私が初めてやった仕事というのは、フルコミッション(完全歩合制)のセールスマンだったが、私のいた営業所に、「流れ者ガンマン」ならぬ、「流れ者セールスマン」がやってきたことがあった。
セールスの腕だけを頼りに、いろんな会社を渡り歩く「さすらいのセールスマン」で、私自身がセールスマンの仕事でもしていない限りお目にかかれない人物だった。
確かにセールスの実力は大したもので、やって来るなり、すぐにガンガン売りまくっていた。
いや、まず最初に実力を見せ付けて、一目置かれたいと思っていたのかもしれない。彼は、もう40歳まで2、3年という年齢だった。
しかし、普段の彼は、誰に対しても親切で愛想が良く、それは、若い駆け出しセールスマンの私に対しても同じだった。
やはり、彼とて、職場の居心地は大切で、そのための人間関係に気を配っていたのだろう。
ここらは、苦労人であるのだなと感じるのである。

ところである日、そのさすらいのセールスマンと話していると、彼は、自分は元々は口下手で、他人と普通に会話することも苦手だったという。
それが今は、見事なセールストークで売上げを伸ばし、誰ともソツなく会話している。
それは、あえてこの仕事をすることで、精神を鍛え、引っ込み思案だった性格を克服したのだという。
ただ、それを聞いて、私は、妙に関心「しなかった」。
それでいえば、私も同じなのである。
私は、もうずっと前から、誰が相手でも恐れずに堂々と話すことができるように見られているのだと思うが、本当は、今でも高校生と話すのだって内心では緊張するのだ。
だが、それは外には全く現れない。
これもまた、鍛えられて対話能力を身につけたと言えるのかもしれないが、果たしてそれが良かったのだろうかと思う。
また、会社の中で、元々は、会話が苦手で、雰囲気も内気そうだった者が、必要に迫られて、かなり堂々と話すことができるようになった者もいる。
しかし、見ていると、やはりどこか無理を感じるのだ。
それで、ストレスを溜めているのではないかと思うのである。

一方、いつまで経っても、まともに対話できず、口の中でボソボソ言うだけで、何を言いたいのか分からなくて、正直、イライラさせられるような者もいる。
しかし、それのどこが悪いのだろう?
確かに、彼の思っていることを知ろうと思ったら、耳をそばだて、はっきりしない言葉の意味を必死で予想しないと意味が分からない。
だが、彼は、別に、考えていることを私に知って欲しいとは思っていないのかもしれない。
いくら話が下手でも、伝わる相手には伝わるのだろう。

現代は、みんなが明朗(明るくほがらか)で、ハキハキしていないといけないという風潮がある。
しかし、いろんな人がいて良いのではないか?
自分の好きなコミュニケーションのスタイルではない者でも、黙って受け入れ、好きにはなれないまでも、たとえ心の中でも否定せず、好きなようにさせてあげれば良いのだと思う。









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