小学校から高校までの通知表(通信簿)には、成績とは別に、性格欄みたいな項目(以下、「性格欄」と書く)があり、その子の特筆すべき特徴が書かれているのだろうと思う。
「書かれているのだろうと思う」とは、まるで学校に行ったことがないような物言いであるが、そうではなく、私は、自分の通知表の性格欄に何が書かれていたか、全く覚えていないのだ。
そもそも、性格欄は、子供にではなく、親に伝えるものだと思っていたので、興味がなかったのかもしれない。しかし、子供も見ることが出来るのだから、普通は子供も興味を持つような気もするが、思い返すと、やはり、私は全く興味がなかったのだ。つまり、教師が自分をどう評価しているかなど、全くどうでも良かったのだ。
ところで、作家、評論家、大学教授…というより、今はYouTuberとして人気がある岡田斗司夫さんが、YouTubeで、自分は小学生の時、通知表の性格欄に「協調性がない」とずっと書かれていたと言っていた。本人が言うには、「協調性に欠ける」ならあり得るが、「協調性がない」とまで書かれることは、あり得ないのだそうだ。知らんけど(笑)。
まあ、子供の時の岡田斗司夫さんに協調性が全くなかったのは、彼の、特殊な健康状態や家庭環境の影響もあったらしい。
ただ、私が、それを聞いて思ったのは、私が、通知表の性格欄を覚えていない大きな理由は、書かれている意味が理解出来なかったからだという可能性がある。
私は、小学生の時は「協調性」なんて言葉は知らなかったと思うし、さすがに高校生になれば、「協調性」という言葉くらいは知っていたが、せいぜい、辞書的な意味がぼんやり分かる程度で、自分が協調性があるかどうか、全く関心がない…あるいは、理解出来なかったと思う。
そもそも、協調性というものが実際はどんなものかということは、本当のことを言えば、今でも分からないのだ。
これは、よほど協調性がないのだと思う。
つまり、引き寄せ自在な私が、世の中で大成功しない理由はそれである。協調性がなければ、成功することは難しい。
そもそも、初音ミクという存在は、クリエーション(創造性)とシンパシー(共感)から出来ているが、私は共感を感じないわけではないが、おそらく、普通の人の3パーセントも感じないと思う。
そんな私が、ミク廃(初音ミクの熱狂的ファン)である理由は謎である(笑)。
私も、通知表に「協調性に欠ける」「協調性がない」と書かれていた可能性が高いと思うが、そのような理由で、とにかく、全く覚えていない。
4や5がほぼない通知表を保管しているはずもないし(笑)。

ところで、私は、岡田斗司夫さんの他に、2人の有名人の通知表の性格欄の話を覚えている。
1人は、元総理大臣の野田佳彦(のだよしひこ)さんで、国会か何かで、自分の通知表の性格欄に、
「野田君は、褒めるところは何もないが、嘘をつかない」
と書かれていたという話を披露したらしい。
まあ、あまりにどうでもいい話なので、スルーする(笑)。
もう1人は、俳優で、私がこよなく敬愛する丹波哲郎さんだ。
彼も、教師は、良いことで何も書くことがないので仕方なく書いたのかもしれないと前置きしつつ、「丹波君はこだわりがない」と書かれていたらしい。
そして、丹波さんは、この「こだわりがない」ことこそ、自分が、戦争下で生き延び(しかも楽々と)、いつも良い想いをし(戦争下でも)、成功した理由だと断言している。
もちろん、料理人が料理にこだわるということは大事である。
しかし、自分が食べる料理にこだわるのは、あっても良いが限度がある。
そんなわけで、あなたもこだわりがなければ、成功するかどうかはともかく、良い想いが出来る。
では、こだわりのなさとは何だろう?
いろいろあるかもしれないが、まず「面子がない」ことであると思う。
ところで、こういったことに関し、非常に重要なことが書かれている本がある。
私の座右の書『猫の妙術』では、古猫が、若い猫達に、丁寧に易しく、優れた教えを授ける。
実力が凄いので、どんな優秀な猫も、その古猫の教えに真摯に耳を傾ける。
いや、猫だけではない。人間の武士すらそうだった。
だが、その古猫が、自分が全く及ばない老猫がいると言う。
もう、神のような猫だろう。
その、神人…いや神猫の特徴こそ、こだわりがないことだと思う。
ちなみに、『猫の妙術』が私の座右の書になったのは、最近のことだ(笑)。
良ければ、皆さんも読まれ、私と一緒に神になろう(笑)。