ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
SE、プログラマー、AI開発者、教育研究家、潜在意識活用研究者、引きこもり支援講師Kayのブログ。

口ぐせ

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
◇お知らせ
[2019/12/28]AI&教育問題専用ブログ、メディアの風を公開しました。
[2017/03/01]「通りすがり」「名無し」「読者」「A」等のハンドル名のコメントは原則削除します。

何もしなければ奴隷になるだけ

高齢になっても軽々と歩ける人もいるが、大した歳でもないのに、歩行能力が著しく衰えてしまっている人をよく見る。
78歳のアメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンは、大統領専用機エアフォース・ワンのタラップを元気よく駆け上がっていこうとしたが、上り切るまで3回も転倒してしまった(主要メディアは報道しなかった)。エリート中のエリートでもこれである。
一方、私が、80歳だった政木和三さんと一緒にJR姫路駅に行った時、政木さんは本当に軽々と階段を駆け上がっておられたが、政木さんは万歩計を腰につけ、毎日2万歩必ず歩くのだと言われた。
やはり、歩くことが一番である。
とはいえ、特に最近の状況でなくても、歩く機会がない人も多い。
歩かないなら、部屋でスクワットをと言っても、なかなか続くものではない(むしろ続かない方が自然と思うこともある)。
しかし、腕振り運動なら楽に出来るが、これだけでも全身がかなり鍛えられる。
鍛えると言ったら、いまだ日本人はスポ根漫画の影響があるのか、苦痛を感じるほどキツいものでないと納得しない人が多いが、それは時代遅れであると思う。
腕振り運動を、足の親指とヘソのあたりに力を入れながらやると、全身くまなく鍛えられ、おまけに仙骨の働きが調整され、さらには、体内に気が満ち若返る。
よろしければ、当ブログの、【4月12日】運動を1つと言われたらを参照して実践いただければと思う。
他に運動をしなくても、これだけやっておけば間違いないと言う人もいる。
腕振り運動を紹介された関英男博士(電波工学の世界的権威で神秘研究家)は、腕振り運動のメカニズムを科学的に研究し、なぜ驚くべき効果があるのかに関して仮説を立て、自ら、毎朝2千回の腕振り運動を行い、これによって胃癌を治し、90歳を超えても世界中を駆け回って研究をしておられた。

ところで、腕振り運動は、慣れると一度に千回くらいは楽にやれるし、出来れば、一度に、ゆっくり丁寧に300回以上はやりたいところだが、単調な運動であり、ついよそ事を考えてしまい、今、何回やっているのか分からなくなることがある。
それで、やりながら指を折るという人もいるが、これはあまり感心しない。指は伸ばしてやるのが良い。
そこで、何でも良いから、小さなものを適当な数量用意し、100回やるごとに、置いた位置を移動させるという手を使えば良いと思う。
運動を中断することを気にする必要はない。
むしろ、百回終わるごとに気分をリセットした方が、楽に数多くやれると思う。
私は、小さなサイコロ状のものを使っているが、キャンデーでも、ボタンでも良いし、何もなければ石ころを拾ってきても良いし、硬貨でも良い。
いっそ、石ころや硬貨をきれいに洗って「腕振りの石」「腕振りの硬貨」とでも名付け、専用に使うと良い。

淡々と丁寧に繰り返すことは、精神鍛錬にも良く、腕振り運動で引き寄せ力(願望実現力)が高まるのは少しも不思議なことではない。
ところで、特別に願望実現のために難しいことをしている暇がないが、何か1つ、これはという方法を探している場合には、「神様の奇跡が起こる」という言葉を唱えることを検討しても良いと思う。
もう何度も書いたが、あるホームレスの男性が、この「神様の奇跡が起こる」をずっと唱えていたら、「宝くじで1憶円当たる」「ローマ法王に謁見する」「また宝くじで1憶円当たる」という奇跡が連続して起こった。
ただし、「1憶円当ててやるぞ」などと思っては駄目で、神に全てをまかせるつもりで、「静かに、ゆっくり、丁寧に」唱えるのが良い。
どうしても「神様」という言葉に抵抗があれば、「奇跡が起こる」「予期せぬことが起こり道が開ける」などと唱えても良い。

