ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

古事記

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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子供達に良いものを見せよう

いつ、どこでのことだったかは記憶にないが、やや昔のことと思う。
上皇后美智子様が、皇后であられた時か、皇太子妃であられた時かも分からないが、テレビ放送の中で、読書について語られていた。
上皇后が子供の時、疎開先で、お父上からいただいた、ある本を読まれた。
上皇后は書名を言われなかったかもしれなないが、それが『古事記』であることは分かる。
そして、おそらく、子供向けに編集された『古事記』であると想像される。
だから、ひょっとしたら、書名も、『古事記』ではなく、例えば、『日本神話』のように書かれていたかもしれない。
上皇后は、その本の一説を読まれた時の思い出を話された。

それは、倭建命(やまとたけるのみこと)が、船で上総(かずさ)に向かっている時のことと思う。
船が海上にいる時、海の神が海を大荒れにし、船が危険な状態になった。
その時、倭建命の召使の弟橘姫(おとたちばなひめ)は、海の神が倭建命をたたったものと感じ、自分が身代わりになると言って、海に身を投じた。
すると、海はぴたりと静まった。
7日後、弟橘姫の櫛が浜に打ち上げられ、倭建命は、それを弟橘姫の代わりとして墓を作らせた。
上皇后は、多感な少女時代だったこともあってか、この話にいたく感動されたらしく、犠牲精神について考えられたことを語られていたように思う。

我々も、ごく若い、敏感な感受性を持っている時、たまたま読んだ文章、たまたま見た、あるいは、聴いた言葉が、一生の指針になることがある。
ただ、それが必ずしも正しいものではなく、むしろ、悪いもので、後で修正しなければ不幸なことになりかねないこともあると思う。
特に、子供の時に、親や学校の教師におかしな偏見を植え込まれた者は多いだろう。
困るのは、その、心に刻んだ言葉が起こさせる思想が偏見だと分かり易い場合は良いが、一見、正しく思えたり、それどころか、崇高に思える場合には、それが一生を壊してしまうかもしれない。

上の、弟橘姫のお話も、あまりに極端に捉えてしまうと、「女は男のために犠牲にならなくてはならない」という思想を持ってしまうこともあるかもしれない。
ただし、子供でも読めるように書かれた、鈴木三重吉の『古事記物語』の格調高い文章で読めば、その心配は少ないように思う。
こういった問題は、当然、文章だけではない。
YouTubeを見ても、政治や文化を扱った真面目なものであっても、言葉遣いが、砕けたというか、品性に欠けるものも少なくない。
名前が知られている評論家やジャーナリストの場合もあるが、だらしない格好で登場し、品のない言葉遣いやふるまいをするのは、古いのかもしれないが、子供が見ている場合もあるだろうし、もっと配慮していただきたいと思うのだ。
私は、そのようなものは不快なので、数秒見てすぐに見るのをやめる。
品性、品格などと、そう大袈裟なことを言うつもりはなく、人の前に現れるに相応しい、ごく普通の礼儀を持っていただければと思うし、人と接する時も、そのようでありたいと思う。

テレビ、漫画、YouTube、SNSなどの中に、子供やごく若い人が見るには不適切なものが多くなっているように思う。
国の崩壊というのは、こんなところから起こるのかもしれないが、今の日本は、明らかに破滅の道に進んでいると私は感じる。
悪いものを隠し過ぎるのもいけないが、悪いものに負けないだけの良いものを見ることが出来るようにしたいものである。
今は、子供達に対し、ある種の悪いものは必死で隠そうとしながら、同じくらい悪いものを平気で晒してしまっているのである。
大人に道徳がなく、品性が下劣であるからだ。
だから、大人も、意識して良いものを見ようではないかと思う。








