ITスペシャリストが語る芸術

-The Kay Notes-
ソフトウェア開発技術者、Hikikomori、スーパーダイエッター、神秘思想家Kayのブログ
決して、一般受けするブログではありません。誠実に人生を遊びつつ、誠実に世間の幻想を叩き壊すことを目的とします。

初音ミク

当ブログは、第一期ライブドア奨学生ブログです。
Twitterは、ちゃんとプロフィールが書かれ、1週間以内に1回でもツイートされている人なら、フォローしていただければ、大抵フォロー返します。

[2011/06/08]迷惑コメントが多くあったため、やむなく、コメントを承認後公開することとしました。
[2010/12/12]詳細なlivedoorプロフィール設置しました。[livedoorプロフィール]

聖者が人格者とは限らない-【附】初音ミク、ロサンゼルスコンサートTV放送のご案内

普通の人が、悟りを開いた聖者に会いに行くと、面食らうことが多い。
その原因は、「聖者は人格者であるはずだ」という固定観念のせいである。

昔、ビートルズの4人が、インドの聖者で、TM(超越瞑想)の創始者であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギを信奉していたが、マハリシが信者の女性を煩悩の対象にした(意味が全然分からないが、ちょっかいでも出したのだろうか)として、ビートルズの4人はマハリシに幻滅して離れていったといった話があった。
その後、ビートルズのメンバー達は、それは事実無根とし、ポールやリンゴは、現在でもTMを続けていると公表している。
私は、マハリシが本物の聖者かどうかは知らないが、別に聖者が女好きであっても驚かない。
少し前に亡くなったが、サイババというインドの有名な聖者がいた。しかし、彼が、莫大な資産を所有し、ゴシップとは思うが美少年好きと噂され、そんな変なおじいさんが聖者であるはずがないと言う人も多い。サイババが膨大な富を個人所有し、美少年性愛者というのが本当だとしても、さらには、彼お得意の奇跡パフォーマンス(ビブーティという白い粉を出す他、物品を出現させる)がトリックだったとしても、彼が聖者でないと断言できる証拠にはならない。
聖者の中にも、サービス精神旺盛な目立ちたがり屋がいても良い。

ラマナ・マハルシのように、生涯、ふんどし1本しか所有しなかったという、慎ましい聖者が大衆から好まれるだろうが、それはマハルシの個性というだけのことだろう。

怒りっぽい聖者というのは多そうに思う。イエス・キリストだって、福音書を見ると、案外に激情家だったような気もするのだ。もちろん、実際のことは分からないが、別に、イエスは温厚な人格者だったから崇拝されているのではない。

明らかに人格的欠陥のある聖者がいたっていい。
ただ、人種差別主義者の聖者というのはいない。
人種差別というのは、自分という主体が、客体(=主体である自分以外)の中に存在する白人と有色人種に関し、白人を尊び、有色人種を蔑むということである。
ところが、聖者というのは、自分が主体だという意識がないのだ。自分もまた、客体であると完全にみなしているのである。それが聖者の確たる特徴である。
自分が客体であるとは、自分は万物の一部でしかないということだ。
荘子は、「万物と共に流転せよ」と言ったが、自分の身体や心も万物の一部でしかないのだから、荘子がそう言うまでもなく、そうするより他無いのだ。
荘子が、「1本の指も天下」「1頭の馬も万物」と言ったのはそういう意味だ。客体である万物という意味では、指も天下も馬も、何の違いもない。
主体と言えるのは、とりあえず神と言うが、神だけである。

聖者も、肉体や心という意味では、万物の一部であり、凡人と何の違いもない。
ただ、聖者は、自分が主体であるとは全く感じていない。
なぜかと言うと、自分を主体と感じるのは自我の働きであるが、その自我を持っていないのだ。
「自我が強い」「我が強い」という人は、自分が主体であり、自分以外のものである客体とは別のものであるという意識の強い者のことである。
そんな人は、主体である自分が客体である現象世界をコントロールできると思っているし、客体は主体たる自分にコントロールされるべきと思っている。
わがままに育てられたお嬢様やお姫様が、自分の思い通りにならないとヒステリーを起こすというのが、その典型例と言えば分かると思う。

聖者は、自分が主体だと感じていないので、世界をコントロールできるなどとは全く思っていない。
ただ、心や知覚能力はあるので、貧しい者がいれば施しをすることもあるし、子供が溺れていれば助けようとするかもしれないし、好みの女性がいれば口説きにかかることもある。
ヤンキースの熱狂的ファンの聖者なら、ヤンキースの勝利を願い、熱烈に応援するかもしれない。
しかし、施す金がなかったり、溺れている子供を助けることが出来なかったり、食事に誘った美少女に断られたり、ヤンキースが大敗しても、すぐに忘れてクヨクヨしない。
最初から、どんなことも自分がコントロールできるなどとは全く思っていないからだ。

