大学受験に成功した人の、受験体験記というものがよくある。
だが、今は、大半の受験生が、予備校の助けで合格するのだから、どれも似たことが書かれている。
塾や予備校に行かずに、難易度の高い大学を目指すのは極めて不利である。
良い予備校が持っている受験ノウハウ・・・例えば、予想問題などの受験対策が、あまりによく出来ているからだ。
脳科学者の茂木健一郎氏が、「日本の大学は手抜きも甚だしい。外国の大学では、学生の選抜に時間をかけている。長時間の面接もしている。日本の受験を勝ち抜くのはロクな学生でない」といった意味のことをよく言われているが、かなり当っているのだと思う。
アメリカでは、大学は、高校生のFacebookの内容をしっかり見ているのだそうだ。
また、ボランティア活動の詳細な報告書も大変に重視されている。
その上、長時間をかけた面接や、論文試験も行うのだろう。
そうやって、ペーパー試験の成績だけでなく、総合的な能力、人間性を重視するのだそうだ。
もしそうなら、そりゃ、日本の一流大学の学生は、世界の中で大したことがなくて当然かもしれない。
日本では、ペーパー試験すら、予備校のノウハウまかせで、自分で考えないのだから、いったい何で頭を使っていると言えるのだろう?
昔の受験体験記で、「参考書の表紙がついているうちは勉強不足」といったことが書かれていた。
だが、今は、塾や予備校で、合理的な勉強の仕方・・・というよりは、試験の点の取り方を教わるので、今はそんなことをする者はいない。
確かに、参考書の表紙がなくなるまで時間をかけて反復するより、アメリカの高校生のようにボランティア活動でもすれば、頭も良くなるかもしれない。
しかし、それでも、そういった短調な反復を粘り強くやる意義はあると思う。
だが、日本の今の受験生は、与えられるだけの受験ノウハウに依存し、そういった反復勉強をせず、ボランティア活動などの特別なこともしないのだから、本当に、どこで人間を磨けるのだろう?
それで、学生はもちろん、社会人になってからも、どんなことでも答は聞けば教えてもらえると思っている甘ったれた人が多いのである。
彼らは、答は誰かが知っていて、それを教われば良いと思っているのだ。
特に、受験エリートはみんなそうだと思う。
そして、もう、相当な年齢層でも(40代以上でも)、そんな人ばかりになっているかもしれない。
さきほど、昔の受験生が、参考書の表紙がなくなるまで繰り返し勉強したという話を取り上げたが、確かに学生がやる分には一定の素晴らしいところがある。
これを、大人がやるとしたらどうだろう?
明らかな答が書かれているような本であれば良くない。そんな本は、大人の場合、早くエッセンスを掴む能力が重要となる。
学生の場合は、参考書は確かに答が書かれているが、時間をかけて深く理解することも大切なので、繰り返し読む意味もある。
しかし、大人の場合の読書とは、読んでから、自分が何を考え、どう行動するかが大切だ。
つまり、「この内容は素晴らしいのだから、何百回も読んで自分のものにする」なんてのは、学生気分の甘ったれである。
まるで、書かれている結論を知って、楽をしよう、得をしようという発想であり、日本式受験で身についた卑しい考え方である。
ある意味、本を全く読まずに、実戦で学ぶ方がずっとマシである。
とはいえ、本に書かれた偉大な先達の知恵を謙虚に学ぶ姿勢も大切である。それにより、過ちを防ぎ、他人への害悪を減らし、賢くなる時間を速め、より高いところに達することができるだろう。
だが、そのために必要なことは、本に書かれた知識のみを得るのではなく、自分の中から知恵を引き出すために読むことである。
確かに、ペーパー試験による受験(申し訳程度の実技試験も含む)がもたらした害悪の大きさは計り知れない。
それに気付いて、改善を進める国も増えてきた中で、日本は全く変わらない。
日本の受験システムのために、日本人は知恵も力も失くし、国力は衰退の一途を辿り、外国に支配され、邪まな国にも弄ばれるだろう。
だが、今は隠れてはいるが、賢い人、磨けば光る人も沢山いるのである。
それに、どんな時(年齢)からだって、心を入れ替え、本当に自分を磨く気になれば、遅いということはない。
本当に活躍すべき人なら、客観的には老齢でも、神が若さを与えてくれるだろう。
まずは、容易には・・・というよりは、理屈では全く分からない本を読み、自分の頭で考えられるように訓練する必要がある。
そして、金のためだけではなく、賢くなるために労働を利用すれば良いと思う。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
だが、今は、大半の受験生が、予備校の助けで合格するのだから、どれも似たことが書かれている。
塾や予備校に行かずに、難易度の高い大学を目指すのは極めて不利である。
良い予備校が持っている受験ノウハウ・・・例えば、予想問題などの受験対策が、あまりによく出来ているからだ。
脳科学者の茂木健一郎氏が、「日本の大学は手抜きも甚だしい。外国の大学では、学生の選抜に時間をかけている。長時間の面接もしている。日本の受験を勝ち抜くのはロクな学生でない」といった意味のことをよく言われているが、かなり当っているのだと思う。
アメリカでは、大学は、高校生のFacebookの内容をしっかり見ているのだそうだ。
また、ボランティア活動の詳細な報告書も大変に重視されている。
その上、長時間をかけた面接や、論文試験も行うのだろう。
そうやって、ペーパー試験の成績だけでなく、総合的な能力、人間性を重視するのだそうだ。
もしそうなら、そりゃ、日本の一流大学の学生は、世界の中で大したことがなくて当然かもしれない。
日本では、ペーパー試験すら、予備校のノウハウまかせで、自分で考えないのだから、いったい何で頭を使っていると言えるのだろう?
