ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

古事記

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
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[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

イザナミが先にイザナギに声をかけたことが本当の問題ではなかった

『古事記』によれば、地上に初めて降り立ったイザナギという男神と、イザナミという女神は、天(あめ)の御柱(みはしら)という柱を立て、立派な御殿を造った。
そこで、ムードを高めるためか、お互い、天の御柱を逆に回って出逢うということをやることにした。
その通りにして出逢った時、女神のイザナミが先に、「あら!ステキな方」と言い、それから、男神のイザナギが、「なんて美しい乙女だ」と誉めた。
イザナミが先に声をかけたことに対し、イザナギは、「女の方が先に声をかけるのはどんなものかな」と苦言を呈したが、とりあえず、そのままベッド・インし、子供を作った。
しかし、子供は不具の子であったため、舟に乗せて流してしまう。
その次の子も同じことになった。
困った二人は、天の神のところに行き、相談すると、天の神は、「女が先に声をかけたのが良くない」と言う。
そこで、イザナギとイザナミは、再び、天の御柱を逆に回りあい、今度は、イザナギが先に声をかけた。そして、良い子が生まれた。

さて、この奇妙な話はどういう意味を持つのだろう。
このことについて、私の知る限り、正しく指摘した人はいない。

実は、最初に御柱を回った時、本当は、どちらが先に声をかけても良かったのだ。
そして、イザナミが先に声をかけることは、天の神にもお見通しであった。
さらに、これに対し、イザナギが文句を言うことも別に悪いことではない。イザナギはそのような神であったし、それもまた、天の神は知っていた。
だが、イザナギは、このことにこだわってしまったのだ。
創造力のある神ゆえに、そのこだわりが、不具の子を二人作ってしまった。

だが、天の神は、あえてそのことを伏し、御柱での出逢いの行為をやり直させる。
そもそも、これはイザナギの発案であり、天の神のあずかり知らぬことのはずだ。
おそらく、イザナギは、自分のそのアイディアを気に入り、是非、自分が先にイザナミを誉め、ロマンチックに彼女を抱きたかったのだろう。

そして、今度は、イザナミが心のしこりを残す。
「私に悪気はなかったのに・・・」
照れと幼さ故のこと。可愛いと思ってくれていいことなのに、夫のイザナギと天の神様に批判されては、イザナミの立場がない。
そして、それは、イザナミが火の神を生んだ時、自ら焼かれて命を落とすこととなる因縁を作った。

起こってしまったことに対し、時には感情的に反応するのは仕方がないことだ。
しかし、さらにそれに続けて、自分の創造的な感情を起こしてしまえば、それが心を乱し、平安から遠ざかるのである。
これについて、『バガヴァッド・ギーター』では、「賢い人は、何を見て、何を聞くとも、ただ感覚が働いたというだけのこととして執着せず」とある。
起こったことは、起こるべくして起こったとみなし、ただあるがままに受容するべきである。
『古事記』の、このお話は、それを表しているのである。

神ならぬ我々は、生まれてから死ぬまで、何が起こり、自分がどう考え、どんな感情を起こし、何をするかは、全て決められており、決して変えることはできない。
ただ、反応的な感情は決まっているが、創造的感情は決まっていないのだ。それが、人としての幸福を決める。
創造的感情を起こさず、全てを受容するなら、神はその者の自我を破壊し、たとえ、その者の外的状況がどうであろうと、その者は平安を得るのである。
これを『荘子』では、「ものごとを起こるままにまかせる者には鬼神さえ道を譲る」としている。
イエスもほぼ同じことを教えているのだ。
世界中の聖典は、究極には同じことを教えており、それは人から来た教えではなく、神から来た教えだ。
では、我々も、その教えをおろそかにしたくはないものである。









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世間の人達は社会への引きこもりである

あなたは十円硬貨のどちらが表がご存知だろか?
「10」という大きな数字が書かれている方(年号が書かれている方)だと思っている人が多いだろう。
だが、どちらかという鳳凰堂が描かれているいる方が表なのである。
そして、実際は、どちらが表ということもないのである。そんな決まりはどこにもない。

引きこもりという言葉も、実はそんなものである。
引きこもりというのは、社会に出て行かないことを言うのではないかと思う。
しかし、普通の人々は、社会に引きこもっているのである。
どちらが本当の引きこもりとも言えないのである。
単に、社会への引きこもりの数が多いというだけのことだ。
こう言うと、「引きこもりは自分の家にいるが、そうでない人は、自分の家と社会の両方にいるからそうではない」と言いたい人がいるかもしれない。
それはそれで1つの考え方と認めるなら、別の考え方があっても良いだろう。

