ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

固定観念

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固定観念を消して能力を高め超能力にまで達するには

今朝も書いたが、人間は、固定観念を外せば外すほど能力が高くなり、引き寄せの力も大きくなる。
さらに、それ(固定観念を消すこと)を十分にやれば、超能力すら発揮出来ると確信する。

固定観念が便利な場合も確かにある。
例えば、水を飲む時にはコップを使うという固定観念がなければ、いちいちどうやって水を飲むか考えなくてはならない。
また、喫茶店で昼食を食べる時に、何を食べるか無駄に悩む人がいるが、「イタリアンパスタ」と決めておけば無駄なことを考えなくて済む。
だが、「この飲み物には、このタイプのグラスを使う」と、あまりに厳しくこだわる人は、他のことも柔軟に考えられないし、喫茶店のメニューに「イタリアンパスタがない」と言って気分を害する人も、あまり賢い人でないことは想像出来るだろう。
同じように、伝統や風習の良さは認めながらも、それに縛られないことが必要だ。
つまり、守らなくても、本質的には誰の迷惑にもならないなら、どれほど権威的であったり、数千年続く伝統であろうと、必要なら背くことが出来る者が優れているのである。
ただ、権威だから、伝統だからという理由だけで、頑なに従わないことも、固定観念のようなものだ。
学校の教師には、あまりに愚かな者が多いと思うが、優れた教師だっているのだから、教師だからという理由だけで無視することもまた愚かだろう。

最も厄介な固定観念が「不可能思考」である。
それは、価値あることに対し、「自分には出来ない」と思うことである。
固定観念のない極めて優れた人間は、やりたいとおもうことは何でも出来ると信じている。
つまり、やりたいと思うことは全部出来ると思うようになれば良いのである。
それには、まず、信じなくても良いことを信じないことが必要だ。
多くの人は、
「生きていくためには嫌なこともしないといけない」
「お金を稼ぐためには苦労しなくてはならない」
といった固定観念を、普通は、かなり強く持っていることだろう。
そして、この固定観念を持っていると、生きるのは辛いことであり、単なる生活のために苦労の多い人生を送ることになる。

『荘子』は、固定観念を壊すのに良い書物で、百回も読めば仙人になると言われている。
荘子は、固定観念である世間の常識を笑う人であったからだ。
そして、荘子が生きていた2400年前の常識と、今の常識は、それほど違わないのである。

ニーチェやイェイツは、キリスト教が2000年の固定観念になって人類を眠らせていると考えていたと思う。
そんな面も確かにあるが、それは、教会などの宗教団体のせいである。
イエス自体は、固定観念を消すための方法を教えていたと思う。
だから、イエスは水をワインに変えたり、病人を治したり、パンを増やしたり、死人を蘇らせたり、嵐を静めることが出来た。
もちろん、これらの多くは、「誰もが出来ないと思っていることが出来た」ことの象徴と思ってもらえば良いが、固定観念を外すのに役に立つ話と言えると思う。
現代の書物としては、『ヒマラヤ聖者の生活探求』や『アルケミスト』も、固定観念を消すのに、大いに役に立ってくれると思う。








我らの敵、それは固定観念

人間が本来持っている能力は途方もなく大きい。
だが、ほとんどの人間は、その力を使うことが出来ず、いわば、「眠れる巨人」の状態である。
その隠れてしまっている力の、ほんの一部でも使うことが出来れば、誰もが、天才、超人になれるというのは、紛れもない(明白な)事実である。
では、どうすれば、普通の人は有ることさえ知らない、その力を使えるようになるのか?
本来の「巨人」として目覚めることが出来るのか?

その答は、一言で言えば、「固定観念を壊す」である。
我々は、幼い時に親から、学校に行くようになったら教師から、そして、マスコミや地域社会から、固定観念を叩きこまれる。
それによって、平凡な人間に成り下がってしまうのである。
その長期に渡って、執拗に叩き込まれた固定観念を壊すのは難しい。

固定観念が、どのように能力を制限するかの、よく知られた例が、象(ゾウ)をつなぐ杭の話だ。
大きな象が、小さな杭にロープでつながれている。
象は、そんな杭など簡単に引き抜いて自由にどこにでも行けるはずなのに、それをしない。
なぜかというと、象は、幼くて力が弱かった時に、杭につながれ、その時は、どんなに引っ張っても、杭はビクともしなかった。
それで、自分には杭を倒せないという固定観念が出来、大きく強くなっても、杭をどうすることも出来ないと思い込んでいるのだ。
他にも、小さな箱に閉じ込められたノミが、箱の高さ以上に跳べなくなるという実話もある。
そして、我々がまさに、そんな象やノミと同じ状態なのである。

