ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

因果応報

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

罰(バチ)は当たりたくないものだ

いきなり何だが、悪い事はしない方が良い(笑)。
おそらく、何らかの仕組みがあり、悪いことをすれば、必然的な報いがある・・・なんて、まるで宗教だが、こと、自分に関する限り、例外はないと思う。
イエスは、「隠したものは必ず公けになる」と言ったらしいが、彼は本当に天才だ。
もちろん、隠したからって、その全部でバチが当たる訳ではないと思うが、何らかの基準があって、それに見合った罰則が適用されるのかもしれない。
いわゆる、「信賞必罰(しんしょうひつばつ)」だ。それが、人間の営為を超えた、絶対的な力学として作用する・・・って、やっぱり宗教っぽい(笑)。

国際線ジャンボジェットパイロットの坂井優基氏が、運以外に頼るものがない場合が多い、飛行機の空でのトラブルを何度も体験するうち、やっぱり、この世界には因果応報の法則が作用しているとしか思えないという話を著書に書かれているが、私もそう思うのである。
テレビCMを見ていると、今やほとんどのCMが、売れさえすれば、誰がどうなろうと知ったことではないというポリシーを感じてしまうのである。
そんなことが積み重なっていて、この国の滅びも近いように思う。
世界的投資家のジム・ロジャーズが、日本人は、子供に中国語を習得させ、さっさと日本を捨てた方が良いといったことを書いていたと思うが、それが現実になりつつあるのかもしれない。
いかに正論でも、権力者を批判しても、何の効力もない。
だが、権力者ごと国が滅びることはあるし、それはあっさりと起こるかもしれない。旧ソ連のように。

だが、悪い方の因果方法、信賞必罰もあれば、良い方にだってある。
それが、坂井優基氏が著書で説かれていたことだった。あまり売れた本とは言えないが・・・
つまり・・・ベタではあるのだが、善いことをすれば、悪い因果は減り、さらには、良い因果となる。
イエスの場合は、「あなたに悪いことをした者を許せ、そうすれば、天の父もあなたを許して下さる」と言ったそうだ。
もちろん、見知らぬ金持ちから大金を騙し取った者を、自分が許す権利はないし、ソクラテスではないが、法を破った者は、誰が許しても報いを受けるのが当然だ。
一方、自分の金を騙し取った者に対しては、訴えて刑務所に送るのは悪い事ではなく、むしろ、善いことであるが、恨みは忘れないといけない・・・ということだ。
彼氏や彼女の浮気相手は、なかなか許す気になれないだろうが、そういうのは、さっさと別れて許した方が良い。
夫や妻の場合は、許しはするが、よほどの悔い改めの証拠でもない限り、クールに別れると良いと思う。

「20世紀最大の詩人」とも言われたノーベル賞作家、W.B.イェイツによれば、人間には愛する能力はないが、憎む能力があるので、憎むことを止めることも出来るのだすだ。非常に賢い推察と思う。なら、出来るなら、憎むのをやめ、許してしまうのが一番だし、普通、それは出来るということだ。
アメリカ最大の賢者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンは善意の寄付はしないと言ったが、罪滅ぼしの寄付なら悪くはあるまい。
上の坂井優基氏によれば、施しは運を向上させる。確かに、イエスが言うように、隠れて寄付をする「陰徳」が良いのだろうが、坂井氏はおおっぴらにやる「陽徳」だって良いと書かれていた。その場合は、多少の見栄を張れることで満足し(笑)、また、少しは痛い額でなければならないが、パム・グラウトによれば、手取り収入の1%で適切なのであるそうだ。月給3万円なら300円で良い(笑)。
私は、そんなに度々ではないが、災害が起こった後、39,000円を寄付したことがある。おかげで健やかであるが、ロクなことをしていないので、次が必要かもしれない(笑)。分を弁え、3,900円でいこうか・・・。













当ブログ著者、KayのAI書。
AIを理解するには、自分で実用的なAIを作るしかありません。
それは、数学、プログラミング、AI理論が解らなくても、Excelを使えるスキルがあれば誰でも出来ます。それをなるべく楽しくやれることを目指しました。
AIを全く解らない政治家が、AIという言葉を使って、全く的外れなことを言っていますが、自分でAIを作れるようになれば、それに騙されなくなります。
また、日本の政府には無理かもしれませんが、アメリカ、中国、ロシアがAIで悪いことをしようとしているかもしれないことが理解出来るようになります。