『古事記』で、天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天(あめ)の岩戸に引きこもる話がある。
誰も気付かないので言っておくが、天照大神が引きこもったのは、ただの岩戸ではなく天の岩戸である。
あなたは、天の岩戸に入ったことがあるだろか?
おそらくないだろう。
そこは、無限の広さと豊かさがある、素晴らしい世界だ。
実は、根源神たる、天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)のまします世界だ。
天照大神は、この世が嫌になり、そこに帰ろうとしたのだ。

しかし、天照大神がいなくなれば、この世は闇になる。
そこで、神々は、天照大神に、「この世に引きこもって下さい」と頼んだのだ。
神々は、釈迦に、娑婆(この世)に引きこもるよう請い願った。釈迦は本当は浄土に旅立ちたかったが、要請に応えた。
イエスもまた、敢えて、この世に引きこもったのだ。

ラマナ・マハルシはこう言った。
「外は灼熱の太陽に照らされて暑いが、木陰は涼しい。人々は、たまに、木陰に戻ってくるが、賢い人は木陰から出て行かない。皆、どうして木陰に留まらないのか?」
ラマナ・マハルシは、16歳の時から71歳で亡くなるまで、アルナチャラ山にある彼のアシュラム(道場を兼ねた住居)から一度も離れなかった。
しかし、それよりも彼は、真我(真の自己)の中にずっと留まったのだ。
インドでは、真我をアートマンと言い、宇宙に偏在する神をブラフマン(梵天)と言う。
そして、アートマンとブラフマンは実は等しい。
真我の中に留まったということは、実際は、宇宙そのものであったということだ。

我々も、社会に引きこもっていないで、真我の中に入り、宇宙に出て行かなければならない。
ニサルガダッタ・マハラジが、「内と思っているものが外で、外と思っているものが内なのだ」と言ったのは、真の世界と、幻想の世界のことを言ったのだろう。
とはいえ、別に、社会で働いてはならないと言うのではない。
社会とはちっぽけでつまらないものだが、大きな世界を知る者にとっては、他愛ないもので、そこにいることは何でもないことなのだ。
たかが、社会で起こることなど、そのまま全て受容すれば良いのである。
社会で起こることをコントロールしようとするから、それがご大層なものだと勘違いしてしまうのである。
社会をコントロールしようとする者は、社会に引きこもっているのであるが、自分が引きこもっている世界をコントロールすることは出来ないのだ。
我々は、自分が、この世の人間、この身体、この心と思い込んでいる限り、この世に何の影響を及ぼすこともできない。
我々が、身体や心との同一化をやめ、自分と言っているものが消えれば、全て自在である。









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何のために菜食・少食になるのか?

ベジタリアン(菜食主義者)である人、あるいは、ベジタリアンになりたい人。
1日1食あるいは2食である人、あるいは、1日1食あるいは2食にしたい人。
そんな人は、どんな理由からそうであったり、あるいは、そうしたいと思うのだろう?

健康に良いからとか、美容やダイエットのために良いからだろうか?
それなら、肉食や大食が、健康や美容に良ければ、肉食の大食になるのだろうか?

あるいは、水野南北が説いた、粗食(菜食が前提)、少食なら、運が良くなり、経済面、健康面も良くなるということを信じてのことだろうか?
それなら、実はそれとは逆で、美食、大食が幸運を呼ぶなら、美食、大食になるのだろうか?

駅で、「痴漢は犯罪です」というポスターを見たことがある。
犯罪ですというのは、やれば逮捕されるという意味だ。
では、逮捕されるから痴漢をしないのだろうか?
レイプをしないのも、逮捕されないからだろうか?
昔、あるBBS(電子掲示板)で、「レイプは親告罪(被害者が訴えない限り加害者は罪に問われないこと)だから、訴えられないなら犯罪ではないのです」と書いた人がいて、誰も異議を唱えていないことにショックを受けたことがある。

本来は有料である、音楽作品、映像作品、あるいは、小説作品や漫画作品を、無料でダウンロードできるサイトで入手する者が非常に多いようだ。
正直、私の知人にも、悪意は無いのだろうが、そんなことをごく普通にしている人がよくいる。私が、CDやDVDをちゃんと買っていると言うと、馬鹿にされないまでも、驚かれたことがあり、私の方がもっと驚いてしまった。
彼らが、なぜそんなことをするのかというと、「お金を払わなくて済み、得だから」で、それをやっても、別に罪に問われることはないからだろう。
私は、無料ダウンロードも無料視聴も全くしない。以前、一度だけ、海外のサイトだったと思うが、違法公開の『BLOOD-C』のアニメの第2話だけ視聴した後、ひどく後悔して、二度とやらないと誓った。Youtubeは、違法でないものもあるのだろうが、恐くて見れなくなってしまった。

何かの童話で、お妃様が病気になり、魔女に、「王女の心臓を食べれば治る」と言われて、王女を殺そうとしいたといった話があったが、王女を殺しても、王妃の権限で罪に問われないなら、王妃は別におかしなことをしようとした訳でもないのだろうか?