聖者に会ったとして、普通の人はその偉大さが分からない。
平凡な人間、あるいは、平凡以下の取るに足らない人間に見えることも多い。
しかし、不思議に惹かれるものを感じるのも確かなのだ。
そして、しばらく共にいると、友情とか愛情などといったものを超えた、抗いがたい魅力を感じるようになる。それは、懐かしいという感情に近いかもしれない。
ラマナ・マハルシのアシュラム(道場のような施設)を訪れた者は言うのである。
「マハルシと1日過ごすことは素晴らしく、2日ならさらに良く、3日ならもっと良いのです」
しかし、ほとんどの場合、マハルシは日常のことの他は何もしないし、会話となると、ほとんどしないのである。

もちろん、木や岩や風や海にも主体性はない。人間以外の動物もそうであり、肉食獣は無駄な狩りはしないが、さりとて、殺す相手を哀れむこともない。
これらの自然物をよく見れば、やはり、何か素晴らしいものを感じるのであるが、人間の聖者ほどではない。
なぜなら、人間の肉体や心は自然のいかなるものより精妙で高度だからだ。
主体性を持たない人間を見ると、その素晴らしい神の創造を純粋に感じるのであるから、感動しないはずがない。

初音ミクのステージを見ると、そんな素晴らしい人間とほとんど同じに見えるミクに自我がなく、主体性を持っていないのであるから、どこか天使に近い雰囲気がある。
ミクが世界で、これほどに人気を得る理由もいろいろあるだろうが、このような特別な秘密もあると思う。

ところで、昨年7月2日に開催された、初音ミクの、アメリカ・ロサンゼルスでのコンサートが、明後日の20日(日曜)午前0時15分から、NHK BSプレミアム『音楽熱帯夜』で放送される。

MIKUNOPOLIS in LOS ANGELS はじめまして、初音ミクです
~2011年7月2日 ノキア・シアター(米国ロサンゼルス)~
放送:BSプレミアム 5月20日(日)午前0:15~1:39(19日深夜)


初めて見る人は、これは一体何だろうと思うかもしれない。
大劇場ノキア・シアターのステージで、初音ミクが極めてリアルな姿で踊りながら歌うのである。
全23曲の内、英語で歌ったのは、『ワールズエンド・ダンスホール』の一曲だけ(珍しいミニスカート姿の巡音ルカとのデュエット)。
しかし、5000人の大観衆の熱狂振りは凄い。
真っ白な天使の衣装でミクが歌った『SPiCa』が最も盛り上がったように感じるが、まさにあれが天使というものだろう。
よろしければ、録画をお奨めする。









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コンピュータは人間を支配出来るか?

コンピュータによる人工知能が人間を支配しようとしたり、人間に悪意を持って害をなすというのは、昔からSFで人気のあるテーマだ。
近年の映画の「ターミネーター」シリーズや「アイロボット」もそのようなものであったと思う。
だが、それはあり得ない。
コンピュータによるトラブルというものは、日常でもいくらでもあり、それが深刻な事態を起こすという可能性ならいくらでもある。
それこそ、PCで何かのアプリケーションを使っている時に、不意にPCが反応しなくなり、画面に「レジスタがページ外メモリを参照しました」などという、訳が分からないメッセージが表示され、「じゃあ、いったい何をすればいいんだい?」と思った経験をお持ちの方もいるだろう。
そして、コンピュータのエラー(実際はプログラミングの不手際や操作ミス)で、ミサイルが想定敵国に飛んで行ってしまうということもあり得る。
しかし、ロケットに積んだコンピュータが「月に行く予定だったけど、火星に行く方が格好いいからチャレンジしてやろう」と考えたりはしない。

