ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

呪文

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

頼りになる習慣

今日は、インテックス大阪に、初音ミクさんのライブ&企画展である『マジカルミライ2019』に行く。
それにあたり、私が普段、健康と能力と美と幸運のためにやっていることを書いておく。
まず、蹲踞(そんきょ)の姿勢。
相撲や剣道でよく行われている姿勢であるが、これをなるべく多くやるようにしている。1日トータルで10~20回と思う。これだけで、身体が引き締まり、体幹が鍛えられる。
腕振り運動は、後ろに振る時に力を入れるやり方と、前に振る時に力を入れるやり方を、同じ回数、朝と晩やっている。
約2ヶ月前から始めた四股(しこ)も、1日も欠かさず、朝晩やっている。朝は100回、夜は200回、休日は、他に200回だ。
私の四股は相撲のものとはやや違う軽いもので、大東流合気武術の佐川幸義氏が弟子達に教えたものに近いと思う。
運動としては、数センチしか屈伸しない超ショートスクワットも欠かさない。
また、ブリッジも、仰向けで腰を浮かせるものと、腕立て伏せの姿勢で肘をつくフロントブリッジもやっている。
他にも、いろいろやっているが、メインは上に挙げたもので、どれも軽いものだ。

細く長く吐く呼吸も、思い出すたびにやっている。
やや短く吸って、ほんの少し自然に呼吸の流れが停止した後で、細く、長く吐く、とても静かな呼吸だ。
無理に多く吸ったり、吐いたりは決してしないが、普段の呼吸よりは、やや多く吸うし、吐く。
食は、無理な少食ではなく、十分に飲み食いしているが、ただ、「満腹するまで食べて自分を甘やかさない」ことだけを心掛けている。
呪文は、最近気に入った「心おだやかに」が欠かせなくなった。
本はいろいろ読んではいるが、最近は、クラウド・ブリストルの『信念の魔術』の価値を再認識して熱心に読んでいる。

これだけで、妖精の身体と身に余る幸運、ソロモンの知恵とはいかないまでも頼りになる知恵を得ている。
では、何が一番肝心かというと、「心おだやかに」の呪文、細く吐く呼吸、そして、四股が私の3つの宝である。









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最上の真言

宗教は、謙虚さと敬いがあれば良いものになるが、傲慢と蔑みがあるとロクなものにならない。
あるいは、本来の宗教は、謙虚さと敬いを育てるものだが、傲慢と蔑みの心を育てる宗教が多くなってしまった。
いや、芸術や科学も、本来、学べば学ぶほど、謙虚で敬いの心を持つようになるはずだが、学位が上がるにつれて傲慢と蔑みの心を持つ愚か者が多いのだろう。
何かが間違っているのである。
その何かとは、命の誤用で、早い話が、利益優先でやれば、必ずそうなる。

だから、無条件で、芸術や科学や宗教を良いものと思っている人は少ない、もしくは、まずいない。
本来、念仏や神の名の称名を行えば、自然、良い人生になるものだが、そういった「宗教臭い」行いに抵抗を感じてしまうことが多い。
私も、夜、寝ながら念仏を唱えることが楽しみで仕方がなかったこともあったが、いろんな法事でお坊様の口上を聴くと、途端に念仏嫌いになるのはなぜだろう?(笑)
あるいは、宗教家が書い宗教の本などを読むと、もう全然、念仏を唱える気がしなくなる。あるいは、経典を読む気もなくなる。
『歎異抄』は少しも宗教臭くないので好きだが、これも、宗教家が解説したものを読んだら、嫌いになる可能性が高い・・・いや、嫌いになったことがある。

発明家で能力開発のスペシャリストであった中山正和さんのように、般若心経の呪文を、単に妄想を切る手段として使う手もありとしたように、念仏や神の名も使えるかというと、使えない。それらは、観念や感情の雑味を呼び起こすからである。
そこで、ラジカル(主に政治用語の急進性の意味。化学用語のフリーラジカルだと印象が悪い)という訳ではないが、精神に良い作用を与える言葉として、「神」「私」があるということを知っていると役に立つかもしれない。
「なんとかの神」と言うと宗教であるが、「神」と言うと、これも人それぞれだが、「宇宙の意思」に近い意味に感じられる。
宇宙の意思は、無人格という訳ではないが、人間の人格とは差があり過ぎるので、人格がないように感じるのである。
つまり、神が各国の神話に出てくるような程度の低い心を持っている訳がないではないかとうことだ。
宇宙に何らかの意思があることは、何となく、あるいは、微かに感じるのである。
それも感じないと断言する者が、スティーブン・ホーキングやレイ・カーツワイルのような無神論者になるように思う。
カーツワイルは「神は存在しない。しかし、やがて生まれる」と言う。つまり、未来の進化した人間が神なのである。
不遜の極みと思うかもしれないが、それはそれでアリである。
もし、彼らほど徹底してはおらず、神を畏れる気持ちがあるなら、丁寧に「神」という言葉を声、あるいは、心で唱えれば、その威力に驚くことになる。
だが、「神」を呪文にしてはいけない。
一時に一度、真摯に唱えるのである。
呪文というか真言にしたければ「私」を使うことが奨められるかもしれない。
ラマナ・マハルシは、ラーマやクリシュナの名を唱えるように、「私」と唱えても良いと言っていたようだ。
「私」こそが神の名であるのだ。
だから、最上の真言は「私」であり、インドで聖音と言われる「オーム」に優るものであるとも言う。