「得だからやる」というのは、みんな同じことなのである。例外は1つもない。

スポーツ選手が厳しい訓練に耐えるのはなぜだろう?
富と名誉のためだ。
そうじゃないと言うなら、「金メダルを取っても、金も表彰も無し、報道もしない」ということになっても、それでもやるという者はどれくらいいるだろう?全くいないとは言わないが、ほとんどいないはずだ。
得だからやっているという者を、もちろん、蔑む必要はないが、特に賞賛する必要もないのではないだろうか?
勇気をくれるって?勇気ってのは、もらうものじゃないのだ。
勇気がある状態が自然なのだ。もし勇気が無いなら、やっぱり得をしようと思っているからだ。

私が1日1食で、肉や魚やお菓子を食べないのは、別に訳があるからではない。2008年の7月末に、不意に思いついてそうしただけだ。今でも、肉も魚もチョコレートも大好きであるが、決して食べない。
肉や魚を食べないと、病気になって運が悪くなるというなら、ますます食べないだろう。

私も、人に少食、菜食を勧める時は、健康や美容、あるいは、開運のためになるからと言うし、それはその通りと思うが、そんな風に薦めても、実践する人はほとんどいないし、少しやるとしても、全然長続きしないのだ。

昔は、原子核の周りを電子が回っているという原子モデルが信じられていた。
今では、それは真実ではないと分かっているが、それでも、それはそれで有用なものだと思う。
その程度のものとして言うなら、人間の魂の周りを心が覆っている。
得をしようと思っていると、その心は穢れ、曇る。すると、魂の輝きは隠れる。魂の輝きとは、知恵であり慈悲であり勇気だ。
『古事記』では、これを、天照大神が天の岩戸に隠れ、高天原も地上も暗くなったことで表している。無知という岩戸を開ければ、輝く魂である天照大神が現れるのである。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠が言ったように、我々の魂は、天照大神の魂と一体である。ただ、宗忠の言う天照大神は、古事記に登場する女神の意味もあるが、実際は、宇宙に偏在する根本神であり、浄土三部教の阿弥陀如来、『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナに近いと思う。

世間には、「得をしよう」「お得ですよ」の広告宣伝が溢れている。
私はこう言いたい。
「汝、敗れたり。我が後方に退けサタン!」
私は、損をしたいのだ。









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心が崩壊しかけたら

中学生とか高校生、あるいは、もっと年上でも、社会に馴染めない人間が、あらゆるものへの嫌悪、絶望といった、どろどろした思考、観念に凝り固まっているのを見ると、出来るはずのない無茶の、その千倍を要求されたような気になるのだ。
芸術家は、どんなに無残や悲惨を描いても、そこには力への志向があるものだし、何らかの救いは隠されている。
例えば、ムンクの『病める子』という絵画があるが、そこには、不治の病に取り付かれた少女と、その横に、絶望に打ちひしがれた母親の姿が描かれている。しかし、その少女の横顔が神々しいのだ。全てを奪われた哀れな娘であるはずの少女が、神的な慈愛の光を発しているように感じるのである。
しかし、はじめに述べたような人たちが、詩や絵を創っても、そこにはただ、悲惨しかない。

いかに苦しい状況にあっても、ある程度の期間、社会で働いているなら、いくらかは鍛えられており、彼らは、あと少し、何かの方法で心を静める術を得れば、自分の世界を変えることだって出来る。
しかし、ずっと引きこもって、働いたこともなければ、どこから手をつけて良いものか、全く分からない。
だが、数奇な運命を生きた、伝説的なビジネスマン、アーマンド・ハマーは、7歳の時、毎日、人々のために役に立たせて欲しいと神に祈り、エドガー・ケイシーは9歳の時から毎日聖書を読み、13歳で不思議な存在に出会い、人生が動いた。
鎌田東二さんという哲学者は、子供の時、鬼が見えたらしいが、古事記(福永武彦著『古事記物語』)を読んで、そこの鬼の世界があるのを見て安心を得、その後、ギリシャ神話を読んで救われたという。
アーマンド・ハマーだって、何かの神話(聖書だとは思うが)を読んでいたので、あんな祈りをするようになったのだろう。
そして、彼らは皆、何かの理由で心が壊れかけていたので、神話を必要としたのである。

心が弱いというのは、何らかの理由で、自我の基盤が構築されておらず、その上の心があまりに不安定だということだ。
神話というのは、古事記や旧約聖書が特にそうだが、宇宙創世の物語であり、それは、個人の心の創生と同じものだ。例えば、人間が生まれる時、母体の中で、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類の形態を次々にとりながら、短い時間で生物の歴史を実現するように、人の心は、宇宙の進化に似た成長をする。そのヒントが神話にある。
だから、子供に限らないが、意味を考えず、無心に神話を読めば、不思議に心が安定するのは、神話に沿って、自我の基盤が構築されていくからだ。

