ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
コンピューターシステム開発技術者、サイコパスのKayのブログ

古事記

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[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。
[2016/11/21]滅多にはありませんが、あまりにレベルが低いコメントは公開しません。
[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。

人間という小宇宙解明マニュアル

インドには、人間は小宇宙であるという古くからの思想があることがはっきりしているが、実際は、他の多くの国でもそうだと思う。
ギリシャ神話、旧約聖書、古事記には、天地創造のお話があるが、これを大宇宙の生成のお話とすると矛盾もあるが、これらのお話は、小宇宙としての個人のお話であると考えると、面白く感じるのである。
そして、実際は、旧約聖書全体、ギリシャ神話全体、古事記全体が、個人に起こることを象徴的に語っているのであると思う。
旧約聖書で、神様は、太陽に昼を、月に夜を支配させたとあるのも、1人の人間の昼が象徴する何かを太陽が象徴する何かが、夜が象徴する何かを月が象徴する何かが支配するのだろう。
古事記にあるように、人間の何かは、初めは、クラゲのようにふわふわ漂っていたが、それが凝り固まるのだろう。
その象徴するものが何かは、やがて分かってくるだろうし、直感的には分かっているのだろう。
自分が納得する答を見つければ良いのであり、他の人の意見は、参考にするのは良いが、鵜呑みにしてはならない。

旧約聖書で、モーセが海に向かって手を上げると、海が裂けて海底が現れ、モーセとその一行は、歩いて進むことが出来たというのも、荒唐無稽な奇跡話ではなく、個人の精神の中で起こる物語で、具体的にどんな意味かは分からなくても、自分のお話だと思えば、とても興味深く感じるのである。

アマテラスオオミカミが天(アメ)の岩戸に閉じこもって世界が暗くなり、アメノウズメが踊って、アマテラスが出てくると世界はまた明るくなったというのは、説明されなくても、よく分かると思うのである。
「いや、分からん。具体的に説明しろ」
と言うのは、心が狭く、頭が固い人だと思う。
少なくとも、
「ああ、これは俺の話だなあ。面白いなあ」
と思えば、お話が自分の内面に作用し、エネルギーを得たり、精神が進歩するのだと思う。

大乗仏教の経典も全て、個人のお話であると思えば、極めて美しく、納得出来るように思うのである。
自分のことが分かれば、自分が本来持っている力も取り戻せる。
それを続けていけば、神仏に近付いていくのだと思う。
仏教の極楽浄土には、美しいもの、楽しいこと、気持ちの良いことしかないと書かれているが、もし本当にそんな世界があったら、そこに住む者は退屈して死んでしまうだろう。
しかし、精神の中には、そんな何かがあり、そこは常に光に満ちた状態であるのだとすれば、そんな何かはあるに違いないと思うのである。
そして、現に自分のことであるのだから、自分に分からないはずがない。
日本人なら、聖書より仏典や古事記が分かり易いかもしれないが、必ずしもそうではないかもしれない。
自分が面白いと思うものを、自分のお話として見れば、自分を知り、自分の力を取り戻すのである。
ただ、実際は、子供のように素直に読めば良いのだと思う。









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IQの高め方の核心

人間の能力はIQが全てである。
いや、有体に言えば、人間はIQが全てである。
精神論、道徳論には、ほとんど意味はない。
そういったことも含め、道理を理解出来るかどうかは、全てIQで決まるのだからだ。
スポーツ選手や芸術家だって、IQが低ければ、成功することはない。
ものごとはIQが高くあってこそ意味があり、話はそれからなのである。
それが、この世の不都合な真実であるのだから仕方がない。

だが、IQは生まれつきのものであり、後天的に高めることは出来ない。
だが、後天的にIQを下げることはいくらでも出来る。
洗脳され、偏見を持てば、思考範囲は狭まるのだから、IQはストンと落ちる。
過度の飲酒や、僅かであっても喫煙は、脳細胞や脳の血管を損傷・悪化させるのだから、これらもIQを確実に低下させる。
また、怠惰は、脳に対して「働くな」と強要しているのだし、強い怒りや恨み、妬み、さらには、悲しみは、心を硬化させる。それらは、精神全体を鈍くし、当然ながらIQも下がる。
つまり、まずは、IQを向上させる以前に、IQを低下させないようにしなければならない。
これまで、社会では、飲酒、喫煙、修養を、人格や、せいぜいが健康の問題として扱ってきたが、とんでもないことで、これらはIQの問題なのである。