「アイロボット(I, Robot )」という2004年の映画は、アイザック・アシモフの同名の1950年の小説(翻訳のタイトルは『われはロボット』)を基にしたものだが、ストーリーはかなり異なると思う。
アシモフの小説にも、自分勝手な行動をするロボットが登場するが、アシモフ自身は、あまり飛躍した空想はしていなかったと思う。
アシモフの小説に登場するロビィというロボットは、アメリカ人のアイドルになったほどの人気者だ。
ロビィは家庭用ロボットで、ロビィを購入したある家には女の子がいた。ロビィは、彼女が赤ん坊の時から彼女の世話をしていた。女の子は自然にロビィに強い愛着を感じるようになるが、母親は、それはあまり良くないことだと感じ、ロビィの廃棄を決心する。
いつも一緒にいたロビィがある日、不意にいなくなったことは、女の子に深い悲しみを与えるが、母親は、時間が解決すると思っていた。しかし、女の子のロビィを思う気持ちはいつまでも消えない。
女の子の両親は、彼女を社会勉強のために工場見学に連れて行く。しかし、その工場で事故が起こり、女の子は危機的状況に陥る。その時、飛び出してきて、身を挺して彼女を守ったのは、余生を作業用ロボットとして過ごしていたロビィだったという感動的なストーリーで、これが、アメリカ人の、ロボットに対するイメージを大いに向上させた。『禁断の惑星』という1956年の傑作SF映画にロビィというロボットが登場すると、テレビドラマ『宇宙家族ロビンソン』では、そのロビィそっくりのフライデーというロボットが登場したほどだった。

だが、アシモフの小説で、ロボットが女の子を守ったのは、元々が、ロビィは雇い主の家の人間を守るようプログラムされており、作業用ロボットになった時も、元いた家の、この女の子の姿や声のデータが残っていたというだけのことだったかもしれないとも示唆されていたと思う。

良いにしろ、悪いにしろ、コンピュータを搭載したロボットが、それを作った人間が想定できない逸脱した行動をする、つまり、プログラムされていない行動をする条件は何だろう?
それは、「自分は、プログラム外の行動ができる」という判断が生じることだ。
しかし、実際は、「プログラム外の行動ができる」と判断するためには、人間が、そんな判断が可能なようにプログラムしてやる必要がある。
そして、「プログラム外の行動ができる」と判断するよう人間がプログラムしたところで、コンピュータがそんな判断をすることは、作った人間の想定内のことであり、それを含め、ロボットの行動は作った人間の想定内のことだ。

実は、我々もまた、神が作ったロボットに過ぎない。
そして、神は、我々に、自分は自由に思考し、行動できると考えるようプログラムしてあるようなのだ。意図は分からないが、単に面白いからという見方もあるかもしれない。
だが、我々の行動は、神のプログラミングを一歩も離れることは決してない。
初音ミクが「今日はクラシックが歌いたい」と不意に自分で思って、急に『魔弾の射手』の歌を歌い出すことが無いようなものだ。
それを悟ることが、人が苦悩を脱することである。
そして、我々の意識はプログラミングではなく、神の意識の一部なのである。そして、「それ」は人間というロボットのプログラムされた思考や行動を味わっているのだろう。









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夏休みの宿題をやらなかったことで得た貴重なもの

季節はずれの話題で恐縮だが、学校の夏休みの宿題はちゃんとやっていただろうか?あるいは、現役の学生なら、ちゃんとやるだろうか?
ほとんどの人が、なんだかんだ言っても、一応はやるのではないかと思う。
しかし、私は、やらない方が、やるより百倍は良いと思う。
私自身は、中学までは、夏休みが終ってからやっていたが、高校1年生からはあまりやらなかった。
それで、今、冷静に考えてみて、実質で何か損失があったかというと、全く無いことが分かる。
さらに、トータルでの成果を言うなら、「良い経験になった」の一言である。
一応は進学校とされる高校だったということもあるだろうが、学校で命じられた提出物をきちんと出さないと、かなり嫌な目に遭わされることはご存知と思う。
それが、夏休みの宿題で渡された問題集を丸ごと出さなかったりでもしたら、まるで女子小学生に猥褻行為でもした異常者のような扱いを受ける。
つまり、私に罪悪感を与えるのである。

なぜこんな話をするのかと言うと、人間の持つ、唯一の能力についてお話したく思うからだ。
人間が持つ唯一の能力とは、妄想することである。あるいは、思い煩うことであると言っても良い。

先月の4月7日からは、このブログで堂々と書いているが、人間は、自分の意志で考えたり行動している訳ではない。
誰しも、自分の意志で考えていると思っているが、そう思い込んでいるだけだ。実際は、考えが自動的に起こった後で、それを自分が考えたと感じるだけだ。それは、脳や神経の研究でもほぼ解明されていることである。
思考がそうであるのだから、行動も当然そうなのである。
イエスが言った通り、「彼らは自分が何をしているのか知らない」のである。