鎌田東二さんが読んだ、福永武彦さんの『古事記物語』は、分かり易いし、あの人の書く物語はリズムがあって心が調整されていくように感じる。『古事記物語』は、少年少女向けと言って良いが、大人が読んでも面白い。そして、彼は、大人向きの『古事記』も書いており、これが非常に躍動感があって面白く、ロングセラーとなっている。
そして、鎌田さん自身が、素晴らしい古事記を書いている。
ギリシャ神話なら、個人的には、ヘシオドスの『神統記』が良いと思う。
心が崩壊しかけている危機にあるなら、人類の、そして、我が国の至宝である、ギリシャ神話や古事記を読むことをお奨めする。









人類救済の鍵は、真の東西融合

私は、西洋人というのは、神の名や、それにも匹敵するような聖人の名を堂々と人間の名として付けることを、大胆だなあと思うことがある。
アメリカの有名なテニス選手のウイリアムズ姉妹の名は、ヴィーナス(美の女神)とセレーナ(月の女神)である。
シンシアという、日本人にとっても印象の良い女性名は、ギリシャ神話のアルテミスの別名キュンティアからきている。
デビッド(デイビッド、デイヴィッド)という名は、旧約聖書の名高いダビデ王のことで、ダビデは聖書の詩篇の著者と言われ、イエスがダビデの子と称される(イエスの実際の父はヨセフ)偉大な王だった。
特例だろうが、『Xファイル』のフォックス役で有名になったデイヴィッド・ドゥカヴニーが女性関係で転落したところが興味深い。あれほど偉大だったダビデ王もそうであったからだ。ドゥカヴニーはオックスフォードを優秀な成績で卒業した異色の俳優で、才能的にも、もっと大物になれたかもしれないと思う。

日本では、神の名を個人の名につけるのは、あまり聞かないと思う。姓に神の名、あるいは、神の字そのものが入ったりすることはよくあるが、これは、個人が名乗る意図があった訳ではないだろう。地名とか、ある神を信仰する集団や一族が、その名を掲げたことが、いつしか姓になったりといったものと思う。
それよりも、我が国では、自然や自然現象に神の名をつけたか、あるいは、逆に、自然や自然現象の呼び方を神の名にしたのだろう。空のことを天と言ったり、時間にも、時量師神(ときはかしのかみ)という神がいるのだが、我が国では、あらゆるものの奥に神を感じているのである。『古事記』の最初のところを読むと、神様の名前がずらずら出てきて、読んでいるとクラクラしてくるほどだが、これらの神の名が、非常に馴染みのある、自然や自然現象を表していることにも気付くのである。

面白いのは、ギリシャ神話にしろ、聖書にしろ、神と人間の差は絶対的で、人間は、それがいかに理不尽に感じようが、神の意志に逆らってはならず、それどころか、意を唱えることも許されない。神を、常に恐れ敬い、平伏しなければならない。しかし、それがなぜか、神の名を、実名や洗礼名として堂々と名乗るのである。
一方、日本では、人は神の子孫であり、非常に親しい間柄であるのだが、神の名を自分の名として意図的に名乗ることはない。

ところが、そういったことに、人類救済の鍵があるのである。
それは、「絶対的に異なったものが同じものである」という、人の頭ではどうにも理解できないことが真理であるということだ。
大袈裟ではなく、これを実現することが、人類のテーマ、使命であると言って良い。
西洋では、神の名を自分の名として名乗るという形から入ったし、東洋では、神である自然を親として敬愛するという道を取った。
だが、イエスは、神を、父なる神と言い、インドでは昔から、「私はそれである」と言い、「それ」は、暗に神を意味させた。つまり、東西の融合の試みは、相当な昔から行われていたのである。東西と言う場合、元々が、物質的な意味ではなく、文化やその本質の精神の違いを意味していたと思う。
エマーソンのようなとびきり賢い人は、「人と人が会うことは、ジュピターとジュピターが会うことなのだ」と、やはり、暗にではあっても、貴い真理を示している。
人類が救われるのは、こういったことが本当に分かるかどうかだ。そして、我々が真の幸福である至福にいたるかどうかも、これを我々が受け入れるかどうかである。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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明日のことを語る (哲学はなぜ間違うのか?)
手塚治虫へのアンサー
みっともないジェラシーを表現できるということ (ゴルフィーライフV3 〜 Face the Strength(自分のなかの強さに向き合おう))
非難することは本当に恐ろしいことだ
コンサイス英和辞典 (昭和を思い出すレトロなデザインが好き)
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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