では、どうすれば固定観念を壊せるか?
その方法はいろいろあるが、人類には昔から、固定観念を外すための書物がある。
それらは奇想天外な内容で、世間的な固定観念に凝り固まっている者には、馬鹿馬鹿しく感じて読むことが出来ない。
だが、それを「もっともだ!全く無理がない!」と思って読むと、固定観念が消えていく。
そんな書物は沢山ある。
例えば、新約聖書の福音書で、イエスが水の上を歩いたり、難病を治すのを読み、「馬鹿馬鹿しい」と思わず、「なるほど」と思った時に、固定観念は少しずつ外れる。
他にも、『バガヴァッド・ギーター』『法華経』『荘子』などがあり、いずれも、天才達に愛読された。
天才達は昔、固定観念に侵され、凡人への道を無理矢理進まされていた時、これらを読み、親や学校、あるいは、社会から叩き込まれた固定観念を壊すことで、内なる無限の能力をいくらか掘り起こし、そのような天才になったのである。
人間の隠された能力の中には、知恵や超人的体力の他に、あらゆる超能力(神通力や霊能力とも言われる)もある。
そんな力は、自分のものであり、我々には、それを使う権利があるのである。








一瞬で火星やアンドロメダに行く

固定観念が人間の能力を低くするのは間違いない。
それは人間に限らないので、分かり易い例として、よく言われるのが、赤ん坊の時に細い杭につながれた象は、大人になっても、その細い杭を引き倒せないというものがある。
自分には、その力はないという固定観念を持っているからだ。
※ただし、そんな象は、本当は少数派であるらしい。
また、小さな箱に閉じ込められたノミは、飛び跳ねることが出来なくなる。
人間も同様に、自分は10万円の月給しか稼げない人間だという固定観念が強ければ10万円しか稼げないし、モテないという固定観念が強ければモテない。

普通、自己開発セミナーでは、興奮状態や、催眠状態にして、「私は高額の月給を得ることが出来る」とか、「私はモテる」といった、自己暗示をすることで、マイナスの固定観念を壊し、能力を上げようとする。
だが、実際は、「私は月に百万円稼ぐ」と宣言する度に、「実際は10万円なんだ」という想いが浮かび、かえって固定観念を強化するだけだ。
それには気付いている人もいて、そんなマイナスの想念が浮かばないように工夫するのだが、どんな試みも全て失敗する。
理由は簡単で、なんで百万円稼ぎたいのか、なんでモテたいのかというと、今現在、月給が安く、モテないからだ。
事実は簡単には否定出来ない。

心には、個人の心と宇宙の心がある。
とはいえ、両者の境界ははっきりしていない。
感覚器官に縛られた人間の心は身体1個分しかない。
感覚器官に縛られることが固定観念に縛られることだ。
感覚器官の束縛を逃れた時に、固定観念が消え、自分の心が宇宙の心と解け合う。
結果的には、時間や空間を超えた存在になった時に、無限大の力を持つ。

では、そのためにどうすれば良いのか知りたいのだろうが、それは、公式やテクニックではない。
学校では、単純か複雑かの違いはあるが、「公式にあてはめる」だの、「解放のテクニック」だのを喜ぶが、そんな考え方では何も出来ない。
一言で言えば「愛」ということになるが、この言葉に余計な観念が沢山付き過ぎていて、本当の愛とは似ても似つかないものになってしまっている。
だが、愛の反対の憎しみであれば、ほぼ意味が一定しているので、憎しみを消せば良い。
憎しみの対象を心から離せば良いのであるが、憎むものほど、あなたのそばに寄ってくるものだ。それは、ほとんど嫌がらせであるが、客観的に見れば、本当に滑稽で笑える。
憎むものを我慢しようとか、好きになろうなんて思ったら、確実に心が分裂し、その結果、心は小さな断片に固定化し、その人間は完全に無能力化する。それを体現した存在が、時々取り上げる「まるで駄目男君」だし、まあ、私やあなたという訳だ。

その解決のために、「何かに夢中になれば良い」なんて、洒落ているが、つまらないことを言う人もいる。
人間、1日中、何かに夢中になれたりはしないし、まして、学校や会社の中では、ほとんど夢中になれることはない。
賢者になるには、学校や会社をやめなければいけないかというと、賢者はどこにでも住めるものなのだ。