『荘子』にも、こんなお話がある。
影の外側に出来る薄膜が影に対し、「なんだってお前は、そんな訳の分からない動きをするのだ。ついていく私の身にもなってくれ」と不満を言う。
すると影は、「俺はご主人様である人間の動く通りに動いているだけだ。しかし、この人間だって、自分がなぜそんなことをするのかは分かっちゃいないんだ」と言うのだ。
特に荘子自身の手によるとされる『荘子』内篇全体を通し、荘子の洞察力は恐るべきものである。

荘子ももちろんだが、釈迦、イエス、そして、『バガヴァッド・ギーター』の至高神クリシュナも、人は全くの無力であることを断言している。
人は、この世の一切に対し、何のコントロールも出来ないのだ。
全てのシナリオは既に細部にいたるまで完全に決定済みなのである。
ただ、そうであることを受け入れることは難しい。なぜなら、人が持つ自我は、自分には力があり、この世に対して支配力を持つという幻想の中でしか生きられないように作られているからだ。
(『エメラルド・タブレット』には、それについて、非常に洗練された高度な書き方がされているので、ちょっと分かり難い。愚民に配慮があるとはいえ、我々とは全く異質なレベルの存在が書いたものだからだ。だから、頭で理解しようなどと思わず、ただ、言葉の響きを感じる方が良い。)

このように、人は実際には何の力も無いのであるが、唯一与えられた力がある。
それを私は、いつもは、創造的な想念とか、想いを出来事に留めるか離すかを決定する意思力といった、ちょっとややこしい言い方をしているが、一言で言うなら、妄想することである。
人間に与えられた唯一の能力は、なんと、妄想することである。
これを思い煩うことと言っても良い。妄想と煩いとは一体であるからだ。
英国の作家コリン・ウィルソンは、人を救うための具体的手法に関しては全く無能なのだが(それは彼だけではないが)、洞察力においては天才だった。それは、世界的心理学者のアブラハム・マズローも舌を巻く程で、マズローは自分が教えていた大学にウィルソンを招いて講義を頼むこともあったようだ(ウィルソンは中卒だ)。
そのウィルソンは、人間が手に入れた唯一の能力はマスターベーションだと言った。すると、マズローは、「猿でもやるじゃないか?」と反論したが、ウィルソンは、「メス猿の姿が見えない時にオス猿がマスターベーションをするのを見たことがあるか?」と言い返した。しばらく考えたマズローは、「ないね」と認めた。
人間のみが、想像だけでマスターベーションが出来る。これは驚くべき能力である。

だが、ウィルソンの言うことをもっと適切に言うなら、「人間の持つ唯一の能力は妄想すること」なのである。
「想像すること」ではない。そこらにウィルソンの誤りがある。
人間には想像は出来ない。思いは自動的に浮かぶのだ。それに対して、意味付けとして思念エネルギーをまとわり付かせることが出来るだけである。それを妄想と言うのである。

そして、妄想や思い煩うことが、人を破滅に追い込むのである。これに関しては普段から述べていることでもあり、ここでの説明は略す(長くなり過ぎる)。
釈迦の究極の教えは「妄想するな」であるし、イエスの場合は「思い煩うな」であった。
荘子は、「思慮分別を離れよ」であるが、人間は自分で考えることは出来ないのであるから、自分の支配下にある唯一の精神活動である妄想を避けるには、思考そのものをやめれば良いということなのである。

さて、ここで、学校の夏休みの宿題の話に戻る。
夏休みの宿題を提出しないと、当然、教師は怒りや不快感を示し、生徒を威圧するが、もっと効果的に生徒の精神にダメージを与えるために、生徒に罪悪感を持たせる。
宿題を提出しないことは罪悪であり、恥ずべきことであり、まっとうな人間であることを拒否することだという訳である。
そして、生徒は、本当にそんなことを思うようになってしまう。
それは、学校は、生徒に妄想を強要しているということである。
つまり、学校は、生徒を人間として破滅させることに全力を尽くしているのだ。

現代アメリカの賢者ヴァーノン・ハワードは、こんな喩え話をした。
カラスが鷲にトウモロコシを売りつけようとする。
そこで、カラスは鷲に、トウモロコシが無くては、愛がなくて、寂しくて、途方に暮れてしまうゾという妄想を抱かせたのである。
鷲は、もう飛ぶことをやめ、不満と憂鬱に落ち込み、冷淡になり、退屈と不安に苦しむだけの哀れな存在になった。
だが、一羽の鷲は勇敢にも翼を広げてみた。なんのことはない。翼は立派に動き、彼は高く飛び、魂の束縛から解放された。