因果応報

因果応報・・・善いことをすれば善いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる。
迷信臭いが、それは正しいのではと思っている人は多いと思う。
それは単に、幼い頃に無意識の中に刻み付けられた文化的な教義に過ぎないかもしれないが、周囲の人や有名人、あるいは、歴史上の人物を見たら、やっぱり当っている・・・つまり、因果応報があるように思えるのである。
Web上でちらっと見ただけだが、あのホリエモンこと堀江貴文さんのように、およそ因果応報なんてことを言いそうにない人が、刑務所の中で、自分より強い立場の人に嫌な目に遭わされたことを、かつて、自分が社長だった時に社員に対してしたことと同じと感じ、「因果応報ですねえ」と言ってたりするのを見て、「やはりそうか」と思ったりするのである。
お釈迦様の教え、つまり、仏教も、つまるところ、因果応報なのだと思う。

因果応報の理を、程度の違いはあっても信じることで、悪いことをする抑止力になるかというと、まあ、それほどでもないと思う。
「こいつをいじめたら、俺が後で誰かにいじめられる。ここは1つ、(いじめは)やめておこう」
なんてことにはならず、いじめる時には、やっぱりいじめてしまう。
それで、実際、後で自分がいじめられることになるかもしれない。
これも程度の違いはあるが、だから、「恐ろしい」と感じる。
しかし、いくら恐ろしい、悪い事はやめようと思っても、やってしまうのが人間だ。

そこで、悪いことをした埋め合わせに善いことをすれば良いのだという考え方があり、これも、なんとなく正しいように思える。
確かに、「罪滅ぼし」のつもりで善いことをする人は多いと思う。
しかし、ある程度の年になれば、自分がやった悪いことに対し、自分に出来る善いことは僅かなものだと悟ることになる。
これでは、後の不幸は避けられそうもない。
そこで念仏である。
浄土仏教の教えによれば、極めて重い罪を犯していても、念仏で消えてしまう。
なぜなら、念仏ほど善い行為はないので、やってしまった悪の罪滅ぼしになって余りあるし、念仏の善を無効にするほどの悪はないからである。
これも迷信のようだが、よくよく考えれば、論理的だと分かるのである。
念仏とは、自分より高い存在を認め、それに意識を向ける行為だ。
それにより、身の程というものを知ることが出来る。
身の程を知ることほど立派なことはない。
身の程を知り、自我が退き、忘我、没我、無我となれば、宇宙意識と一体化し、宇宙の万能の力のサポートを受ける。
見えない部分もあるが、大よそではこうである。

しかし、何となく、「自分のやった悪い行いの報いが来たのかなあ」と思った時に、初めて熱心に念仏を称えたりする。
浅ましい気もするが、そんなものだ。
だが、浅ましくても、とにかく、他に手立てはない。
そんなわけで、念仏を称えるのである。

私が因果応報を強く感じるのは、かのソクラテスについてである。
彼は確かに、知恵というのは神から来るという素晴らしい真理を突き止め、証して見せた。
しかし、だからといって、実績ある人達に対し、「あんた達自体に知恵はないのだよ。それはあんたの力でなく、神の力なのだよ」と言って、露骨にプライドを傷つけるのもどうかと思う。
それで、最後は自分自身が理不尽に誹謗され、完全に面目を失うことになってしまった。
正しいことを言うにも、言い様があるのだと思う。
まあ、ソクラテスは、自分には知恵がないと認めているが、だからといって、むざむざ悲惨な目に遭う必要はない。
彼は口では神々を崇めていると言ったが、本当だろうか?
どうも、自分の知を誇り、神々への崇拝を欠いていたような気もする。
彼も、ちゃんと、念仏のような、神を崇める言葉を称えていれば、あれだけの知恵者だ。もっと良い想いが出来たと思うのである。









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本当に強い人間はこう生きている

何かの本で、「インドの人達はカルマを信じているので、他人の不幸に冷淡である」と書かれているのを見たことがある。
カルマとは、業(ごう)と言われるもので、カルマの法則とは、過去、あるいは、前世で行ったことが自分に返ってくるというものである。
例えば、前世で他人をいじめて辛い目に遭わせた者が、今生では、自分がいじられる立場になって、その辛さを自分が味わうというものだ。
そのような因果応報がカルマの法則であるが、案外に多くの人達が何らかの意味で、そんなものがあるということを認めていると思う。

それで、誰かが、病気や貧困や人間関係で苦しんでいるとしても、それは、その者の過去や前世の行いの報いであるから、仕方のないことであり、黙って見ているしかないというものである。
むしろ、変に手助けしたり、慰めたりしたら、その者がカルマを解消(不幸の原因である悪い業を消すこと)するのを邪魔することになるので、余計なことをしない方が良いということになる。
ただ、他人を救ってあげたら、自分のカルマの解消になるという考え方もあるようだ。
しかし、それは、考えてみれば、案外に利己的な行いということになるかもしれない。

