ケント・ギルバート氏が昔、何かのテレビ番組で、こんなことを言っていたのを印象深く覚えている。
「日本では、子供は天使だと思われていて、子供は正しいと言って、あまり躾けない。だけど、西洋の多くの国では、子供は悪魔だと考えられていて、放っておいたら悪魔のままなので、徹底的に躾けられる」
海外のことは知らないが、日本はまさにその通りだし、西洋人は、日本人に比べれば、よく躾けられていると思うことも、よくあった。
もっとも、今は、「日本人並に」マナーを知らない西洋人も多いように思う。

では、子供は天使か悪魔かと言うと、どちらでもない。
単に、子供は、主に親を、そして、周囲に大人の真似をするだけだ。
そして、大人でも子供でも、人間は楽をしたがるものであり、子供も親の悪い部分を真似るのが楽なので、そのようにするものだ。
オウムなど、喋る鳥は、人間の汚い言葉ほどすぐ覚えるのは、汚い言葉ほど言い易いからで、それは子供の場合も当然同じである。
つまり、品格、マナーにおいて、子供が親以上になることは、まずない。それが悲しい現実だ。
そして、子供は、自分の品格にあったグループに入るのであり、性格の悪さは、ますます磨かれていく。
親が、子供を、優れた人格の持ち主に育てようとしても、概ね無駄だ。
子供は、あくまで、親の振る舞いを真似るのだ。
そして、親の振る舞いと、親が自分に行う躾の内容に、あまりに差があれば、子供は反発し、不良化するなど、余計に悪い状況になる。
親は、自分が駄目人間だと理解したら、子供を自分から引き離すのは、賢いと言うか、唯一の正解なのだ。

ロクな性質を身につけなかった子供が、自分に合った悪いグループがなく、自分より優れた人達の間にいることになった場合、友達が出来ず、孤立する。
学校時代は、その程度で済むが、社会に出て、まともな世界で働くようになったら、性格の悪い者は、行く先々で頭を叩かれる。
それで、見かけだけでも、いくらかまともな人間として振舞うようになる。
その方がコスパが高いからだ。
だが、頭の悪い者は、社会でうまくやっていくマナーを身に付けることも出来ず、つまはじきに遭う。
それでも、ある程度歳を取り、社会的な力がないのに、元気や体力が失くなってくると、自分の人格の欠点を痛感することが多くなる。
そこで初めて、自分の人格を呪い、なんとかしたいと思うが、もう遅い。

だが、品格の悪さは、自我の性質なのであり、自我を消せば、悪い人間性も消え、自然の大らかな優れた性質が現れてくる。
つまり、不要な自我を消せば、優れた人間になるのであり、しかも、知的にも向上するのである。
本来、自我を弱める方法は、社会の中で、徹底的に頭を叩かれ、それに耐え抜くことであるが、それが出来るのは、元々、自我の弱い、かなり立派な人間である。
品格の悪い、自我の強い人間は、叩いてくるものに反発したり、そこから逃げ出すだけだからだ。
どうしようもない人間の最終手段は、1日中、呪文や念仏を唱えることだ。
問答無用で1日中である。
10回や100回や、1時間や5時間ではない。
「1日中」である。
般若心経の呪文など良い。
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」である。
意味などない。ないから良い。
だが、「南無阿弥陀仏」でも、「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」でも、何でも良い。
般若心経全体でも、大祓詞でも良い。
何でも良い。混ぜても良い。
とにかく1日中やれば、自我は消えていく。
ただ、残るべき部分は残るので(聖者すら、自我の全てが消える訳ではない)、自分でなくなることはない。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