私は、小学生の時だったと思うが、有名な『荒野の七人』という映画を見て(テレビでだが)、多分、ブリット(無口なナイフ投げの達人)がチコ(後から仲間に加わった若いガンマン)に言ったのだと思うが、こんな言葉を鮮明に憶えている。
「サボテンの中に裸で飛び込んだ男がいた。後で、なぜそんなことをしたのかと聞いたら・・・その時はそれでいいと思ったんだそうだ」
私はその時ですら、サボテンの中に裸で飛び込んだ男が、おかしな人間だとは思わなかった。
彼の行動は、ごく普通の、ありふれたことだった。
つまり、人間ってのは、どこかおかしいし、狂っている。
それよりも、いつも理性的である訳ではない。
いや、そもそもが、人間は自分でモノを考えるのではなく、無意識の中に何かの想いが起こり、それが意識に伝わった時、それを自分が考えたと思い込んでいるだけらしい。
ロボット工学者の前野隆司さんの本を見ると、それは実験的に確かめられているらしいが、脳医学者のベンジャミン・リベットも全く同じことを言っているようだ(ラメッシ・バルセカール『誰がかまうものか』より)。

その前野さんと、物理学者の保江邦夫さんの対談書に書かれていたが、これも実験で確認されたらしいのだが、脳は、簡単な算数の問題を解いている時は活性化するが、難しい数学の問題を解いている時(解ける人がだと思う)、ほとんど活性化しないのだという。
高度な思考をしているように見える時というのは、考えているのではなく、テレパシーで情報を受け取っているだけなのだ。
将棋の名人は、対局中、眠っているのと変わらない脳波になるというし、高僧が瞑想している時も同じと言われる。
つまり、高度な将棋は、頭で考えてどうなるものでもなく、テレパシーのようなもので、教えてもらっているようなものなのだろう。
アルキメデスの例が有名だが、天才が大発明・大発見をする時というのは、考えている時ではなく、「全く考えていない時」である。

イエスは「心配するな」と言い、釈迦は「妄想するな」と言ったらしいが、そもそもが、何も考えない方が良いかもしれない。
考えるのは、せいぜいが、小学校の算数程度のことにすれば良い。
脳が活性化していると・・・言い換えると、左脳が優性になっていると、テレパシーを受け取れないのである。
だが、感情というのは良いのだと思う。
情緒や情感といった感情である。
大数学者の岡潔もそんなことを言っていたと思うが、情緒は大切にしなければならない。
(岡潔が、「時間は間違いなく情緒です」と言っていたのが印象的だった)

天才?秀才?関係無いだろ。断然、感情任せで進め
~『アメリカ~We are all right!~』(作詞・作曲・編曲:じん。唄:IA)より~

WE CAN GLOW WITH LIGHTS
感覚に身を任せて GO
~『憧憬~DOUKEI~』(作詞・作曲・編曲:BACK-ON。唄:IA)より~

大切なのは、ハート、愛である。
川上量生さんが、「天動説が正しいことのようにこじつけたやつの頭の良さは凄い」みたいなことを言っていたと思うが、私はこう思う。
天動説を信じさせた者というのは、理屈で信じさせたのではなく、美しい情緒を伴った物語で信じさせたのだ。
それ以前に、天動説を唱えた者は、自分が、情緒的に、美しい天動説を信じたのだ。
まあ、飛行機の時代が近付き、地球が回っていることを理解する必要が生じれば、みんな地動説を信じるようになるし、ある人が言うには、天動説でも不自由ない生活をしている人は、天動説を信じて幸せなのであるらしい。
確かに、情緒が人を愚かにすることもある。
しかし、本当に何も考えなければ・・・大きな力、大きな愛に任せる気になれば、悪くなるとは思えない。これもテレパシー情報である。








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