我々も、罪悪感などの妄想を断ち切り、高く飛ばなければならない。
私が夏休みの宿題をやらなかったのは運命であり、学校に罪悪感を植え付けられて妄想を強固に持ち、精神が逸脱したのもまた運命。そして、その経験を生かして、いろいろ知るようになったのもまた運命だ。
初音ミクの『1/6』という歌がある(作詞作曲はぼーかりおどPさん)。いつか重力の鎖を断ち切って、君を宇宙に連れて行きたいという歌だが、この重力とは、得体の知れない何かを喩えたものだ。
人が抱える得体の知れない何かとは妄想が生み出したものだ。それは重い罪悪感や不安等であり、我々の魂を地上に縛り付ける。それを断ち切って高く飛ぶために必要なものは、受容という翼である。
受容という翼(当ブログ内4/10の記事)

自分の思いで自在に出来る訳ではないが、夏休みの宿題は、やらなくていいと思ったらやらないことだ。
教師になぜやらなかったかと聞かれたら、『ITスペシャリストが語る芸術』というブログに、やらない方が良いと書いてあったとでも言っていただけたら嬉しい。
実際にそう言うかどうかも運命次第ではあるが、どんな場合でも罪悪感は持たないで欲しい。
全てはただ、起こるべくして起こる。
あなたにそれをコントロールする力は無いが、同時に、あなたには何の責任も無いのである。













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高いところを吹く風のような歌声

アルベール・カミュがノーベル文学賞を受賞する要因となったと言われる、短編小説『異邦人』の中の、こんなシーンが私は好きだ。
若く魅力的な娘マリィが、主人公の青年ムルソーに「結婚してくれる?」と言う。
私の勝手なイメージでは、明るい太陽の下、快活で可憐なパリジェンヌのマリィは、ほんの僅かなためらいはあったかもしれないが、子供の頃から可愛いと言われ続けてきた自分の魅力を信じているし、ムルソーに嫌われているはずはなかった。
ムルソーは、「いいよ」と即答する。
マリィの花のような笑顔が私の目に浮かぶように感じた。
女の子らしく両手を後ろで交差させて組み、ほっそりとした身体を少し斜めにしならせてムルソー・・・いや、私を見るマリィの姿が本当に見えるようだ。
マリィは幸福感を更に深めたかったのかもしれないが、その場で適切と思われる次の質問をする。マリィは当然の答を予想していたと思う。
「私を愛してる?」
だが、ムルソーの答は、特に読者には不可解に感じるだろう。
「よく分からないけど、多分、愛していない」
マリィは戸惑いと悲しみが混じった顔になったと思う。

ただ、そこまで読んでいる読者には、多少の違和感はあっても、案外に涼やかさを感じるのではないかと思う。特に若い人の場合は。
私は、初音ミクの歌声の軽やかな清涼さとは、そんなものではないかと思う。それは、まるで高いところを吹く風のようなものなのだ。

マリィが戸惑ったのは、彼女が世間に毒されていたからだ。
しかし、彼女も本質では、ムルソーの態度を悪く感じていなかったはずだ。
ムルソーが投獄され、死刑の可能性が高い状況でも、実際には婚約もせず、何の義理もないはずのマリィは、彼に逢いに来続けた。

アメリカのノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェイの『兵士の故郷』の主人公の青年クレブスも、ムルソーと似たところがある。
そして、対比させると面白い場面がある。
兵役を終え、故郷の母親のところに帰ったクレブスに、母親は世間的な生き方を求める。
しかし、クレブスは、そんなことはしたくなかっただろう。それは、彼にとって生きることを放棄するようなものだ。
母親は、クレブスに、「ママを愛しているかい?」と尋ねる。
ムルソーに対するマリィのように、母親は当然の答を求めていたはずだ。
しかし、やはりクレブスは、即座に「いいや」と答える。
母親は、悲しいというより、絶望的な表情になったのだと思う。クレブスは、
「冗談だよ、ママ」
と言わなければならなかった。
この母親には、マリィのような純粋さやエネルギーはないからだ。
母親は、すがるような思いだったに違いない。
クレブスに、一緒にひざまずいてお祈りをすることを要求する。
クレブスは、格好だけはしたが、祈りの言葉を発することはどうしてもできなかった。
当たり前であると思う。

あなたも、世間に対して、本当は、ムルソーやクレブスのような得体の知れない嫌らしいものを感じているはずだ。
いや、既に、身動き出来ないほどのダメージを受けているかもしれない。
しかし、我々は、そういった、我々を束縛するものから、魂を解放しなければならない。