一番良くないのが、何もせず、世間の信念や教義に飲み込まれて、権力者が望む通り、奴隷のように生きることだが、大半の人間はそのようになってしまった。
そこで、学校もマスコミも決して推奨しない、上記のようなことをやり、神、あるいは、宇宙を味方につけて自由に地球を闊歩しようではないかと思う。








夜明け前が一番暗い

再び、最もシンプルな幸福への鍵に戻る。
「神様の奇跡が起こる」である。
面倒なら、この言葉だけ覚えておけば良い。
ホームレスの男性が、この言葉を唱え続けることで、「宝くじで1憶円が当たる」「ローマ法王に謁見する」「再度、宝くじで1憶円が当たる」という、これが奇跡でなくて何かということが連続して起こった。
このことは、著名な教育学者の七田眞氏が、著書『奇跡の超「右脳」開運法』の中で、「正真正銘の実話」と述べている。

あえて、このホームレスの男性の良かったことを言えば、彼が「自分を重要人物と見なしていない」ことだ。
駄目な人間というのは、自分が駄目であることを自覚しているかというと、そんなことはほとんどなく、異様にプライドが高く、馬鹿にされると、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを感じ、馬鹿にした相手を恨み、それを根に持つことが多いのである。
そんなプライドをくすぐられれば、容易く騙される。
プライドには良い面もあるのだろうが、「安っぽいプライド」は厄介なだけのものである。
そのホームレスの男性は、そんなプライドなど持っていなかったので、素直だし、神様も信じていた。
だから、愚直に、「神様の奇跡が起こる」を1日中唱えていたのである。
だが、安っぽいプライド・・・その根源である肥大した自我を持っている者でも、もし、根気よく、この言葉を数多く繰り返すことが出来れば、自我が弱まり、やがて奇跡を起こすことが出来るだろう。

幸福のポイントは、自我を屈服させることなのである。
そして、「神様の奇跡が起こる」という言葉は、その意味でも優れた言葉なのだ。
何せ、奇跡を起こすのは自分ではなく、自分は何もしない。自分に奇跡が起こせる訳ではないからだ。
この言葉を繰り返せば繰り返すほど、それが無意識に自覚され、自我が退き、同時に、神の力を崇めることになる。

神という言葉に抵抗があるとすれば残念だと思う。
ただ、それでも、この世で頼るべき力は、自分の貧弱な頭脳と身体、自分の所有物、そして、家族や友人が全てであると思っている訳ではないと思う。
運とか因果とか縁といった、人間の知性では計り知れない何かはあると、少なくとも感じていると思う。
もし、そいうではないガチガチの物質主義者であれば、救うのは非常に難しいが、そんな人が、このブログを読んでいることはないと思う。
しかし、神という言葉に抵抗がある場合は、こんなふうに唱えれば良い。
「予期出来ないことは起きる。不可能に見えたことが今実現しようとしている」
「予想しないことが起こり、道は開ける」
(「予期」「予想」は入れ替えても良い)
神という言葉は使わないながら、自分の力を超えた神秘の存在は認めていることになる。
ならば、これらの言葉を繰り返せば、神秘は味方になってくれる。
あるいは、単に、「神様の奇跡が起こる」の「神様」を省略させていただき「奇跡が起こる」と唱えても良い。
「神様」を略すなど不遜と思うかもしれないが、表向き「神様、神様」と言うより、無意識で実質に認めている方が良い。
「奇跡が起こる」と繰り返し唱えることで、実質で、奇跡を起こす神の力を認めることになるのである。
細かなことだが、「奇跡は起きる」という言い方がピッタリする場合もある。
Mitchie M氏による初音ミクさんの名曲『Freely Tomorrow』でも「奇跡は起きる」と歌われているが、ミクさんの自我のない歌声は魂に入り易く、良い効果があるかもしれない。
これも、逆に、ミクさんなどボーカロイドに抵抗のある人はやめておいた方が良いが。

