私は、「共感」よりも「同調」が好きである。
だが、今回はまず、「共感」について、重要な話をする。
「共感」について、ジェームス・ファロンの『サイコパス・インサイド』の説明が好きなので引用する。
共感は他人の立場に立って考えられるかどうかである(to put yourself in anothers shoes)。つまり彼が感情的に体験していると思う何ごとかをあなたもまた体験するということである。
全く見事な説明だと思う。
そして、共感を起こすのは、脳のミラー・ニューロン・システムの働きによる。
ミラー・ニューロン・システムについても、同じく、『サイコパス・インサイド』の説明が、大体分かり易いのではないかと思う。
ミラー・ニューロン・システムは、ラコボーニの発見に基づく仮説上の脳皮質回路である。この発見では、霊長類において人が他人の行動を目撃する時や当人が自分自身で行動を起こす時に応答するニューロンがあるということであった。霊長類、とくにヒトの高次機能である他人が何かをすることを目撃する能力、そして今度は自分で即座に同じことをする能力は前頭葉と頭頂皮質の領域におけるニューロン間に形成されているこの回路を基盤としていると考えられている。
まあ、あまり分かり易くはないかもしれない(笑)。
もっと簡単に言えば、ピアノを弾いている人の脳内では、ピアノを弾くための「何か」が起こっているが、それを見ている人にも、同じような「何か」が起こるのであるということだ。
だから、他人がやっていることを見るだけで、ある程度のことは真似してやってしまえる。
そして、ファロンの本からは逸脱するかもしれないが、誰かの表情や身振りを見ていると、その誰かの脳内の出来事を、やはり自分も脳内でも体験するのだと思う。これが、普通、我々がよく言う共感の意味に近いと思う。
スピーチに共感する場合、話の内容そのものに共感する場合と、スピーチしている人の表情や身振りを含めた雰囲気全般に共感する場合があると思うが、良いスピーチの場合は、話の内容にも、話し手の表情や身振りにも共感することが多い。
だから、TEDの講演などは、文章で読むだけでなく、英語が分からなくても、ビデオで見た方がよく分かるものである。
私のようなサイコパスは共感の能力があまり、あるいは、ほとんど無いので、良いスピーチに論理的に「同感」を感じることはあっても、感情的に共感することはない。
ところで、一応言っておくが、誰かがサイコパスであるとか、自分がサイコパスであるとかを、軽々しく判断すべきでない。
私の場合は、自分や他人の奇妙さに疑問を持ち続け、それを解決すべく、心理学、精神分析学、神経科学、脳科学から、宗教、精神科学、その他、怪しいものも含め、あらゆるものを長年に渡って研究し続けたことで、ある程度判断が出来るようになったのである。
このようなことは、サイコパスや様々な精神の疾患・逸脱に深い関心を持って研究した人にしか分からないことである。
ネット上にある「サイコパス診断」などは全部デタラメと言って良いだろう。むしろ、それらは、正しい判断から遠ざかるものであると言える場合が多い。
だって、サイコパス診断が、予備知識もなく、数分やそこらで行えるはずがない。
だから、善意の場合が多いと思うが、「Kayさん、あなたサイコパスなんかじゃないですよ」と言われるのも、あまり有り難くはない。
同調も共感に似ているが、共感は人間相手に限るが、同調の場合は、極微なものから極大なもの、あるいは、形のないものも対象になる。
その原理は不明で、ミラー・ニューロン・システムとは関係が無い。
波動的共鳴と似ているとも言えるが、音や電磁波の共鳴で説明出来るとは限らないし、電磁波の共鳴もかなり複雑だ。
誰かと視線があった時に感じる神秘的な雰囲気・・・それが同調である。ある種の勘違いも含めてね。
ヘレン・ケラーのような目が見えない人の場合は、触った時に、相手のことが分かってしまうそうだが、身体の接触には、やはり、強い同調効果がある。
これは、目が見える人だって、誰かに触れたり、あるいは、好きな人を胸に抱いたりした時に、強い一体感を感じることから想像出来ると思う。
私のようなサイコパスは、共感が出来ない分、同調を強く感じる可能性が高いのである。
それは、ほとんど、超感覚的知覚や霊感のように感じる場合もある。
共感に話を戻す。
人間は、サイコパスでない限り、共感能力を持つので、身近にいる人に影響を受けてしまう。
それが、優れた人、素晴らしい人、高度な人であれば良いのだけれども、普通、周りにいるのは、低レベルな人である。
そんな、劣悪な人間に共感することで、自分もどんどん低下していくのである。
だから、下らない人間との共感を断ち、優れた人間とのみ共感しなければならない。
共感したくない人間と共感しない最も簡単な方法は、見ないこと、近付かないことだ。
しかし、下らない人間ほど、自分に共感させたがるという困った性質を持っている。
だから、つまらない人間ほど、すぐに物音を立てたり、大きな咳払いをしたりして、自分に注目を集めようとする。
ストーカーなんてのも、決して、自分の身を隠して付きまとうのではなく、自分の存在を、直接的にではなくても、何らかの方法でアピールするものである(直接的な場合も多い)。
しかし、共感したくない相手を見ざるを得ない場合が多いかと思う。
そんな時は、出来るだけ、その者と違うことをすることだ。
そして、それは意外と簡単だ。
なぜなら、低レベルな人間は、「姿勢が悪く」「呼吸が浅くて速く」「腹から力が抜けている」と決まっているからだ。
だから、あなたは、良い姿勢をし、深く静かな呼吸をし、腹に力を入れることだ。
これにより、下らない人間との共感を断ち、優れた人間とのみ共感出来るのである。
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だが、今回はまず、「共感」について、重要な話をする。