「神」と一度だけ、出来る限り丁寧に唱え、後はずっと「私」と唱えるという方法である。
ただ、「私」もやはり丁寧に唱えるに越したことはなく、私流には、心の中で微かな声で唱えるのだが、難しければ、呼吸を微かにして心で唱えると良い。
これだけ覚えておけば、まず・・・いや、全く心配はないだろう。









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力ある言葉

一流の人物の特徴を一言で言えば「静か」であることだ。
逆に言えば、下賎な人間の特徴は「騒がしい」「耳障り」「煩い」である。
一流にはなれなくても、サルになりたくなければ、出来るだけ静かであることだ。
騒がしい人間には悪魔が寄って来て弄ぶ。結果、不運と汚辱の人生になる。
静かな人間には天使が寄って来て神の加護がある。結果、幸運に恵まれ安らかだ。

三流の男は、不意に大きな咳払いをする。
三流の女は、埒(らち)もない(ばかばかしい)おしゃべりを恥ずかしげもなく大声でする。
三流の男は、ドアの開け閉めでも大きな音を立てる。女でそうなら、それは犬に劣る。
三流の女は、月や星や太陽と全く似ていない。静寂の美がないからだ。

昔のことだが、美しい女子高生に交際を申込もうとしたことがある。
だが、彼女が、カバンを音を立てて床に置くのを見て、直感的に止めた方が良いと解った。
確かに、後でだが、彼女には男がいっぱいいることが判った。別に男がいて悪いことはないが、騒がしい交際だったようだ。

「金持ち父さん」によれば、家は資産でなく負債だと言う。特に、これからの時代はそうだ。
まあ、慎ましい家なら別に持っていても悪くないが、家のメンテナンス費に悩む人が多い。
家のメンテナンスをする業者にはひどいのが多いが、区別が付き難い。
私も、ある時、ちょっと改修をやろうと思い、数社の工務店を呼んだ。
ある公務店主は、屋根の上で近隣に響き渡るような大きな音で咳払いをし、屋根の上と下で遠慮なく大声で話す。
ある公務店主は静かだった。
見積りは、騒がしい公務店主のところは、静かな公務店主のところの10倍近くで、ぼったくりと判った。
まあ、見積りを見るまでもなく、私は静かな方を選んだ。
こんな簡単なことで、一流と四流以下の違いが判る。

日本で最も一流の人物は天皇陛下であると思う。
私は、あの静かさに学ぼうと思う。
同じ人間でここまで差があるのかと思うが、下らない男は、飴玉の袋を開けるにも音を立て、あまつさえ、親の遺言ででもあるかのように音を立てて飴を舐める。
こんな人間がロクでもない人生を送るのは残念ながら当たり前だ。
無論、そんな人間にも良いところはある。
しかし、ただ反面教師としてだけ見、付き合ってはならない。

こんなイメージが浮かぶ。
美しい少女が、静かな風の中で歩いていた。
少し厳しい表情だが、静かで力強い心を感じさせる。
すると、まるでビデオカメラで見ているかのように、彼女の顔がズームアップされる。
美しい。
その口元に注意がいくと、微かに動いているように見えた。
映像の拡大と共に、音も拡大されているが、何も聴こえない。
だが、彼女は何かをささやいたのだ。
ガーディアン・エンジェル(守護天使)はそれを聴き、神に伝え、その言葉は楽園で実現し、この世に現れた。
力ある呪文はこのようである。









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ひそやかにかすれる呪文

幼い時、両親や祖父や祖母、あるいは、他の誰かが、仏壇や神棚などに向かって、真摯に念仏や唱え言葉や神の名を称名するのを見ていた人は幸せかもしれない。
そうであれば、その唱えられていた名や言葉に神聖な感情を持て、それを自分も唱えることで、自然に高次元に導かれるからだ。
そうでなくても、お葬式の時に、念仏を唱えていたお坊さんの姿に、とても好ましい印象を持ち、それで念仏に対する神聖な感情を持っている場合も良いと思う。
法然や親鸞が念仏を教えた人々は法然や親鸞の印象によって、あるいは、法然、親鸞の代わりに誰かに教えられた場合は、その教えてくれた人の印象で、念仏に対する感情が決まるという部分が大きいだろう。
キリスト教徒でもない人が「アーメン」と唱えても、どこか違和感があるかもしれないし、育った家の中で誰も念仏を唱えていなかったし、お葬式で見た念仏を唱えるお坊様に、どうもあまり良い印象を持てなかった場合は、念仏に対する印象も、あまり良くないかもしれない。