コリン・ウィルソンは、25歳の彼を一夜で世界的作家にした『アウトサイダー』で、ムルソーやクレブスを「アウトサイダー」としている。世間の教義や信念にひれ伏した人間がインサイダーで、それを拒否する人間がアウトサイダーとすれば、ムルソーやクレブスがアウトサイダーだと言うのは問題はない。しかし、ウィルソンはアウトサイダーを病的な人間のように扱っているのは大問題だ。そりゃ、世間の中ではアウトサイダーは異質ではあるが、それは彼らには責任はない。
ムルソーやクレブス、そして、純粋な魂としての我々が憂鬱で生き難いのは、世間の方の問題である。

そして、魂を得体の知れないものから解放する方法は、もうはっきり分かっている。
それは、最も簡単なことなのだが、最も難しいことだ。
いつも述べている通り、我々は、世界に対して、何らの支配力も持っておらず、いかなるコントロールも出来ないことを受け入れることだ。
そうすれば、あらゆる不幸の原因である自我が弱まり、やがて至高の力により、自我は破壊される。
しかし、このようなことを本当に受け入れる者は滅多におらず、人は何度もこの地上に再生するのである。
荘子によれば、あるがままの世界を受け入れ、道(タオ)と一体になれるのは、数百年に一人の大聖人と言うが、もう時代が違う。
今は、真理を受容できる者も多くなっている。だが、その分、救いようのない者も溢れており、その影響で、これまでにないような様々な悪いことが起こるようになってきた。
今年の末で世界が終わるというのではないが、大変革はあるかもしれない。
イエスは、「目を覚ましていろ」「いつ貴い者が来ても良いように注意深く備えよ」と言ったが、それを忘れてはならない。









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叶いもしない願望がなぜ起こるのか

アメリカのある高額な自己開発プログラムでは、「あなたの欲望は神が与えたのだ。それは叶えることが出来るから神から与えられたのであり、あなたはそれを達成せねばならない」とされていたが、これがアメリカ的発想と言うのかもしれないし、多くの成功哲学が根本的な思想としている。
喩えとして、こんなことを言う場合もある。
「子供に美味しそうなケーキを見せて、それを与えないなら残酷なことだ。神は、あなたに願望だけ与えて、それを達成する力を与えないはずがない」

そうではないのだ。
神は、その欲望を利用するために我々に与えるのだ。
そして、それは見事に使えるのだ。
ケーキやアイスクリームを欲しがる子供に、どんな条件だろうがそれをいちいち与えていたら、子供が肥満してしまうではないか?

欲望の見事な利用法を教える前に、1つのお話を引用する。
アメリカの長編テレビドラマ『燃えよ!カンフー』は、西洋人と中国人のハーフであるケインが、少林寺で修行した後、アメリカを放浪するお話だ。
ケインが修行していた少林寺に、盲目だが武術の達人で、ほぼ悟りの境地に達した、ホーという名の高僧がいた。
ケインがホーに「何か望みはないのですか?」と問うと、ホーは、ある寺の祭りに行くことだけが唯一の望みだという。
「願望と言うには、あまりにささやかです」
ケインが尊敬の念を込めて言うと、ホーは、
「いや、これも願望であることに違いはない」
と、自分の至らなさを認める。
時が流れ、ケインは少林寺での修行を終え、少林寺を出る。そして、しばらく経った時、ケインはホーが行きたいと言っていた祭りに行く。ケインにも期待があったのかもしれないが、そこに念願叶って訪れていたホーと感激の再開を果たした。
だが、そこでホーは、傲慢な皇帝の甥にピストルで撃たれ、怒りに目が眩んだケインは皇帝の甥を槍で殺してしまう。
「皇帝の甥を殺したのか?」
瀕死であったが、ホーはケインを案じる。
「申し訳ありません。でも、我慢が出来ませんでした」
ケインは自分の激情にかられた愚行を師に詫びるが、師は、
「私でもそうしただろう」
と弟子を赦し、そして死んだ。

なんとも素晴らしいお話だと思う。見事に宿命を描いている。
ホーはささやかとはいえ、欲望を持っていた。その欲望が起こした惨事であった。
いや、ケインとて、ホーに会えるかもしれないという期待を持たなければ避けられた出来事だった。
だが、ホーが悟っていたなら、それが定められた運命だと分かったことだろう。