もちろん、どうすれば良いかは自分で見つけるしかない。
誰かに聞けば、答を教えてもらえると思うこと自体が最悪の固定観念なのだ。
そりゃ、ハサミがどこにあるかとか、コンビニのおにぎりの値段がいくらかなんてことは、適当な相手に聞けば分かるだろう。
試験問題の答なんてのは、その程度のものなんだが、そんなものを絶対視した成れの果てが我々一般人なのだ。
嫌でも憎むものは、次から次へとやって来る。
憎しみを消すのは自分自身だが、それをトライする機会はふんだんに与えられる。
だが、ヒントくらいあげないと不親切というものだろう。
それは、「憎しみが消えたら、あなたはぱっと消える」ということだ。
その間、あなたは火星のアヤノちゃんや、アンドロメダのニーナちゃんのところに行っているのだ。
うまい解説(というより喩えだが)が浮かんだら、また書こうと思う。
イツァク・ベントフさんは科学的にうまく書いていると思う。









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最も柔かいものが最も強い

人間は安心が欲しいのだが、不安だって必要だ。
不安がなくなれば、退屈で死んでしまう。
不安は、向上するために立ち向かうべき、必要なものだ。
不安の陰には、必ずや喜びの種がある。その喜びを得るために、不安を乗り越えようとする強さを発揮するのだ。
例えば、失業の不安があるからこそ、勉強してスキルを見につけるのだし、死の不安があるからこそ、真理を求めようとするのである。

子供というのは、引っ越しで学校が変わることになってしまい、仲の良い友達と別れなければならなくなると、もちろん、悲しいし、転校先の不安もあるのだが、同時に、新しいところに行く喜びも十分にあり、さほどの抵抗は持たないのである。
なぜかというと、やはり、子供は心が柔軟だからだ。
そして、なぜ心が柔軟なのかというと、固定観念が少ないからである。

固定観念が少ないことを若いというのである。
伝統やしきたりに従って当然であるといった固定観念を持たない者は、いい年であれば、世間的には馬鹿だと思われることもあり、立派な人間と見なされないこともあるが、やはり、そのような者は若く、心が柔軟で、強いのである。
そのような人は、トラインの本に出てきた80歳過ぎの女性のように、25歳以上には見えないようにもなるのである。
結婚式や葬式は、日本もかなり形式化しているが、日本以上に民族色の濃い国や地域も多い。そのしきたり通りにやらないと、白い目で見られたり、下手をすれば村八分だ。
だが、もうそんなものは叩き壊すべき時だ。

将棋の羽生善治さんは、強いだけでなく、従来の将棋界の、権威に守られて来た伝統やしきたりを壊してきた。
つまり、プロの将棋というのは、自由に打っているのではなく、定石手順という常識があり、例えば、「名人戦のような大舞台では、この手順で行くべき」、「大先輩を相手に、大試合ではこんなことをやってはいけない」というものが沢山あったが、羽生さんがそれを壊し、今では、もうそんな言い方をされなくなってきている。
そして、将棋は進歩し、また、棋士にとっても、観る者にとっても、将棋が面白くなったのだ。

ビートルズだって、「ロックとはこんなものだ」とか「ブラックミュージック(ブルース、ヒップホップ、ジャズ等)とはこんなものだ」という固定観念をぶち壊して(もちろん、良いところは残し)、うまくアレンジしたのが新しかったのだし、いまだに独創的なんだと思う。

ビートたけしさんは、今のお笑い界のあり方を憂いているし、「今の若いやつらは気の毒だ」とも言うが、別にお笑い界を改革しようとは思っていないと思う。意外に(?)謙虚なあの人は、自分にはそんなことは分不相応と思っているだろうし、若いやつは自分でなんとかしなきゃいけないと、ある程度、突き放しているのだろうと思う。
しかし、羽生さんは、将棋界のためであると共に、後に続く若い人達のためにも、将棋界を改革したのだ。だが、それでも、若い人は若い人で、自分のスタイルを持たなければならない。
ところで、羽生さんですら、若い人と対戦すると、自分のマンネリに気付き、彼らの新しい発想に感心するらしいが、それも、羽生さんが、伝統的な定石を壊したことで、若手が本来の創造性を発揮できるのだと思う。そして、それは、羽生さんにも、若手から刺激を受けて向上出来るというメリットをもたらしているのである。

神秘世界のことに関しても、カバリストはカバラにこだわり、キリスト教徒は聖書にこだわる。
仏教の僧侶が、一見、柔軟にキリスト教やイスラム教に理解を示すこともあるが、所詮は仏教の優位をほのめかすのである。
また、ラマナ・マハルシを崇拝する者は、彼の教えが最上と信じて疑わない。
だが、いかに優れた教えでも、それにこだわれば、固定観念を作り、柔軟性を失い、そして、弱くなり、生命力を奪うような不安を持つことになる。