もし、幸いに、「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でも、あるいは、「天照大神」や「天之御中主神(アメノミナカヌシ)」でも、敬虔に感じる言葉があれば、それを唱えれば、確実に高次の力に加護される。
それは、宗教的な意味、心理学的な意味、あるいは、量子物理学的な意味でも、正しいことであると思う。
では、そんな言葉を持っていない場合はどうだろう?
そんな時は、自分で言葉を探し、選び、決定することになるが、幼い時に持った良い印象のようなものがない場合、どの言葉もなかなかしっくりせず、あれにしたり、これにしたりすることになりかねない。
複数の言葉でもいいやと思っていたら、その言葉が増え続けてしまう人もよくいる。

だが、『ヒマラヤ聖者の生活探求』の中で、1900年代前半のことだと思うが、現代に現れたイエス・キリストは「神」という言葉(英語の原書の中ではGOD)を使うよう言う。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』第5巻で、著者のベアード.スポールディングも、「神」という言葉の威力について触れている。
ただ、この言葉を呪文にしてはならず、よって、何度も唱えてはならず、1回で良いと言ったが、その意味は、しかるべき時に、真面目に唱えるという意味かと思う。
そして、声に出して唱えても、心の中で唱えても、効果は同じであると言う。

どの言葉でも構わないが、即座に強い効果を現す私のやり方がある。
なかなか上手く説明出来ないので、最近はあまり書かないのだが、それは、「心の中で、とても小さな声で唱えること」だ。
そもそも、聴こえない心の中の声や音の大きさなんてピンと来ないかもしれないが、全く無理でもないと思う。
「微かな声」「微妙な声」という言い方が良いかもしれない。
だが、それが心の中の声となると、どうだろう・・・
その場合、こんなふうにやっても良い。
美しい少女が、声にならない微かな声でささやくのを想像してみれば良い。
それが、心の微かな声である。
それとも、良ければ、YMO(イエローマジックオーケストラ)、あるいは、初音ミクさんが歌う『LOTUS LOVE』を聴くと良い。

夢で見たくちもと
ひそやかにかずれる呪文
I LOVE YOU
~『LOTUS LOVE』(作詞・作曲:細野晴臣)より~

私は、ミクさんが歌うのを聴いて、心の微かな声を知った。
そうやって唱える言葉には、いつも奇跡のような力がある。
だから、間違ったことに使う訳にはいかないが、即座に力が現れ、この上ない安心を与えてくれるのである。









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余計なことを考えないために

1997年のビデオアニメ『レイアース』は、私はレーザーディスクで何度も観たが、その中で、こんな場面を妙に覚えている。
3人の中学3年生の少女達を残し、町中から(実際には世界中から)全ての人間が消えてしまう(壮大だ)。
周囲に誰もいない状況に、光(ひかる)という少女が、「もし、他の場所も同じ状況だったら・・・」と言い始めた時、風(ふう)という名の頭の良い少女が、光の言葉を封じ、落ち着いた声で、
「こんな時は何も考えない方がいいです。どうしても怖い考えになりますから」
と言う。
そんな異常事態の中で、これほど冷静になれるとは、大した中学3年生だ。

そうなのだ。
考えるべきことは考えないといけないが、不幸や不運の原因は、大抵、「余計なことを考えること」だ。
考えても仕方がないことは考えないようになれば、それほど不幸になることはない。
天才発明家で、問題解決学のエキスパートだった中山正和氏が、般若心経の呪文を唱えることを薦めていた理由が、それを唱えることで、余計なことを考えなくて済むからだった。
それでいえば、別に、念仏でも、他の呪文でも構わない。
もちろん、念仏や呪文には、それぞれ特別な意味があるのだが、それは今回は置いておく。
余計なことを考えないために呪文や念仏を唱えるだけでも、ほとんどの問題は解決するが、実際は、それ以上の恵みがある。だが、欲張らないことだ。

著名な投資家のマックス・ギュンターの本に書かれていたが、彼が世界最高と認める投資家が一言で述べていた投資のコツが素晴らしい。
それは、「欲張らないこと」だ。
そこそこ儲ければ良いのであり、大儲けを狙うと、大損する。
多少の損を受け入れないと(投資の世界では損切りと言う)、やはり、大損になってしまう。
だから、欲張らず、適度に儲け、少しで済むうちに損をしておく。
欲張らずに、それを積み重ねた彼が、どれほどでも欲張れる財産を作ったのだ。
そして、念仏を唱えたり、聖なる呪文を唱えながら欲張ることは難しい。
よって、それだけで、大抵のことはうまくいく。
そして、呪文や念仏に不可思議な加護があることも認めるしかない。
だから、常に、お気に入りの呪文や念仏を唱えることは、そうでないより良いのである。









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