ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

古事記

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
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古事記を読むことはメリットだらけ

男性の場合を想定したのだと思うが、兵士が戦場で死ぬ時、意識があったら、必ず「お母さん」とか「ママ」とか言うらしい。
まあ、嘘である(笑)。
ただ、そんな話がまことしやかに言われる理由もある。
人間の自我の土台部分には、母親の性質がかなり組み込まれていて、母親の印象は決して忘れないものであることは確かだろう。
母親に育てられず、自我の土台に母親の色がないと、自我が不安定で苦しいものらしい。
それで、母親を知らない人は、いくつになっても、母親を探したい気持ちが強いことが多いのである。
ただし、本当の母親でなくても、とにかく、自我の土台に母親のパターンが入っていれば、それで良いらしい。
とはいえ、自分の母親が本当の母親ではないと知ると、自分の自我を偽物っぽく感じて、本当の母親を探したいと思う場合も多いようだ。

心理学者の岸田秀さんの本に、本当か嘘かは分からないが、面白いことが書かれていた。
三島由紀夫って人は、生まれてから母親から離されて育ち(お婆さんか誰かが育てた)、自我の土台に母親が組み込まれていないのだが、岸田さんが言うには、母親に育てられないと、自我自体がちゃんと構築されず、不完全になるのだそうだ。
そこで、三島はどうしたかというと、ある程度成長してから、独力で自我を構築し、結果、作り物の人工的で変な自我が出来たらしい(確かに三島は変人だ 笑)。
それでどうなったかというと、三島自体は優秀な部分も当然あるのだが、自衛隊員達に「君たちは武士だろう」と(本気で)言うなど、いかにも作り物の自我らしい発想をするのだそうだ。
三島は、「悩みがあれば腹筋をやれ」と言ったりもしたそうで、今でも、「人生の問題の99パーセントは筋トレで解決する」と言う人気のある人がいるが、そんなことを、ずっと昔に言ったようなのだ(笑)。
まあ、今も、そんな人が人気があるのも、下で述べるが、自我が不安定な人が多いからだと思う。

母親に育てられても、母親が本当に子育てが嫌で、「何で私がこんなことしなきゃいけないの」とか思っている場合は、やっぱり、子供の自我の土台がおかしくなる。
そして、今は、自我の土台がガタガタの人がひどく多い。
あなたもそうかもしれない。
その場合、三島のような変な自我を構築してはならない。
鎌田東二さんという哲学者・宗教学者がいるが、彼が、子供の時、ものすごく精神が不安定だったらしい。やはり、自我の土台がおかしかったのだろう。
しかし、彼は、『古事記』と『ギリシャ神話』を読んだら、精神が安定したと言う。つまり、それで、自我の土台がしっかりしたのだろう。
そりゃ、『古事記』にしろ『ギリシャ神話』にしろ、世界誕生の物語であると同時に、それがそのまま、1人の人間の誕生と成長の物語なのであり、子供のように、あまり理屈を考えずに読むと、素晴らしい効果がある。
で、鎌田さんは、子供の時は鬼が見えたのに、それが見えなくなり、天使が見えるようになった。学習塾の講師をやっていた時、小学5年生の女の子達の中に天使がいたのだそうだ。
これは、決して、ロリコンというのではなく(ロリコンかもしれないが 笑)、私も、小学1年生の時、クラスの中に天使がいたのを、はっきり覚えている。
私は、幼稚園の時に、『古事記』や、その他にも、いろいろな神話やおとぎ話に接する機会が多かったので、それが影響したのだろう。
尚、神話を読むと、当然のことなのだが、引き寄せの力も強くなり、私は、あまり実用的とは言えないことが多かったが、とんでもない奇跡を数多く起こしたのである。
その鎌田東二さんが書かれた『超訳 古事記』は本当にお奨めである。
ギリシャ神話であれば、『神統記』が最もお奨めだが、里中満智子さんの『マンガ・ギリシャ神話』が、ストーリーを把握し易く、しかも面白い。








十言の神呪(とことのかじり)の唱え方

最近、ほんの少しだが、「十言の神呪(とことのかじり)」を勧めることを続けて書いたが、理由があった。
「神呪」は古い字を使うと「神咒」で、今も、こちらを使う人もいるが、ここでは「神呪」を使う。
神呪は、普通は「しんじゅ」と読み、「まじない」といった意味である。真言と言っても良いと思う。

