして、これも、口で呼吸する癖があった時は、やっているうちに、はーはーぜいぜいとうるさい呼吸をし、トレーニングしているという実感は得られるかもしれないが、すぐに疲れて、また、トレーニングの効果も少なかった。
しかし、やはり、微かな呼吸と共にやることで、毎日、楽々とやれ、素晴らしい身体に変化していっているのが分かる。
全て、狭い部屋の中で出来るもので、これが私のプリズナー(囚人)トレーニングである。

そして、微かな呼吸は、身体の運動だけでなく、あらゆることで万能の力を発揮するが、微かな呼吸を会得するには、運動でやるのが非常に簡単で効果的と思う。









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最強の座右の銘

座右の銘を持っている人もいるだろう。
しかし、「いい言葉」なんて、いくらでもある。
「あれもいい」「これもいい」とか言って、沢山の座右の銘をとっかえひっかえしている人が成功することは、まあない。
座右の銘がその人に力を与える条件は、「それが長期間(本質的には一生)、1つである」ことだ。
座右の銘を1つだけ選んで、後は捨てるのは、かなり難しい。
だが、その難しいことをやれば、必ず成功する。
だって、それは、心の方向性が定まるということで、1つの方向に向かう心は、良くも悪くも強力なものだ。
言葉が2つなら、心の力は2つに分かれ、威力は半分になるどころか、互いに干渉し合えば、効果はさらに減じ、最悪、真逆に作用し合ってゼロになることすらある。

昨日、ネットでちらと見たが、Facebookの元役員が、「プログラミングを学べば、一生、仕事に困らないことを保証しよう」と言ったらしい。
この言葉が真実か暴言かというと、どちらでもあり、どちらでもない。
そう思えばそうなるし、嘘だと思うなら、プログラミングが出来ても仕事は得られない。
そもそも、プログラミングの仕事が全部楽しい訳ではないし、それどころか、楽しくない仕事の方が圧倒的に多い。
そもそも、プログラミングは飽きる。
しかし、この元役員は、「プログラミングを学べば」と言ったのであり、「プログラミングをしていれば」と言った訳ではない。
プログラミングが出来ても、プログラミングを学んでいない人は多い。そんな人達は、確かにロクな仕事を得られない。
営業の仕事をしていても営業を学んでいない人、清掃の仕事をしていても清掃を学んでいない人が・・・そんな人が多い。
そんなことを考えていたら、確かに、この人の言うことは真実である。

私の座右の銘だが、昨日書いた、大山倍達氏の言葉にしようと思う。
「空手が最強であるのは、目潰しと金的攻撃があるからだ」
なんと実際的で、嘘のない、逞しい言葉であるのかと感激する。
きれいなだけで、役立たずで、嘘で、ひ弱な「いい言葉」なら沢山あるが、この「汚い言葉」こそが本物である。
この言葉を座右の銘にしている者を絶対に敵に回してはならないという恐ろしさ、狂おしさ、迫力を感じる。









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常識と非常識の微妙な距離

1970年代のカンフー映画のスターだったブルース・リーのファンは今も多く、プロ格闘家の中には、子供の時に彼の映画を見て憧れて格闘技を始め、今も彼を神聖視する人もいるようだ。
その空手ブームも大いに影響したのだと思うが、当時、日本では、リーと共に、極真空手の創始者の大山倍達氏が、少年達のヒーローだった。
ところで、ブルース・リーにしろ、大山倍達氏にしろ、特に少年達の間では、正々堂々とした、クリーンな、まるで、オリンピック選手のような格闘家のイメージがあったのだと思う。
リーの映画での戦い振りは、敵は卑怯な手を使っても、あくまで、力と技と、そして、スピードで堂々と勝つものである。
大山氏を有名にしたのは、『空手バカ一代』という漫画だが、梶原一騎氏の原作は、かなりフィクションを織り交ぜ(ほとんどフィクションという話もあるが)、大山氏をヒーローに仕立てる演出があったのだと思う。