聖典は無限への扉を開く鍵

キリスト教には『聖書』、イスラム教には『コーラン』がある。
一方、仏教には、非常に多くの経典があり、どれが一番かは言い難いが、真面目に読むなら、どれも同じと言ったら怒られるかもしれないが、私はそうだと思う。
ところで、日本人は昔から無宗教と言われるが、神道が根付いていると思われる。
その神道には聖典はないが、『古事記』がそうであると言えなくもない。しかし、『古事記』は「聖典」というのとは違うかもしれない。
とはいえ、神道において『古事記』は重要な書だろう。
中国の儒教や道教は、キリスト教や仏教のような宗教とはちょっと違ったものだと思う。
だが、そもそも、イエス・キリストや釈迦は宗教を作るつもりだったのではない。
そして、『論語』や『老子』は、やはり「聖典」というのではないと思われる。
ところが、実は、『聖書』や『コーラン』も、「聖典」という言い方が不適切なのかもしれない。

これら、特別な扱いを受ける書の価値は計り難い。
至高の英知が秘められていると考える者もいれば、「たわごと」が書かれてるとみなす者もいる。
そのどちらが正しいとも言えない。
読む人次第ということかもしれない。
だが、ここでは、これらの書物は、鍵であると考える。
人間の思考を超えた英知と力に通じる鍵で、この鍵を通し、人間は無限のエネルギー、あるいは、精神に触れることが出来る。
コンピューターのオペレーションシステム(OS)における管理者(アドミニストレーター)パスワードみたいな感じもあるが、この宇宙の管理者パスワードは、普通のコンピューターのような短い単語ではなく、何らかの精神的なものだと思われる。
この鍵は、精神の中に構築するものであり、上記のような書を、教会などが説くようにではなく、本当の意味で理解することで、それを成し遂げることが出来る。
この「本当の意味で理解する」とは、理屈で分かることではなく、ペーパー試験で理解度を計ることは出来ず、あくまで心の(あるいは魂の)問題であり、本当は子供でも解るのだが、大学院を出た大人でも(そんな大人ほど)解らないことが多い。
ただ、虚心に繰り返し読めば解る。

だから、大きな力を持った人間は、毎日、決めた時刻に決めた時間、上記のような書を読む者が多いのである。
実際、毎日、10分でも『聖書』を読むという人に、全く力を持たない人はいないし、むしろ、そんな人であれば、かなりの力がある。
もちろん、それが、『コーラン』であっても、『法華経』、『老子』、『古事記』であっても同じだし、比較的、俗書と考えられる『論語』でも、そうなのではないかと思う。

個人的には、『古事記』では、鈴木三重吉の『古事記物語』が好きだ。
これは、子供でも読めるように簡略化してはいるが、鈴木の文章は格調高くて美しく、大人が読むにも十分に値すると思う。
あるいは、天才作家の福永武彦による、リズムが素晴らしい『古事記』や、やはり、子供向きに書いた『古事記物語』も良いと思う。

『聖書』には、非常に多くの和訳があるが、私がお薦めするのは2種類だ。
1つは、新約聖書の中の福音書であるが、塚本虎二の『新約聖書 福音書』だ。
これは、塚本が、昭和19年10月21日に、14年をかけて翻訳を完了したものだ。
分かり易い口語訳を目指したもので、今読んでも、実に分かり易く、つまづかずに読める。
もう1つは、宣教師として来日したイタリア人のフェデリコ・バルバロが、日本語を学んで、自ら日本語で書いた聖書だ。
外国の人が書いた分、むしろ、いやらしい言い回しがなくて分かり易いかもしれない。








