「正義は常に勝つ」と言うが、一方、「勝った方が正義になるだけだ」なんてシニカル(皮肉な。冷笑的な)ことを言う者もいる。
しかしだ、やっぱり正しい者は最後には勝つのだ。
こんなことを言うと、現実主義を標榜する者達に馬鹿にされそうだが、それでも、正義は勝つ。
だが、その前に「正義」の定義をしておくべきだろう。

善の反対も、正義の反対も、共に「悪」で通用する(正義の反対は不義や不正と言う者もいるが、ピンと来ないし、そんな決まりはない)。
では、善と正義は同じだろうか?
そこが問題で、ある意味では同じだが、ある意味では違う。
悪にはレベルはない。巨悪と言おうが小悪党と言おうが、悪は悪だ。
しかし、善にはレベルがある。高レベルの善が正義である。
高レベルの善とは、物質的な善ではない、見えない善だ。
簡単に説明する。
荘子は、「善悪は相対的なもの」と言う。
善と悪は、立場の違いに過ぎないというわけだ。
また、荘子は、善悪だけでなく、あらゆるものが相対的と言った。
例えば、破壊と見えるものも、立場が変われば完成だ(奴隷制度の破壊は、奴隷制度廃止を求める者の完成)。
中島敦の『名人伝』で、悟りの境地に至った弓の名人は、「私には、善と悪の区別がつかない」と言う。
その通りだ。
だが、これらは、目に見える物質的世界での善悪なのだ。
目に見える物質的世界では、善と悪も、他の一切のものと同様、見る者の立場で入れ替わる。
しかし、人間の頭脳では理解出来ないが、高次の観点での善は絶対だ。
それは、人間からすれば「神の意思」とか「宇宙の意思」とでも言うしかない。
その、高次の絶対的善を正義と言う。
つまり、初めに述べた通り、高レベルの善が正義である。

だから、神の意思に沿ったことが正義で、神の意思に沿っていないことが悪である。
そして、正義は必ず勝つ。
大切なことは、自分勝手な都合で、神の意思が何かを決めてはならないことだ。
子供には、社長や大統領の意思が全く分からないのと同じだ。

神の意思が理解出来なくても、神の意思に沿うことは出来る。
そして、神の意思に沿うことが正義であるから、神の意思に沿えば、必ず勝つ。
神の意思に沿う方法・・・それは、変な感じがするかもしれないが、神の名を心で唱えることだ。
他にも方法はあるだろうが、普通の人には難しい。
そして、神の名を唱える・・・ナーマスマラナ(神の名を心で唱える行)や念仏であれば、誰でも出来、しかも、確実なのである。

ドナルド・トランプが噂通りの男であれば、最後は必ず勝つ。
彼が、自分で言うように、聖書を読む男であれば、特に、ナーマスマラナを知らなくても、神の名は自然に何度も唱えるはずだ。
一方、彼の敵さんらは、心で神の名を唱えることは決してない。
そして、我々は、心で神の名を唱える行があることを知っている。
それが、ナーマスマラナや念仏だ(実際は両者は等しい)。
それを行えば、負けることは決してない。