私は、中学生の時に大山氏の本を読んで、衝撃というほどではなかったと思うが、驚いたことがある。
それは、だいたいの意味で、
「空手は最強の格闘技であるが、それは、目潰しと金的攻撃があるからだ」
と、書いてあったことだ。
空手の目潰しは、2本の指で相手の目を突くことのようだし、金的とは男性器、特に、睾丸であるのだと思う。
およそプロスポーツで、この2つが反則でないことはあり得ない。
しかし、空手は、この2つがあるから最強であるという。
価値観が揺らぐと共に、何か重要なことを感じないだろうか?
大山氏は戦後、プロレスラーと戦うためにアメリカに行く際には、この目潰しと金的攻撃を徹底して練習し、元ボクサーの強豪で、力道山に勝ったタム・ライスと戦った時、しょっぱなにまず見事な目潰しを決め、それから、とび蹴りでタム・ライスをKOしたらしい(タム・ライス戦が本当にあったのかどうかという疑惑もあるようだが)。
歴史的なキックボクサー、沢村忠さんの伝記である『真空飛び膝蹴りの真実 “キックの鬼”沢村忠伝説』の中にあるが、野口氏というボクシングジムの会長が、タイの格闘技ムエタイの興行を日本で行うにあたり、タイ人同士の対戦では客が入らないと思い、野口氏は、大山倍達氏のところに行き、お弟子さん達にムエタイと戦ってもらえないかと頼んだそうだ。
しかし、タイでムエタイと戦った経験がある大山氏は、今の弟子達では勝てないことが分かっているので断ったという感じだったと思う。
だが、それはあくまで、目潰しと金的攻撃を禁止されればという話なのだと思う。
このお話の結末は、大山氏に断られた野口氏が、元空手学生チャンピオンの沢村忠氏(実際は本名の白羽秀樹氏)に頼み、沢村氏の後輩の空手家が対戦するはずだったが、ムエタイの強さに恐れをなして沢村氏の後輩の空手家達が逃げ、代わりに沢村氏自身が責任をとって対戦し、辛勝したということだ。

格闘技として見るなら、目潰し、金的攻撃が卑怯という言い方は正しくないと思える。
しかし、この考え方が出来ない人が日本人は多いはずだ。
その理由は、察しがつくと思う(簡単に言えば平和ボケしている)。
もちろん、人間社会にはルールがあり、それを守るのが知性ある人間である。
今は、戦争にすらルールがあり、国際社会では、戦争は容認しても、ルールを守るよう求める。
だが、捕虜は人道的に扱わないといけないというルールはあっても、殺し方にルールはない。
また、男同士の喧嘩であれば、ルールはあると考えるのが、まともな人間である。
虫の世界にすら、雌を争っての雄の戦いにはルールがある。勝ち負けを決める基準があり、それを超えて戦わず、致命傷を与えることはないということだ。
だが、暴漢から女の子を(特に1人で)守る時に、正々堂々の戦いをする必要はない。そんな時は、どんな卑怯な手を使っても、絶対に勝たなくてはならないだろう。
そんな時のために、目潰しや金的攻撃の練習をしておくのは良いことだ。
ただ、こちらがやることは、やり返されることも当然あるので、その防御を練習するのも良いだろう。
実際、大山氏の空手では、相手も目潰しや金的攻撃をしてくることを前提にしているらしい。
余計な解説はしないが、こういったことを、よく考えると良いと思う。









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ゆるまない自分を作る方法

私が、昔から、随一の成功法則の書と思っているのが『ノストラダムスの超法則死活の書』という五島勉氏の本だ。

『ノストラダムスの超法則死活の書』は、最悪(生命に係わるほどの最悪が最も良い)を受け入れることで、不思議な力が働いて逆転勝利する・・・と、単純に言ってしまえばそんなものだ。
だが、実際に最悪を受け入れることは難しい。
この本に、こんなお話がある。
ある若い騎士が、美しい姫を争って、自分より強力な騎士と決闘する。
しかし、その若い騎士は、大預言者ノルトラダムスに「お前は負けて死ぬ」と断言され、また、ノストラダムスの神的な力を見せつけられたこともあって、敗北、屈辱、姫を得られないこと、そして、死を完全に受け入れる。
だが、決闘では、奇跡の勝利を得る。
これが、最悪を受け入れた人間の力だ。
しかし、その力の正体については、この本にも書かれていない。