親鸞聖人は徹底したカルマ論者であったと思うが、仏教自体が、カルマ論の上に成り立っているのだから当然とも言える。
親鸞は、いかなるわずかな、些細な出来事も全て、過去の行いから生じていると言った。
だが、我々愚かな凡夫は、罪を重ね、次々に悪いカルマを作るので、不幸になる一方で、この世でもがき苦しむしかない。
しかし、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えれば、どれほどの重いカルマも、阿弥陀如来の力により解消されると親鸞は教えた。
その根拠は、浄土三部経にそう書かれてあり、師の法然を含む、過去の偉大な僧達の経典の解釈によるというだけである。
つまり、別に、論理的な根拠がある訳ではない。
ただ、親鸞は、自分にはカルマを解消するような力はないので、阿弥陀如来に頼るしかなく、もし、その教えが嘘だったとしたら諦めるとまで言っており、なかなか潔い態度である。

もちろん、今の時代、親鸞の教えをそのままを受け取るのは難しいと思うが、なんとなく、カルマというものはやはりあり、そして、それをどうやって解消したら良いのか分からないというところまでは同意できる人が多いかもしれない。
そこが、いろんな新興宗教の儲けどころという訳だ。
「うちの宗教に入れば、そして、その教えを守ればカルマは解消される」
というのであろうが、そこで必ず、教団への布施(寄付)が要求され、布施しないとカルマは解消されないと言いたいらしい。
それで、宗教関係者達が生活できるというのは良いことだが、その人達が、非常に豊かな生活をしているのがバレると、「それ、おかしいんじゃない?」となるのかというと、そこは、教祖様達の説得力によって変わってくる。

早い話が、寄付をするしないは、カルマの解消とは関係がない(カルマがあるとしてしまっているが)。
念仏に関して言えば、宗教の教えと違う意味でだが、絶対に効果がある。
だから、親鸞などの教えを、信じられるならそのまま信じても良いと思うが、それは、現代人にはちょっと無理ではないかと思う。
「南無阿弥陀仏」の念仏は、音として非常に素晴らしいので、効果があるのである。
それは、「アーメン」や「アジマリカン」が素晴らしいのと同じである。
それについては、いつも書いているので、ちょっと違うことを述べよう。

仏教の教えでは、この世は苦の世界であり、この世に生まれたということ自体が、かなりの悪いカルマを持っているのである。
それは、論理的に言っても、正しいことであると思える(論理を述べれば長くなるが、説明はできる)。
いずれにしても、この世に生まれたからには、それなりの苦しみは背負うものであり、生まれてから死ぬまで、何の苦難苦労もなく、安楽ということはあり得ない。
また、人生のある時点で完全に幸福になるということもない。
どれほど豊かになり、家庭や友人関係や社会でうまくいっているように見えても、決して悩みは尽きず、苦しいことは必ず起こる。
それは、どれほどの超人的な努力をする者でも、聖人のような人格者でも、王様でも同じで、完全に幸福になることは絶対にない。
完全に幸福になるのは、カルマを完全に解消して、もう二度とこの世に生まれてこなくても良くなった時である。

では、我々は、ペテン師も聖人も含め、どうすれば良いだろう?
どうしようもない。
やせ我慢するしかない。
ロサンゼルス・ドジャースのドジャースって意味を知っている人は少ないと思うが、「ペテン師集団」という意味だ。
意外に思う必要はない。
我々は誰でもペテン師だ。
彼らは、冴えたペテン師を目指しているだけだ。
しかし、どれほどクールなペテン師でも、やはりカルマを作り出し、苦しみは絶えない。
だから、苦しいことがあるのは仕方がないと諦めてしまうことだ。
それに対して、嘆いたり、文句を言ったり、愚痴をこぼしたり、慰めを求めたりしてはならない。
犯した罪の言い訳をしてもならない。
あらゆる行為は罪かもしれない。
だから、どんな時も決して言い訳をしてはならない。
やせ我慢が、人間の最も立派な状態である。
カルマの法則など知らなくても良いが、自分がやせ我慢し、他の人も、やせ我慢ができるよう導くのが、最も崇高な人間のあり方である。
念仏や呪文を唱えると、悪い状況が消えるように感じるのは、自分がカルマを飛び越えるので、世の中が夢のようなものになり、どうでも良くなるからである。









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