これで聖典はあなたの味方になる

『古事記』について、「古事記の真意はこうなのじゃ」といった本がよくある。
ところが、『古事記』を漫画で描いた石森章太郎(石ノ森章太郎)氏は、「古事記は漫画だ」と断じてしまった。
そうだ。石森さんが正しい。
まあ、漫画と言うよりは、古事記は3次元アニメ、ホログラフィック・アニメ・・・さらに正確に言えば、頭の中のVR(バーチャル・リアリティ=仮想世界)である、シミュレーテッド・リアリティを記述したものだ。
ギリシャ神話も、旧約聖書も、多くの仏典・・・特に『浄土三部経』の中でも『観無量寿経』がまさにそう(超コンピューターで作った仮想世界)だ。
『観無量寿経』に描かれた、西方極楽浄土の宝の池で、望めば水が満たされ、もういいと思えば水が引くというオートマチックな便利な池・・・あれが3次元アニメでなくて何だろう。
一休は、「西方極楽浄土は西にあるのではない。南にある」、つまり、南(みなみ)とは皆身であり、全ての人の中にあるということだが、その意味は、西方極楽浄土のように、この世界を自由自在に動かせるようになれば、それが極楽浄土であるということであり、人間にはそれが可能だ。
そんなことを、ビートルズは『Nowhereman(ひとりぼっちのあいつ)』の中で、「The world is at your command(世界は君の意のままなのさ)」と言ったのだ。

では、どうすれば世界は意のままになるかというと、これはイエスが、
「山に向かって、立ち上がって海に入れと言い、その通りになると信じて疑わないならそうなる」
と教えている。
あるいはイエスは、
「願いは既に叶ったと思え。そうすれば叶う」
とも言った。
要は「信念」の問題だが、人間は思う通りに信念を持てない。
だがイエスは、
「人は、入るもの(食べ物)で穢れたりはしない。出るもの(言葉)で値打ちが決まる」
と言った。
そして、『ヨハネ福音書』では、「言葉は神である」と宣言する。

そうだ。
全ては、あなたが使う言葉にかかっている。
そして、イエスが言う通り、言葉は心から出るものであり、核心を言えば、心の中の言葉が重要である。
だから、心の中で常に優れた言葉を使えば良いが、何にも規律を定めないと、普通の人間では、その言葉はどうしてもマイナスの言葉になり、あなたは駄目になる。
そこで、万能呪文、
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
と唱えていれば、言葉が出てくる元の心が光に満ち、この仮想現実の世界は極楽浄土になる。
心を輝かせる言葉であれば何でも良いが、万能呪文が最も合理的で効果的である。
特定の願いを表現した言葉「私は金持ちだ」「可愛いあの子は僕のものだ」といったものは、欲望のために心がくすむので、「全て良くなる」と、「全て」と言うのが良い。
いかなる願いも「全て」に入るからだ。
そして「全て良くなる」ではなく「全て良し」と現在形で言うのが良い。
深い心である潜在意識の中に時間はなく、常に今だからだ。
呪文は、感情を込めず、淡々と、心で唱えるべきである。
感情を込めると、心の浅い部分のみが刺激され、深い心に届かないからだ。

これで、聖典はあなたの味方になるだろう。









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透明性の力

『古事記』によるならば、日本の最高神は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)だと言って良いと思う。
ところが、天之御中主神は、現れてすぐに身を隠したことになっていて、何のお話も残していない。
ギリシャ神話では、最初の神はカオスであり、カオスもほとんど物語を残していないが、少なくとも、エレボス(幽冥)とニュクス(夜)を生んでいる。
しかし、天之御中主神は、人間に対して、一切のキャラクター、ストーリーを与えられていない。

旧約聖書の神は雄弁でよく活動した。
コーランの神は、自ら嫉妬する神と言ったとも聞く。
インドの最高神ブラフマーは、キャラクターやストーリーはほとんど無いが、全くない訳ではなく、また、絵は描かれている。

そこにいくと、天之御中主神は本当に何もない。
そんな、全く透明な神がいることは、実に良いことと思える。
神という至高の存在に対し、何の観念も持たないということは、最高に有り難いことに違いない。
キャラクター性やストーリーというフックがあれば、どうしても人間の思惟が入り込み、偏見が生まれ、穢れてしまう。
だが、天之御中主神は、天の中心にいる最高神であるという名前だけがある。
日本人は、この圧倒的な優位さを大切にしなければならない。