その若い騎士は、最悪を受け入れ、覚悟を決めたことで、決してゆるまなかった。だから勝ったのだ。
なぜなら、ゆるまなければ生命の炎が燃え上がり、心の支配力が高まるのである。
この若い騎士の決闘の相手だった強力な騎士は、自信があったので、どこか少しゆるんだのだ。
一方、完全に死を覚悟した若い騎士は、おそらく、「勝てないまでも、せめて一矢を」と思ったのだと思う。
そんな者は、決してゆるまない。

空手家の大山倍達氏が、真剣を持った剣の達人と素手で決闘した時も、
「死んでやる。しかし、手足の1本残っていれば相撃ちに」
と思って突進し、我に返ったら、剣の達人は伸びていたという。
それほどの覚悟を決めた人間がゆるむはずがない。
そうであれば、絶対に負けない。

確かに、最悪を受け入れるということは、ゆるまないための有効な方法の1つに過ぎない。
大切なことは、あくまでゆるまないことである。
しかし、大きな危険を背負うことは、やはり、ゆるまないための極めて優れた方法なのだ。
サルトルも、紛争中の危険な地域にいた時が一番充実していたと語っていたと思うが、それも、ゆるまないことで、生命力が高まっていたからだろう。
行き過ぎではあるが、ロシアン・ルーレットが、ゆるまない究極の方法であり、これをヒントにゆるまない方法を考えることも出来るだろう。

では、具体的に、日常でやれる、ゆるまない方法には、どんなものがあるだろう?
簡単である。
悪いこと、嫌なことを、避けない覚悟を持つことだ。
あの場所に行けば、あの嫌なやつに会うかもしれない。
「ならば、会ってやろう」
と、思うのだ。
あれをしたいと思うが、やれば嫌な目に遭うかもしれない。
「では、その嫌な目に遭ってやろう」
と、覚悟を決めるのだ。
すると、あなたの顔は、みるみる引き締まる。
表情と心は一体だ。
既に、あなたの心は引き締まり、どこもゆるんでいない。
そうであれば・・・
生命はあなたの味方である。
あなたの思いのままにならないことがあろうか?









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なぜ長身長足が良いと思うのか?

私は、今どき、背の高い男の方がモテるということは無いと思う。
もしあるとすれば、女性が幼いのだと思う。
私は大学生の時、やたら小学生の女の子にモテて、毎日、家の前に鈴なりになられた時はちょっと困ったものだが、なぜそんなにモテたのかというと、私が普通より少し背が高かったからのようだ。176cmだったから、さして長身ではないが、それでも、子供の彼女たちから見れば大男で、きっと、アニメ等に出てくる、間抜けなでっかい化け物のような感じで好かれていたのだろう。でも、背が高いなんて、その程度のことでしかないはずなのだ。

昔なら、大きな男の方が好まれたかもしれない。
その理由として考えられるのは、身体で戦った場合、大きい方が有利で、頼りになりそうだからといった程度と思う。
日本には、柔道や相撲といった、体重区分のない大会が行われる格闘技があるが(柔道には階級制もある)、優勝するのは、大抵、大柄な選手であるから、やはり肉弾戦では、身体が大きい方が有利なのだろう。
しかし、どんな事情があろうが、大の大人が暴力に訴えるようなことをすれば、もはや狂人でしかない。

昔、空手家の大山倍達氏が、「男は所詮、最後は腕力で決着を付けなければならない時がある」と著書に書いておられたが、そんなハメにならないようにするのが立派な大人の男である。
そりゃ、今だって、まともでない人間はいるのだが、そんな連中と関わらないようにし、関わったとしても、争いにならないようにしなければならないはずである。
それに、心が正しければ、そんな連中は引き寄せないものである。
それでも、ロクでもない連中と関わり合いを持ってしまったとしたら、それはカルマなのかもしれないが、なるべく手を出さずに済ませるように考える頭を神様が付けてくれているはずなのだ。
大山倍達氏も、昔の話だが、タクシーの運転手と口論となったことで、その相手の大勢の仲間に取り囲まれたことがあったらしい。大山氏はその時は50歳は越えていたと思うが、素人相手なら、30人程度なら、手加減するのに骨を折るだろうと述べておられた。
しかし、その時、大山氏が、微笑みながら、「おじさんは喧嘩が強いよ」と言うと、相手が気味が悪くなって逃げてしまったらしい。
そして、その時、大山氏は、やっと自分も大人になったと思ったらしい(常に温厚だった師に追いついたと思ったようだ)。