言葉は、顔をしかめて必死で唱えるのではなく、「静かに、ゆっくり、丁寧に」繰り返すことが効果的である。
これを、自我が退くまで根気強く行えるかどうかが鍵になる。
プライドが高い者は、なかなかこれが出来ず、結果、「どうしてもうまくいかない駄目な人」になってしまう。
そして、成功の扉の前には、無数の死体が転がっているとも言われる。
成功直前は苦しい状況になる場合がよくある。
いわゆる、「夜明け前が一番暗い」のである。
後一歩で成功するところで諦めてしまい、屍と化す者が多い。
このことも憶えておくと良いだろう。








シンプルな万能アファーメーション

今回は、シンプルなアファーメーション(肯定的断言)、あるいは、口ぐせにすると良い言葉を、とてもシンプルな理屈から選択しよう。
「私は〇〇である」形式のやり方になる。
人間にはいろんなタイプがあり、「富」「成功」などの単語を唱える「単語法」が特に向いている人もいれば、長い祈りが向いている人だっている。
その中で、普遍的に効果があるのが、「単語法」と共に、この「私は〇〇である」というものだ。
と言うのは、人間の魂は、「私は」の後に続けた言葉に宇宙的な力を与えるからで、これを良い方向で使えば素晴らしいことであるが、悪い方向に使えばとても不幸なことなのである。
しかし、普段から悪い使い方をして、常に負の効果をもたらし続けている人は多いのである。
しかも、子供の時に、悪い方向に使うよう教育されてしまった人も少なくはなく、その悪影響は深刻だ。
そういったことを矯正する意味でも、「私は〇〇である」を正しく使う方法を知っておくと良い。

人間にとって最も良いことは何だろう?
それは若いということではないかと思う。
若さは無条件で良いことだ。
そして、人間の年齢は心が決めるのである。
ところが、多くの人が25歳になったら、もう自分は若くないと思っているが、それだと実際に老人的になり、自分の可能性を閉ざすことになる。
一方、ラルフ・ウォルドー・トラインの世界的ロングセラー『人生の扉をひらく「万能の鍵」』にもあるように、自分は若いと思っていれば、80歳を超えているのに25歳以上に見えない女性がいる。
『ヒマラヤ聖者の生活探求』には、数百歳でありながら少女にしか見えない女性もいるが、ひょっとしたら、それが特殊なのではなく、普通なのかもしれない。
若くあるための、口ぐせ、あるいは、アファーメーションは、
「私は若い」
と単純である。
単語法なら、「生命」「青春」「若さ」などになる。

次に良いのは、経済的に余裕があることだ。
金持ちであればさらに良いはずである。
これも、アファーメーション(あるいは口ぐせ)は、「私は豊かだ」というシンプルなもので良いだろう。
単語法では、「富」「豊かさ」「余剰」「豊富」「富裕」などだ。

そして、良ければもう1つ、自分の個性であるとか、実際的スキルに関することも加えておくと良いと思う。
職業における技能に関して、誰にも負けないというのは良いことである。
画家や小説家であれば、「私は神の画家だ」や「私は神の小説家だ」というのが最上かもしれない。
ソクラテスが言う通り、本物の能力というものは、内なる神から出るものであるからだ。
あるいは普通に、「私は第一級のプログラマーだ」「私は一流のデザイナーだ」「私は天才的なミュージシャンだ」など、心が鼓舞される表現を選ぶと良いだろう。

特に、アファーメーションや口ぐせの言葉に迷っているなら、基本的で確実に効果のある、これらの言葉を試してみると良いと思う。
現状がどうであろうと、「私は豊かだ」「私は若い」と断言するべきである。
静かに、ゆっくり、丁寧に唱えれば、いつまでも心に抵抗は起こらない。
肯定的な言葉に逆らうのは自我であるが、自我は、冷静さ、穏やかさ、丁寧さの前にひれ伏すからである。