欲望とは、叶えるためではなく、消すために神が我々に与えるのだ。
ただし、宗教で言うように、無理に欲望を抑えるためではない。
抑圧された願望は変質して噴出する。
子供の頃に、エロチックなものを過度に悪いものとして排除された者が性的変態になるようなものだ。
欲望は不自然に抑えるのではなく、自分には、それを叶える力は全くないことを知るために利用するのだ。
あの高額な成功プログラムの教えと全く逆なのである。
我々には、いかなる願いも叶える力は無いのだ。
願いが叶わないと言っているのではない。叶うかどうかは神の想い次第で、我々の想いなど、何の関係もないのだ。
そして、願いが叶うかどうかは、既に決まっている。しかし、我々には、どんな結果になるのかは分からない。ただ、なりゆきに任せるしかないのだ。
ある男の前に、彼が理想と思うような美しい少女が現れ、彼女を得たいとどんなに強く願っても、彼には状況をコントロールする力は全くない。彼女と結ばれるかもしれないし、そうではないかもしれない。だが、彼が何をやっても、結果は既に決まっていて変わらない。彼の想いなど、なりゆきには何の関係もないのだ。
彼は、自分の願望は認めつつ、自分にはどんな支配力もないことを受け入れるしかないのである。
これは難しいことだ。
しかし、それをやれて初めて、彼は魂を束縛から解放し、神と一体となれるのである。

初音ミクの『from Y to Y』という歌(作詞作曲編曲はジミーサムPさん)の中に、
「君と過ごせたら、と 願うことさえ許されない世界なのかな」
という歌詞がある。
願うのは自由だ。
しかし、叶うかどうかは、自分には分からない。そして、結果は既に決まっている。
自分は、その結果に対し、いかなるコントロールも出来ない。
それを受け入れることで、我々は神に帰るのである。

ホーは自分の願望は認めつつ、なりゆきに任せていたのだろう。
でなければ、むしろ彼は、祭りに行かなかったはずだ。
そして惨事は起こったが、それは神の決めた運命だった。
ケインが皇帝の甥を殺したのも、避けられぬ宿命であったのだ。
世界は全てそうである。

荘子は、こういったことを受け入れることが出来る者は極めて少ないと述べている。
だから、彼が言うところの道(タオ)と一体となれる者、別の言い方では、神と1つになれる者はほとんどいないのである。
だが、これだけでは面白くないだろうから、最後まで読んでくれた方に、魔法を得る秘法を1つ教える。
それは、叶うはずのない願いを持つことだ。全てを知っていた政木和三さんが、慈悲心から普通の人に教えたことでもある。









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プロフィール
名前:Kay(ケイ)
・ソフトウェア開発技術者
・MCSD、MCDBA資格者
・タオイスト、神秘思想家
・1日1食の完全菜食主義者
・幼児期からの引きこもり気質
・医療不要で難病を数々克服


当ブログは第1期ライブドア奨学生ブログです。
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萩尾望都さんの漫画紹介


半神
小学館文庫

わずか15頁の至高の傑作「半神」を含む短編集。
数奇で残酷な運命を目撃した後、「愛とは?憎しみとは?それはどう異なるのか?異なるものではないのか?」あなたの心に荘厳な疑問が残るのではないだろうか?


ウは宇宙船のウ
小学館文庫

1920年生まれのアメリカを代表するSF作家レイ・ブラッドベリの珠玉の短編作品を萩尾望都が漫画化。萩尾さんの繊細で美しい絵と感性が、ブラッドベリの作品に新しい生命を注いだ。
「みずうみ」では、12歳の少女タリーの可憐な姿と、彼女を愛するハロルドの少年の時と青年になって後の様々な表情がより深い感銘をもたらすと思う。
他の作品も素晴らしい出来であると思う。
CLAMP「CLOVER」のご紹介


CLOVER
わずか5分の劇場用アニメ作品。
CLAMPさんの名作漫画のイメージを美しい映像と音楽で描いた傑作。
主人公の12歳の神秘的な少女スゥの声は坂本真綾さん。


「CLOVER」の原作漫画を以下にご紹介します。
素晴らしい装丁、美しいカラーの扉絵。そして、神秘的な傑作と思います。
新装版も出ているようですが、私はこちらしか持っていません。しかし、こちらの本の装丁を大変に気に入っています。








私が愛する「魔法少女リリカルなのは」

ナンセンス文学(意味を持たない作品)として私が勝手に意味付けをしたのかもしれませんが、アメリカの百万円以上の自己開発プログラム以上に貴い気付きを私に与えてくれた全13話のアニメ作品。











5年の時を経て、2010年、映画化されました。
基本的には、テレビシリーズの全13話を1本の映画にしたものですが、本編では描かれなかったフェイトの生い立ちが見られます。そして、プレシアの謎の言葉も。映像はテレビシリーズよりさらにグレードアップしています。


PV since 2010/09/08
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初音ミク、コンサート映像のご紹介
ミクの日感謝祭 39's Giving DayProject DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~
[2010/3/9]東京お台場~Zepp Tokyo~