「共感」について、ジェームス・ファロンの『サイコパス・インサイド』の説明が好きなので引用する。
共感は他人の立場に立って考えられるかどうかである(to put yourself in anothers shoes)。つまり彼が感情的に体験していると思う何ごとかをあなたもまた体験するということである。
全く見事な説明だと思う。
そして、共感を起こすのは、脳のミラー・ニューロン・システムの働きによる。
ミラー・ニューロン・システムについても、同じく、『サイコパス・インサイド』の説明が、大体分かり易いのではないかと思う。
ミラー・ニューロン・システムは、ラコボーニの発見に基づく仮説上の脳皮質回路である。この発見では、霊長類において人が他人の行動を目撃する時や当人が自分自身で行動を起こす時に応答するニューロンがあるということであった。霊長類、とくにヒトの高次機能である他人が何かをすることを目撃する能力、そして今度は自分で即座に同じことをする能力は前頭葉と頭頂皮質の領域におけるニューロン間に形成されているこの回路を基盤としていると考えられている。
まあ、あまり分かり易くはないかもしれない(笑)。
もっと簡単に言えば、ピアノを弾いている人の脳内では、ピアノを弾くための「何か」が起こっているが、それを見ている人にも、同じような「何か」が起こるのであるということだ。
だから、他人がやっていることを見るだけで、ある程度のことは真似してやってしまえる。
そして、ファロンの本からは逸脱するかもしれないが、誰かの表情や身振りを見ていると、その誰かの脳内の出来事を、やはり自分も脳内でも体験するのだと思う。これが、普通、我々がよく言う共感の意味に近いと思う。
スピーチに共感する場合、話の内容そのものに共感する場合と、スピーチしている人の表情や身振りを含めた雰囲気全般に共感する場合があると思うが、良いスピーチの場合は、話の内容にも、話し手の表情や身振りにも共感することが多い。
だから、TEDの講演などは、文章で読むだけでなく、英語が分からなくても、ビデオで見た方がよく分かるものである。
私のようなサイコパスは共感の能力があまり、あるいは、ほとんど無いので、良いスピーチに論理的に「同感」を感じることはあっても、感情的に共感することはない。
ところで、一応言っておくが、誰かがサイコパスであるとか、自分がサイコパスであるとかを、軽々しく判断すべきでない。
私の場合は、自分や他人の奇妙さに疑問を持ち続け、それを解決すべく、心理学、精神分析学、神経科学、脳科学から、宗教、精神科学、その他、怪しいものも含め、あらゆるものを長年に渡って研究し続けたことで、ある程度判断が出来るようになったのである。
このようなことは、サイコパスや様々な精神の疾患・逸脱に深い関心を持って研究した人にしか分からないことである。
ネット上にある「サイコパス診断」などは全部デタラメと言って良いだろう。むしろ、それらは、正しい判断から遠ざかるものであると言える場合が多い。
だって、サイコパス診断が、予備知識もなく、数分やそこらで行えるはずがない。
だから、善意の場合が多いと思うが、「Kayさん、あなたサイコパスなんかじゃないですよ」と言われるのも、あまり有り難くはない。
同調も共感に似ているが、共感は人間相手に限るが、同調の場合は、極微なものから極大なもの、あるいは、形のないものも対象になる。
その原理は不明で、ミラー・ニューロン・システムとは関係が無い。
波動的共鳴と似ているとも言えるが、音や電磁波の共鳴で説明出来るとは限らないし、電磁波の共鳴もかなり複雑だ。
誰かと視線があった時に感じる神秘的な雰囲気・・・それが同調である。ある種の勘違いも含めてね。
ヘレン・ケラーのような目が見えない人の場合は、触った時に、相手のことが分かってしまうそうだが、身体の接触には、やはり、強い同調効果がある。
これは、目が見える人だって、誰かに触れたり、あるいは、好きな人を胸に抱いたりした時に、強い一体感を感じることから想像出来ると思う。
私のようなサイコパスは、共感が出来ない分、同調を強く感じる可能性が高いのである。
それは、ほとんど、超感覚的知覚や霊感のように感じる場合もある。
共感に話を戻す。
人間は、サイコパスでない限り、共感能力を持つので、身近にいる人に影響を受けてしまう。
それが、優れた人、素晴らしい人、高度な人であれば良いのだけれども、普通、周りにいるのは、低レベルな人である。
そんな、劣悪な人間に共感することで、自分もどんどん低下していくのである。
だから、下らない人間との共感を断ち、優れた人間とのみ共感しなければならない。
共感したくない人間と共感しない最も簡単な方法は、見ないこと、近付かないことだ。
しかし、下らない人間ほど、自分に共感させたがるという困った性質を持っている。
だから、つまらない人間ほど、すぐに物音を立てたり、大きな咳払いをしたりして、自分に注目を集めようとする。
ストーカーなんてのも、決して、自分の身を隠して付きまとうのではなく、自分の存在を、直接的にではなくても、何らかの方法でアピールするものである(直接的な場合も多い)。
しかし、共感したくない相手を見ざるを得ない場合が多いかと思う。
そんな時は、出来るだけ、その者と違うことをすることだ。
そして、それは意外と簡単だ。
なぜなら、低レベルな人間は、「姿勢が悪く」「呼吸が浅くて速く」「腹から力が抜けている」と決まっているからだ。
だから、あなたは、良い姿勢をし、深く静かな呼吸をし、腹に力を入れることだ。
これにより、下らない人間との共感を断ち、優れた人間とのみ共感出来るのである。
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