この世が住み難く、内向的な人間がひきこもり易い原因は、利己的な人間が多いからだ。
だが、利己的な人間は、自分が利己的であることを絶対に認めない。
利己的な人間に対し、「お前は利己的だ」と言って、「それがどうした」と返ってくるなら、その利己主義者は随分マシだ。
「お前こそが利己的だ」と言い返されることも多いだろうが、それがあながち外れていないから辛い。
他人を利己的だと思う私だって、まあ、客観的に考えれば、徹底して利己主義者だ。

グリムの『星の銀貨』の心優しい少女のように利他的であったら、生きていけるかどうか疑問だ。
かといって、利己主義者を攻撃しても、自分が攻撃されて傷付くだけである。
それは、嫌がらせに嫌がらせで返しても、何の解決にもならないようなものだ。
つまるところ、利己主義者が気に入らなくて攻撃するというのは、似た者同士の下品な喧嘩に過ぎないからだ。

だから、利己主義者を見たら、「ああ、あれは俺だ」と思えば良いのである。
決して間違っていないから。
自分が利己主義者でなければ、利己主義者は見えもしないはずだ。

では、どうすれば良いのか?
利己主義者というのは、放埓(勝手気まま)でいたいのである。
だから、逆に、自分に厳しい制限をかけると良い。
例えば、簡単な例で言えば、酒が大好きで、毎日沢山飲みたいところを、一杯だけにするなどである。
ロリコンなら、少女に決して近寄らないと誓うことである。
このように、特に自分が欲しいもの、好きなものの中で、人様のためにならないものを諦めるのである。
そうすると、自分の周囲には、利己的な者がいなくなる。

自分に厳しい制限をかけることを掟と言う。
最近、私は、掟をおろそかにしていたので、利己的な人間に苦しめられるようになってしまっていた。
掟を立て、自分にかけた制限に倍する力を、神は、その者に与える。
おそらく、女大好きであった上杉謙信が、女を近付けない掟を立て、それを守ったために、彼は戦では生涯無敗だった。
掟を自主的に守れば無敵である。









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