夢の中で、とても良いことを知ったのに、目が覚めたら忘れていたということはよくあると思う。
それで、枕元にメモを用意し、忘れないうちにすぐに書けるようにしている人がいるという話を何かで見たことがある。
しかし、それは全く意味がない無駄なことだ。
それどころか、確実に有害だ。
目覚めた瞬間に憶えているようなことは、夢で見た実体とは似ても似つかないからだ。
そんな歪んだ記憶なんて相手にしない方が良い。
だが、残念に思う必要もない。
自我は憶えていなくても、無意識では憶えているからだ。
自我が引き下がり、無意識が拡大すると、ちゃんと出てきてくれる。
だから、「夢の中で良いことを知った」ということだけ分かればそれで良いのだ。
音楽家の渋谷慶一郎さんが素晴らしいことを言っていた。
「ネットは自意識を肥大させるものだけど、今音楽に必要なのは無意識の拡大」
(『美術手帖』2013年6月号。~オペラ『THE END』制作者に聞く初音ミクの音楽的革新性~)
実際、私は、渋谷さんの、初音ミクをプリマドンナにして制作したオペラ『THE END』の、『声と言葉のアリア』を毎日何回も聴いて、少し無意識が拡大したので、これまで見えなかったものが見えてきたように思う。
これは、渋谷さんの意図したこととは違うかもしれないけどね。

ちょっと話の目先を変える。
修行といったら、滝に打たれたり、座禅を組んだりを思い浮かべる人も多いと思う。
そうすると、心が強くなり、自我を抑え、心が澄んで、神や仏の心が伝わるというのだろう。
もっと良い修行は、アゴで使われて、掃除などの作業をすることらしい。
しかし、本当は、そんなことをしても、「修行が進んだ」という演技力がつくだけで、何の意味もない。
ずっとアゴで人を使ってきた社長さんが、気紛れで寺に修行に行き、そこで息子のような若い僧にアゴで使われて「いい修行をしました」なんて言うのは嘘もいいところで、帰ってきた社長さんは、「俺は修行で人間が出来てきた」と言いながら、より傲慢になっているのである。

人によっては、「その通り。俗世間の中で、利害関係を持った複雑な人間関係をこなすことで、真の修行ができるのだ」なんて、分かったようなことを言う者も多いが、それは単に、寺の中だけで修行するより高度な演技力が身に付くだけで、精神的には何も変わらないのは全く同じことだ。
まあ、確かに、俗世での修行は、世間的駆け引きはうまくなるので、金儲けには少しは効果があるかもしれないが、いずれにしても、高貴な成果なんて決してないのだ。

何にせよ、修行なんてしないことだ。
そもそも、修行したいなんて、欲望・・・と言って悪ければ、願いを叶えたいためであろう。
それなら、願いを叶える、唯一無二のテクニックを教えてあげよう。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が、現代医学でも治らないような難病になった武士に教えたことだ。
1日1万回「ありがたい」と声に出して言わせたら、7日で吐血し、意識不明になったが、目覚めたら治ってしまっていた。
本当のことを言えば、「ありがたい」でも「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも良いのだ。
大切なのは、1日1万回ということだ。
そして、本当は、3~4万回くらいの方が良い。
実際、願いによっては、もっと多くを必要とするかもしれない。
ところで、その原理であるが、実のところ、何ら高尚でも荘厳でもない。
原理を知る必要もない。
どうせ分からないから。
でも、上で述べたように、無意識が拡大すれば分かることだ。
そして、これは本当に効力がある方法だ。
私は、無意識が、少しだが拡大して、分かってしまったのだ。
知りたければ、あなたも、『声と言葉のアリア』を聴けば良いかもしれないが、これは人それぞれなので、何とも言えない。
原理など知らなくても、やれば結果は出るだろう。









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