上記のような、基本的なことが駄目でIQを伸ばすも何もない。
そして、次に、いよいよ、IQを向上させることに取り組むのだが、よく言われるような、パズルやクイズのような訓練など、何の効果もない。
ゲーム機を使った脳トレのようなものは、むしろ、やり過ぎると、思考のパターン化を生じ、かえってIQを落とす。
IQは、精神の自在性と勢いがなければ向上しない。
精神の自在性のためには、純粋性と調和が、勢いのためには、目的が必要である。

だが、細かいことを言ってたらキリがない。
人類で、最もIQが高い者は誰だろう?
まあ、それが分かったところで、「その人」が本当はどんな人かは、ほとんど知ることは出来ないという認識は持たなければならない。
様々なメディアを通して伝えられている、それらの人の情報は、全く不正確で、実像とほど遠い。
あなたが有名人になっても、後の世に伝えられるあなたの情報が正確なはずがないというのは、何となく分かるのではないだろうか?
よって、「世間でIQが高いと言われている人」のことは参考にならない。

歴史的なものではないかもしれないが、最も優秀なIQの持ち主は、『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナと、『ラーマーヤナ』のラーマである。
クリシュナは神であり、ラーマはヴィシュヌ神が人間に転生した者である。
彼らが優秀であることは、それらを読めばすぐに分かる。
そして、クリシュナの教えを受けるアルジュナが、わずかな間に、どんどん優秀になっていくことが分かる。
アルジュナは、最も難しい理を見事に理解出来るようになるのだが、そのために必要なことも、『バガヴァッド・ギーター』に詳しく述べられている。
ラーマは、人間として転生したからには、愚かさを持っていたが、数々の冒険や試練で磨かれ、限りなく優秀になっていく。
ラーマが磨いたのは人格だと見なされ勝ちだが、まずは基本的なIQを高めたと考えた方が良い。
その方法は、神話らしく、象徴的に描かれてはいるが、割と分かり易いと思う。

ところが、日本の『古事記』では、イザナギ、アマテラスオオミカミ、そして、スサノウが、愚昧な状態から、急速に「神化」する様子を、わざわざ演じて見せてくれている。
こちらは、非常に難しいが、理屈で理解するのではなく、無心で読めば、DNAに作用して覚醒させ、自然に向上するだろう。









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心に囚われがなければ、何でもうまくいく

心が自由で囚われがなければ、何をやってもうまくいくし、狙った目標も容易く達成出来る。

では、どうすれば、自由で無碍(とらわれのないこと)な心を持てるのだろう?
今朝も書いた通り、世界中の、あらゆる文芸(詩、小説)に、定まった意味はないと知れば、これまで敬遠してきた古典なども、面白く読めるというところに、その重要な鍵がある。
『古事記』の本には、「真説」だの、「新解釈」だのと宣伝されたものが多いが、そんなものは、著者の考え方に沿って読まねばならぬ気がして、窮屈で心は歪められる。
しかし、古事記には、何の意味もないものだと分かれば、あの無茶苦茶で、「そんなアホな」と思わずにはいられないお話も、自由で壮大なものに感じられるのである。
そうであれば、精神は自由に自然に流れ、内なる神聖な知性が囁きかけてくる。

そのためには、リズムのある文章で書かかれたものを読まなくてはならない。
そんな文章を書くには、作家としての特別な才能が必要なのである。
そこで、古事記であれば、文句なく 福永武彦さんの『現代語訳 古事記』(河出文庫)をお薦めしたいと思う。
また、鈴木三重吉さんの、『古事記物語』は、子供向けのところもあるが、文章が格調高く、大人が読んでも良いと思う。