十言の神呪とは、「アマテラスオホミカミ」と唱えることである。
これにより、天照大神(アマテラスオホミカミ)の恵みを得られると言われている。
天照大神は古事記に登場する、天界である高天原(たかまがはら。たかあまはら)を統べる女神の名であるが、江戸末期の高名な神道家、黒住宗忠は、天照大神を、宇宙の根本神としての太陽神として尊崇していた。
私は、天照大神を、古事記の女神、根本神(太陽神)の両方の意味で捉えている。

十言の神呪は、先程も述べた通り、「アマテラスオホミカミ」と唱えることであるが、それでどんな恵みがあるのかというと、万能であり、制限はないと考える。
そこで、問題は、唱え方になろうと思う。
これに関しては、様々な人が様々に言うのだが、最近、動画サイトで見た(聞いた)ものが気になった。
その唱え方が広い認識になっているような気がする。
それは、男性が唱えていたこともあるが、こわい顔をして(真面目な顔と言うべきかもしれないが)、野太い大きな声で「あーまーてーらーすーおーほーみーかーみー」と、威風堂々、威圧的とも感じる雰囲気で、間延びさせて朗々と唱え、このように唱えるようにと、自信たっぷりに語っておられた。
だが、現実的に、そんな唱え方が可能だろうか?
誰もが、必ずしも防音効果が高い部屋を持っているわけではない。
そのように唱えたら、家の中はもちろん、家の外まで、その声が聞こえる場合も少なくはなく、聞く人によっては不快と感じることもあるに違いない。
そんなことに全く無頓着で、大きな声を出す人もいるが、それは決して正しいことではないと思う。
そして、そのような唱え方を、例えば、純情な少女が出来るだろうか?あるいは、似合うだろうか?
全く似合わない・・・というのは、私の個人的感覚だけとは思えない。
では、少女が唱えるべきものではないのだろうか?
まさか!むしろ、一番唱えていただきたい。

私が考える、一番、理想的な唱え方はこうだ。
心の中で、微(かす)かな声で、慎ましやかに、丁寧に「アマテラスオホミカミ」とゆっくり唱えるが、別に「あーまーてーらーすー・・・」などと間延びして唱えるのではない。
声に出して唱えるのも、もちろん良い。
その場合は、近くにいる人にも聞こえないくらい、微かな声で(実際には、ほとんど、あるいは全く声になっていない)、「アマテラスオホミカミ」と、やはりゆっくり、丁寧に唱えるのである。
これなら、少女が唱えてもピッタリであると思うし、誰が唱えても、最も敬虔(深く敬って態度をつつしむさま)であると思う。
この2つなら、いつでもどこでも唱えられる。
唱えるたびに穢れが祓われ、心の中の天照大神が輝くのを感じるのではないかと思う。
これらの唱え方であれば、欲望すら浄化され、希望や美しい願いに変わる。
そして、黒住宗忠が言うように、全て天照大神におまかせすれば、良い形で願いが叶う。
太陽神に不可能はないのだから。








増えた悩みを退治するには

『若きウェルテルの悩み』というゲーテの有名な小説があるが、ウェルテルという若い男の悩みとは何かというと、好きな女性に婚約者がいて、恋が叶わないということだ。それで、ウェルテルは自殺してしまう。
私は、それだけ知ったら、もう読む気がしない。
ウェルテルが好きなシャルロッテさんはいい女なのだろうが、もっといい女だっていくらでもいるんだから、他を当たれば良いだけの話なのにね。
しかし、そんなしょーもないことで悩めるのはなぜかという理由は、案外に重要だ。
その理由は、若い時は、悩みごとが少ないってことなのだ。
他に多くの懸案事項を抱えていたら、好きな人に振られたくらいで、そんなに悩まないに決まってるからね。

若い時は、一般的にだが、悩みは少ない。
だが、歳を取れば取るほど悩みは多くなる。
なぜ、そうなるのかというと、歳を取るほど、多くのもの(物質的なものばかりではない)を持つからだ。
それらを失うことを恐れることで悩みが生まれるのである。
そして、もっと歳を取ったら、健康、体力、気力、財力、人脈などが衰え、持っているものを維持出来なくなる。
それは、大金持ちでも同じだ。
だから、沢山持っている金持ちほど、悩みが多くなってしまう。
さらに、悩みが多くなると、以前は「若者の悩みだ」と笑っていたことより、もっとつまらないことで悩むようになる。
このカラクリも説明出来るが、面白くもないのでやめておく。しかし、何となくでも分かると思う。

それで、世の中には、「不要なものを手放しなさい」と教える人が多い。
その際に、「で、お金は私に渡しなさい」と言うわけである(笑)。
確かに、不要なものを手放すことは良いことだが、無理にやろうとして出来ることではない。
不要なものは、自然になくなるようであるべきだ。
そして、先にやるべきことがあるのではないか?