「やれる」と「いける」

アメリカで、ものすごく駄目な男がいた。
50代も半ばを過ぎ、全くうだつが上がらない上に、会社をクビになってしまった。
彼は、いまさらだが、毎日、自己開発セミナーに通ったが、何も変化は起こらなかった。
しかし、ある日、セミナー会場で、ミラクル(奇跡)が起こった。
別に、セミナーが良かったのではない。
昔のことだから、セミナー会場の窓から、暗くなった外のネオンサインが見えたのだ。
それを見た時に全てが変わった。
そのネオンサインは、“American”(アメリカン)という文字だった。
だが、先頭の“Amer”の4文字が、ビルに隠れて見えなかった。
だから、彼に見えたのは、残りの“ican”だ。つまり、
I can(わたしはできる)
である。
彼は、生まれてから60年近くずっと・・・それこそ、赤ん坊の時から、「お前はできない」と言われ続け、いつからか、「わたしはできない」と自分で言い、彼の頭の中には、いつも、「わたしはできない」というつぶやき、独り言、自己暗示に満ちていたのだ。
だが、「わたしはできる」は「わたしはできない」より強いことを感じたのだろう。
それからは、「I can(わたしはできる)」を忘れないようにし、ある会社で職を得、やがて、そこの総支配人になった。

我々も、「わたしはできる」という、自己暗示、アファーメーション、つぶやき、呪文・・・何と呼んでも構わないが、それを、頭の中の「わたしはできない」が消えるまで、根気強く唱え続ければ良い。
ただ・・・
「わたしはできる」は、やや硬いというか、普段、あまり使わないかもしれない。
可能であることを表現する時、我々は、「やれる」と言う場合が多い。
古いSMAPの歌の『SHAKE』に、「あしたからハレルヤ ふたりならヤレルヤ」という歌詞があったが、これで意味が通じてしまうだろう。
また、「やれる」とは別に、可能であることを示す言葉に「いける」がある。
「やれる」が、ほぼ自分1人で実行するのに対し、「いける」には、自分以外・・・チームの力や運の力が加わる感じがある。
「イケてる」「イケメン」といった俗語も、「いける」から来ていると思うが、「いける」は「いかす(格好良い)」から来ているようだ。
「いかす」は「生かす」「活かす」であるとも思えるが、面白いことに、「やる」が「遣る」(行かす)であるように、「いける」も「行ける」というように、「移動する」「移動させる」の意味もある。
つまり、「やれる」「いける」は、同じような言葉・・・目的地に「行ける」といったものかもしれない。
そして、やはり、「やれる」は個人的に行うことに対し、「いける」は、自分以外の力も作用する。
難しい問題に取り組んでいる時、解決の可能性が見えたら、「いける」と思うことが多いが、これは、運も味方している雰囲気がある。

『まちカドまぞく』というアニメで、高校1年生の優子が、初めてバイトをして得たお金で、妹の良子(りょうこ)に何か買ってあげるために、良子をショッピング街に連れて行く話がある。
しかし、小さい(9歳)が、賢くて気遣いをする良子は遠慮して欲しいものを言えない。
ところが、そこについて来ていた、観察力の鋭い、優子の同級生、桃(もも)は、良子が、あるデジタルカメラを欲しがっていることに気付き、それを優子に伝える。
優子は、そのデジタルカメラの値札を見て、所持金で変えることが分かると、心の中でこう言ったのだ。
「いける!」
と。
優子がバイトをしたのも、それだけのお金が残ったのも、良子が欲しいものが分かったのも、偶然に偶然が重なった結果だった。
そんな状況を示すには「いける」は適切な言葉だ。

我々の頭の中に、親や教師やテレビが叩き込み続けた「無理だ」「できない」「失敗する」「諦めろ」といった言葉を、「いける」「やれる」で退治していくと良い。
つまり、「いける」「やれる」を口ぐせにすると良いだろう。
これまで、お薦めしてきた言葉「神様の奇跡が起こる」「ありがたい」は、やや落ち着いた時に使うもので、やや大きめの武器のようなもので、破壊力は抜群だが、「いける」「やれる」は、小型光線銃のように打ちまくるものと言えるかもしれない。








プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・SE、プログラマー
・初音ミクさんのファン
◆AI&教育blog:メディアの風
◆著書『楽しいAI体験から始める機械学習』(技術評論社)


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
Kay Twitter Home

執筆のご依頼




最新コメント


月別アーカイブ
記事検索
ブログバナー&Mail


メールはこちらへ

PV since 2010/09/08
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

人気ランキング参加中
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりへ


タグクラウド
QRコード
QRコード