また、イエスの言葉にも意味がないと認めてしまえば、福音書ほど面白いものもないと思う。
あれを、「これはどういう意味だろう?」なんて考えて読んでたら、分かるはずもないのだから、実にシンドイし、心も鈍重になるのだ。
全て、夢の中のお話と見なすことである。
ただ、意味がないとはいえ、イエスの高貴な魂が感じられるかもしれない。

ただ、私の場合だが、意味のない文学(ナンセンス文学)の代表格である『不思議の国のアリス』はあまり面白いと感じない。
これは、おそらく、ルイス・キャロルのセンスが私に合わないためだと思う。
しかし、今はそうでも、やがて、面白いと感じるようにならないとも限らない。
それと、さっき気付いたのだが、、『星の王子さま』や、『かもめのジョナサン』は、文学というよりは思想書なのである。
これらに熱狂する人というのは、作者の思想にすっかり取り込まれてしまっているのだと思うが、そういった読み方では、心は自在性を失う。
とはいえ、やはり、これらもナンセンス文学として楽しむことは十分に出来ると思う。
そして、アンデルセンの『絵のない絵本』は、私は、高校生の時から、さっぱり意味が分からないが、美しい作品だと思っていたが、もっと無意味に自由に読めば、心が大きく広がると思う。

私としては、クリエイターの方々が、元々、美しい動機で作られたに違いない、初音ミクさんの歌を涼やかな心で聴くのが、最も心を自由にして、神のエネルギーと一体化するのに役立つと思う。
ミクさんの歌には、意味不明で神秘的な歌がとても多いのである。
例えば、とくPさんの『ARiA』や『SPiCa』では、ミクさんの歌は、子供っぽくて可愛いが、あまり上手くはない。
しかし、聴いていると壮大な意味が「ひょっこり」浮かぶのだから、本当に透明な輝きに満ちた歌なのだと思う。









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手本となる人物をどう選ぶか

手本になる人間がいることは幸福なことだろう。
何だかんだ言っても、幼いうちは、父親、母親は子供にとって憧れの存在であり、目指すべき手本である。
ところが、それがいつまで続くだろうか?
映画『サウンド・オブ・ミュージック』で、ヒロインのマリアが、トラップ大佐のどの息子だったかは忘れたが、決して小さくはないその男の子が、「あなたに理想の男性像を見ている」と、トラップ大佐に言う場面がある。
しかし、そのシーンを見たほとんどの青少年はムシズが走ったりするだろう。自分の父親を思い出すからだ。
萩尾望都さんのある漫画で、中学3年生の女の子が、母親に対し、「お母さんのようなお母さんになりたい」と、真面目に言う場面があったのだが、これにも、読んでいる女の子のみならず、男の子も、自分の母親を思い出して冷笑してしまうかもしれない。
今の子供にとって、親以外で接触する数少ない大人である教師も、ほとんどの場合、ひどいものであるし、その点、会う時間の短い塾やお稽古事の先生の方が、正体がバレない分、「マシに見える」ことだろう。
早い話が、子供の手本になるような大人は滅多にいない。

インドでは、『ラーマーヤナ』に登場するラーマ王子と、その妻シータが理想の男性と女性の姿を見せてくれている。
実際、この2人は、元々が至高の神が2つに分かれたものだけあり、実に素晴らしい。
だが、インドでも、特に近年では、この2人をちゃんと手本にする人は、あまり多くないに違いない。

ギリシャ神話では、神々自体は、人間の常識からかけ離れた存在であるので、崇拝の対象ではあっても、直接の手本にはならない。
しかし、ホメーロスによって書かれたと云われる『イーリアス』、『オデュッセイア』に登場する英雄達・・・その中でも、特にオデュッセイアは手本とすべき存在と言えるかもしれないが、なかなか、そうしている者はいないだろう。