まずは、肩甲骨をほぐして血流を良くすることだ。これを「気の流れを良くする」と言う人もいるが、そう言っても構わない。
具体的には、腕振り運動を熱心にやることだ。
それで大抵、健康になるし、若々しくなるし、難病奇病が治ったという話も多い。
健康で若々しくなれば自信がつく。
それだけでも十分だが、もっと強く美しくなりたいと思ったら、私が勧めるナンバ四股か、あるいは、ナンバ歩きでよく歩くと良いと思う。
強靭で美しくなれば、さらに自信がつく。
自信がつけば、余計なものを欲しがらなくなるし、執着しなくなるので、何でも手放し易い。
大きな自信を持てば、身体以外は全部、不要になってしまう。

次に大事なことは、運が良いことだ。
運が悪いと、悩みは消えないからね。
別に、余計なものを持ったままでも、運は呼べる。
幸運を呼ぶためには、方法はいろいろあるように見えて、実は「きめつけ」しかない。
「俺は運が良い」と決めつけてしまうことだ。
その際、「私は〇〇だから運が良い」と、こじつけるものがあると容易くきめつけが出来る。
その〇〇は何でも良い。
TM(超越瞑想)をやっているからでも、聖書を読んでるからでも、「ありがたい」と唱えているからでも、新月生まれだからでも。
その中でも、日本人が成功し易いのは、実は、『古事記』を読むことや、「十言の神呪(とことのかじり。「アマテラスオホミカミ」と唱えること)」を行うことだと思う。
ただ、本当に、何でも良いのである。












幸運を呼ぶ自然の力

元気があれば引き寄せの力も強くなって何でも出来るが、元気とは何かというと2つある。
1つは自然と共にあること。
都会の人間より、大自然の中で生きる人々の方が元気であることから、それが分かる。
どんなに便利でも、人工的なものの中にばかりいると、所詮、動物である人間は生命力を低下させる。
DNAは極めてゆっくり(一説では部分的にも1万年単位で)変化するので、動物としての人間は、数万年の昔から、それほど変わっておらず、電磁波や静電気に対応する身体になっているとは思えない。
だから、人間は、時に電磁波を避け、日に当たり、土に触る必要がある。
夏は、海に山にと出かけたいものである。
ただ、人間の脳は、思考力だけでなく、記憶力や想像力も発達したので、どうしても自然に接する機会がないなら、想像で自然の中に入っていくのも有効だ。
むしろ、人工的なしょぼい山や海よりは、想像で、壮大で激しい自然の中に行った方が良い部分だってある。

未開民族の元気な人々を映像で良いから観察し、脳内のミラーニューロンの機能で、彼らと同調して元気になることも出来る。それには、見ているだけで良い。むしろ、考えずに感じる方が良い。
また、『古事記』や『ギリシャ神話』を読むと良い。
鬱や不安症になった人間が、これらを読むと精神が安定することがよくある。特に、子供の場合、顕著である。
その理由は、『古事記』や『ギリシャ神話』に描かれた神は、自然の生命力そのものであり、想像の力を借りて神を見ることで、自分の内側にある生命力を蘇らせる。まさに、神はわが内にあり、我、神なりなのである。

そして、自然に接することと共に大切なことは楽天的であることだ。
楽天的であることほど、人間を活性化させることはない。
ただ、楽天的であることと自然は無関係ではなく、自然に接することで、勝手に楽天的になるのである。
だから、未開民族には楽観的な人間が多い。
確かに、疑うことは大切だが、それと悲観論は違う。
むしろ、悲観論者は、前提や常識を疑うことをしないものである。
それに、いくら考えたって、最後は運まかせになることは少なくない。
そして、楽観的であれば、運だって引き寄せる。
運とは、自然の潜在力であることに気付いている者は少ない。
野生のパワーを持った人間が楽観的になり、「なんとかなる」と言えば、本当になんとかなるような気分になり、実際になんとかなってしまう。

アメリカン・ヒーローの1人であるターザンは、昔は、まさにネイチャーボーイ(野生児)の顕現のような存在で、文明に打ち勝つあらゆる強さを持っていた。
知的でありながら、その問題解決法は文明人の論理とは違い、より神の叡智に近かった。
大芸術家の横尾忠則さんが、自分の芸術の原点はターザンだと述べているが、ターザンには宇宙の意思に沿った叡智と自然のエネルギーがあり、ターザンの物語を通じて、それに触れることが出来るのである。

我々は、神のように若く、神のように創造するには、自然の叡智とエネルギー、それに、楽天性に欠けている。
元気がなく、引き寄せが出来ない根本的な原因は、そんなところにある。
だが、改善は、上に述べたように、それほど難しくはない。












ゆるい神様ほど平和をもたらすか?