初音ミクさんにも似たところがある。
普通、アイドルにはキャラクター性が付与される。
どんな性格で、趣味は何で、どんな食べ物が好きか・・・等々。
それはしばしば、そのアイドルの本当の姿とかけ離れているが、それは仕方がないことである。
アイドルは、「アイドル」ということに関しては商品なのだからだ。
だが、初音ミクさんには、形以外は、一切のキャラクターがない。
身長158cm、体重42kg、年齢16歳、ツインテールの長い緑色の髪・・・そういった、本当の外側以外は何もない。
ミクさんの会社に、ミクさんのパンツの色を問い合わせた人がいたらしいが、決まっていないことが決まっているだけだった。
ミクさんは、どんなキャラクターにでもなるが、最後はいつも無に帰り、あえてミクさんが何者かと言えば、クリエイターの土壌なのである。
この透明性、創造性の源であることが、ミクさんに世界を1つにする力を力を与えている。

『BEATLESS』で、「眠り姫」エリカ・バロウズは、「大切なのは形よ」と言ったのは真理である。おかしな解釈をしなければね。
形より言葉が上位にあるのだろうが、言葉は形よりも広い。
形を超えて行くなら、言葉を大切にしなければならない。
天之御中主神という名はまさに神である。









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『古事記』は簡単に読み解ける

人間は、日本で生まれたら日本でうまくやっていかなくてはならないし、どんなひどい国に生まれても、生まれた国でうまくやっていくしかない。
また、生まれた家庭や地域でうまくやっていくしかない。
そして、たまたま入った学校や職場でうまくやっていかなければならない。
もちろん、いずれ、家庭を離れ、学校を離れ、さらには、職場や地域を離れることや、国を離れることもあるかもしれないが、今いるところでうまくやれない者は、次の場所でもうまくやれない。
しかし、なかなか、そううまくはいかないものだ。

うまくいかない時、苦しい時に、人を支えるのが、その国の神話かもしれない。
日本にも、『古事記』という神話がある。
『古事記』が我々に教えることは何だろう?
イザナギを見ると、成功すると穢れをまとってしまうので、何らかの禊(みそぎ)によって、その穢れを祓わなければならないことが描かれている。
我々だって、日々、小さな何かで成功するが、そんな時に高慢の穢れを身につけてしまうので、謙虚にならないといけない。
まして、大きな成功をした時に作ってしまう穢れには注意し、断固、これを祓ってしまわないといけないのである。
スサノオは、与えられた場所でうまくやっていくことが出来ずに、トラブルを起こし、ついには天界追放となる。
しかし、降り立った地で、その知恵と力を駆使して人助けをして幸福になる。
ポイントは、スサノオはアマテラスを敬い、アマテラスもスサノオに心配りをしたことだ。
スサノオは、得たクサナギノツルギという剣をアマテラスに謙譲し、この剣は、後にヤマトタケルに受け継がれる。
ヤマトタケルも、自分の場所でうまくやれずに苦労するが、悪者退治に励み、また、自らの傲慢からオトタチバナヒメを失って目がさめる。

このように、『古事記』は人の人生そのものを表し、指針を与えるものである。
『古事記』に霊言だの何だのはなく、ただ自然に我々を導くのである。
男性であれば、イザナギであり、スサノオであり、オオクニヌシであり、ヤマトタケルであるが、女性であれば、イザナミであり、アマテラスであり、コノハナサクヤであり、オトタチバナである。
アマテラスだって失敗はしたが、優しい心や敬意を忘れなかったので蘇った。
そのように、普通に読み解けば『古事記』は分かるし、時によっては、その奥の神秘も語りかけてくるが、初めから大袈裟な解釈を押し付けてくる神様の関係者を名乗る者には気をつけないといけない。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんを愛す
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


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