昔の受験体験記で、「参考書の表紙がついているうちは勉強不足」といったことが書かれていた。
だが、今は、塾や予備校で、合理的な勉強の仕方・・・というよりは、試験の点の取り方を教わるので、今はそんなことをする者はいない。
確かに、参考書の表紙がなくなるまで時間をかけて反復するより、アメリカの高校生のようにボランティア活動でもすれば、頭も良くなるかもしれない。
しかし、それでも、そういった短調な反復を粘り強くやる意義はあると思う。
だが、日本の今の受験生は、与えられるだけの受験ノウハウに依存し、そういった反復勉強をせず、ボランティア活動などの特別なこともしないのだから、本当に、どこで人間を磨けるのだろう?
それで、学生はもちろん、社会人になってからも、どんなことでも答は聞けば教えてもらえると思っている甘ったれた人が多いのである。
彼らは、答は誰かが知っていて、それを教われば良いと思っているのだ。
特に、受験エリートはみんなそうだと思う。
そして、もう、相当な年齢層でも(40代以上でも)、そんな人ばかりになっているかもしれない。
さきほど、昔の受験生が、参考書の表紙がなくなるまで繰り返し勉強したという話を取り上げたが、確かに学生がやる分には一定の素晴らしいところがある。
これを、大人がやるとしたらどうだろう?
明らかな答が書かれているような本であれば良くない。そんな本は、大人の場合、早くエッセンスを掴む能力が重要となる。
学生の場合は、参考書は確かに答が書かれているが、時間をかけて深く理解することも大切なので、繰り返し読む意味もある。
しかし、大人の場合の読書とは、読んでから、自分が何を考え、どう行動するかが大切だ。
つまり、「この内容は素晴らしいのだから、何百回も読んで自分のものにする」なんてのは、学生気分の甘ったれである。
まるで、書かれている結論を知って、楽をしよう、得をしようという発想であり、日本式受験で身についた卑しい考え方である。
ある意味、本を全く読まずに、実戦で学ぶ方がずっとマシである。
とはいえ、本に書かれた偉大な先達の知恵を謙虚に学ぶ姿勢も大切である。それにより、過ちを防ぎ、他人への害悪を減らし、賢くなる時間を速め、より高いところに達することができるだろう。
だが、そのために必要なことは、本に書かれた知識のみを得るのではなく、自分の中から知恵を引き出すために読むことである。
確かに、ペーパー試験による受験(申し訳程度の実技試験も含む)がもたらした害悪の大きさは計り知れない。
それに気付いて、改善を進める国も増えてきた中で、日本は全く変わらない。
日本の受験システムのために、日本人は知恵も力も失くし、国力は衰退の一途を辿り、外国に支配され、邪まな国にも弄ばれるだろう。
だが、今は隠れてはいるが、賢い人、磨けば光る人も沢山いるのである。
それに、どんな時(年齢)からだって、心を入れ替え、本当に自分を磨く気になれば、遅いということはない。
本当に活躍すべき人なら、客観的には老齢でも、神が若さを与えてくれるだろう。
まずは、容易には・・・というよりは、理屈では全く分からない本を読み、自分の頭で考えられるように訓練する必要がある。
そして、金のためだけではなく、賢くなるために労働を利用すれば良いと思う。
↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。