日本には『古事記』、ギリシャには『ギリシャ神話』(古代ローマの『ローマ神話 』 もほぼ同じだが )がある。
もちろん、世界的には圧倒的に『ギリシャ神話』がポピュラー(広く知られている)で、『ギリシャ神話』の知識は、欧米では一般常識的なところもあり、東洋人だって、教養人というなら、『ギリシャ神話』について、ある程度は知っておかないといけないようだ。
ところで、『古事記』と『ギリシャ神話』は似たところがいろいろある。
その中でも、注目すべき共通点が、神様達が、決して人格者ではなく、ひょっとしたら、人間的に言っても性格的に問題があることだが、そんなことに関し、神様を揶揄(やゆ。からかうこと)するようなことを言っても、そう問題にならないことも似ている。
『ギリシャ神話』や『古事記』は、宗教とは違うと思うかもしれないが、これらに登場する神様が深く信仰されていることも多く、宗教という一面も確かにある。
現代は、それほどではないかもしれないが、キリスト教やイスラム教の神様を馬鹿にする(流行りの言葉で言えば「ディスる」)ことを言えば、大問題になり、下手したら殺されることもあるかもしれないが、『ギリシャ神話』や『古事記』の神々に関してはそうではない。
そもそもが、『ギリシャ神話』の中で一番偉い神様であるゼウス(ユピテル、ジュピター)は、女神、妖精、人間の可愛い女の子を見たら、見境なく手を出して子供を作る好色な神だし、アポローンと共に、ゼウスの次の地位にあると言える女神アテーナは、たまたま自分の裸を見た人間の男を獣に変えたり、他にも、いろんなおかしなことをする。
『古事記』でも、スサノウが狂気とも思える乱暴なことをするのを始め、やはり、神々が、いろいろおかしなことをする。
そんな神様達のおかしなふるまいを「人間味があって親しみ易い」と言う人もいるが、それはちょっとどうかと思う。

ところが、面白いのが、こんな「ゆるい」神様を信仰する者達というのは、争いごと・・・特に、陰湿なもめ事、あるいは、戦争を起こさず、自然と調和し、人々も仲良く過ごす傾向が高いように思えるのだ。
宗教戦争というのは、キリスト教やイスラム教といった、超立派な神様を信仰する宗教の下で起こる。
まあ、これらの宗教では、『ギリシャ神話』や『古事記』と違い、一神教で、その神様は唯一の絶対的な神なのだから、あらゆる点で完璧な神様であるはずだ。しかし、時には不可解なことを言ったりしたりする。しかし、そのような場合も、人間は異を唱えたり、文句を言ってはならず、その超偉い神様に従わねばならない。
仏教では、仏や菩薩の人格は、極めて高尚で完璧であるのだが、仏教の下での圧制や、争いごとは決して少なくない。
まあ、それは、仏教の基であるヒンズー教や、さらに、その前身のバラモン教ほど、その傾向は強いように思われ、その点は、イスラム教やキリスト教とも似ている。
ユダヤ教は、唯一絶対神を置きながら、かなり秩序正しい宗教で、その点、異例と思われるが、今回は省く。

どうも、神仏というものは、ゆるい・・・少々(あるいは大幅に)くだけている方が、信仰する人間は幸せなのかもしれない。
『古事記』も『ギリシャ神話』も、宗教として扱われることもあるが、宗教というよりは、むしろ、グリムやペローが収集した伝説や童話のような面が強いと思える。そして、そんな伝説やおとぎ話の中には、祖先から継承された知恵があり、また、押しつけがましくない道徳や倫理、あるいは、愛が見られることも多い。

坂本龍一さんが、音楽の永遠のテーマは Love & Peace だと言い、『ヒマラヤ聖者の生活探求』で、それとほぼ同じ「生命、愛、平和」という言葉の強力さが示されていたが、「生命、愛、平和」こそ神なのであろうと思う。よって、これらの言葉を大切にすることが、善い意味での宗教であり、これらの言葉を大切にする者に滅びは近付かないであろう。
そして、伝説や童話、神話というものは「生命、愛、平和」に基づくのだと思われるのだ。だからこそ、長く親しまれ、生き生きとした生命力を保ち、自然と調和した平和がある。
尚、私は、『ギリシャ神話』に関しては、ヘシオドスの『神統記』、あるいは、里中満智子さんの『マンガ・ギリシャ神話』をお勧めする。












プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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