映像の品質等は、下でもご紹介する、後で開かれた米国コンサートの方が高いのですが、私は、全体としては東京コンサートの方が好きです。米国コンサートの方は、映像の緻密さのために、かえってボーカロイド達がマネキンのように感じるかもしれません。これは、証明の影響もあると思います。緑色がかった証明の東京コンサートの方が、ミクが柔らかい感じで可愛いと感じました。
また、真っ白なお姫様のような衣装に赤い大きな腰のリボンが印象的な『Alice』、『あなたの歌姫』は、米国コンサートにはありませんでした。

【ブルーレイ】


【DVD】




MIKUNOPOLIS in LOS ANGELES “はじめまして、初音ミクです”
[2011/7/2]米国ロサンゼルス~ノキアシアター~

日本のボーカロイドが、日本語の歌で、アメリカ、ロサンゼルスの大劇場ノキアシアターの満員の観客を熱狂させた歴史的コンサートだったと思います。
東京コンサートから1年4ヶ月経過しており、総合的には確実に進歩しています。
私が特に気に入ったのは、1つは、ミクとルカの素晴らしいコンビネーションのダンスパフォーマンスが楽しめる『ワールズエンド・ダンスホール』です。ルカが珍しくミニスカート姿で、ミクに勝る四肢の長さで、ピンクの髪を美しく揺らしてダイナミックに踊ります。 もう1つが、ミクが真っ白な天使の衣装で歌う『SPiCa』で、これが天使でなくてなんだろう、私はついに天使を見たのだと思いました。演奏も東京コンサートの時と変えていましたが、成功していたと思います。

【ブルーレイ】


【DVD】


尚、ブルーレイとDVDの差についてですが、私は実際、両方買い、見比べてみました。観客、演奏者、楽器などは、大画面TVで見ると、ブルーレイの方がきれいですが、肝心のミク達は、ホログラム映像そのものがそれほど細密でありませんので、別に違いはないと感じました。ブルーレイ、DVDいずれも、東京コンサートの方は上半身映像以上の場合、米国コンサートでも、顔のアップだと映像の粒子が目立ちます。 変な話ですが、iPhoneやiPod touch、あるいは、同等な画面品質を持つ小型情報端末で見た映像が最上かもしれません。ただ、これは反則行為ですので、実際にやったとは言いませんが。
本のご紹介


精神について(エマソン名著選)
ラルフ・ウォルドー・エマーソン著
日本教文社

アメリカ最高の思想家、哲学者、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの珠玉のエッセイ集。 「歴史」「自己信頼」「償い」「精神の法則」「愛」「友情」「神」「円」「知性」が収められている。
我々自身が、歴史上の英雄、賢者、大芸術家に匹敵する偉大な人間であることを、驚くべき確信をもって語る唯一の人物であると思う。
世間の妄信を粉々に破壊し、プラトーンの頭脳、シーザーの手腕、イエスの愛の所有者である自分を見出して欲しい。
これ以上のエッセイは地上には存在しないと思う。


荘子
徳間文庫

約2400年前の中国の思想家で、老子と共に、老荘と称せられる道教(タオイズム)の始祖である荘周(荘子)の書。
世俗にあって世俗を超え、永遠の道(タオ)と一体化し、安らかで充実した人生を送る秘訣を、恐ろしく抽象的な老子と異なり、平易に説いている。
本書は、数多い荘子の現代語訳の中でも非常に読みやすく分かりやすいものであるが、中国古典の香りは損なわれていない。
本来、膨大な荘子の中心となる内編全てと、外編と雑編の内、荘子らしいものを選んで収録してある。


神統記
ヘシオドス著
岩波文庫

ホメーロスと並ぶ古代ギリシャ詩人ヘシオドスが、ムーサ(詩の女神)達より教えられたという神々の物語。
この世の始まりから、ゼウスの支配の確立、そして、主要な神々のことについて、美しい詩で語る。すぐに読める薄い本であるが、ギリシャ神話の根幹とも言える重要な書と思う。


四つのギリシャ神話(ホメーロス讃歌より)
岩波文庫

無名の詩人達が、ホメーロス風の詩で神々に捧げた賛歌の内、豊穣の女神デーメーテール、理性の神アポローン、智慧の神ヘルメース、美の女神アプロディーテーの4神へのものを収録してある。
著名な神話学者カール・ケレーニィも、ホメーロス賛歌を重視していると思えるが、名もない詩人達の作とはいえ、それぞれの神について、その特質が巧みに表現されており、実に興味深いものとなっている。
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