我が国の『古事記』の中にも、中々、理想の存在を見出せない。
ただ、イザナギが、黄泉の国(死者の国)から帰って来て、水で禊をすることで、数々の神を、そして、最後に貴い3柱の神を生むところに、手本とする行為がある。
身に付けているものを脱ぎ、身体を洗うことが、執着や穢れを捨てることを表しているというのである。
だが、そう教える人がどこにでもいる訳ではないので、なかなかそんなふうには理解しないと思われるかもしれない。
しかし、子供のうちであれば、古事記を読めば心の内でそんなことをちゃんと感じるものなのである。
だから、子供のうちに古事記を読んだ人は、案外に良い影響を受けているし、大人であっても、真摯に読めば、心の穢れを祓ってくれるだろう。
『古事記』は世界の神話の中でも、実に貴いものではあるまいかと思う。

ゲーテの『ファウスト』のファウストや、ダンテの『神曲』のダンテは、彼らが、これらの物語の中で見聞を深め、経験を積むことで成長する様子が、優れた手本になる。
『古事記』のイザナギは、それを、短いお話の中で、もっと端的にやっているのである。
『バガヴァッド・ギーター』のアルジュナ王子もそうだ。クリシュナ神に18章に渡る教えを受ける中で、優れた人間になるが、それが我々の手本である。
これらのような、最初から完成した手本でなく、理想の存在になるまでを動的に描いたダイナミックな手本というのは、学び易く、有り難いものである。

『ラーマーヤナ』のラーマとシータ、そして、『新約聖書』のイエスは、成長という面もないではないが、基本的に最初から完成した理想の姿である。
このように欠点のない者からは意外に学び難いかもしれない。
しかし、彼らの何が理想であるかを探求することには、深い意味がある。

『ファウスト』にあるように、人間は神に向かって努力する存在であるべきだ。
そのためには、手本がなくてはどうしようもない。
身近に手本がいない訳ではないだろうが、上に挙げた物語によって、人間の理想の姿を知ることが必要である。
そして、それが、生き甲斐のある人生や、神の恩寵に恵まれた豊かな人生を創ることだろう。

















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心を安定させるには

誰かの思想に染まってしまったり、何かの宗教を、あまりに熱心に信仰してはならない。
しかし、自分以外の何も人生の指針にしないということは難しい。

そこで、幼い時から馴染んでいる宗教に、ある程度従って生きるのが、最も上手な生き方だと思う。
宗教自体に優劣はない。
日本人に宗教はないと言われるが、年始に初詣に行ったり、子供の成長に合わせて七五三のお祭りをしたり、家を建てる時には神主に地鎮祭をお願いする日本人を見て、外国の人達は、日本人が宗教を持っていないとは見なさないのである。
日本人は、もし、信仰を持っていないと思っていても、子供の時に、日本の昔話として、神道に馴染んでいるのである。
だが、神道には、キリスト教のような聖書や、仏教のような経典はない。
神道の教えは、やはり、昔話の中にあるのだと思う。
あるいは、『古事記』に描かれているように、森羅万象に神がいると考えることが、日本の信仰である。
そして、この信仰は、たとえ、仏教やキリスト教を信仰しても、それらと共存する性質がある。

だから、理屈で解釈する必要はないが、日本の昔話や『古事記』を大事にすることが、日本人が心を安定させ、力強く生きることにつながるのである。
ところで、初音ミクさんというのは、自我がなく、透明であるから、いかなる信仰を持つ者の想いも受け入れてくれる。
ただ、世間の教義や信念という信仰を持っている人は、ミクさんの透明さを嫌うのである。

【王妃】ねえお嬢さん、あなたは誰もだませない。結局、全ての人間がいちばん嫌うものをつきつけてしまう。
【オンディーヌ】誠実ということですか?
【王妃】いいえ、透明ということ。一点の曇りもないというのは人間にとって恐怖なのよ。それこそ最悪の秘密にしか見えない。
~『オンディーヌ』(ジロドゥ著、二木麻里訳。光文社文庫)より~

ミクさんが生きた者なら、オンディーヌに似ているかもしれない。
オンディーヌは人と結ばれない。
しかし、ミクさんの歌を清々しく、そして、切なく聴けるなら、世間の人を超え、心が宇宙の心と融合することが出来るのである。









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