私が最後に身体の力で決着を付けたのは、覚えている限りでは、小学5年生の時である。
私は、ひょろひょろした、少しも強くなさそうな大人しい子供だったが、「強い」と言われる子と取っ組み合いになった。
しかし、私の楽勝で、ヘッドロックで決めると、相手は全く動けなかった。
私の方がずっと背が高かったのだ。
確かに、身体で戦うには、大きさはメリットであり、209cmのジャイアント馬場さんは、常々、巨体の有利さを語っていたようだ。
しかし、スポーツでも何でもない、小学5年生の取っ組み合いというのも、かなり馬鹿な行いである。
確かに、その時の取っ組み合いの相手とは、その後、仲良くなったので、喧嘩も多少の良いところもあるかもしれないが、スカートまくりが痴漢と見なされない年齢の間に卒業した方が良い。
ちなみに、5、6年生でスカートまくりをやれば、その子は自制心の無い、問題のある子と言えるし、中学生なら、痴漢として警察を呼ばれても文句は言えない。

女性の場合は、むしろ小柄な人が好かれることも多いが、それでも、モデルのような長身のすらりとした女性も人気がある。
しかし、それは、純粋に好まれているというより、「特別であること」への憧れみたいなものと思う。

色々考えてみると、スポーツ選手でもない限り、背が高くて何か良いことなどはない。
そして、精神的に進歩すればするほど、背が高いことが良いと思うことは無くなるだろう。

また、男女とも、脚が長い方が格好良いと言われる傾向があるが、その意味は何だろう?
それは、単なる固定観念、つまり、偏見であると思う。
なぜそんな偏見が生まれたかは、説明出来るとは思うが、台所のゴミを捨てる時に、そのゴミの成分について説明しても仕方がないように、そんなことを説明する意味はない。
日本人の股下比率(身長に対する脚の長さの割合。股下÷身長×100)の平均は45%で、47%が理想であり、それより長いと更に結構で、芸能人には48%、49%以上がゴロゴロいるという。
ところが、ある洋服店の女性マスターが言っていたが、股下比率48%以上の人間なんて、全くと言って良いほど見たことはないらしい。
芸能人の公表された、あるいは、風説の数値も、ほぼ嘘だと思うということだ。
また、これは正規のデータだが、アメリカ人の平均股下比率も、日本人と変わらず、45%位らしい。
ただ、あなたが学校はじめ、どこであろうと股下なんか計ったことは無いように、日本人の股下の数値データは、身長マイナス座高のことらしく、これだと、股下が実際より長くなるので、実際の日本人の平均は44%くらいのようだ。
ネット上で、股下の計り方として、壁に背を付けて立ち、股の間に厚さ2cmの本等をはさみ・・・とあるが、それで正しく計ることは、何日も訓練しない限り、絶対に無理だ。
そして、脚の長さは、健康、美しさに何の関係もない。
脚が長くても、肥満していれば美しくはなく、すらりとしていれば、脚の長さがどうでも美しいはずである。
私も、「スタイルが良いな」と思う人を、脚の長さに注意してみれば、全然長くはないというのがほとんどだが、むしろ、あまり長くない方が美しいという気もするのである。
つまり、偏見さえなければ、脚の長さに過分な価値を感じることはないはずだ。

固定観念、偏見を持たないことが、能力を向上させる秘訣である。
ならば、背の高さ、脚の長さに、過剰な価値を感じ、自慢したり、羨んだりするなら、残念ながら、能力は高くないに違いない。
だが、常に食を慎んでいれば、その人に最適で、最も美しい身体になるが、肥満している時よりは脚が長くなるようである。
私も、1日1食を1年以上続けた後で、以前はいていたズボンと同じ股下でズボンを買ったところ、恥ずかしいほど短かったということがある。
これについては、『ほとんど食べずに生きる人』にも書かれてあり、10kg痩せるごとに、股下は2cm伸びるようである。
また、腕振り運動を長く続けると、仙骨が身体を調整するようになり、腰痛が消えたり、脚が真直ぐになって長くなると共に、身軽に動けるようになると思う。









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