あなたは何者でもない。
本当のあなたは、見ても見えず、聴いても聴こえず、捕まえることはできない。
真のあなたは、それほど希薄で、微細なので、極めて柔軟なのだが、それは同時に、最も強いのである。
腕振り運動や、心の微かな声の呪文をたゆまず続ければ、そのような、柔らかくて強い自分になれるだろう。
そうなれば、恐れがなくなり、恐れがなければ、不思議なことに、虎すらあなたを害しない。
まして人であれば、あなたに逆らうことも出来ないだろう。









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力ある女神達がイノセンスである理由

ギリシャ神話の神々のことを「人間臭い」と表現する人がよくいると思う。
完全であるはずの神に似合わないように思える行いがよく見られるからである。
しかし、それを、「人間臭い」というのとは違うと思う。
ひどく無邪気に感じる神々の行いは、全く人間臭くなく、それこそ神らしいと思うのである。

ギリシャ神話の最高位の神々であるオリュンポス十二神は、ほとんどがゼウスの兄と姉、そして、ゼウスの子で、例外は愛と美の女神アプロディーテーだけだが、アプロディーテーはゼウスの祖父ウラヌスから生まれた女神である。
オリュンポス十二神は、男神6柱、女神6柱だが、力や勢力において際立つのは、若い女神であるアテーナーとアルテミスである。
アテーナーは大神ゼウスとほぼ互角とまで考えられるし、ゼウスの後継者と思われるアポローンの双子の妹(一説には、先に生まれた姉)であるアルテミスも、アポローンと並び称される。
ところで、アテーナー、アルテミスとも処女神として知られる。
アルテミスは純潔の女神とも言われるが、この2柱の女神は徹底して処女であることに重きを置く。
アルテミスはカリストーという非常に美しく愛らしい精霊の少女を気に入って可愛がり、身近においていたが、カリストーは、彼女を見初めたゼウスと交わり身ごもる。
カリストーの妊娠を知ったアルテミスは、一切の事情を知ろうともせず、カリストーが処女でないという理由だけで追放する。
普通に考えたら、アルテミスの行いは理解し難く、カリストーを可哀想に思うだろう。

だが、ギリシャ神話でいう処女とは、固定観念を持たないということと考えると良いのだと思う。
知恵と戦いの女神アテーナーは固定観念を持たないが故に、知恵に優れ、軍神アーレスに打ち勝つほどの力を持つのである。
アテーナーは、その力を保つために、固定観念を持たないこと、つまり、処女であることに徹するのである。
アルテミスが水浴しているところに、たまたま通りかかったアクタイオンという男を、アルテミスは自分の裸を見たというだけで鹿に変え、アクタイオンは、彼が連れていた猟犬に食い殺される。
ここまでに処女に徹底するからこそ、つまり、固定観念を近付けないからこそ、アルテミスもまた、神々の中でも別格の扱いを受けるほどの力を持つ。
また、オリュンポス十二神には含まれないどころか、ゼウスの敵であったティターン族の女神であるヘカテーは、強大な権能を持っていたが、ゼウスはそれを取り上げなかった。
ヘカテーもまた処女神であり、ゼウスすら手が出せない、侵し難い力を持つ女神である。

恐るべき力を持つ処女神達は、とても無邪気である。この無邪気さが、固定観念を持たないことを表してもいると思う。
ところで、聖母マリアは処女のままイエスを身ごもったと福音書に書かれているが、それを表面的な言葉のまま受け取ってはいけないかもしれない。
こう言ったからとて、別にカトリックの教義を否定することにはならない。
マリアは不要な固定観念を持たない優れた女性だったということだ。
死海文書やエドガー・ケーシーのリーディングにおいては、マリアは普通の方法でイエスを身ごもったとされている。
言葉通りの意味でマリアが処女だったということに、こだわるのはおかしい。そんな信仰はレベルが低いと、未来において思われるかもしれない。
むしろ、マリアは世俗の固定観念を持たなかったこと、世間の教義や信念に平伏すのではなく、天の理を貴び、従っていたというところを強調すべきなのである。

我々も、アテーナーやアルテミスが固定観念を嫌っていたこと、マリアが固定観念に穢れない存在であったという視点でギリシャ神話や新約聖書を読むと、得るところは大きいのであると思う。
きっと、アテーナーやアルテミス、そして、ヘカテーの力の一端に触れると思う。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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